Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

ラボ・セレクション2005

2005年10月16日 | Weblog
は、やはり、時代を担うダンサー(振付家)たちの踊り場だった。すくなくとも、次代のダンスのありかを探るトライアルの場だった。

考えてみれば(パンフにあったことなんだけれど)、ほうほう堂と金魚って去年のラボ・セレクションに出演していた二組は、トヨタでオーディエンス賞取ったりしている訳なんだよな。ここで活躍できる人が今後のシーンで活躍する人って言うのは、たぶんあんまり間違いではない。


Aプロ
ひろいようこ「状態系」
ふたつ、前半はスカートの前につくジッパー、後半は一人用鉄棒。これと関わる身体に何が起きるか。ジッパーは上下させ開閉するシンプルな運動しか与えてくれない、ので身体にハプニングを起こす(身体が興味深いものになる)余地がすごく薄い。そこが残念。激しく上下すればそれだけ、身体はその上下運動に集中し、その分従順にならざるをえない。後半、一人用鉄棒があらわれ、ひたすら前回りを繰り返す。ときに、斜めに入った補強の棒などがつくる三角形の枠に身体を突っ込んでくぐり抜けたり、これらを素早い動きでやろうとして、それが速やかに行かない分、やろうとする「意図」に観客の気がいってしまう。そして、観客はその動きを「意図の不達成」と解釈して済ませてしまう。15分ほどそれが続いた終幕あたりになって、「からっぽ」な状態が少し出てきた。「意図」など気にせず、リスやネズミの動きを眺めているみたいな気持ちになってきた。ここまでくるといいんだよな、ここまで。

得居幸「ねぇ、ウエイター。」
松山発ダンサーの一人。彼女も松山グループの一員らしく、非常によく体が動く。連続する流れの中に「ストン」と入る中断が実にデリケートでかつ個性的だ。小さいネタがところどころダンス的な魅力へと転がる時がある。手のなか親指と親指で会話を始めたと思えば、口論のようになり、その激しさが体全体に向けて増幅する。会話の声の高ぶりあわてたセリフ回しにぼくの体は勝手に笑い出す。ここは面白かった。もっともっと用意したネタがある必然性をもってダンスへと進展していけば、その打率が上がっていけばいいのに、と思う。

ホナガヨウコ「naino」
ドラマーとの共演。ホナガは、鈴木ユキオ主宰の金魚に参加しているダンサー、ひょろりと長い手足とまっすぐの切りすぎの前髪が印象的。ホナガは弾くと映る映像と共にキーボードを弾き、また時々踊る。音楽と映像と身体。その渦が観客とのコンタクトをとるものにはなっていない。けれど、そういう関係が彼女のコンタクトの仕方だとすれば、単純には否定できない。投げてくるボールは真剣だ。けれど、そのボールは彼女の目の前50センチのところでバウンドしている。そのボールにどういう反応をすればいいのか。この「薄さ」の意味がどう今後展開していくのか、悩ましいがそう思うと端的に「つまらん」と言い切ることが出来ない。


Bプロ
捩子ぴじん「振子」
暗黒舞踏の方法のなかには身体を細かくコントロールしていく側面がある。たぶん、彼はこのコントロールに強い興味があるのだろう。身体の動きのなかにも、また顔の当たりが白く飛んだ写真が振り子になって揺れるというオブジェも相俟って、タイトル通りの「振子」のイメージが散らばっている。あるいは少し大きめの積み上げたブロックを崩すといった「崩壊」のイメージも。ただその不穏さはすべてコントロールの中にある。すべてはしつらえられた出来事。と思うと傍観し始めるぼくの身体。たぶん、このコントロールの果てに過剰なコントロールの果てにあるものに興味があるのだろう。そこに何が待っているのかについてはみてみたい。

山賀ざくろ「ヘルタースケルター」
スカートをはいた金髪の男、それがブリッコな振る舞いを見せつつ踊る。一曲踊った後、突然はにかむような、「きゃっきゃ」。観客がどっとうける。ここが一番良かった。そこからさらに、曲なしの踊りにいくところ。曖昧な展開が見るものを集中させる、なに、今なに(どんなシーン)?みえないって感じで。或る独特の屈曲(まがり)がもうすでに山賀ダンスというか山賀節になっている。それがもっとポップになれば、これはホントに来年が楽しみになる(あ、来年の前に、来月頭「踊りに行くぜ」前橋編に出演するそうです)。

大橋可也&ダンサーズ「サクリファイス2」
夏に見た初演の方がからだにきた。今日は空間が狭いこともあってか、ダンサーの振るまいが大きすぎて、むしろ見えにくくなっている。クールさがなくて、わざとらしさがむしろ漂う。んー、公演内容に対して舞台空間の狭いことがやはり問題だったように思う。