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Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

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2008年04月01日 | Weblog
本日より、日本女子大学人間社会学部文化学科の専任講師(専門:美学)となりました。
NWUには目白と西生田にキャンパスがありますが、ぼくはのどかな西生田に通うことになります。

どうぞ、よろしくお願いします。




福住廉さんの発言

2008年03月31日 | Weblog
土曜日のイベント「ダダをこねる」についての追記として。

Command Nのイベント「オルタナティブ東京 ダダをこねる/01」にて自分の批評観についてプレゼンテーションをしていた福住廉(ふくずみ・れん)さんは、ぼくが美術出版社主催の「第12回 芸術評論募集」でともに入選したことで、個人的にはずっと気にしてきている文筆家(評論家)である。最近では、Chim↑Pomをいち早く評価したこと、六本木クロッシング2007をいち早く批判したことで、有名な存在だとぼくは認識している。意見の細かいところは違いがあるのだろうけれど、注目する対象は、ぼくと重なるところがあり、いつかちゃんと話をする機会があればと思っているのだけれど、そんな福住くんの10分間のプレゼンテーションは、当然のことながら興味深いものだった。
彼の主張は、いま批評家(彼の主眼は「美術批評家」に向けられている)と称する者はあまたいるとしても、実際、批評的な仕事をしているのは、ほとんど皆無であり、そんななか、いわゆる素人のひとのレポートの方が率直で内容豊富で、実際、経済的に豊かな点もあるから海外の展覧会もチェックしていたりするので、いわゆる「批評家」に期待するものは、もうそうしたひとたちの仕事で十分なはずである、というものだった。
「批評的な仕事をしているのは、ほとんど皆無」という例に、彼は、2006年の横浜トリエンナーレをあげた。「批評家と称する者」が新聞や雑誌で書いたのは、結局のところ、「川俣正よくやった」という美術関係者の内輪でしか機能しないことがらに過ぎず、外に向けて明確な評価(批判も含めて)を表現することはなかった。その一方で、「学園祭みたいだったね」といった批判的な意見が、業界内のうわさ話として耳に入ってくる。新聞・雑誌での文章が、批評家の表現する場だとすれば、「批評家と称する者」は、その名に値する仕事をやっていない、というのが福住くんの具体的な批判の内実だった。
こうした問題は、ぼくも強く感じていることだった。批評家とは何をするひとなんだろうか。名称に「家」がつくから、なんだか「そういうポジションを得た人」だと思われがちだけれど、そうではないはずで、というか批評家は「批評」を生業とする人(「家」)ということであるはず。批評を書かなければ、批評家を名のる意味がない。けれども、、、
このことは、ぼくの現場でも同様のことが言えるだろう。ぼくは「ダンス批評」としばしば名のっている。「家」を付ける自信も必要もない気がして、それは付けないようにしているのだけれど。そうした肩書きの人物が行うべき、ダンスの「批評」とは何だろう。それは、ダンス公演を高みから評価することなのだろうか。それは、ダンス公演に前宣伝記事を書くことなのだろうか。それは、ダンス公演を未知の観客に向けて紹介し業界を応援することなのだろうか。
ぼくはこれまで、とくに2005年に「美術手帖」でのダンス特集を組むという仕事の辺りでは、「脆弱なしかし可能性があると思うコンテンポラリー・ダンスという存在を紹介し、応援したい」という気持ちで、しばしば批評文を書いたり、インタビューや雑誌の特集企画に携わったりしてきた。しかし、その後辺りから、そうすることが批評の仕事なのだろうか、とか、そうした応援団的な仕事がそれだけが批評の仕事なのだろうか、と疑問をもつようになった。逡巡しながら、いつかダンスへの興味が、コンテンポラリー・ダンス業界全体にではなく、本当に自分がユニークだと思える作家たちに限定されるようになった。そして、そうした視点の移行は、単に上演された作品について言葉を費やすという以上に、観客とパフォーマー(振付家・演出家)の関係とか、上演をめぐる環境自体へと批評的な言葉を紡ぐ必要があるのでは、と思わせることとなった。しかし、そうした文章を載せる媒体など、どこにもない。前宣伝記事の依頼はあっても、そうした記事をあるヴォリュームをもって書く、という場はなかった。ないから書かなかった、という怠慢があった。
福住くんに戻ると、彼はプレゼンの冒頭、このイベントのタイトルにかけて「だだをこねる」ことが批評だろうと漏らした。そうだ、本当にそうだ、と思った。批評の仕事は、嫌われる仕事である。多分、嫌われないでこの活動は出来ない。けれども、たいていの場合、業界関係者のなかの自分のポジションとか、均衡関係とかを意識しながら文章が書かれていたりする。それは、何となく、今日の永田町演劇に似ている。本当に何か価値あることをしようとか、価値あるものを讃えそうでないものには過大評価をしない、という気運が希薄な場所は、何も生産的なものを生み出さないだろう。政治の停滞を模倣する必要はないはずなのに、多くの場合、そうした反復を気づけばしてしまう。そうした無反省な場所に対して、「だだをこねる」(自らのパフォーマンスを通して反省を促す)ことこそ、批評の仕事なのではないか。
それは、傲慢と称されることも、スタンド・プレーと揶揄されることもあるだろう。でも、多分、そうすることへとコミットすることなく、自称「ダンス批評」「舞踊批評」「舞踏批評」、、、を名のることには、ほとんど意味がない。ただ「批評」という地位をほしがる権威主義に他ならないだろう。
こうして目深にニット帽を被った福住くんから、結構な刺激を受け取った。ただ、ぼくは福住くんの主張の後半は、あまり賛同出来なかった。つまり、批評家の名に値しない人ばかりが批評家ならば、素人の書き手に期待した方がいい、という発言。ぼくは、福住くんの言う「だだをこねる」ことが出来るのは、やっぱり批評家以外にはいないと思うのだ。正当に誠実に辛辣に「だだをこねる」才能と経験と知識が批評家というひとには必要である。少なくとも統整的理念としては。その使命を自ら負うエネルギーとそれを支える対象への強烈な愛情を携えたひとを、「批評家」と呼ぶのだろうし、才能のみならずひとはそうした勇気と愛情を期待してそうした名を使用しているのだと思う。

3/29

2008年03月30日 | Weblog
ひとの話を続けて拝聴する一日だった。

午前、来年度からお世話になる大学の研究室をチェックしに行く。前任の先生が残した骨董屋のようなアイテムの数々に驚く。窓の外には、桜が咲き狂っている。

午後、二時から、新・岸田戯曲賞作家(倉持裕+岡田利規)によるトークイベントというものがあるとお誘いがあり、聞きに行く。池袋コミュニティ・カレッジってほぼ初めて行った。チケット一枚買うのに、10分くらいかかったのには、驚いたが、インディペンデントな学校(「西武」という資本力、ブランド力の賜であるとはいえ)がこうしてしっかり回り続けているというのは、凄いことだと感心。二時間ちかくのトークは、面白かったけれど、聞き手という者は、忍耐強い者だなと、どちらかといえば聞き手よりも話し手の方になりがちな昨今、聞き手を(学生を)もっと尊敬しないとなと思った(1時間半1人で喋るという大学の講義というものは、考えてみれば随分、乱暴なパフォーマンスだよな、とも感じたり。ワンマンショーですからね)。

四時半頃、電話をチェックすると、最近寄稿した雑誌から電話が入っていた(数時間中に校正をして欲しいとの)。次の用事にちょっと間があったので、出版社(太田出版)に行ってみることにした。社会科見学のつもりで心躍ったのだけれど(吉田豪がいたらどうしょう!とか、いるわけいないか)、がらーんとした仕事場に、編集担当者さんがひとり。二日は寝てないなと慮られるご様子。ホイットニー・ビエンナーレでもエントリーされていたGang Gang Danceの話で盛り上がる(「来日中止になったのでは、、、」と担当さんが話していて、まさか、と思っていまチェックしたら、やはり、、、残念至極!)。

6時頃、「オルタナティヴ東京 ダダをこねる/01」というイベントを見に行く。→ KANDADA
以下のひとたち(ぼくが聞いた前半のメンツのみ。この倍くらいの出演者が居た)が10分のプレゼンテーションをして、それにコメントや質問を最後に加えるというセットをひたすら行う企画。最近、こういうプレゼンのイベントが多いなあと感じる。みんなで各自の知恵を寄せ合うということから何かを生み出そうとしている、しかも、かなりポップなセッティングにしており、集客力がかなりある(150名くらいは入っていたかも)。

福住廉
新宿眼科画廊
Survivart
第0研究室
高橋慎(クラインダイサムアーキテクツ)


DIRECT CONTACT VOL. 1

2008年03月27日 | Weblog
告知です!

4月23、24、25日に、月島のギャラリー・スペースで、DIRECT CONTACT VOL. 1と題したイベントをミュージシャンで批評家でもある大谷能生氏との共同企画で行います。

音楽とダンスを単ににわか仕込みのコラボではなく、同じ空間に置いて一緒に観賞してみたらどうなるのか?というのが、最初に2人で話し合った企画意図でした。まず、第1弾は、ダンスは神村恵、音楽は宇波拓らの室内楽コンサートを接触(コンタクト)させます。今後、良質な諸々のジャンルのコンタクトの場、方法的な実験の場としてシリーズ化してこうと考えています。

詳しいことは後日。とりあえずフライヤーが(左上の画像をクリックすると拡大されます)出来ましたのでご覧下さい!!!

もっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です

2008年03月25日 | Weblog
「人の生き方はその人の心の傾注(アテンション)がいかに形成され、また歪められてきたかの軌跡です。注意力の形成は教育の、また文化そのもののまごうかたなきあらわれです。人はつねに成長します。注意力を増大させ高めるものは、人が異質なものごとに対して示す礼節です。新しい刺激を受けとめること、挑戦を受けることに一生懸命になってください。検閲を警戒すること。しかし忘れないこと--社会においても個々人の生活においてももっとも強力で深層にひそむ検閲は、自己検閲です。」

「この社会では商業が支配的な活動に、金儲けが支配的な基準になっています。商業に対抗する、あるいは商業を意に介さない思想と実践的な行動のための場所を維持するようにしてください。みずから欲するなら、私たちひとりひとりは、小さなかたちではあれ、この社会の浅薄で心が欠如したものごとに対して拮抗する力になることができます。暴力を嫌悪すること。国家の虚飾と自己愛を嫌悪すること。」

『小説トリッパー』(SPRING 2008)では、高橋源一郎が「13日間で「名文」を書けるようになる方法」という連載をはじめている。その最初の方で高橋があげていたこのソンタグの文章がとてもとても素晴らしかった。死の10ヶ月前に書かれたこの文章(上記はその抜粋)は高橋曰く一種の遺言。




ところで、帰国後「ニューヨークどうでした?」といろいろなひとが聞いてくれる。けれど、正直恥ずかしくて、あまり上手く答えられない。何分、一週間しか居なかったのだから、「○□△だったよ、あそこは」的な知ったかぶりをするにはあまりにも短い。一年も二年も在住している/していたひとからすれば「戯れ言」と一蹴されかねないことしか言えないなーと思っていると、メールの返信は滞り、あるいは隣の質問者にもごもごと無言のまま動かす口ばかりをみせることになってしまう。大体、36年生きてて初NYというのが何とも恥ずかしい。この一年、多摩美術大学で現代美術を講義しておきながら、メトロポリタンもMOMAもWhitneyもGuggenheimもチェルシーも行ったことがなかったのだから。恥ずかしい。
けれども、どんどん記憶は曖昧になり薄れる。ぼくの心にインプレスされた何ごとかは、そのプレスの跡を次第に弱めてゆく。それはもったいない、ぼくとしては。で、備忘録的にここにメモのようなものを書いてみようかと思う。といった程度のものです、以下。あしからず。

・一週間過ごしたインウッド(Inwood)は、とても静かな(しかし、夜中の三時、四時でも、外では時折誰かの話し声や歌い声や喧騒が聞こえる)住宅街で、ぼくがAと借りたアパートメントの裏には、まさに「森」と呼んでもいいような木々の茂る丘があった。今回の旅は、ほとんどAが手配してくれて、このアパートメントへの宿泊というアイディアも彼女のものだった。彼女曰く、「みんなそうしているらしい」。四時半頃、ニューアークのリバティ空港に到着するとその足で、列車に乗り地下鉄に乗りかえて、6時半頃か、マンハッタン島の最北端に位置するインウッド、207st駅に着いたのだった。ぼくたちの住むことになる部屋のオーナーは、NGOOHと表記する人物で、どうこれを発音したら分からないのだけれど、それでもともかくNGOOHに電話を掛けなければならなかった。ホテルとは違って、アパートメントにはフロントはない、もちろんフロントマンもいない。部屋の鍵はこのオーナーと直接電話で話をしてかり出さなければならない。でも、公衆電話がどこにあるかもわからず、そもそもどうやって公衆電話をかければいいのか(25セント硬貨が必要だったけど、もちろん行き当たりばったりが得意な、いやどうもそうとしか生きることのできないぼくたちはそんなことも知らないし、持ち合わせもなかった)わからなかった。アパートメントの前で立ちつくしていると、玄関から誰かがひとり出てきた。多分、ゴミを出しに来たか何かで、とても身軽な格好をしていたヒスパニック系の女性で、恐る恐る事情を説明して、電話を掛けたい旨を伝えると、一階に住む女性にぼくらに電話を貸すよう促してくれた。彼らが最初にコンタクトしたニューヨーカーだったことは、この旅の方向を決めた気がする。親切なのかニューヨーカーは。あらわれたオーナーのNGOOHはアフリカ系のかわいい表情をした大男で、彼も非常にやさしい、安心感を人に与える人物だった。彼は10才くらいの娘を連れてきていた。とても聡明で陽気で愛嬌のある娘は、名前を聞くと「サロメ」と答えた。Aが後で教えてくれたのには、サロメちゃんの口癖は「and」で、つまり父親が部屋の説明をしている間、必ず説明の最後に自分で父の捕捉していたらしい。かわいい。こうした家族ぐるみの応対というところでは、ついついバリ島のロスメン(民宿)、行けば必ず泊まるユリアティ・ハウスのこととかを連想し、重ね合わせてしまう。そんな連想がわき、はじめての異国でちょっと安堵感が生まれた。
・インウッドでは、ほぼ毎朝、ランニングをしていた。2.5KMのときもあれば、7KM以上走ったときもあった。坂の多い街、朝の気温は零度くらい、それでも走るのは楽しかった。到着した翌日は、森に面した公園で走った。7時頃だったろうか。ipodではスティービー・ワンダーを聞いた。途中から女性ランナーが増えた。犬の散歩をする人がランナーの三倍くらい居た。5時くらいに走ったときもあった。24時間営業の雑貨店には、人が何人か居た。インウッドにはぼくの走って知った限り、いわゆるコンビニがなかった。チェーン店よりも個人経営の店が目立っていた。そこはサロン的な空間になっていた。その多くは、ヒスパニックの人たちがたむろする場所だった。
・店のことで言うと面白かったのは、金曜の夜だったか、マンハッタンの中心部から1時間弱地下鉄に乗り、遅く帰ると、床屋が繁盛していて、髪を切り終えた人も、あるいはただそこにいる人も含めごったがえしていた。にやにやと何やら楽しそうな景色。それに引き替え、小さな中華料理店はどこも閑散としていて寂しい感じだった。
・インウッドでは、モロッコ料理を食べた。ニューヨークでの食事はほぼどれもとても美味しかった。「不味い」と思ったものはなかった。意外だった。とくにパーク・テラス・ビストロという名のモロッコ料理店は、プライドのある店で(それは、ウェイトレスのてきぱきと丁寧な対応にもっともよくあらわれていた)、味もとてもよかった。アスパラガスの入ったリゾットが絶品だった。
・地下鉄は、危険ではなかった。いや、乗客全員で危険にならないように注意を払っている、という感じだった。寝ている人は居なかった。日本ではよくある、無防備に他人をじろじろ見ると言うこともここでは誰1人としてしていなかった。ただしそれは、他人を意識していないということではない。「ソーリー」「エクスキューズ・ミー」と頻繁に声を出し合うのは、もしそうしなかったら、途端に互いが互いに対して狼になってしまう人間の宿命をよくよく分かっているから、という気がした。乱暴な振る舞いをするサラリーマンなどの乗った日本の電車よりは、遙かにセーフティと思った。ただし、シートは硬く、クッションはなし。
(続)

NY

2008年03月21日 | Weblog
3/12-20とニューヨークに旅行に行ってきました。マンハッタン島の北端に位置するインウッド(Inwood)というその名の通り森に囲まれた静かな街にアパートを借りて、そこから1時間弱地下鉄に揺られて毎日、美術館、ギャラリー、ダンス公演、ミュージカルなどを見た。ともかく、毎日10kmは歩き回った。一週間乗り放題24ドルというメトロカードを使って(安い!)、地下鉄で最寄りまで行くとそこから歩いて歩いてひたすら歩く。

◎メトロポリタン美術館
「プッサンと自然」
「ギュスターヴ・クールベ展」
「ジャスパー・ジョーンズ グレイ展」


◎グッゲンハイム美術館
「CAI GUO-QUANG I WANT TO BELIEVE」

◎ニューヨーク近代美術館(MOMA)
Color Chart: Reinventing Color, 1950 to Today
Design and the Elastic Mind

◎ホイットニー美術館
WHITNEY BIENNIAL 2008

◎その他チェルシー地区とソーホー地区のギャラリー(例えば、、、)
Michel Gondry Be Kind Rewind

◎ダンス
Paul TaylorThe Dream Season
Hunter College"Sharing The Legacy" Concert

◎ジャズはのんきな店に行った
Garage


帰国後、いつも聞いているストリームをチェック。これは聞くべきでしょう。NYに居て日本のノンポリ(非政治)性についてずっと考えていた。

3/9-10

2008年03月11日 | Weblog
3/9
自宅に振付家・ダンサーの神村恵さんをお招きして、拙ブログに載せてきた『ジャドソン・ダンス・シアター』の研究ノートをさかなに、『Review House 01』編集長の伊藤亜紗とぼくとを話し相手におしゃべりをしていただきました。神村さんとジャドソン系ダンスとの重なる点、異なる点がかなりクリアになった気がします。3月中くらいには、三人の会話の模様(音声データ)を公開したいと考えています。

3/10
『CINRA』から取材を受ける。「批評」について話をした。そこで「踊りに行くぜ!」の話題が出て来た。話し相手の女性(大学生)は、KIKIKIKIKIKIの「サカリバ007」は、「ひなぎく」がモチーフなのではないかと解釈をしていて、ああいう部屋をひっちゃかめっちゃかにしたい欲求というのは理解出来るし、友達といつか旅行の際にでも「ひなぎく」ごっこをしたいとの意見を聞かせてくれた。そうした共感は、いまの(もう若者とは言えない、いっても誰も認めてくれない)ぼくにはできないので、興味深く、参考になった(ちなみに、この意見にぼくは「ひなぎくごっこ」はひとまえじゃなく家でやればいいじゃん?と返答した)。当たり前といえば当たり前だけど、ぼくが感じることには、限界がある。作品の受け取り方に、唯一の正解があるわけじゃない。だからといって、人の感想がぼくの感想を無効にすると考えるのも極端だろう、ぼくはぼくの視点でしかものを見られない、ともかくも。



3/12-20の間は、Aともども日本にいません。メールも見られないと思います。諸々ごめいわくをおかけしますがよろしくお願いします。

「泉の会」

2008年02月22日 | Weblog
2/19 正式名称「泉の会」(通称「シアトリカリティ研究会」)を自分の周囲にいる若い美学研究者たちと発足することにした。4月から、Sarah R. Cohen, Art, Dance, and the Body in French Culture of the Ancien R[e]gime, Cambridge: Cambridge University Press, 2000.を隔週ペースで読む。自分に何が出来るか分からないけど、ともかくいろいろなところを活性化したい、という思いで、とりあえずスタートさせる。

「シアター」「シアトリカリティ」「パフォーマンス」「パフォーマティヴ(ィティ)」という概念について、時代や地域、あるいはジャンルに囚われず、研究する会です。かなり専門的でつっこんだ議論をする会ですし、あまりオープンな状態にはしないつもりですが、興味のある方は、連絡下さい。いずれ会が進んでいったら、泉の会専用のブログで議事録のようなものをアップしていくつもりです。

正しくない者同士が交わす応答が唯一、正しい方向へ行く可能性を持っている

2008年02月19日 | Weblog
2/19
「みんな自分が正しいと思っているから、応答が反論になるんです。赤木[智弘]さんのいいところは、決して自分が正しいとは思ってないところだと思います。僕だって何が正しいのか、実を言うと分からない。だけど、正しくない者同士が交わす応答が唯一、正しい方向へ行く可能性を持っているのです。」(高橋源一郎「世界は間違っている。それでも、明日のことを考えましょう」)『論座』(2008.3)



『REVIEW HOUSE 01』完成

2008年02月16日 | Weblog
ビールをこよなく愛するAが編集長を務める『REVIEW HOUSE 01』がとうとう完成しました。「見開き2ページの批評実験」というのがキャッチコピーの芸術批評誌です。ぼくは小指値とChim↑Pomについて批評文をそれぞれ2頁ずつ担当しました。
あと、nhhmbaseのことも1000字くらいで書きました(「気まぐれな気象のようなライブ・パフォーマンス」)。インタビューページ+批評ページ+美術批評家・林道郎のレクチャーともりもり盛りだくさんの内容です。

この雑誌の面白さは、インタビューページのラインナップに一番はっきりと出ているかも知れません。
青木淳悟(文学)
nhhmbase(音楽)
横内賢太郎(美術)
このクロスぶり。ジャンルレスぶり。あと、書き手はみなかなり若い。ぼくなど年長組です。『ベクトルズ』で共同作業をしている大谷能生さんもHOSEなどについて原稿を書いています。

ダンスについては、いま公演中の神村恵カンパニーについてAが、黒沢美香について振付家・手塚夏子がとりあげています。
こちらに購入方法の詳細があります。今日と明日にBankART 1929にて行われる神村恵カンパニー公演『どん底』の受付でも購入出来るようにする予定らしいです。書店での販売もするそうです、ただしもう少し時間がかかると思いますので、確実にお手に取るには、こちらからの購入をお勧めします。

1/28

2008年01月29日 | Weblog
1/28
新宿にてBRAINZ関連のミーティング。

その後、思いの外時間が空いたので、伊勢丹などでぶらぶらする。セール期間が終わったショップは、もう春である。カラフルなジャケットや半袖Tシャツさえ出ている。気分の落ち込んだひともきっとはげまされる。

神楽坂にあるdie pratzeというスペースに「ダンスがみたい!6」の審査員たちがアフタートークをするというので、聞きにいった。

帰りに、Aと合流し、新宿3丁目のBriccolaで食事。もう完全にミーハーで「パリ新宿」(『Hanako』)論者なるなるさんの言うが儘に行ってみた。久しぶりに、外で美味いッと満足するご飯を食べた、かも。美しいものとか美味いものの凄いのは、余計なことを考えなくなること。つっかかりがなく、ただただうっとり出来る。個性がないわけではないのだ。むしろ強烈な異物感がある。にもかかわらず、するっと入り、納得する。なんだか悲しいような気持ちになったりもする。感情が揺さぶられる。数皿注文しどれも美味しかったが、最後に食べたティラミスが、素晴らしく、エスプレッソのしみたケーキ部分が「しみた」以上に「ひたった」といった感じで、口の中で苦みのあるソースが漏れてくるのだけれど、それを宿していたケーキもやや大きめの塊が口の中でごろごろと主張し、インパクトを与える。やわらかでまろやかでしかしきりっと男性的でもあるティラミス。

1/24-27

2008年01月27日 | Weblog
1/27
久しぶりに走る。10.75kmを54:02で。後半の方が断然気持ちいい。脳を刺激するいろいろなものが出ているのだろう。冷たい空気を入れたり出したりする肺もかなり喜んでる。タバコより空気がおいしい?
ランニングでこつこつやることの面白さと収穫の大きさを学習したので、Sarah R. Cohenのテクスト「Art, Dance, and the Body in French Culture of the Ancien Regime」(Cambridge University Press, 2000)を一日2頁ずつとか翻訳していくことに決めた。

ある方からどっさりCDを頂いた。細野晴臣「FLYING SAUCER 1947」とてもいい。60になってこういう域に達することが出来るならば、生きてみるのもいいもんだ。Kotringo「Songs in the birdcage」気の小さい矢野顕子みたいな歌だと思ったら坂本龍一がプロデュースしているものだった、ってどう解釈すればいい?中納良恵「ソレイユ」とてもいい。ituneのカテゴリーではJAZZなのだけれど、クオリティの高いポップス、ちょっとブルージー。最近は、こういうメロー気味の曲聞きながら走るのがぼくのなかで流行っていて、これ、いいかも。などなど。

1/26
銀座のINAX:GINZAにてLIVE ROUND ABOUT JOURNALなるイベントを見に行く。藤村龍至(1976年生まれ)と山崎泰寛(1975年生まれ)という若い建築家が企画・編集を務めるこれは、彼らと同年代かそれよりも更に若いブレゼンターを中心に、いまと今後の建築のあり方を議論するイベントで、ぼくが行ったこの日はドミニク・チェンが司会をし、また「ライブ編集」といって、ライブで話していることを奥に特設した編集室で即座に原稿化し、そして帰りにはフリーペーパーの状態にして配るというかなりアクティヴな趣向もあったりして、かなり熱い場所という印象をまず抱いた(お客さんも随分入っていた、100人近くいただろうか)。とりわけ「10+1」で最近盛り上がっている「批判的工学主義」というアイディアが聞けたことがとても刺激的だった(途中退出してしまったが)。帰宅後あらためて「10+1」の最新号(No. 49)を読み返してみた。藤村、柄沢祐輔、南後由和が提唱しているそれは、これだけだとちょっとわかりにくいかも知れないが、とりあえず南後氏のテクストからその核となる部分を引くとこういうものである。

「批判的工学主義は、場所など、建築をめぐる被制約性の社会的条件を明らかにするリサーチと、その社会的条件の再構成と形式化である設計とを不可分なものとして位置づける」(南後「「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?」「10+1」No. 49。98頁)

「批判的工学主義は、資本の膨張にもとづく建築の規模に直截に同調することはせず、都市空間を編成する速度、量、規模を現前させている背後の不可視のコード--経済原理、法制度など--へと接近し、それら工学を取りまく社会的条件をいかに差配するかに論点をシフトさせていく必要があると考える。それにより……都市の統計的、社会的、造形的な側面を統合しうるような媒介行為として建築的思考を拓いていこうとするのである」(同上)

それは、建築が生まれる際にそこに影響を及ぼしてくる「深層」の諸々の社会的な条件(周囲の環境に対してどうリアクションしていくかということはもとより、彼らがとくに重視しているのはレッシグが今日の四つの権力としてあげる「法」「規範」「市場」「アーキテクチャー」であるところが興味深い)を、設計の過程に積極的にフィードバックさせて、深層へと積極的に介入していこうする態度のようだ。建築というものそのものだけではなく、その外側との接触を重視し、しかも単に表層的関係ではなく関係を成立させている深層部分の再構成へとアクセスする。

面白いのは、建築家の作家性を前提とした建築の作品主義に対する警戒心がこうした態度の背後にあることで、ぼくはそこにとくにシンパシーを感じた。つまり、南後氏は、

「唯一の生産者としての建築家と単線的に結びつけられた作品を建築物A」
「設計、構造、設備、施工、管理からなる建築生産の分野が扱う建築物をA’」
「竣工後のプロセスや「時のかたち」をともなった集合的作品および政治、経済の網の目に埋め込まれた建築物をA”」(同上99頁)

として、これまでAを中心に取り上げてきた建築ジャーナリズムに疑問をもち、A"へと関心を持つスタンスの発展こそ今後の進むべき道として称揚している。

最近(といってここ二年くらいかな)ぼくもダンスの公演を見ているなかでそれが生まれてくる環境に注意がそれていくことが頻繁にあって、ダンスを振り付けると言うことは、実はダンサーに振りを与えるのみならず、舞台空間やそれに対する客席の状況やそもそもその両者を取り囲んでいる劇場の運営環境、そして更にその外部にある社会全体との関係を振り付けているのではないか、と思い始めている。ただ身体に振り付けを与えるだけがダンスと思っている思考は、無邪気な作品主義に陥っているのではないか。作品主義を無邪気と言いたくなるのは、それがそのように成立している環境を無前提で受け入れてしまっているからで、例えば「喜び組」のダンスを単にフォルマリスティックに優美だと言って評価してしまうのが無邪気すぎではないかと思うのと同様の意味で。ある存在(建築、ダンス、、、)が成立する際に交差している複数(無数)のコンテクストにどこまで敏感であり得るのかということがその存在の評価となるはずだ、ということになる。

あと、面白いと思う点は、彼らが主たる考察対象としてあげる建築はスーパー、コンビニ、マンションなどこれまでは重視されてこなかったきわめて資本主義的な傾向の強いものだということ。そこにある「売れること」至上主義をネガティヴにではなく、建築の可能性を深めていく条件と考える仕方は、ぼくが「フリーター」としてのパフォーマンスを積極的に考えるべきではないかと以前ここに書いたことと重ねてみたくなるところがある。「フリーター」と言うと問題があるならば「今日的ー日常的に出会う労働形態」が身体に作用する際の様々な深層で働いている力を、否定的に捉えたり無視したりするのではなく、むしろ積極的にその可能性を掘り下げてみること。それは、単に優劣の逆転、ということではなく、そうした身体が生まれるところに何がどう働きかけているかについてまさに批判吟味してみること、そうして今日の身体行為のリアリティを炙り出してみることにこそ価値がある。それを単に「作品」というフォーマットで従来通り呈示するのではなく、呈示の仕方を含めその考察が様々な部分に変容を与えていくことが起こらなくては意味がないのだけれど。

1/25
BRAINZの最終回。極寒の渋谷。何か、昨年の「超詳解!20世紀ダンス入門」から始まった一連の流れがひとまずゴールを迎えたみたいな気になった。いやいやまだまだこれからだ、と思いつつも。

1/24
国士舘大学でテスト。これで最後か。任意の課題だった美術館レポートをほぼ全員が提出してきた。このクラスの最後の講義の日に、聴講の態度が悪いので学生に注意したことがこういう形で帰ってきた。さて、これから合計約250人の答案を採点することになる。どこにそんな時間があるのだろう。

1/21-23

2008年01月23日 | Weblog
1/23
明後日、金曜日(1/24)はBRAINZの最終日です。「観客」をテーマに前半ぼくが話し、後半は、受講者の方々による「新しいダンス、演劇、パフォーマンスetc.の発明」発表会の予定です。初めての方も、どうぞ興味があればお越し下さい。

wonderlandに大橋可也&ダンサーズの企画「ダンス蛇の穴」にて行われた「関係者全員参加!ダンスクリティーク」についてまとめの記事を書かせてもらうことになりました。三回にわけて掲載させてもらいます。今回は、どうしてこういうイベントを実施しようと思ったかについて整理しました。目下MLのみですが、数日後にHPにアップするはずです。ご一読を乞います。来週には、実際このイベントがどういうものになったのか、再来週には、このイベントがさらにどんな「ネクスト」へと繋がっていくべきかについて反省する予定です。また、いずれ、現場での模様をネットでオープンにすることも協議中です。

雪。夕方それでも走る。5.24kmを27'37"。こんなに寒くても、走れば汗をかく。雨もウェアを濡らす。10分くらい走ってからのあの気持ちよさは、ちょっとすごくて、はまる。


1/21-22
洋書など届く。『ユリイカ』のマドンナ特集[2006.3]を送ればせながら読む。三田格の論考「窓女」がとても面白くて刺激を受ける。マドンナの「見せる」生き方の変遷を論じて、いつか、渋谷の街中(いまのぼくたち)に行き着く。

「誰かのことを「見る」のは、前にも書いたように、もはや「見せられている」ことと同義なので、渋谷などを歩いていても「見たら負けだ」という感覚の方が強く、誰もが「見せる」ことには頭を使い、お金を使っていても、その成果を「見る」人はほとんどいないという場所になっている」「どう考えても誰もが視線には飢えているのに、誰もそれを分け与えようとはしない。ただひたすらプレゼンスを高めあっているだけである」(140)

自分もこうやってブログを書いたりするので、他人事ではないのだけれど、三田さんの言うようにいま「誰も」が自己顕示欲に燃え、ストリップティーズに意欲を燃やす。けれども、そこには観客はいない。自分を「見て!」と言う一方で誰かを「見るよ!」とは言わない。いや、一層進んで「見て!」ともとくに欲求しないまま、ただただ「プレゼンスを高めあっている」のがいまなのでは。自分が「見られる」ことを必要としない「見せる」振る舞いの自己満足。となると、作家の死というよりも、観客という存在の死が、いま起きていると言えるのかもしれない。

1/18-20

2008年01月20日 | Weblog
1/20
午前中、wonderlandに寄稿する原稿を整理する。
夕方、10.7kmを53'23"。4'59/kmはさすがに嘘だろと思うが(Nike+マジック!いやまだ微調整をしていないせい?)、走れるようになってきてどんどん走ってしまう。走りたくてウズウズしているぼくはいまランニング・ジャンキーってな感じですか。ぐんぐんスピード上げる時とか、ちょっと狂ったように加速させたりする。中学生の時は、短距離走の人間だった。いま、こうして長距離にはまることになるなんて、思いもしなかった(そういえば、中学生くらいの頃は、三十代半ばで死ぬんだと思っていた)。何故か、走る時聴くのは、ミディアム・テンポの曲だったりする。今日は、ニック・デカロ「イタリアン・グラフィティ」。いいなー、と思いながら、肉体エンジンを燃やす。

1/19
午前中、wonderlandに寄稿する「関係者全員参加!ダンスクリティーク」のまとめ原稿を書く。思いかけず長大な文になってしまった。
四時、康本雅子+井手茂太「日本昔ばなしのダンス」(@さいたま彩の国芸術劇場)
六時、HOSE×田中功起(@東京都写真美術館)
八時、小指値の稽古見学

今日は、とてもスプレンディッドな一日だった。どれも、等しく素晴らしかった。田中功起の展示してあったビデオ作品が、サッポロ・ビールで撮影した工場の映像で、それがよかった。ベルトコンベアの上で微妙に揺れるビンのキュートなこと。あたらめて、三つの感想を。

1/18
ニブロール「ロミオORジュリエット」を見る。


1/16-17

2008年01月17日 | Weblog
1/17
国士舘大学テスト。
夕方、ジョグ。11.52kmを1:00'05"で。二回山を登り下って、リス園とぼたん園を脇で見て、下校帰りの中学生をかきわけて。最近、走ることに狂ってる。

1/16
しばらく自分の読みたい本を読んだり、とくにあてもなく図書館をぶらつくなんてことが出来なかった。ようやく!
和光大で借りた、カトリーヌ・クレマン『フロイト伝』(青土社、2007)、流れるような文章でぐいぐい読まされる。フロイトに「あなた」と語りかける女性哲学者による文章。軽く驚いたのは、妻マルタと四年もの婚約の期間に(その後半の2年間に)、しかも婚約者と離ればなれだったその間に、彼がコカインを常用していたという逸話。冒頭から彼の最晩年の(あごの癌であることから生まれる)口臭の臭さを話題にしたり、「精神」分析の創始者であるフロイトの「身体」との関わりに、クレマンはしばしばフォーカスをあてる。

「シュルコーの家でのパーティが不安なとき、フロイトは一服、「舌をなめからにするためにコカインをちょっぴり」服用する。自分をより〈男〉だと感じるために、一服、用いる。悲しいときに、用いる。そして二年の間、マルタに手紙を書くとき、フロイトはドラッグ常習者だった。」

フロイトは、コカインを研究した。それは麻薬常習者の友人が、麻薬(モルヒネ)から自由になるために。しかし、その友人は「恐るべき苦しみ」の内になくなる。

「あなたは麻薬中毒だった!ずっと続けていた!かの物質と手を切れなかった!やめたのは、やっと十年後だった!ほんとうですか、教授。あなたはジャンキーだったのですか。」