ブログ「安心院の里」

退職後は、国内・海外旅行、スポーツクラブ、家庭菜園、登山など自由気ままに我が人生謳歌中です!(健康で元気なうちに・・・)

ルーマニア夫婦旅5日目:6/1晴

2015年06月10日 12時05分00秒 | 海外旅行
【トランシルヴァニア地方ブラショフへ列車移動】
ホテルでの朝食メニュー(格安料金の割には満足)列車1等(ブカレスト北駅 Gara de Nord08:20~ブラショフ駅11:00)列車は田園風景(麦畑)が連なる郊外や山岳地域を約3時間ほど走り、ルーマニアの第二の都市・ブラショフへ。駅はモダンで治安も良さそう、国内だけでなく近隣諸国からの観光客も多く受け入れているだけに近代化されたしゃれた駅です。宿泊場所は「 Pension Casa Samurai」です。 ブラショフ駅から歩いて15~20分の位置し、現地在住の日本人オーナー・菅原さんが経営しています。チョッと場所が分かりづらく、4回程道を尋ねました。アルバイトの若い女性従業員二人を使って切り盛りしています。旅行計画時からいろいろアドバイスをいただきました。4日間御世話になりました。ブラショフは、トランシルバニア山地に囲まれ、爽やかな空気が特徴のエネルギッシュな街です。中世の町並みを残した美しい古都です。そもそもはドイツ商人が建設し、ルーマニア人、ハンガリー人の三民族によって発展してきた関係で、ルーマニアのほかの都市とは異なった独特の雰囲気があります。「ペンション・サムライ」チェックイン後、徒歩30分でブラショフ旧市街に出掛けました。賑やかなレププリ通り~スファトゥル広場の周りには歴史博物館、カフェ、レストラン、お店などが沢山あり、大勢の観光客が訪れています。広場の真ん中には噴水があり、市民憩いの場所です。 町の中心、スファルトゥルイ広場に建つ旧市庁舎です。外敵の侵入を監視する見張り塔として建立されました。高さ60mの上部には緊急通報用の鐘が今でも備えてあります。現在は歴史博物館となっています。当日は聖霊降臨祭でルーマニアは休日、歴史博物館前にステージが作られ子供たちのフェティバルが行われていました。黒の教会は、ブラショフの町の中心にそびえ建つ、高さ65mのトランシルヴァニア地方で最大の後期ゴシック教会です。名前の由来は、1869年にブラショフがハプスブルクの軍隊に攻められて、火事でこの教会も焼け、この時、外の壁が黒焦げになったことから「黒の教会」と呼ばれるようになりました。月曜日は教会内は入れません。スケイ門~ルーマニア人とドイツ人を往来を禁止した門!1828年に建立されたスケイ門。ブラショフがドイツ移民によって建設された当時、先住ルーマニア人達が移住を余儀なくされて移ったスケイ地域で、ルーマニア人は特別な許可無い限り、この門から町へは入れなかったそうです。聖ニコラエ教会前の広場スケイ地区に建つ、石造りのルーマニア正教の聖ニコラエ教会です。内部はもフレスコ画があって素晴らしく感動したのですが、撮影禁止でした。お墓の出入口です。聖ニコラエ教会のすぐ左にあるこの建物はルーマニアで初めて教育がおこなわれた国内最古の学校で、現在は学校博物館になっています。白い塔トゥンバ山~ロープウェイで山頂(標高865m)へ。
展望台からカルパチア山脈の裾野にこじんまりと華開いたように赤茶色屋根群の旧市街が一望できます。夕食は、スファトゥル広場のレストランにて・・シュニッツェル(ルーマニア風カツレツ)&サマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)“オヤツ”は、コヴリッグ(胡麻付き円形パン)&アイスクリーム

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