【トランシルヴァニア地方:ブラショフ観光】
中世の街並みを残した美しい都で、これぞ古き良きヨーロッパの趣を醸し出しています。多くの観光客がこの景色に魅了されてしまいます。主な観光スポットは、「要塞教会群」、そして吸血鬼ドラキュラの舞台「ブラン城」などです。
ホテルでの朝食メニュー(07:00)08:30今日はペンション・サムライの主人・菅原さんが運転案内する自家用車両で観光に出掛けました。14世紀に建てらたブラン城は、オスマン帝国からの侵略に対する城、ドラキュラ公の祖父にあたるワラキア公国のミルチャ老公が所有していた城です。小説『吸血鬼ドラキュラ』に登場するドラキュラ城のモデルとなったために、世界的に有名になった城です。階段はところどころ非常に狭く、暗く、重苦しいが、これは、攻め込んできた敵が、長い槍などを持って通り抜けないように、わざと部分的に狭くしているそうです。城の中庭には、井戸があり、敵に囲まれた時にも、水が補給できるようになっていました。現在は、ここにコインを投げ込むと願いが叶うということで、賽銭箱のようになっています。土産物屋が並んでおり、ドラキュラなどにちなんだグッツを売っていました。このあたりは酪農が盛んなので、チーズも名物のようです。ブラショフからブランへ向かう途中、約15kmの地点にある小高い山の山頂にある「ルシュノフ要塞」です。 トラクターが牽引する荷台に乗って要塞入口まで往復します。トランシルヴァニアを代表する大要塞、頂上からの眺めも抜群です。その歴史は古く、ザクセン人によって異民族の侵略に備えて造られ、
15世紀には最も堅固な要塞として知られていたそうです。防壁内側には約5000人が住む事が出来る構造になっています。オスマン帝国軍の捕虜に掘らせて造ったという井戸道路には馬車の荷車に干し草などの荷を満載して往来しています。プレジュメールの要塞教会~ブラショフの東に位置するプレジュメール村には、防壁に囲まれた「要塞」の名を持つ教会があります。ドイツ人によって建てられたプロテスタントの教会です。祈りの場である教会が、戦いのための要塞となったのは15世紀、ヨーロッパへ侵攻してきたオスマン帝国の軍勢によりトランシルヴァニア盆地は、しばしば戦火にさらされ、戦火から市民を守る為、時の統治者達は教会を要塞にしたのです。プレジュメールの要塞教会は、防壁の内部が3階建ての集合住宅になっています。戦争の際には村人全員が、ここに避難し、なおかつ兵士として敵と戦ったといいます。要塞教会の壁の外向きの窓には、射撃台が置かれています。全ての窓から一斉射撃が行なわれ、敵からは「死のオルガン」と恐れられたそうです。 コウノトリが飛び交うルーマニア・ブラショフの風景です。住宅や電柱農家の上に、コウノトリ が巣作りをしています。昼食はブラショフ駅前のレストランにて。
中世の街並みを残した美しい都で、これぞ古き良きヨーロッパの趣を醸し出しています。多くの観光客がこの景色に魅了されてしまいます。主な観光スポットは、「要塞教会群」、そして吸血鬼ドラキュラの舞台「ブラン城」などです。
ホテルでの朝食メニュー(07:00)08:30今日はペンション・サムライの主人・菅原さんが運転案内する自家用車両で観光に出掛けました。14世紀に建てらたブラン城は、オスマン帝国からの侵略に対する城、ドラキュラ公の祖父にあたるワラキア公国のミルチャ老公が所有していた城です。小説『吸血鬼ドラキュラ』に登場するドラキュラ城のモデルとなったために、世界的に有名になった城です。階段はところどころ非常に狭く、暗く、重苦しいが、これは、攻め込んできた敵が、長い槍などを持って通り抜けないように、わざと部分的に狭くしているそうです。城の中庭には、井戸があり、敵に囲まれた時にも、水が補給できるようになっていました。現在は、ここにコインを投げ込むと願いが叶うということで、賽銭箱のようになっています。土産物屋が並んでおり、ドラキュラなどにちなんだグッツを売っていました。このあたりは酪農が盛んなので、チーズも名物のようです。ブラショフからブランへ向かう途中、約15kmの地点にある小高い山の山頂にある「ルシュノフ要塞」です。 トラクターが牽引する荷台に乗って要塞入口まで往復します。トランシルヴァニアを代表する大要塞、頂上からの眺めも抜群です。その歴史は古く、ザクセン人によって異民族の侵略に備えて造られ、
15世紀には最も堅固な要塞として知られていたそうです。防壁内側には約5000人が住む事が出来る構造になっています。オスマン帝国軍の捕虜に掘らせて造ったという井戸道路には馬車の荷車に干し草などの荷を満載して往来しています。プレジュメールの要塞教会~ブラショフの東に位置するプレジュメール村には、防壁に囲まれた「要塞」の名を持つ教会があります。ドイツ人によって建てられたプロテスタントの教会です。祈りの場である教会が、戦いのための要塞となったのは15世紀、ヨーロッパへ侵攻してきたオスマン帝国の軍勢によりトランシルヴァニア盆地は、しばしば戦火にさらされ、戦火から市民を守る為、時の統治者達は教会を要塞にしたのです。プレジュメールの要塞教会は、防壁の内部が3階建ての集合住宅になっています。戦争の際には村人全員が、ここに避難し、なおかつ兵士として敵と戦ったといいます。要塞教会の壁の外向きの窓には、射撃台が置かれています。全ての窓から一斉射撃が行なわれ、敵からは「死のオルガン」と恐れられたそうです。 コウノトリが飛び交うルーマニア・ブラショフの風景です。住宅や電柱農家の上に、コウノトリ が巣作りをしています。昼食はブラショフ駅前のレストランにて。
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