森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

上野東照宮&ランチ

2018-01-31 14:39:42 | お出掛け日記

私的には珍しく、お食事の写真をトップに持ってきました。

まあ、話の流れの問題で。

とにかく上野は、何でもパンダ。

 

ほら、ここにもパンダが。

だけど友達からのツッコミが !

「これは、シャンシャンではない !」

確かにイメージではもっと小さい様な・・・・。

でもいずこの子供もすぐに大きくなるからさ。

許してやってくださいよと思った私^^

 

と言うわけで、1月18日の上野散策は、国立西洋美術館にて「北斎とジャポニズム」を見て(「北斎とジャポニズム」に行ってきました。)、上野東照宮内のぼたん苑を見て、(上野の山のぼたん苑と蝋梅)上野東照宮、そして上野精養軒にてのランチと言うコースになりました。因みに「北斎・…」は、28日で終了しています。

 

その上野東照宮はー。

記憶の中のそれは、凄くぼろい。色がハゲハゲの建物。

だけど社殿にもちゃんと上がることが出来たのです。

ぼろくても当たり前でこの東照宮は寛永4年(1627年)に建立されて、関東大震災にも東京大空襲の被災にも免れて今日に至っているのですから。

それが2009年から2013年まで大修復が行われ、2014年から再び公開されることになったのです。

だから私が見て、ああ、ここは本当に良いところだなあと感じた東照宮は2009年以前のものだったのですね。その古さがたまらなく良かったですよ。(今、ざっと計算してみました。2002か2003年辺り)子供の中学の広報の仲間と来たな~。はとバスツアーでさ。上野でウナギを食べたな~。楽しかったな。
みんな~!!  覚えているかい~?

時がたつのは光のごとく。一緒に見た風景は、凄く変わっていたよ。

(あまり覚えてないかも。その時、みなさん、あまり熱心に見ていたとは言えなかったような気がするし。たぶんウナギはよく覚えているんじゃないかしら^^;)

 

そして新しい社殿はピカピカになっていました。東照宮と言ったらやっぱりピカピカでしょう、やっぱりね。

だけど社殿には上がれなくなっていました。(なんだかちょっとがっかり。)

なんだか大きな厨子みたいだと、私は感じました。

だけどそれで良いのですよね。もともとはそう言う場所ですよね。ここに家康・吉宗・慶喜を祀っているそうです。

 

 

 

で、東照宮と言ったら、彫り物の装飾ですよね。

一つ一つ見ているのも結構楽しいかもです。

今、これを見ていたら、ふと

梅も見に行きたいなと思いました。

でも梅は、近所で良いな。

 

通りがかりのご婦人が教えてくれました。

「昇り竜がいるよ。」と。

 

教えてもらわなかったら、見逃すところでした。

 

そして

この古木は

 

樹齢が350年以上ですって。

凄いですね。

 

きっといろいろなものを

枝葉を広げて見てきたんだろうな、

風のささやく時代の声を聴いてきたんだろうなって

思いました。

 

「雷から社殿を守ると信じられてきた。」って書いてあるけれど、

それは木の背丈を伸ばし、いざ言う時は、自分の上に雷を落とすと言う事が

本当の意味なのかと思いました。

今はこんなに老いてしまっては、その役割も叶わないと思います。

(でも今は、ちゃんと雷対策はしてあると思いますが。)

だけどそのように使命を帯びて、そして長く生き抜いてきたその木を見た時に、

ああ、上野東照宮に来て良かったなあと、

私は再び思ったのでした。


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上野の山のぼたん苑と蝋梅

2018-01-30 16:38:01 | お出掛け日記

1月18日に上野に行った時に(「「北斎とジャポニズム」に行ってきました。」)

ちょっとまたランチついでに上野散策ミニをしようかなと思いました。

上野東照宮を通って行こうと言う事になってそちらに向かいましたが、

「寒ぼたん祭」をやっていました。

ラッキー♪

このぼたん苑のぼたん祭は2月25日までだそうです。

 

入り口の所にあった1月らしい飾りです。

 

これも入り口にあった飾りですが、上野は今、何でもパンダです。

(シャンシャン可愛いよね)

そして牡丹たち。

わらぼっちの中にいるのが、なんか良いよねえって感じ♪

 

やっぱり牡丹は綺麗です。

花を落としても綺麗です。

ぼたん苑の中は、牡丹のみではありませんでした。

クリスマスローズとか。

そして蝋梅です。

この花を見ると、春は見えないけれどそっと近づきつつあると感じます。

 

 

雰囲気などを・・・・。

 

このような飾りも何かの参考になりそうな気がします。

そして、みつまた。

なんたって北斎の帰りなので、構図も影響されて・…と言うのは嘘で、

もともとこういう木の向こう側に何かを撮るのが好きです。↓

でもそれこそが知らないうちに影響されていたのかなってことで、その事は上記にリンクした美術展に行った感想の中に書きました。

 

川を覗き込む雨の日の旅人

・・・・ではない。

 

横から見ても、何かユーモラスなわらぼっちなのでした。

 

と言う事で、「花追い人2018」の一番最初の花は、冬ぼたん(寒牡丹)でした。


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精霊の守り人最終章/最終回

2018-01-29 11:45:33 | テレビ・ラジオ

今、読んでいる本も「天と地の守り人」。

その本は1部から3部に分かれていて、図書館で借りていたのですが、ドラマが始まっても順調に借りられたのに、ここにきて3部だけ順番待ちになってしまいました。

で、原作の最後とは比較はできないのですが、ドラマの方は「闇の守り人」のお話も盛り込んであるので、時々混乱することがあり、ドラマはドラマと割り切って見た方が良いと思いました。「闇の守り人」は本当に面白い話なんですよ。バルサとジグロのカンバルでの物語の決着編なんです。それが本の方のシリーズでは、早くも「精霊の旅人」の後に続くんですよね。

そのエピソードを上手く使ってカンバルとの同盟に持って行ったのは良いアイデアでしたね。

このカンバル篇では、カグロ役の渡辺いっけいさん、良かったです!

このドラマは映画並みに迫力がありました。

そしてそのカンバル篇では、そうように映画みたいだと感じさせた一因に、ファンタジーにふさわしい摩訶不思議な雰囲気を醸し出す牧童トト役の米良美一さんの存在があったように思います。

カンバル篇のみではなく、キャストも贅沢でセットやロケにも力が入っていたように思います。新ヨゴ国の王宮の風景など本当に美しかったです。すべてに大河ファンタジーの名前にふさわしいものを感じました。

 

ただ一つ一つが起承転結で成り立っている物語を、組み入れ合わせた展開であっても畳みかけるような面白さのままであったかは、個人的な感想ですが疑問です。

が、タンダが戦場に駆り出され、タルシュと闘うシーンになって来たところから、もうとどまる事のない面白さを感じました。面白いと言っても、そこに感じたのは戦わされる恐怖。東出君が本当にもう力のないただの一人の男を演じていて、もう胸がいっぱいになりました。力のないただの一人って、それは私たちの事ですよね。あんな戦場では、勇敢に戦う事に何の意味を見いだせると言うのでしょうか。

 

そして最終回では、すべては二の妃に用心棒として雇われたところから始まったこの壮大な物語が、最後はこの二の妃からの感謝の言葉で終わるー。

バルサの「ただいま。」とタンダの「おかえり」。短槍はバルサの傍らではなく戸口に置かれてー。

全話ドラマ化と言いながら、トロガイの若き日が出てくる「夢の守り人」のエピソードは無くて、それでもなぜ美しい高島さんがこの役なのかと不思議に思っていましたが、最後に来てそれに意味を与えられましたね。

山の中にひとり置き去りにされたチャグムの弟を導いたのは、トロガイの魂。

トゥグムは「綺麗な女の人だったよ。」と言います。でも綺麗なトロガイでもトロガイっぽくて決して上品とかじゃないところが、高島さん、さすがだなと思いました。

最終回の感想だけでもてんこ盛り。

だってそれだけ最終回自体が素晴らしかったのですよね。

物語の感想は、また本を全部読み終わってからもう一度書く事があるかもしれません。

 

だからこの記事のこの先は、私はやっぱり帝の事を中心に書かせていただきたいと思います。

帝は重要な役どころながら、物語の流れ的にはそんなに登場はしてきません。原作では帝の「ミ」の字すら出てこない章もあります。ドラマの中で帝が出てくると嬉しくても、「意外と登場した。」と言う風に「意外と」と言う言葉を使いたくなりました。どちらかと言えば重要であっても脇役の様な印象が、私の中ではあったのでした。それでもきっと最終章では、なぜこの役に藤原竜也を持ってきたのか、絶対に意味が生じてくると信じていました。

 

やっぱりやっぱりでしたね。

最後の砦を死守せねばならなくなった時、帝は髪を振り乱して一身に祈り倒します。

あれを見て、彼は祈っていただけと思ってはいけないはずです。なぜならその祈りこそ、彼が神としての一番の仕事だからです。人が想いを込めて一身に祈ると、そこには念が生じ岩をも貫く力になると言うのは経験がある人には分かることですが、いわんや、彼はこの国の神の化身。

祈ることが彼の戦いなのです。

だけど一番のその祈りの力を、自分の力を信じていなかったのは帝自身だったかも知れません。

砦での勝利の報告に来た者に、

「砦が落ちたのか。」と真っ先に聞いてしまいます。

 

自分の力が信じられないと言う気持ちは、一の妃の皇子を助けられなかった時から、きっと彼の中に芽生えていたかも知れません。

常にあった葛藤。だけれど、神として生まれ神として生きて来た彼が、状況が変わって「ハイ人間」と言うわけにはいかなかったのだと思います。帝一人をドラマを通してみていれば、「ああ、ここは柔軟な気持ちになって逃げて欲しい。」と思うと思います。だけど彼はこの国の民にとっては、信仰の象徴であってやはり神なのです。

帝は寡黙で、自分の考えや気持ちを多弁には語らず分かり辛いのですが、彼は葛藤と苦悩の中で、新ヨゴの未来を見ていたと思うのです。

そしてシュガの星読みとしての謝罪の言葉をしっかりと聞いていたのです。

要約ですが、「人であるものを神として崇めさせ、代々の帝を苦しめ続けてきた。」

そう、帝一族がどうのこうのではないのですよね。導く者に間違いがあったのです。

水に飲まれた新ヨゴ国は、更に新生新ヨゴ国になる。人々は地に足をつけ人間の知恵と生きる力でこの国を再建して行こうとするでしょう。それゆえに自らを神のままで葬ったのかも知れません。神であった者が人になってしまっては、ずっと見ただけで目がつぶれるとさえ思っていた深い信仰の想いが揺らぎ、国を再建させなければならない時に、無駄な葛藤に苦しむことになると思います。全く描かれてはいませんが、ずっと神聖な神の国であった新ヨゴ国の人々にとって、帝の存在は大きな心の支えだったと思います。

自分の役割を貫き通すために、彼は王宮を去らなかったと私は思いました。

(かつて、日本と言う国で同じような事があったように思いますが、今はその時の人々の想いなど想像したくもありません。)

 

一緒に残ると言った二の妃を本当に愛おしいと言うまなざしで見つめ、

「このぬくもりに触れた時だけ、私は人であったかもしれない。」

「私が人であったならば、二の妃と逃げようと思っただろう。」と悲しい事を言うのでした。

ああ、逃げて欲しい。そして隠居して、二の妃と静かにお茶など飲んで暮らしていってもらいたい・…って言うのは、見ていた私の気持ちでしたが、もちろんそうなることはないわけです。(なんか翌日の薩摩で同じような事を言っていた人が^^;)

 

帝の運命は決まっていたのです。だって何回も予告編ハイライトのようなところで、そのシーンを見たから。だけどその予告編で見たあのナイフで刺されたシーンは聖導師の想像だったし、もしかしたらと最後まで希望的な未来を信じたい私でした。帝の気持ちは分かっていても、それでも助かって欲しいと思うのは人としての心情と言うものではないですか。

 

だけど、予告編で見せられていたシーンは、実はそんなものではなかったですね。

水に飲まれた帝。

その時彼が見たラストドリームは、無邪気に笑う子供の頃のチャグムとそれを優しい父親のまなざしで見つめる帝の姿だったのです。ああ。思い出しても泣ける(ノД`)・゜・。

はっと気が付くと、帝は水の中の王宮の中に立っています。そこにやって来る子供の頃のチャグム。近づいてくると、彼は青年のチャグムになり、その彼に帝は手を差し伸べてそして優しく抱きしめるのでした。

誰の物にも、自分の物にもなれなかった帝の心と魂は今ようやく自分の所に帰って来て、一番自分が望んでいたことを最後にすることが出来たのだと思います。

人の父としてただ子供を愛し、抱きしめるー。

ツイッターで「水の精霊の卵を守り切ったから恩返しだ」と言うツイートを見つけました。( )同じく、私もそう思い共鳴いたしました。

ほんのわずかな時間を彼らがくれたのです。

帝は人としての幸せな想いの中で去り、(本当に救われた気持ちになりました。)

だけれど魂飛ばしから帰ってきたチャグムは

「父上は神になられた。」と言うのです。

 

原作、本当に凄いし面白いのですよ。

でも時に映像で作ったモノの中には、原作以上と言う作品が、またはシーンがあると思います。それは意外と多くはないと思うのです。だけどこの帝の最終回間近のあれやこれやのシーンはまさにそれで、やっぱり最終章では藤原竜也に帝と言うキャスティングがされた意味が見いだせたと思いました。

 

 そして帝がシュガに最後に言った

「新ヨゴ国が、真に勝つ姿を見るがいい。」と言う言葉を、シュガが人々を導くチャグムの姿を見て思い出すシーンも、本当に良かったです。

 

と言うわけで、終わってしまいました。。。。。。

寂しいですが、それでもこの素晴らしい作品に携わった皆様に「ありがとう」と言いたいと思った私です。

 

 

 

 

 

 

(この物語は、カンバル篇でもジグロとバルサ、ログサムとラダールなど親子が向き合う物語なのだと言われていました。そしてまた兄弟たちの物語でもありました。カグロとジグロのエピソードも良かったですね。)


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日比谷公園、鶴の噴水

2018-01-27 01:45:04 | お出掛け日記

寒くて辛い !

だけどなんだって人は、そんな状況でも楽しい事を見つけてしまうのだろう。

友達からのライン

「凍った噴水が気になる。」

 

それは日比谷公園の雲形池の鶴の噴水の事。

 

「へえ」と思ったけれど、近所じゃないし。

でも彼女は物好きだから、行くのなと思い、

「行くの?」と返信した・・・つもりだったのになんでだか

「行く ?」と返信していたのです。

あらま。

これじゃ、私がお誘いしているみたいじゃない。

間髪入れずに、

「OK」と言うお返事が。

ややや。

これは行くのが運命じゃん。

実はワタクシも似たり寄ったりのモノ好きな人なものでして(^_^;)

と言うわけで、いそいそと朝早くから出かけてまいりました。

 

朝、ちょっと出かけるとは夫殿には言ったけれど、

何処に行くかは言えなかったのです。

「バカじゃないのか。」とか言われそうで。

でもそれって、きっと自分の心の中の声だったのかも。

たった一個の噴水のつららを見るために、

しかもたった一言の「気になる。」と言う言葉と、

「の」が抜けたお返事で

(「ま」じゃなくて良かった^^)

夜はいつもより早く寝て、

朝はバタバタと行動し、そして夕方だって夜のバイトの為に、帰って来てからも

全力投球で夕食を作る・・・・。

 

でも、私、思いました。

人間なんて少々馬鹿の方が、

人生楽しいなって。

 

だって、鶴がまるで鳳凰になっていましたよ。

あんな鶴の噴水を見たならね、

そうも思うってもんでしょう。

 

ちょっと比較のために昨年の4月の画像を載せておきます。

春には、こんな所です。

 

以下は似たような画像のようですが、

本当に綺麗だったので嬉しくてたくさん撮ってしまいました。

微妙に角度などが違うと思います。

 

 

 

 

 

 

池の水も半分凍っていました。

時間は9時半過ぎから10時ちょっと過ぎぐらいまでの間だったと思います。

公園内の芝生には雪が残り、

でも空は快晴でした。

 

 

コメント (8)
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相棒16/第13話「300回スペシャル・前編」

2018-01-25 10:03:14 | ドラマ(相棒)

物語については、すべてが霧の中と言う感じで、次週に期待と言う所でしょうか。

とは言っても、第一発見者の常盤青年が怪しいことぐらいは分かりますよね。

「ここだけ花の勢いが違う。」と、たとえ思う事はあっても、それでそこを掘ってしまうなんてことはしない確率の方が高いですよね。

もちろん彼の行動には裏があった事は、次回予告編でも既に分かっている事だし、最初から右京などにも疑われていましたね。まあ、これを疑わなかったら、・・・・・バカだよねえw

 

しかしこの300回記念スペシャルに、瀬戸内米蔵を持ってきたのは良い選択ですね。16年の重み、ばっちり感じましたよねぇ。

瀬戸内逮捕の回の時は、既にブログに感想を書いていたのですが、今読み直してみるとネタバレを避けて「ショック」と言う言葉のみで、そのことを書いてないのです。

懐かしい薫ちゃんとの映像再会も嬉しかったです。そう、薫ちゃんの時だったのですよ、これ。懐かしい。

一応、その時の記事もリンクしておきます。

「相棒」シーズン7第1話還流~密室の混迷

「相棒」第2話還流~悪意の不在

と言っても、上記の記事は感想なので、どのようなお話であったかと言うと、「相棒」のHPのスペシャルページにあらすじが載っています。

ちょっとこちらにもお借りしてきました。

「右京と薫(寺脇康文)は、元法務大臣・瀬戸内の政治資金集めパーティーに警備として駆り出される。薫は、会場となったホテルで偶然、高校時代の友人・兼高(四方堂亘)を見掛けるが、その直後、彼は遺体で発見される。右京は、防犯カメラの映像から、同じフロアに滞在していた総合商社の部長・小笠原(西岡德馬)に疑惑の目を向ける。すると、小笠原が発展途上国サルウィンへの支援物資を買い戻し、横流ししていたことが判明。小笠原は、それを知った兼高から揺すられたため殺害したのだという。さらに、買い戻しの首謀者が、瀬戸内であるとも供述。瀬戸内は、支援物資をサルウィンに届けても、本当にそれを必要としている人の元には届かない現状を打破するため、支援物資を小笠原に買い取らせて現金に換え、それをすべて寄付していたのだ。特命係によって暴かれたこの不正により、瀬戸内は懲役10年の実刑判決を受けることになる。」

この作品は2008年なのですが、彼はこの後、小野田さんの死亡後にもちょっとだけ出てきます。

だけどちょうど10年。演じている津川さん自体に加齢の重さを感じてしまいます。(痩せましたねえ)

だから本当にリアルさを感じました。

女優さんだと、ここまでは感じないんですよね。

片山雛子の木村佳乃さんは変わらずに綺麗ですもの。

 

だけど瀬戸内は刑に服した者だけれど、実は正義の人。かたや雛子は違います。

私が「相棒」が本当に好きなと引き込まれて行った一因には、この雛子の存在があったからかもしれません。

彼女は別に「悪」と言うわけではありません。でも悪女。強烈な魅力がありますよね。その退場劇に物語的納得と言うよりは、「相棒」に新風を吹かせる(Season切り替え的な)都合かなと思っていましたから、個人的には勿体ないなと思っていました。

さらに個人的な好みを言うと、ヤロポロクエピソードはあまり好きじゃないので、今度のお話に彼女が絡んできてくれて嬉しいです。

 

坊谷の白骨の事件のニュースを見ている雛子が薄笑いを浮かべる・・・

もうそれだけで、「なんかあるのかっ?!」って言う気分になるじゃないですか。

 

過去映像が多用されましたが、300回スペシャルにはそれは意味のある事だと思います。

懐かしい映像がむしろ嬉しかったです。

お話的には意外と手堅いものだと思うのですが、ある意味お祭り的要素もなくはないですよね。

 

「しかし津川雅彦は痩せたけれど元気だな。」と夫が言いました。

「うん。」と私は応えて、きっと夫も今、ふと同じような事を考えていたのかなと思ったのです。

誰かと比べて元気で良かったと言ったのでは ?

その誰かとは、お兄ちゃん。そう、長門裕之さん。

「相棒」の中ではゲストでありながら人気があった「閣下」。かなりのゲス野郎なんだけれど、彼のエピソードは皆面白かったですね。過去映像がたくさん流れたり、大物ゲストが並ぶと、ああ、彼にも出てもらいたかったなあと、私は思ってしまったのでした。

それが出来るものならば・・・・・。

 

 と言うわけで、前編ではさっぱりわけの分からなかった白骨死体の真相解明は次回のお愉しみです。

あっ、そうそう。めったに褒めない夫殿も、映し方が上手いと言っていました。私もちょっと思ってしまいました(偉そうですみません。)

あっちこっちで思惑が。そうすると地味な会話劇が続きますよね。だからカメラの角度を変えたり、戸棚に映った彼らを撮るとか、なんか変化があって飽きませんでした。

気合が入っていますよね。

なんたって300回なんだから。

 

あー、そう言えば(って、なかなか終わらない・(笑))、「水戸黄門」って通算何回やったわけって調べたら、1227話だって。

ありゃりゃ、これには勝てませんね。右京の相棒をチェンジだけじゃ済まなくて、右京自体を水谷さんから若手に配役チェンジしなければ無理な数字です。もしもそれが可能でも、「相棒」が1228話になった時には、私は生きていませんて(/_;)

 

たかがドラマ、されどドラマ。

なんでも継続するって素晴らしい事だなと、しみじみと思った今日の朝です。(もう、終わるよ^^)

 

 

 


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雪の日の翌日はまだ雪の日

2018-01-24 01:52:47 | 梢は歌う(日記)

昨日の日記。

昨晩の大雪も夜半には止みました。

翌朝は快晴。

もちろんまだ移動の喜悲劇はたくさんあり、朝は昨晩と同じまだ雪の祭り状態だったと思います。

夫もルート君も遅れて出かけて行きました。

彼らの会社の人たちも、車は無理だとか、どうせだから犬と散歩してから行くだとか言っているようでした。今朝犬と散歩してからと言った人は、ちょっと楽しい朝だったのではないでしょうか。

そして陽の光に雪はどんどん解けていきました。

それでも青空と雪化粧の風景は、つかの間ではあっても美しい姿を見せてくれました。

 

 

ベランダの花たちも耐えてくれました。

 

そして私は午後からお出掛け。

昨年の秋からちょっと始めた事があって、その集まりに行ったのですが・・・・

 

雪の線路は美しいですね。(ホームの端から撮っています。)

 

 

ここからは、またも「野田散策日記」です。

目的地に着く前に、どうせなら雪が綺麗に残って良そうなところに行こうと思いました。それで私は愛宕神社に行ってみたのでした。

雪の上に足を置いてみたら・・・ズボッと入ってしまいました。

 

無理もありません。こんなに深いのですもの。

うわぁ、凄く積もってるぅ~。

 

なんだか木の影が素敵だなあ。

そして私は目的地に着きました…が、誰もいませんでした。

ガーン。

中止の連絡網が回ったのに、私が新参者だからよけられちゃったのかしら・・などと人間不信的な事を考えていましたら、そうではなくてみんな自主的なお休みだったのです。

こんな雪の翌日にフンフンと言う気分で出かけてくる者は、物好きな人なんですね、きっと。

って、それはワタクシの事ですね。

たった一人でも、せっかく来たのだから新参者の私でも出来る範囲で働いて行こうと思い作業をしていましたら、もう一人やって来て、私たちは手も口も忙しく働かせながら、楽しい時間を持つことが出来ました。

 

内容を書かないのは、いろいろな事が推理すれば分かってしまうからなのですが、曖昧な書き方ですみません。

その帰り道。

路地裏はこんな感じでした。

 

この木、 

なんて美しい。

そして野田市の雪のある風景です。

 

 

そして車窓からではありますが、運河の風景を撮りました。

 

 

2018年の大雪の日は、もうこの日だけで良いですね。

と言うわで、明日も良い日になりますように♪


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2018年1月22日は大雪

2018-01-22 23:30:02 | 梢は歌う(日記)

 

なんかね、次は蝋梅とか牡丹の写真日記を書こうかなって思ったんだけれど、こんなに雪が降っちゃうんじゃ、雪の画像を載せないわけにはいかないよね。

もちろんどこにも行けないからベランダからの画像です。

 

 

雪が降ると、世界はいきなり白黒の世界。

 

色があるのはベランダだけ。

 

マンションの10階まで行って雪の日の黄昏時を撮りました。

 

本当は階段の所に出て、違った方向を撮りたいと思っていました。

でも階段に出てみたら、すぐ下で雪掻きしている人がいたのです。

なんだかその近くで写真を撮ってるなんて、なんとなく不謹慎なような気がして、少し離れた所の通路から撮りました。

 

だからと言って、私がはしゃいでいたわけではありません。

階段の雪掻きは、しておいたのです。でもほんの少し時間が経ったら、すべて時間の無駄と言う状況に戻ってしまいました。

そうなる事は分かっていたのですが、遣らないわけにはいかないという気持ちになるのですよね、雪掻きって。

量が止めどもなく多かったら、明日の朝の雪掻きが大変な事になってしまいそうで。

 

今日は私の仕事も中止になりました。

夫殿は2時半ぐらいに帰って来て、私はちょっと驚いてしまいました。でもそれが一番ベストだったと思います。

ラッタ君は横浜でいろいろと苦労しながら帰宅。

ルート君も出来るだけ安全な道を辿りながら、いつもの何倍もの時間をかけて帰ってきました。

 

朝から夜はそうなることが分かっていたのに、それでも日本人は仕事に行くんですよね。

私が仕事の確認のメールを入れた時、地面にはまだ何も積もっていなかったのです。だから最初は検討してからまた返事すると言う返事が返ってきました。それで私もちょっと確認のメールを送るのが早かったかなと思ってしまいました。でもそのすぐ後から、雪はどんどんひどい状況になってしまったので、早い対応が出来て良かったと思いました。

台風や大雪などから、人々が「逃げる」対応(通勤通学も含めて)が出来ないならば、天気予報の本当の意味がなさないと思うのです。

 

とにかく二人の子供たち(大人だけど)が無事に帰れるまで、落ち着く事なんか出来ません。

ああ、昔みたいに、雪が降ったら

「わーい、(*´▽`*)、雪だ~ !!」とはしゃぐだけの子供に戻りたいものですね。

 

雪の想い出、たくさんあるでしょう。

雪がたくさん降る地方の方は、それは冬の日常だと思います。でも関東平野で暮らしていると、雪こそ家に居ながらの非日常なんですよ。だからたくさんの想い出が出来るのです。

楽しい想い出もたくさんあります。

 

でも私はやっぱりあの日の事が忘れられません。

2014年2月8日は大雪

その記事を読むと、デジャブかと思うほど、同じ画像が並んでいます。まあ、同じ場所から撮ったので仕方がないですね^^;

 

大勢の方々にとって、今日は大変な一日だったと思います。

 

私も家族の心配をしてずっと落ち着かない気持ちでいました。

でもそれは心の問題。

今日の私はおでんを作って、またもすいとん入りのお汁粉を作って、あとは普通の家事や自治会の仕事を少々、無くなった仕事の時間をこれと言って生かす事も出来ないで・・・・・

何をしていたんだろうって考えてみたら、時々かかって来るルート君の電話に出たり、ラッタ君のツイッターをこっそりい覗いたり、ラインを送ったり、階段の雪掻きと称して外に出て、ルート君が帰ってこないかと見ていたのでした。

ああ、まったくもう~。

ツイッターでも呟いてしまいましたが、「ただ心配してるだけ」って言うのは母親の大事なお仕事なんだと思います。

 

 

コメント (2)
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「北斎とジャポニズム」に行ってきました。

2018-01-22 00:04:55 | お出掛け日記

10月から「国立西洋美術館」で開催されていた「北斎とジャポニズム」展も今月、1月28日で終わりです。

終了間際ですが、1月18日に行ってくることが出来ました。

 

北斎の浮世絵に西洋画家たちが如何に影響を受けたのか、その対比展示に期待値もあがりワクワクしました。ところがいざ鑑賞してみると、そんな対比など関係なく、もう北斎の版画にノックアウトされた私。

 

「あれぇ、浮世絵って初めて見たわけでもないし、北斎だって知ってるよなあ。」と思いました。

でももしかしたら、じかに見たのって初めてだったのかも知れません。

 

北斎の絵の細かさに、シニアグラスをしっかりかけて至近距離15センチぐらいの所からじぃっと引き込まれるように見ていましたら、感動がふつふつと沸いてきました。

ふと横を見ると学芸員の方がいらして、思わず

「これは版画ですよね。」と確認してしまいました。

「そうなんですよ~ !」

「凄いですね。凄すぎます。」

「そうなんです、そうなんです。」

「ああ、ごめんなさい。思わず話しかけちゃったりして。でも誰かにこの感動した気持ちを言いたくなっちゃって。」

「いいのですよ。まったく同じ気持ちでここに毎日立っていますから。」

 ほんのわずかな触れ合い。でも私は同じ気持ちを共鳴し合う事が出来て、本当に嬉しかったです。

絵ですよと言われたら、ここまでの感動はなかったと思います。

細部にわたった細やかな絵。だけど版画はそれを彫る人がいて、そして摺って色を付ける人たちがいたのですよね。だけど名前が残っているのは北斎だけ。それでもこの作品に携わった人たちは皆誇りをもって、それに携わっていたと思うのです。

ー きっとのちの世にも残っていく作品に違いない。それに今俺はかかわっているんだな。ー

なーんてことを思っていたか真実は分からない事ですが、私にはそう思えてならないのです。

この時代の版画は人々の暮らしの中に入り込んでいたと思うのです。

歌舞伎絵はプロマイドのように、ユーモラスな絵は漫画のように、そして風景画を見ては旅へのあこがれを募らせていたとか。

人々の暮らしの中に入り込んでいた時代には、作品を完成させる人たちの想いには、皆それぞれの誇りがあったと思います。だけどやっぱり元である下絵の段階で、その想いは変わっていくと言う事はあったように思います。

「触れる」と言う事で、人の感性は磨かれると思うのです。彫り師も摺り師も素晴らしい下絵に触れる事によって、触発し合って行ったに違いありません。

北斎の絵は凄い。そしてさらに名も知らない人たちの想いが一枚の作品から伝わって来て、さらなる感動を私に感じさせたのだと思います。

「このような作品をこんな至近距離で見せてくださってありがとう。」と、私はその学芸員の方に言ってしまいました。

 

もちろんこれは「北斎展」ではありません。

 

私たちは最初、たとえ海外の作品と北斎の作品と同じ構図の物があっても、それはたまたまであってこじ付けなんじゃないのかと笑いあっていました。

だけど北斎の作品が海外に紹介されると、その時代の画家の人たちはやはりかなり影響されたと思いました。それはその習作が残っているところからそう思ったのでしたが、時代がイキイキとした動きのある絵画を求めていた所に、日本の浮世絵が紹介されると、その動き・構図・細やかさなどの斬新さに心惹かれたのは当然と言えるでしょう。

それは日本の浮世絵の方が素晴らしくてと言う意味ではないと思います。

「触れる」と言う事によって、人々は影響され合うのです、いい意味で。

 

展示の最後に「アンケート」を書くところがあったのですが、それは書いた方が良いですよ。なぜなら絵葉書を一枚頂けるのです(笑)

私はそのアンケートの最後に

「西洋の画家も日本の絵師もお互いに影響され合ったと思います。そしてこの絵画展に来た私も、彼らの絵に何らかの影響をぜひ受けたいものだと思いました。」と書き込みました。

それは本当の事で、そして多分知らず知らずのうちに、その影響は受けていたのではないかと思いました。主に写真などを撮る構図などで。

 

ああ、そうそう。

これは繰り返して言いますが「北斎展」と言うわけではないのですよ。

だけどこんな風に北斎に惹かれたならば、今まで全く興味のなかった「すみだ北斎美術館」に行こうかなという気持ちになりました。そんな良いところがあったのですよ。

 

北斎の話ばかり書きてしまいましたが、展示されていた絵画は皆好きなものばかりでした。

また数枚絵葉書を買ってきましたので、載せておきます。

 

  ピエール・ボナール「洗濯屋の少女」

 クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」

 クロード・モネ「アンティーブ岬」

 ポール・セザンヌ「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」←アンケートに答えて頂いた葉書です。

フライヤー

 

 

北斎の絵葉書も買ってきました。

 

 絵葉書を5枚買うと、もらえるオマケ。

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秋の水元公園(その3)水辺の風景と。

2018-01-20 00:42:50 | お出掛け日記

「秋の水元公園」のその3の記事は、野鳥観察舎から眺めたバードサンクチュアリの様子です。

この美しい水辺には、いろいろな鳥がやってくるみたいです。

 

 

下の画像は、似たようなものですが、微妙に違います。

 

鳥が飛び立つところ着水しようとしているところなど・・・・・

早すぎて鳥の動きを捕まえる事が出来ません。

本当に鳥好きな人たちはそう言うシャッターチャンスを狙って、ずっとじっとその瞬間を待つのでしょう。

 

携帯用の椅子にしっかり座っていた男の人が手招きをしました。

何かと思って近づくと、大きな一眼レフのカメラのレンズを覗かせてくれたのです。

そこには立派な鷹が写っていました。

 

 

きっとこの木々のどこかに居るに違いはありません。

写っていた鳥たちは、たぶんこのカワウだと思うのですが。

 

 ところで水辺は公園の中だけではありません。

公園の入り口も綺麗でした。

橋の下には、このような人たちが迎えてくれますよ。

タイトルの「水辺の風景は」の後には「花より団子」タイムが続きます。

ちょっと贅沢に。

 

水元公園には、必ずまた来ようと思いました♪

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秋の水元公園(その2)

2018-01-19 01:44:45 | お出掛け日記

12月の水元公園、その2です。

やっぱり秋の水元公園と言ったら

メタセコイアの森でしょう。

 

 

 森の中で踊る、昔少女だった人。

(よーやるわw)

 

でもさ、この森は、そう言う事を許してくれると言うか、

似合ってしまうような森だったんだよね。

 

そして・・・・

 

なんか絵のようだなア。

って、私思いました。

 

「あっ、そうだ。絵を見に行こう。」と昨日は上野で開催中の美術展を見に行ったのですが、

またそれは別の記事にて。

 

 

 

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