森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

それは財産にはあらず。しかし捨てないのです。

2014-04-29 17:05:44 | 物と私と片付けと掃除

 

本当のことを言うと、お片づけなんかしていないで、朝から晩までブログを書いていたいような気もするのです。まあ、そんな事をしていたら頭の中がクラクラしちゃうこと間違いなしなんですが。

ブログを書きたいと言うのは、なぜかっていうのは書きたい記事が溜まってきてしまっているからなんです。

「神様のカルテ」、「サンブンノイチ」「ゲキ×シネ」見ました。

「相棒、絶海の孤島編」見ました。

新しく始まったドラマ、今季、傑作というかツボにハマるもの多数。「花子とアン」「軍師官兵衛」は途中では感想は書かないのは常だけれど、ちょっと応援したくなる気分になってます。

世界はピンクから新緑の緑に変わりつつあるし。

なんにもアップ出来てなくてストレスに感じます。

このブログが欲張りだからいけないんですよね。

 

 

そう言えばって、またツイッターから拾ってきたことなんですが・・・・

「またかよ~」って言わないでね。最近の私は新聞ではなくツイッターを読んで朝をスタートさせ脳を満たしているので、こうなるのが自然なのですから。

でも読み流しだったからか出典が出せなくて申し訳ないのですが、こんな言葉がありました。

 

「二兎追うものは一兎も得ずって言うけれど、それを追い求めたものだけが二兎得ることが出来る。」

これ、素晴らしくないですか。

奥が深いなってしみじみと思いましたよ。

もちろんやっぱり「二兎追うものは一兎も得ず」が正論で大概はその粋を出ないと思いますよ。

 

でも時には欲張って二兎追ったっていいんじゃないかと思うのです。

「二兎、追ったれー!!」

じゃあ、どうすれば良いのか。

考え作戦を練り知恵を絞る・・・・。

ふむふむ、やっぱり奥が深いね。

 

ってなわけで、知恵を絞るかは別として、多角経営脳としては今のままで行こうかと思いますが、なんだって溜めちゃあいけないってことですね、はい。

 

紙ゴミもそうだけれど、溜めちゃいけないものにはスーパーのレジ袋もあるでしょう。

私は基本的にはエコバッグ派です。でもうちの地域はスーパーの袋でゴミ出しも O.K なんです。だから時々少量のゴミ出し用に、数が少なくなってくるとエコバッグ派返上してしまいます。

以前はスーパーのレジ袋は三角折りで保管していました。

  →  

スッキリ~。

大きさ別に分けておけば何も問題なし。

だけどそれがだんだん

  こうなっていき・・・・

って、この続きの悲劇の画像は載せないよん^^

 

足が痛くなってから、昨年はあまり買い物には1人では行かなかったのですが、週末に夫と買い物に行く時には、すっかりエコバッグ派であることすら忘れてしまっていました。溜まってしまいましたよ~。・゜・(ノД`)・゜・。

 

それで昨日、溜めてあった録画も消化しつつ、スーパーのレジ袋の整理をいそいそとしてました。

・・・って、このお仕事も座って出来たなあ(一つ前の記事で、片付けできなかったのは足のせいとか言っていたようないなかったような・・・)

まっ、細かいことは気にしない。

 

そして、これを機会に三角折りは止めました。バッグの中にこのレジ袋は数個常備して持って歩くことにしたのですが、それは小さくまとまるので三角折りのままです。でも保管には、大きさが分かりづらいのできっちりと畳むことにしたのです。

 

チマチマチマ・・・・・

「世界遺産」を見ながら・・・

竜也くんの声は素敵ね、ヤッパシ。

「ロング・グッドバイ」を見ながら・・・・

すっごく面白いじゃん、なにこれ。えっ~、後三話しかないの。

来週がめっちゃ楽しみじゃん。

チマチマチマ・・・・・

って、終了。

 

凄く小さいものは、あまり素手で触りたくない物を触る時の、簡単手袋などにも使います。

色が付いたやパンなどが入っていたゴミ袋には使いづらいものは、瓶や缶をゴミ捨て場に持って行く時に使います。

 

―こんなに溜めちゃっても、それはゴミ。財産にはならないわよ。

はい。分かっております。

―こんなことで時間を費やしていないで、少し残して捨てちゃえばいいじゃない。

いいえ。捨てません。そんなことをしたらエコの神様に叱られます。袋にも書いてあるじゃないですか。

「限りある資源を大切に」って。

溜めてしまったのは自分のせいです。自己責任でリユースさせて頂きます!

 

そう言えば、この前コンビニで持っていった袋に入れてと言ったら、戸惑われました。そうだろうなってちょっと思いました。なぜって言った私もちょっとだけ勇気が必要だったから。

いろいろあるよね、エコ生活。

 

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それは財産にあらず

2014-04-26 18:36:15 | 物と私と片付けと掃除

最近「お片づけブログ」を開きたいなと思っていました。ブログを開くと言っても、お片づけの記事を書くということなんですが、どの場所にどんな風に書くのか迷っていました。

友達とも話題になったのですが、そういうブログの難しい所は、ビフォア・アフターを載せるべきか否かだと思います。

でもビフォアはかなり難しいところです。凄まじく汚くて恥ずかしいという場合もありますが、ちょっと家の中を晒しすぎてしまう可能性もあるじゃないですか。

やり過ぎると間取りまでバレてしまいそうです。

テーマが汚部屋からの復活だと、結構それは大事なポイントだと思います。

 

本音を言えば、出来れば自分の工夫した所や素敵なインテリアアイデアなんかを載せたいところです。

実はささやかなレベルでは、そのテーマで「果樹園のティータイム」の方に書いてます。

だけどインテリアをテーマになんて、今の段階では絶対にムリです。

家全体がそのレベルではなくなってしまったのです。

「家の中をス・テ・キに」ってそのスタート地点から大きく逸脱してしまいました。

 

やはりいろいろ考えて、このブログ「森の中の一本の木」にそのテーマを組み入れることにしました。

「お片づけ」に対してもいろいろ思うことがあります。思うことをいろいろ書くのが、このブログのテーマなので、いろいろ書きながら「お片づけ」そのものを頑張りたいと思いました。

 

ここまでをちょっと読み返してみると「いろいろ」という言葉がたくさん。

そう。

まさにその「いろいろ」の部分を書いていきたいと思います。

もちろん、ここは何でもありでいくつか持っているブログのメインなので他のことも書きそればかりではないのですが、カテゴリー増やしました。ちょっと頑張ります。

 

そして最初は多大なる言い訳です。

なんでそうなってしまったか。

昨年5月友人を家に呼んでお茶会をした時、その友人は

「目が行くところがみんな可愛くて、おうち、素敵ね。」等と言ってくれたのですよ。

あちこちじっとあらを探されなければ、まあまあだったと思います。

 

私の師走はもうギリギリまで夜まで仕事があったので大掃除はしません。そして年が明けても2月まではそのお仕事は心情的にピークで(昨年度までずっと受験生が家に来ていたものですから。)、だいたい私の大掃除月間は5月の連休からスタートだったのです。

ところが昨年の5月は父のことがありました。

時間的にも心情的にもムリで、そしてその後とんでも無いことが起きたのです。

歩けなくなっちゃった・・・・!!!!

 

俗に言う、初めてのひざ痛で

そしてちょっと重症・・・だった夏の日。

私は椅子に座って仕事をし、椅子に座ってパソコン前、スーパー一周も出来ず、頭の中はその「初めてのひざ痛」でいっぱいでした。

このひざ痛は治ったんです。その時思ったことを書いたほうが誰かの役に立つかもしれないけれど、それはまたそのうちにということで。

まあとにかく、何が言いたいかというと、そう、言い訳ですよ。出来ないしやる気も無くなってしまったから最低限の家事しかしなかったんです。

 

そう言えば、先日ツイッターで

 できる男できる女の法則 @dekiruotoko0107 21:10 ←この方のツイートで

【1.01と0.99の法則】
1.01 ⇒ 少しだけ努力した人
0.99 ⇒ 少しだけ気を抜いてしまった人
この少しの違いが、 この先の大きな結果に結びつけます。

 

これを見て、しみじみとしみじみと、本当にそうだと思いましたよ。

これを言った人は、まさかこの言葉がお掃除とかお片づけに連想されるなんて思ってもみなかったと思うのですが、これ、このブログを始めた時から「家はなぜ汚れるのか」「ゴミはなぜ溜まるのか」について似たようなことを思っていました。

能力は少しずつ削れてそのうちなくなってしまうけれど、「1」、捨てなければならないものを、その時「イイやイイや、次で。」と0.99だけ捨てるのを続けていけば、はっと気がつくと、大変なことになるのですね。ゴミは無くならないで空間が無くなるのです。

 

我が家大掃除の5月がまたやって来ます。とてもじゃ無いけれど一ヶ月ではお片づけはムリと思うので2014年はずっとお片付けします。

そしてまずは紙ゴミ。

 

やっぱり紙ゴミを制するものはゴミを制するってもんでしょ。

先週は月曜日からその紙ゴミと格闘していました。

とりあえずと入れておいた所から、領収書をピリピリ破いて捨てていました。

ビリビリ、ピリピリ・・・・・

ふと・・・

アレッ、これって椅子に座ってても出来たんじゃないの~。

なんでこんなに溜めたんだよ~、自分。

 

 あっ、これ一個は生ごみだった。でもごみの日・・・

   そして・・・

まだ無くならないの。。・゜・(ノД`)・゜・。

領収書の保存期間ってと検索してみたら

 

ガス・電気⇒2 年
医療費・リフォーム工事費⇒ 3年
国税・地方税・水道料金・家賃⇒5年
国民年金保険料⇒老齢年金をもらうまで保存

(http://mbp-tokyo.com/execollege/column/31327/) ←こちらを参照。

 

ふむふむ。

 そして生協のカタログもまとめてお返し。

生協のカタログって、意外と役に立つ情報が載ってるんですよね。でも後で読もうと思ったものの「後で」はないんだよね。

 

そして木曜日にはダンボールを捨てるのを頑張りました。

実はダンボールを畳んでくくって資源ごみ集積所に持っていくのが、すごく嫌いなんです。箱を開くのに力いるし(私には)括るのが面倒だし、持っていくのは重いし、そんなことを言って後回しにしていたら溜まってしまいました。

 

   

 

30枚近くあったけれど、それが無くなってスッキリしました♪

 

しかし「お片づけブログ」は結構危険です、ヤッパし。

「まあ、奥様、そんなにおためになっちゃって。どうなさったの。」

ってな言葉が聞こえてきそうです。

 

だからサボったって言ったじゃん。

って、ひとりボケツッコミ。

 

「奥様。どんなに溜めてもそれは財産にはならないですわ。ゴミはずうううとゴミですわよ。紙ゴミは入ってきた時に整理が出来なかったものは、今更もう見ないで捨てちゃっても構わないんじゃなーい。」

そうなんだけれどね、それが出来る人ならば、紙ゴミはたまらないんだよね、最初から。

 

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ひみつの鍵

2014-04-20 17:15:08 | 詩、小説

真夜中族の私ですがルートくんが5時半起きで仕事に行くようになって、生活が変わるかというと、就寝時間ではなく睡眠時間が変わってしまいました。

睡眠時間激減。平均4時間。近頃夢を見ると言うか、夢を覚えていないのはその時間に原因があると思います。

前からいつも言ってることですが、子供の時から自分の見る夢が好きでした。それは自分にとってだけかもしれませんが面白いからです。子供の時はスパイ物からSF、時には切ない恋物語もあったかもです。

ところが昨日は真夜中の睡眠時間が3時間。これは良くないとルートくんを送り出して、しばらく起きていて眠くなってきた頃に二度寝しました。眠くなってきた時間というのは、夫は既に起きていて朝ドラなんか見てピグのゲームのアレヤコレヤで遊んだ後。買い物に行くちょっと前の時間です。

テレビなんかがついてると眠ることが出来ない私ですが、流石に疲れていたのかすぅっと夢の世界に入って行きました。

なんだぁ、夢の話かと思われてもしかたがないことですが、昨日の私はその夢が凄く気になってかなり一日を気を付けて暮らしました。

 

※        ※        ※

 

―なんとなく不満だわ。

夫とともに実家に帰っていた私は彼を見てそう思いました。

―何がっていうのじゃないわ。「なんとなく」不満よ。

私は彼をリビングに残し、自分の部屋があった所に引きこもってしまいました。(この自分の部屋があった所というのは、もう既に存在しない離れで、この家の話をすると違う話になってしまうのですが、この場所が出てくると大概ホラーとかろくなものではありません。)

「機嫌を直してよ。」と夫が私の部屋にやって来ました。

振り向くと、そこにはすこぶる若い子供のような彼がいました。

目を吊り上げてガミガミ言うのかと思っていたら、不思議なことに私は、

「なんにも機嫌なんか悪くないの。いつもありがとうって思ってるわ。ちょっと疲れちゃったから、こっちに来て休んでいただけよ。」など嘘をつくのでした。私は夢の中の自分が良く理解できません。違うキャラを演じているのかも知れません。

「えっ、そうなのか。なんか君は本当に不愉快な顔をしていたよ。だから僕は凄く気になってしまったんだ。知らないうちにいっぱい傷つけてきたんだなと思ってさ。」

それを聞いて、私は首を振って彼の頭を優しく撫ぜながら

「ううん。ありがとう、本当に。」と今度は嘘ではなく言いました。

 

私の優しい言葉に夫はいい気になったようで、帰りに羽田空港に立ち寄って買い物をしたいと言いました。

羽田空港と言っても飛行機は関係ないのでした。空港内にあるお店の一つに用があるらしいのです。

ところが羽田空港は私が知っているピカピカのターミナルではありませんでした。どこかレトロな雰囲気が漂っていました。だけど良いのです。夫がこれだけ若いということは、それだけ時代が昔ってことなのですから。

その外れに、凄く小さな本屋がありました。本屋と言っても本は並んでいないのです。会社の受付のようにカウンターが有り客はそこで本の名前を言って買い求めるみたいで、専門書のお店のようです。

夫はそこに入って行くと

「『ひみつの鍵』はありますか。」と聞きました。中年の男性のお店の人はけんもほろろに

「そんなものはないですよ。」と返事をしました。

「そんなわけないだろ。ダイレクトメールが届いたんだから。」と夫が強い口調で言い返すと

「な~んだ、最初にそれを言ってくださいよ。」と物腰も丁寧になって、隣の部屋に入っていき書棚からではなく金庫からその本を出してきました。

私は興味もなかったので、ひとりで通路で待っていたのですがその様子はそこからでも見えました。そして夫が戻ってきて

「3万2千円だ。」と言いました。

私はビックリして、あることを思い出しました。昨日買い物に行って、最後のお札をぴったり出してしまったのです。お財布は小銭ばかりで空のはずです。

それでもバッグから取り出してみると、お財布はレシートでパンパンにふくれあがっていました。その中に乱暴にお札が紛れていました。

―そうか。空っぽになってしまったから補充しておいたんだ私。

と、解釈しました。

お金を3万2千円、彼に渡すと財布の中には二千円ほど残りました。これは高速代に取っておかなければなりません。

「あっ、パパ。それ内税なのかしら。本は確か外税表示よね。まして今は8%に上がったんだから外税よね。じゃあ、お金が足りないわ。カードで買ってくれないかな。」←時々今が混ざる。しかもリアル・・・。

お店の人に確認した彼は振り向いて言いました。

「カード、使えないって。だけど値段はこのままだって。」

ああ、良かったと思ったものの、新たな疑問が。

このような高額なものを相談もないなんて。そうすると立て替えたものの、これは彼が払うべきものなのか、それとも仕事で使いみたいなので家計から出すべきものなのか・・・・・・

 

すると彼はいつの間にか会社に電話を入れていました。

「これで会社を救えるんだから領収書で落ちますよね。えーっ、ですよね。頼みますよ!!!」

―会社の経費で落ちるんだわ。しかも会社を救うって一体何なのあの本は・・・。

「で、俺の机の上の・・・そうそう・・・封筒の中の汚いメモ、ゴミじゃないですから。それの三枚目、わざと焼いて焦がした後になっているページがあるでしょ・・。そそそ。そこです。そこを指でなぞると数字が指で読めるんです。パスワードなんですよ、それ。読んでください。えっ?何?分からないって?困るなあ。も一回やってくださいよ。」

「えっ? ダメ?」

お店の人はカウンターの中にも三人ぐらいいて、皆、夫のほうをじぃっと見ていました。みんなニヤニヤしています。

ハッとしてもう一度見返すと、誰一人笑っていなくて、みんな能面のように無表情なのでした。

―パパ、ダメよ。そんな本に手を出しちゃ。

私は心の中でそう思いました。

するとその本を持っていた男が、私の心を読んだかのように

「この本を手に入れることが出来るなんてラッキーですね。代われるものならば、その権利を譲って欲しいものですよ。」

そして

「『ひみつの鍵』は秘密の鍵ですよ。」とすごくゆっくりと言いました。

夫はイライラしながら、

「どうやってもダメなんですか。あああ、困ったな。」と電話口で言っていました。

「パパ、それはパパの指紋にだけ反応するんじゃないの?指紋認証ってやつよ。一回出直しましょ。」

すると男は言いました。

「次はないですよ。」

 

―そんな本には手を出しちゃダメ。

やっぱり私はそう思っていました。だけど、

―「ひみつの鍵」は秘密の鍵・・・・。

ふと私がその本を手にとって私自身がその本を開く。そんな妄想に一瞬のうちに囚われてしまったのも確かだったのです。

 

それで私は言いました。

「パパ、私ここで待ってるから、パパは帰ってそのメモを取りに行って。戻ってくるのは大変だから電話でそのパスワードを私に伝えてくれればいいわ。本は私が持って帰ってあげるから。」

お店の人は皆ニヤリと笑って頷きました。

「じゃあ、そうしてくれる。助かったなあ。」と夫が言うので

「出来るだけ早くね。」と私は優しく言って小さく手を振りました。

 

だけどその時、行きかけた彼が何かに気がついたようにふと振り返りました。その眉間には、ありありと不安の色が伺えました。

「だけど、ママー。」

 

※        ※         ※

 

「だけどママ、そろそろ起きないと、買い物に行く時間が遅くなっちゃうよ。」と夫が声を掛けてきました。

私は目を開けないで

「ああ、もうちょっとで「ひみつの鍵」という本が私の手に入るところだったのにな。」と言いました。

「夢の話?」

「そうよ。3万二千円。」

「高ッケー!!」

「うん、消費税8%はおまけだって。でも内容的には超格安だな、きっと。」

「細かいな。だけどどんな秘密なんだ。」

「そこが秘密なのよ。しかもパパが出すかママが出すのか夢の中で悩んでした、私。」

「ママが出してください。俺いらないから、そんな本。」

「ですよね~。でもこの何気ない夢、悪夢だったような気がするんだ。良からぬものが近づいてくるって言うかさ。取り敢えず財布の中のレシートは全部捨てよう。」

むっくり起きて財布を開けると、レシートは全部捨ててあったのです。

―そうか、昨日捨てたんだった。

そしてやっぱり空っぽ。

補充しないと買い物には行けません。丼会計なので、こっちがなくなればあっちのように封筒にお金を入れてあるのですが、用意してあった封筒を開けたら、中から3万二千円が・・・・。

今日はその封筒のお金を遣うのは止めておこうと思いました。

その夢にはなんにも意味は無いのかもしれません。ただ気になっていたことだけが物語のように並んだだけかも。

 

もしもこの先延々と、人類が滅びずにこの地球に栄えていることが出来たら、かなりの秘密の謎は究明されると思います。だけど100年たっても1000年たっても、一万年たっても、人は、いや命あるものはどこから来てどこに去っていくのか、解き明かされない宇宙の秘密なのではないでしょうか。

もしもその謎を解き明かせるチャンスが有るとしたら、それはその経験をする時かもしれないと子供の時は思っていました。今はそうは思いません。きっと何もわからないままこの世から去っていくのです。だけど子供の時に、そう思っていたからこそこの「ひみつの鍵」という夢の物語は悪夢に感じたのでした。

 

 

ほんの微かに脚色あり。

しかも指でなぞって、その人だけが書いてある文字を読める「指紋認証ってやつよ」って、そんなものはまだないよね。

でも、私がここでそう思ったということは、いつかそういう時代は来るってことかな。

 

 

 

 

 

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甲斐の旅《その3》

2014-04-18 14:12:46 | お出掛け日記

 「甲斐の旅《その1》」 「甲斐の旅《その2》」の続きです。

 

「変わってしまった。」「変わってしまった」と甲府の街を訪れて、事あるごとに母が言いました。

だんだん私はイライラしてきて、

「むしろ変わらないほうが可笑しいってもんでしょ。なんにも変わらないで昔のままだったら、気持ちが悪いわよ。」と言い放つ・・・

娘というものは、親の、特に母親の老いには鈍感でいたいものなのです。

だけど老いた母にとっても娘はいつまでも子供で、そのように冷たい言葉をうっかり吐いてしまっても子供の戯言にしか感じずに動じないのでした。

 

自分の思い出を形成する街は、既に記憶の中にしかないのです。

子供の時「田舎に行く。」と言うのは「親の故郷に行く。」というのと同意語でした。今でもその名残があるかもしれません。いやそれとも、もう

「今度の夏休みは、お父さんの方の田舎に行くんだ。」なんて言葉は使わないのでしょうか。

確かに我が家でも私の実家に子供たちを連れて行く時には、どう考えても横浜のほうが都会に思っていたので、「田舎に行く。」などと言ったことがなかったと思います。

だけれど私が子供の時には山梨は、ズバリ父の故郷=イナカでした。

しかし訪ねた回数も少なくて、思い出が多いというわけではありません。

そんな私でも、退屈だった夜の時間潰しに父に連れて行ってもらった街中の映画館の思い出、突然の雷雨に鋪装されていなかった道路はあっという間にぬかるみになり、人々が三々五々と家の軒下や店の中に吸い込めれていったという思い出、そんな思い出の背景にあった街などを、今訪れている甲府に見出すことなどは皆無です。

母などはなおさらなのだと思います。

 

変わってしまっても父の故郷であることに変わりはありません。

 

坐忘庵からの送迎バスでは駅まで行かず途中の武田神社で降りました。

その途中で信玄公が誕生した場所というのを運転手さんがガイドしてくださって車窓観光しました。今、そこは積翠寺と呼ばれる所になっています。その後ろに見えた山は要害山です。

ああ、画像がなくて残念と思ってリサーチしたら山梨紹介に良いところを見つけました。そちらに積翠寺も要害山の画像と説明もあるので、興味のある方はどうぞ。→「山梨のなう」

 

武田神社は武田信玄のお館後が神社になったものです。

「人は石垣人は城」という武田節の歌詞そのものに信玄は城を持たなかったのですね。でも宝物殿にあるそのお館の見取り図などを見ると、その中心に攻めこむには、城の天守に向かうのと同様にかなり難しい作りになっていると思いました。上に行くか平屋で行くかということですよね。

そして守るのは、石垣ではなく外側に配置された人々だったのです。

私は神社とかお寺とか、あまり写真を取るのが好きではないので、画像が乏しいです。トップ画像は宝物殿前にあったものです。

時代だなぁ・・・。

 

 宝物殿の中は撮影禁止です。でも唯一撮っていいのは、左横の所。で、その横の旗は良いのか悪いのか知りませんが、「入っちゃうよ、普通」と撮ってしまいました。これがダメなら、アバウトな展示の仕方を反省していただきたいところですが、私も小心者なので画像は小さく載せました。

 

宝物殿の展示の中には、結構オカルトっぽいのがあって気になるところでした。武田はその滅亡後信玄公の骨とかまたこのお館後とか、今のような扱いではなかったようです。不敗の信玄公なんかは、私的にはかなりのヒーローなのですが、敢えて封印の時代が戦国時代直後にはあったかもですね。

でもやっぱり山梨の人々にとっては永遠のヒーローだと思います。

4月4日5日6日にあった信玄公祭りの頃に来ることが出来たらもっと楽しかったと思います。

ちなみに今年はマツケン・・・って松山ケンイチではなくて、松平健さんが信玄公に扮したのだそうです。

 甲陽武能殿。

訪れた3月16日はお宮参りの人たちでかなり賑わっていました。

 

甲府市内観光を軽くして帰路につこうと思っていた私達は、観光案内で最初、次の朝ドラのゆかりの場所はないかと聞いたのですが、まだ始まる前で地元でも盛り上がっていなかったのか期待した返事を聞くことが出来ませんでした。

よくよく調べると村岡花子さんの生涯はドラマの「花子とアン」とではちょっとした違いがあるようで、そうそうゆかりの地はないようです。

彼女が教鞭をとった山梨英和の場所は教えていただきました。ただそちらは今も普通の学校です。なんとなく前を通るだけの観光になると思います。

それだったら、私には行きたい所があったのでした。

同じく車窓の旅。

でも

父の出身校です。

―お父さん、私達はもっとあなたのことを知りたかったわ。

 

そしてそのまま宝泉寺に行きました。

 

 経蔵です。

ここには

 勝頼のお墓があるのです。

看板を撮っても墓撮らず。

だって、怖いじゃん。絶対に無念だったと思うからさ。

そして次はラーンチ。

メニューは決まってました。

 ほうとうです。ほうとうってかぼちゃとか入れて甘めになるから男の人には人気がないのですよね。でもみんな女なので、ほうとうは大好きです。美味しかったです。

 

その後、駅から見て気になっていた場所に行きました。

 

ここは元学校です。二階はこんな風になっていました。

 

 

 

上のようなところでお買い物をしながら、そして最後は甲府城・・・・

えっーッて思いませんでしたか。

だって信玄公は城を持たなかったんでしょう。

なんで~城があるんだって。

って、よくよく考えて見ればそう思うほうがオカシイのでした。

この甲府城は、武田氏滅亡後豊臣秀吉の命によって築城されました。対徳川家康として大事な拠点になったようです。

 

城跡の一部が「舞鶴城公園」「甲府市歴史公園」として開放されています。

しかし・・・

お父さん!!

ちょっとさあ、私思うよ。

もうちょっと自分の故郷、ちゃんと紹介してよ~。

 

あっ、だけど。

そうか、きっとここにいたら父は言ったかも。

「ここ初めて来たな。」って。

 

だって京都出身の姑はこの前言ってたもの。

「金閣寺、初めて行ったわ。」って。

 

 

  

この鐘は下でボタンを押すと鳴ります。募金箱付きで東北に支援をすることが出来ます。姉妹で鐘をついてきました。

 

 

 

天守あと(たぶん)から見下ろした甲府市内・駅周辺・遠い山々

 

 

 

 

 

 

展示のコーナーではボランティアの方が説明してくださります。

そこには馬の骨格標本が飾られていて印象的でした。

 

そこに入った時に、ボランティアの方が

「6名様ですね。」と言いました。

私達はみんなで顔を見回し、ほんの一瞬だけ間が空きました。

私達はその前から言っていたのです。

「きっとどこかで『6名様ですか』って言われるんじゃない?」と。

 

「はい。」と言いたかったです、私。だから返事ができませんでした。

すると妹がはっきりとした声で言いました。

「いいえ。5人です、私達。」

「えっ、えっと、ああ。」とボランティアの方が目で確認しなおしました。

私達はふふふと笑いあい、そして笑いあいながら、ほんのちょっとだけ悲しくなったのでした。

 

 

 

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甲斐の旅《その2》

2014-04-16 06:31:35 | お出掛け日記

「甲斐の旅《その1》」の続きです。

 

山梨は2月14日から記録的な豪雪に見舞われました。1メートル越えの雪。

予定していたのはそれから一か月後の事ですから、大丈夫だよねと思いつつ、テレビの中から流れてきたそのニュースには落ち着かない気持ちにさせられました。

流石に母は山梨の甲府市内に住む親戚に見舞いの電話をしたそうです。

― うちの方は大丈夫だ。

とのお返事をいただいてホッとしたものの、本当は男性が埋もれるほどの雪で大変だったのだと後から話題になりました。

市内では雪は片付いていましたが、山の所どころではその名残が見えました。

 

甲府駅に着くと、その親戚、父の弟一家、つまり叔父さんの家族が迎えに来てくれていました。

私の家族も何かというと姉妹四人で集まって行動を共にしますが、それは血筋というものなのでしょうか。私達のために叔父の娘とその子供、そして息子夫婦と総出で迎えてくれたのでした。

無事に墓参りを終えて、みんなで記念撮影をしました。

歳が離れているので子供の時には一緒に遊んだ記憶もない従兄弟たちでしたが、お互いに挨拶をし会話を交わし大切な時間を持てたと思います。

 

その後、皆でファミレスでおやつタイムを取り叔父さん叔母さんたちと父の思い出に花が咲きました。

いろいろな話をしたのですが、徐々に切なくなっていき瞬きをすると涙がこぼれちゃうなと思った時に、妹がうううっと急に堰を切ったように泣きだしました。思わず「泣くなよ~」と私は自分のことは棚に上げて言うと、「泣くよ~。」と妹はまた泣きました。

 

―ああ、親戚ってやっぱりいいな。大切にしなくちゃな。

と、染み染みと思い、いい時間を持つことが出来たと思います。

 

前に両親と姉夫婦と一緒に山梨に墓参りに来た時、叔父の妻、つまり叔母さんには抜けられない用があって来なかったのです。

父はその時はまったく元気でしたが、長距離を運転することはやめてもらっていましたから、気軽に山梨に帰るということは無くなっていました。

私なんかは仕方がないと思ったのですが、父の中では少々の凝りが残りました。私が思っている以上に叔母のことを大事に思っていたのだと思います。やっと来たのに、来なかった叔母。だけれど、叔母の中にも仕方がないと思いつつ、会えなかった無念があったようです。

お互いに大切に思いながら、少しだけずれてしまう気持ち・・・・・。

「また来年行くから」という母からの連絡で、心からそれはいつかと待っていてくれていた人たちでした。

でも次に入ったのは「いつ行く」の連絡ではなく「葬儀」のそれだったのです。

 

春が来れば雪は解けるー。

でもそれはそこに存在しているから見ることが出来るのです。

だから私達は見えない者になってしまった者が、どこかできっと見ているに違いないと信じるしかないのです。

 

以下は宿泊した坐忘庵のもてなす心とその周辺の春を待つ風景です。

 

今回の旅は「墓参り、温泉でぐたー&ちょっと観光 」でしたので、ホテルでの写真が多めです。

でもかなり居心地のいい空間でした。

 

 

 

 

お部屋でも。

 

上のやつは「果樹園のティータイム」にもアップさせて頂き、記事にしました。

 

朝食

  

 

裏山です。

 登山道。

 

露天から見えた竹林です。

どこにいても竹林には心惹かれます。

みつまた・・・・

 

 

 

 

 

3月半ばでしたので山梨は、春待つ空気の中にまるごと存在していました。

今頃は桃の花が咲き乱れ桃源郷のように成っていることと思います。

 

次回は観光編です。

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甲斐の旅 《その1》

2014-04-15 14:23:45 | お出掛け日記

あたし、思ってた。

「6名様ですか?」

どこかでそんな風に言われるんじゃないかって・・・・。

 

※         ※         ※

 

3月9日に京都から帰ってきて、間を4日しか空けず15日に今度は山梨に出かけてまいりました。京都はお見舞い。今度は墓参りの旅です。

昨年亡くなった父は、かなりいろいろなことをやり遂げてから逝きました。それでも少々の心残りはあったと思います。

もう一度自分の両親の墓参りに行きたいと思い予定していましたが、体力の減退のスピードが、本人もですが家族の予想を超えていて叶わなかったのです。

この事とアレヤコレヤと思うと、心の中でもやもやする部分もあるのです。

 

父が肺がんで手術もできない状態だと聞いた時に、同じ病気で逝った義父のケースが、私の脳内で基準になりました。

おととしの8月に無理矢理だったのか治療方針をたてて頂き、それなりのことをし、少々の回復もし父は気力も充実していて元気で退院しました。その時に家族で旅行に行くなら今だと思いました。でもそう思ったのは、離れて暮らしている私だけ。そう思ったのも義父の一年がベースにあるからでした。

もう既に詳しくは覚えていませんが、なんやかやと先延ばしになりました。

この治療が終わってから。この用事が終わってから。先に遣ることがあるから。もっと暖かくなってから。

今思うと、途中で白内障の手術も受けたりなどして父は忙しかったのです。

墓参りと言っても、少々距離があれば旅行です。加えてそれに私達が着いていき温泉にでも泊まろうと言うのであればなおさらです。

 

それでも寒いさなかに出かけたら、たぶん行く事は出来たと思います。

お正月には元気に一族の前で挨拶をしていたのですから。

だけど山梨盆地の寒さを決して侮ってはいけないのです。無理して出かけていたら、もしかしたらその直後まで寿命を縮めていたかもしれません。

 

何かを諦めて何かを得ると言う選択は。人生が終わる時まで要求されるものなのでしょうか。

春が本当にやってきても、もう誰も父と一緒に旅行などをしようと思うものはいなくなったと思います。口には出しませんが、無理だなと周りの者は分かっていたのです。

父はその頃町会の花見のためにいろいろ普通にいつも通りに中心になって働いていました。

それでも分かっていたのです・・・・・。

無理なんだと。

 

 

 姉妹4人と母とで出かけた山梨墓参りの旅は、父のやり残した事を拾うと言う意味の旅でした。

以下は、画像メインの旅日記「車窓&ホテルでのお食事編」です。

 

 

 

「カイジ」ではありません。「甲斐路」の「かいじ」。

GO !!!!

 

新宿駅で買った駅弁です。最後の一個だったのですが、他の姉妹に羨ましがられました。美味しかったです。

 

 

 

山梨に行くには幾つもの山を抜けていきます。つまりトンネルを抜けていくのですがその数はかなりあったはずです。

子供の時には山ナシというのに山ばかりであることに、何か納得のいかないような気持ちになったものです。

そのうち「ナシ」は「梨」であることを知っても、山梨の道の沿道にはぶどう畑ばかりでそして売ってるのもその葡萄と桃ばかりというのも、やはり納得がいかないと思ったのでした。

「梨」はどうしたんだ、「梨は」と。

だから私は梨に拘って、梨の産地で有名な所に住んでいるのかしら・・・・・ってことは関係梨・・・いやいや、なしです。

 

 

 

妹が、「あっ」と言いました。

 

そう。

山の向こうに富士山を見つけたのです。

 

甲府についてから墓参り。

その時のお話はまた次回に。

その日の夜は、甲府市内の坐忘庵というところに泊まりました。

 

そのお料理です。

 

    

  おしゃべりをしていたら、お刺身盛り合わせがが一枚抜けました。美味しかったですよ。

 

坐忘庵は山の上にあります。

そこから見た街の夜景です。

 

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雨の日には雨の中

2014-04-12 16:03:18 | 梢は歌う(日記)
 
雨の中
「ああ、どうして。」と姉が言った。「どうして悩みは一個ずつ来てくれないんだろう。」「そうだね、うん、そうだ。」と私も言った。だけど今日も私はぼんやりと何も考えずに、時間...
 

 

毎度言っていることですが、今日初めてここにいらしてくださった方もいらっしゃるかと思うので、同じことを書きます。

gooがサービスで送ってくれる昨年の記事。これを読むのが好きなんです。昨年の今頃何をしていたのかを知ることは、自分にとってはなかなか大事なことだったりします。

私は昨年のその記事をしみじみとしみじみと読みました。

二人で過ごしたその時間も、ささやかな幸せな時間の蓄積です。

幸せな時間の蓄積が、人生を豊かにしすなわち幸せな人生だったと最後に言わしめるのではないでしょうか。

 

 そしてようやく辿り着いたと思っても、道は更にまた続くのです。

 

昨日もまたルートくんがオヤスミだったので一緒に昼食を食べに行きました。またも昨年4月に行った同じお店です。

そこで私は昨年と同じ話をしました。本当に思っている大事な話は、このように逃げられないような場所で言うのが私的いつもの作戦です。でも別にその話をしに来たのではありません。食事が終わってなんとなく話し始めたのですが、本当はまったく前と同じ内容であることは分かっていたのです。だって心配している内容が同じなわけですから。

ルートくんの手が会計の用紙に伸びます。

「またそんな同じ話を聞かせられるなら、俺が払ってさっさと帰るわ。」と彼は言いました。でも別に怒っているわけではありません。

「あっ、いいよいいよ。」と私。

「だけど同じ話だっていいじゃん。同じ話がしたいんだから。」

「だって五回ぐらい聞いている。」

「はぁ、何を言ってるの。二回目よ。しかも大事な話だから、良く聞いてください。あっ、いやいや、大事な話だから覚えていたのね。だから五回ぐらい聞いたような気になってるんじゃ・・」

「だから本当は五回・・・。」

「二回よ!!」

 

本当に大事なことは何回話したかじゃないのに、いつの間にか論点がすり替わってる・・・なんてことは彼と私の間ではよくあることなんだと思います。

しかもお店に出た時に微妙に後悔してしまいました。同じ話をしてしまったことにではありません。

せっかく彼の手がお会計のアレに伸びたというのに、なんで「いいよ、いいよ」などと言ってしまったというのでしょう。

まあ、ワタクシ親ですからね。彼には食費も入れて頂いてるわけですからね。

でもなんかちょっとだけ失敗したなぁって思ってしまいましたよ。

 

ルートくんが出掛けた日は生暖かい春の日でしたが、昨年の記事に合わせて、以下は今年の雨の日の画像を数枚アップしておこうと思います。

 

 

 

既に今頃は葉桜。だけれどこの時は雨にも負けず健気に咲いていたのです。

 

 

 

 

桜には青空が似合うと思いますが、いつも私の桜はの背景はグレーが多いのです。淋しげで墨絵世界のようです。

そして実はこんな桜も好きなんです。

 

 

 

 

咲く花にばかり目がいってしまいますが、

 

 

 

 

 よく見ると、まっすぐに新しい枝がするする伸びて次の季節に備えているのが分かるのでした。

春がくると、まるで約束を果たすように花を咲かせ人々の心を癒してくれる春の花々。

 

そしてようやく辿り着いたと思っても、季節はまた巡っていくのです。

 

 

 

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4月9日のおぼちゃん

2014-04-10 02:06:40 | 梢は歌う(日記)

もしも世の中で起きたことも記録するような日記を書いているならば、昨日の「小保方氏会見」の事は書いておくべきだと思う。

何故なら内容的には科学的な論文の真偽に対する釈明で、専門的な事をとうとうと語る可能性もあったのに、かなりの多くの人が彼女の会見を気にかけ、約80パーセントのテレビ局がその様子を中継した。

驚くべき注目度ではないか。

 

私個人としては、STAP細胞の存在を信じたい。ゆえに彼女を支持してあげたいような気もするが、そうは単純にはいかなくなってきてしまったようだ。

彼女が謝罪した通り、論文にはミスが多かった。それで山梨大の若山教授が最初に信用にかかわってくるので一度撤回して不備のないものにやり直した方が良いと言ったのだったように思う。

だけれど話はものすごい勢いで拡大し、ねつ造・偽装、学生時代の論文の危ういところまでさらされる始末。

 

さながら稀代の詐欺師で悪女のようなイメージになりつつあったところに、理研の調査委員〈?〉が悪いのは彼女ひとりと言うような会見をしたものだから、逆に彼女に同情が集まっていったように思う。しかも彼女は弁護士の代理会見ではなく、自分から出ていって直接会見をするという行動に出たのだ。

清楚な服装とメイク。やつれた頬。

だけど真珠のネックレスに白いハンカチ。

余裕があるんだなと、私は感じてしまった。いや、これはプロのアドバイザーがいるなって感じた。

いや、いても良いんだよ。

だって若干30の女性が、こんなに多くの人の関心の的になって、しかも謝罪と弁明会見なんだから。

昨日の会見では彼女に多くの人が同情し、かなりの味方をつけたようだ。

これってかなりのスター性があるってことじゃないのか。

 

「私に研究者としての道が残っているならば・・・」と彼女は言った。

それはどうなんだろうか。結構難しいことなんじゃないかな。

 

その時ふと、彼女はテレビのコメンテーターとして拾われるなんてことを思ってしまった。

とりあえずサンジャポの西川さんにとって代わる。

西川女史に叱られてしまいそうだが、視聴率だけは上がりそうだ。

 

ちょっと失礼な事を言ってしまったかもしれないが、会見の内容がそんな感じに感じちゃったんだもん。

「少なくとも200は成功した。」

「実験は一人でこっそりやってるわけではないので常に公開実験のようなもの。」

じゃあ,他にもいるよね、その成功した200回のSTAP細胞を見てる人たちが。

なぜその人たち声をあげないの?

 

「ノートは理研に提出したのが2冊で、少なくとも4・5冊はあります。」

どっちにしても少ないんじゃないのかな。

 

夢のSTAP細胞はどうでも良くないことだけれど、彼女の会見はかなりどうでもいいことに思えた。

あの会見で、手を差し伸べてあげたくなった人は手を貸してあげたらいいと思う。別に悪意で言っているのではない。

30歳の若い彼女に、たぶん天才なんじゃないかと思われる彼女に、失敗で叩き潰されるのではなく能力に見合う道が開かれればいいと、そう思う。

 

ただし教訓。

大事なところに「まっいいか」は厳禁だな。

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東京シティビュー《森タワー展望台》

2014-04-09 16:32:07 | お出掛け日記

「ラファエル前派展」は森アーツセンターギャラリーであったのですが、同フロアに森ビル展望台の入口があるのです。ちなみに料金は両方で2500円。同フロアでは「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」もやっていたというのに、そちらはノーチェックだったものですから、スルーして帰ってきたことを今頃後悔しているところです。

 

森タワー&展望台(ガラス越しですが)にて写真を撮ってきました。

 

 

 

トップ画像は説明もいらない東京タワーです。

 

その右にちょっと視点をずらすと、東京湾です。羽田から飛行機が飛び立ったのか、それとも羽田に帰っていくのか、飛行機が見えました。

 

外海に続く風景。

 

やっぱり東京は都会ですね。あまり統一もされてないし、計画的なようにも見えないのですが、それなりに造形美があるように感じるのは私だけではないと思います。

 

 

線路とか道路とか、結構好きです。

でもやっぱり日本はごちゃごちゃしているな。

 

むむむ。あれに見えるは増上寺かしら。

アーップ!

花盛りです。

花盛りといえば、

この並木道もさぞや綺麗なことでしょう。

桜をこのように上から見るというのも、楽しい経験かなと思いました。

ここも凄いな。

どこかの公園かな・・・・・

あうち。

どうもお墓みたい。でもこんなに桜が綺麗なら、眠る人にも訪ねてくる人にも優しい場所ではないかと思います。

 

あああ、遠くの方では、きっと雨が降っているのに違いありません。

 

 

このフロアで頂いたランチ画像は、最近復活した「果樹園のティータイム」の方にアップしました。

「まだまだ桜の」

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「ラファエル前派展」に行ってきました。

2014-04-08 13:41:14 | お出掛け日記

かなり前のことですが、ある日本屋に行った時、入り口から入ってある本に目が釘付けになり、まっすぐにそこに行って手に取りました。

それが下に載せた本です。

美術手帖3月号増刊 ラファエル前派 19世紀イギリスの美術革命
美術手帖編集部
美術出版社

表紙が「オフェーリア」

ググっと、心惹かれました。

「オフェーリア」の絵には思い出がありました。でもなんか私の知っているそれではないような気がして中をめくってみたら画家が違っていたのです。

私の知っていた「オフェーリア」はドラクロアで

ネズミのようにシェークスピアをかじってみる」という記事に載せてあります。

と言ってもそこに飛ぶのも、面倒だと思うので、こちらにもアップ。雰囲気がまったく違うでしょう。

オフェーリアは、画家たちにとっても魅力的な題材なんですね。

 

美術手帖の表紙に使われているのは、ジョン・エヴァレット・ミレイの作品です。

オフェーリアの絵は、今まさに人が死んでいくという恐ろしいシーンであるにもかかわらず、何故か人の心を惹きつけるものがあるんですね。

「ラファエル前派」―その言葉すら、私は知りませんでした。

それらに属する画家さんたちもです。

それは・・・と説明するのは面倒なので、またもウキィ先生に頼りましょう。

〈そろそろ寄付しなくちゃな・・・ボソッ〉

ラファエル前派とは→こちら

 

まだまだ知らないことばかり。

だから人生はまだまだ楽しい。

 

という訳で、「ラファエル前派展」に行きたいと思いました。

が、なかなか行ける日を作ることができないで、とうとう最終日になってしまいました。日曜日なので混雑していたらイヤダと思いながら午前中の早目の時間に出かけて行きました。それが良かったようで、そんなに混雑していませんでした。

「森アーツセンターギャラリー」は初めて行った美術館だと思います。

帰りについでに展望台にも入り、結構充実した日曜日になりました。

 

  買ってきた絵葉書です。

歌いながら水の底に沈んでいくオフェーリア。

死の恐怖も感じず、生きる苦しみからも開放されて無垢な童女のようです。彼女の開かれた瞳には何が映っていたのでしょうか。

思っていたよりも大きい作品ではありませんでしたが、細部まで完成された作品だったと思います。

 

私は美術手帖なる本を読んだことがなかったのですが、その本の解説が、素晴らしく丁寧で素晴らしいです。上に描かれた花々にはそれぞれ意味があるのでした。

      

 

絵が変なふうに写っているのは、絵葉書を雑に写してアップしてるからです。

左。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「プロセルピナ」.    右。エドワード・バーン=ジョーンズ「「愛」に導かれる巡礼」

 これはブックマークです。アーサー・ヒューズの「4月の恋」です。

 

  これはコレクションにしているファイル。

役に立つものを買ってくるのが好きですが、今回はちょっとカタログを買ったほうがいいかと悩みました。

どの作品も良くて、全部が載っている本のほうが良いかなと悩んだのです。結局いつものように絵葉書やファイルにしてしまったのですが。

 

 なんだかんだと言っても風景画が好きです。真昼の月が白くそして優しい・・・・

フォード・マドックス・ブラウン「穀物の収穫」

        チラシの裏表。

 

ラファエル前派の画家たちはその私生活もスキャンダルに満ちていて、モデルたちとの物語が面白いのです。

いつか彼らの物語の映画などを見てみたいものだと思いました。

※        ※        ※

 

次は5月6日までの「ザ・ビューティフル」に、出来たらですが行きたいと思っています。

そちらは東京丸の内にある三菱一号館美術館にて。

 

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