森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ポーの一族」秘密の花園 Vol.5

2020-09-30 00:03:00 | 漫画・マンガ・まんが

「ポーの一族」秘密の花園 Vol.4の続きです。

前回、カウスリップのワインで酷い目にあったエドガー。

「もう知らない飲み物は飲まないように」と自分を戒めるエドガーでした。

 

だけど得体のしれない者は食していいのか(気を奪う)エドガー、と、私はちょっとだけ思ってしまいました。

そうとう怪しいと思っていたブラザーでしたが、エドガーに襲われるとあっさりと死んでしまいました(本当に死んだのでしょうか?)

しかしこんなに毎回、狩りをするアグレッシブなエドガーを今まで見たことがあったかしら。

だけどやはりブラザーは普通とは違っていましたね。彼の気を奪う時、彼の記憶が生々しくエドガーの中に入り込んできました。

ブラザーにとっては一番大事な人だったに違いないメリッサ夫人との最後の日々の想い出。

それは切ない記憶の物語。

 

ー 強く生きると約束してください。

私がおそばにいますから。

あなたのために、天国の庭をさがしますよ。

希望を持って 強く 強く生きるのです。―

ブラザーの励ましに、優しく微笑むメリッサ夫人。

それなのに翌日夫人は亡くなって、その首にはロープが巻き付けられていました。

なぜだ― !!

と嘆くブラザー・・・・・

そのシーンを読んだ時、私はまったく漫画とは関係ないリアルな出来事(あの美しかった女優さんの事です)と脳内リンクして、思わず涙が零れました。

ーなぜ  ーなぜ

と言う想いは、一番つらいものなのではないでしょうか。

 

アーサーが語る想い出も、なんだか切なかったです。

あどけない頃のアーサー。逃げた小鳥を追いかけて馬車の事故に遭ってしまい、大きな傷を受けてしまうアーサー。

ドミニクもいてマルコもいて、ブラザーもいてパトリシアもいる・・・・・。

アーサーは多くの人に守られていた・・・・・。

だけど決して可哀想ではない話をしているつもりのアーサーの話が切なく感じるのは、今のアーサーが寂しいからなのでしょうか。

そんなアーサーに、鬼を止めて人間に戻ればとエドガーは優しく言うのでした。

 

そしてそのような子供時代を支えてくれたブラザーは、アーサーにとってはとっても大事な人だったわけで、その彼を失った事は大きな痛手でした。そんな彼をエドガーは、メリッサ夫人の庭がブラザーにとっての天国の庭だったと言い、嘆くアーサーを慰めるのでした。

人間の中に長くいるとダメだとエドガーは思います。

― どんどん人間にひかれていく・・・・・。

それは人間にではなくアーサーにということだと思います。

 

夢に出て来たメリッサ夫人の「一つだけお願い」は、何なのか。また今回はまったく出てきませんでしたが、切り裂きジャックの方もどうなっているのでしょうか。

 

また来月が楽しみですね・・・・・

!?

いやいや、違いました。

2021年、春ごろの予定だそうです。

 

皆さん、毎日が辛いなと思っても、春になったら「太陽は動かない」も公開されますよ。

「ポーの一族」も春ですって。

映画もこの漫画の続きも楽しみで、そんな程度の理由でも生きていく事を楽しみにして、油断しないで生きていきたいと思います。

 

 

欄外の萩尾望都先生のひとりごとが面白いですね。

「韓国ドラマの『愛の不時着』が面白かったです。この脚本家、好きです。」と書いてありました。

「愛の不時着」、見ていないのですが、なんか見たくなってきました。

 

そして「ポーの一族」の舞台情報。既に皆さん知っていらっしゃると思いますが、アラン役に千葉雄大さんですね。

 


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「ミッドナイトスワン」を見てきました。

2020-09-29 17:35:48 | 映画

映画館で予告編を見ていた時から、見たいと思っていた「ミッドナイトスワン」を見てまいりました。

母親のネグレクトから凪沙の所にやって来た一果。これはその少女一果の成長とトランスジェンダーの凪沙の物語。

一応、ネタバレなしで書いています。

 

この映画を二回目と言う友人とご一緒しました。その友人と映画を見た後にお茶した時に、彼女が「☆はいくつ?」と聞いてきました。

映画の評価に☆をつけるのは苦手です。だけど聞かれたので「敢えて言えば、三つ半かしら。」と言うと「じゃ、普通ね。」と彼女は言いました。

ああ、だから星をつけるのは嫌なんだと思いました。

「うん、普通に良い作品だったね。」と私は応えましたが、本当に心に残る良い作品だったと思います。またいろいろな事を考えさせられました。

考えさせられたと言うのは、主にトランスジェンダーの偏見や生活についてでしたが、かなりの衝撃を受けたことは間違いのない事でした。家に帰ってから思わず「性転換手術のリスク」なんてことも調べてしまいました。

 

それからまた映画サイトを訪問してみると、最近あまり見た事のないような高評価でした。

星が四つとか五つとか、躊躇なく付けられていたのです。

 

なんとなくつけてしまう気持ちが分かります。

それは草彅剛の演技によるものだと思うからです。

私も友人に言いました。

「何はともあれ、私的には草薙君のお芝居を観る事が出来て幸せだったな。彼は以前はドラマでは常に主役をはっての枠を持っていたものね。私はなにげに彼のドラマが好きだったのよね。今日見ても、やっぱ好きだなぁって思ったのよね。」

映像マジックも上手く効いていて、一果のバレエも美しく見応えがありました。映像マジックと書いたのはごまかしと言う意味ではありません。新人の服部樹咲は4歳からバレエを習い、実際に数々のコンクールで賞を取っている実力派だそうです。本当に手足が長く、彼女は美しきバレリーナでしたね。

 

この映画を見る前に、ご一緒した彼女に一回目の感想を聞きました。

彼女曰く。

「なんとなく雑な描き方だと思った。でも決められた時間内で収めようとしたら、それは仕方がない事だと思う。でもところどころついていけなくて置いてけぼりを食ったような気がしたわ。」

見ていて、なるほどなぁと思いました。彼女の感想は、けっしてずれているわけではなかったのでした。

お茶の時に初見の私が二回目の彼女に、あそこはこうであそこはこうと、聞かれたので思った事を言いました。

途中で、思わず

「今言ったのは、別に正解じゃないよ。そうかなと思いながら見ていただけだよ。」と言いました。

この映画は「テネット」張りに想像力が、実はいるなと思いました。あっちはさっぱり分からないだけで実は正解があり、こちらは難解には思えないが正解はないのです。

自分がこうなんじゃないかなと思った通りに信じて突き進むしかないような気がしました。

 

いつも通り、真夜中にこの感想を書き始めて、どんなところをそう思ったのか、彼女に何を聞かれたのかを考えていたら、☆の評価が、3,5から3,4になり、また3,3と減っていくような気がして嫌になり、書くことを止めて寝てしまいました。

朝になって、また考えました。

この映画は、あちらこちらに作者(監督)のツボに嵌る罠が仕掛けられていたなと思いました。そこに至る経過は微細に過ぎず、拘らないのかと思いました。

ラスト1歩手前の、そのツボにはまる罠・・・・・。

誰もがその靴音に耳を澄まし、その後ろ姿を魅入った事でしょう。

凪沙をこれでもかと言うくらい歩かせたのは、そこに意味があったからなんだと思います。

すべてがそこに至る道だったのかと思いました。

 

心が女性でも、だからと言って男性の愛を求めるわけでもなく、社会の片隅でひっそりと暮らしていた凪沙。一果と出会って誰かの大切なひとりになった事は間違いのない事だったと思います。

 

上の文までを、朝書く時間が無くて出掛けました。

自転車をこぎながら、また考えました。

見ていた時から、私はたぶん一果のような少女がすこぶる苦手なんだと思ったのです。

才能とは怖いものだと思うのです。

近づいた者に与える影響力は半端がないじゃないですか。

凪沙も友人のりんも、バレエ教師も・・・・。

友人のりん役の上野鈴華(うえのりんか)も良かったです。彼女の内面はバレエの苦悩ばかりではなかったんじゃないかと、また正解のないあれやこれやを考えてみたりもするのです。

 

なんだかネタバレもしていないのに、長々と書いてしまいました。

でもあれやこれやと日をまたいで、また考えたりできる・・・・・

それこそが映画好きにはたまらない一作なのかも知れません。

 

原作も読もうと思います。

 

なんとパンフレットが電子版で !!

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 

 

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麒麟がくる 第二十五回「羽運ぶ蟻」

2020-09-28 09:06:23 | ドラマ (大河)

なんだか更新しないで間が空いてしまったなと思ったけれど、その間はわずか3日だったのですね。

なんだかもっと空いてしまったようにも感じ、なんだかずっと休んでしまおうかと言うような気にもなっていました。でも急にやる気になった時に、「なんだか溜まってる」感もするのも嫌なので、コツコツと書いておこうと思います。

 

お話の流れには沿わずに思いついた順に書きます。

ユースケ・サンタマリアと言う人は、食えぬ朝倉にぴったりの人だと思っています。前からこの俳優さんの事は好きだったけれど、好き度が上がっています。こう言っては本当に失礼の極みかも知れませんが、この方、あまり大物感がしないじゃないですか。演技のセリフの声も普通な感じがしてしまうし・・・。(反論はあって然りだと思います。あくまで私自身の感想です。)でも惹きつけられる・・・。

朝倉はああ見えてちゃんといろいろと考えているし、又光秀の言動にも影響を受けているようです。だけど普通の生活をきっと大事にする人で、今回も子供が鼠のチュウタロウが居なくなったと泣くと、パパ馬鹿ぶりを晒して床下まで自ら探す有様です。

大事な話をしている途中で、その話(義昭を担いで信長と上洛)を投げ出してそうなのですから、光秀はあきれ顔です。

見ていた夫も「ダメだな。」と言います。

あれはダメと言う事を見せつけるシーンだったのでしょうか。

歴史を鑑みると、動かぬ朝倉を光秀らは見限るわけですから、そうなのかも知れません。だけど私には、世の中は「タイミング」と言うものがあって、それを逃したり合わなかったりする人がいて、大きく自分の人生も歴史も変えて行ってしまったのかも知れないと思えたのでした。

 

今年の大河は、いつもの方向とは違う角度で見せてくれるので面白いです。

こんなに魅力的な義昭を見せてくれた大河はなかったように思います。確かにぬるさやヘラヘラしている雰囲気が可愛いような愛されキャラの義昭はいたように思います。玉置浩二や三谷幸喜の義昭などは未だに印象深く覚えています。

今回の彼はゆっくりと自分のペースで、自分の「今」を受け入れているように思うのです。受け入れると、それに対しての現状をよく見て分析し、作戦を練る。このままではダメだと思い、光秀に直接会いに来たのですね。

 

それより先に信長に会っていた光秀は、なにげに彼が義昭を担ぎ出したら、その案に乗ると言う約束を取り付けているようなものなので、徐々に機は熟しつつあるわけです。

と思っていたら、先にいとこの義栄が先に征夷大将軍に任じられてしまいます。

さてこの先、どのような流れで義昭は最後の将軍になっていく事が出来るのでしょうかと言うところで、次週ですね。

 

そしていつか思い出すのでしょうか。

光秀は信長と「大きい国」を話題にして、はしゃぎ笑いあった事を。

 

しかし信長から仕官の誘いを受けても、断ってしまう余裕の光秀。

選ぶと言う選択肢は光秀側に有ると言う事かと思うと、そこの部分だけは、私的には何かモヤッとした部分でもあったのです。

 

モヤッとしたと言ったら、駒と少年の丸薬又売り事件です。これはまさに今の時代のテンバイヤ―事件ではないですか。それなのに東庵は、テンバイヤ―擁護発言をするのです。いやこれは、丸薬又売り事件で、生活の為にその丸薬を打った少年を放っておけと言っているのだし、結局は、作った駒には関係ない事だと言っているのだと分かっています。

要するに、一番最初の売り手に責任なしと言う事ですね。

でも、昔の会場近くのダフ屋はみんなが無視すれば解決する話だし、ダブって買ってしまって困っている人がチケットを彼らに渡し、それをお金は余分に払ってもそれをどうしても手に入れたい人がそれを買うと言う流れになっていたと思うので、そんな時代に、東庵の話を聞いても「ああ、そうか」とスルー出来きたかもしれません。でも今の時代は普通に欲しい人が皆、それらのテンバイヤ―たちのせいで入手困難になったり、高額になってしまって困ったりしている事実があるので、何でここに又売り事件のエピを入れたのかと思ってしまったのでした。

まさか今井宗久と会すため?

まあ、そこはモヤッとしたヨンということで。

 

後は、「牧、故郷に帰る」は良かったですね。

あの時、燃える館に残って自害しなくて良かったねと思いました。

こんな下克上の時代に、もう居なくなってしまった人たちなんかどうでもいいやとも思わず、約束を守り館を再建して守っていてくれたのですよ。この忠義の人たちを大切にしなければならない・・・・と思うシーンなどはなかったのですが、私が勝手に思っておきました(^_^;)

ただ歴史ものは辛いです。この先の先の牧の未来を思うと、この人には良い事がたくさんあって欲しいなと、ドラマを超えて思ってしまったのでした。

 

さて次週。

予告編からして面白そうでしたね。

やはり私は今は本多君押しです♪

不敵な笑いが良いですね。

 

 

 

 


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配達された13枚の絵葉書

2020-09-24 22:54:12 | 梢は歌う(日記)

2020年は、どうしたって例年と同じとは言えないわけですが、そんな暮らしの中で、私も例年とは違う事をほんのちょっとだけしていました。

緊急自粛宣言渦中の時には、コロナ自粛見舞いを書いていましたが、お手紙と言う性質上たくさんをいっきには書けず、そのうちに宣言は解除されたので、本当は感染拡大はその後が大変だったわけですが、自粛見舞いもないかなと一時休止し、また夏も終わってしまうと8月のラストに残暑見舞いとして、お手紙を出させていただきました。

閉塞感が辛かった2020年の夏までの日々。

私は誰かと繋がりあって、そしてその閉じ込められた気持ちを破りたかったのかもしれません。

出した葉書の中には、母や姉、そして叔父夫婦への手紙も含まれています。

なんでもテキパキとは出来ないので、たった13枚でしたが、年賀状程度のお付き合いになってしまった友達との繋がりがまた持ててた事がとっても良かったと思いました。

 

丁寧に封書でお返事を頂けたり、またその中に手作りマスクを同封していただけたり、また同じように絵画や写真の絵葉書でお返事を頂けたり、またはメールやお電話とかで、近況などを知り得た事も嬉しかったです。

遠い昔には美術館で買い求めた絵葉書は、友だちに手紙を書くためでした。それがいつの間にか手紙を書く習慣なども無くなって、絵葉書を買うのは単なるコレクションになっていたのです。

これからは本来の目的のために使いたいなと思っていました。

ところが収集を意識して買ってきた絵葉書は、意外とマニアックなものが多くて、これを差し上げても喜ばれるか否かと言うのも多いなと、自分のコレクションの中から絵葉書を選ぶのも悩みました。

だけどそんな選ぶ時間も含めて楽しかったのです。

でも私が一番楽しかったのは、友だちがポストを開けてその中から絵葉書を見つけて「あれっ?」と言う顔をすることを想像する事だったのです。

きっとその時の私は、いたずらっ子のような顔をしていた事でしょうね。

 

 

 

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『ボイス〜112の奇跡〜』の感想

2020-09-23 00:09:00 | 海外ドラマ

韓国ドラマ視聴者新人としては、俳優さんの誰々繋がりで次の作品を選んでいます。

この作品も・・・・・・。

だけどそれは古い作品と言えども、かなりのネタバレ部分になるので後から書きますね。

ただサスペンスや刑事ものに関しては、そんなには新人とは言い切れないものがあるかもしれません。ドラマはほとんど見ていなかったのですが、映画などは韓国のサスペンスなどはむしろ好きで好んで見ていました。だから藤原竜也主演の「22年目の告白」の、元の韓国版も(残念ながら)知っていたのです。

このドラマも唐沢寿明主演でリメイクされました。

夫が見ていたので、リビングで映像は流れていて、そうなると意識せずともストーリーなど入ってきてしまうわけですが、席を立ったり転寝タイムにしたりで積極的には見てはいなかったのです。

なぜなら1話目があまりにも残酷だったからなのですが、この元の韓国版を見ると、そうとう忠実にリメイクしたことが分かりました。

日本版ではダメなものが韓国版では平気とはどういう事だろうかと、自分でも不思議に思うのですが、意外とそう言う人も多いらしく、それは少々の距離を感じているからなのかもと推理しています。その距離の中には、「違う国の道徳心からなる」と言うのもあるからかも知れません。シリアルキラーやサイコパスの物語はサスペンス的には面白く、好んで見る方ですが、ただ刑事が確保の為に鉄拳が繰り出すのは必然であっても、確保した後に自分の中の怒りの発露として拳が繰り出してしまうシーンは、日本のドラマでは決して許されない事で、私の中では見るに堪えないシーンなのです。

そんなシーンが日本のドラマであると思わず舌打ちを打ちたくなりますが、海外ドラマだとよその国の文化にまで文句をつける事もあるまいと、自分の中の道徳心なるものに薄い蓋がされるのです。

だからなのか、日本版にリメイクされるとき、日本人好みに合うようにちょっとソフトに直されている物もあるかと思います。

このリメイク版の「ボイス」もそうだったのではないかと思いました。

唐沢版のストーリーはテレビが付いてたものですから、勝手には頭に入って来ていて、それがだんだんと面白くなってきていたので、最終回はしっかり見たのです。それでも衝撃的なラストではあったと思います。

ただ、この韓国版も同じかと思っていたらトンでもありませんでした。

やっぱり道徳心なるものに薄い蓋をしてしまうと、韓国ドラマまたは映画のサスペンスは本当に面白いなとしみじみと思ってしまいました。

 

以下は短い簡単なネタバレ感想です。サスペンスなので一応犯人などの事は以下に書いたのですが、今HPやネット検索で確認したら、ネタバレ感想に入れる事はなかったかなと言う感じでした。('◇')ゞ

それでも、一応ね・・・・(^_^;)

これから初めて見られる方もいらっしゃるかもしれませんから。GYAO(28日まで)またはamazon praimu で見る事が出来ます。

またドラマは16話ありますので、その内容の感想はほとんどありません。

 

「コーヒープリンス1号店」にクールな雰囲気で出ていた日本人ソンギの役のキム・ジェウク繋がりで、この作品を選びました。

もちろん彼はサイコパスでありシリアルキラーのモ・テグ役です。

美しき殺人者の役が、凄く嵌っていました。ファンの方には、この言葉は褒め言葉になるのかとちょっと考えてしまいますが、やはりこういうドラマは、敵になるものがメチャクチャ強かったり権力を持っていたりと、最強であり魅力がないと面白くないのですよね。その使命をキム・ジェウクはばっちりと果たしていましたね。

そして最終回のモ・テグの最後には驚かされました。

父のギボムが確かに諸悪の根源であったかと思います。日本版では彼が息子を刺殺して自殺します。だけど韓国版では先に自分だけ自殺をしてしまうのです。

かくしてモ・テグは捕まり、精神病院に入院しています。ところがそこで他の患者たちにめった刺しにされ、そしてとどめをそこの医師に、テグと同じような手口であるハンマーで殴り殺されてしまうのです。患者たちは、その医師に操られていただけのようです。サイコパスはサイコパスの手によって殺されてしまうと言う衝撃のラストでした。

なんだか他のシーンが、しばらくの間、記憶が薄れてしまうほどの驚きがありました。

そしてモ・テグが死んだことを、センター長もチーム長も後から知り、その医師のその後は語られないのですよ。

そしてその他の事は大団円なのに、なんだか怖いな~と言う感情が心の中に滑り込んで終わるのです。

そんなところがやっぱり、面白いなと感じさせる一因なのですね、きっと。

 

で、次は何を見ようかなと思っていたのですが、なんと「ボイス2」があるみたいなので、チャン・ヒョクは出ないみたいなのですが、それを見ようかなと思っています。

 

関連記事

「コーヒープリンス1号店」の感想

※ このドラマを見ている途中で伊勢谷友介の逮捕がありました。

彼は日本版のモ・テグにあたる役で、とっても良かったのですよ。私は彼を「キャシャーン」で知ってからずっと好きな俳優さんでした。だから「ばっきゃろー !!」と思っています。


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「TENET テネット」を見てきました。

2020-09-22 00:05:05 | 映画

9月21日、夫と「TENET テネット」を見てきました。

映画ならではのど派手なシーンを堪能し、「面白かったね。」と夫に言いましたら、

「うん、CGなんかも駆使されていて凄かったね。」と彼も満足の模様。

だけどそのたった一言の感想を聞いて、一瞬沈黙し、

「いやいやいや、ノーランはCGなんか駆使しないのよ。あれがCGじゃない所が、ノーランの凄い所なのよ。」と私。

そう、そこがノーランの凄い所なんですよね。

エストニアやインドなど7か国でのロケを敢行し、飛行機を爆破し本物の金塊を空港にばらまく・・・・その他多数で、

見ごたえ十分です。

主人公の名もなき男を演じたのはは、ジョン・デビッド・ワシントンで父は俳優のデンゼル・ワシントンなのですね。もちろんリサーチ無しで行くので、後から知ったのですが、なんか雰囲気が似ているなと思っていたら、やはりそうだったのかと思いました。

仲介人のニール。ただの便利でよく働くパートナー役かと思ったら、もうひとりの主人公みたいなもので、イケメンなので(笑)、感情移入度も高かったです。10年前の(もう、10年も経ってしまったなんて信じられない !)「インセプション」の時もジョゼフ・ゴードン=レヴィットに萌えましたが、今回もロバート・パティンソンに嵌りそうです。

この映画、かなりの難解と言われていますが、ワタクシは・・・

 

こーんな感じです。(^_^;)

時間逆行がテーマなので、かなり混乱もしました。実は家に帰ってから、解説を読みまくりました。

だけどその時間も含めて楽しかったのです。

映画はこうでなくちゃねとも思います。1本見たら、せめて一日は脳内占拠をしていて欲しいと思います。そしてこの映画は、2度は見ても良いような気がします。

分かりやすかったサイトも紹介しておきますね。ただしネタバレしていますので、見た後に、もしも「???」となった場合にご訪問下さい。→ここです。

 

でも私、頭を使わないでも分かるある部分は、すぐに「そうだろうな。」と分かりましたよ~。(たぶん誰でも分かる所で、偉そうに言う事もないのですが、普通「分かった分かった」って言いたいものでしょう(笑))

あと、マイケル・ケインがちょい役で出るんですが、名もなき男にもっと良いスーツを着ろと言います。金持ちはそう言うところを見るからと。「英国人のスーツの・・・」と言う風に名もなき男は、イギリス人のスーツのこだわりについて触れると、彼が拘るどころじゃない、支配していると言うじゃないですか。思わず、私「キングスマン」を意識して言ったのかなと、ちょっとだけニヤニヤしてしまいました。

と言うわけで、画像の下からは少々のネタバレです。

 

↑ イケメン枠のカッコいいロバート・パティンソン。(新しいバットマンにまったく興味がなかったのですが、彼がバットマンなら、ほんのちょっとだけ興味が出てきました。)

彼と空港の倉庫に侵入した時、時間逆走兵士と彼が闘って殺しそうになった時、ニールが止めたじゃないですか。あれはもうひとりの名もなき男なんだなと思いました。

それからこの映画のヒロインでもあるキャット(エリザベス・デビッキ)が、自分語りをする時、船から飛び降りる自由な女に憧れたと言いましたが、それもきっと彼女自身なんだろうなと思いました。

まあ、上にも書きましたが、それは誰でも予想が出来る事なんだと思います。それでもそのようなささやかな部分が思った通りに進んでいくと面白く感じたりもするのですよね。

 

ニールと名もなき男との別れのシーン。ニールは

「これが俺たちの美しい友情の終わりだな」と別れを告げます。

だけどニールはこの先の自分の運命を受け入れて、敢えてその道に進むのですね。

永遠の別れのようでも、それはニールにとってだけですよね。だって彼の雇い主は未来の名もなき男なんですから。いつかの未来、必ず彼はニールにまた会う事が出来るのではないかしらと思いました。(書類審査で無い限り)

あっ、いや、また会うとニールも言っていましたよね。

その時名もなき男はきっと胸がいっぱいになってしまうのではないかしら。

そんな事を想いながら、しみじみとした余韻にしたりながら終わったのでした。

 

 


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麒麟がくる 第二十四回「将軍の器」

2020-09-21 00:18:19 | ドラマ (大河)

永禄8年5月、義輝は二条御所に三好の軍勢に押し入られ殺害されてしまいます。

ふと、永禄8年と言うのは西暦で言うとどの辺なのかと思い調べてみると、1565年なんですね。

えっ、ちょっと待って~ !?

と、私は思ってしまいました。なぜなら関ヶ原の戦いまでたった35年しかないのですよ。

この35年も含めたそれらの時代は、まさに激動の時代だったのですね。

もっと日本史を丁寧に学びたい衝動に駆られました。

 

その義輝の最後・・・・・

演出が「美しさ」に拘っていたように感じました。この役が向井理で良かったなと心から思ってしまいました。たった30歳。そりゃ、昔の平均寿命を考えたら、今とは同じ感覚ではないのは分かりますが、30歳なんかさぁ、今の時代で言ったら大人の振りを一所懸命にしている子供みたいなものじゃないの。可哀想に感じても良いよねって思ってしまうのです。

殺陣も凝っていましたよね。

そしてまた彼の教養が滲み出ていましたね^^

中国古代王朝の詩文、小旻(しょうびん)を唱え敵を迎い入れる義輝。

この詩をお読みになりたい方は、こちらのサイトで紹介されています。→こちらです。

 

そして今回のタイトルにもなっている覚慶が将軍の器であるか否か・・・・。

朝倉に問われると、言い淀みながらも、はっきり言っちゃうと無いと思うなみたいなことを言う光秀・・・・。

ちょっと朝倉はたじろいでいましたね。なんか予定が狂うと言う感じがしてしまいました。この人にはこの人なりの野心があったと言う事なのでしょうか。

この光秀の読みは、ある意味当たっていたように思うし、だけどその後の覚慶、つまり足利義昭のあれやこれやの頑張りを思うと、そうは思えないような気もします。

それに予告編に繰り返された「死にたくはない」と言うシーンはそこの部分だけ切り抜きされたもので、それを見ると武士の覚悟のない臆病な人に思えてもしまいますが、実はそうではなく、理不尽な死を嫌う当たり前の感覚を持つ人で、それを穏やかに魅力的に語る人だと言う印象さえ持てるのでした。

だけど戦を厭わず理不尽な死も恐れない、そんな人間こそが将軍の器を持っていると光秀は感じているのかもしれません。

どう転んでいくのか次週も楽しみですね。

 

そして私は今、関白の近衛前久が出てくるのが楽しみです。

その他のツボ:覚慶の幽閉場所からの脱出シーン。ちょっとドキドキしました。

また松永の所から覚慶の所に行って、将軍の器か見て来いと言う朝倉の手紙を読む松永。そこにその旅費は朝倉が持つと書いてあって、「そんな事は当たり前の事」だと松永が呟く所・・・・。

朝倉は細かいね(^_^;)

 

 

 

 


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トイレミュージアムと上野散策

2020-09-19 17:34:42 | お出掛け日記

16日に国立西洋美術館に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」を見に行った時に訪れた上野、その散策日記です。

 

タイトルの「トイレミュージアム」と言うのは、藝大の生徒たちと卒業生が制作した、トイレを改装して出来たミニミュージアムです。

その東京藝大「上野トイレミュージアムコンセプト」は→ここです。

そのニュースは→ここ

9月7日からのオープンで、まだスタートしたばかりです。

人も動物もその外形は違えども、結局は・・・・・・

なんとなく哲学的な絵ですね。

 

ペンギンが居たり、キリンが居たり・・・・。

 

でも私、写真的には失敗しました。なぜなら、ドアをパタンと閉めると、その内側の扉には大きなキリンさんが居たりペンギンさんが居たりしたのですよ。でもなんたってトイレなものですから、そそくさと写真を撮って、中にまで入らなかったのでした。後からそれを知って、ちょっとだけ悔しく思ったのですが、また上野には来ることもあると思いますので、気楽に行って確かめて来ようと思いました。

 

 

さて、この「トイレミュージアム」の後、美術館の方に移動したので、時系列的には遡る感じでの散策日記です。

食事の後、お腹がいっぱいでもなんとなく喉も乾いていたし、予約時間まで時間があったものですから珍しくスタバに行きました。昔はあまりスタバって好きじゃなかったのでしたが、今は何処にでもあって助かるなと思ってしまいます。

 

お食事の後、なぜ喉がカラカラになっていたかと言うと、少々の上野散策をしたからでした。

今回の上野散策も、星子さんがいろいろと調べておいてくれました。ちょうど上野についてテレビで何かやっていたようです。

今は埋め立てられてしまいましたが、昔は不忍池から川が流れていて、そこに三つの橋が架かっていたのだそうです。ひとつは武士たちの橋で、二つは庶民たちの橋です。その橋のかかっていた所に、茶屋があって、それが今の「みはし」なんですってね。

  

だけどその周辺を見回しても、そんな由来の看板などは出ていません。

同じようにまったく説明もなかったのが

 

この石なんですね。

これは星子さんからのまた聞きだったのと、後からネット検索をかけても情報が出てこないので、イマイチ定かなものではありませんが、この石は上野にあった寛永寺の総門の土台だったらしいのです。

何の説明もなくそのまま置かれている石にも、また歴史があるってもんですね。

 

今の人たちには忘れられていく存在の石でも、ニャンコたちには便利なお昼寝どころのようです。

さすが、上野の猫です。白と黒のコントラスト・・・・・・!

便利と言えば、私たちもちゃっかし先程の石に座って、途中のABABで驚くほど安かったのでお揃いで帽子を買ったのですが、それをかぶって並んで写真を撮ったりもしたのです。安くても「アルル風」と勝手に名付けました(笑)

(ABABの名前を出すと上野っぽいでしょう^^)

 

不忍池の蓮はもう葉っぱだらけ。季節的には当たり前ですが、先日の家の近くの公園でも、まだ一輪残っていた事を、私は忘れてはいませんでした。きっとどこかにいるはずと探しながら歩いていたら・・・・。

やっぱりいましたよ。

この上野散策のここまで記事は時系列的には遡りになっていますが、散策部分もまた流れに沿っていないので、ちゃんと並べてみると

トイレミュージアム←石←猫←蓮←みはし前

 

ではその「みはし」前の前にどこにいたのかと言うと、御徒町にてランチしていました。

夕方までずっとお腹は一杯でした。

何処に行っていたのかと言うと、とんかつの山家。

焼肉にするか、またはいつも行列が出来ている山家にするかとお店の前で、少々のお悩みタイム・・・・

そこに山家から出て来た男の人が

「あー、美味かったナぁ。」とひとり呟いてすれ違い立ち去っていきました。

私は男の人のひとり呟く「美味しかった !」と言う言葉には、女の人が誰かに挨拶のように言う「美味しかったね。」とは違う単純な真実があると思っているのです。

即その言葉で山家に決めました。

たまたまかも知れませんが、ずっと後になって女性が二人入っては来ましたが、圧倒的に男性が多く、ここはお父さんたちの日頃のランチタイムの聖地なのかなと思いました。

なぜなら

ロースかつ定食、税込みで770円!

ご飯はゆうに二膳分はあります。しかももっとお高いのにお肉は薄っぺらで油ギトギトと言うお店もありますが、このお店は分厚くさっぱりしていました。

カウンターに座ってお食事が提供されるのを待っていた時、また男の人が「旨かった !!」と言いながらお店を出ていきました。

私は横に座っている星子さんと目配せしながら微笑んで(会話無しなので)、ここは小さな幸せが生まれるお店だなと思いました。

 

その前、デパートの催事の案内状を持って、バッグと靴のセール会場に行きました。

そこでとっても綺麗な色の水色のバッグを見つけました。しかもバッグインバッグになっていて、2個分で5500円。店員さんがネットで1万以上で売られていましたと、魅力的な情報をくれました。その時の私は既に買う気満々・・・・・

ちょっと他のも見ておこう・・・・。

やっぱりあれが一番素敵でお得だわ。

あれっ!?

振り向くと星子さんが居ません。朝早く出掛けて来たし、こんな時代だからでしょうか。会場はガラガラ・・・・

なのに見回しても見つからず、何故か会場を1周してしまいました。でもこんな事は私たちは頻繁に起きる事です。並んで仲良くショッピングと言う事はないからです。

会場をひと回りしていたら、靴の試着をしている星子さん発見。

そこで私は言いました。

「うん、この会場をひと回りしている間に物欲を断ち切って来た !!」

 

美術館を後にして上野の山を見回すと、木々の緑の中にチラホラと黄色が混じり始めました。

 

そして、なぜだか絵画を見た後の空は、まるで絵画から抜け出してきたような空に見えたりもするのが不思議です。

 

 

 

主婦の毎日はささやかでちっぽけな出来事ばかり。

でもその生活がドラマチックで有るか否かは、その人のシーンを切り取る技術の技があるかないかに依ると、私は思っているのです。

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「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」

2020-09-18 02:23:12 | お出掛け日記

東京に行く事に、いつの間にか高いハードルが出来上がっていた私ですが、この時代を模索しながら自分らしい生活をしようと、やっと心が動きだし、この上野の西洋美術館でのイベントには行く事にしました。

もちろんマスクに消毒スプレー持参で、9月16日に行きました。

 

この「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」の解説によると

>しかし同館はまとまった数の作品を貸し出すことに慎重で、これまでイギリス国外で所蔵作品展が開催されたことは一度もありませんでした。今回、選りすぐりの傑作約60点を一挙に公開する本展は、史上初めての機会で、歴史的な展覧会といえます。 

なのだそうで、これを読むとありがたみが増すと言うものです^^

だけどその60点の展示は、まさに私的には程よい展示数であり、展示の流れもすっきりとして分かりやすく、印象的な絵などが心に残りやすかったです。

「史上初めての機会」の展示会なので、もっと詳しい解説などをお読みしたい方は、下にHPをリンクさせておきますので、ご覧ください。リンクと言えば、こんな時代だからでしょうか。HPが太っ腹です。全作品を見る事が出来ます。

ツイッターやラインにもリンクをさせる事が出来るので、いつもならやらないようにしているのですが、絵画の画像をブログにもお借りしてきました。

いくつもの気にいった絵画がありましたが、惚れ惚れと見とれてしまったのが

テーマはともかくですが、いったいこの絵画は何処から描き始めたのだろうかとしみじみとなめるように見てしまいました。

壁から床まで、もはや完璧。

後から知ったのですが図録の表紙にもなっていましたし、売店には複製画も売られていて、人気の絵画だったのですね。人気があると言うのは誰もが想う事がありと言う理由があるのだなと思いました。ルネサンスの時代の人なんかまったく知らず、この作者はカルロ・クリヴェッリ。

3分経ったら、もう覚えていられるかどうか・・・・・(^_^;)

 

この人も知らないのだけれど、なんか好きだなと感じたのは

ヴェネツィアの画家でジョヴァンニ・アントニオ・ペッレグリーニ 《井戸端のリベカ》。

絶対に1分で忘れるどころか覚えられそうにありません。だけどこの一枚だけ見て、他の同じ作者の絵をこの先に見る機会があって、「ああ、ジョヴァンニじゃん。」となるかどうかは疑問ですが、絵の個性と言うのは人の顔と同じくらいあるなと感じています。

 

前に「エル・グレコ展」に行ったことがあるので、下の絵はパッと見て「ああ、エル・グレコだな。」と思いました。

以前友人が、「私、エル・グレコが一番好きなの。この色彩が何とも言えなくて。」と言ったのですが、世の中にはもっと親しみやすい画家がたくさん居ると思うのに、なぜ彼なんだろうかと、そう言った彼女の個性に感心したものです。

ところがかなり高齢の婦人と娘さんなのかも知れませんが、そんな二人組が私の前を歩いていたのです。そしてこのエル・グレコの絵の前を立ち去る時に、高齢な方の婦人が言いました。

「こんな所で思いがけずエル・グレコに会えるなんて、凄く嬉しい。」

思わず、「凄いな、エル・グレコ !」と思ってしまいました。

それに人の「嬉しい」と言う言葉が耳に入ってくる事は、意外とまた嬉しいものなのだなと思いました。

 

オランダの部屋、スペインの部屋では少々の画家さん、フランスのお部屋ではさすがに全員の名前は知っていました。だけど私の知識ってそんなものなんだなと思いました。

 

油絵のターナー

緑色の睡蓮のモネの池・・・・・・

なんか凄く素敵だな・・・・♪

そして

 

本当に見応えのある展覧会でした。

またもある作品の前で、あの二人組と同じになり、ゆっくり解説を読むご婦人の声に耳を澄ませてしまいました。

その解説を読む前に、彼女は「凄いわねぇ」と言いました。

解説を読み終わると、もうひとりの方が

「で、どこが凄いって ?」と聞きました。それには答える事はしませんでしたが、その「凄いね」と言う言葉に共鳴していました。

・ジョン・コンスタブル 《コルオートン・ホールのレノルズ記念碑》 

静止した森の中、遠くに雲は流れ鹿は、物言わぬ過去の中を通り過ぎていくのです。

絵画って、やっぱりロマンチックでありドラマチック。

やっぱり絵を見る時間は、私にとってはとっても大事な時間なのだなと再認識することが出来たのでした。

 

なんとなく、ロンドン・ナショナル・ギャラリーってどこにあるのかしらと、遠い国に想いを馳せてしまいました。

だけど今は便利です。

Googleでなんちゃっての旅が出来るのですものね。

https://www.google.com/maps/@51.5074961,-0.1281914,3a,75y,357.76h,82.21t/data=!3m7!1e1!3m5!1s8D5MsYlLg_PN-RUnwiYRKQ!2e0!3e11!7i13312!8i6656

HPは→ここ

その中の作品紹介のお部屋は→ここです。

 

 

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恋しゅうて 名残りの夏の 花火かな

2020-09-17 10:31:18 | 家族スナップ

何気なく通り過ぎてきてしまった時間の中に、とても美しかったと思える風景があったと後から思える時がある。

あの夏の日の花火の夜のような。

 

☆           ☆

8月29日の土曜日、実家にて姉妹で集まる事にしました。

ただ姉妹で会うだけの事なのに、なんだか長い道のりがあったように思います。

それが2020年なのです !

2月15日に姉夫婦が妹のスノウさんを東京に車で迎えに行って、実家で皆が集まったのが最後です。

(スノウさんは1月に脳腫瘍の手術を受けたばかりだったので)

(その時の記録画像→2月の飾りはお雛様)

2月はコロナに対しては「気を付けなくちゃね。」と言いながら、まだ対岸の火事のような気持ちだったかもしれません。

実家に帰るのにマスク二枚重ねで行ったり、谷中散策にアルコール除菌ウエットティッシュを持参しながらも、行くと言う事に躊躇がありませんでしたから。

その後、4月に自由が丘で会おうと言う約束が、小池さんの会見とその後の緊急事態宣言で果たされず、それが解除された後に再び約束した7月19日も、東京での爆発的な感染拡大でやはり延期になりました。

もう自由が丘で会う事はしばらくは無理だなと感じ、再び義兄に迎えに行ってもらって横浜の実家で会う事が実現したのです。

スノウさんは言いました。

「指折り数えて、楽しみにしていたわ。」と。

 

ほんの少し前のお盆の頃、おかみが言う事には「GO  TO」は良いけれど「帰省」はダメみたいな、何ら説得力のない事を言っていたような気もしますが、訳が分からないので、きっと気のせいだったのだと思います。

とは言いつつも、このような事で油断とスキを見せたくないと、たぶん姉妹の中で一番思っていたのは私だったかもしれません。

なんたって4人姉妹の我が家はちょっと集まっても「密」を作り出してしまう人数になってしまうので、いろいろと気を使いました。

先に着いたスノウさんの娘ちゃんに消毒係になってもらいました。家に着いた者を玄関外で待ち構えて、体の前も後ろも除菌スプレーを吹きかけて消毒してもらうのです。

それから真っすぐに洗面所に行って、用意された使い捨てコップでうがいをし、洗った手もペーパータオルで拭いて、初めてお食事する部屋に入れると言うシステムにしました。

姉と暮らしていると言えども、基本は二世帯住宅なので、ひとり暮らしの母の家は、訪れるたびにいつも不備な部分を感じていました。手が荒れるからと使用してない薬用せっけんとか、ゴミ箱が必要な場所に置いていないとか、いつもならたまにしか訪れないので、嫌だなと感じていた事も黙っていました。だけど今回はそうはいかないと思ったので、やって欲しい事をあらかじめ姉と打ち合わせをして頼んでおきました。

姉はその時骨折中だったのに、完璧にそれを準備していてくれたので、気持ちよく嬉しく思いました。

 

今回の集まりには、叔父夫婦もやって来ました。何もこんな時にと思われても、今この時でなくてはダメかもしれないと言う「時」と言うのがあって、行きたいと言う申し出を断る事は出来ず、むしろ歓迎いたしました。

 

メニューは焼肉。

自由が丘で集まろうとしていた時の焼き肉企画が捨てきれずに、それに決まったのですが、骨折中の姉は肉の買い物に行けず、結局私と一番下の名都さんが横浜駅で待ち合わせをして、高島屋でお肉を調達していく係になりました。お肉を15分で買って実家に向かおうと思っていましたが、それが凄い甘い考えで、切って貰ったりなどして、1時間はかかってしまいました。(一人じゃなくて良かったです。)

叔父さんが古いアルバムを持ってきてくれたので、子供時代の話で盛り上がり楽しい賑やかなひと時を持つことが出来ました。

楽しい時間でした。

叔母さんは顔色も良く溌剌としていて美しくも感じました。だけど彼女はこの夏手術をし、どこと場所は忘れてしまいましたが、(ちょっとあまり聞かない場所の)癌だったのです。

「今日はこんなに元気に見えるけれど、明日はこの反動で起き上がれるか分からないんだ。」と叔父さんは小さな声で言いました。また、

「ねえちゃんは(母の事)、僕にとっては母のような人なんだ。ずっと会いたかったけれど、こんな時代になっちゃったので我慢していたんだけれど、やっと会えて良かった・・・・。」とも言い、私は嬉しく思いました。

二人は母を「姉ちゃん」「姉さん」と呼び掛けてたくさんお話をして言ってくれました。やっぱり身内は嬉しい存在だなとしみじみと思いました。

 

叔父夫婦とラッタさんが帰った後、噂のコンビニに(「横浜でお散歩」横浜で夜のお散歩」)

花火を買いに行きました。花火を買うと言うのは最初から入っていた計画です。でも行ってみたら、残っていたのは二袋だけで危ない所でした。

そして夕食後は、昼間は密回避で避難のために出掛けていた姪たちが戻って来たので、皆で花火をし、その後甥が一人帰っていきました。お泊り組だけになった後、皆でさっさと入浴タイムを取り、その後はシートパックのパックパーティをしながら、ホラー映画を見ました。顔にシートパックをつけて、「見るのはホラーがイイよね。」と振り向いた名都さんの顔の方がシートが崩れて張れていて、それがよっぽどホラーに見えて、もう私は大笑いwwwww

「笑いものにされた !!」と名都さんが怒っていましたが、鏡を見ないで皆貼ったので、それなりの個性が滲み出て、皆でポーズを取って写真を撮りました。後から見たら、最近それに嵌っていた私は、ぴたっと綺麗に張れていて、なんだか一番面白みに欠けていました。

世の中何が良いのか悪いのか、それは状況によると言う事がたくさんありますね。

一応、私が企画したことは、皆上手くいったように感じて、嬉しく思うのと同様にホッとしたのでした。

 

☆       ☆   

叔父さんがいた時には、一番大きい声ではしゃいでいたスノウさんは、もう花火の時には立ち上がれませんでした。その間ずっとソファで横たわっていました。

姉の姪ちゃんは喜んでいましたが、私は、本当は4人でやりたかったのです。あの遠い夏の日のように。

たった10歩も歩けなくて、花火を見る事が出来なかったスノウさんは寂しそうでした。

それで私は思い出を語ります。

「ずっと昔、まだ子供たちが居なかった頃だったかしら。公園でみんなで花火をしたじゃない。最後の線香花火の時、なんとはなしに4人で円陣になって、思わず『せんこう~花火が欲しいです~♪』と歌いだしたら、皆も合わせて歌いだし、なにげにハーモニーなんか入れちゃって、最後に線香花火がポトリと落ちて、ああ、夏が終わったねとみんなで頷きあったよね。だけどその時、うちの旦那と君の旦那が『なんだ、この人たちは。』『さあ』と言っていたのよね。」と言いながら、二人でちょっとだけフフフと笑い合いました。

 

私はきっと今年の夏も、みんなでこの歌を歌いたかったのかもしれません。

いつだって未来は輝いて見えていたあの頃のように。

 

 

 

 

せんこう花火 吉田拓郎

 

 

 

 

 

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