ソチオリンピックも終わりですね。
タイトルに何のひねりも工夫もありませんが、そのままの気持ちをストレートにつけました。
私はスポーツもほとんどやりませんし、加えてスポーツ観戦音痴でもあります。普段はほとんど興味がなく、テレビで見たとしても駅伝やマラソンぐらい、後は世界選手権やワールドカップのようなビックイベントなどを見るぐらいなのです。
でも試合のルールや選手の名前などにも興味がなくて、なかなか覚えられません。
そんな私でも、オリンピックだけは別なものなのです。
子供の時に見た「東京オリンピック」が幸せな思い出だったからかもしれません。
あるいは選手たちの、この4年間のもしくは子供の時からのここへ目指してきた熱い想いと夢が、オーラとなって人を惹きつけるのかも知れません。
と言っても、前回のバンクーバー五輪ほどテレビ前にかじりついていたとは思えません。そのことを夫に言うと、それはライブの時間帯によるものではなかったかというのです。
確かにそうだなと思いました。
このブログも2006年からやっているのでなんと8年と長く、その間二回も冬季オリンピックを経験することができました。
このブログのテーマの一つは「過去」。
だけれど既に、このブログの中にも「過去」は存在しつつあるのです。
-バンクーバーの時はどうだったのかしら。トリノの時は何を思っていたのだろう。
私の気持ちはみんなこのブログの中に閉じ込めてありました。そしてその感想は、今回のソチとほとんど同じようなものでした。
トリノの時は「その時女神が舞い降りてーおめでとう女子フィギュア」
その時、短い詩のようなものを書いたのだけど、
勝利の女神が美の女神に耳打ちした
ー今日という日を 祝福したのではないわー
ー今日までの日々を 祝福したの
バンクーバーの時は「過ぎていく日々【オリンピック】」
トリノの時に上記の記事を書いたのは覚えていたのですが、バンクーバーの時に記事を書いていたことをすっかり忘れていました。それというのも、その頃はツイッターで自分の気持ちを吐露していたことが多かったからです。たとえメダルを逃しても果敢に挑戦する人たちへの賛美がそこには書かれていたのですが、なんとなくこの記事と書き出しの切り口が一緒のような・・・。つまり私は私で別な人間にこの4年間でなったというわけではないことが判明しました。別の言い方をすれば、あまり成長がないというか・・・ああ。。。
まあ、そのような自分のことなどはどうでもいい事なのですが、つい書いてしまいました。
だけどその記事の中で、「フィギュアに団体戦があったら日本が『金』だ。」と書いてあったのを見つけたときは、ちょっと胸がキリリとしました。
その時の、つまり4年前のメンバーの日本の実力とチームワークから出た言葉だったのですが、どんなに力が揃っていても、メダルへの道はなかなか手が届かない困難な道であることが今回のソチでも分かることだと思います。
この団体戦のことについて、フリー演技の前に森元総理が、出るべきではなかったとかなんか言ったんでしょ?
要するに、協会側の作戦ミスを攻めたようなものだったらしいのですが、ホーントに言うべき時期を選んで欲しいなと思いました。
それの関連記事は、ちょっとリンクしておきます。過ぎたことだからなかったことにしようではダメだと思うのです。これから気を付けてもらいたいなと思います。
→ここ
しかし彼、「レジェンド失言」と言われているとか。
まさにだなと思い、笑ってしまいました。
レジェンドと言えば、その名に相応しい葛西選手は、素晴らしかったですね。
冬季オリンピックの歴史をふと調べたくなったら「葛西選手」と検索すれるとwikiで過去7回のオリンピックまで遡って見ることができます。
1992年ハラホフで開催されたワールドカップでは最年少優勝〈19歳9か月〉を果たした葛西紀明選手は、今回のソチで「41歳と256日」という最年長メダル記録を作りました。
そして聞いた人はみんな驚くとともにちょっとした感動を覚えたのではないかと思う、
「次は金という目標が出来た。」というコメント。
私も少なからず感動のようなものを感じました。
それを言わせたものは、毎日の変わらない不断の努力による自信なのではなかったでしょうか。
またもくだらない話ですが、選手にあまり興味が持っていない私なので、冬のジャンプのシーズンが来るたびに聞こえてくる「葛西」という名前に、ジャンプ競技には、たまたま偶然「葛西」という名前の人が集ってくるのだと勘違いしていた時期があったのです。だって同じ方がこんなに長く飛んでるなんて思いもよらなかったのでした。
長いといえば、女子モーグルの上村愛子選手もそうです。
5大会連続入賞。
凄い!!!
しかも今回、本当に素晴らしかったです。彼女が勝ったと思いました。
でもメダルには手が届きませんでした。本当のことを言うと、採点方式の競技をこの時点で疑ってしまい、しばらくソチ熱が冷めてしまいました。
だけど彼女自身は満足のいく演技ができて、採点も見ずに涙を流したのでした。
これこそが一番の大切なことなのですよね。
出来ることなら、また次回もそしてその次も頑張って女レジェンドと呼ばれて欲しい・・・・・・
なんか私が言うとパイレーツみたいな感じになってきた?
いやいや、言いたいのは、「記録より記憶」。
私はこの言葉を野球の新庄剛志選手が「記録より記憶に残る選手」と言った言葉が印象的で覚えているのですが、これって本当にいい言葉ですよね。
今回のオリンピックでは、多くの人がこの言葉を引用して語ったのではないでしょうか。
上村選手のこともそうですが、やはりこの言葉が多く使われたのは〈私の周りでは〉、真央ちゃんの演技と結果についてだと思います。
朝、寝ていた私の耳に、先に起きていた夫がつけていたテレビから真央ちゃんの名前が出たときに、目がぱちりと覚めました。
そしてムクリと起き、真央ちゃんが最初のトリプルアクセルを綺麗に着地した時に、すぅーっと涙がこぼれました。
なんたってパチリ、ムクリですから、布団の中。
しかもパチリ・ムクリ・スゥーですから、起きた途端に泣いていたというわけなのです。
本当に感激しました、その演技に。
彼女の演技を見た世界中の人が感動してくれたと思っても、そんなには間違っていないと思いました。
メダルを目指すことには意味があっても、取れなかったからと言って、意味がないものなんかないとしみじみ思います。
SPのジャンプがことごとく失敗して16位スタートだった真央ちゃん。
直後のインタビューで「まだ何もわからない」と放心状態だったのが印象的でした。そんな状態からたった一日で自分の気持ちを復活させ会心の演技をしたのですから、いかに世界中からの応援に支えられたからと言って、彼女自身の強い精神力には脱帽です。
美しく楽しいエキシビションを見て、ふと思いました。
この演技構成や練習はいつやっていたのだろうかと。演技に関しては出来ることをやっているのでさほど難しくはないのかもしれませんが、競技の時とは違った凝った、または雰囲気の違う演技には、それなりに時間を割かなければその構成は出来ないことだと思います。入賞圏内にある人は、この場所で滑ることを夢見て、その時間を作っていたのだろうかと思いました。
ある人にとっては、無駄になってしまった時間だったかもしれません。でもそのようなものに支えられているからこそ、目に見える部分では輝いているものがたくさんあるのだと思います。
競技に関してはかなり偏っていますが、男子フィギュアについては前にちょっとだけ述べさせていただきましたし、これ以上は書ききれませんのでこの辺で終わろうと思います。
だけど最後にキム・ヨナ選手のことに触れたいと思います。フィギュアスケートが好きなので、彼女のことも好きです、私。ジャンプは安定しているしステップなどもまた上手くなっていると思いました。だけれどなんか器用にこなしすぎていて、バンクーバーの時のような感動が伝わってこなかったのです。でもそれはワタクシ個人の問題で、何ら彼女の演技には関係のないことなのです。彼女自身も満足のいくラストだったようです。ただそのあとのインタビューで、なんとなく彼女は本当に疲れているなと感じてしまったのです。これもまた私だけの感覚で事実を言っているのではありません。
これで引退なので、ほっとしていたのかもしれません。常に比べられていた真央ちゃんに「お疲れさまと言いたい」のようなことを言ったともいます。その言葉は彼女自身に向けられたもののようにも感じました。ずっと比べられてきて、そして真央ちゃんよりもずっと勝つことを期待され続けた少女の疲れをと安堵の気持ちを、私が勝手に妄想してしまったのかもしれません。
だけど彼女が銀だった事がおかしいと韓国では署名が集まっているとか・・・・
私、それを聞いてやっぱりキム・ヨナがちょっとかわいそうに思ってしまったのでした。引退と言って去っていく最後の花道にきれいな言葉の花びらをまいていただきたいと思います。
世の中には勝てなかったとしても金にも勝ることがあると、たくさん教えてくれた選手の皆様、本当にありがとう♪
もちろん、金や銀、そして銅メダルを獲得した選手の皆様、おめでとうございます。
勝利の女神が美の女神に耳打ちした
ー今日という日を 祝福したのではないわー
ー今日までの日々を 祝福したの