森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「いつも気に掛けてます。」

2018-01-06 02:12:57 | 梢は歌う(日記)

まあ、彼女の事をなんて説明しようかって言えば、「長い付き合い」とは言えるのかな。

同じ会社に3年一緒に働いて、会社が傾いて同時にリストラ。

それから数年は年賀状の交換もしたかもしれない。それも途絶えたある時、気まぐれに電話なんかを掛けたんだ。会社を退職してから7年か8年経ってから。

でもその時に話した内容は、彼女の仕事の事も聞いたけれど、私の方は子供のクラスのいじめっ子に悩んでいる話。そんな話を久しぶりに電話を掛けた人に話すか、普通。まるで近所に住んでいる友達に話すような事じゃないかって思ったんだ。

そんな日常の会話を交わした後、また当たり前のように私たちは沈黙し合うようになってしまった。

そこには深い理由なんかなかったよ。

ただ私たちはちょっと似ているところがあったかも。

 

それから月日は流れに流れ、2011年の3・11が来てしまった。

福島に住んでいる彼女。

怖くて怖くて、電話が出来なかった。一回だけ掛けたら通じなかったし。

だけどまた月は流れて、机の引き出しを整理していたら、古い住所録が出てきたんだよ。

なんでもない普通の日。

私は勇気を出して電話した。

懐かしい彼女の声。

やっぱりあの時の地震は、彼女の実家の二三軒先まで津波が来ていたと言う危ない状況だったんだ。

でも彼女の家には何もなくて、でもその時彼女はひとり義母の看護に奮闘している最中だった。

私は何を話したかな。

忘れちゃったな。

ただね、年賀状をまた書くよって言ったんだ。だって、このテンポじゃ、次に電話するのはたぶんお互いに70を過ぎてからだよってね。

前に電話したのは小学生の子供の話で、次は姑看護の話で、次はきっと二人でどこが痛いとか年金の暮らしがどうとかそんな話だねって笑いあったんだ。

すると彼女は、「私、年賀状はもう書かないの。」と言った。

「ああ、良いよ。私の方が勝手に書くからさ。私も今まで書かない年が何年もあって分かるからさ、気にしなくていいよ。」

で、それから毎年年賀状を出すようになったのだけれど、一年目は寒中見舞いと言う形でお返事が来た。二年目は彼女は喪中だった。看護していた人から解放されたんだ。三年目はお返事は来なかった。でもわかっていたから気にしてなかったよ。

 

今年は私の方が年内に書けず、年明けて、結局お返事と言う形でゆっくり書いて出したのだけれど、それはそれで手紙での会話が出来て良い部分もあるなと思ったりもしたよ。

だけど毎年来ている友達から来ていなくて(私、あまり友達は多くないから、ちょっと気になるわけ。)、そこで、そう言えばいつだって来るのが遅かったナと呑気にも気が付いたのだけれど、要するに彼女たちは毎年お返事と言う形で年賀状を書いていたのねって。

だから「元気ですよ。」って一言書いてあったんだ。

「元気ですか」の返事かよ。

「おい !!」って、昨年の年賀状に今頃ツッコミを入れたくなっちゃうよね。

だけどさ、返事で年賀状は良いなって、お互いにそれをやっていたら、同時に「来ないわね。」で終わっちゃうじゃないの。

まったくもう~。来年はちゃんとやるわ、私。

(もしかしたら、嫌われているんじゃないですかって思う人もいるかな。それはないから大丈夫。学生時代の親友だよ。←そこが怪しいってか?)

 

年賀状は結構遅れてくるね。みんな12月は忙しくて、その忙しい中、仕事が一つ増えているようなものだものね。

だけどもういくら何でも来ないだろうって思った昨日、と言うのも、こちらから出していないので、今頃来るのはお返事だと思ったからなんだけれど、福島の彼女から来ていたんだよ。

わざわざ年が明けてから書いたんだって思ったよ。

「じゃあ、これは昨年の年賀状の返事だな。」ってニヤニヤして裏の言葉を読んだんだ。

 

そこにはね

「いつも気に掛けています。お元気で」と書かれていたんだよ。

 

30年以上の年月で電話を掛けたのは二回。

まあ、それでも彼女の事を説明するならね、「長い付き合い」って言うんだと思うよ。

私は、その文字をじっとじっと見つめ、意味もなく「うんうん」って頷いたんだ。

 

 

コメント (4)
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