森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

目の前の風景を

2018-01-02 01:54:08 | 梢は歌う(日記)
 
 真っすぐに目の前にある道を歩いてきただけなのに、思っていた道とは程遠い場所ににたどり着き、こんなはずではなかったと嘆く事はないだろうか。

そんな時には心は激しく動いて、「いったい何がいけなかったのか。いつ間違えたのか。」と自分を責めたりもするものだ。出来る事ならば、引き返してやり直したいとも思うだろう。

だけれど人生の道は、ただ目の前にある道で引き返す道などはないのだ。望まぬ風景の場所に出たからと言って、また横道にそれる事も出来はしない。

だいたい自分を責めることなどもってのほかだ。
自分勝手な愚かさで、私をこの風景にいざなった者がいるのだから。

だからと言って、他者を責めて恨むのも愚かだ。
本当は恨みたい。呪ってもやりたい。なんて愚かな人なんだ。
・・・・・、いなくなればいいのに・・・・・・。

そんな時には心が闇に取り込まれ、誰よりも自分が苦しむのだから。

他者を許し、自己を開放するのだ。

そしてたどり着いたこの風景を、じっと眺めたり、その地で吹く風の音に耳を澄ましてみればいいんだ。



今この風景を見ているのには、きっと意味がある。
そう信じて、次の一歩を踏み出そう。



 


朝日と夕日の間、そして

 新しい日々の一日目。 新しい本のページをいつもと同じように午前0時がやってくるいつものように今日が明日に変わるだけだけれど新しい365日がやってくる 新しい年を迎......



 

 


上の囲みは、昨年の1月1日に投稿したものです。

今年の1日も朝6時に起きて7時出発で横浜に向かいました。途中でラッタさんを拾って毎年恒例の父のお墓参りに行きました。
考えてみれば、夫は一年に一回しか、この横浜には来る事はなくなっていました。でもこの新年のお墓参りは、彼が提案をしてくれたのです。

昨年かその前の年の、新年の記事を読み返してみたら、驚くことにまったく同じような写真を撮っていました。



お墓で写真。
笑えるくらい一緒でした。


朝日と夕日の写真も同じ。
でもほんのちょっぴり、見ていた視点が違ったかも知れません。






墓参りの後で、何時も軽く朝食を頂きます。
新年初頭には似合わない朝食です。






横浜の実家にての楽しい時間はあという間に過ぎて、
そして再びラッタさんと共に4人で帰ってまいりました。


毎年同じ事をしています。

そして毎年思います。

「今このひと時は、なんて幸せなんだろう。」と。




スカイツリーと赤富士。走る車の中から撮っています。






13年目のブログ。また素晴らしい出会いがありますようにー。

コメント (8)
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