森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

青春18きっぷの春の旅「富岡製糸場」

2024-03-31 16:21:03 | お出掛け日記

青春18きっぷ春の旅「富岡製糸場への道」の続きです。

なんだか些細なところで、自分の感性の衰えのようなものを感じたりしませんか。

ずっとこの場所を訪れてみたかったのに、なんだかさほど「わぁ、とうとう来た~!!」みたいな感動がなかったのです。

自分の中の感動メーターが衰えてしまったのかと思いました。

一番ここに来たかった頃はいつかと言ったら、それは「青天を衝け!」を見ていた頃・・・・ではなくて、2017年の頃でした。

結局バスで行った「まったく無理をしない「四万温泉旅行記」その1」の時、高崎から富岡に行って、「富岡製糸場」を見学してからと言う計画を立ててみたものの、なんたって老人(母)と病み上がり(スノウさん)を連れての旅行なので、あっちこっちに振り回してはと思って諦めたのでした。

やっぱり7年も経つと、その時の気持ちも薄れてしまったのでしょうか。

 

ああ、たった7年だっていうのに、母は認知症になってしまうし、スノウさんはいなくなってしまったのよね。

あっという間の7年でも、やっぱりその7年は大きかったですね。

 

と言う話はさておいて、先月、やはりその場所を訪れていた姉が、「ガイドツアーに参加して良かったわ。聞かなきゃ分からなかったことがいっぱいだったもの。」と言っていました。

最初は、学ばなくても良いから好き勝手に回ろうと思っていた私たちでしたが、行ってみたら、やはりそれに参加したくなってガイドツアーで回りました。

それは正解だったような気がします。

 

レンガの積み方には、フランス式とかイギリス式があるのだとか、色が違うのはデザインではなくてムラだとか(瓦を焼く窯元が焼いたのだそうですね。)、まじめなお勉強モードの解説だなぁと思いつつ、けっこう楽しかったです。

東置繭所です。

西置繭所も含めて国宝なんですね。

下のレンガ、一番下の方が長い&長いって積み方がイギリス式だったかな。長い&短いの積み方がフランス式かな。

乾燥場は、今修復中。

実はこの工事の看板の写真をみな丁寧に撮ってきました。

後で電卓をはじこうかなと思って(笑)

創業年の「明治五年」が刻まれています。

 

女工館です。

天井などに工夫があるらしいです。聞かなければ、何も思わずスルーするところでした。

診療所などの何となく写真を遠慮してしまったところや、首長館(ブリュナ館)など上手く撮れなかったところはスルーしまして、やはり圧巻だったのは国宝繰糸所です。

かつてここに女工さんたちが・・・・・

ガイドさんが××年にすべての操業が停止しましたと言った時、ジーンとしました。

栄枯盛衰・・・・こんな所にもそれがあるのですね。

機械音ではあるけれど、まさに「兵どもの夢のあと」ではないですか。

この××年って何時って言ったのかなと、ウィキ様で調べたら、なんと1987年、西暦で言うと「昔」っていう気もするけれど、昭和62年なのよね。

ついこの前じゃんって、私は思います。

 

そして世界遺産に登録されたのは2014年。この年、多くの人がこの場所を訪れたそうです。(年間133万人以上)

ところがその3年後には、その半数に落ち込んだそうです。

コロナ禍の時は、もっと悲惨な数字。

いろいろと考えさせられる数字だと思います。

老朽化が酷くて、非公開部分が多いのも少々厳しいかもしれません。だけどそれを修復するのには100億の予算がかかっていくわけで、だけど観光客が激減していて。。。

なんか負の悪循環ですよね。

人は「世界遺産」と言う言葉だけではやっては来ないのですよね。

その街自体に魅力が無ければね。

きっとこの先、地域の人々は知恵を出し合って挽回していくと信じています。

シャッター通りと勘違いされるような古い通りのテコ入れとか、由緒あるお店の見せ方とか、街全体で考える余地もあるし、ちっとも柔らかくならない繭玉のパフよりも、ハンカチサイズのマッサージクロスを手ごろな値段で売るとか、ネット販売でも、30000円以下は800円の送料がかかるなんて馬鹿なこと言うなよと言うような意見を出すとかね、いろいろあるんじゃないのかって思います、私でも。

 

でもなんか、笑っているように見える・・・・

富岡製糸場は小高い丘の上にあるのですね。そこから見た風景です。

緑のフェンスがあって、そこをよけながら撮った写真ですが、少々陰が入ってしまいました。

美しい風景です。

ガイドツアーが終わって、お土産などを買ったら、もうここを後にしてしまいました。

後からHPの地図を見たら、かなり見逃したような気がしました。

だけど私は繰糸所を見られたので満足しました。

 

 

バイバイです。

 

最近、ドラマの感想から離れてしまっていますが、きっとそのうち「今頃かよ。」と自分に言いながら、まとめて書くかもしれません。

とりあえず今はこの旅行記の続きです。


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青春18きっぷ春の旅「富岡製糸場への道」

2024-03-30 02:34:03 | お出掛け日記

3月14日15日と青春18きっぷを使って富岡製糸場から軽井沢へとお出かけしてきました。

星子さんが、「ちょっと失敗したなぁ。今回はさほど安くならなかった。」と言いました。

それと言うのも、高崎から富岡までは上信電鉄と言う私鉄ですし、軽井沢に行くのも高崎から新幹線が出来たら普通の電車が無くなって、代替えにバスで行くことになってしまったからです。

それでも少々は安くなっていたわけですし、この切符が無かったら、そこに行こうとはなかなか思えなかったのでそれはそれで良かったと、多くをいい風にしか考えられない私はそう思いました。

車窓の風景 ↓

そして富岡の駅です。意外と普通の列車でつまらないなと思いつつ撮りました。上州電鉄の列車は、なんかいろいろカラフルなのが他にはありそうだったのに、なんでか一番地味なオーソドックスな電車でした。

 

 

駅に降りてから富岡製糸場を目指してテクテク歩いていくと、「近道」と言う看板を見つけました。

それでその道を行くことにしました。

 

 

このようなお煎餅屋さんがありました。

お昼を頂くと言うスケジュールが盛り込まれてなかったので(意外によくあるパターンです(笑))、お煎餅を一枚買って、それを歩きながら食べようかと言うことになりました。

この日はこの商店街のお休みの日か、もしくはシャッター通りなのか・・・・・

と振り向くと、向こうに「カレーパン」なる旗が風で揺れているではありませんか。

 

愛想のいい女主人が、楽しいおしゃべりでテレビなどから取材を受けた話などをしてくれました。

カレーパンも他の揚げ物なども、注文を受けたら揚げるみたいです。

揚げたてのカレーパンは、とっても美味しくて、今まで食べたカレーパンの中で一番美味しいと感じたかもしれません。

カレーパンとお煎餅でお腹を満たした私たちは、富岡製糸場に再び向かいました。

 

なんとここから歩いて4分だそうです。

 

レトロな建物を見ながら・・・・

更にレトロな建物(上の方に載せた『銀座通り』の説明に、このお店の名前が出ていましたね。

 

 

そして富岡製糸場に着きました。

けれど富岡製糸場の写真は次回にー。

そしていきなり帰る道です。

富岡製糸場を出てすぐ近くにある旧韮塚製糸場です。資料館になっているのだと思いますが、入りませんでした。バスの都合があったからなんです。

ちょっとここから駅まで星子さんと別れました。

と言っても、別に喧嘩したわけではありません。

知らない街を歩いて堪能したい星子さん。分かります。私もどちらかと言うとそれです。でも私はまた、そこでしか走っていない乗り物に乗ってみたい人なのです。

要するにお子ちゃまなのかも(笑)

それに私は今杖を突いている人なので、あまり歩きたくないと言えば、それもあるかもです。

私たち意外とマイペース。

じゃあ、駅で集合ねとなります。

私的には、バスは大正解。

無料で、街中をクネクネと走ってくれて、車掌さんのガイド付きです。

楽しかったです。

私と星子さんはここで待ち合わせました。

中を抜けると

ここのカフェにておやつタイムです。

 

そして再び上信電鉄に乗って高崎に向かいました。

帰りの電車は、ちょっとだけ派手でした。


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3月11日、黙祷しました。

2024-03-27 08:16:16 | 梢は歌う(日記)

その日、家に帰ってきた夫殿に
「黙祷した?」と聞いたら、
「仕事中だったからしなかったよ。」と、彼は言いました。


確かに。

 

そうやって、だんだんと少しずつ2011年は遠くなっていってしまうのかも知れません。

2011年の前にも大きな災害はあり、そして今年の初めからまた大きな地震のために被害にあわれた方々がいらっしゃるわけですから。

3月11日2時46分だけに毎年黙祷をすると言うのもどうなんだろうかと思うこともあるのです。

 

だけどやっぱり、私の人生においても2011年のあの日は、大きな一つの境目であったように思います。

原発の事も含めて、日本の歴史に大きな傷跡を残したあの日・・・・・。

・「3月10日「萩尾望都先生特別講演会」」の記事の中にも書きましたが、

>声高には叫ばなくても、忘れない日でいようと思っています。

それは大事なことだと思います。

心を込めて、2時46分に黙祷しました。

 

そのあと私は、ちゃんと生きなくちゃみたいな気持ちになって、もう夕方近くだったのに畑に行ってじゃがいもを植えてきました。

 畑に詳しい方から見たら、「何じゃ、この畝は。」と言う感じだと思いますが、けっこうヨロヨロです。今の私には限界~(;^_^A

生きてさえいれば、

 

知らない花に出会えたり(ルッコラらしいです。)、

古木が竜に見えたり・・・・・と、毎日が楽しいと感じることも出来るでしょう。

上手く撮れなかったのですが、その竜の木の花が咲いている時は、

 

下の囲みは昨年の3月11日に投稿したものです。

その中に

>『下の囲みは昨年の3月11日に投稿したものです。(またツリーになっているので)

その記事を辿っていくと、私は「2011年を生きた猫たちへ」

を読んで、毎年泣くことになっているらしいので、また読み直して・・・・やっぱり泣きました。』

とあり、昨日改めて読み直し、そしてやっぱり泣いたのでした。

 

 
「それを知りたいんです。」と少女は言いました。
「3.11」から12年。すると、今、中学1年生だった少女が、2011年だった頃は乳飲み子だったのです。もちろん何の記憶もありません。その子の父と母が、「あの時はね。」......
 





・・・・


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3月10日「萩尾望都先生特別講演会」

2024-03-26 00:33:59 | お出掛け日記

3月10日、東高円寺近くにある女子美にての「萩尾望都先生特別講演会」に行ってまいりました。
大好きな憧れの人が目の前にいるなと思うと、ワクワクドキドキしました。

薄いグリーンの色で統一された、萩尾望都さまの服装がとってもお洒落で、私はうっとりしてしまいました。
彼女は若い時から凄くお洒落だったと、何かで読んだことがあるのですが、本当だなぁとしみじみと感じました。

何歳になっても「お洒落」って大事なことですよね。

今回の主な内容は、「アングレーム国際漫画賞」の様子でしたが、望都さまのお話と会場や授賞式の映像で、まるでそこに行けたかのような錯覚に陥りました。

→・萩尾望都がアングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞「漫画に出会うことで私の人生は豊かに」(コメントあり) - コミックナタリー (natalie.mu)

 

またぶ厚いカタログの絵を通しての説明で、そこで多くの作品に再会したような気持になり、またたくさんの彼女の漫画をいっぱい読みたいと感じました。

今回はメモも取らずに会場の雰囲気を楽しんでいたので、詳しくレポを書くことが出来ません。

だけど印象的な一言がありました。

それは

「大阪の万博空回りしているから、『ドラゴンボールフェスティバル』にすれば良いのよ。」。

まさに!!

世界中のドラゴンボールファンが、喜んでやって来てくれると思います。

そう言えば「フランスのオタク」みたいなことを望都様が、何回も言っていたように思います。

でもそこは大事なところですよね。

世界に向けて、日本の上質なオタク文化を発信して、日本の経済復興を図る・・・・・

 

ところで、前にもオープンキャンパスの望都さまの講演会に来たことがあります。

その時の記事は(今年とかなり温度差があるかも。熱く語っております。)

オープンキャンパス2019「萩尾望都特別講演」

オープンキャンパス「萩尾望都 特別講演」その2

 

そしてまた、下の囲みは昨年の3月10日に投稿したものです。

3月10日は東京大空襲の日。

声高には叫ばなくても、忘れない日でいようと思っています。

 

 
3月10日は。
今日は暖かく、散歩日和でしたね。私はお散歩ではなく、午前中は整形外科に行き、ヒアルロン酸の注射を膝に打ってきました。その後は、仕事をお休みしている夫と待ち合わせをして、ランチ......
 



これは帰りの電車の中で撮った写真。

大江戸線だったかしら。

やっぱり平和が一番だよね。



・・・・


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3月4日が忙しかった訳

2024-03-24 15:21:56 | 梢は歌う(日記)

3月4日は「ゴッホ・アライブ」に行き、その後は天王洲を散策&ランチして帰ってきました。

「ゴッホ・アライブ」

天王洲を歩く☆2024

その記事の中で『3月4日は、ちょっと忙しかった‥‥と言うのは別のお話^^』と書き込んだのですが、そんなにバタバタとしていたわけではありませんでしたが、私的プチな出来事がたくさんあったのでした。

「ゴッホ・アライブ」に行くちょうど良い日がなかなか決まらずに、3月4日にしたのですが、その日は実は胸のCTの予約が入っていたのです。診察なしの検査のみで、朝一番だから何とかお昼前には駅で待ち合わせをして、出掛けられると思っていたのです。

ところが「なんとか」なんて事はまったくなくて、あっという間に検査は終わってしまいました。

会計を終えて、その日ご一緒する星子さんにお電話すると、少し前に起きたばかりと驚かれました。

でも時間が空いてしまっても、私はいろいろやることもあったので、まったく問題はなかったのでした。駅での待ち合わせ時間を決めて、私はコメダにモーニングを頂きに行きました。

 

 

さて、朝食にしようかなと思った矢先にラインが入りました。

9時27分。「無事に合格できました。」

そう。この日は公立高校の受験の合格発表の日だったのです。

思わず口元がほころびました。

2月いっぱいでお仕事を辞めたと、繰り返し言っていますが、

「やれやれ、これでやっと本当の終わりだよ。」と私は思いました。

 

それからしばらくは朝食は目の前でお預けで、少年のお母さんなどにお祝いのラインを送ったりしました。

 

そのラインで、本当は朝一番にラインでやりたかったのに時間がなくて出来なかったことを思い出し、その時に打ち込みました。

3月4日は2022年に亡くなってしまったスノウさんの誕生日なのです。

「今日はゆきちゃんの××歳の誕生日だね。
素敵な一年をって言えないけれど、忘れていないからねとは言える。」

『おめでとう。』と言う言葉は、さすがに使えなかった・・・・。

1年に1回だけ開く、かつて4人でやっていた姉妹のグループライン・・・・・。

当たり前のことだけれど、既読は「2」となる。

だけど・・・・、これ、いつも知らない間に、既読が「3」になるの。

いやいや、ホラーの話じゃなくて、スノウさんの夫君が後から見ているのよね。

だけど何となくスノウさんが見ているような気持になれて、嬉しいのです。

 

そんなこんなでラインをしていたら、あっという間に時間が過ぎて、食べきらないうちに約束の時間が来てしまいそうで、せっせと朝食タイムを取りました。

天王洲に出かける前に、未来を生きる少年に、そしてもう過去にしか生きられない人にメッセージを送り、そして明日を生きるために私は検査をすると言う朝を送ったのです。

実はこの日は更に夕方の部と言うわけではありませんが、久しく行かなかった柏に立ち寄りのどを潤したり買い物などをして帰ったのでした。

しかも家に帰ってからも友人と諸々の楽しいおしゃべりを電話でして・・・・・。

なんだか1日がてんこ盛りと言う感じがしていました。

 

姉の蝶子さんが「今日は祖母の命日でもある。」って言っていました。

それ、ちゃんと分ってました。

だけどおばあちゃん、ごめんね。

もう私、容量いっぱいで、ちょっとそこには蓋をしました。

それに

大好きだったおばあちゃん。だけどスノウさんは嫌ってた。だから私、同じ日には思い出したくなかったの。

 

3月9日はスノウさんの三回忌でした。

トップの画像は、横浜に向かう車の中で撮ったものです。

法事は故人を偲ぶものではありますが、一族が集まるいい機会でもありますよね。だけど賑やかしぃだったスノウさん、彼女が居たら、たぶん3倍は賑やかだったと思います。

なぜだか時々、青空が悲しく感じる時がありますね。

 


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初めて寂しく感じました。

2024-03-23 00:30:27 | 梢は歌う(日記)

もう菜の花の季節が来ていると言うのに、寒くてちっともその季節を感じることが出来ません。

今だに冬のコートが手放せない私です。

21日の木曜日、その冬のコートを着て出かけてまいりました。

出掛けたと言っても、2月いっぱいで辞めたバイト先の雇い主様とのランチ会でした。

 

雇い主様と言っても、今ではすっかりお友達です。

 

その方から、今までのお礼にとバッグとお菓子を頂きました。そしてお食事もごちそうして頂きました。

 

その時私は気がついたのです。

きっとワタクシは、心の奥の奥の深いところで無意識に、これからも彼女がシフトなどで困ったことが生じてしまったら、私を頼ってくれるのではないかと思っていたことに。

心が籠った「お礼」と言う品を受け取った時、もうそれはないなと感じました。

そしてもう私には、その扉は閉じられ一つの居場所を失ったのだとようやく気がついたのです。

もちろんその扉を閉めたのは私。

だけどその時私は初めて、ほんの少しではありますが「寂しい」と感じたのでした。

 

さあ、前に進まなければ・・・・・。

 

お食事。

「シジャン  コトエ流山おおたかの森店」にて。


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天王洲を歩く☆2024

2024-03-22 01:04:22 | お出掛け日記

3月4日、寺田倉庫にて「ゴッホ・アライブ」を見た後、星子さんが予約しておいてくれたお店に行ってランチをするために歩きだしました。

以前は天王洲アイルで降りて「銀河劇場」を往復するだけの街でしたが、今はこの場所が綺麗で素敵なところだと、すっかり認識しています‥‥って、硬い言葉ですね(笑)

 

何気なく目に留まる場所が、なにげに魅力的に見える、そんな場所のような気がします。

 

 夜になったら素敵なお酒を飲む場所に代わるのでしょうか。

ここは通り抜けられません。はるか向こうには星子さんと私が映っていましたから。

ほとんど写真日記です。

水辺の風景に心惹かれるのかも。

そして花にはいつも心惹かれます。

そしてお食事。

 

シェアしました。お店の名前はコースターに。

お食事が終わって、またテクテクと歩きます。

 

まだ足場が組んでありました。完成したものをいつか見ることが楽しみですね。

橋を渡って・・・・

 

そして、歩いて品川に向かい家路につきました。

天王洲は歩いているだけで楽しい街です。

 

「ゴッホアライブ」の記事は→「ゴッホ・アライブ」

 

過去の「天王洲」散歩の記事は→天王洲アイルを(ちょっと)歩く(2016年)

偶然、「相棒」のロケ地を見つけました♪

《天王洲アイル周辺は結構素敵だったんだ♪ 》7月の東京散歩(2019年)


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二重の虹

2024-03-20 23:21:18 | 梢は歌う(日記)

夕方5時頃、マンションのサークルの方が「虹が見えますよ。」とラインを入れてくれました。窓に背を向けていた私は振り返ると、そこに虹が見えました。

スマホを手にベランダに出ましたが、ほとんどが雲の中・・・・

 

   

なんか大きそうな虹なのに残念だなぁと思いました。

でも諦めきれずに窓の外を眺めていたら、気持ちですが色が濃くなっていくのが分かりました。

もう一度ベランダに出て虹観察です^^

 

そう言えば、今年の2月に辞めた仕事を自宅で始めたころ、なんだかんだと20年前(嘘じゃないの?)、ベランダの花たちに自信があった私は、窓のカーテンはいつも全開で、それゆえだったのか虹などを見逃さず、子供たちと何回も虹を見たななんてことを、感傷的に思い出していました。

昼間と打って変わったような気温の低さで、寒いのにようやるよと自分でも思いながら、空を見続けていたら、しっかりとアーチが見えるようになり、そしてそれが二重の虹になったのでした。もっと空がきれいな青だったら、虹の色も生えたと思うのですが、それでも嬉しかったです。

 

 

 

ふと、コートを着て外に出たら、綺麗なアーチの写真が撮れそうだなとは思ったのですが、寒くてめげました(;^_^A

 

虹を見たからって、何か良いことが起きる予感・予兆と思うことは大きな間違いなのだと思います。

だけどそんな気持ちになるから不思議です。

「良いじゃないの。それは素敵な勘違いなのだから。」と私は思いました。

 

※       ※      ※

午後から天気が荒れると聞いていたので、午前中に姑と義兄の家族と待ち合わせて、舅の墓参りに行きました。

皆同じようなことを考えるのか、駐車場がいっぱいになるほどお墓は賑わっていました。

お線香と備えた花の香りが、墓所を満たしていました。

こんなことはこの場所ではめったにありません。

さすがのお彼岸です。

 

その後、義兄が予約してくれていた焼肉屋さんに移動して、一族でお食事をしました。

義兄が

「遅くなってしまったけど、誕生日おめでとう。」と義母に言いました。

「あらっ、このお食事会はそれだったの ?」と言いながら、またみんなで乾杯をしました。

「来年で良かったのに。」と義母が言いました。来年が100歳だからです。

「来年は来年で大々的にやるよ。」と義兄は言いました。

 

大々的にやると言った来年の義母の誕生日が楽しみです。

この義兄は母や兄弟の事をちゃんと考えている長男さんだと私は思っていて、長生きしてほしいと思っている人です。

家に帰ってから、アマゾンで彼の好きなお酒をポチリました。

ささやかな感謝の気持ちです。

 

3月20日は楽しい1日でした。

姉妹や友人と電話でおしゃべりしたり、虹の画像でまた盛り上がったりしました。

私は夫に言いました。

「パパ、私、仕事を辞めても、家に引きこもっても、しばらくは寂しい生活にはならないと思うわ。」と。

 

お食事。

 

 


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「ゴッホ・アライブ」

2024-03-20 14:42:56 | お出掛け日記

3月4日、寺田倉庫で開催されている「ゴッホ・アライブ」に行ってまいりました。

かなり前からチケットをゲットしていたものの、なかなか行く日の調節が上手くいかないで、その日になってしまいました。

3月4日は、ちょっと忙しかった‥‥と言うのは別のお話^^

 

映像によるゴッホの絵に最初はなじめず、ちょっと失敗したかなと思ってしまいましたが、慣れてくると、いろいろと工夫がありその世界観が楽しめて、結果的には「ああ、楽しかった。」と言う感覚になりました。

トップ画像は、ゴッホの絵画の再現です。

絵の中に入って写真が撮れますよ。

 

写真で撮るとノイズが入ってしまって、多くはビデオ撮影にしました。

 

ビデオ撮影の気に入った部分を切り取ればいいのですが、今の私にはそこまでの情熱はないかも。

多くの流れる映像には知らない絵画もたくさんあり、最初に書いた通り動く映像に慣れてくると、かなり見応えがありました。

 

「星月夜」の中に入り込める部屋がありました。

 

向日葵の部屋ではゴッホさんが陽気に現れます。

 

 

公式サイトは→東京展|ゴッホ・アライブ (goghalivejp.com)

このサイトの富永さんの動画は結構楽しめますよ。

または(今、見つけました💛)

このイベントは今月31にまでです。行きたいけれど予定が立たない方や地域的に無理な方、下の動画で結構楽しめます。

私も「ありがとう。」と思いました^^

 

【ゴッホアライブ東京展】世界99都市で900万人を動員 五感で感じる没入型展覧会 イマーシブ VAN GOGH Alive DJI POCKET3 4K


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2月の暮らし☆2024

2024-03-19 02:17:24 | 梢は歌う(日記)

・「1月の暮らし☆2024」の中に、強気なんだか弱気なんだか分からない、2024年の決意(あれも決意だったのです。)を書きました。

>「生き抜く。
ただそれだけが、今年の目標でも良いのではないかと思えた1月でもあったのでした。」

 

2月のある日、それがますます強く思い知らされるような出来事がありました。

まだ私とはさほど接点があるわけではなかったのですが、優しく面白い方と言うのが分かっていて、これからもっと深くお付き合いをさせていただきたいと思っていた陶芸のメンバーがお亡くなりになりました。確かに若くはない方でしたがお元気で、剪定していた木から落ちると言う不慮の事故で帰らぬ人になったのです。

ショックでした。

噂では、庭にたわわに実っていたミカンの収穫をしていたとも聞きました。陶芸の前々日だったと思います。もしかしたらみんなに配ろうかと思って収穫していたのではないかと思ってしまいました。


「生き抜く」
それがただ生きていくことであっても、簡単なことではないのだと近頃はしみじみと思う私です。

下の囲みは昨年の投稿です。

囲みの下は、いつもお気楽にしか見えない2月のおまとめ日記です。

 
2月の暮らし☆2023
昨日、友人と話していて、しみじみと「ねえ、もう2月は終わってしまうんだよ。信じられないんだけれど。何をしていたのかなぁ、私。」と言いました。今年の私は「2月は逃げる」そのもの......
 





 映画

別記事に書きました。

「ウォンカとチョコレート工場のはじまり」と2月に見た映画



 ドラマ

 

感想を書いたのは

韓国ドラマ「絶対彼氏」完全版

「運命のように君を愛してる」

ヨ・ジングとチャン・ヒョクが好きで、アマプラでの見放題配信が終了してしまうからと焦ってみた2作品でした。


 お芝居

その感想は→「中村仲蔵―歌舞伎王国下克上異聞ー」を観ました。

《朗報》

【配信決定

4/7㊐21:00まで視聴券販売
配信期間 3/31㊐18:00~4/7㊐23:59
◉価格: 視聴券のみ:4,500円 電子版プログラム付:6,500円 ◉上演時間:2時間35分予定(特典映像あり)
1週間のアーカイブ配信あり

チケットなどは→Sky presents『中村仲蔵~歌舞伎王国 下剋上異聞~』のチケット情報 - イープラス (eplus.jp)

 

 読書

「ペンギンは空を見上げる」を読みました。

 

 

 漫画

漫画サイトで、何やら読んでいたりするわけですが、まとまっては読んでいなかったかも。

ただ2冊予約して1冊はゲット済みなのに、まだ積読状態です。3月の終わりまでに読みましょうと思っています。

予約したもの。

 

1分迷って、予約しました。

 

「百鬼夜行抄31」の予約



 お出かけ日記

2月はお芝居を観るために池袋に行ったぐらい。

素敵なカフェに行こう☆《皇琲亭》

カフェ繋がりでお友達と過ごした2月29日の日記は

2月29日は素敵な日



 その他の日記

◎2月1日は私の誕生日でした。

幸せな誕生日

◎その誕生日会を4日にしました。ついでに99歳の義母のも。まあ、最終的にはやはりどっちが「ついで」か分からない感じになりましたが(笑)

99歳の義母と私の誕生日会

 

◎3日の日は節分でしたね。もう我が家では豆まきはしませんし、恵方巻も冷凍のものを買っておいたけれど、別の日に食べました(笑)

でも何となく雰囲気が漂っているお食事にしました。

 

◎5日の日は大雪が降りました。

雷雪の夜

 

◎ 悲しいことに病院通いが多いです。

整形外科に、近所の内科。それに歯医者さん。今年は歯のストレスが多くて、しかも呼吸器系に問題が出てきて、かなり憂鬱です。

人生に初期、中期、後期があるならば、しっかりと後期なんだなと実感している毎日です。

 

◎ 公立高校の受験がありました。ドキドキ。

◎あと、「歌の会」に参加したり「陶芸」に行ったりもしました。図書館にも行きました。

 

なにげに暇など無縁の2月でした。その中で行った陶芸はあまりうまくいったとは言えませんでした。(ノД`)・゜・。

 

◎ 23日お通夜でした。
お孫ちゃんたちが泣きじゃくっていたのが印象的で、優しいおじいちゃんだったのだなと実感しました。

 

◎ 入院中のお友達と電話でお話しました。

背中にボトルを入れるアレ? (ボトル、入れてどうするんだ。)ボルトね。・・・・・の手術をした方で、リハビリも大変そうでした。入院中に4キロ瘦せたらしい・・・・・。

この方はいわゆるおデブちゃん仲間なのですが、その部分はやばい・・・・・(;^_^A

その彼女曰く、「あんたはね、ランチが多すぎなんだよ。」

ええ !?

何で私の生活知ってるのよ?

って思ったけれど、ある意味事実なので

「仕事も辞めてお金も無くなるので、じゃあこれからは、公園とかスーパーの休憩所でお茶しましょう。」と私は言いましたが、それを言っても誰も信じてはくれないような気がします(笑)

 

ランチ日記を書こうかと思いましたが、止めとくか(;^_^A

 

◎ お仕事辞めました。

星の瞬き月の祝福

 

◎ 畑、始めました。

なんだか勢いで始めてしまいましたが、出来るのかどうか不安がいっぱいです。

 

◎ 猫の日でしたね。

猫の日☆2024

 

  

 

すべての猫と猫を愛する人たちと、いまだに猫の「とりこになる」と言う魔法から逃れている方も、みんなの頭上に幸せの金貨が降り注ぎますように。

 


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