森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

きっと、それを知らないだけ

2012-07-31 14:11:17 | 思いつくまま

なにげに「ほんのちょっと先を生きている人たち、つまり今の視点で考えると大した歳の差はなかったのに、先に大人になっていた人たち」に影響された中学生時代の、かつて好きだった曲や思い出の曲の連続的な記事は、「スカボロ・フェア」の曲を友達がピアノで弾いてくれて心が動いた事で続いた連想ゲーム的なものでしたが、この連想と言うのはなかなか続いていってしまうもので、なかなか終わりがきません。折しもその時に予定していた「きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~」にも行き、まるで計画的な企画のようではありませんか。

はっきり言って、無意識下ではそれがあったのかと思います。あれやこれやと考えるより、無意識の計算に任せたほうがうまくいくほうが、ままある私なのです。無意識の計算高いというと、何やら悪女的な香りが漂いますが、言葉を持たない動物たちが、しっかりあれやこれやと思考して生きているのは、言葉を持たなくても脳が機能しているわけで、言葉あっての私のようにも思えますが、言葉に還元しないほうが、時には上手くいく率が高いというのも、人間って面白いなと興味深いものがあるのです。

と、この前の二段落・・・
思わずチャンネルはそのままで、とか言いたくなるような長いセンテンスの前置きですね。

という訳で・・・

先に大人になった人たちは戦争を知らずに育ち、そして戦争が終わって20年経った頃、彼らは反戦の歌を歌い始めました。戦争はちょっとだけ昔の「過去」の出来事だったし、そしてベトナム戦争があったからです。

 

だけど今・・・

やっぱり同じ様に、この地球の上のどこかには銃声が鳴り響いているのです。
愛されたり守られたりして当然のような子供たちが銃を持っていたり、大人の都合で飢えたり殺されたりしているのですよね。

じゃあ、誰がそれを歌にしてるんだろう。

誰がそれを歌っているんだろう。

いいえ、きっと誰かがそれを歌にして歌っているのだと思います。

私はただ知らないだけ。

 

いつの間にか私は古い船に乗る古い水夫になってしまいました。

だけど古い船の古い水夫だってなかなか捨てたもんじゃないのです。

 

もちろん今も歌われ続けていますが、私達の時代の好きな歌。

これもフォークルの歌ですが、珍しいものを見つけてしまったので、それを貼らせていただきました。

 

カルメン・マキ 戦争は知らない


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きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~

2012-07-29 11:07:01 | 観劇・コンサート日記

昨日、7月28日は隅田川の花火大会。押上駅はめちゃくちゃ混んでいました。

こういう人ごみは本当に苦手です。だけどその日、押上経由青砥にある「かつしかシンフォニーヒルズ」で、きたやまおさむ氏が言った、
「人は人との横のつながりを求めて、人ごみに出かけていくのだ。」というような言葉が頭をよぎりました。その言葉に関して言えば別に新鮮な言葉ではありません。この程度生きてくると、このぐらいの言葉に「ハア、ナルホド。」などと思いませんし、他の人もそうだと思いますが、自力で悟っているとも言えると思うのです。

だけど、私は思いました。

潜在的に既に言葉として持っている知識や経験も、また人の言葉を通して聞くと、新鮮であり再認識の手段なんですよね。その為か、その帰り道、ぎゅうぎゅうの押上駅の人の波が愛しくさえ感じたのでした。

歳を重ねていく上で、若さを保ちたいというのは誰もが思う願望だと思うのですが、その大事な要素の一つとして「新鮮」であることを感じる感性だと思うのです。知ってることや悟ったことがどんどん増えてくると、人は傲慢になり、また人の話も聞かなくなってくると言うことが多いのではと思います。

常に謙虚に学び続ける姿勢を持っている人は、やはりその人からは「若さ」のようなものを感じる私です。

 

という訳で、(この「という訳で」というのは私の口癖みたいなもので、どうという訳もない訳で)

昨日、「きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~」に行って来ました。

ある日、姉から誘われた時、最初の1時間はサムの講義らしいと聞いていました。なんだろう講義ってと思いましたが、行ってみて、ああ、ナルホドなあと思いました。

1部は講義、2部はコンサートというわけではなく、2部もトークが中心でした。歌はなんとなくオマケ的でゲストの山本コウタローさんと小室等さんが2曲ずつ歌ってくれましたが、、その歌とギターが非常心地よくて。たった4曲でもかなりの満足度高かったです。

私が凄いなと思ったのは、この「アカデミックシアター」にはリピターの人が結構いたことなんです。でもネットでリサーチすると、ゲストは違うものの、メインの講義のテーマは「浮世絵から見える母子像」という同じものなんですよ。私はこれを姉に誘われるまで知りませんでしたが、リサーチすると2008年に行った人の感想まで出てくるので、歴史は長かったのですね。

その内容にはナルホドと思う新鮮な感覚が多々ありました。興味のある方は次回などに是非ご参加ください。

行ってられないよという方は、「きたやまおさむアカデミックシアター~あの素晴らしい愛について~」で検索すると、意外と内容込みの感想が出てきますよ。

 

じゃあ、なぜ私は書かないのかというと、ネタばらしになってしまうからという北山修氏に配慮してという部分も数%はありますが、内容まで書き込むと他にもいろいろ配慮して、ちょっと時間がかかってしまうからです。そしてそれに対しての感想が実は結構あるからなんです。

ブログを書くことは私にとっては大好きな趣味の一つなのですが、今、自分の趣味に大きな時間を割くことは出来ない状況になって来ました。

この先他の記事に織り交ぜて書くこともあるかも知れませんが、今回は「行ったよ」という記録です。

 

「アカデミックシアター」のHP→

あっ、そうそう。コンサートじゃないからって、後ろで喋ってるおばさん、嫌だったなあ。
いたよね、授業中いつも喋ってる人。

 

 あの素晴らしい愛をもう一度 フォーククルセイダーズ

 

(私用メモ‥・世界一つまらないものを見ている母子・・・美しいもの以外を共有することについて・・・加藤和彦さんについて)


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その時、鳥肌がたった/ からっぽの世界(1974)

2012-07-27 09:46:54 | 思いつくまま

一つ前の記事、「私たちは「戦争を知らない子供たち」。そして大人になった・・・。」で、その曲のことを、大人になるに連れて甘っちょろく感じたなどと失礼な事を少々書いてしまいましたが、まあ、私は正直な人ということで許してください。
って、余計にダメか・・・

 

じゃあ、甘っちょろくない歌ってどんなんだよーと言われたら、私はやっぱりこの歌をあげます。

この歌が最初にラジオから流れてきた時、思わずゾーッとしました。
「怖い!」

私はそう思いました。

実はこの歌はその後、冒頭の歌詞の一節から、放送禁止歌になってしまいました。だから知らない若い人もたくさんいると思います。

ところが私、この冒頭の歌詞、最初から聞き間違えて、そしてその歌詞のまま信じていました。それはあることを示唆していて、流れ的におかしくなかったのです。放送禁止歌だと聞いて、最初は不思議に思ったものです。内容が過激だからかなとさらに勘違いするところでした。

どんなふうに勘違いしたのかというと

「僕、星になっちゃった。

僕、なんにも話すこと出来ない・・・」

と。

実は長い間、この勘違い歌詞のほうが好きでした。

しかし今この歌を聞きなおしてみると、その言葉ゆえに、ある日突然に言葉を奪われてしまった理不尽な悲しみが切々と伝わってくるのでした。この歌の真意がわかる聾唖の方が、この言葉で気分を害する方はいないと、私は思うのですが・・・

 

 

〈↓歌詞にあらず。〉

海に投げ出された私の体は
静かに静かに海の底に落ちていくのです
魂はとっくに境界を超えてしまいました

ふと目覚めて空を見上げると
煌く波の光は遥か天井にあり
その向こうを、まるで魚影の群れのように
戦闘機が海を渡って行くのです

あなたはそこにいるのですか
私はここにいますよ

静かに静かに海の底に落ちていくのです

泣いてみたいけれど
涙も枯れました

叫んでみたいけれど
声も出ません

誰が私を殺したんだろう
あなたが殺したのは誰なの

ああ、死にたくなかったな、
ああ、死になくないな

だけどもう、私は何も言えないのです

想いだけを繰り返しながら
海の底の静寂という音を
じっと耳を澄まして聴いているのです。

 

※ このジャックスというグループが歌っていたのですが、私はこちらの女性バージョンで聞くことが多かったのでこちらを貼っておきます。

 

 

 小林啓子 / からっぽの世界(1974)


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私たちは「戦争を知らない子供たち」。そして大人になった・・・。

2012-07-25 17:38:09 | 思いつくまま

一つ前の記事「その時、心がキリリと鳴った」で、

「ほんのちょっと先を生きている人たち、つまり今の視点で考えると大した歳の差はなかったのに、先に大人になっている人たち」と言う言葉を使いました。

この人達のことは、中学生の私には、本当に大人に見えました。

大人として尊敬もして傾倒もし、時には愛を感じていました。

吉田拓郎氏などはその一人ですが、この時代、もう一人、私が心から大切に思っていた人がいるのです。

その人の名は北山修。

私の彼への想い出はまた別の機会に話させていただくことにしますが、彼のエッセイなどには大いなる影響を受けました。

  ※      ※       ※

ある年の中学の文化祭、ラストは体育館でフィナーレを迎えたように記憶しています。その時実行委員だった生徒会の役員の人たちが、ある歌の歌詞を配りました。

それがこの「戦争を知らない子供たち」だったのです。

私はこの歌詞を読んで、ちょっと小さくですがドキドキしました。

学校でこの歌を歌っていいのだろうかと思ったのです。

でも先生たちはニコニコしています。うちの学校の先生は、生徒の自主性や自由な雰囲気を大切にしてくれるいい先生たちなんだなと思いました。

と、書いたら、何でこの歌詞でそんな風に思うのか、今の時代で思えば不思議な事だと思います。

でも、この歌は紛れもない反戦歌であり、また大人に対してへの若者側からの挑戦状のようなものだったと思うのです。

堂々と大人たちの前で大合唱をしていいものかと思ってしまったというわけです。でもそれはほんの数秒・・・

その時の生徒会の人たちは、私から言わせれば中学校の中ではシンクタンク集団で、加えて気骨のある人たちだったように思います。意思を持って、この歌をフィナーレ曲に選んだように思いました。

このように書き込んでも・・・

この歌のどこが若者からの挑戦状なんだと、やっぱり不思議に思われてしまうかも知れませんね。

かつては男性の髪の長さとか、早すぎる恋愛とか、はっきりと意見をいう人とか、
ほんっとうううに,いちいちいちいちいちいち、レッテルを貼られる時代だったのですよ。

と、分かりやすいように過激に書いておきました。

 

その時初めてこの歌を聞いた時に、良い歌だなあと思いました。

私たちは何回も歌い、盛り上がりも最高潮を向かえ、文化祭は終わりを迎えたように思います。

私的には素敵な思い出です。

 

ただ大人になるに連れて・・・、というか時代の変化とともに、なぜだか非常に甘っちょろい歌のようにも感じてしまったのも、実は本音です。歌謡曲っぽいというか・・・・。

「・・・」のだんだん多い文章になって来ましたが、まあ微妙にぼやかしたい気持ちの現われなのかも知れません。

だからこの歌を、私はあまり口ずさまなくなってしまったのだと思います。

 

だけど私は今思うのです。

あの時、体育館で配られた歌詞。生徒会の人たちが一節ずつ歌唱指導をしました。そして二回目にはみんなでもう大合唱が出来たのです。素晴らしいと思いませんか。

今、こんな時代だからこそ、このような歌が必要なんじゃないかなと。

 

馴染みやすいメロディと分かりやすい歌詞、誰もが歌える、だけど心がひとつになるような主張のある曲。

今、そんな歌があったら本当に良いですよね。

 

最後にこの歌の事を、歌謡曲っぽい甘っちょろい歌のように感じたなどと書いてしまいましたが、この記事のために何度もしみじみと聴き直しました。

>平和の歌を口ずさみながら

この一節を聴いた時、心がやっぱりざわついたのです。

―大人になって、本当に平和の歌を口ずさみながら、私たちは歩み続けたと言うのだろうか―

この「歩み続ける」と言うのは、難しいことなのかも知れません。

 

大人になって余計な知恵がついたり、生活に追われたり、事なかれ主義に走って利口そうに振舞ったりしてきたかもしれない。

そんな戒めの気持ちを、ちょっと思い出させてくれた古い歌なのでした。

この歌の作詞は、先の述べた北山修氏です。

 

―この歌を知らない若い人も、下に貼っておくので聴いてみてね。一回聴いたら歌えるよ~^^  ―

 

 

ジローズ 戦争を知らない子供たち

コメント (1)
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その時、心がキリリと鳴った。

2012-07-23 10:26:59 | 思いつくまま

 先日、友人宅を訪れた時、そのお友達がピアノを弾いてくれました。

ピアノの調べは美しく、心が洗い流されるような気がして大好きです。彼女が弾いてくれた曲は、「それでも、生きていく」と「平清盛」の中の挿入曲・・・そして「スカボロフェア」でした。

この「スカボロ・フェア」は私がリクエストしたものです。

なんというか、思いがけない至福の時間を得ることが出来ました。

 

気分よく家路に帰る時、思わず鼻歌などを歌ってしまいました。

昨日今日あたりは、結構涼しいと思うのですが、その前はかなりの夏日。燦々と降り注ぐ陽の光の下で、それでも自転車を走らせて起こしていく風は爽やかです。

「あーゆーごーいんぐ、すかぼろふぇあ♪

ぱせり、せーじ、ろーずまりー、あんどたいむ」

と、その時、私の心がキリリと鳴ったのです。

 

遠い昔、緑子が言いました。
「ねえ、それはドラッグの隠語なんだって。」

気の早い人は、早くも心の中で、「そんなの聞いたこと無いわ。」と思われた方もいるかも知れませんね。

でも少々、お待ちください。

そして、私の思い出話などにお付き合いしてくださればと思います。

言葉にはそれを言わせた背景が必ずあって、それを知ることが大切なのですね。この「背景を知る」ということは、このブログ内でも何度か取り上げたテーマですが、その中でもわかりやすく書いてあるので、一応リンクしておきます。
→「ディドリームビリーバー/母の日に」

緑子というのは、私のブログの中の登場人物の一人ですが、あまりにも久しぶりの登場なので、補足させて頂きますと中学時代のかけがえのない友人です。〈時々登場している彼女ですが、「緑子への手紙」などを読んで下さると彼女のことは分かると思います。〉

 いろいろ書くと、年齢がバレバレになるようなことばかりですが、今更という感じでもありますし、それよりも今は書いて行きたいと言う気持ちのほうが優っているので、そのいろいろの部分も含めて書いていこうと思います。

中学一年の時に「卒業」という映画を近所の二番館で観て、サイモンとガーファンクルを知りました。「卒業」のレコードも買いました。

卒業-オリジナル・サウンドトラック
Sony Music Direct
Sony Music Direct

 ちょっとびっくり。CDでサウンドトラックが蘇っているんですね。映画も名作だと思いますが、この映画は音楽があって成功をなし得たものといっても過言ではなかったと思います。その中でも歌われていた「スカボロ・フェア」。

そしてある日、その歌のことを話していたら、緑子がそう最初に書いたことを言ったのです。

「へえ、そうなの。」と私は言いました。そう言われれば何も反論などありません。

ハーブについてなど詳しくなかった中学生時代のことです。パセリぐらいは知っていましたが、セージもタイムも知らない昔です。隠語ではなく、そのままドラッグの名前と思ってしまったかも知れません。

ある日、何となくテレビをつけたら、来日していたオズモンド・ブラザースがテレビに出演し歌を歌っていました。
きっと緑子も見ているに違いないと、ぼんやり見ていました。すると彼らが、その美しい歌声でこの「スカボロフェア」を歌ったのでした。

その時、私の心がキリリと鳴ったのです。

そうです。

昔も今と同じ様に。

テレビの画面の下に訳詞が載りました。こういう歌だったのかとしみじみ思うのと同時に、胸に迫ってきたものがありました。

それは胸いっぱいの祈りの想いでした。

 

針も縫い目もないシャツを作っておくれ

波と浜辺の間に1エーカーの土地を見つけておくれ

そうすれば、私はかつて心から愛した人の所に帰れるのです。

静かな風が緑を揺らし、愛する人をそっと抱きしめて、傍らには幼子が眠る、そんな生活に帰れるのです。

 

過ぎてしまった過去は戻ることの出来ない遠い港。

かつてはそんな意味で生まれたかもしれないこの歌は、時代によっては違う意味を持って歌われたかも知れません。

私達が中学生の頃、「戦争」というのは、ちょっと昔にあった戦争のことを指すばかりではなく、その時現実に世界で起きていたベトナム戦争を思うことも多かったのです。

中学生だった私の周りでは、あまり意識されなかった時代の背景ですが、ほんのちょっと先を生きている人たち、つまり今の視点で考えると大した歳の差はなかったのに、先に大人になっている人たちには大きな影響力がありました。今の視点でと書きましたが、大人になってみると5歳から15歳ぐらいの歳の差なんかは、大した違いじゃないんですよね。だけど子供の頃は5歳違くても、それは大きな違いのように感じたものです。

 

日本は大戦に負けて敗戦国となりましたが、「戦後」という時代が始まりました。皮肉にも戦勝国アメリカは戦いの歴史を重ねていくことになり、自国の若者たちを戦場に送り続けなければならなかったのです。戦後という時代に生まれてきた私達。戦争は歴史で学ぶべき、または人の口を通じて学ぶべき過去の出来事になりました。だけれど大人になって知り合った異国の友人たちは、「明日、戦争に行くよ。」と言って去って行ったのです。

もちろん子供だった私の周りでは、そのような経験はありませんでしたが、それを私たちはちょっとだけ先に大人になった人たちの文章によって、そういう事を知っていたのでした。緑子の言葉だって、彼女が自分で考えるわけではなく、何かを読んで知っていた言葉だったと思います。だから、私には何の反論もないのです。

 

本来ならば、忍耐や愛、勇気を表していると言われているハーブたちですが、その時代には、そっと違う解釈が一部では存在していたのだと思います。

その解釈を知っていたからこそ、テレビの前でオズモンド・ブラザーズの歌を聴いた時に、胸が締め付けられたのでした。

ベトナムの地で、若者はドラッグの力を借りて、死の恐怖を薄めようとしていた・・・
もちろんこれも、私が勝手に作ったことではなくて、昔見た何かのドキュメントによるものです。
朦朧としている頭で、彼らが夢見たものは・・・・・

・・・・・

もちろん、今という時代には、その解釈はそぐわないと思います。

だけど

「パセリ、セージ、ローズマリー&タイム」

忍耐と愛の想い、そして勇気を持って「針を使わずにシャツを作り上げるような困難」に立ち向かってください、というような祈りの想いが、確かにそこには存在しているのではないかと思うのです。

 

 

 

 スカボロフェア(ケルティック・ウーマン)


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地球ゴージャスプロデュース公演 Vol.12 「海盗セブン」

2012-07-17 07:01:30 | 観劇・コンサート日記

地球ゴージャス、初体験。

wowowで14日の日に観ました。

オープニングの歌から迫力がありますが、なんか長い・・・・

って、始まってみたら、これ、ミュージカルじゃありませんか。

地球ゴージャスって 岸谷五朗 ・ 寺脇康文の主宰の劇団ですよね。まさか彼らが歌って踊るなんて思ってもみませんでした。なんたって薫ちゃん&秀吉ですからね。

だけど彼らの他に大地真央 三浦春馬 森公美子 施鐘泰(JONTE) 小野武彦 藤林美沙 原田薫など。

歌って当然という方もいらっしゃって、見応えがありました。

歌って踊るのかと驚いたのは、先に述べたお二人だけではなく、三浦春馬くんについてもそう。

やるなあ、彼。

ますます好きになってしまいました。

大地さんは素敵な人ですねえ。

彼女が宝塚の時に、かなりのファンの人を知っていましたが、分かるような気がします。

森さんの歌も聞けて、なんか嬉しかったです。

 

3.11以降、表現者または表現できる場所を持っている人たちは、何らかの想いを発信しようとしていると思いました。「新感線」の「シレンとラギ」もそうでしたが、この「海盗セブン」のお話にも、それが盛り込まれていると思いました。しみじみと思い返すと、なかなか奥が深いのです。

でもそれはしみじみと思い返すと・・・・
と言う条件付き。

歌と踊りの舞台から元気発信。それはダイレクトに伝わって来ました。

だけど・・・

物語の展開からは、それが分かりづらいと思いました。
初めての「地球ゴージャス」の作品です。故に思ってしまったことを、正直に書かせていただいています。だけどこの感想は、先日「新感線」のドキュメンタリーを見た影響からなのかもしれません。

何を思ったのかというと、岸谷さんは抱え込みすぎてるんじゃないかなということです。作って演出もして、そして出演もしてしまう。

でもこれって、非常に良いこともあって、舞台で暴走するアドリブもシメられし、ささやかなミスもアドリブでカバーしやすいですよね。しかもそれが観客にも分かって、逆に舞台と一体化して凄く楽しいのです。

それでも抱え込みすぎているからじゃないかと思ってしまったのは、物語の部分が、タイトルがカッコいい割には、うーむという所。感動部分も浅い・・・ような。シナリオ補助を・・・ムニャムニャ・・・・

まあ、これはあくまでも私個人の感想ですし、トータル的にケチを付けてるわけではありませんので、あしからず。

ミュージカルなんかそんな物よと言われれば、そうなのかなとも思うのですが、なんたってこれだけのメンバーなので勿体ないなと思ってしまったのです。

私的には父と子の確執とその終わりをもっと踏み込んで描いて欲しかったと思いました。

おっとと、普通にネタバレの感想を続けて書いてしまいました。これから何かの機会に見る方もいらっしゃるかもしれないので、先にまとめさせていただくと、地球ゴージャスの舞台は、その劇団名と同じくゴージャスな舞台でした。しかもその舞台から伝わってきたのは「優しさ」でした。

お芝居の後に、観客に直接挨拶をする岸谷さん。チケット代の一部は東北の震災支援に寄付されたのだそうです。そしてカーテンが降りていく最後まで「ありがとう」を言い続ける三浦くん。凄くほんわかした気持ちになりました。

 

以下は途中で入れたかったネタバレ感想です。

 

親に愛されなかった子供。
それでも子供は、その親に「良くやったね、お前はすごいね。」とずっと褒められたいと思っていたのです。
その父が、「お前はやはり俺の子だ。凄いな、良くやったな。」
と言ったのは自分が助かりたいがゆえの懇願のセリフ。

欲しかった言葉はあまりにも悲しい言葉でもありました。

また

マンホールチルドレンゆえに響き渡る地下で歌い、そして歌が上手くなった双子の姉妹。
幼くして父をなくし、形見だったアコーディオン。寂しくてずっとそれを弾いてきた青年。でもそれで手先が器用になって盗みの達人にもなった・・・・。

逆境が別のパワーを育てたのです。

妻に去られた男は、一枚の派手なアロハシャツを拒み、自分を変えるチャンスを失っていました。もう逃げないと決めた男は、そのシャツを着ることに。

自分を変えるきっかけは、本当にささやかなことから始まるのですよね。

「子供たちの悲しみを盗むのだ。」
その趣旨に賛同して、みんなはひとつになりました。
たとえ言葉巧みなことを言い、前で旗を振る人が利権のみの強欲な人であっても、次に続く人達の心が真実ならば、そこには大きな力が生じると思います。

今の日本は正義の顔をしながら、こういう人がアチラコチラに紛れていて複雑にしてしまっていると思います。

ダメなものはダメ。
当たり前のことを言うと「経済というものが分かってらっしゃらない。」などと、まるで言った人を見下すような言い方をする人が実際にいるんですよね。

いろいろなメッセージが含まれていました。

・・・・・・・

良い舞台が続いていけば、様々なジャンルの天才たちが吸い寄せられるように参加してくるんですよね。地球ゴージャスもいつかそういう劇団になったら素敵だなと思いました。

さわやかな舞台でした。

 

 


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BSアーカイブス ハイビジョン特集「劇団☆新感線 三十年の疾走」

2012-07-15 09:13:34 | テレビ・ラジオ


10日、BSプレミアムで「劇団☆新感線 三十年の疾走」という番組を見ました。

番組の内容は、Yahoo テレビさんからお借りしますと


「人気劇団「劇団☆新感線」のベールにつつまれてきた舞台裏に、初めて本格的にテレビカメラが入った。「面白い」ことを、とことん追求するエネルギーの秘密に迫る。

番組内容

チケットの入手が困難な屈指の人気 劇団「劇団☆新感線」が、30周年を迎えた。これまで、半ばベールにつつまれてきた舞台裏に、初めて本格的にテレビカメラが入った。主宰・演出の、いのう えひでのりの強烈な個性の下、古田新太、橋本じゅんら実力ある個性派役者たちが、破天荒な演劇ワールドを繰り広げる。「面白い」ことを、とことん追求する エネルギーは、どこから来るのか。劇団の軌跡を振り返り、人気の秘密に迫る。」

というもの。

語りは北村有起哉で見応え充分でした。

インタビューも「薔薇とサムライ」の天海さんや「蛮幽鬼」の上川さんのまで入る豪華版という感じです。

ただ、小栗くんや藤原くんのインタはナシ。

だって、この番組は、2010年11月12日の放送されたものの再放送だったのですもの。

メイン映像には「鋼鉄番長」からの練習風景、キャストのインタビューが多数盛り込まれていました。そのチラシ、よく覚えていますよ。劇場に足を運ぶとたくさんのチラシをいただけますが、「新感線」なので抜いておいたのです。と言っても、行くという選択はしなかったのですが・・・・

ふと2010年11月12日、私は何をしていたのかなと思いました。

ああ、私はブログでは奈良旅行記を書いていた頃、その日は金曜日だったのでこの番組を夫と二人で見る事は困難であったかもしれないと思いました。

彼は演劇にまったく興味が無いので、少々遠慮してしまいます。

だから、今回、この番組を見ることが出来て、ささやかな至福の時を得たようなものです〈ちょっと、大げさ〉

でも、確かに大げさなようですが、演劇好きには、そして新感線ファンにはたまらない映像の連続でした。

 

私と新感線はゲキ×シネで「五右衛門ロック」からのお付き合いなので、そう歴史が長いわけではありません。その時圧倒された殺陣のスピードと音楽とダンス。シリアスと笑い、映像の取り入れ方、みんないのうえさんが拘ってるものだったのですね。研ぎ師が傍で研ぎまくりながら剣を振り回すという伝説の殺陣と言われている「髑髏城の七人」とか、映像を斬新に取り入れた例としてあげられた「メタルマクベス」とかも見たくなってしまいました。ゲキ×シネでもやった作品、もう一回上演して欲しいです。

それからいつもタイトルの出方が素敵だなと思っていたのですが、いのうえさんが好きなんですね、ああいうの。

 

印象に残ったのは新感線の立ち上げのきっかけが、一緒に立ち上げた方の失恋だったこと。

マイナスの出来事がきっかけになって、プラスの大きなエネルギーを出す・・・・
大切なことだなあと思うのですよ。

 

本当は青山高校の学生やかつて劇団員だった筧さんや客演で出演した人たちのインタビューなども載せたかったのですが、細かいレポになってしまうので、諦めました。そこが知りたかったんじゃんと思われた方、すみません。
近頃、あまり更新していませんが、書きたいことが溜まってきましたので少々の手抜きです。

小さな劇団に歴史があって、今ではいろいろな一流の人が寄ってきて更に素敵な舞台を作っていってるのですね。
シナリオをいのうえさんに送ってきたという中島かずきさんとの出会いのエピソードも素敵でした。

 

 

今年のゲキ×シネ情報、まだ出ていないんですよね。この番組を見ていたら、それも楽しみになってきました。

また少々の手抜きとか書きましたが、何も読むべきものがなかったと思われたら悲しいので、
次の記事をリンクしておきますね。その中に未来の新感線の方向が書かれているかも知れません。

出会った☆新感線「シレンとラギ」主演 藤原竜也 〈朝日新聞デジタル〉

 

 

 

 

 


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レースのカーテンに~♪

2012-07-10 06:37:45 | success summer

実は、うちのもも吉、結構可愛いのです。

だけど写真に写すといつもこんな顔。

コマーシャルに使われる猫とそうでない猫の違いは、オメメぱっちりかそうでないかの違いなんじゃないかと思います。もも吉だって、オメメパッチリの時があるんですよ。焼き豚なんかを薄くスライスして上げた時なんか
「にゃに、これ、うまいにゃ」って、目がまん丸に。

でも基本的に豚肉さんはあげないことにしてるので、オメメまん丸はめったにないかな。

そのもも吉の平穏な生活を破って、逆にワクワクさせるのはママ吉の大掃除的お片づけの時。

いろんなモノが部屋に散乱しだすと、もも吉にとってはお祭りが始まったようなもの。アッチをウロウロ、こっちをウロウロ。猫の変化のない生活に一気に訪れる微妙な変化。

「ママちゃん、今日は何をするの。やけに明るいんですけれど。」

 

カーテンを外しました。洗濯&窓拭きです。

〈夏の暮らしを楽しむ、その2〉

―レースのカーテンを新しくする―

いや、別に毎年は新しくなんか、そんな勿体ないことしませんよ。いつもは念入りに洗うだけ。洗って元のように吊るしておけばすぐに乾いちゃうし、カーテンは夏洗うべしですね。それに真っ白なカーテンが風に揺れるのって気持ちが良いですし涼しげです。

でも今年は買いました。
なぜなら・・・

切れていたからです。

劣化して、頻繁に持つところが三箇所スッースッーっと縦に。

破れたカーテンとその前のキャットタワー・・・
どう見ても猫の仕業にしか見えない構図。

 「ニャンだと」

いやいやいや、君のせいではないよ、知ってるよ。

もも吉がカーテンにぶら下がったなんて記憶は無いですよ。これは開け閉めで切れたんです。

買ったばかりのように感じていたこのカーテンも、既に5年ぐらいは使っていたのかしら。カーテンなどは、もっと長く使えると思うのですが、まあ、お安かったのでこんなものかと。

しかしカーテンの劣化で、月日の流れを感じるとは思ってもみないことでした。

 

それはともかくとして、上にも書いたようにカーテンは外して洗濯し、窓も拭き掃除をしました。窓の桟などを拭きながら、こういうところはもっと頻繁に拭かなくちゃなどと反省もしてみたりもしました。

という訳で、新しいカーテンを吊るしてみました。
やっぱり白いカーテンは良いですね。

 

 

レ~スのカーテンに、あ☓☓の影が・・・♪

そうそうあの歌、好きだったな。
あっ、今日一日はその歌を口ずさみたい気分。

正しい歌詞はこんな所で確認できますよ→うたまっぷ

 


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睡蓮鉢でめだかを飼う

2012-07-09 06:02:24 | success summer

以前から、ベランダに睡蓮鉢を置いてみたかったのです。

でもそうするとボウフラとかワイちゃうかもっていう心配が。

だからめだかもセットで飼いたいなと思っていました。

だけど昨年まで、夫殿に反対されていたのです。

うちのベランダ、異常に暑いんです。と言ってもベランダが暑さで熱くなるのって、別にうちだけじゃないですよね。うちはベランダの花たち、冬越えより夏を乗り切ることのほうが難しいくらいです。

だけど、小学生のテキストを読んで知ったのですが、めだかは環境に凄く強いんですよね。温度の上昇や水が少なくなっても、それに対応して生き続けるのだそうです。

いけるかも・・・。

という訳で、我が家に睡蓮鉢とめだかがやって来ました。

 

 

なんか、同じ様な画像ばかりになってしまいました。餌を撒けば良かったのですね。

次回に期待してください・・・なんちゃって。

白めだかばかり写っていますが、白と赤5匹づつ入っているのですよ。白と赤って、まるで源平みたい。喧嘩しないでねと思っていますが、時々追いかけっこしています。

朝、目が覚めて、睡蓮鉢の中のめだかを見ると、なぜだか心が和みます。
涼し気なのも良いですよね。

思わず
「卵を生んだらどうしよう。」などと先のことを心配してしまいました。

あのバケツを洗っておいて‥・・とか考えていたら、夫殿が

「睡蓮鉢は涼しげだから、もう一個買ってもいいな。」などと申します。

という訳で、

二個目~・・・。

でも中に入っているのは卵が産み付けられた時にチェンジするためのホテイアオイです。

 

 

 

ラッタ青年、二個目を見て

「何で!!」

うちら夫婦、顔を見合わせて
「だってねえ」

まあ、用意周到といえばそうだし、気が早いと言われればズバリそうなのです。

でも、水のある暮らし、やっぱり良いものですね。

 


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success summer 2012

2012-07-08 10:28:02 | success summer

夏という季節が好きです。

夏は、「暑い」「ダルい」しか言わないような毎日を過ごしているようだけれど、その暑さは、自分の中の何かを燃やすのです。これはきっと、楽しくて自由だった夏休みの思い出の刷り込みが、私をそう思わせるに違いないと推理しています。

もしそうならば、夏が好きなのは私にとって都合の良い錯覚なのかも知れません。

でもその錯覚が、夏になると毎年計画や目標を立てたりしたくなるのです。

それはフルタイムで働いて、お盆休みしかなかった頃もそうでした。今などはお仕事をしていますと言っても、時間的にはアルバイトみたいなものですから、「毎日が夏休み」みたいなものなのですね。そんな毎日なのですからなおさらですね。

だからと言って、今のところ大きな計画は何もありません。お出かけもコンサートがひとつ、お芝居が一つ入っているだけ。「だけ」と言っても、今の私にはそれで目一杯かも知れませんし。目標も具体的には未だ立っていません。これからなのですが、夏のコピーだけは決まっているのです。タイトルの「success summer」と言うのがソレですが、これは実は毎年同じです。

いつもは夏専用のノートを作ってそのタイトルに、そのコピーを書き込むのですが、主に仕事の予定表や1行日記に使っていました。何を持ってサクセスなのかは定かではありませんが、多分、それは己の心の満足という部分によるものだと思うのです。だから夏が終わっても、その夏を総括するでもなく、サクセスだったか否かと判断するわけでもなく、反省もしない・・・

それでも夏のはじめにノートの表紙に「success summer」と書き込んでは、通常よりも忙しい夏を乗り切ってきたように思います。

今年は出来るだけ「通常より忙しい」などという事は無いようにしたいと思っています。

そんなわけで心が萌える夏がやって来ました。

具体的な目標はこれからとか来ましたが、曖昧な目標は決まっています。

先日、自転車に乗って美容院に出かけました。見慣れた近所の風景も夏景色。濃くなっていく緑や煌く畑が美しい。見慣れた近所の風景をいつも美しいと思うことが出来る、それはとっても幸せな事だと私は思います。

だけど・・・・。

「ああ、美しいなあ」と思いながら、心の奥底では、何かが悲しいのです。

この美しさは幻だとも感じてしまう切なさが、そこにはあるからです。

昨年の3月、あの時から日本は少し悲しい国になってしまったと思います。

「ああ、どうして・・・」とも思うけれど、嘆いてばかりも要られません。

政治的なことも原発のことにも、あまり触れないからといって何も思っていないわけではありません。思っていても書ききれないので(能力的に)手を出さないのです。

この美しさは幻のように感じても、決して本当の幻ではないのです。この美しさを大切にして「今」という時をしっかり生きようと、いや、生きなければならないと思いました。

傍から見れば、何も考えずに暢気そうに暮らしているように見えても、それは信念を持ってそうすると言う生き方も大切なような気がしたのです。

 

この夏の曖昧な私の目標は、「夏の暮らしを楽しむ」です。
なんたって主婦ですから。
家事なんか、もう何年もやっていて少々飽き飽きしています。でも家事こそが定年のない逃れられないお仕事。ならば気持切り替えて、楽しまなくちゃねとも思ったのでした。

 

という訳で、今年の夏が過ぎた頃、私の心の満足度は如何に・・・・

滞りがちになってしまった、このブログですが、これからは夏の暮らしのささやかな出来事を、出来るだけマメに更新していきたいと思います。


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