森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ほんのちょっとの心の刺激

2018-11-11 03:24:52 | 梢は歌う(日記)

「今週は、いろいろあってとうとう図書館に行けなかったから、今日行ってくる。」

と、10月21日の日曜日に私が言うと、夫殿が

「ルートに連れて行ってもらえ。」と、彼にはノーと言う権利などないように言いました。

 

自分の都合の事で誰かに迷惑をかけると言うのもなんだかなと思ったけれど、ちょっと閃いた事もあったので、

「おやつ付きです。連れて行ってください。」と頼む事にしました。

 

彼は結構優しい人なので、ましておやつ付きとなれば「ノー」などと言うわけがありません。

まあ、おやつはどうか知らない事ですが・・・(笑)

 

それに最近ルート君と二人で出掛けていないので、私的にもちょっと嬉しいかも。ルート君にしたって、毎日の仕事がハードなので、お休みの日は引きこもりゲームオタクです。それはそれで楽しいのかも知れませんが、何か一つでも「おお」とか「へえ」とか「何 !?」と言うものが、一日のうちであればいいのになと思うのです。私にも彼にもです。

 

で、3時のおやつくらいの時間に図書館に連れて行ってもらいました。

そして出掛ける前に、パッパッとネットで検索しました。以前、知人に運河駅周辺のお店を薦められたので調べてみたのでした。

だけどパッパッと調べ過ぎました。

行ってみた所はその方のお勧めの場所ではありませんでした。

しかもです。ネットに出ていたのとは違っていて、たどり着いたらお休みだったのです。

 

しかしお休みでも、思わず写真を撮りました。

ルート君も私も。

だってこんなカフェだったのですよ。

「私、あそこでお茶を飲んだら豚さんになってしまうかも。」

こんなことを唐突に言っても、何気に意味が通じるところは家族だからかもしれません。

もちろん、「すでに今もブタではないのか。」と言うツッコミもなかったので良かった ^^

ラッタさんでは危ないかもです。

 

豚さんになってしまう・・・・・。

 

だって

 

 

こんな入口があるのですよ。

異世界での飲食は危険と言うものでしょう。

 

映写会とかやるのかなー。

 

 

 

 

 

このカフェの話には続きがあるのです。実は数日後にまた一人で行ってみたからです。

その続きは→「一日を旅する」

↑ まだリンクしていません。未来に書く予定の記事名です。タイトルは既に決まっているのです。

 

 

その後結局、私たちは近所のドトール珈琲に行って、モンブランケーキと珈琲で遅めのおやつタイムを頂きました。

 

で、その時私たちが話していたのは持統天皇についてです。

「今、私がはまっているのは、実は漫画でね、持統天皇の物語なのよ。持統天皇って知ってる ?」

「天皇名・…厳しいな・・・・」

「ほら『春過ぎて、夏来たるらし・・・』の人よ。」

「歌はもっと厳しい・・・・。」

学校でもこれは習ったのじゃないかと言いたかったけれど、教科書が薄っぺらのゆとり世代は、そこさえも省略されっちゃったかも・・・・などと思っていたら、その時すぐ隣に、以前住んでいた町の近所の方が座りました。

思わず「わぁ」と声をあげて、思わぬ再会を喜び合いました。

あっ、いや、「喜び合った」かは不明ですが、私は嬉しかったです。

ちょっとどうしているかなと思っていたからです。

 

「ゴメンね。息子さんとのデートを邪魔しちゃって。大事な話とかしていたのでしょう。」などと言われましたが、

「ううん、別に大した話なんかしていないから大丈夫よ。」

(持統天皇の話ですから。)

でもその時彼女が短い時間で話したことは、ルート君の同級生の息子君が、高円寺で独立してお店を開いたと言う事だったのです。

若いのに凄いなと思い、また応援もしたくなってしまいました。

で、この話も→「高円寺に行ってみた。」

に続くのです。これもまたリンクはしていません。未来に書く記事の予告です。

 

物事は単体では存在しない。それは良くこのブログの中で言っている事ですが、今日と言う日が明日の自分の生活を作っていくのだと思います。

それは、行動のみではないですね。今日の勉強が明日の自分の未来を拓く。

あああ、それで言うと、今日の夜更かしが明日の私の健康を・・・・・・・

 

などと言っていないで、サッサと寝る事にしましょう。

ぐ・ない

 

 

 

 

 

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楽しいハロウィーン♪

2018-11-01 00:59:51 | 梢は歌う(日記)
 
ちょっと早めのハロウィーン♪
自宅での仕事を「>」のように自然消滅するまでと縮小させてきました。それで10数年続けてきた自宅でのハロウィーンイベントも無くなって、とうとう昨年は飾付すらしませんでした。そ......
 

上の囲みは昨年の10月23日に投稿したものです。

なんで『ハロウィーン』の記事なのに、そんなに早かったのかと言うと、もう小学生が来なくなった我が家では、ハロウィーンイベントはやらなくなっていたのですが、子供会の子供たちが回ってくると言うので、その日の朝に今までやらなかった外に飾付をして、子供たちを迎えたと言う記事を書いたのです。

今年もやりました !

もう自治会の役員も終わったので、本当はスルーしようかなと思っていたのです。飾付なども面倒くさい事ですし。

だけど「いいかしら?」と聞かれると、「ノー」と言う理由も見つからず、「はいはい」と言う事になりました。

で、今年は、14日の日曜日に彼らはやって来たのです。

 

この日は朝から義母と映画に行く日だったので、回ってくる順番は遅い方にしてもらいました。

朝一番に夫と買い物に行き、その後、映画。そして帰って来てから飾付です。

毎回毎回綱渡りのような事をしている私です。

本当は飾付なんかだってしなくても良いのですよ。自分が仮装なんかしなくたって良いのですよ。

でもやるんだな、私。

ほんのちょっとの時間でも、楽しい方が良いに違いありませんから。

 

それで今年の飾付は、

 持っているものが同じなので、そうそうは昨年と変わらないのですが、魔女の箒なども出しておきました。

それに今年は玄関にコリウスさんがいるのですが、このコリウス、なんかビオランテみたいになっちゃって、でもそれがこのイベントにはぴったりだったと思うのです。

 

 

ドア

 

 

 玄関先で、サヨナラなので、まあ雰囲気は味わってくれたと思います。

なんたって、私自身が時間が無いとか言いながら、しっかり着替えて、さらに魔女の帽子にも花なんかをつけてしまい、楽しんでしまいましたね。

 

 

やって来た子供たちには、あらかじめ子供会から預かっていたお菓子と自分が用意しておいたお菓子をあげて、ワイワイとほんのひと時であっても楽しい時間を持てました。

 

上の囲みを開くと、もちろん昨年の記事に飛ぶのですが、さらにまた昨年の記事とリンクしていて、さらにまた飛ぶと、2006年からのハロウィーン記事の目次になっている記事があります。別にお読みくださいと言っているのではありません。それほど面白い記事だと言う自信もありませんので。

要するに、ハロウィーンは毎年楽しませてもらってきたのです。楽しいイベントです。うちの方が川崎よりも企画は早いわと言いながらも、いつか川崎の仮装のパレードは観に行きたいものです。(そう言えば、バレンタインも誰もやらない時からやっていた早熟の、イヤ、企画力がある中学生だったと思う。その能力が他で花開いていたらナぁ。ううん。きっと細々と何かの役に立っていたな。)←独り言

今年は「地味ハロウィーン」と言う仮装コンテストもあって、ツイッターに流れてくる皆さんのアイデアのある仮装に笑ってしまいました。

 

じゃあ渋谷は・…って、あれは『ハロウィーン』なんかじゃないですよ。あの件に関しては本当に知恵を絞ってみんなで考えた方が良いですよね。

無法地帯になってしまって、通りすがりの痴漢行為、盗撮、喧嘩と何でもありみたいになってしまっていたじゃないですか。車横転の映像が何度も流れましたが、「まあ、ひどいわ。」じゃ済みませんよね。

それに翌日のゴミの山。

「みんながやるから、私も」と言う考え方は、雑魚が考える発想法ですよ。

自分の人生の主役は自分。美しくてカッコいいヒロイン、ヒーローになりたくないのですか。

― 自分の人生の物語でも雑魚。カッコ悪い、馬鹿だな。

もう終わってしまったけれど、来年、もし同じように渋谷に、またほかの街にこのイベントにかこつけて出かけようとするのなら、一番最初のゴミ袋持参のカッコいいゾンビさんになってもらいたいものだと思います。

あっ、なんか怒りモードになってしまった・・・・。

だけど本当に危ないじゃないですか。今日…ってもう昨日になってしまいましたが、火事が起きて早い時間だったから、まだ消防車もギリギリに通ったくらいで、時間が遅かったら、本当に大惨事が起きて、巻き込まれた人もいたかもしれません。

多くの人がやって来ても、街のお店はいつも以上に潤うどころか閑古鳥が鳴く始末なんですってね。

街も綺麗で尚且つ潤って、そして誰もが笑っていられる、そんな渋谷のハロウィーンになれば良いですね。(浦安のねずみさんのおうちあたりにそのヒントはないだろうか。)

 

 

だけどこの季節、本当にちょこっとケーキの上に、お化けを一個飾るだけで、ハロウィーンケーキになるから不思議です。

 

そして今日(本当は昨日)、私は南瓜サラダを久しぶりに作りました。

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そして私たちは、

2018-10-12 02:55:56 | 梢は歌う(日記)

10月10日水曜日、9月の終わりに勝手に考えていた10月の予定では、星子さんと二人で愛子さんの家に行くつもりだった日。

だけど愛子さんはもう居ない。

それで私たちは二人でちょっとお出掛けをしてきた。なんだかんだと言って、私は星子さんに会いたかったのだ、きっと。

 

行った先の植物園では、メタセコイヤの木が、まだまだ青々としていた。

私はしみじみとその木を見る。振り向くと星子さんが泣いている。

昨年の12月には、水元公園で美しいメタセコイヤの森ではしゃいでいたと言うのに、誰がその時今年の12月にはいないなんて思った?

 

お出掛けの帰りに、ちょっと予定時間オーバーだったので、手抜きで

「焼き鳥を買ってちゃおうかな。」と私が言うと、星子さんがまた涙ぐむ。

ここで泣くのかと思ったけれど、何でとは思わない。彼女の涙で一瞬に、「あの時」と言う時間が蘇えるからだ。

同じような事があった。

ワイワイと

「私は焼き鳥。」「私はてんぷらにしちゃおう。」

買ったら、そこに集合ね・・・・・。

 

延々と続くように思っていた楽しかった時間は、そっと終わっていく。そんな事を、人生の下り道を歩いている者は、心のどこかに留めておくべきなのかも知れない。

だからこそ、今この時を大切にしようと深く思うべきなのだ。

「いろいろと学ばなければならないね。」と姉が言った。

「それがお友達が残してくれたものだから。」と。

 

そしてまた私は忘れない。ほんの少しだけ他の人よりあった出来事を忘れないと言う能力に長けている。

それは老いたり病気になったりしたら分からない事で、この先もという確約はない事だけれど。

もちろんすべてを覚えているわけではなく、切り取った一瞬を忘れないのだと思う。

 

愛子さんの葬儀は家族葬で、そこに私たち二人は参加させていただいた。

しっとりとした良いお葬儀だったと思う。

出棺の時の物悲しいクラクションの音が鳴ると、普通のマナーでは合掌して礼をし見送るのだと思うのだが、それが私たち二人だけなのだから、自分らしくしたいと思うのは責められることではないと思う。

お車が出ていく時、私たちは大きく手を振って

「バイバイ、またね~ !!!」と言った。

そして

「30年後にまた会おうね~!」と言うと、

星子さんが

「えっ、30年後なの ? 」と言ったので、

「じゃあ、35年後に訂正。またね~、バイバイ~」

と、車が見えなくなるまで手を振り続けたのだった。

 

考えてみると、35年後もそうだが30年後にしたって相当長生きになるわけで、星子さんは「そんなに長いの」と言う意味で言ったのだろうかと後から思ったりもしたものだ。だけどそんな事はどうだっていい事なんだ。誰もがその未来の約束だけは、不確かなものなのだから。

 

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真夜中の風の音

2018-10-01 02:44:16 | 梢は歌う(日記)

 

昨日、まだ全然雨も降っていない時に私がした事は、ベランダのお片づけ。

夫の病気&新しいやんちゃ猫などの理由によって、ベランダでメダカを買う事は止めたのです。その後始末が中途半端になっていたり、私が諸々とそれどころではなかったりで、今が一番「エライコッチャ」状態。

だけど夫殿が、

「今回の台風は、もう半端が無いらしい。ちょっと片づけないとまずいな。」と言うので、それはいい機会だと思ってやりました。

 

早く寝ることを目標にしようと思っている私ですが、今日は、風の音が怖くて寝る事が出来ないのです。煩くてではなくて、怖いのです。

そして起きていると、お片づけの一部は失敗したことが分かりました。

コリウスの鉢をラックから降ろして大きな鉢の後ろに置いたのですが、この風の強さでは大きな鉢が風よけにならずにぶっ飛びました。そして・…って、いちいち実況するわけではないのですが、風でマンションの室内が揺れるって、今までなかったものですから、「怖いなあ」って本当に思っているのです。

だいたい密閉性が高いのがマンションの特徴だと思うのですが、横殴りの雨が窓の内側のサッシの部分に溜まっていくのって、初めて見たような気がするのです。

 

おっと、こんなことを書いて気を紛らわしていたら、ちょっと静かになったような気が・・・

ああ、気のせいか。

 

まあ、ワタクシって、本当にビビりですわよね。

 

で、いつまでもビビりの事を書いていても仕方がないので、私の放置ベランダの密かな楽しみ、楽しみだったと書くべきでしょうかをお見せしますね。

私は本物のガーデナーではないので、季節ごとに容赦なく花を管理するなんて出来ないのです。雑草さえ花が咲くとプランターを明け渡してしまう人。夫もそう言う所があって、立派な雑草など、むしろ育ててしまう人なんですね。

で、毎年買う葉ボタン。あれもすくすくと春には高く背を伸ばし花を咲かせてしまうのですが、

これ、これも確か、葉牡丹だったはず・・・。

 

触ったら抜けちゃうかなと思ったら、やっぱり抜けました。でもほら下の方にちゃんと新しい芽が育っていたのですよ。だから、上の方は切って植え替えました。で、切った方からも根が出ないかと、今ちょっと水に着けてます。

って言うか、葉牡丹って多年草だったのかしら。

後で検索してみよう・・・。

 

ベランダはいつだってワンダーワールドです。

さあ、こんなことを書いていたら気持ちも落ち着いてきたので寝る事にします。

 

明日は野分のお片づけですね。

頑張ります。

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平成最後の夏の終わりに

2018-09-16 03:16:25 | 梢は歌う(日記)

子供が教えてくれたのですが、今は何でも「平成最後の」と冠を付けるのが流行りだそうですね。

確かに何も間違えていないわけで、「平成最後の夏」が来れば、「平成最後の夏」も終わる・・・・。

そして今は「平成最後の9月の日々」と言うわけなのですが、

なんだか趣深く感じるから不思議ですね。

 

私は、平成最後の夏の終わりに、ルート君に内緒で自転車を買いました。ずっと考えて買った割には、なんだか失敗したかもしれない感がちょっとしてしまいます。その話はまた今度聞いてくださいね。

今、私は自分がちょっと嫌いかも。

そう言う時は、いつもポジティブ全開の発想の人である私も、少々気弱になっている…って、そうでもないです。そう言う時私はヤケッパチになるタイプ。

ヤケッパチになっている私は少々怖いもの知らずです。分別臭さを投げ打って、ストレートな言葉で会話した結果が良い方向に進んだバイト先での出来事があったり、またずっと止めたかった、とあるボランティアをやっと「止める」と言えたりしたのです。

 

時間の使い方が、どんどん下手になってしまったのは、やはり休憩時間が多いからだと思います。

あまり体調がすぐれません。

だったら早く寝ろと言う所ですね。

分かっているけれど、長年着いてしまった習慣は、なかなかチェンジ出来ないのです。

 

PC時間を止めると言うのも、一つの考え方だと思うのですが、この開かれている窓は、私にとっては大事な窓だと思っています。

しばらくは更新ゆっくり目と、短い文章のみで記事を作って行こうと思います。

 

 平成最後の朝顔とヒマワリ。

ベランダで出来なかった事を、マンションのサークルで手に入れたようなものです。だけど努力したのは別の方々 ?

 

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9月11日、火曜日。

2018-09-11 23:55:58 | 梢は歌う(日記)
 
9月11日、月曜日。
 9月11日、日曜日。 9月11日、金曜日。 9月11日、木曜日。最近、自分の中の老いと向き合わなければならないこともあり、今日という日の朝のバタバタもあり、ためて......
 

 上の囲みは、昨年の9月11日に投稿したものです。そこを開くと2014年から続くツリーになっています。

 

昨日の事ですが、中学生のテキストに終わったと言う印として日付を入れようとして、

「今日は何日だったかしら。」と、私は言いました。

(家にやって来る子供の勉強のお手伝いをしています。この家での仕事も今年が最後かもしれません。)

「何日だったかしら。」などと聞くのは情けない事にいつもの事です。それだけボーっと生きているのです。

聞いて、たいがい誰かに答えられる前に、自分で気が付くのですが、

「あっ、シマッタ。9月10日じゃないか~、今日は !!」と私が言うと、中学生の少年は不思議そうな顔をして私を見ました。

「だって昨日は9月9日で『重陽の節句』だったのよ。」と私が言うと、更に少年は首を傾げ

「なんですか、それは ? 」と言いました。

子供と言うものは、誰かが教えてあげなければ、知らないことがいっぱいの可愛い生き物なのです。

だけど知らないことがいっぱいというのは、何も子供に限った事ではなくて

知らないと言う事に出会った時が、「知る喜び」を得るチャンスなのですよね。

 

時々スマホさんに活躍してもらいますが、実は我が家には子供が大好きな秘蔵の本があるのです。

実はこれ ↓  いろんなことが載っていて、開くとテンションが上がります。

 

新世紀ビジュアル大辞典
金田一 春彦,石毛 直道
学習研究社

だけどこの辞典は子供が勝手に読んでいて、万が一足にでも落としたら、ちょっと大変な事が起きないとは言えない重さなんです。だから、小学生が読むのは許可制でした。逆に中学生になると読んでいる暇もないので、それで調べてと言うと、だいたいニコニコしながら調べると言う事になっているのです。

「五節句」で話が盛り上がった後、

「あーあ、今年最後の節句を意識せずにやり過ごしちゃったな。」と私が言うと、少年は言いました。

「大丈夫ですよ、後は11月11日、ポッキーの日を楽しめばいいんですよ。」

「・・・・ !! だよねぇ~。」と言って笑いあったのでした。

 

意識しないと忘れてしまう事って、たくさんありますよね。

 

「シマッタ、今日は9月10日じゃない ?!」と言った時、私は「重陽の節句」と同時に忘れていたものを意識しました。

また1日過ぎたらやって来る、「9.11」と言う日の事を。

 

だけどもういろいろな事があって、異国で起きたあの恐ろしい出来事のあのシーンを記憶の底に徐々に沈めてもいいのではないかと、ふと私は思っていたのかも知れません。

いろいろと積み重ねられていく人生の思い出。その中にはむしろ忘れたい事もあるような気がするからなのです。

忘れてしまいたいのに忘れられなくて、そしてずっと何年も苦しんでいる私。

 

自分の事で精一杯。

 

もういいや。

むしろそう思いたいのでは。

 

多くの人がそうであるように。

 

なぜ、そんな風に「多くの人」も巻き込む言い方をするのかー。

だって、現実にそうじゃないですか。

誰が、この「9.11」を思い出し、自分の人生の中にあった出来事として、語っている人がいると言うの?

 

いや、違うな。

8月になると母の家に子供たちを連れて行くでしょう。その時母は決まって言うのです。

「遺言として言っておくよ。この先の未来も、決して戦争だけはしてはいけないんだ。ダメだからね。」

私たちにも母にも何の力はないけれど、それでも母にそう言わせるものは、過去の体験の記憶。

 

忘れていけない事はやっぱりあるのですよ。

映画でもないのに、まるで映画のワンシーンみたいだった、あのまったくリアルに思えなかった恐ろしいシーンを、忘れてはいけないし、そしてなぜそんなことが起きたのか、真実を知って行くべきなのではないかと、私はやっぱり思うのです。

 

それにこれは既に終わった過去なんかじゃなかったのですね。

 

アメリカ同時多発テロから17年 約1万人の人々が9.11関連の癌に 今も9.11は終わっていない

 

 あんなビル崩壊の粉じんを吸ってしまって、体に悪影響が出ないわけはなかったのだと思います。もちろんすべての人がと言うわけではないけれど、やはり継続中の事で決して終わった事ととらえてはいけないのだと、強く思ったのでした。

 

 

 

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風の音が !!

2018-09-04 23:22:59 | 梢は歌う(日記)

9月4日の今日は、一年に一回の大腸の検査の日でした。

もうこの検査、毎年やっているので慣れたと言えば慣れているのですが、やっぱり2リットルの腸内洗浄液を飲むのは辛いです。

朝8時過ぎに家を出て、ちょっとお買い物をしてからと言うのもありますが、家に帰ってきたのは5時過ぎで、本当に疲れました。

だけど帰って来てから、やっぱりやっておこうとベランダの危なそうなものの片づけをしました。

高い所にある物干しざおもおろしました。

今も風の音が凄いです。

 

だけど、関西の皆様の大変さを思ったら、「凄い」なんて言ってられないと思います。

 

横転する車や、吹き飛ぶ屋根、割れる窓ガラス、燃える車・・・・・・

 

どうかこれ以上の被害が起きませんように、

早く暴風の渦が去って行ってくれますようにと祈るばかりです。

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そっと拳を握り締める

2018-09-03 01:57:11 | 梢は歌う(日記)

9月になってしまいました。

夏の終わりに思っていたことは、

8月28日の「悲しいです。」の終わりに書いた事。

 

ある時、私は病院でエコー検査を受けた時に、とある部分(胸ではありません。)に小さなしこりがあると言われました。でも小さくて問題ないとも。これが、1,5センチくらいになると、癌化するといけないので切らなくちゃならないとも言われました。

私は病院では、けっこう軽口を気さくに言うタイプ。

「先生。そこが癌って言われたら大概死にますよね。」あまりにもストレートで、そして今の私は癌ではなかったので、思わず医師も言ってしまったのだと思いますが、「まあ、そうと言えますね。」と答えたのでした。先生もストレートな方ですね。

だけど塊が「大きい場合は切る」言われて、ふと「じゃあ、そこの癌も切ることが出来るって事ですか。切られたら、他の所と同じで治るのですか。」

「かなり早期発見で、・・・・」と彼が言った数字は、びっくりするほど低い物でした。

じゃあ、この先私が、この部分に癌が出来たら覚悟しなくちゃいけないって事なんだなと思いました。

 

今書いたことは6月の初めの事だったと思います。

 

だから先日友達が私に告げた、共通のお友達の病気の話は本当にショックでした。

彼女の病気は、その癌だったからです。

ショックで心も重かったところに、さくらももこさんの訃報が飛び込んできたのです。

更に気持ちは落ち込みました。

真夜中に書いた「悲しいです。」には、長々書いてから削除した部分がありました。追悼の想いを込めて書いたのだからやめておこうと思った部分でした。

それはさくらさんが患っていた乳がんの事でした。亡くなった理由の病気が乳がんと聞いて、しかも10年前からの闘病だったと聞いては、悲しみだけではなく、恐ろしくてブルブルと震える人がたくさん居るのではないかと思いました。

乳がんは現代では11人から14人に一人がかかる病気だと言われています。

だけど乳がんは治る病気でもあります。それを信じて頑張っていらっしゃる方がたくさん居るはずです。

でもそう言う方々にとっては、同じ病気で亡くなったと聞けば、心穏やかでいられるわけがないのです。

私の姉妹たちも。

姉などは、私が思った通り、怖くなってブルブルと震えたと言っていました。

 

「大丈夫だから。」と電話口のこちらかで根拠もない励ましの言葉を言いながら、ふと見えない未来が怖いのは、私だって同じじゃないかと思ったのです。

 

今が幸せだからこそ、やってくる未来が怖い時もあるのです。

確かにすべてが上手くいっているわけではありません。だけど取りあえずは笑って生きています。

 

時々私は思います。

こんなにたくさんの薬を飲む生活をしていたら、長くなんか生きられるわけがないと。

 

だけどやっぱりそんな風には思わず、粘るのだと自分に言い聞かせようと思います。

 

もちろん人の寿命は自分で決めるわけではないかも知れません。

だから祈るのです。

私のような力のないものは、少しでも長く生きなければ何もできないと思います。それは逆の言い方をすれば、長く生きる事によって少しでも誰かのために出来る事があるのだと思うのです。

この「誰かの為に生きる」と言うと、何かおこがましい感じを受ける方もいらっしゃるかもしれません。自分の事だけで精いっぱいだと思ってる方もいらっしゃるかも。でも意外と人は自分のためだけには生きていないし、実際に、誰かの為に自分の時間を提供している人の話は奥が深く、その人自身にもかなり魅力を感じる事が多いです。

更に単純に言うと、子供の世話をしているお母さん、夫など家族のために当たり前にごはんの支度をしているお母さん、また会社で嫌な事ばかり続いているのに、そんな想いは隠して毎日会社に働きに行っている夫と妻。

そんな日常の中に「誰かの為に生きる」行為は普通に存在して、そして時には弱くなった自分の心や魂をこの地上に留めようと言う力になってくれるのだと思います。

 

毎日お気楽に生きています。映画を見たり、ピグのゲームに明け暮れたり、本を読んだりお友達とおしゃべりしたり。

そしてほんの少しだけお仕事をしています。マンションのお花に触れるサークルにも参加しています。楽しい毎日です。

(欲を言えばこれで二人の息子たちが結婚してくれたらなあ。)

 

それでも時には、生きていく明日が怖くなり、そして震えるのです。

だけど私はそっとこぶしを握り、「頑張るぞ、生きるぞ」と心の中で誓うのでした。

 

 

 

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届きました ♪

2018-08-29 02:38:18 | 梢は歌う(日記)

・・・・

From T(AL3枚組)
avex trax
avex trax

 

 8月29日、店頭発売の「From T」。

7月30日にアマゾンに予約を入れておきました。

予約の人たちに、店頭発売より一日早く届けられたのは、予約特典ばかりではなくて、予約を入れるほどの方々にいち早く聴いていただいて「いいね、良いね」と拡散して欲しいに違いないからだと、私は思っています。(本当の所は知らないけれどね(^_^;)

それなのに、こんないつも通りの夜中になってしまいました。

 

それでも朝が来る前に、「これ、凄く良かったよ~。」と一言言っておきましょう。

 

この記事は、しばらくしたら消える・…じゃなくて、のちに追記すると思います。

と言うのも、このCDの一番のポイント・・・(一番じゃないか?)・・・とにかく画期的なのは、3枚目のオマケの部分にあると思うのです。

って、それをまだ聴いてないので、聴いたら、追記したくなるのではないかしら。

 

だけどまた別の画期的ポイント、ライナーノーツ。

拓郎さん自身が全曲に入れています。

因みにワタクシ、このCDが出る時に、その「ライナーノーツ」と言う言葉を知りました。今までは普通に「解説」と言っていました。

私って本当に何も知らない人だなあと思います。だけどみんなだって知らないわよって思っています(笑)。この「みんな」と言うのは、私のリアルお友達たち。だいたい類は類を呼ぶって言うでしょう。そんなものですよ^^

 

で、だけどこのCDのライナーノーツは、やっぱり解説なんかじゃなくて「ライナーノーツ」だわって思いました。

いや、なんとなく。

だってですねえ、1曲1曲に対する拓郎さんの想いが書かれているのですよ。これはもうミニエッセイ集みたいなものですよ。

新曲を引っ提げてのCDと言うわけじゃないのです。

だけどこれは拓郎さんを含めて、今、みんなでなんとなく聞きたい曲はこれじゃないか的な感じなのです。

 

拓郎さんもだけれど、また彼を好きな人たちを凄く身近にも感じた一枚…じゃなくて三枚(今はまだ二枚)でした。

(これはまあ、「ラジオでナイト」とツイッターの影響もあるかもしれませんね。)

買って良かったです。

収録曲は企画意図によって、発売までシークレットだったのですが、もうすぐ解禁ですね。

 

詳しい説明は、Amazonさんの内容紹介にお任せします。

興味のある方はクリックして「フムフム」とお読みくださいね。

 

 

 

 

 

・・・・

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猫はモフモフ、火星が赤い !

2018-08-01 03:31:17 | 梢は歌う(日記)

昨日、なんだか凄く不愉快な事があって、ずっと心の中はくすぶっていました。

 

いつまでも若い気持ちでいようと思っていても、それは気持ちだけで、肉体的には辛いものも出てきてしまうのは仕方がないとして、同じようにそうはいかないのが、人との付き合いと環境だと思うのです。

ずっと続くと思われた友情がを時間やお互いの状況変化が引き裂いて行き、いつの間にか疎遠になったりもするでしょう。

 

逆三角形の人口分布図の日本で、つまり老齢化の進む日本では、実はシニアだらけです。なり立てシニアからベテランシニアまで。

そうすると話題は、介護・年金・孫・病気みたいになって来て、終活の話も。でもこれは皆言っているだけで、自分にはまだまだ関係ない事だと、なんとなく無意識で思っているのではないかしら。

いやむしろ、そうでなくてはニコニコと生きてはいけないですものね。

だけど、その終活の事を想う時、つまり最大級のお片づけを考えると思うのです。

捨ての祭りです。

これは自分でやろうと思ったら、一気には出来ない事なので、なり立てシニアになったらボチボチと遣るべきことの一つですよね。

 

そんな事を考えていた今日この頃、人との付き合いにも、望んでいなくても「終わり」と言うものが来るのだと、しみじみと思うようになりました。

そのきっかけは、友人の夫の定年退職だったりなど、意外とつまらない事だったり。またはその人の病気と言う重い物だったり。

病気などは逆に離れてはいけないのではないかと思うと思うのですが、やはりその家族の事を想うと、そうはいかなくなることも多々あるのではないかと思います。

そうなってくると、なんだか新しい繋がりなどが欲しくなったりもするじゃないですか。

 

でもこれが結構難しいのですよね。

ここ数年ちょっとだけいろいろな事を始めていて、まだ友人とは言えないけれど、そこで知り合いになった方は、率先して人のために動こうとしたり学ぼうとしたりする人たちなので、なんだか居心地が良くて、良い刺激になっています。

それで気をよくしていたのか、またいろいろな方とお食事をする機会が増えていたのです。

 

だけど一人の人と揉めました。

くだらないので理由などは書きませんが、まったく気分が悪い。

直接の揉めた理由の話は書きませんが、お食事会の時、彼女が乳がんで亡くなった友人の話を始めた時に、私はやんわりと姉妹と今友人がその病気なので大変で気持ちがへこんでいると、やんわり遠回しに話題同調の振りをして、終わりにしようとしたのです。

だけどおばさんはね、(ここが大事なのです)聞き手がどういう状況かを言ったとしても、自分の話したい話を貫き通して話すのですよ。

こう言う人を「BABAA」と言うのだ !  怒っているので暴言。

 

そしてまた違う事で、腹が立つことがあったのです。

私は腹が立つと、マシンガントークになってしまう時があるので、言うなればいい年をして喧嘩みたいな感じ。

まあ、電話でのことだったのですが、最後は笑って、「またね~」なんて。大人だからね。

だけどやっぱりその人のメールは全件削除しました。

 

ブスーとムカムカしていたら、猫のももが真横にやって来ました。

その猫を撫ぜ撫ぜしていたら、急に笑いが込み上げてきて

「バカですねえ、私。」と思えてきたのです。

 

そう言えばももが私の傍に来る前にもう一件、既に昔に離れてしまっている人に、聞きたい事があって電話したのです。ついでに近況などを話し合ったのですが、この人はこの人でなんだかいろいろあって、詳しくは語らなくてもなんとなく分かるような気がしたのです。広いようで狭い世間なので、少々の噂は知っているのです。

彼女が言った「リセットしたんだ、私。」と言う言葉は印象的でした。

強いなあと思いました。知っている少々の噂は、結構きつい話だったからです。

「うん、それが良いよ。もうみんな昔の事だ。リセット、良いよね。」と私は言いました。

って、人には言える、私。

ああ。

でもそのリセットは、昔のしがらみは良いかも知れないけれど、他の繋がりも切るって事なのですよ。

寂しくはないのかって、ちょっと思ってしまったのです。

 

ももを撫ぜ撫ぜしていたら、私はリセットは出来ないなあと思いました。

ただ今ある現状を受け止めて、「仕切り直す」と思いました。

 

どのように ?

さあ ?

 

たぶん私は欲張りなのですよ。とりあえずは目の前のやるべきことを粛々と片づけていく事にしましょう。

今目の前に居る人たちを大切にしていけば良いや、ってな感じでしょうか。

 

一日、ムカムカした感情に囚われていたけれど、お仕事は順調でサークルの人との語らいも楽しくて、竜也さんの映画情報にときめいて、ご飯が美味しかったと家族に言われ、ドラマを見て楽しんで、疲れて布団に転がっていたら、夫が「火星が本当に真っ赤だな。」と言ったので、急いでベランダに出て見たのでした。

火星、本当に赤く輝いていましたね。美しくて嬉しくなりました。

あらまぁ、なんと良い一日だったじゃないか~ !!

 

※       ※      ※

そう言えばね、「リセット」の彼女。主婦の卒業宣言をして食事も作らないのですって。炊飯器も捨てたって。

じゃあ、どのように生活しているのかしら。しまったな。 なぜそこを「へぇ」とか言って、聞き逃してしまったのだろう。

でも似たような事を聞いたのは二人目なのよね。

リタイアした夫に、食事作りません宣言をするって、強者だよね。

出来ないや、私には。

せいぜい順番に作りましょうって言うくらいですね ^^;

 

 

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