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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

与野本町にて1万歩。

2025-05-21 23:11:43 | 梢は歌う(日記)

いつもありがとうございます。

【はてなにお引っ越しされた方ははてな版の→森の中の一本の木
アメーバーにお引っ越しの方は→あんずとクウと☆ももちゃんも。

に読者登録をして頂けると嬉しく思います。こちらからも読者登録させていただきます。】

又はいつもブログに訪問してくださる方も、PCなどのお気に入りに入れてくださると助かります。

10月以降は、新しい記事の更新が出来なくなります。そして11月18日には消滅してしまいます。
このトップのお知らせは、goo終了まで載せていく予定です。

 

※      ※      ※

5月20日、与野本町に出かけてまいりました。

お目当ては、これ

 

「彩の国さいたま芸術劇場」にての「マクベス」。

とっても楽しみにしていました。感想はまた違う日に書く予定です。

久しぶりの、与野本町。

ふと閃いて、前から行きたかったお店に予約していきました。

 

それは

「ジャルダン ド ヨノ」

凄く素敵なお店でした。

 

お芝居を見た後、駅までの道は薔薇の花がいっぱいでした。

与野本町の駅前は、さながら薔薇の街です。

 

 

駅から「ジョルダンヨノ」、そこから与野公園を通って「さい芸」に、そしてまた駅に。

この日、なんと11000歩越え。

 

アメブロに更新しました。→与野本町駅前は、薔薇の香り | あんずとクウと☆ももちゃんも。

 

 

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お引っ越し先☆そして過ぎていく日々

2025-05-11 02:21:21 | 梢は歌う(日記)

何となくお久しぶりになってしまいました。

別にブログのお引っ越しが忙しくて、こちらのブログがおろそかになっていたわけでは無いと言い切りたいところですが、正直なところを言えば、それも少々理由にあったかもしれません。

「引越ししました。来てくださいね。」と言いましても、あまりにもその先が何もない空間であったら、まずいかなと思ってとりあえずの記事を先に書いていたりしたからです。

理由はそれだけではないわけで、いまだに「お義母さん関係の雑務」に追われています。

それもようやく先が見えてきましたので、ようやく他のことに気持ちを切り替えることが出来そうです。

さてお引っ越し先ですが、この「森の中の1本の木」自体は今まで使った事がない「はてな」にすることにしました。

その場所は→森の中の一本の木

で、「霧島花子」と言う名前で出ています。

長い間、この場所で使っていた「kiriy」とはお別れすることにしました。でもそれはgooが消えてしまった後のことです。

なぜと言うのは、そのうちにここで書くと思います。

 

また以前から、アメーバーブログには時々軽い日記などを思い出したように書いていました。

今度の件がありまして、そちらのブログを再開することにしました。

あんずとクウと☆ももちゃんも。

で、やはり「霧島花子」で出ています。

はてなブログに行かれる方、またはアメーバーブログに行かれる方は、もしよろしかったらそれぞれの場所で読者登録していただけたら嬉しく思います。

 

 

下の囲みは昨年の記事をgooブログが送ってきたわけですが、

「じゃあ、今年は ?」となった時、思わず「えーと・・・・」となってしまいました。

 

中途半端になっていた陶芸のコーヒーカップをの作陶の続きをやったり、畑に行って夏野菜の植え付けに行ったり、本を読んだりしていたのです。

ちゃんと何かしらをやっていたわけですが、なんか印象が薄く、「何をしていた?」と聞かれて即答できない感じ。

 

これって、「ブログ書いてた」は何もしてなかったと言う感覚になってしまっている私に、陶芸も畑に行くも同じような感じになってきているのでしょうか。

この感覚と言うのは、上手く説明が出来ません。

敢えて言うと「特にスペシャルな事ではない。」という事なのかも。

 

だけど「特にスペシャルな事ではない。」って大事なことですよね。

そう言うことを丁寧にやって、生きていきたいものだなと、ふと思いました。




【はてなの方は→森の中の一本の木
アメーバーの方は→あんずとクウと☆ももちゃんも。

読者登録よろしくお願いいたします。

少々うっとおしいと思いますが、このブログが終了するまで、上のリンクは毎回載せていきたいと思っています。

 

 

 
GWの右往左往
昔(いったいどのくらい昔なのかはさておいて、)GWの時は都内は意外とスカスカと言う常識がまかり通っていました。だけど、それは遠い昔のことと言う感じですよね。だから今年......
 




・・・・

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好きなことが多くてパニックになるのは愚かなことだね。

2025-04-25 10:21:39 | 梢は歌う(日記)

何でか陶芸なんかをかじってしまって、なんでか畑生活なんかをしてしまって、まあ、シニア生活的には正しい生き方のような気もしないでもないですが、本当にこれこそ畑違いと言うか、下手くそ&無知、時間を作るのも下手でふうふう言っています。

基本、私の好きな事って、元々はお芝居と映画とドラマ鑑賞で、近頃は読書量は減ってしまっていますが、漫画を含めて本を読むことなんですね。あと美術鑑賞も入るかな。

どちらかと言うと受身形の趣味が多いのかも知れませんが、それを能動型に変えているのがブログだったと思うんです。

子供の時から好き勝手にかける作文は好きでしたが、感想文ってチョイ苦手でした。

日記は作文。でもその他はその苦手な感想文が主流ですよね。その苦手な分野で、良く長々とこのブログをやってきたなってニマニマしちゃいますよ。

いや、感想文無しで日記形式だけで記録している方も多数いらっしゃるのは知ってます。

でも昔と違って今の私だと、「見ました」「読みました」だけだと、すぐ後でも「何だっけ?」となっちゃうからね(笑)

 

あと好きな事は、お散歩とか。東京散歩も森の中のお散歩も大好き。

今日もキンランを探しに、街の中の森にお散歩に行く予定です。

 

グルメじゃないけれど、素敵なカフェに行くのも大好き。

昨日もそんな素敵なカフェに行ったんです。

 

キンランとカフェ報告は週末にでも書きますね。

 

だけど今の私は、人生を100年生きた義母と違って、残りの人生の砂の量に問題があるのか、すぐ疲れちゃって、特に家事が愚図も良いところなんです。

それではっきり言って、私の一番の趣味はブログを書くことだと思うのに、そこも滞りがちになってしまいました。

もちろんgooブログ終了のお知らせには打撃を受けました。

だけどこれにも、私の中である種の驚きがあるんです。

「すべては私の為に」と言う、なんて言うか、チョーポジティブ発想が発動しています。

今の時点では、何を言っているのか分からないと思うのですが、ちょっとそれは聞いていただきたいお話なんです。

はてなブログにお引っ越し中ですが、まだ画像を移行中です。

少し整理整頓が出来たら、このブログ内でもリンクを貼らせていただきますので、その時はよろしくお願いいたします。

このお引っ越し体験も書いた方が良いかもしれないと思っています。

 

聞いていただきたいお話はもう一つ。

義母が亡くなって、なんでか流れで私がなんだかんだとお届関係の事務やお支払い関係の会計をやっています。

なんたって、基本、おうち大好き人間。毎日外出で、ぜぇぜぃと喘息の発作が起こりそうです。

その体験談は、「もっと器用にやれたんじゃ。」という意味合いも含めて、遠い見えない誰かのお役に立つかもしれませんね。

 

私の生活の中で、一つ非日常的な事が(かなり大きいけれど)起きたら、本当に精神的にも滅茶苦茶になってきてしまいました。

それに病院通いも多くて・・・ため息・・・・アッ、ごめん。愚痴っちゃった。

 

そんな事を言っていますが、ちゃんと映画を見に行ったり真夜中に家でもドラマの一気見したり、また行きたいところにはちゃっかし行ってるんです。

ブログまで手が行かないから書かないけれど、「推し活」大事と思っています。ちゃんと(笑)、藤原竜也さんの「徹子の部屋」も見たし「あさイチ」の鋼太郎さんの回も見ました。アマアマのパパちゃんをやっている姿に、微笑ましくてホッとしますね。

そろそろ「マクベス」の券を発券しに行かなくちゃ。

 

ただでさえ、一族の事務関係で頭クルクルになっているのに、陶芸のサークルの役員に順番でなってしまいました。

でもこれだけ生きてきているので、普通に出来ます。

が、そこに・・・・なんでか私を20歳の小娘みたいに口出してくるおやじが・・・・ムスッ。

はっきり言って老害だよ。

もう彼に「マッカーサーってかっこいいですね。特にあの有名な言葉が。」とか言ってやりたい衝動に駆られるときがあります。

彼って、私の陶芸の師匠。ありがたい人だけれど、陶芸のこと以外は「老兵よ・・・・・」と・・・・。

(仲は悪くないです^^)

ああ、すっきりした(笑)(笑)

 

この記事、何が言いたいの?

つまりですね、「あの支払いはいつ行こう。」「あのドラマはいつだっけ。」「見たい映画はいつ行ける。」「美術館はいつ行こう。」「畑に石灰巻いて夏野菜の準備しなくちゃ」「陶芸の土のお世話をしなくちゃ。」「陶芸サークルのお仕事の整理はどうやろうかな」「園芸サークルの新聞、いい加減に作らなくちゃ。」「物置化している私の部屋はどうするんだ。」小さな声で「ピアノって本当にならってるのですかね、私」が頭の中でごちゃごちゃ。

でも全部好きな事なんです。

頭の中がクルクル。

プチパニックになってます。

書いていたら、何かが見えてきましたので、TO DOリストを作って頑張ろうかと思います。「か」が入っているあたりが怪しいですね(笑)

遣る事とやりたいことがてんこ盛りの時、皆さまはどう対処なさっているのでしょうか。

 

それでは、良い一日をお過ごしください。

 

 

 

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3月の暮らし☆2025

2025-04-18 02:27:36 | 梢は歌う(日記)

ブログのことばかり考えているわけじゃないので、四六時中と言うわけではありませんが、それでもやっぱりブログの事を考えると、なんかモヤモヤした気分になります。

お引っ越しはするにしても、どんな風にしようかなと悩みます。

それに長々と同じ場所でやって来て、培ってきたものがあるじゃないですか。

お引っ越ししてすべての記事を持っていけても、たぶんいちから始めるようなものですよね。

きっとこの悩みは、記事更新のたびに続くような気がします。

だいたい「終了のお知らせ」の中に理由と言うものがなかったですよね。大事な事じゃないかしら。「なぜ」と言う部分。

だから誠意と言うものを感じられないのですよね。(あくまでも私個人の感想です。)

記事のお引っ越しで、一番大丈夫なのかしら。たぶんダメなんじゃないかなと思っているのは、このようなツリーになっているものです。中には10年以上続いている日記もあって、愛着もひとしおです。

 

まぁ、それはともかく3月のおまとめ日記です。

3月はなんたって、義母との別れと葬儀があったものですから、それに終始していたと思います。

それに今も続く手続き地獄。

家一軒分の後片付けは、49日後の話になるようです。

大きな案件には、私は係ることはないのではと思っています。何せ嫁ですからね。

細かい手続きのお手伝いを主にしています。

嫁と言う立場は、手続するときに時々面倒くさい時がありますよ。

亡くなった方とのご関係はと聞かれたら、正直に「三男嫁です。」と答えるじゃないですか、普通。

すると

「あなた様は法定相続人ですか。」と聞かれるときがあるんですよね。

嫁なんだから「法定相続人」であるはずがないじゃんとは思いつつ、「法定相続人の妻です。事務・雑務は任されていますので。」と言うとほとんどは大丈夫ですが、大丈夫ではないものもあるのでそれは気を付けてねと言うところです。

昨日、なにげに夫から「いろいろとどんどん終わらせてくれてありがとう。」と言われました。

我が家は普段から「ありがとう」と言う言葉は気軽に軽く飛び交います。

だけど昨日のは、何か棒読みみたいな言い方で、かえって一度はちゃんと言わなくてはという意思みたいなものを感じました。

「兄貴も感謝している・・・・・と思うよ。」と加えて言ってくれたので、私はにんまりと微笑んで満足しました。

いつも言ってることですが、私の幸せの沸点は低いのです。ゆえに「ありがとう」の5文字をエネルギーにして、頑張れると言う、まあ、なんて言うか安上がりな人間です。

 

囲みの下はいつもながらお気楽な毎日の記録です。

 

 
3月の暮らし☆2024
やはり三月までのおまとめ日記を書くときは、この言葉を毎年意識してしまいます。つまり、「一月往ぬる二月逃げる三月去る」と言うあれです。これは、この時期の「時」があっとい......
 

 

 映画

3月に見た映画☆2025

 

 お芝居

「オーランド」

 ドラマ&漫画

冬シーズンのドラマも終わってしまいましたが、いろいろと楽しませていただきました。

NHKの「水平線のうた」は、やはり3月だからの作品だと思うのですが、とっても良かったです。内容はオンデマンドからお借りしました。

『震災で家族を失い、タクシー運転手として働く男(阿部寛)。ある夜、乗車した少女(白鳥玉季)が口ずさんだメロディー、それは妻子との思い出の曲だった…。宮城県石巻市と女川町を舞台に、震災ドラマの名作「ラジオ」を手がけた岸善幸が演出。“音楽を通して愛(いと)しい人の思いを繋ごうとする”人々を鎮魂の思いを込めつつ感動的に描きます。』

「相棒」も最終回。

ああ、でも次のシーズンの感想はここでは書けないのですね。(ノД`)・゜・。

「ホットスポット」とかワンコのお話も好きでした。「クジャク・・・」はいろいろ感想があるのですが、本編のサスペンス部分よりもキャストさんたちが皆濃くて良かったです。「御上先生」もいろいろと感想があるのですが・・・・以下略

でも一番嵌ったのは「秘密 -トップ・シークレット-」です。

今まで知らなかったこの作品。漫画も全巻読みました。相乗効果もあったみたいで、私的には続編希望または映画でもと言う作品でした。

(ただアニメは最初の数分で離脱しました。原作の美しさを損ねているような感じがしたからです。)

 

 

 

 お出掛け

何処にも行ってないで映画ばかり見ていたのかと思っていましたが、銀行に行くついでに、野田市の茂木本家美術館「MOMOA」に行き、「浮世絵黄金期 -蔦屋重三郎とその時代-」展に行きました。少しばかり写真を載せました。

べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第12回「俄(にわか)なる『明月余情』」

また親しい人が茂原に引っ越ししたので、訪ねて行きました。

主婦のささやかな贅沢は

 畑日記

広げてしまった畑ですが、その場所になかなか行けず、お引っ越しが進みませんでした。

でもにんにくを植え替えたり、耕したりとひっそりとは進めていたようです。けっこう画像が残っていたのですが、今、それをアップしている時間がないので、4月に載せて行こうと思っています。(でも、またここで考える・・・・もうこの場所では、そう言う詳しい備忘録はいらないんじゃないって。)

 陶芸日記

窯入れの月でした。

窯詮の係になり、ただ蓋をするだけなのに、初めてのことで不安でかなり前から憂欝でした。

もちろん無事に終了したわけですが、焼くべき作品もなく、個人的に停滞しています。

 猫さま日記

 

 その他の諸々

 

 を放置していました。

2,3日実家に帰るので、今回はこのままで。猫ちゃんの画像とその他はお葬式のことですから、又のんびりと別記事にてアップさせてくださいね。

実家、お正月ぶりじゃないかしら。

 

あっ、そうそう。私は「はてな」にお引っ越し始めました。

上に書いたツリー記事がどうなるのかも楽しみです。

でも、やっぱりギリギリまで、私はgooブログの住人でいようと思っています。

 

 

 

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電話番号も書きましょう。

2025-04-15 09:50:40 | 梢は歌う(日記)

このブログがずっと続くのであれば、カテゴリーに拘って大河の感想は、やっぱり単独で書いていたと思うのですが、最終的な更新日は9月末日だと言うので、もう意味もないことは止めようと思います。

だけどこの前の「べらぼう」も良かったですよね。

冒頭、幸せな夢ほど悲しい気持ちになるものはありません。

経験がある方も多く共鳴してくださる方もいらっしゃるのではないかと思うのですが、一番の悪夢は「叶わなかった夢の夢」だと思っています。

しゃきしゃきの若妻っぽかった瀬川。あの意識が歩かないかの時の、まな板がトントンと言う音は、本当に幸せな夢の象徴のような気がします。

子供の時の気持ちが蘇りました。

 

ああ、だけどふと思い出しました。うちの子供たち、それ、知らないかも。

ごめんね~。

アッだけど、電子レンジの音が鳴り響く朝って言うのは・・・・・・いやいや、もうこの話題は止めておきましょう。

とにかく「べらぼう」、冒頭で泣いて、手袋事件の奥を推理して、源内のことを心配して、せっかく心が通じ合ったのに石坂さんともお別れかって、書くことがいっぱいあった。やっぱり別に書くかってなりましたが、いやいやもう止めます。

 

一つ前の記事にも書いてしまいましたが、かつての私は「忙しい」と言う言葉を嫌って、ましてはそのアピールなんかもあまりしない人だったはずです。

なんかそう言う「意地」みたいなものを捨ててしまったように思います。

トップ画像は、昨日見た桜です。

今年はけっこうちゃんと見た方だと思います。

呼吸器外来に出かけたものですから、バス待ちの時に撮りました。本当は早く終わったので、映画を見て帰ろうかと思いましたが、気力がわかずに帰りました。

なぜならその日、朝の4時まで起きていたからです。

いつもみたいにブログ書いたり漫画を読んでいたりと遊んでいたのではなくて、お葬式の「返礼品リスト」を作っていたのです。

 

あとで葬儀社のチラシを見ていたら、無料で作成してくれたことを知りましたが、「でも無理だったな。」と私は思いました。

きっと「返礼品など無用でござる」という謙虚の表れだと思うのですが、お香典の袋に名前しか書いていない方もいてですね・・・・・・ムスッ

そして芳名帳にも名前しか・・・・・・!!!

 

芳名帳をバインダーから外して、返礼品ごとに振り分けると言うやり方もあったわけですが、そこに書いていない方もいてもと思って、袋の方で振り分けたのです。(またちょっと別の意味合いもあったのですが・・・・バインダーに戻す時に金額順に並ぶのも嫌というか・・・)

でもその時に気がつきました。袋には電話番号の欄がある物とない物があって、無いものには皆さん敢えて書きませんよね。あっても書かない方も多かったのですよ。要は袋でリストを作ろうとするのはある意味マヌケだったわけです。最初に数を確認するわけですから、最初から芳名帳でやるのが正解です。

が、それがまた、皆さまけっこう雑な方もいらして・・・・・

たぶん入り口がバタバタしているのですよ。次の人を意識したりしてそうなってしまったのかも知れません。

真夜中に郵便番号などを検索していたワタクシ(;^_^A

 

芳名帳であろうがお香典袋であろうが、はっきり言ってですね、お名前・郵便番号・ご住所・電話番号はしっかり書きましょう。

と真夜中に思った次第です。

 

※      ※      ※

最近のお葬式はけっこう簡素化が多く、それでもお香典の金額は変わらないような気がするのですが、お返しの方はけっこう「略」と言うのも多いような気がします。

皆さんちゃんとした方が多いのに、それでだったのかなと思いました。あとは個人情報を出すのを嫌ってとか・・・・

経験しないと分からないことも多いですよね。でも個人的には、あまり経験したくない経験!

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2025年の4月1日は火曜日

2025-04-05 12:57:28 | 梢は歌う(日記)

父と他愛のない嘘をつきあった2013年から、ずっと続けている4月1日の日記。

日付がズレることはあっても、今年で12年目にもなるわけだから、やっぱり止めようとは思いません。

心の中で綴る父とのおしゃべり。

だけれど私、4月1日の日、その日がエイプリールフールだなんて、すっかりこんこんと忘れてしまっていました。

大事に想っていた一日でしたが、徐々に私の中で遠のいているのかも知れません。

なんたって12年ですものね。

 

ねえ、お父さん。

今年、十三回忌ですって。

なんかそれ自体が嘘のような気がしますよ。

4月1日はとっても寒い日でしたね。普通にセーターに冬物のコートでも問題がなかったのに、もう4月だからと薄手のセーターに春物コートを羽織って出掛けてしまいました。

なんだかぶ厚い冬物のコートを着ることが、恥ずかしく感じたのです。4月だからという理由だけで。

今ある現実から判断することが出来ずに、4月だからもう春なのだと言う世の常識に寄り添ってしまったと言事なんですよね。

 

でもその感覚を「分かる」と言ってくださる友人もいます。

世の中は、何が正解かは分からないことだらけです。

 

だけどこれだけは分かりますよ。

近頃ではキャッチコピー屋さんのような言葉をなんか言ってるような政治屋さんが、今回は「楽しい国」とか言っていたみたいだけれど、なんか言ってみようと思っただけなのか、何にも伝わってきませんよ。

ねえお父さん。

だって毎日値上げばかりの世の中で、何が一体楽しい国って言えるのかしら。

自国の国民が、主食の米がない、あっても高いと嘆いているのに、そんな時に他の国に米の供給の約束をしてくるんだよ。

えっ、ちょっと待って。私たちは!?

ってなるじゃん、普通の感覚では。

それにね、自国の子供たちが借金をして学んでいて、その返済に何年も苦しんでいると言うのに、他国の子供たちに無償でお金を渡している政府。

土地や大きな建物を他国が買い占めているのに、なんかそれに対して手段を講じているのかしら。

なんか日本なんか沈没よ。日本沈没。

どこかに自分の家の通帳の数字ばかりを気にしてる売国奴がいるんじゃないかって疑っちゃうわよね。

この国は楽しい国どころか、馬鹿の国よ。

ああ、ごめんね、お父さん。ついつい過激になってしまいました。

だけどこんなことを言っても、「まあまあ、そんな事を言わないで。」と言われたこともなく、「本当よね!!!」とたいがいはそんな怒りが声に滲んだ返事が返ってきますよ。

 

エイプリルフールを忘れちゃっても、無理はないと言うものですよね。

だって毎日,「嘘!?」と思うようなニュースばかりが流れてくるのですもの。

 

お父さん、そんな毎日でも、私は一日何か一つは心に響くことを探して生きているような気がするのです。

そんな風な毎日を重ねて、笑いながら生きて行けば、きっと最後は「楽しい人生だった。」と思えるかもしれないからです。

それとも何もしないで遊んで暮らしていたと思って、のたうち回って嘆きながら死んでいくのでしょうか。

 

それこそ見えない未来の正解のない話ですよね。

トップ画像は、昨日、出掛けたところの花桃の畑です。

花桃って、昔、このブログ内にも書いていた事なんだけれど、私の彼岸の岸辺に咲いていて欲しい花なんですよね。

人が見るラストドリームは走馬灯のように流れる過去ばかりではなくて、「ここはどこかしら」みたいな彼岸の夢かも知れないでしょう。そこには花桃の花が咲いていて欲しいなと思っているのです。源平の花桃は、私の中では最高に美しい花に感じているからです。

目に焼き付けておけば、その夢も見ることも可能かしら。

 

そう言えば、最近お父さんの夢をほとんど見ませんよ。

お父さんは、今までは時々夢に現れていたでしょう。だけどその夢はいつもスノウさんの事やお母さんのことで、何か気づかなきゃならない時だったのよね。

お父さん・・・・

だけどもう良いよ。

 

私、昨日、ももちゃんとスノウさんにめちゃくちゃ会いたくなって、涙が出ちゃった。

でも私は思ってる。じゃあ、私が死んだら会えるのかって、そりゃないねって。死んだって、もう会えないよ。

アッ、ごめんね。いつか死んだ時に、別れた愛おしい者たちとの再会を楽しみにしている皆さんを傷つけることを言って。

 

でもそれは私が思っていることだから。それこそ正解はないよね。

会いたい会いたい、でももう会えないの。

だから私は泣くしかないのよね。

 

でもお父さん、怒らないで聞いてね。

その会いたくて会いたくて泣いてしまった者の中にお父さんはいなかったの。

12年の歳月がそうさせたのか。

それとも、ずっと傍にいてくれていたのを感じていたからかな。

 

私は私に出来ることしか出来ないけれど、お母さんをそして姉妹を大事に思って行くからね。

お父さんはお父さんで次に行ってくださいね。

 

アッ、でも、そんなこと言っちゃってるけれど、私が私の人生を終える時、迎えに来てもらわなくちゃ寂しいかも。

お父さんにもスノウさんにも、ももちゃんにもココちゃんにも・・・・

だけどそれは夢で良いのかもね。

 

ほんとうにね。

この世は、何が本当のことなのか分からないことばかりね。

 

じゃあさ、また来年。

寂しくなったらまた呼び掛けるね、お父さんに。

 

だけどその時、どこかの小さな男の子が、「昨日、変な夢を見た。」って言ってるかも・・・・。




・・・・・

 
2024年の4月1日は月曜日
何とはなしにずっと続けている4月1日シリーズ。『2013年にのエイプリールフールに、父と交わしたくだらないウソ合戦。そんなつまらないような日常の一コマが、ずっと忘れられな......
 



・・・・・・

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キラキラしていた☆葬儀を終えて

2025-03-23 02:52:20 | 梢は歌う(日記)

長く活躍している俳優さんなどを見ていても、今がどんなに力をつけて良い演技をする重鎮な方になっていても、その人の若い時の映像を目にすると、ただ若いだけで、もうそれだけで煌めいて見えたりしませんか。

それはさ、きっと私たちも本当は同じなんじゃないかと思うんです。

過去の私もあなたも、ただ若いだけでキラキラしていたんですよ、きっと。

しかしその時は、そんな事にも気がつかないで、くだらないことでモヤモヤしたりクヨクヨしたり、多くの時間を無駄にしたように思います。

だけど「若さ」と言うものを礼賛しだすと、なんだか自分が一気に老けたような気にもなるってものですよ。

これは、私の中に確かにある感覚なんです。

 

ところが私、最近になってまた違う感覚を、自分の中に感じるようになってきたのです。

それはある意味、また違う老いの表れかもしれません。

何をかって言うと、年齢は関係なくキラキラと生きている人を感じるようになったのです。ただ若いだけで煌めいて見えると言う感覚も、やっぱり私の中にあります。

でも自分がシニアと呼ばれる年齢まで歳を重ねることが出来て、そこまでやって来て分かることもたくさんあるのですよね。

所謂、それが経験値と言うやつですね。

そのレベル高め(?)の経験値の目で見まわしてみると、どんなに歳を重ねても、キラキラ生きている人はたくさんいるのだと分かるのです。

そしてこの人たちはですね、「ただ若い」と違って「ただ」の部分がないわけですから、それなりの知恵と努力と気概が必要じゃないかと思います。

そう言う人に出会うと、学ぶことも多いし、「尊敬」と言う言葉を使いたくなると言うものです。

 

私の義母は、そんなキラキラ生きてきた人だったと思います。

こう書くと、私がずっと義母を尊敬し仲良しだったかのようですが、人に歴史ありと言うところでしょうか。決してそうではなかったのです。

上にも書いたように、自分が経験値を積んだから分かるようになったわけで、若い私には、とても自分勝手で気が強い母を素晴らしい人だなんて思っていませんでした。

60代半ばで未亡人になってしまった彼女は、そこからが本領発揮。趣味から始めたものが、徐々に仕事として成り立ち、時には海外にも飛び出していきました。

自治会でも良く働き、必要とされる側の人でした。

凄い人ですよね。

でもこの時、私はまだ30代で、お付き合い的には距離があったんです。

やはりですね、60代後半と30代の半ばでは、まだお友達のようにって言うのは、難しいものがありますよね。

だからほど良い距離を保ちつつ、いい関係でお互いに歳を取っていくことが出来たのだと思います。

 

そうしてお互いに歳を重ねた私たちは、ある時は映画のお友達でもありました。

待ち合わせをして、一緒に映画を見るー。

楽しかったなぁ。

その後のランチ、良く奢ってもらいました。そこで映画の感想を言い合えるのも良かったです。

リチャード・ギアが好きだった、女子力高い義母でした。

今ちょっと涙が出ちゃった。

 

葬儀まで、忙しすぎて、そして終わった今もやることがまだいっぱいで、それで頭の中もいっぱいになっています。

そう言えば昔、このブログの中でも泣き虫kiriyって言っていたのに、本当に涙などと言うものがどこかに飛んで行ってしまったような毎日でした。

さっき、その義母関係の「やることリスト」作りました。

 

「お母さーん、ちゃんとやることやるからね。任せてね。」と心の中で言ってます。

ああ、でももうあの人、いないんだな、どこにも・・・・・

アッ、またちょっとだけ涙が出ちゃった。

 

 

画像の中の写真は、100歳のお祝いにショートステイ先で撮ってもらったものです。

 

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2月の暮らし☆2025

2025-03-20 03:05:22 | 梢は歌う(日記)

2月は逃げると申しますが、今年の2月はまさにそんな感じでした。

毎年そんな感じなのかもしれませんが、ごく稀に違います(笑)

自分のしたい事したかった事を、それなりにやることが出来た年は満足度も高く、2月は逃げなかったようです。

2月は義母の入院があり、その為に陶芸は諦めて、畑を大きなところに借り換えたのに、畑の持ち主が一度耕しておいてくれると言ったのに、ずっと放置されて(たぶん忘れてしまったのでしょう。絶賛放置中です。)引っ越しもままならず、そのうちいろいろあって、今も全く手つかず状態になっています。

そのいろいろの一つは、2泊3日の旅行だったのですが、それが入っても何も問題はないと言う予定でした。

大変だったのは、コロナに羅漢したことでした。もうその後、もろもろの活動が止まってしまいました。

でも寝込んだと言うか、たくさん寝たのは2日もなかったと思いますが、その後は普通に洗濯をしご飯を作っていたのです。

だけど何かあっても日記はもちろんですが、メモも取らず、写真も撮らず、そして記憶もさほど残っていないので何をして過ごしていたのか記憶喪失状態(;^_^A。

すると私はなんだかモヤモヤします。

だってその日が全く無いみたいじゃないですか。

ってことは、洗濯&普通の料理だけというのは、確かに大事なことをしているわけですが、私にとっては「つまらない泡の日のような1日」ってことになってしまうのかしら。

でもそんな事を言っていても、いつかそれさえも出来なくなって、そのつまらなく感じた毎日の基本の生活が、いかに大切だったのだと思い知る日が来てしまうのかも知れません。

これは3月になって思っていることなので、その事には触れないつもりでしたが、やはりそれを痛感している今の私なんです。

でもそんななにげに謙虚っぽい、意外と普通の正論を言っているような気がしますが、だけど自分に正直になれってもんですよ。今の、そう今時点の私には、家事だけやってる生活なんかはっきり言って「つまらないよ」なんですね、きっと。

ああ、違いますね。嫌いなんですよ。料理は嫌いじゃないのですが、その他の家事が。

って、今ここで、2月がなぜ逃げてしまったかのように感じたのかの流れで、自己分析を始めてどうするんだって言うことですよね。

じゃあ、いっそ、「家事の達人になる」とか目標を立ててしまいましょうか。そうしたらその目標に向かって毎日が充実するってもんじゃないかしら。

(そう言うことは4月1日に言え←心の中の声)

 

アッ、クタクタとどうしようもないような事を書いていたら、私、大事なことを思い出しました。

コロナで家に引きこもっていた時も、お友達にはお電話したりして孤独ではなかったのです。

そのお友達の中に、年賀状のやり取りも途絶えて、なにげにまた疎遠になってしまっていた友人と復活しました。漫画やアニメの話が出来るメル友になりました💛

 

下の囲みは昨年の3月19日に投稿した、昨年の2月の暮らしのまとめです。

その下はお気楽な2月の生活の、雑なまとめです^^





 
2月の暮らし☆2024
・「1月の暮らし☆2024」の中に、強気なんだか弱気なんだか分からない、2024年の決意(あれも決意だったのです。)を書きました。>「生き抜く。ただそれだけが、今年の目標......
 




 いつもまとめ記事は、映画から。

2月に見た映画☆2025

 

 ドラマ

感想を書いたのは→アストリッドとラファエル 文書係の事件録シーズン5

民法のドラマも楽しみましたが、nhkの「東京サラダボール」は面白かったですね。

すでに多くの外国人が暮らす日本。いろいろな問題がそこにはあります。ドラマの感想なので難しいことは無しで書くと、バインミーは食べたくなりますよね^^

(無しすぎる・・・)

あと同じくnhkですが「覚えのない殺人」も興味深かったです。

認知症が発覚し、記憶が曖昧になっていく中、あの殺人の犯人は自分なのか・・・・って怖いですよね。

そしてまた違う視点で思った事は、認知症の人の行動にも、ちゃんと理由が存在してるんだなという事なんです。

 

 漫画

漫画サイトでいろいろな作品を楽しんでいます。
いろいろと読んでいるのですが、紹介したいのは

 

楳図かずお氏追悼の気持ちも込めて、読んでいます。特にその中に収められている「紅蜘蛛」を読み直してみたかったからなんですね。今は余裕がなくて、なかなか漫画の感想まで書けない感じですが、私的にはスルーしてはならない作家様です。

 

 お出掛け

初四国、行きました。尾道から愛媛。

尾道ラーメンを食べたからって尾道に来たことにはならないだろう

など、まだ5記事しか書いてませんが、写真日記なのであと3から5記事は書くのではないかと思います。

 

 また一つ歳を取りました。

幸せな誕生日☆2025

 

 義母が入院しました。

予想外な一日

やはりブログって便利です。そしてこんなおまとめ記事を書いていたから気がついたのですが、義母の白寿のお祝いは昨年の2月8日にしたのですね。

そして今年の2月8日に義母は入院したのです。

丸1年。彼女にとっては大切な時間だったと思います。

 

 バレンタインでした。

バレンタインの今日は

その日はお友達ともランチして、楽しい1日になりました。

 猫の日。

猫の日☆2025

 コロナになりました。

でも実は私は病院には行ってなかったのです。自分では風邪だと思っていました。熱は37.7以上は上がらず。だけど咳をすると胸やのどがすごく痛かったので、桔梗湯とカロナールがよく効きました。

日にちがズレて同じ症状になってしまった夫が病院に行って(お仕事をしているので)検査をしたら、コロナだと分かったのです。

それで、「じゃあ、わたしもか。」ってなりました(;^_^A

頭は痛かったです。でもそれも、あまり寝込んだ事がない私は、寝過ぎで痛くなったのだと思っていましたから。

ただ体力がガタッと落ちました。ちょっと動くとふうふう言ってしまいます。

 

そんな感じの2月だったかな。

雑なまとめに(いつもそうで、たいして変わりがないかも)なってしまいましたが、3月、または4月は、2月の旅行記なども含めて書いていく予定ですが、そちらはのんびりでも良いやと思っています。

いきなり驚くようなことを書いてしまいますが、実は(日付が変わっているので)今日、義母のお通夜なんです。

毎日が本当にせわしなかったです。きっとお葬式が終わっても、しばらくは忙しくしていると思います。

だからこそ、ちょっと彼女との思い出に浸ってしみじみとしたい私です。

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3月11日☆2025☆どこで黙祷したの

2025-03-13 23:50:14 | 梢は歌う(日記)

11日の日は銀行に行って、少々高額のお金をおろしました。義母の為のお支払いがドドドとくることが分かっていたからです。

お友達の「お茶しませんか。」のお誘いも、この用事とご一緒にさせていただきました。

そしてまたついでに県知事選挙の不在投票にも行ってきました。ついでにいろいろと済ますって、良いと思うんです。私のこのついでに、お友達も便乗して一緒に投票に行きました。

すると、決まられた投票所が遠いので、こちらで行く方が便利かもしれないと彼女は言いました。確かにそうだなと思いました。

日にちの都合ばかりではなくて、場所の都合で不在者投票を選ぶのもアリですね。

 

ランチして、最後にパンを買って帰ることにしました。

その時、レジでふと友達に

「今,何時? あれは2時46分よね。」と言いましたら

「大丈夫よ。55分だから。」と友達。

「ああ、ごめん。バスの時間じゃなくて、黙祷の時間よ。」と私。

「そうですよ。46分です。」とレジの人。

「サイレン、鳴るんだっけ。」

「鳴らないと思うよ、この地域では。」と私。

「鳴ればいいのにね。」

「確かに」ってレジの人。

「歩いている時も立ち止まってするの?」と友。

「流石にしないよ。出来る場所に居たらするよ。」苦笑いする私。

って言うか、なんでレジ前でレジの人を巻き込んで、漫才やってるちゅうねん。

 

だけどちょうどバスが来て、その時は黙祷は出来なかったのです。

友と別れる時、その事を言うと、

「今日はいつしたって同じよ。」

「本当よね。あの時から、ずっと始まってしまったんだものね。」

「あの時。うちの家族はみんなバラバラで、私は仕事場のホテルに泊まったの。」と、彼女はあの日の事を語りました。

皆が持っている「3.11」の記憶。それぞれに脳内リピートして、忘れないようにしていくことに意味があるのかも知れませんね。

 

その日の夜、食事の支度をしていた時、我が家では「おもうま」が流れていました。

夫が「あの時、吃驚したよな。高速の上で、あの警報が鳴ったんだもんな。」

「うん。今から目の前の道路が波のように揺れるのかも知れないと、身構えちゃったよね。」

しかし私は思いました。「おもうま」、攻めてる !!

この3.11に能登の特集でした。

何にも復興されてない能登。これが失政のせいじゃなくて、何のせいだって言うの!?

私はなんか胸がいっぱいになって、泣きそうになりました。

祈ろう・・・・と思いました。

思いがけない災害に奪われてしまった命の為に。

そして未来の日本の為にー。

 

GASSHOW

言葉が入ってるのは

【AMV/MAD】すずめの戸締まり×GASSHOW【illion】【セリフ入り】

 

昨年の記事は→3月11日、黙祷しました。

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3月10日☆2025

2025-03-11 01:22:51 | 梢は歌う(日記)

3月10日は東京大空襲の日。80年前のその日、空にB29が300機飛んできて、東京の下町を焼き尽くし、そして10万人以上の死者を出しました。

10万人ーその数の死者を想像できますか?

 

今日(3月10日)の私の生活は、とっても平和な1日でした。

朝早くから、通勤と通学のために満員のバスに乗り、9時25分からの映画を見てきました。ボブ・ディランの、あれです(感想は別に書く予定です。)

それから義母の為の銀行と、自分の家の為の銀行回り。

回転寿司で美味しいひとりランチ。

バスから降りて、トボトボと歩いていましたら知人に会って、思いがけずにお茶タイムを持てました。

家に帰ってから、メールのチェックなどをして、そして畑に行きました。

畑もずっと放置になってしまったので、ちょっと頑張らなければなりません。

行く道すがら、梅の花などにスマホカメラを向けたりしました。

「そう言えば、今年は敢えてそのためには出掛けないけれど、街中で花追い人をやるのではなかったかしら。」と思い出したのです。1月からずっと、もろもろと落ち着かず、すっかりとその事を忘れていたのでした。

ちょっと元気になったら、やる気も出て来て、そうすると毎日は楽しいことでいっぱいです。

 

夕食時、あまり注意して聞いてなかったのですが、夫が2回ほど「美味しい」と言っていたように思います。

そう言ってくれたことに、もっと反応しても良かったと思いました。

当たり前のように聞き流す。それはそれで傲慢なのだと思います。

謙虚な気持ち、大事なことですよね。

とってもいい1日になりそうだったのに、ばったり会った知人に、私はあまりいい話をしませんでした。1年ずっと苦しんでしまったある人との経緯について語ってしまったからでした。なかなか抜け出せないのです、その穴から。だけどあとから詰まらないことをしたと悔やみました。言うなれば自滅です。

 

楽しいがいっぱいの1日でした。そして詰まらないことでモヤモヤした気持ちになった1日でした。

 

だけどそんな1日が送れたのも、平和だからなのですよね。

確かに、今の日本は問題が山済みです。どうなっちゃうのかなって、考え出すと、本当にムカムカしてくることがいっぱいありますよね。

だけどそれでも戦争はしていないし、お国の為に誰かのために戦い死ねと言われてはいないのです。空を見上げても、雨のように爆弾は降っては来なくて、美しい青空や夜には月と星が輝いているだけ。

過去にあった恐ろしすぎる歴史を決して風化させずに、かろうじてだろうが何だろうが、この平和を死守していかなければ、人類に「進歩」なんてものは永久に訪れず、天使がラッパを吹くのを待つばかりになってしまうと思います。

 

それは風化なのか。3月10日に東京大空襲があった!

2018年に上の記事を書いてから、ほぼ毎年、3月10日の事を書いてきました。途中から2023年までツリーになっていたのに、昨年はどうしたのかなと思って、自分の記事を読んでいたら、昨年の3月10日は萩尾望都氏の講演会に出かけていて、かなり遅くの3月26日に投稿していました。

3月10日「萩尾望都先生特別講演会」

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