森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「レインマン」を観てまいりました。

2018-08-02 11:24:23 | 観劇・コンサート日記

東京公演は終わってしまいました。だけど本当に良い雰囲気の中で終わったみたいで嬉しく思います。

そして地方公演の始まりですね。お楽しみに~。←竜也さんのstaffツイッターもそう呟いていましたね。(8月5日追記)

※       ※

この舞台は、本当に良かったですね。

7月25日に観てまいりました。

 

先日、妹たちと会った時に、妹が、ホームレスなのに大金持ちの人の話をしました。

思わず私は竜也さんの「世にも奇妙な物語」の「夜の声」を思い出し、妹たちにその話を語りました。そしてあの

「ユリ、あの暮らしは楽しかったね。」の手紙のセリフを言おうとした時に、涙が出そうになりました。

心に刻まれた良いセリフ、良いシーンって言うのは、思いだすたびに、またその感動を味わう事が出来るのかも知れませんね。

 

この舞台にもまた、そんなシーンがあったと思います。

それは観たあなたと同じかもしれませんし、まったく違うシーンかも知れませんね。

 

なぜならこの作品はトム・クルーズとダスティン・ホフマンのアカデミー賞・ゴールデングローブ賞などを受賞した名作で、その内容は多くに知られていると思うからです。

でもだからこそ難しいと言う所もあるのではないかと思います。

感動させる物語を、当たり前のように感動させなければならないのですから。

 

椎名桔平さんのレイモンドも藤原竜也さんのチャーリーも本当に素晴らしかったです。

やっぱりハンカチは必須でしたね。

 

椎名さんは2006年、2007年にこの作品でチャーリーを演じたのですね。

と、するといつか藤原さんもレイモンドを演じる日も来るかも知れ・・・し・・・

ああ、いや、私的にはその演技は観たい。観たいが、レイモンドの髪型を受け入れる事が出来るのかと、低レベルの所で悩みます。

まあ、そんな未来のわけの分からない事で悩む必要は全くないわけで、話を元に戻しますね。

 

私はお芝居では、座る席にはあまり拘らない方なんです。時の運って言うのもあるからなのですが、まあ、良い席の時はかなり素直に喜んでいるので、やっぱり意識して拘らないと決めているのですね。

だけど今回、やはり座る席でもお芝居は印象が左右されるかもしれないなあと思いました。

なぜなら、演出が結構自然体。

前に向かってのセリフが多くなかったように思います。

今回、中央より右側の一階だったのです。

竜也さんの横顔ばっかり見ていたと言う印象でした。でも鼻がスッと高いなあ~って思って観ていましたが ^^

 

だけどもちろん感動は変わりません。

当日券もあるので、皆さま是非に。

近頃、お芝居にご一緒している方を、夏は忙しいだろうからとお誘いしなかったことが悔やまれました。

やはり良いものは人に薦めたくなると言うものですね。

 

アンコールの時、二回目が終わったら、やはり明かりがついてしまいました。普通はそこで終わってしまいますが、拍手は鳴りやまず、三回目があり、そしてその時オールスタンディングオベーションが起こりました。

素晴らしかったです。

 

以下はネタバレ感想です。

下のはお土産に買ってきたファイルです。

ポスターにも使われているこのシーンは、お芝居の中にはありません。

この先のこの場所で演技している写真が、パンフレットの中にもあって素敵です。

そしてもちろんこちらもイメージの画像。

 (こちらもファイルです。)

そしてパンフレットは

 走っている車から走りすぎていく道路をイメージしているような感じですよね。

 

お芝居は総合芸術って言いますが、ポスターとかパンフの表紙とか、そのほかの写真で、この作品のロードムービーの側面をイメージ的に補っているのだと思いました。

 

お母さんが死んだ後、チャーリーは自分とレインマンしかいなかったと言っていました。あまりにも幼い時に消えてしまったレインマン。だからそれは自分が作り出した友達だと思っていたのです。

寂しさをいつも埋めてくれていた大切なレインマン。今もずっと覚えていた幼い時の幻の友達レインマン。

その記憶があったからこそ、レイモンドがそのレインマンだと分かった時、チャーリーの心は一気にレイモンドに寄り添ったのかも知れません。

 

確かに

「僕の友達、僕の弟」には泣かされました。

いや、今思いだしても泣けます。

だけど私、あのレイモンドが、

「バイバイチャーリー、バイバイ」と言った時、ううって声が出そうになってしまいました(こらえましたが^^;)

 

「バイバイレインマン、バイバイ」と、幼いチャーリーは窓から去って行くレイモンドに手を振っていた・・・・・。

記憶の中で埋もれていたその記憶をレイモンドは覚えていて、チャーリーに教えてくれたシーンがあったでしょう。

 

同じ別れであっても、もうチャーリーには大事な家族が戻ってきました。

それでも、そのシーンはやっぱり泣けましたね(ノД`)・゜・。

 

辛い質問をレイモンドにさせたくなくて、別れることを決意したチャーリーには、あの子供を奪い合って二人の母親と名乗る者に手を引っ張らせた物語を思い出してしまいました。

愛があったから、痛いと泣き叫ぶその子の手を放したあの物語と。

 

ちょっと父親の事でも思う事があったのと、薔薇園の事も気になったのですが、そこは、まあいいか。

人は早々には器用には生きられず、誤解されながら生きていくものなのかもしれませんねと言う事で^^

 

以下はお出掛け日記。

 

 初めて来ました !

安蘭けいさんの花は、送り主も華やかな感じ。

端の方にwowowさんからのがあるのですが、今だったら竜也さんにも花は来ましたね、きっと。

 

 ※       ※      ※

確認事項:

今年はとりあえず「ミリオネアニューワールド」の怪しい教祖、将棋を愛する一般人

来年は元殺し屋のコックで四股

2020年はスパイという認識でよろしかったでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)

かんぽ生命ドリームシアター宝塚雪組公演『凱旋門』

2018-07-29 16:54:27 | 観劇・コンサート日記

 宝塚の舞台は、本当にサービス満点。私はコメディにはイマイチの反応の人だと思うのですが、

そのほかの舞台では、いつだって大いに泣いて心も揺れて、そして元気になるのです。

舞台は最高。宝塚のラインダンスは地響きを起こすのだなと、今回初めて知りました。

以下は主にお出掛け日記とほんのちょっとの感想です。

 

 朝起きたら、眉間に皴が寄っていました。深く刻まれてしまっていたと言うか。

ショックでした。確かに真夜中、足は痛み、その痛みに耐えながら寝てはいました。

恐ろしい事に、その痛みに耐えた長い時間が、私の顔に皴を作ったのです。

「まじいまじい」と言って、私は中指の先でその皴を伸ばすように撫ぜたのでした。

 

だけど世の中は一つマイナスがあれば、きっとプラスもあるもので、台風が近づいていると言う天気予報を気にしつつ、7月28日は宝塚の公演に出掛けてまいりました。

このチケットはかんぽ生命の招待で、その抽選に姉の娘婿が当たって姉にプレゼントされたモノが、ペア招待だったので私にもおこぼれが回って来たのです。

なんと言うラッキー♪

だけど台風の事も気にしていました。だけど姉に聞いたら、行く選択肢しかないと彼女はきっぱりと言ったのです。

毎日は、そんなに苦しい事ばかりではないかも知れませんが、それでも早々楽ではないと言う日が続く事もあるでしょう。

宝塚の公演には、そんな日常の辛さから救い出してくれるような、そんな気持ちにさせる何かがあるのですよ。

 

天気予報では、出掛ける12時ごろには既に強雨だったのに、実際には雨もまだ降っていなかったのです。

それで私は行く途中にある大好きなゴジラさんの写真など撮って、ウキウキと劇場に向かいました。

 

この日の強運は、姉にありました。座席は劇場にて抽選で決まるのでした。姉が引き当てた座席は・・・・

なんと !!

 

 

ss席だったのですよ~。

私が引いたら、きっとB席だったのじゃないかしら。

このSS席は確かに実際に買い求めたらお値段も高いのですが、それよりもこの席を普段自分で求めようとしたら、発売日の初日一番にパソコンと(無駄と知りつつ)向かい合うか、友の会などに入らないと無理だと思うのですよね。

 

確かに私の足は痛いまま。姉の体調もイマイチで、外は台風。

だけどそれを押して来た甲斐が本当にありました。

 

抽選で席を取ってから、劇場開場までの時間に遅いランチを取りました。

なんたって薬を飲まなくてはね(ちっとも効かないのだけれど)

 

 

かんぽ生命さんは太っ腹です。

パンフレットもお土産に頂きました。

カッコいいですよね~。

宝塚の男は本当にカッコいいのです。

(えっ、そこで「男か?」って言っちゃあだめですからね。)

 

お土産には

 これを買ってきたのですが、中身はチョコ。食べ終わったらペンシルケースに使うつもりです。

 

このミュージカル・プレイの『凱旋門』には、-エリッヒ・マリア・レマルクの小説による- という副題がついています。

凱旋門(上)
山西英一
グーテンベルク21


『「ふたりは細い雨の降っている、人影ひとつない灰色の街を歩いていった。街の端までくると、ふたりのまえにまた広場がひろびろと果てしもなくひろがった。流れる白銀の糸の中から、凱旋門のどっしりした灰色の姿が、震えながら空高くそそりたっていた」』

パリと雨は本当に良く似合うー。

原作の文章のイメージがばっちりです。衣装も美しかったです。

「パララ パララ パララ~」と頭の中で音楽が響くと、なんだかべそをかきたくなりました。

本当は絶望しかないようなラスト。管制下の元、灯りの消えたパリの街で暗黒に浮かび上がる凱旋門が、それを象徴しているかのようでした。

だけど必死に生きて必死に愛したラヴィックは、いつか親友であるボリスといつかパリのフーケで再会するのではないかと、勝手に妄想せざるを得ません。

ラヴィック 轟悠

ジョアン  真彩希帆

ボリス   望海風斗

 

かなり昔(1948年)に映画にもなっていました。

凱旋門 イングリット・バーグマン 【DVD】
イングリット・バーグマン
メーカー情報なし

 

この公演のBlu-rayは9月30日に発売予定で、今は予約販売をしています。

雪組宝塚大劇場公演 ミュージカル・プレイ『凱旋門』 ショー・パッショナブル『Gato Bonito‼』 [Blu-ray]
望海風斗,真彩希帆,彩風咲奈,彩凪翔,梨花ますみ
宝塚クリエイティブアーツ

 

帰り道、雨は降っていましたが、大したこともなく家路につきました。

「雨、大したことがなかったね。」と夫に言うと、

「君が舞台を観ていた頃、大雨で強風だったのさ。」と言われました。

やっぱり…ラッキーだったのかな。

 

楽しい一日でした♪

 

・・・・足は痛いけれどね(/_;)

 

 

コメント (2)

幕が上がりましたね

2018-07-21 02:16:28 | 観劇・コンサート日記

とうとう、昨日「レインマン」の幕が上がりましたね。

皆さんのツイッターでの初日感想を読むと、またまた違う竜也さんを見る事が出来そうです。

ハンカチは必須みたいですね。

 

もちろん私、行きますよ。

凄く楽しみです。

当日券などもあるようなので、皆様も是非。

新国立劇場HP

 

そして、またまた更に楽しみな事は続きますね。

 

19日に発表された来年2月の公演。

「プラトーノフ」。

 

 

なんと四股 !!!

 

しかもチェーホフ。

 

(あっ、いや、チェーホフさんはちょっと難しいなって、ちょっと思っているものだから^^)

 

※ なんか毎日が暑すぎちゃって。その割にはいろいろやってます。気力が失せているのは、珍しい事にブログ書き。

しばらく止めておくかなとか思ったりもするのだけれど、書かない事によって記憶が失せてしまうのも嫌だな。

こう言う時に生きてくる言葉って「適当に」ってやつですよね。

 

コメント (2)

「レインマン」のチケットは確保しました。

2018-04-23 01:50:02 | 観劇・コンサート日記

一般発売が4月21日10時からだと言う事は知って居たけれど、ちょうどその時間に人と待ち合わせをしていました。

じゃあ、後からだなと思っていたら、考えたり遣ることが多数ですっかり忘れてしまい、

「あっ、いけなーい。」と思いだしたのが、そのいろいろと考えなくてはと言う一つの出来事・…、まあ、つまり自治会の総会の事だったのですが、それが終了してからようやく思いだしたのです。

 

やっぱり「ぴあ」は完売していました。

こんな時は、ホリプロオンラインで。

いつものんびりしているので、最近よく利用しています。

 

ところが、カード決済がなかなか上手くいかなくて・・・・。

もう焦りました。

 

本当はちょっとしたミスと思い違いだったのですが、だんだんと衰えていくものを感じます。

もう自分の脳内メモを信じ込むのは止めた方が良いお年頃ですよね。

はあぁー。

タメイキが出ますわよ。

 

こんなことからも自分の生活を見直さなければと思えるきっかけになるから、それは良い事だと思うのです。

 

さて迫りくる老いとは闘いながら、心は少しでもその老いには負けじと思います。その為のエッセンスになるのは、やはり藤原竜也さんのお芝居だったりするのかもしれませんね。

 

夏の楽しみの一つは確保しました。

また明日からも頑張ろうと思います。

コメント (2)

ライブビューイング 髑髏城の七人・極「修羅天魔」

2018-04-13 02:03:51 | 観劇・コンサート日記

今日は夜に予定外のお仕事が入り、このライブビューイングを見に行く事は決定していた予定だったので、何としても乗り越えようと決意して臨んだ一日でした。大げさなようですが、そのくらいの気持ちではないと、家事・遊び・仕事は並び立たない時もありですよね。

朝からビーフシチューを作って、猫たちともしっかり遊んでやってからお出掛けしました。

と言う話は、私以外の人にはどうでも良い事だと思います^^;

まあ、頑張りました、一日。

 

だけど「修羅天魔」は、その頑張った一日に見合う素敵な作品でしたね。

 

私はこの「髑髏城の七人」を、劇場に行って観たことが無いのですが、ゲキ×シネやWOWOWなどで、またやはりライブビューイングで、人を変えての作品でこれで4回目。だけどまったく飽きませんね。

もちろん今回の「修羅天魔」は、極楽太夫がヒロインで捨之助も蘭兵衛も出てこない新作です。

それでも極楽太夫(雑賀のお蘭)が天海祐希だったら、カッコイイに決まりでしょう。

 

ライブビューイングでも見損ねてしまった「シーズン鳥」は歌あり踊りアリのバージョンだったらしいです。そうすると「極」もその分け方で言ったら、そちらの囲みに入るのかもしれません。結構歌や踊りがありました。

それって娯楽性があって、舞台を見る楽しさのテンションが上がりますよね。

極楽太夫も結構歌っていましたね。

 

ああ、どうして天海さんを宝塚の時から知って居なかったのかしらと、変なところで悔やむ心が出てきます。

そして「まっ、いいか。今、楽しまさせてもらっているんだから。」と、すぐになるのですが・・。

 

兵庫役の福士誠治さん、良かったです。

今までこんなハンサムな兵庫は居たのかって思ってしまいました。そりゃ、捨之助も蘭兵衛もいなかったら、ハンサム枠がここに来ても不思議はないってものかしら。

だけどハンサム枠は他にもありました。

《ちょっとだけネタバレしています。》

 

夢三郎の竜星涼も凄く綺麗で、また悲しかったですね。

私、途中で指を追って数えてしまいました。七人の中に、この人は入ることが出来るのかしらって。

ああ、8本折れてしまう…って事は…彼に死亡フラグが立つか、または彼は蘭兵衛のように・・・・

…結局彼は天魔王の隠し子でしたが、彼が無界の里と共に滅んでしまうと言う物語の展開が、この先の「髑髏城・・・」であったとしても、それもありなのではと思ってしまいました。

ありとあらゆることが可能な「髑髏城の・・・」だと思いました。

もしも彼が最初に出てきた夢三郎のままのキャラで、無界の里と共に滅んでしまったら、そっちの話の方がハンカチ絞って泣くって思ってしまいました。そのぐらい夢三郎は素敵だったのですものね。

 

竜星涼は「アンナチュラル」のフォレスト葬儀社の人。

ドラマの途中で、気が付きました。そうすると、今まであまり意識してなかった葬儀屋さんが気になってしまったり、またはこのお芝居を見に行くことが、ますます楽しみになったりもしたのです。

だけどこの人は朝ドラ「ひよっこ」の綿引さん・・・。

好きな人を見つけるのって楽しい事ですね。またの作品で出会えることも楽しみになって行くと思います。

 

登場人物ではないのに「捨之助」の名前は一回だけ出てきますね。

きっと中島かずきさんが好きなのかも、そのセリフが。

正確に書けないので、書きませんが「~も、~も三途の川に捨之助。」

捨之助の名前はそこから来ているわけですが、やはりこの「髑髏城の七人」にはなくてはならないセリフだったのだと思いました。

 

皆それぞれに旅立って行くラストも好きですが、この物語のように、皆でまた同じ再生の道を歩むと言うのも、素敵な終わり方だと思いました。

 

(デーモン閣下が劇中歌を作ったり歌っていたりしてたのですね。今、チラシを見て知りました。彼の歌をまったくと言っていいほど知らなかったので、ちょっとだけ驚いたと言うわけなのですが、またの機会があったら、また「修羅天魔」も見たいなと思いました。)

 

追記:(A.M 8:19)

真夜中に記事を書いたので細かい事が何も書けませんでした。また細かい事を書きだすと、お芝居の感想はキリがないので止めているのですが、一つだけ書いておきたいと思います。
回る舞台(客席が回っていたのか舞台が回っていたのか ?)の演出が凄く生きていたと言うのは、何も私が偉そうに言う事でもないと思うのですが、なるほどなあ~と感心したのは極楽太夫(お蘭)が「これから先も生きていくのは修羅の道」と言った時に、彼女の背後で回って行った数々の場面シーン。

この舞台では、「走馬灯のように流れる過去」と言う表現が可能なのですよね。

この舞台でも、ぐっとくる感動シーンでした。

 

コメント

玉置浩二 ビルボードクラシックス2018カーテンコール

2018-03-14 17:56:42 | 観劇・コンサート日記

たまには、人が「大好きだ。」と言っているものにも耳を澄ますべきだよ。

 

※         ※         ※

ある日、姉が

「『玉置浩二』のコンサートに行かない?」と言ってきました。

なんか言葉に微かな強制のニュアンスが・・・・。

確かに私の方こそ、今まで自分が好きな人のお芝居やライブに、どれだけ姉に付き合ってもらったか分からない事です。

一緒に行ったそれらを姉はみんな喜んでくれました。

だけどその姉からの「玉置浩二」と言う名前は、私にとっては、ある意味青天の霹靂・晴天に雷のような感じだったのです。

だけど姉は言いました。

「私、本当は彼の歌が一番好きなの。」

なんと衝撃の告白。

私はてっきり、今ではライブチケットは宝くじが当たるような感じになってしまった拓ちゃんを、私と同じように一番好きなんだと思いこんでいたからです。

それじゃあ、行かなきゃなと思いました。

 

私は彼の歌をほとんど知りません。

「ワインレッドの心」も正式名を知らずに「ワインレッドの何チャラ」と言っていました。ただ「田園」は知って居ました。

ドラマ「コーチ」は大好きなドラマでしたから。そして私はどちらかと言うと、玉置さんはそのドラマの中の役者さんのような気がしてしまっていたのです。

それからまた、彼はスキャンダルで…と言っても離婚結婚の話題なので、それをスキャンダルと言うのかは分からない事ですが、とにかくワイドショーを賑わす人と言うイメージ。

以前、たくさんのヒット曲を持っているシンガーだけれど、それらをまったく歌わないで新しい知らない曲ばかり歌われたコンサートに行った事があるのですが、けっこう苦痛だったのを覚えています。

その経験から予習して行こうと思い、何曲か聴いてみました。

数曲聴いて、「あっ、この人、予習なんかいらないわ。」と思いました。

 

玉置浩二は大丈夫だと、はっきり分かりました。

どれだけ知らない曲を歌われても、みんな耳にちゃんと入って来て、しかも心に届きました。

 

いや、普通はそうですよね。

新しい歌を知らないで苦痛に感じてしまったコンサートは、そのシンガーに聴かせる力がなかったからなのだと。

と、そんな事に今更気が付いた私なのでした。

 

だけどその予習は無駄ではありませんでした。

この人の歌は、意外と人生エール。生きる事の応援歌なのだと感じる事が出来たからです。

 

3月11日、会場には男の人もたくさん来ていました。

MCなし。1部も2部もずっと歌いまくります。

感動的な歌唱力です。もう聞惚れ、その歌の世界に取り込まれてしまいました。

言葉はなくても、歌詞の中に「東日本のために」と言う言葉が入ったり、場所がパシフィコ横浜だったので「横浜」と言う言葉が入ったりで、完全に歌が会話になっていました。

2部の終わりには、姉が涙を流していました。姉の大好きな歌が歌われたからだと思います。

ちらりと横を観てそれが分かった時に、私は違う感動を覚えたのでした。

好きな人がいる幸せ。好きな事がある満たされた想い。

ここは「いい空間だなあ。」と思えたのです。

 

バックがオーケストラなので、皆静かに最後まで座っていました。

だけど嵐はアンコールの時に起こりました。

 

会場は総立ちです。

そして嵐のような拍手。

私はその光景に感動してしまいました。

彼が出てくると、またみんな静かに座って歌を聞くのです。

 

そしてまた嵐。

そして静寂。

アンコール後に2曲は歌ってくれたと思います。3曲だったかしら。

 

繰り返される嵐のような拍手とアンコール。

素敵な時間だったと思います。

 

トップ画像は、姉が買ったファイルを一枚貰いました。

私のお土産は、Tシャツ。

夏はそれを着て、新しい事にチャレンジしたいと思います。

入場する時

 このDVDを貰いました。まだ見ていないので、見る楽しみもあります。

私は最後に姉に言いました。

「もし来年もチケットが買えるなら、買ってくださいね。」って。

 

下に貼った歌が、私のベストと言うわけではないのですが、この歌詞を聞いて、これは好きな人とそうでない人に分かれるかもと思いました。だけどどんな歌詞でも、歌いこんでしまう彼はやっぱりすごいと思います。

因みに私は、意外と素直に頷いて励まされるタイプです。

玉置浩二 ♪清く正しく美しく ♪

コメント (2)

蜷川幸雄三回忌追悼公演「ムサシ」

2018-03-08 00:57:48 | 観劇・コンサート日記

3月4日、彩の国さいたま芸術劇場にて「ムサシ」を観てまいりました。

(敬称略で書かせていただきます。)

溝端淳平の小次郎は初めて観ました。

骨太な感じでまたそれも良くて、キャストが違うとまたこんな風に雰囲気が変わるのかと思いました。そして「ムサシ」は更にこなれ進化し続けてきたようにも感じました。

藤原竜也がこのお芝居の中の武蔵と同じ35歳になった時にもう一度やろうと言う、その約束の時が来た時に蜷川さんは居ない。でも虎が皮を残すように、彼は作品をこの世に残し続けて行ったのだとまたしみじみと思いました。

 

今回の公演のチケットは、お友達が取ってくれたのです。さい芸での公演日はとっても短く、そして彼女が行ける日は日曜日だけ。チケットを取るのに大苦戦だったようです。

「取れました~。」とメールが来た時には、私も本当に嬉しかったです。

チケットは当日受け取りました。なんと彼女からのプレゼントだったのです。

席は今までで一番良い席で、私は吃驚してしまいました。

こんな良い席は初めてですと言うと、頑張った甲斐があったと言われました。

「ムサシ」は今までは一番後ろか、二階の脇。今回は一階の真正面で、役者様が舞台の一部として行ったり来たりする通路側だったのです。

 

観た場所によって、また違う風景が見る事が出来たようにも感じました。

だけどそれはどちらが良かったと言うものではなく、あくまでも違う風景と言う事なのです。

 

幽玄な竹林の動きは真正面から見ると、まさに迫って来る迫力がありました。

通路を私の傍らを役者の方々が通るとき、じろじろ見るべきではないなと思いつつ、稀な事なのでじっと見てしまいました。ラストで藤原竜也が私の横を通る事は分かっていたので、心の中ではムフフと思っていました。

だけどその時が来た時、私は凄く不思議なものを見たような気がしたのです。

私の横に来た時には既に通路は暗転し、シーンは舞台に檀家衆が集いあっているシーンに代わる途中です。

徳川の指南役になるチャンスを捨てて、爽やかに風を切って旅立つ武蔵と小次郎。

だけどライトの消えた通路では、私の横を黒い塊が過ぎて行ったのです。そこには武蔵もいなければもちろん藤原竜也もいませんでした。

ふと横を見ると、お友達が「やったね。」と目をくりくりと丸くして合図を送ってきましたので、私も無言で微笑んで頷きました。

だけどいつもなら「ミーハーです。」と言う私ですが、私はまた違った驚きを感じていたのです。

舞台では、観客に見るべきものを見せると言うのは大切な事ですね。そのためには役者は時には黒い塊にもなるのですよ。

ああ、やっぱり私は藤原竜也が好きだなぁ。

 

一緒に行ったお友達は、ものすごく喜んでいました。

確かに「『ムサシ』は本当に良くて、一度は観るべきお芝居だと思いますよ~。」と言って、お勧めしお誘いしたのは私です。

「もう本当にありがとうございます。こんな素敵なお芝居を教えてくださって。」と彼女は言ってくださいました。

チケットをプレゼントしてくださって、更にお礼を言われてるワタクシ・・・・ホホホ (^_^;)

 

だけどアンコールは一回だけ。

ちょっとだけ寂しさを感じました。

 

細かいところでは、ここが凄くなったなとか、ここは前の方が好きだなとか実はちょっと思っていました。だけど「ムサシ」のお話の感想は、ほぼ今まで見た時と一緒です。

それらの感想は→ 「ムサシ」 WOWOWで「ムサシ」 「ムサシーロンドン・NYバージョン」

 

やっぱりこのお芝居は、本当に素敵です。

今日をまた毎日を、しっかりと生きようと思えるお芝居だと思います。

後、ちょっと思ったのは吉田鋼太郎の存在感。

2009年の時には、彼を知らず。そしてその次の時には舞台の人だと思っていた私。

それが今では、あっちにもこっちにも顔を見ない日はないんじゃないの ?

やっぱりそう言うのって、舞台のイメージを身近な感じに変えるような気がしたのは気のせいでしょうか。

 

あっ、そうだ !!

「WOWOW」と言う文字を見たので思い出しましたが、「アテネのタイモン」はWOWOWで4月29日午後1時からやりますね。

 

パンフ。

ファイル。

 

お花。

そして・・・・・

 

 

 

 

 

コメント (4)

宝塚花組公演「ポーの一族」を観てまいりました♪

2018-02-27 23:49:48 | 観劇・コンサート日記

2月27日の今日、観てまいりました。

もうね、本当にね、なんて言うか、泣きっぱなしだったのですよ。そりゃ、号泣って事はないですよ。でも喉はカラカラに乾燥しても、瞳はずっとウルウルしっぱなしだったのです。

私たちがどれだけ長い間エドガーとアランを愛し続けて来たと思っているのって、私は自分に言いました。

そりゃ、こんな美しい舞台を見せられたら、泣きたくもなるって言うものですよね。

2次元から飛び出してきた彼らは、本当にイメージを壊すことなど微塵もない美しいバンパネラ達だったのですよ。

 

このお芝居で、「ポーの一族」のどの部分を見せてくれるのかと思ったら、意外と総集編のような感じになっていて、よくこの壮大な叙事詩をまとめたなあと感心してしまいました。

このお芝居を観に来る方が、皆「ポーの一族」の物語を知っていると言うわけではないので、このような流れになるのは仕方がない事なんですよね。

もっと一つの時代をじっくりと観たいとは思いますが、これはこれでも良いような気がしました。あわただしいような感じは否めませんが、この原作を愛してくださっている方が作ったと言うのが伝わって来て、ポイントを外していないので感動しました。

 

一緒に行った妹たちが、シーラの歌が上手くて引き込まれたと言っていましたが、後からポスターやパンフを見たら(宝塚に詳しくなくてすみません。)、シーラが女性役のトップでヒロイン的ポジションだったのですね。そう言えばメリーベルには波の音に合わせるかのようにひとりで踊るシーンとかもなかったなと思いました。

妹は宝塚のお芝居で、初めて泣いたと言っていました。(私は「ベルばら」でも泣いたけれど^^)

「どこで?」と聞いたら、やはりシーラのシーンでだったのです。

なんだかどちらかと言うと、このシリーズの最初の方で消えて行ってしまった登場人物に、もう一度ヒロインとして光が当たったような気がして、しみじみとしたような気持ちになりました。

 

それと・・・・

ああ、この事はネタバレになってしまうので、最後に書きますね。

 

その前に千秋楽の3月25日にライブビューイングがある事を、ここにお知らせしておきますね。

知っている方も多いかと思いますが、チケットが手に入らなかった方、または二回は見たいと思っている方で、もうチケットは無理と言う方はチェックしてみてくださいね。

ここです。

後、3月20日にはDVD・ブルーレイがリリースされるみたいです。

 

 パンフレットです。

お土産の、薔薇の香りの紅茶。

光ってしまいましたが

 ファイル。

写真は撮ってませんが、メモパッドなど。

劇場では

 スペシャルカクテルを楽しみました。

そしてネタバレになってしまうので最後に書くと言った感想ですが、これを作った方は分かってらっしゃると思ったのは、最後のシーンをギムナジウムの門の所に持って行ったところです。既に転校してきているエドガーとアラン。だから何もその門の所に立たせなくても良かったわけですが、だけど立たせてくれて嬉しかったです。

 

なぜなら、今ではそれは珍しくない手法(?)なのかも知れませんが、ずっと昔のその時、「ポーの一族」の最終回、エドガーとアランが消えて、そして霧の中から現れたかのように時を経て、ドイツのギムナジウムの門の前にバーンと現れて終わった時、あなたどう思った?

私は心の底から打ち震えましたよ。

あの時の少女たちは「キャー」って言ったよ。

あの時のプロの漫画家さんたちは、きっと心の中で「ギャー」って言ったよ。

(思わず文体も変わってしまいました^^)

 

そこをね、この「ポーの一族」は外さなかったのですね。

満足度高かく、幸せな一日になりました。

 

 チケットを定価で譲って下さってありがとうございました。

お友達の娘さんは、普段から宝塚のファンで彼女たちには日頃から助け合う仕組みがあるらしいですね。それでお願いしておいたのです。でなければ、三人で行くなんてことは出来なかったと思います。何かを真に愛する人たちは、本当に美しいと思いました。

もちろんお土産は、その彼女たちの分も買ってきました。

「たち」と言うのは、マイフレンド、その娘さん、その娘さんのお友達・・・なんですね。

妹が私に

「ありがとう、お姉ちゃん。素敵な友達を持っていてくれて。」と言いました。

 

生きていく毎日には美しい欠片がたくさん落ちているなって、私は思っています。

時にはそれに気が付かないで、見逃している事もたくさんあるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

コメント (4)

「アテネのタイモン」を観てまいりました。

2017-12-28 01:29:51 | 観劇・コンサート日記

【その1、物語の感想などを】

12月26日に観てまいりました。

※ ネタバレしています。

 

確かどっかで「アテネのタイモン」はその時代(シェークスピア)には珍しく、何の教訓めいたことを押し付けていない劇であると言うような言葉を目にしたような気がするのです。

勘違いかも知れません。

だって、あるでしょう、これ、教訓。

特に年末でもある今、一年を振り返って腐女子の婦女子の皆様、あれやこれやの散財の思い出したくないような記憶が蘇りませんでしたか?

一部の終わりにトイレに行った帰りに、(私は通りすがりの人の会話が、良く聞こえる人なのです。)少々若めの女性が二人が話していたのも

「要するに身の丈に合った暮らしが大切だよね。」と言う話。

一部の終わりでは、どうもそこに想いがいってしまいます。

タイモン公よー。

規模は天と地との差はあるけれどもね、これは人間のサガってやつもあるよねと思う。そしてなおかつ、私は知人の旦那の事を思わず思い出してしまったのです。

「旦那の借金がいつの間にか膨れ上がっていて、大変な事になっている。」

「飲む・打つ・買うのどっかに嵌っちゃったってわけ?」

「うん、『飲む』なんだけれどもね、自分じゃなくて人におごってあげるのが好きで、それが止められなくて借金が凄い事になっちゃった。昨日、メチャクチャ叱っちゃった。」

 

世の中には「気前が良い」と言う欠点を持っている人が確かにいるらしいです。

 

そして良い時には人はへつらい寄って来るのに、その人が困った状況になるとそっぽを向くと言うのも、悲しい事に世の醜い習いなのでしょうか。

と、流れ的にそのような言葉で繋げたわけですが、シェークスピア的にはごくごく普通の展開のようにしか感じません。シェークスピアの物語には多いですよね。おべんちゃらと真実の言葉。人はなぜか虚言の心地良い言葉を信じようとする。「リア王」とか。

ここまでは意外すぎるほど「フツウ」なんですよね。そのフツウゆえに、物語の流れのみを思うのならばちょっと退屈にも感じるのです。だけれども、ここで鋼太郎さんの演出が生きてきますよね。

この「アテネのタイモン」が、今まであまり日本で上演されてこなかったのは、意外とフツウの展開の「見せ方」が難しかったからかもしれないなと思ったのです。

彼の工夫のある演出は、前半の少し退屈に感じる物語を説得力を持たせ飽きさせないように見せてくれたと思います。

特に始まり方、良かったですよね。

発声練習や動きを練習している団員の方々。そこに鋼太郎さんと竜也さんなどがいつの間にか紛れ込み、そして「よし、やろうか。」の掛け声で、リアルの世界から虚構の世界へと観客も巻き込んでスライドしていったのでした。

 

バンキシャの特集も見ました。

面白かったけれど・・・「オスカル」発言とかね・・・・

ワルツで始まるとか、最後の晩餐の構図になってるとか・・・・

ああ、出来れば知りたくなかったかも。自分で見つけて「くふっ」って言いたかったな・・・・

と、どうでも良い腹の内はともかくとして、

友だと思っていた者たちの事如くの裏切りに、タイモンはまさにタイモンとしての最後の晩餐を最後の晩餐の構図で開きます。

すさまじい怒りと憎しみ。己の屋敷も燃やしてタイモンは森へと消えるのでした。

森の中で隠遁するタイモンの話になってから、私的好みではありますが、物語はいきなり面白くなっていったように思いました。

 

タイモンは生きながらにして地獄に落ちたようなもの。

いったい彼が何をしたと言うのでしょうか。たぶんこのような因果応報的な発想は西洋にはないのかも知れません。

彼は何もしていないのに、いやむしろ分け与えて来たと言っていいのでしょう。でもこのような事になってしまった。このお芝居の中では「タイモン公は、きっと我らを試したに違いない。」と言うセリフがたくさん出てくるのですよね。タイモン自身も実は見えない誰かに試されていたのではないでしょうか。

 

この話、恐ろしいなと思いました。

タイモンはお金が底をついて、すっからかんになってしまった事が彼の悲劇ではなかったのです。

お金になる大量の金を、彼はまた手に入れてしまうのです。

普通だったら、「じゃ諸々解決じゃん。」ってなるじゃないですか。

でも彼の落ちた地獄はそこではなかったのですよね。

 

お金がなくて乞食のような恰好をして草の根を食べて世を呪っているタイモンではないー。

お金はある。でも世を呪い人間自体を呪って呪い続けてそして死んだ後も呪い続けているー。

 

呪いの言葉は人々に闇の道を進めと吐きかける。だけど彼の煽りに目を覚まし更生しようとした盗賊を撃ち殺してしまうほど、タイモンの人間への憎しみは深かったのはショックでした。

それでも忠実だったフレヴィアスにはその金を与え、人間の傍で生きるななどと言いながらも、その幸せを願い、アぺマンタスとの絡みでは悪態をつきながら、思い余ってすがって泣くと言うシーンが印象的で、それでもタイモンは憎しみと呪いの穴から抜け出せないのです。どこかに救いはないものなのかー。

でもこの物語には、それがないまま終わってしまうのです。

「アテネのタイモン」は悲劇ではなく「問題劇」と言うジャンルに入るのだそうですね。

 

そうですよね。

もしもここまで人間に失望し憎しみを感じたら、自分だったらどうだろうかと考えざるを得ないかも知れません。現に、私はある人たちとの人間関係を連想してしまいました。

 

途中で主人公が居なくなってしまうこの物語の、鋼太郎さんの演出は、ラストに遠くの高台に彼の姿を立たせると言うものでした。その時冬枯れの木立の突き刺すような枝々がちょうどタイモンの頭の所に来て、これは狙ったものなのかと思いました。なぜならそれは人類の罪を背負って処刑されたキリストのいばらの冠のように見えたからなのでした。

 

私たちの中にタイモンはいるのだ・…なんてことをシェークスピアが思っていたかは知った事ではありませんが、なぜか私にはそう感じました。

もしも憎しみの牢獄に囚われてしまったら、その鍵はかの者を許し我をも許す、それに尽きるのではないかなどと思ってしまったのでした。

 

ここまで書いて、買ってきたパンフをちょっとだけ読んでみました。

ータイモンは・・・リア王の原型ーと言う言葉を発見。

ああ、やっぱりそうなんだと頷きました。

タイモン役の吉田鋼太郎さんはもちろん良かったです。そして脇を固めた横田栄治さん、藤原竜也さん、柿澤勇人さん、みな素晴らしかったし、役としても良い役だと思いました。忠実な人、言葉は鋭いが真実を見る事が出来る人、勇敢な人、彼らは皆誠実な人でもありました。そして出来るものならばそのように生きたいと思えるような人たちだったなと思いました。

 

救いのないような物語でも、アぺマンタスとタイモンとの絡みはセリフの内容は鋭い切り合いなのに、唾はきの応酬で笑えましたよね。(顔がベタベタになりそうとか思っちゃった^^)

なんだかんだと痛いシーンは鋼太郎さんの方にだけあったかしら。

手のひらでパチンとか、かりんをパシッとか。

 

新聞等の劇評でも評判がイイみたいです。

そんな「アテネのタイモン」もさいたまでは29日で終わりですね。

年明け、1月5日から8日まで兵庫県立芸術文化センターにて公演です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)

ライブビューイング「髑髏城の七人Season風」

2017-10-09 18:46:12 | 観劇・コンサート日記

10月5日の日にライブビューイングにて「髑髏城の七人・風」を観てまいりました。(敬称略で書かせていただいています。)

劇団☆新感線にとって、「髑髏城の七人」は特別な代表作だと思います。

私も一応、物語は知ってます。この「一応」と言う怪しげな書き方は、以前に観たからと言う意味です。

だけれどIHIステージアラウンド東京にて、360度回転の新劇場のこけら落としに1年3か月のロングランで上演され、その間キャストから演出まで変わって行くこの舞台に「知ってる」はあまり意味がないように感じるのです。

因みに、私が以前観たのは通称「ワカドクロ」と言われるバージョンので「ゲキ×シネ」で観ました。その感想は→ゲキ×シネ「髑髏城の七人」

 

そして今回の捨之介は松山ケンイチです。天魔王との一人二役バージョン。

「ワカドクロ」は、別々の配役だったので初めて見るバージョンなのです。

 

松山ケンイチの捨之介も凄く良かったです。彼の捨之介は決して軽くない。でもそれが彼には似合ってました。

笑わせてもくれるけれど。彼の底辺に潜む悲しみがちゃんと伝わって来た捨之介だったと思います。

それから…ええと…着流しから見え隠れする太ももが色っぽかったですね^^;

 

そして色っぽいし、なんちゅー美しさだって思ったのは、無界屋蘭兵衛の向井理ですよ~。

この人って、本当に綺麗な男だったんだなあと惚れ惚れしました。

 

だからあのマツケンと向井理のあのシーン、つまり・・・・ってこれはネタバレになってしまうのか。

 

じゃあ、もうちょっと後から書くことにして、本当に舞台全体がカッコ良くて、ちょっと予定が立て込んでいて無理かと思うのですが、出来たら本当の舞台で見たいと言う衝動に駆られました。

それから後の祭りの話ですが、これの前の「シーズン鳥」は歌あり踊りアリのバージョンで、やっぱりライブビューイングがあったのですよね。

どうして今頃それを知ったのだろうかと悔いるばかりです。「ワカドクロ」よりさらに成長したと言われていた小栗旬の「花」も観たかったです。兵庫が青木崇高だったし。

基本の物語は一緒なのに、キャスト・演出が違うだけで、本当に違うものの様な気がしてしまいます。欲が出ますよね~。

 

歌・踊りのないストレートプレイの風。でも本当にすべての者にそれぞれの物語の終わりがちゃんとあって感動で胸がいっぱいになりました。

 

だけど一つだけ驚いたのは、今回は殺陣が剣舞みたいだと思った事です。

新感線の舞台の殺陣は、スピードと過激さで、本当に目を見張るものがあると思うのです。でもなんていうか優雅な剣舞。効果音と光の演出が生きてはいたけれど、これも初めて見たように感じたのです。

これは勝手に私が思った事ですが、役者にその人に合わない無理を強要して、舞台をつぶすことをしないと言う事なのかも知れないと感じました。

広い舞台で優雅な向井理には、この剣舞のような殺陣が似合っていました。

 

極楽太夫の田中麗奈は綺麗で、沙霧役の岸野ゆきのは可愛らしくて、そして兵庫役の山内圭哉ははまり役。

もちろん、生瀬勝久も橋本じゅんも最高でした。

贋鉄斎が出てくると、なんかホッとしたりして^^

このお芝居、「いのうえ歌舞伎」って言われていますが、時代活劇。だけど、私はアニメ世代にぴったりな作品だと思うのです。

観れば、そうだなと納得していただけるような気がします。

 

さてこうなってくると「シーズン極」のキャストが気になります。やっぱり捨之介は古田新太かなって思うのだけれど、もしかしたら藤原竜也だったらどうしましょうって、思わず思ってしまうのがファン心と言うものなのですよね。

 

と言うわけで、ほんのちょっとだけネタバレ感想です。

☆      ☆       ☆

だからマツケンと向井理のあのシーン、トキメキました。

キャー !!

って。キャーって言いながら、美しいって思ってしまいました。もう腐女子と言う歳ではありませんが、少々の名残りの感情が萌えました(笑)

 

無界の里の惨殺シーンでも涙は無縁でしたが、あるところで一瞬ううっとなりました。

兄さんが、決意を固めて遅れて荒野を二つの釜を持って追いかけて行くシーンです。

「えっ、」「えっ、なんでここで?」って、自分自身でもそう思いました。

だけどあそこで、この「髑髏城の七人」は揃うって事なんですよね。バーンってドラマのもう一つの幕が開いて行くって感じが、雨降る荒野をひとり行く兄さんをドラマチックにして、私を感動させたのだと思うのです。

ちっとも美しくはないのに・・・・スマヌ。

 

美しく並んでいるメインキャラポスターに騙されてはいけないのですよね。

 

そうそう。

時には全力で自分を裏切ることも大事ですよね。

「出来ない」と思いこんでいる自分を。

 

 

 

コメント (2)