森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

謙虚な人々

2011-09-28 13:31:56 | 家族スナップ

 

「サンセットクルーズ」番外編。

姪も含めて女五人が集合したわけですから、賑やかでない訳が在りません。

ちなみにトップの画像は、お食事のメイン「イベリコ豚のソテー」です。久しぶりにリッチなディナーでした。

 

← 前菜

お食事の写真をすべて撮ったわけではなく、メインと前菜だけ。だけどなんとなく雰囲気が伝わったと思います。

美味しかったですよ。

夏は山梨にお墓参りをかねて根場と言うところには行きましたが、他にはこれと言って外出もなかったからか、この日はちょっと弾けてしまいました。おしゃべりも女子トークですし、凄く楽しかったのです。

ところで近頃の私は、お酒を体がぜんぜん受け付ける事が出来ません。最初の乾杯用にと頼んだ白ワインも半分くらいでギブです。だから酔っ払うわけもないのです。

ところが姉と妹の言った言葉が可笑しくて笑い止らず。
さながらひとりで酔っ払っている人のようでした。なんだか笑いに飢えていたのかしら、私。

書くと大した事はないですよ。普通の言葉です。

妹がビールを追加で頼むと、姉が

「私には烏龍茶をいただけないでしょうか。」と言いました。

言葉は否定形・疑問形を重ねる事でより丁寧になっていくのです。
非常に丁寧に烏龍茶を注文しただけなのですが、よそ様のうちに御呼ばれしたわけでもないのに、そこまで丁寧に言うかと思ったら、可笑しくて。

加えて、疑問形で言われたら、答えに「ノー」の可能性だってありえるわけで(普通はない)、

「いや、それは断る。」とお世話してくださる給仕さんの代わりに言ってみる私。もちろんそれって心の中でですが、凄く可笑しくなってしまったのです。

それは普通に姉妹たちに、何故私が笑っているのかを話して、一緒に笑いあいましたが、どう考えても酔っ払いトークのような。

その程度で、私の脳のハードルに引っかかってしまうのに、最後の方に今度は妹がまたおかしなことを言いました。

 

「最後に赤ワインを一杯だけ下さい。」

 

でもこれも普通に聞き流せると思うのです。
だから普通は。

だって私たちは5人なのですから、注文はその中の一人だけの注文ですよ、そしてラストオーダーですよと言う親切な言い方と受け取れると思うのですよね。私が笑い出さなければ、何もおかしな所はないはずです。

でも私、妹の心の声が聞こえてきてしまったのです。

―もうみんな誰も飲んでいないわ。でも私は飲み足りないな。良しここは譲歩して、後一杯だけ飲んじゃおう。これが最後!―

で、

最後に赤ワインを一杯だけ下さい。」

給仕様から見たら、笑っている私が変な人にしか見えないと思うのだけれど、やっぱり楽しい言葉に聞こえませんか。

 

女子トークですし、このお話、どこが面白いのかさっぱりわからない人も居るかもしれませんね。
まあ、私が楽しかった事だけは伝わったと思います。

やはり気のあった者たちとの集まりは楽しいものです。それにうちの家族は、内々には酷い言葉遣いをしているときもあるけれど、基本は丁寧な人たちで、いろいろ謙虚な姿勢の人たちなのだと確認しました。

 

 

この日の前日、私はトアル電話でぶち切れていましたから、この人たちの言葉の使い方が嬉しかったのかも知れません。トアル電話でぶち切れた話は、如何に私が短気なのかを晒すようなものなので書きませんが、姉妹たちには言いつけました(女子トークですから)

「しっかりそいつの名前を聞いたの。名指しで弾劾しないと、またやるよ、その人。」と、もちろん姉妹は私の味方です。

そう言う点は、はっきり言って迂闊です。「誰が」と言うのは私には余り意味がないような気がするのです。だって個人名名指しで苦情の電話をするなんて、私にはあり得ないからです。もしそれで、その人が窓際に行くようなことになったらイヤじゃないですか。いつもやってしまうと言うのなら、いつか勝手に痛い目に合いますよ。

言葉は気持ちの表れで、ちょっとした言葉の端々に出てしまうものなのですよね。謙虚さを欠いた言葉は時には傲慢に聞こえてしまう事もあるのかもしれません。

「誰が」と言うことは忘れても、案外言われた事はずっと覚えているものですよ。

 

ある人が保健婦さんに母乳が出ないことを嘆いたら、
「おっぱいがでない事が分かってたなら、子供なんか産まなきゃ良かったのに。」と言われたのですよ。

余りにも信じられない言葉なので、言った人には違う趣旨があったのかもしれませんが、その一言が酷すぎて、本来の趣旨にたどり着けません。はっきり言ってサイテー。

 

伝え辛い事、逆に事務的な連絡、謙虚な姿勢で丁寧に話していかなければならないなと思います。自戒も込めて。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンセットクルーズ6

2011-09-26 15:24:46 | お出掛け日記

サンセットクルーズ写真日記。

夕日が沈んでしまった後は、夜景を楽しみながら船は元来た道を辿ります。

 

夜風も気持ちが良いし、綺麗だなと風景に見とれていました。もうこの時は、レストランを抜け出しデッキの上をウロウロしていましたが、本当に晴れていて良かったです。

近くにいた人が
「節電していなかったら、もっと綺麗なんでしょうね。」と言っているのが耳に入ってきました。

 

十分に綺麗だなと思っていたのに、本来はもっと綺麗なのかと思いましたが、満足度が下がるなんて事はありませんでした。

 

 

このシリーズの最初の方にも似たような言葉を使っていますが、自然的風景にも心惹かれる反面、人々が作り出した風景にも、本当に魅力を感じます。

サンセットクルーズは、そんな自然の風景、人工の美を堪能出来る楽しい経験でした。

 

    ←船。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンセットクルーズ5

2011-09-25 16:39:42 | お出掛け日記

太陽が沈んでも、サンセットクルーズは続きます。日が落ちた後の風景は藍色の世界が広がります。

そして街には灯りが灯っていきました。船も帰路です。前にアップした同じようなレインボーブリッジでも時間が違う事で表情が違うなと思いました。

 

 

 

 

 

そして辺りはすっかり薄暗くなっていったのでした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「勇者ヨシヒコと魔王の城」と「ドン★キホーテ」最終回

2011-09-24 23:15:06 | テレビ・ラジオ

「勇者ヨシヒコと魔王の城」、深夜枠・低予算、だけどめちゃくちゃ面白かったです。

確か「怨み屋」もこの枠だったと思います。でもいつしか見なくなってしまったテレビ東京のこの深夜枠。だけどある時から、この時間帯になるとみんながツイッターのTLで、このドラマの話を呟きだすのです。それで気になって見始めました。

「何処を切っても~」と言う言葉がありますが、このドラマ、何処を切っても、例えば滅多切りにしても(表現がえぐい?)、その欠片の全部が面白かったです。もう褒めすぎと言う感じですが、本当です。

 

子供が赤ん坊の頃、私自身がドラクエに嵌っていました。元々ドラクエと言うゲームは、自分の想像力と対話してその面白さを高めるゲームです。そして性格も出る。
「ドラクエ1」の時、いきなり強いキャラとして出てきた骸骨を倒すレベルになるまで、ひとり荒野を彷徨う夫に対して、何度殺されても低いレベルのまま砂漠を突っ切ろうとする私、懐かしい思い出です。

そんなドラクエの世界を見事に再現させて・・・・
って、嘘ですが、此処まで笑いに転嫁させ、こんなに面白いドラマを作るなんて凄いと思いました。

低予算なので山場の戦闘シーが手抜きアニメだったらり、愛すべき敵キャラが変な着ぐるみだったりもするのですが、それも含めて笑ってしまいます。

 

監督・シナリオとも福田雄一、「逆境ナイン」のライターさんだったのですね。道理で面白いはずですね。

そしてこのドラマが本当に面白かったのは、主演のヨシヒコが山田孝之だったからだと思います。彼の演技力が光りました。他のキャストも良かったです。
宅麻伸、木南晴夏、ムロツヨシと豪華キャストで加えてゲストも贅沢でした。ほとんど友情出演だったのではないかしら。

最終回は結構迫力のある映像でした。

面白くて面白くて、だけど何も難しい事は残らない、そんなドラマも大切だと思いました。

だけど何も残らなくても良いはずなのに、何ごとからも学んでしまう習慣があると、このようなドラマからでも学び取ってしまうのでした・・・なんて^^:

魔王の街に進んだヨシヒコたちの堕落振り。
特にエアコンの快適さの虜になってしまったヨシヒコには、思わず私自身の目が泳いでしまいました。

私たちは魔王の街に、実は住んでいて・・・って、もう止めた。アホクサ、そんなドラマじゃないでしたね。

 

もうひとつの最終回を迎えたドラマ「ドン★キホーテ」

このドラマも大好きでした。何でだか任侠の鯖島と児童相談所の児童福祉士の城田はその魂が入れ替わってしまいました。でもそんな彼らは計算なく、闇の中から子供たちを救い出していくのです。

松田翔太のおっさん臭さを出した演技も良かったです。そしてこれも脇が良かったです。高橋克実はもちろん、小林聡美、内田有紀・・その他たくさん。(以下書き忘れたのでちょっとだけ追記しました。)
よく考えてみれば、児童相談所の所長の小林聡美部分にコメディなし。真面目な部分をになっていました。それなのにその部分が、この奇想天外のドラマにしっくり嵌っていて、そして絞めていたと思います。自分の世界を持っている女優さんなんだなと改めて思いました。
真面目な小林部分に相反しての内田部分。思い切りコメディ色が強く、何があっても夫を支えると言う妻の姿勢にホッとするものがありました。
イイ女二人が鯖島と城田を支えていると言う安心感が、枠を超えた城田、実は鯖島の行動にも安心して見ていられたのかも知れません。
ゆえに単純にゲラゲラ笑ってみていられたのだと思います。上手な設定だと思います。

このドラマは9時台のドラマなので、テーマも考えさせられる事も確かにたくさんあったかもしれません。

でも一番印象に残ったのは優しい物語展開であり、そして「勇者ヨシヒコ」に負けないくらいのコメディのセリフの面白さだったと思います。

 

とここで終わっても良いのですが、余りにも短いので、印象的だったささやかな事を。

最初の方で城田がネットで真面目に、魂の取り替え方をみんなに問うと、お寺の長い階段の上から抱き合って転がるなんて答えがあって面白かったですね。そのお寺の上から転がった映画のヒロインが小林さんなんですものね、面白いって思ってしまいました。

 

今日24日のおかしかった所、カルタ大会を大真面目と言う所かな。
そして今日の気持ちの良かった所は、やはり子供をつれて自転車で街を回る所でしょうか。

元に戻った二人。その時またあの雲が・・・

ああ、又も・・・と思ったら、相談所の西やんと鯖島組の兵頭が今度はって言う所で終わります。

ひねった終わり方で、こういうラストは凄く好きです。

 

二作品とも、続編が出来たら必ず見ます。

続編出来ないかな?!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

繰り返される中にも

2011-09-23 15:46:00 | 梢は歌う(日記)

9月23日、秋分の日。またはお彼岸の中日。
いつもの如くお墓参りに行ってまいりました。

 

夏に行った時は草が伸びきっていてお掃除も大変でしたが、今回はそうでもなくて前回に比べたら楽でした。だけどあの台風の後なので泥などで汚れていて、または葉っぱなどのゴミがお墓の中にたくさん落ちていました。

でもお墓参りに行って、お墓をお掃除する事が何故だか好きなんですよね。

 

先に逝ってしまったもうひとりの家族、義父と会話しているようで。

 

だけどこういった珍しい嫁がいないところのお墓も、ところどころあるみたいです。

 

夏草が伸びきってしまっているお墓もいくつか在りました。

お墓参りだって、事情があってちょっと遠くに居を構えてしまった人には、そんなに頻繁にはこれるわけではないですよね。

 

義母が「代わりにやってあげたいくらいだ。」と言いましたが、思わず、それ仕事になりそうだなと思ってしまいました。

でもそんなお仕事、既にあるみたいですね。

交通費の事も考えて
「3000円ぐらいでやってあげても良いわね。」と言ったら、、義母に
「安すぎるわよ。5000円以上に価値のあるお仕事よ。」と言われました。

そうだな~と思いました。私などはすぐに時給換算してしまうのですが、仕事と言うのはそう言うものではないのですよね。

 

考えてみれば、今の世の中そんな時給換算思考ばっかり。
いつからそうなってしまったかって言えば、企業が人に時給以外のものを出し渋りだした時からですよね。
箱を守る為に、人を切っている世の中。
おっと、もっと過激な事も書いてしまいましたが、削除しましたよ。

 

人が衰え箱が残っても、そんな箱が並んでいる国に、本当の元気なんて戻ってくるわけがないんじゃないかなと思いました。

 

ところで義父が亡くなって、考えてみれば既に20年以上も経ってしまったのだと気が付きました。

ヨロリ。

なんだか歳を一気に取ったような気分です。

でもそれだけの回数お墓参りに来ているんですよね。だけど今日始めて車窓から、道路端にお墓があることに気が付きました。
「こんな所にもお墓があるんだ。」と心の中で思ったのですが、

そのお墓、夢で見たことがあったのです。

夢の話を時々ブログに書いているので、そのお墓の話も書いたことがあるかもしれません。
私は無意識にそのお墓の事を見ていて、そしてある時それを夢に見ていた。なんか人間って不思議。

 

もう少し先に車が進んだ時に、いつも素敵だなと思っている風景の所に来ました。

なんでもない溜池です。だから今までひとりでじっと眺めて、ひとりで満足していました。でも今日何気なく

「こんななんでもないような風景でも、ここは私のお気に入りなの。」と言いました。

たまたま信号で止まっていたので、夫は振り向いて、そして言ったのです。

「俺、ここに何回も来たのに、初めてそこがそんな溜池だったなんて知ったよ。ああ本当だ。鳥たちが静かに泳いでいるね。」
奥まっているからよそ見でもしなければ前方から見える場所ではなかったのです。

何回も通った道ですが、それでも「今」気がつくと言った事は起きるのですね。

 

 

歳を取っていくと、老化の現象に「頑固になる。」と言うものがあると、モノの本に頼らずにもはっきりと強く思います。そして人によっては、そう言う傾向に人はあるのだと気が付かない人さえいるのですよ。ただ私の周りにいる老人たちには、その頑固さがないのです。だから彼ら―彼らと言うのは、自分の父や母そして義母の事ですが、非常に若々しく感じるのです。

私も彼らのようでありたいなと思うのですが、「知る」「気付く」と言うことにいつまでも謙虚である事が大切なことなんじゃないかなと思います。

 

傲慢な人は、もう何でも知っていると思っている・・・
諦めた思考を持つ人は、愚か故にもう何も知らないと思っている・・・

 

<23日に思った事などをツラツラと。本日二回目の投稿。一つ前の写真日記もよろしくね。>

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンセットクルーズ4

2011-09-23 08:54:14 | お出掛け日記

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉要らないかな・・って思って・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンセットクルーズ3

2011-09-22 09:39:37 | お出掛け日記

お出掛け写真日記、その3です。

ここからは見えると言うわけじゃないのですが、向こうにあるのは羽田です。

飛行機に乗る事は想像したくないけれど、でも、飛行機イイよな~、

ああ、どっか行きたいなあって思ってしまう。

同じような写真が続きます。でも画像は似たようなものでも、私の心の中のワクワク度が違います。

 

 

 

 

 

ああ、あっという間に行ってしまった・・・・

 

 

 

向こうに見えるのは、別名恐竜橋、東京ゲートブリッジだと思います。

ところでタイトルは「サンセット・・」、サンセットはどうしたのと言う所ですが、あたりも暗くなってまいりました。次回までお待ちくださいませ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピースボート最終回

2011-09-21 14:03:03 | テレビ・ラジオ

最終回シリーズ。
月曜日は、深夜枠放送の「ピースボート」が最終回でした。これはテレビドラマとしては、演技達者な濱田岳君の初主演となるもの。濱田君は井坂幸太郎原作の映画のほとんど常連で、気弱な青年だったり怪しい殺人者だったりとかなり魅力的。「平成夫婦茶碗」の長男役、「金八」でも憎たらしい生徒役で、私のファン歴も長いのです。

少々期待していました。

と言っても、このドラマを平日の深夜枠なのに見続けたのは、彼の演技に期待と言うよりは、ひとえにご贔屓筋の藤原竜也出演に期待してにほかなりません。

だけど初回、トイレに行っていたのかちょっと遅れました。そしたら死体で登場の竜也君、出番が終わっていたみたいです。そのシーンを見逃していたので、今か今かと出番を待っていた健気な私・・・・・
そして、とうとう彼を見ずに終わってしまいました!
カックシ・・・

でも予告編に出ていたので、気持ち復活♪

こうやって書くと、深夜に何やってんだかって感じ。まあ、それも遊びのうちでして。

この物語は、最初はそんなに彼は出演しなくても、お話の流れで行ったら最終回辺りには出演多数になるはずだと思いました。

なぜなら船に集められたのは、みな優の死、もしくは人生に関わっている者ばかりだからです。

その死の真相の種明かしに登場しないわけがありませんから。

 

と言うわけで、なんとなく見続けていました。
そして、このお話をじっと見ていたら、ある映画を連想してしまいました。その映画は「ゲーム」。仕事人間だったある男に、次から次へととんでもない事が起きるのです。そして最後は男は愛する弟を殺してしまい、自分もビルの屋上から飛び降りてしまいます。でもそれは仕事ばかりの兄のために、ちゃんと人生を生きて欲しいという願いから、弟が私財を投じて送ったプレゼントだったのです。もちろん弟は生きていて、兄も助かりますと言う映画です。

 

だから、私は竜也君の優は生きていて、そしてすっかり兄に依存して何も自分をもっていない秀の為のゲームなのだと期待しました。

 

だいたいこの物語は、「00」と刻印された謎の男は、すぐに「そのゲームの敗者は、即死亡」とやたら「即死亡」と言うのです。だけど一度たりとも死体など出てきません。残酷なシーンもないのです。いや、別にそう言うシーンを見たかったと言っているわけでは在りません。

だいたい船の上に集められた人々、ゲーム、即死亡、ネットのこちら側では見ている人たちが・・・って

「カイジ」、「ライヤーゲーム」「インシテミル」のごちゃ混ぜ版ですかと、最初は設定にウンザリしていました。

だけどそこにはお金は関係なく(最後に意味の余り分からないオークションがありますが)、晒していくのは人生です。自分の罪を悟った人々から下船して行きます。どうも下船は救いではなく死亡を表しているらしいのですが、どう考えても救いです。

この人たちは誰も死んでいないんだと、視聴者も薄々分かっているのですが、これはテレビの中のネットの窓から覗いている人たちも分かっているのだと思うのです。

これは誘拐された人たちから見ればとんでもない事だけれど、見ている側から見たら、ただ「死ぬ」と言っている遊びです。

そしてこのゲームの目的も最終回待たずに明かされます。

「ピースボートは、問題を抱えた人の心を命がけのゲームで更生させるという企画で、優(藤原竜也)が発案したものだった。」HPより。

更正なのですから、下船はやっぱり救いだったわけです。

 

そして、最後に残されたのは秀。
そして優の死の真相は・・・と言う所が、最終回の見どころであり、待ちに待った藤原君の見せ場だったと思います。

その期待は裏切られませんでした。

他の皆さんも熱演していました。だけどなんとなくドラマの設定に納得が言っていないので乗り切れず。だけど最終回途中までいたく感動させられてしまいました。

新世界の神は救いのないような孤独から逃れられなかった・・・・
なーんちゃって。

 

その世界の頂点に立ち、才能もお金も欲しいまま。だけど勝手は自分に寄り添ってくれた弟も、自分がいるが故に己を失ってしまっていて、恋人も逆らうことなく、なんでも同調して、さながら自分の影にしか過ぎません。みんなが手を取り合える世の中を目指したのに、そんな事を考えているのは自分だけ。

救いのない絶望に、優は自らの手で・・・

なんだか安心して見ていられるなって思いました。申し訳ないけれど、そこだけドラマのカラーが違っていました。

でも濱田君も、最終回でなんかようやく抜け出たような感じがしました。意外とこういう居直ったろくでなしを今までやった事がなかったんじゃないかなと思ってしまいましたが、なんかとなく似合わなくて、イマイチ主役の重さを感じられませんでした。が、ラストの復活の演技は冴えていました。ようやく彼らしくなったというか。演技力の定評がある濱田君ならこういう演技が見たかったというものを見せてくれたようにも思います。

「僕は諦めない。そして生きて、生きて、生きて生き抜く。」

おお~、と思っていたら終わってしまったのです。

 

要するに彼は下船したのです。汽笛の音でそれを表していました。

彼はしっかりと成長して下船していきました。濱田君の顔の表情でそれを表しています。

そして終わりです。

 

ムカッ~としました。
なんと言う駄作。
それは余りにも説明不足と言う点からそう感じさせるものがありました。

最終回を見れば、このゲームは罪ある人々も結びつかせようと言うもの。殺すなんて事は、既に分かっていたとおりあり得ません。正直に「死亡」と言う言葉を使わずに下船と言う言葉を使えば良かったのですよ。でも違う言葉を使ってしまった以上は種明かしが必要なのですよ。

また謎の男は、自殺した設定になっているけれど、それさえもピストルの音だけ。死んでいなくて良いんですよ。だっておかしいじゃない。誰が秀君に出口はこちらですよとご案内したのですか。勝手に行けるんだったら、とっくに行ってるでしょう。

かっこ良く決めちゃったけれど、優の自殺だって変です。ここまでの企画をして丸逃げですか。他の人はともかく弟の復活は気にならなかったのだろうか。

ぷりぷりしていたら、ツイッターの書き込みに「舞台劇みたいだ。」と言うお言葉が。

ああ、成る程なあと思いました。本当に舞台劇みたいだと思いました。

だけどこれは褒め言葉じゃないですよ。

舞台の自由さは、簡単には語れないけれどハンパないものがあるんですよ。何もない空間で「行けども行けども真っ暗な宇宙だ。」と言ったら、そこは宇宙になってしまうし、しばらくしてその彼が「ああ良かった。電気がついた。僕はこの宇宙と言うパチンコ屋の常連なんだけれど、トイレには行っている間にみんな消えちゃったんですよ。」と言ったらパチンコ屋さんになってしまうのです。

でも大切なポイントは、ドラマに舞台みたいと言われる演出を持ち込んではいけないと思うのですね。

かつての大河「天地人」。何回か舞台演出のような回が在りました。どれだけ大河ファンのブーイングを受けた事か。ドラマには舞台ほどの自由度はないと思います。だから同じことをやったら作り手の自己満足に感じてしまうのかもしれません。

 

でもまあ、しばらくして冷静になってみると、私の目当ては竜也君視聴なので、最終回はそれなりに満足だったので、文句を言う事もないかと思えたのでした。オワリ。

 

※   ※    ※   以下は妄想的願望ラスト。これも舞台っぽいけれど、こういう風なのが好みかな、みたいなもの。

「生きて、生きて、生きて、生き抜いてやる。」

ギィギィギィ、扉は開く音。なぜか神々しい光。

そこに立っているのは優。

「生きていたんだね、優。そうだよ、諦めちゃいけないんだよ。」

優はそっとその手を差し出す。その手を秀はガシッッとつかむ。

パンパンパン。そのかなり後ろで謎の男がゆっくりと拍手をする音。
もしくは今までの全員参加の拍手。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンセットクルーズ2

2011-09-20 07:59:28 | お出掛け日記

 

東京湾クルーズの写真日記の続きです。前の記事→「サンセットクルーズ
人は自然的風景に心惹かれる反面、人工的な風景にも心惹かれるものなのだと強く思うのは、こういう風景に触れたときです。
そこには人は写ってはいませんが、人々の生活を感じます。

下からはレインボーブリッジを下からの撮影。少し続きます。

 

 

 

その下を通り抜けて・・・

 

 

 

この船に乗ったからこそ撮れる角度ですよね。ちょっと、ふふふな気持ち。
フジテレビも海側から。

 

そして、一番上にアップしたコンテナの場所に。

 

思わず、私が
「シンガポール・空」と呟いても、姉妹たち意味も分からず微笑むばかり。
当たり前ですね。
この画像でその言葉は、「相棒」ファンだけに分かる合言葉です^^

まだ、たらたら続きます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「テンペスト」と「下町ロケット」☆

2011-09-19 17:16:40 | テレビ・ラジオ

この二つを並べると言うのはどうかなと思うのですが、18日にはやはり見ていたドラマの最終回が二つありました。それがこの「テンペスト」と「下町ロケット」なのです。

テンペスト 第一巻 春雷 (角川文庫)
池上 永一
角川書店(角川グループパブリッシング)

このドラマの原作は、結構人気も高く、先に舞台にもなっていたのですね。

何も知識なく、ただその初回が余りに面白く見始めたのですが、回を重ねるごとに思っていた物とはかけ離れていくので戸惑うばかり。

初回に、何故あんなに面白く感じたのかと言えば、なじみのない琉球の歴史が描かれるものと思っていたからです。その点に関しては、ちっとは描かれていましたよ、ちっとはね、とそんな言い方で拗ねたくもなるような裏切りの展開でした。

一言で言うと、語学力堪能な超スーパー少女の波乱万丈な一代記。
宦官になったり、流罪になったり、側室になったり、そして恋も実らせてしまうと言う忙しさ。

思っていたのとは違かったけれど、時には凄く面白く感じた「テンペスト」でした。
だけど時々はちょっと・・・・

でもそれは、ヒロインが余り好きじゃないゆえかなと思うのです。ある時まで凄く好きな女優さんだった仲間さんですが、ちょっと泣きが入ったような演技が、時々苦手です。

宦官の姿になったときも、女性の私がグッと来るような色気が欲しかったなと思います。

でも舞台もドラマも、そして映画も仲間さんがヒロインで代表作になりそうですね。

聞得大君とか首里天加那志とか、そう言う言葉が面白かったです。聞得大君のラストは、訳が分からなかったけれどなんだか良かったな思いました。要す るにあれは実質的な守り神になったのだなと解釈したのですが、どうだったのでしょうか。でもちょっとだけ、だったら先の戦争で、島の人たちをもっと守って あげて欲しかったとか、チラリと思ってしまったのでした。

このドラマに感動すると言うシーンはなかったように思います。急展開の物語を追いかけていくだけ。
いろいろある人生だけど、真鶴ほどいろいろなくても良いんじゃないかと思いました。

まあ、ゆっくりいきましょう。

人生全体が忙しかった真鶴ですが、もうひとつのドラマだって登場人物たちは、実は忙しい毎日を送っていたと思いますよ。

下町ロケット
池井戸 潤
小学館

wowowでやっていた、この「下町ロケット」は最初から最後まで、面白さが途切れる事のなかった傑作だと思います。
原作は2011年上半期直木賞受賞作品。

今では親の会社を継いで町工場の経営者である佃航平は、かってはロケット開発に研究者として関わり、実験衛星ロケット打ち上げに失敗と言う苦い経験を持っていました。その時の失敗の原因であるエンジンバルブに拘り、中小企業であっても、夢を捨てずに自社開発に真摯に取り組み続けてきました。

そんな中で起きてくる、特許侵害の告訴。それは大企業の中小企業つぶしの戦略的言いがかりのようなもの。崖っぷちに立つ「つくだ」。そこに現れたのは、離婚した妻の友人である女弁護士でした。闇の中の一筋の光明。

その時同時に起きていたのは、帝国重工のすべて自社製品に拘ったロケット打ち上げ計画でした。が、自信を誇っていた開発エンジンが既につくだによって特許申請がなされていたのです。その特許を20億で譲ってくれと高飛車に申し出る帝国重工の財前。裁判で経済的にも窮していたつくだにとっては、その額は余りにも魅力的なものでした。だけど航平が出した結論は・・・・

そして彼らのエンジンでロケットは飛ぶのか・・・・

ともすれば飛びついてしまうだろう目の前の提案。ややもすれば負けてしまい逃げ出したくなってしまうだろう困難。

だけど佃は踏ん張ります。自分の信念を捨てずに。

とにかく全編、すがすがしく爽やか。

その佃航平を、お気に入りの俳優さんである三上博史、彼を助ける女弁護士を寺島しのぶ、財前を渡辺篤郎。その他にも魅力的な俳優さんがたくさん出演していました。そしてジーンと心が痺れる様ななエピソードもたくさんありました。

最終回、例の如くセリフは不正確ですが

・・・・・、!?

なんだかすっかり忘れてしまいました。なのでエライ創作になっていたらすみません。主旨は間違えていないと思うので。

「ひとつの目標の終わりは、新たなる目標の始まりである。」
または、
「夢の終わりは、また新しい夢の始まりである。」

正確なセリフは忘れてしまいましたが、その内容には大変感動しました。

wowowは有料のテレビチャンネル。故に頑張らなくてはいけない部分もあるのかと思いますが、良作を送り出そうと言うその製作姿勢にはエールを送りたくなるものがあり、この作品にはそれが表れていたと思いました。

※実は今日は更新二回目。一つ前の東京湾の写真日記にも立ち寄っていただけると嬉しいです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする