森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

檜町公園は東京ミッドタウンの隣です

2012-06-29 17:57:50 | お出掛け日記

先日、「大エルミタージュ美術館展」の為に六本木を訪れましたが、その後の計画はヒルズでランチ&お茶をすると言うものでした。国立新美術館は二回ほど過去にも訪れたこともあり、いつもその時は森ビルでお食事をしていたと思います。だからもちろん地図などで確認していくこともありませんでした・・・・・・

上記の「・・・・」で、このブログに長く来ていただいている方には「はは~ん」とバレテしまったかも知れませんが、そこには辿り着けませんでした・・

「ヤッパシ」って、今思った?

そう言えば、前の時にはいつも姉が一緒にいて、私はぼんやり着いて行っただけなのでした。

でも、本当にお久し振りに会ったお友達と一緒だったので、別に焦ってウロウロしたわけではありません。

なんとなく歩いていたら、自然にある高いビルに吸い込まれるように入っていってしまいました。人々の流れに無意識に従ったのかも知れません。

 

そのビルの中にも素敵なお店がたくさんあったのですが、なんとなく気分じゃないというか、最初からヒルズの森ビルに行こうと思っていたのに、その日の気分は、なんとなくイケてないような、そのイケてないようなのが素敵というそんなお店を望んでいたように思いました。そのビルを入った入口の反対側から出てみると、なんと素敵な公園があるじゃないですか。

こんなビルの狭間に、このような癒しスッポットがあるなんて・・・

しかもこの建物・・・
ちょっと分かる人にしか分からないことを言って申し訳ないのですが「ムサシ」の舞台みたいじゃないですか・・・
ヒャッホーイ♡

 

 ここ、素敵でした。

なんか得した気分です。

ここがどこかって、家に戻ってから調べてみました。

「檜町公園」というのだそうです。

なんとなくwikでこの公園のことを調べていたら・・・
なんと、草薙君がムニャムニャムニャのあれは、この公園でだったんですね・・・キャッハ^^

 

都会の真ん中のささやかなオアシスだと思いました。

それから吸い込まれるように入っていった高いビルは東京ミッドタウンだったのですね。

昔は大きなビルなどが建つと、いそいそ出かけて行ったものです。最近はそういう事にはあまり心が動かずに、未だ東京駅の新丸ビルにも行ったことがありません。

むしろ公園を出た所からそのビルを見上げ
―なんで人はこんな風に天を目指して建築物を建てるんだろう。
なんて思ってしまったのでした。

私はすっかり田舎者です。

※      ※      ※

ああ、そうそうランチですか?

その界隈の、ちょっとイケてない感じのピザ屋さんに入りました。

珈琲にはミルクも付かず、通であることを強要してるなと思いましたが、すこぶる美味しかったです。

だけど私のようにコーヒー中毒でありながら内蔵が弱いという人もいるんだから、ミルクは付けなきゃダメさ。

だいたい珈琲というものはだね・・・

それはどうでもいいか。

肝心のピザも美味しかったのですから。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大エルミタージュ美術館展に行ってきました。

2012-06-28 11:01:47 | お出掛け日記

6月20日、六本木にある国立新美術館にて「大エルミタージュ美術館展ー世紀の顔西欧絵画の400年」を鑑賞してきました。

←チラシです。バッグから取り出したら、ちょっとシワシワに・・・
なんだか、いつもと違って雑な取り扱いのような。
ちょっと疲れちゃって。

作品数もすごく多く感じました。
でも今思うと、特別に展示数が多かったというわけではないように思うのです。

ではなぜ、多く感じたのかというと、それは様々な時代の様々な人の作品にドドっと触れたからだと思うのです。絵画と触れ合うことは人と向き合う事にも似ていると思います。いにしえの画家たちの想いや時代の背景が自分の中に流れ込んでくるような感覚がします。

本当に疲れました。

私は今年、行きたいなと思う美術展を探すのは、新年に新聞などでチェックしておくのがここ数年の習慣です。その時美術展のタイトルを「大エルミタージュ展」だと思っていたのに、チケットを見たら「エルミタージュ美術館展」とありました。おやっと思い、チケットをしみじみ見てみたら、ちゃんと「大」という文字は控えめな色で、しかしデザインされて描かれていました。そんなタイトルの「大」と言う文字に納得できる内容で見応え充分でした。

「大エルミタージュ美術館展」のHPは→ここです。

 こちらのHPも解説は詳しく、コラムなども面白いので是非チェックしてみてください。

展示は時代によって5章に分かれています。HPの解説が詳しいので、あえて私が語ることは何もありませんが、音声ガイドから聖母マリアを絵画の中で見分ける方法を学ぶことが出来ました。彼女は赤い服と青い何かを纏っているそうです。分かってみてみると、宗教画の様々な絵画の中で、彼女は確かに赤と青で彩られていたのでした。 HPのこんな所も、お見逃しなく→ここ

かなり知らない画家の方も多数いました。美しい絵画を順に観てきて、4章の「 19世紀 ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀」まで来た時に、知ってる画家の方たちの作品が並び、思わず家に戻ってきたような安堵感を感じてしまいました。

そしてさらに5章の「20世紀 マティスとその周辺:アヴァンギャルドの世紀」に進んだ時に、私が感じたことは、ちょっと情けないことでした。それは何かと云えば、もしも私が画商などの仕事をしてる人だったら、もしくはかなりの財を持ち、絵画をコレクション出来る身分の者だったとしたら、私は新しき風を感じることが出来ずに、20世紀の絵画の未来を黒く塗りつぶしてしまったのではないかということです。

チラシにも載っていて、この美術展の看板にもなっているアンリ・マティスの「赤い部屋」。
3メートル離れて見ると、この絵画の迫力と美しさに引きこまれます。だけれど近くで見たら、ちょっと違うことを感じてしまうのですよね。それはいにしえの宮廷画家たちの、これでもかというくらい重ねられた絵の具で隅から隅まで完璧に仕上がっている絵画を見続けた後での作品展示だからだと思います。

そこが私の未熟な点かも知れませんが、別の言い方をすれば「好み」の問題かと思うのですよね。

だけれど、その才能を見抜きコレクションしていったロシアの大コレクター、セルゲイ・シチューキンは本当に素晴らしいと思いました。彼については、HPのコラムをお読みください。→Vol.16 「大エルミタージュ美術館展に行こう!(5)」

ついでですがエルミタージュ美術館については、詳しくは→ここで

気に入った作品は幾つもありました。思わずカタログなどを買おうかなと悩んだのでしたが、今この時に気持が盛り上がっても家に帰って見返すことは稀だと思うので、それは止めて、また何枚かの絵葉書やファイルや一筆箋などを買って参りました。そうそう画像はありませんが付箋も買って来ました。絵葉書はコレクションで誰かに送ることはほとんどありませんが、他のものはその日から使って楽しんでいます。

はっきり言って、おみやげ買う派です。買ってきたものは、長く使うことが出来て二倍の楽しみ方だと感じています。

 

 ←クロード=ジョセフの「パレルモ港の入江・月夜」は絵葉書でも買いました。なんで絵の中でも月の光に心惹かれるんだろうかと思いながらも、魅せられました。

←一番端のは、モネの「霧のウォータールー橋」

ちょっと、これは下に大きく載せました。一筆箋は他にもありましたが、これはオススメです。・・って、なんでおみやげ解説してるのかわかりませんが、アンリ・ルソーにポールニャックの点描画・ボナールにシスレーの絵が順番に出てくるんですよ。伝言なんかなくても誰かにメモを渡したくなる気分です。

ドラマの影響ですが「高まる~」って気持ちになることって大切な事なんだと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「後白河院」を読みました。

2012-06-24 17:07:12 | ユーモレスクを聴きながら(book)

こんばんは。久しぶりに真夜中に書き出しています。ちょっと書いて、残りは翌朝にと予定していますが、果たして予定通りに行くか・・・。
近頃まとまった時間を取れずにブログと向きあう気分になれませんでした。でもなんとなく書いておきたいことが溜まってきたので復活したい気持がムクムクと沸き起こっては来ているのですが、生活リズムが変わって上手く時間を使いこなせていない私です。そんな所はまたのおしゃべりで聞いてくださいね。

なんだか最近目先の「楽しい」を優先して、平和な気分で生きています。それは言葉にすると、まったくもって悪くはない感じですが、なんかこのままで いいのかと時には首を傾げたりもするのです。本来人は、そこに山があったら登り、川があったら泳ぎ渡ろうとする生き物なのかも知れません。山なく川なく平 坦な道ばかりを行くと、その風景に飽きてくるのは必定。だけれど困難を外的なものに押し付けられれば、それは「悲劇」とか「不幸」とかいうろくでもない二 文字を伴う場合も多いのでろくなものではありません。やはり山も川も自分で課せるものではなければならないのではなどと、日頃から思ってはいるのです が・・・・

まあ、いろいろ思考中です。試行中、もしくは施行中まで行っていないところが悲しい所です。

 

それはさておき、目先の楽しみの一つには、私の場合はやはりドラマを見ることだと思います。

いろいろ見ていますが、大河の「平清盛」が凄く好きです。

柱の部分がドンと面白いので、細かい部分がまったく気になりません。

そして物語は前半の山場ですね。

教科書では数行で終わってしまう保元の乱・平治の乱。

切なさに涙してみたり、松山ケンイチの眼力演技に感嘆して見ていたりしています。と言っても、今回はドラマの感想ではなく本の感想です。しかも「平清盛」という本の感想ではなく「後白河院」。

私の今年は、花に水をやって本を静かに読むことぐらいしか出来ないイメージでしたので、たくさん読むという計画を立てていましたが、どうもイメージとはかけ離れた生活ぶりです。読んだ本は今年二冊目の本・・・
しかも感想は今頃・・・

まっ、細かいことは気にするなって・・・

しかしこの本、ほんとうに本当に面白かったです。
そして今の「平清盛」というドラマの面白さをアップさせたのも事実です。感想といっても、本文の内容には殆ど触れないつもりです。ドラマのネタバレにもなりかねませんので。

なので夏休みに宿題のお助けにはなりませんのであしからず。
いやいや、読書感想文を書くのに何の本にしようか迷ったら、この本はオススメです。
なぜなら面白いことはもちろんですが、長くなく、しかも歴史の勉強にもなると学生さんには良いことづくめです。

後白河院 (新潮文庫)
井上 靖
新潮社

四部からなるこの物語はインタビュー形式でそれぞれの人が語ります。

語り部によって文が柔らかくなったり堅くなったりするのも、面白いところです。

私なんかはやはり二部の宮中に仕えていた者の建春門院と後白河院を語ったあたりが、非常に読みやすく感じました。逆に第三部は、ガラリと趣が変わるので読み進めるスピードが落ちた程です。

そして一番面白く感じたのは、やはり第一部の保元・平治の乱の顛末記が語られた部分でした。

それまで私にとっては信西という人は、まったく見知らぬ人でした。乏しい歴史の知識の中でも何も記憶のない人。でもこの物語の中では強烈な個性とパワーの持ち主だったのでした。まだ始まったばかりの大河ドラマのHPを開いて、一体誰がこの信西をするのか確認してしまったほどでした。

ドラマの中では、やはり強烈な個性の持ち主である阿部サダヲさんがこの役を演じています。
私がこの本を読んでいた時には、もっといろんな意味で太い人のイメージでした。例えば高橋克実さんのような人かな。

まあイメージというのは人それぞれ。

身内の首を身内に切らせて保元の乱を収集させた信西。
全て緻密な計算通りで、その知によるパワーを見せつけます。だけどドラマの中では陰で涙する繊細な部分を見せたりもするのですが、小説の中では人によって語られるので、そんな部分は皆無です。

しかし「平家物語」が諸行無常と語れば、実はこの物語の中にも一貫して流れているものは、実はその四文字ではなかったかと思ったのでした。

 

今日、ドラマではその信西も・・・・

人は夢を見て、そしてこの世から去っていきます。風の前の塵のごとくに。

 

「後白河院」は平家滅亡後も今度は源氏と渡り合っていかねばなりませんでした。その生涯は新しき時代との戦いであったのかも知れません。

貴族の時代が終わって武士の時代が来る。

その水際で、踏ん張り続けた人だったのかもしれないと思いました。

ところであとがきを読むと、作者である井上靖氏も、この時代に強烈な個性を放ち印象的だったのは信西入道とあげています。彼(作者)の研究と思いが、しっかりと伝わってきた小説であったと思いました。

 

ついでながら
保元の乱については詳しくは→ここ

平治の乱については詳しくは→ここ

です。

今日も「平清盛」、楽しみですね。

って、朝はやっぱりムリでこんな時間にアップになってしまいました・・・汗。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心は紫陽花の花のように

2012-06-15 14:37:14 | お散歩&写真日記

 

これだけ間が空いてしまうと、一体何から書こうか迷ってしまいます。

だけど迷っている間に季節はどんどん過ぎていき、いろんなことが起きたり通り過ぎて行ったりするのです。

オウムの高橋は、自ら出頭して一つの大きな時代と事件を終結をさせるという大仕事をして欲しいと願っていましたが、惨めにもマンガ喫茶から出るところで捕まったとか。追い詰められた姑息なネズミは捕まって良かったと本当に思います。後は裁かれれば良いと思います。遣ってしまった罪の大きさに応じて。

自ら出頭すれば、地獄にて一本の蜘蛛の糸ぐらいの救済の光が降りてきたかもしれないのに、そのチャンスすら彼は失ってしまったなと思います。後は地獄門が開くのを待つばかりです。

久しぶりに出てきて、恐ろしいことを言うなと思いましたか。

でもあの時、何もしていないのに、突然命を奪われてしまった人とその家族の悲しみ。またあの時からずっと後遺症で苦しんでいる人の長い年月とその家族の全てをなげうっての献身的な看病の日々を思ったら、こんな言葉は当然です。

でも、とにかく一つ終わりました。

でもみんなの目がそっちに向いている間に・・・・何か・・・動いていたような・・・

日本という国が本当に平和で平安な国でありますようにと、祈るばかりです。

 

ところで先日、美容院の帰りに、
「ああ、紫陽花の季節だよなあ。」と思い、またも近所の公園に散歩に行きました。

好きな花はたくさんありますが、紫陽花も大好きな花です。

紫陽花の花の色は、ほんとうに綺麗で美しいと思います。その変化も含めて。

美しい風景に見ながら歩いていると、心は様々な思いに揺れるのでした。

ああ、なんて幸せなんだと思ってみたり、訳もないのに胸がきゅーんと切なくなったり・・・

そんな風に心が揺れるのは、紫陽花の花の色使いに影響されてしまったからでしょうか。

 

 

 

 

梅雨寒の日々、風邪など引かぬようにお気を付け下さいませ。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シレンとラギ」を観てきました。

2012-06-05 09:23:04 | 観劇・コンサート日記

5月30日、青山劇場にて「シレンとラギ」を観てきました。

「おお、これはまるで・・」と思ったある事はネタバレになってしまいますので後ほど書くことにしまして、次に印象深かったのはメイクの美しさだったように思います。もちろんそれは、お芝居の本編がイマイチだったから目がいったというわけでは全くもって違います。

例えば蜷川さんのお芝居を観に行くと、いつもその舞台の美しさに打ち震えるような感情をいだきます。それと同じ様なものを今回のメイクに感じたのでした。

この物語は「アイ」のお話。

そのアイを語るにふさわしい主役二人、永作さんと藤原くんのシレンとラギの美しさが胸に迫ってきました。

 

 近頃出費が多くて、2500円のパンフレットをケチってしまおうと最初は考えていました。でもその美しさを手元に置いておきたくてやっぱり帰る時にはGETしてしまいました。お芝居の帰りにそのまま実家の方に行ってしまったので、まだインタビューなどに目を通していないのですが、その美しい花を手折って手に入れた満足感と安心感があって、こういうのもお芝居を観に行く為に劇場に足を運ぶ楽しみだと思います。

ところで美しい者が語れば、その言葉には重みがあって印象深くすっと心に入ってくるのですが、そうでないものが語るとなんだか言葉も軽く捨て駒と言うか、本来の意味とは違いますが「捨て台詞」のような気になってしまうことはありませんか。

既に数日経っているので〈経っていなくても〉セリフはまったくあっていませんが、ラギが
「たまたまがあって、またたまたまで、またそのたまたまが続けば、それは偶然ではなく必然・・・」のようなことを言ったように思います。

そうだ、その通りだと思いました。

非日常は、その「たまたま」の連続で日常になっていくのですね。

だけどこのお芝居の中で、ちょっと下品なキャラの人が下品に言うので、非常に軽く感じてしまったセリフがありました。何度も繰り返されるそのセリフ・・・

そのセリフが最後にはズズンと胸に迫ります。軽さは繰り返されることで重さを増したというのでしょうか。いや、それはそうではなく最後にクルリと反転し意味を持ったように思います。

文を書く時、重複は駄文の元だと思います。だけど歌や詩、そしてお芝居の世界では、その繰り返しの使い方の上手さで印象も変わってくるのだと思いました。

役者様たちは皆素晴らしかったです。

以下はネタバレしています。

シレンとラギ―K.Nakashima Selection〈Vol.18〉 (K.Nakashima Selection Vol. 18)
中島 かずき
論創社

 

軽く感じたのに、最後にズズンときたセリフは、〈いつも正確ではありませんよ〉
「人生は潮干狩りのようなもの。今は潮が満ちているだけ。この潮が引いたならあさりもしじみも取り放題だわ。」

なんか最後の「だわ」がすごく上品な感じ・・・・明らかに違うな。^^

そうだそうだと励まされました。

冒頭に書いた
「おお、これはまるで・・」の続きですが、
「これはまるで、藤原竜也の今年後半の映画とお芝居の潜在的予告編のようだ。」と、私は思ってしまいました。

若き教祖。母との近親愛。
思わず連想をしてしまった人は私だけではないと思います。

だけどラギが頑ななシレンの心と体を包み込んで解きほぐしていく絡みのシーンでは、私は知らないうちに涙がこぼれました。

優しい美しいシーンでした。

その後の二人の充実し満ち足りた生活が、舞台からキラキラと伝わって来ました。

それ故に、唐突に語られた真実は絶望の断崖から突き落とすのに充分なものでした。

「貴様ら~~。」

一部の終わりのシーンは、完全なる竜也節。

大好き竜也!!

これが本当の歌舞伎なら、ここで声が掛かるところでだったと思います。

 

シレンが引き離された子供の話をした時から、展開は読めるというもの。それゆえに切なさもドキドキ感もアップ気味でした。

ところが一緒に行った人は
「子供はどこにいるんだろうな、と思っていたので吃驚した。」と羨ましい事を言いました。

古田新太さんの悪役ぶりが凄く良くて舞台を引き締めましたが、その人は何か理由があって、それがどんでん返しのようにいつ語られるんだろうと思っていたとも言ったのです。

こ、これは・・・
ただのうっかりさんではない発言なのだと思いました。

実は古田さんにとっては少々の痛い発言。なぜなら「めちゃくちゃだけど本当は憎めないやつなんだキャラ」を逸脱していないということを、サラリと言ってるんですよね。

 

こういうウッカリサラリさんの発言の中に、本当の舞台評があるのかも知れないなとチョッコシ思ってしまったりもしたのでした。

 

でもそのウッカリサラリさんは古田さんの事を
「あの方、顔はハンサムとは思えないのに(すみません、すみません、ペコペコ)、かっこいいのね~。」

「そうなのよ」と私。
「あのおじさんさあ、顔は全然イカサないのに(すみません、すみません、ぺこり)、いい男なんだよねえ。大好き。男はやっぱり顔じゃないよね。」と、おばさんトークも花が咲くというもの。

但し、かなりのラブコールトークでも、それを聞いたら本人がいい気分になるかは別なお話・・・。

 

細かいシーンを言うと、またあれやこれやと書ききれないので、いくつか拾って書かせて頂きます。

ラギが恋に落ちるシーン。
刺客を捕えるという殺伐としたシーンなのに、なぜかロミオとジュリエットの出会いの舞踏会のシーンを連想してしまいました。恋に落ちるのは一瞬なんですよね。

いつも何かの漫画を連想してしまう新感線の舞台ですが、映画のようなシーンを舞台に持ってきてと言うより、漫画で描いている世界を舞台に持ち込んで、その世界を輝かしているように見えるというのは私だけの感覚ではないと思うのですが、今回は少女漫画のような世界観を感じました。もちろん少女漫画といっても24年組の人たちの世界観なのですが。

シレンの悪夢。
股の間からメキメキと音がしてラギが現れ、殺して~と言うシーン。
ゾクッとしました。

 ゾクッといえばやはりゴダイ大師(高橋克実)の優しさと怖さの振り幅。高橋さん、素晴らしいですね。
「母とヤリ、父を殺る。」
まさに地獄への道。そんな道にわが子を突き落とすことがゴダイの「アイ」だったのでしょうか。

教団絡みで、ちょっと私がホロリときてしまったのは、教団を支えたシンデン(北村有起哉)の夢が崩れ去った時。ゴダイに心酔するシンデンは彼を愛し尽くしていたシレンこそ正妻に相応しいと思っていました。ゴダイの側にシレンが仕え、そしてその傍らには後継者のラギがいる。それを自分の全てを徒して支えていくのがこの男の夢だったのです。

殺伐とした物語の中で、この男の純情と従順はホットさせるものがありました。

 

シレンの生きてきた道は血で彩られた道。

そしてこれからラギと生きていく道はやはり血の道・・・。
だけどそれは人々への救済の道。

「行こう、ラギ、一緒に。」
「その言葉は母として?
それとも、女として?」

「人間として。」

 

痺れましたね、ラストシーン。

 

 

※   ※    ※

幼き日に庭先で垣間見た美しい人にずっと心惹かれてきたのは、母だったからなのか・・・

ウウッ、泣ける。

(注:上記のようなセリフはないです)

しかしラギは何歳の時の子供なんでしょう。とにかく20歳違いらしい。
誰ですか、思わず「まだ、いけるかな」なんて夢を見ちゃった人は・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お久しぶりです。

2012-06-02 18:48:40 | 梢は歌う(日記)

なんだか放置気味のこちらのブログですが、少しずつまた復活しようと思いながら、最近文章を綴る楽しみから遠ざかっている私です。

かと言って、別に体調が悪いわけでもお仕事が格別にハードなわけでもありませんので、ご心配は無用です。

日常の家事とお仕事、それから普通の生活の合間にピグライフと言う仮想空間にいきなりハマッて、その仮想空間で友だちを作ったりおしゃべりをしたり、畑を作って収穫したりと、せっせと働いているのです。またの言い方をすれば遊び呆けているのです。

かと言って、ブログを辞めてしまおうとは微塵も考えていない私ですが、いつかこんな風にふと興味を他に移して、きっと私は自然に何も言わずに、この場所から消えて行くのかもしれないなと思ってみたりしました。

でもそれは、今ではないのです。

 

ところでふと気がつけば、あなた、なんといつの間にやら6月じゃないですか。一体どうしたと言うのでしょう。この時間が経つスピードについていけませんよ。これでは、次にふと気がついた時には師走ですよ、きっと。

何をしていたんだ、私・・・・ってならないためにブログを書き、一ヶ月ごとに纏めておこうと思っていたのに、実行したのは1月だけだったように思います。

ああ、フネフネ。

 

と書くと、なんだか毎日が雑に生きているような感じですが、別にそういうわけではありません。「満足か」と問われたら、少々微妙ではありますが、今までどおりのマアマアの生活です。今までどおりの生活+仮想空間生活なので、ブログに書き込む時間が削られてしまったわけですが、ここまで書いて手が止まりました。

「満足か」と問われたら、たとえささやかな毎日であっても、「まあまあ」とは言わずに「満足です」と答えられる毎日でなければ、その人生は「まあまあな人生」であり「満足な人生」ではないということなのだと気が付いたのです。

 

「ささやかであっても満足」、そんな今日、そんな明日を生きよう。

なにげに今年後半の指針のようなものが出来ました。

 

2012年後半二日目の今日はどんな日か・・・

6時半現在でまあまあな一日・・・

おいおい・・・

だけどこの「満足」というのは、かなりハードル高いかもと、私の心の中には少々の迷い。

欲張らずに何か一つでも得ることがあったら、ヨシとすることにするとか、やっぱり「ささやかな」という部分は大切な部分かもしれません。

 

そのような点で考えたら、今日は病院の検診日で、待ち時間に「のぼうの城上巻」を読み終わりました。この作品、凄く面白いです。じゃあ、今日は満足な一日と言えるのかも知れませんね。

 

☆    ☆    ☆

それでも意外と記録魔です。
空っぽだったアメーバーブログにピグライフメモを書いています。
このゲームをやっていない人には「おばかさん」という内容です。でも他のゲームでもやってる人には、「なーるほど」と言うメモだと思います。情報ブログではありませんが、もしライフをやっていらしたら、ぜひそのブログからお庭の方に遊びに来てくださいね。→「ももちゃんも。」

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする