やっぱり、すべての出来事には意味ってもんがあるな。
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昨日の事です。その前の日、来週行こうと思っている博物館の場所でも確認しておこうと、いわゆるタダ券と言う招待チケットを引き出しの中から出しました。その時2枚入れておいたはずなのに、1枚しかない事に気が付きました。引き出しの上に張り付いているのかと引き出しをすべて引き出してみたり、他の書類の間に入ってしまったりしているのかと中のものを全部整理したりしましたがありません。
私の記憶では、
「じゃあ、先の事なので私が2枚持っているね。」で、その券についてはこの先がありません。
もしかしたら、とうとう私も自分の記憶を信じるだけでは、生きてはいけない時代に突入してしまったのだろうかと思いました。
「じゃあ。先の事なので・・・」の後で、「やっぱり、1枚ずつ持っていよう。」などと言うシーンがあって、それを忘れてしまったのでしょうか・・・・・。
引き出しに1枚しか入っていない理由で、一番当て嵌まるのはそれだと思うのです。
だけどそれは「普通はね」と言う所。
私の場合の失せ物は「フツウはね」は通用しない場合があるので油断なりません。
それで昨日は、引き出しを上から下まで整理し、ゴミ袋半分の不要な紙ごみを捨てました。
それでもチケット一枚は出てきません。
お友達にも確認していただきました。
でも無いとのことで、もうなかったら一枚分は買ってしまえば良いやと言う気分になってしまいました。
お片づけにも飽きて、布団にごろんと寝ころびながら、
「なんで無いのよ~!! こんなのあり得ないでしょうよ~。」と思っていました。
その時ふと、私の記憶は遠い子供時代に飛んだのです。
父もあの時、同じような気持ちで探していたのよね。
何をかって言うと、買ったばかりの煙草を。
買ったはずなのに。ここに置いたはずなのに。どこを探しても見つからなくなってしまった煙草。
「どうしてなんで無いんだろう!?」と父もイライラとしながら嘆いたと思う。
有ったものが無くなるなんて事はない。それは座敷童か真夜中のこびとが持って行ったのよ。
「タバコは止めた方が良いよ。」って。
そんな風には思ってはくれない。
座敷童も真夜中のこびとも居なくて、本当は隠したのはひとりの子供。
それは私。
ずっと後になって、大掃除の時か何かの時にカビだらけになってそれが出てきた時に、たぶん叱られたとは思うけれど、その叱られたことなんかはまったく覚えてなくて、そして謝った記憶もない。
まったく子供らしい愚かで幼稚な考えだった。
一個隠してしまえば、一個分吸わなくていい。この煙草はパパにとって悪いものだから。
探し回って、そしてもちろん父のとった行動は新しい煙草を買う事で、そして私は学んだのだった。
一個分吸わないのではなく一個分のお金を損するだけなのだと。
叱られた私は、確か言ったような気がする。
「止めたらいいじゃん、そんなもの。良くないよ、絶対にさ。」
そんな事を言ったのは後にも先にも一回だけ。
その後年頃になった私は、煙草を吸う姿がカッコいいと思うようになり、私自身人生でトータルで二箱ぐらいは吸ったかも。
夫も煙草を吸う人を選んでしまったし。
だけどあの時、テーブルの上にあったハイライトを見ていたら、父には煙草を止めてもらいたいと本当に思えたんだ。
私はこの話を、父の病気が肺がんだと分かった時に思いだしたのでした。
時には人は何かの力を借りて見えない何かからのメッセージを受け取る事があると思っています。ただそれに気が付くか気が付かないかという問題は別の事なのですよね。父はあの悪戯少女の私を通して、未来からの警告を受けていたのかもしれないと、私はその時思ったのでした。
以前姉が
「私にはお父さんは凄く怖い存在だった。」と言った事があります。
それを聞いて、私は「そうなんだ。」と驚いた事があるのです。私は父の事を一度も怖いと思ったことなどなかったからです。
確かに私と父の間には距離と言うものがあったと思うのです。だけどそれは、娘と父との間にある普通の距離だったと思います。
私はまた急にある事を思い出し、猫と私しかいない部屋で声をあげて笑ってしまいました。
子供の頃の私は、本当にトンデモナイいたずらっ子で、けっこう脳内を漫画に侵食されていました。
廊下に蝋をぬって、誰かがツルッっと滑ると言うシーンを漫画で見ると(たぶん「サザエさん」)、やってみたい、むしろやらねばならぬと思う子供だったのです。そして父を恐れていない私は、なぜかそのターゲットは父だったような気がします。
本当の事を言うと、これは笑い事ではない話です。
なんでか父は見事にはまり、ツルってものの見事に滑ってしまったのです。
当たり前の事だけれど、これは本当に叱られました。だって危ないですよね。叱られて嫌な気分になりました。
父は磯野浪平さんの「こらー、かつおー!!!」みたいに「こらー、花子~!!!」と言うような叱り方ではなく、こうでああで、またこうでああでと、まあ、はっきり言って何を言われたかを覚えていたら、そっちの方がおかしいような気がします。
ただ漫画ではただの悪戯が、現実にはかなり危険な事なのだと身に染みたのでした。
いろいろな意味で、私はかなりおバカな子供だったと思うのですが、それなのに今それを思い出すと、「なんでお父さん、あんなに見事に引っ掛かった~?」と声をあげて笑いたくなってしまったのです。それはその時、怪我もしなかったからそれが可能なのですよね。
布団の上でひとしきり父の事を思い出してしみじみしたり声をあげて笑っていたら、ある事を思い出し「あっ、そうか。」と私はムクリと起き上がりました。
酷い娘です。
父の命日を忘れていました。
結婚記念日も忘れちゃうんだから、命日も忘れちゃうよねは、この場合通用するか否か。
しませんよね(^_^;)
だけどこれは最近毎年書いている事だけれど、一族でお墓参りに行くのは父の誕生日と言うのが定着しつつあって、それでついうっかり忘れてしまうのですよね。
だけど父がちゃんとやって来て、こうして思いだすことが出来るのかもしれません。
あっ、いや、本当に来ちゃダメです。怖いからね。
想い出の中にと言う意味ですよ。
で、チケット、この後すぐに見つかったのですよ。
なんでかとんでもない所にありました。
あり得ない。
なんで ?
座敷童か真夜中のこびとが引き出しから抜いたのかしら ?
やっぱりそれとも・・・・?