森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「どうしてなんで無いんだろう!?」

2018-05-31 02:33:35 | 梢は歌う(日記)

やっぱり、すべての出来事には意味ってもんがあるな。

 

昨日の事です。その前の日、来週行こうと思っている博物館の場所でも確認しておこうと、いわゆるタダ券と言う招待チケットを引き出しの中から出しました。その時2枚入れておいたはずなのに、1枚しかない事に気が付きました。引き出しの上に張り付いているのかと引き出しをすべて引き出してみたり、他の書類の間に入ってしまったりしているのかと中のものを全部整理したりしましたがありません。

私の記憶では、

「じゃあ、先の事なので私が2枚持っているね。」で、その券についてはこの先がありません。

もしかしたら、とうとう私も自分の記憶を信じるだけでは、生きてはいけない時代に突入してしまったのだろうかと思いました。

「じゃあ。先の事なので・・・」の後で、「やっぱり、1枚ずつ持っていよう。」などと言うシーンがあって、それを忘れてしまったのでしょうか・・・・・。

引き出しに1枚しか入っていない理由で、一番当て嵌まるのはそれだと思うのです。

 

だけどそれは「普通はね」と言う所。

私の場合の失せ物は「フツウはね」は通用しない場合があるので油断なりません。

それで昨日は、引き出しを上から下まで整理し、ゴミ袋半分の不要な紙ごみを捨てました。

それでもチケット一枚は出てきません。

お友達にも確認していただきました。

でも無いとのことで、もうなかったら一枚分は買ってしまえば良いやと言う気分になってしまいました。

 

お片づけにも飽きて、布団にごろんと寝ころびながら、

「なんで無いのよ~!!  こんなのあり得ないでしょうよ~。」と思っていました。

その時ふと、私の記憶は遠い子供時代に飛んだのです。

 

 

父もあの時、同じような気持ちで探していたのよね。

何をかって言うと、買ったばかりの煙草を。

買ったはずなのに。ここに置いたはずなのに。どこを探しても見つからなくなってしまった煙草。

「どうしてなんで無いんだろう!?」と父もイライラとしながら嘆いたと思う。

有ったものが無くなるなんて事はない。それは座敷童か真夜中のこびとが持って行ったのよ。

「タバコは止めた方が良いよ。」って。

そんな風には思ってはくれない。

座敷童も真夜中のこびとも居なくて、本当は隠したのはひとりの子供。

それは私。

 

ずっと後になって、大掃除の時か何かの時にカビだらけになってそれが出てきた時に、たぶん叱られたとは思うけれど、その叱られたことなんかはまったく覚えてなくて、そして謝った記憶もない。

まったく子供らしい愚かで幼稚な考えだった。

一個隠してしまえば、一個分吸わなくていい。この煙草はパパにとって悪いものだから。

探し回って、そしてもちろん父のとった行動は新しい煙草を買う事で、そして私は学んだのだった。

一個分吸わないのではなく一個分のお金を損するだけなのだと。

叱られた私は、確か言ったような気がする。

「止めたらいいじゃん、そんなもの。良くないよ、絶対にさ。」

そんな事を言ったのは後にも先にも一回だけ。

その後年頃になった私は、煙草を吸う姿がカッコいいと思うようになり、私自身人生でトータルで二箱ぐらいは吸ったかも。

夫も煙草を吸う人を選んでしまったし。

だけどあの時、テーブルの上にあったハイライトを見ていたら、父には煙草を止めてもらいたいと本当に思えたんだ。

 

私はこの話を、父の病気が肺がんだと分かった時に思いだしたのでした。

時には人は何かの力を借りて見えない何かからのメッセージを受け取る事があると思っています。ただそれに気が付くか気が付かないかという問題は別の事なのですよね。父はあの悪戯少女の私を通して、未来からの警告を受けていたのかもしれないと、私はその時思ったのでした。

 

以前姉が

「私にはお父さんは凄く怖い存在だった。」と言った事があります。

それを聞いて、私は「そうなんだ。」と驚いた事があるのです。私は父の事を一度も怖いと思ったことなどなかったからです。

確かに私と父の間には距離と言うものがあったと思うのです。だけどそれは、娘と父との間にある普通の距離だったと思います。

 

私はまた急にある事を思い出し、猫と私しかいない部屋で声をあげて笑ってしまいました。

 

子供の頃の私は、本当にトンデモナイいたずらっ子で、けっこう脳内を漫画に侵食されていました。

廊下に蝋をぬって、誰かがツルッっと滑ると言うシーンを漫画で見ると(たぶん「サザエさん」)、やってみたい、むしろやらねばならぬと思う子供だったのです。そして父を恐れていない私は、なぜかそのターゲットは父だったような気がします。

本当の事を言うと、これは笑い事ではない話です。

なんでか父は見事にはまり、ツルってものの見事に滑ってしまったのです。

当たり前の事だけれど、これは本当に叱られました。だって危ないですよね。叱られて嫌な気分になりました。

父は磯野浪平さんの「こらー、かつおー!!!」みたいに「こらー、花子~!!!」と言うような叱り方ではなく、こうでああで、またこうでああでと、まあ、はっきり言って何を言われたかを覚えていたら、そっちの方がおかしいような気がします。

ただ漫画ではただの悪戯が、現実にはかなり危険な事なのだと身に染みたのでした。

 

いろいろな意味で、私はかなりおバカな子供だったと思うのですが、それなのに今それを思い出すと、「なんでお父さん、あんなに見事に引っ掛かった~?」と声をあげて笑いたくなってしまったのです。それはその時、怪我もしなかったからそれが可能なのですよね。

 

布団の上でひとしきり父の事を思い出してしみじみしたり声をあげて笑っていたら、ある事を思い出し「あっ、そうか。」と私はムクリと起き上がりました。

酷い娘です。

父の命日を忘れていました。

結婚記念日も忘れちゃうんだから、命日も忘れちゃうよねは、この場合通用するか否か。

しませんよね(^_^;)

だけどこれは最近毎年書いている事だけれど、一族でお墓参りに行くのは父の誕生日と言うのが定着しつつあって、それでついうっかり忘れてしまうのですよね。

だけど父がちゃんとやって来て、こうして思いだすことが出来るのかもしれません。

あっ、いや、本当に来ちゃダメです。怖いからね。

想い出の中にと言う意味ですよ。

 

で、チケット、この後すぐに見つかったのですよ。

なんでかとんでもない所にありました。

あり得ない。

なんで ?

座敷童か真夜中のこびとが引き出しから抜いたのかしら ?

やっぱりそれとも・・・・?

 

 

 

 

 

 

 

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ポーの一族「ユニコーン」

2018-05-29 08:34:16 | 漫画・マンガ・まんが

先日横浜に帰った時に、姉から 「ポーの一族」の全話について

「昔はまったく興味がなかったんだけど、全部読んでみようかな。」と言われました。それは宝塚の「ポーの一族」を観たからです。

「『ポーの一族』はまた新たに新作が描かれたんでしょう?」

「そうなの。」と私。

「そしてまた6月から新作連載が始まるのよ。アランが火事の炎の中に消えて、そして終わってしまった「ポーの一族」だったけれど、前回の「春の夢」の連載の時に、ファルカと言う異空間移動と言う特殊能力を持つ同族が現れてね。それで私は何か、昔はまったく思う事の出来なかったアラン復活の道が生まれたような気がしたの。」と姉と会話したばかりだったのです。


これはある視点では当たってましたが、メインの部分では外れていました。

そうは単純な物語にはならなかったのです。


昨日は書店に行く時間がなかったので、ネットで注文して早々と読みました。


1976年のロンドンから姿を消してから40年後の2016年と言うほぼ現在に現れたエドガー。

今回はなんと「エディス」の続編になっています。


スマホで電話を掛けるファルカに、

「今はその電話機を皆使っているね。」と言うエドガー。

40年もの間、彼は何をしていたのか。

それはネタバレになってしまうので、少し下の方に書きますね。

 

しかし40年ー。

うっと胸に迫ってくるものがありました。萩尾先生はなんでこのような仕掛けをするんだー !!

私たちがエドガーと離れていた40年。みんなそれぞれの生活に終われた人間の生活があったよね。

大人になって、恋をして結婚したり子供を生んだり、そして毎日の日常を悩んだり笑ったりしながら一生懸命生きて来た40年があったじゃない。

その間の40年のエドガー。

なんか、なんかリアルだなあー。

まったく当たらないかも知れないけれど、この物語はもしかしたら2018年の本当の現在までの話を描くのではないのか、ふと思ってしまいました。

 

初回から驚く事ばかり。切なく重く期待できます。

だけどこの初回のシーン、実写にしたらかなりうるさい方々。この騒々しさは、シリアスとコメディはいつも一緒に混とんと存在していると言う事を表しているのでしょうか。


 

 

下のリンクからデジタル版は試し読みが出来ますよ。

月刊flowers(フラワーズ) 2018年 07 月号 [雑誌]
小学館
小学館

 

《以下はネタバレしています。》

エドガーが長い間眠っていたのは、老ハンナに拾われて育った館の崩れた墓地の中。今はそこは「グールの丘」と呼ばれていたのです。

―もう館も村もなく・・・・

なんか凄く切ない。あの時のざわめきが蘇るようです。そしてその場所は「グール」、すなわち怪物の丘と呼ばれていたのです。かくしてすべては風のように過ぎ去って、伝説だけが残って行くのですよね。きっとその周辺に住んでいる人たちにも、その名前の由来などを知っている人がいたとしても、おとぎ話の伝承物語と思っているのに違いありません。

と、言う話は、まったく本編には関係のない事ですが、いろいろな想いが蘇ってきたり迫ってきたりしちゃうのが、この物語の奥の深い所なのですよね。

 

―焼けたわらを抱いているのかと思ったら・・・

それがアランだったのですよ。

かなりショック。でも彼は消えてはいなかったのですよね。

目覚めてもグールのような姿だったエドガー。でも焼けたわらのようなアランとずっとこのまま怪物のままでいいやと思っていたエドガー。だけどそこに新たな進展が生じてきます。

40年という月日はアラン側にも変化をもたらしたのかもしれません。

 

―アランを取り戻せるなら

―僕は悪魔とだって契約する。

そうだよなあ。

むしろそうあって欲しいよなあと、私はそう思ってしまいました。

 

死ねない事の恐ろしさを、私はちょっと感じてしまいました。誰からも愛されているアラン。可哀想すぎる。

そう言えば、飢えきったエドガーが相手が干からびてしまうまで食事をしてしまうシーンがこの先あったとしたら、その相手はあの女性ではないのかと、私はちょっと予測してみましたが、まあ、これもまったく当たらないかも知れません。

 

と言うわけで、次回も楽しみですね♪

 

 

 

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かなり楽しい「高尾山」その3

2018-05-27 17:27:42 | お出掛け日記

13時35分ぐらいに頂上に着き、そこからの山々の風景、または眼下に広がる街の風景を楽しみました。

 そして14時10分ごろに下山する事にしました。

一番下にルート図を載せましたが、どの道を通って帰ろうか結構行き当たりばったりのプランです。

 

「あっ、この道、良さそうじゃない。」

と選んだのが、

「稲荷山コース」です。

そして「琵琶滝」も見てみたかったので、そのコースから途中で6号路に移動する計画を立てました。(その場で^^)

 

かなり急な坂の階段です。

子供もお爺さんも普通にホイホイと降りて行きます。

だけど6号路は水辺の風景も良い代わりに滑りやすい道でもあって、

そのための事故もないわけではないらしいので、要注意のコースらしいです。

 

降りてきた道を振り返りました。

結構なハードな道だと思います。

よく言われる登りよりも降りの方が足に負担が来ると言うのは、

本当の事だと思います。

ちょうど降りて来たこの小さな広場に休憩する椅子などがありました。

下山する者には、はじまりの階段。

だけど登って来た者には、最後のそして最大のヤマ場。

 

あっ、山のヤマ場 ?

別に意味ないか (笑)

 

階段を降り始めた時に足の歩幅を合わせたり、リズムを作るためにかなり慎重になるじゃないですか。

その時登ってきた人と、あまりにも自分の事に集中していたので

すれ違っても挨拶すらしなかったことに気が付きました。

すれ違った人その人たちもゼイゼイヨロヨロ。

お互いに余裕なしと言う感じ。

 

その人たちはマッチョな外人の男の人が二人でした。

 

やっぱりそれはないかなと思って、次の人には挨拶をしました。

「こんにちは。」

ーハァハァ、ゼイゼイー

顔に色を失いながら

「アー、ハー、コンニチハ」

と彼もそう答えてくれました。

汗びっしょり。

この人も外人の(ちょっとイケメン)男の人。

 

ふとこういう時、挨拶ってどうなの~と思えてしまいました。

 

その時、階段の下の方でおじさん世代の男の人二人が、

「ちょっとこれどうする?」みたいに迷っているような雰囲気で上を見上げているのが見えました。

だけど意を決したように登って来たその人たちも近くに来てみたら、やっぱり外人の男の人だったのです。

 

「こんにちは~。」

せっかく日本に来たのだから、日本語体験だっていっぱいあった方が楽しいだろうなと思うので、

敢えて、日本語です。

下から私たちが挨拶をしながら降りてくる様子を見ていたのでしょうか。

ニコニコと「こんにちは~。」とその人たちは挨拶を返してくれたのでした。

登りのフィニッシュ、そして一番のヤマ場。

思わず「頑張ってね~。」と言ってしまいました。

そこは英語でも良かったんじゃないかと、今でもチョピッと反省中^^

 

だけどやっぱり、挨拶の声かけには励まされるのではないでしょうかと言うのが、

私の最終結論になりました。

 

まあ、とにかく高尾山には外国の方々がいっぱいいます。

 

ひとつ前の記事で

「私たちはこの後、三人の方から声を掛けられました。」と

書きました。

ひとりは生きる花辞典の女性、ひとりは鳥の鳴き声を教えてくれた女性、

そして三人目は、この6号路の川辺で会いました。

 

この方は「稲荷山」の道がぬかるんでいるのではないかと嫌って、

6号路を選んで登って来たと言いました。

 

不思議な感じがしました。

山道がぬかるむのは、前日の雨のせいばかりではないような気がします。

湧き水が常に道を濡らしていて、

そしてぬかるむ・・・

6号路の方が、道は悪いのではないかしら ?

という、私的考え。

こればかりは体験してからの知識で無いと何とも言えないと思いました。

なんとその初老の男の人は、ほぼ毎日のように高尾山を登っているのだそうです。

「家が近所でね。たまに上で仕事もしているから。」と彼は言いました。

 

ー もしかしたら、僧侶かしら ?

聞かなかったので答えはありませんが、毎日のようにって凄すぎます。

 

その人はこうも言いました。

「あなたたちは、毎月ぐらいで来るの?それとも二か月に一遍ぐらい?」

凄く当たり前のように、そう聞かれて私は心の中で

「へぇえええ !?」って思いました。

6号路を選んで歩いていた私たちは、高尾山の初心者には見えなかったのかもしれません。

だけどまた、高尾山はそうやってたびたび来るところなのかも知れないとも感じたのでした。

14時42分撮影。

15時16分。

15時32分。

そして枇杷滝に着きました。

なんと琵琶滝にはこれ以上近づくことが出来ませんでした。

自然の中の滝鑑賞を楽しみにして歩いてきたので、一瞬がっかりしたことは隠しはしません。

でもこの滝は、テレビなどでしか見た事がありませんが滝行を行う滝だったのだと分かって、それはそれで興味深かったです。

15時54分撮影

 

その後も渓流の風景を楽しみながら下山して行きました。

16時5分。

 と、ここでいつものスマホ充電切れ。

でも大丈夫。

今回は充電器をちゃんと持ってきたから。

それでバッグの中でスマホさんを充電している間に下山完了です。

 

だけど6号路は下山したら即ケーブルカーのあった場所、もしくは高尾山口と言う駅に近いと言うわけではなかったのでした。

そこから少々また歩くのです。

結構疲れていました。

地図に1時間半と書いてあったら、写真を撮ったり人との触れ合いがあったり、または足の長さや日頃の鍛え方もあるので、

プラス30分から1時間は見なくてはなりませんよね。

私の場合は、思っていた通りのプラス1時間でした。

しかも下りでですよ。

登りの場合は、もっと考えなくてはなりませんよね(次回の場合に、既に頭が行ってる・w)

家には20時ぐらいにお弁当を買って帰る予定です。

日帰りのお出掛けの日は、夜は少々手抜き技を使っても、それでもちゃんと主婦には戻ります。

この後駅にあるスーパー銭湯に入って帰りたかったけれど、それは止める事にしました。

 

こうなってくると、400円ぐらいで気軽に汗だけ流せる普通のお風呂屋さんの方が良いなあなんて思ったりもして。

 

と、

その時

そんな事を考えながら歩いていた道の緑の林の向こうを

ケーブルカーが走り抜けていきました。

「キャー !!」とかはしゃぎながらバッグからスマホを取り出しましたが、

間に合いませんでした。

でもお友達が、

「あそこですれ違うよね。だから少し待てば下りが来るよね。」

と言いました。

でも構えて待っている時間が惜しくて、歩きだしてしまいました。

その林がもう途切れてしまうと言う頃に

 

やって来ましたよ~ !!!

 

 

 

 

16時18分撮影。

まったくのベストショットとは言えないのですが、それでも私は嬉しかったのです。

 

ねえ、私たち、同じ趣味で良かったね。

って、私はそのお友達に言ったのでした。

 

 

と言うわけでかなり楽しかった高尾山だったのです。

 

次はどのコースで行ってみようかな。

 

 

 

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かなり楽しい「高尾山」その2

2018-05-26 02:30:35 | お出掛け日記

 上の画像は頂上から見た遠くの山々の風景です。

 

「かなり楽しい『高尾山』その2」はそこで出会った花や触れ合った人などのお話です。

ずっと昔に姉と二人で高尾山を訪れた時は、ずっと薬王院の境内の中を通って登って行った記憶があるのですが、

今回は境内を抜けて山の道に出て登って行きました。

 

なんだか私たちの見たかった風景が、そこにはあったように思いました。

緑の中の山道。

イイ感じです。

お友達が、道の脇がかなりの急な坂になっている事に気が付き、

「落ちたら怖いね。」と二人で見ていました。

 

そこに通りがかった一人歩きの年配の男性が、

二人一緒に写真を撮ってあげようと言ってくれました。

 

「大丈夫です。」と即答で断ったお友達・・・・。

 

それは、ここで二人で写真を撮るような背景ではなかったからなんですね。

ー 大丈夫です。私たちが立ち止まっていたのは、ただ崖の下を覗いていて居ただけなんです。―

と言う意味。

ただそれだけだったのですが、ほんの後からやって来たカップルに同じ事をまた男性は言いました。

すると、まったく同じように彼らは

「大丈夫です。」と答えたのです。

 

「大丈夫。」と言う言葉は、決して嫌なニュアンスの言葉ではないと思います。

「大丈夫です。お気遣いなく。」

 

だけどその人は、寂しそうに

「悪かったね。邪魔しちゃったね。」と言ったのでした。

 

この話を聞いて、一枚ぐらい写真を撮ってもらえば良かったんじゃないって、

そう思いませんでしたか。

 

本当は、その時は私は心の中で、そう思ったのですよ。

この人はただ触れ合いたかっただけなのに、気の毒だったなって。

ニコニコして、じゃあ一枚お願いねと言ったって良かったなって。

友達も本当は、この人の本当の気持ちを見抜いて、それを嫌って即答したのだなと思いました。

この人はクールな人だなって思ったのです。

 

だけどこれを書きながら、私はちょっと考えが変わってきました。

気の毒だからって写真を撮ってもらって、さも触れ合ったようないい顔をして

「さよなら~、お気をつけて。」なんて言うのなんか、むしろ傲慢の優しさ芝居だったかもしれませんよね。

 

私は結構写真って、見知らぬ人と撮り合う事って意外とある方なんです。

時には、自分から声をかけて撮ってあげる時もあるんです。

それもあって、この人が気の毒に感じてしまったのですが、

ただ立ち止まっている人、ただ歩いてきただけの人たちに声をかけるのは、

やはり古い言い方ですが、ナンパの域を出ないような気がします。

 

「高尾山」と関係のない話じゃん、って言われそうですね。

でもこの3分ぐらいの出来事を、私はむしろ忘れたくないと思うのです。

 

これからの日本の社会は本当にもう老人社会で、何にもしなければ何もないサミシイ毎日になってしまいます。

ひとりで山に登って来て、誰かに声をかける。

凄く良い事だと思うのです。

だからこそ、うまいやり方と言うのを学んでいく事も大事な事なんじゃないかしら。

 

私たちはこの後、三人の方から声を掛けられました。

触れ合い方の達人でした。

感謝しています。

 

 

 

 初夏の山道では、そんなにたくさんの花が咲いていると言うわけではありませんでした。

それでも花を見つけると嬉しくて、写真などを撮っていました。

 

 

すると通りすがりの女の方が、花の名前を教えてくれたのです。

フタリシズカ ↓

そうか。これはフタリシズカと言うのですね。

下の花は、違う場所に咲いていたので、聞くことは出来なかったのですが、

もしも同じところに咲いていたら、もう花辞典のように教えてくれたと思います。

そして、

キンラン

これは、えっとこれはアレですよね。↓

('◇')ゞ

ニッコウキスゲじゃないかと言う噂も^^

 

あー、もう。

花の名前は難しすぎますね。

でも綺麗で可憐だったことには間違いのない事です。

シュガがたくさん咲いていました。

この花は外来種なのだそうですね。

(先ほどの女性からの情報)

そう思うと、なんだか微妙に受け入れられないような気持ちになってきますが、

地下に根を張って山が崩れるのを防いでいるシュガは、外来であろうがなかろうが、

この山にとって必要な花になっているようです。

 

 

 花は下山の時に写したものも載せました。

 

その下山の時、高い木の梢から聞こえてくる鳥の鳴き声に耳を澄ましていたら

また通りすがりの女性が

「あれはオオルリよ。」

と教えてくれました。

「さえずりの美しいと言われている日本三鳴鳥はウグイス・オオルリ・コマドリ。」

思わず

「そうなんですか。ありがとうございます。」と言うと

「ヤーね。知ったかぶりしちゃった。本当は今、上で聞いてきたのよ。」

と笑いながら立ち去って行きました。

 

なるほど。

かくして、日本三鳴鳥の知識は拡散していくのでありました。

 

と言うわけで(どういうわけ?)

その3に続きます。

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かなり楽しい「高尾山」

2018-05-25 00:22:20 | お出掛け日記

5月15日、お友達と一緒に高尾山に行ってまいりました。

高尾山は、一昨年の2016年にも行ったのです。その記事は→「まったく無理をしない「高尾山」」です。

その時は83歳だった母と一緒だったので、ケーブルカーで登りそしてそこからの風景で満足し、又ケーブルカーを使って降りてきたのです。もしもこの時訪れたのが高尾山のみだったら、きっとこの先の薬王院経由で山頂まで行けたのではないかと思うのですが、その前に「多摩森林科学園」の方も行ったので、そこまでにしたのだと思います。

「無理をしなかったから、楽しかった。」と言える事もあると思うのです。

 

だけど「少々無理をしたから楽しかった。」と言う事も、世の中にはたくさんあるのですよね。

 

じゃあ、今回の高尾山ハイキングがそうだったのかと言うと、・・・・・・やっぱり、あまり無理はしなかったような気がします。それでも実は私は、少々の筋肉痛にはなってしまったのですよ。

 

タイトル的に言うと

「あまり無理のない『高尾山』」と言う所でしょうか。

高尾山は、この先も何回か訪れたい場所になりました。それで時間に沿ったハイキングレポをしていきたいと思います。

 

8時15分に家を出て、11時ごろ高尾山口に着きました。

 

ケーブルカー乗り場前の「高橋家」と言う所で、今回は最初に腹ごしらえをしました。

 

  

 

ケーブルカー乗り場の周辺も既にこんなに緑が綺麗で、期待値もあがります。

ケーブルカーには、どうしても一番後ろと言う狙った場所に乗り込みたかったので、まるまる15分待って乗り込みました。

 

高尾山のケーブルカーはその急勾配本当に楽しいのですよ。

 

 トンネルを抜けて、

 

 すれ違ったケーブルカー。ちょっと遅かった~!

これでは房総のいすみ鉄道みたいだと友人に言われてしまいました~(^_^;)

  

ケーブルカー乗り場の終点の「高尾山駅」。

 

そのあたりからの眺望。

 

 そこから登って行くとある「たこ杉」。あしがそれっぽいですよね~。

そしてたどり着いた 「薬王院」です。(12時51分)

 

このお寺に北島三郎さんはたくさん寄付しているらしいですね。

入ったところにこんなのもあり、 ↓  歌も流れていました。

 

これは ↓  テレビでもよく取り上げられる「オクトパス」。

「置くと、パス」と言う事で、何かに受験する人たちに人気があるそうです。

 

そして、その薬王院を抜けて山頂を目指しました。

 

その2に続きます。

 


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手賀沼のほとり「満天の湯」

2018-05-24 00:07:02 | お出掛け日記

先日(16日)行った手賀沼のほとりにある「満天の湯」のレポです。

(関連記事:5月17日「母の日の。」)

 

「満天の湯」と言うのは横浜の上星川にもあって、実家に帰った時に、良くみんなで行くお風呂屋さんです。

一応、その記事は「「街中温泉マニア」を目指す♪」と「実家に帰った日は体重計に乗らない事にしている。」です。

 

名前は同じでも、内容はまたまったく違うので楽しかったです。

上星川の「満天の湯」にはあってここになかったものは、泥パックタイム、塩サウナ、ビンゴ大会かな。

逆にこの手賀沼の「満天の湯」にはあって上星川にはないものを一つあげるとしたら、それは岩盤浴だと思います。

 

 

でも今回は時間があまりとれなくて、岩盤浴は無しにする事にしました。

残念だなぁ。

ここはまだまだ探索すべきところが残っていると思いました。

また近いうちに、

と、、言ってもルート君の都合次第ですが、

また行ってみたいと思いました。

 

休憩室の窓から見える風景。

青いネットの下は梨園です。

 

 そしてお食事。

ルート君のと、

私の塩豚丼ランチ。

 

ちょっと正直に言わせていただくと、しょっぱすぎて、これは失敗。

日替わりランチとか言っていたけれど、ミニサラダぐらいはつけて欲しかったし、シンプル過ぎるメニューだけど、お値段は普通にも感じ・・・・

良く考えずに注文した私が悪いのよね。 

 

二階も結構広くて、岩盤浴コーナーも休憩室もあって、一階とは別の喫茶コーナーがありました。

ねえ、やっぱりもう一回は来なくちゃね。

 

二階にはだまし絵コーナーがあって

チョピッと楽しいです。

 

私はこういうささやかな企業努力って好きですよ。

 

で、またここに来た時のミッションは、岩盤浴体験と昼食を失敗しない事かな。


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埋もれた砂の中・咲き乱れた花の中

2018-05-23 01:08:19 | 思いつくまま

薔薇の季節2018のその2

ついでながら、お喋りなどを。

 

大人になってから始めたピアノは、ちっとも上達はしません。

そんなのは当たり前。

練習をしない時はまったくしないし、お稽古に行くのも気まぐれだからです。

近頃は、教えてくださっていた方がすっかり多忙になってしまって、

お稽古の予約がなかなか決まらなかった事もあって、ますます離れ気味になっていました。

だけどまったく止める気はないのです。

 

アレですよ、あれ。

アレッて何かというと、

つまり私は、音楽の調べを愛しているのですね。

調べまでも行かなくても、美しい音に触れた時に、

幸せを感じる人なのです。

 

まあ、ダラダラ行こうと思っています。

だけど今日、ソファミレと弾いた時に、

ああ、綺麗な音だなあと嬉しく思いました。

 

「えっ、ソファミレの何が?」って思う方もいるのかしら。

でも、綺麗なソファミレと、そうじゃないソファミレがあるのだよ。

と、

さも何か極めた人の言い方をしているけれど、実は低レベルなだけなのですよ。

ワハハ。

 

だけど、その時私、ある事を思い出してしまったのです。

この薔薇を見に行った時、どこかのお教室の合同の発表会が近くでやっていたので、ちょっとだけ顔を出してみる事にしたのです。

本当は、その発表会に行くのがメインで薔薇はオマケだったのですが、

ご一緒したお友達が、

子供の時にピアノをやっていた事があったからか、またはお友達のまたお友達の影響なのか、

子供の上達途中のピアノの音は聴けないと言いました。

私などはその子供たち以下の実力なので、どちらかと言うと全部感心しながら聴けてしまうのですが、

お友達の話に「なるほどなあ。」と思ったのでした。

思い入れのない子供たちしか出演しないならば、

我慢して聴く必要はないのですものね。

 

だいたいこういう発表会は家族や知人が観客が多いので、知っている方が出る時間を狙って聞くことにしたのです。

適当な時間に行くと、ピアノの音が聞こえてきました。友人が

「まだ子供の時間ね。」と言いました。

でもすぐに歌声が聞こえてきて、それが歌の伴奏だったことが分かったのです。

吃驚するぐらいタイミングよく会場に来ることが出来たと知って凄いと思いました。

だけど私は友達が言った

「まだ子供の時間ね。」の意味が、なんとなく分かってしまって心に残りました。

音響がすこぶる悪い会場だったのです。

だけど、それだけかしら・・・・・。

 

音楽を愛する人がいて、世界に音の調べが溢れています。

その中で心を貫くような音、または調べに出会えることは本当に幸せな事だと思います。

溢れる音の中の澄み渡る一音は、咲き乱れる花の中で本当に美しい一輪の花を探すようなものなのかも知れません。

または使い古された表現ですが、砂浜の中の一粒の砂とも言えるのでしょうか。

 

それはまた、音楽の事のみとは言えない事なのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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薔薇の季節 2018

2018-05-22 14:18:27 | お散歩&写真日記

時間と言うものは、年を重ねれば重ねるほど加速していくように感じるものらしい。確かに1週間はあっという間に過ぎていく。またそれらの日々に予定が立て込んでいたりすると、更に加速感は高まると言うものだろう。

だけれどその予定していた出来事をもろもろと体験し積み重ねていき、そして過ぎてきた時間を振り返ると、加速されたように感じた時間とは相反して、その時間には濃密な密度が生じているか、もしくは想い出の体積が増大している事に気が付くのだ。

だからそれを数式にするとだな・・・・・

 

って、やるわけないけどね。

 

               ※           ※          ※

 

5月13日、午後からは雨が降ると予想されていましたが、その前に柏の葉公園の薔薇園に行ってみたのです。

その数日前は、まだつぼみが多かったらしいのですが、まさに一番の見頃を迎えていました。

しかも薄曇り。

桜の花などは青空が一番似合うと言うものです。だけど地から咲き乱れる花などは、ぎらぎらの晴れた空よりも美しく写真に納まるそうですね。

またも撮りすぎてしまったので、二回に分けてアップしようと思います。

ついでながら、ささやかなお喋りも聞いてくださいね。

 

 

薔薇の花たちを、美しい美しいとはしゃぎながら、何枚も撮ってしまいますが、毎年同じような事をしていると思います。

もしかしたら昨年撮った花をここに貼っても、まったく分からないのではないかと思います。

 

 

 

ただ見ている側の私が違うかもしれません。ある時は一人で、ある時はあの友達と、ある時はまた別のお友達と、もっと遠い記憶をたどれば、今はいない犬のココちゃんとここを訪れたと思います。

またある時は花の盛りが過ぎてしまっていたり、ある時には写真が失敗してしまったり・・・・・。

 

それでも毎年ここを訪れて、花の美しさを褒め称えるのです。

 

 

 

大切な事は、写真に撮れば同じにしか見えないような薔薇の花であっても、それでも「今年の薔薇を見たぞ。」と思う事なのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

「今年の薔薇を見た !」

 

 

 

 下の画像は、まだこんな感じなのが珍しく感じたので撮りました。「アイスバーグ」は大きく育ちますよね。

 

 

 


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風の街「あこがれ共同隊」

2018-05-19 02:50:49 | 同じ時代の船に乗る

私は若い時は、テレビ自体をあまり見なかったと言うのもあって、ドラマをそんなには見なかったのです。

そんな中で、この「あこがれ共同体」は特別なドラマでした。

このブログの中ではなかったかもしれませんが、私は時々、このドラマが私に与えてくれた影響について語る事もありました。

西城秀樹さんが演じる青年は陸上をやっていて、二十歳の記念にタイムを更新し、その記録をストップウォッチに留めるシーンは、凄く印象的でした。そして物語の中で郷ひろみさんが、その姿に影響されて、自分も二十歳の記念になるような服の制作に頑張ると言うものだったのではないでしょうか。既にこの先の物語は曖昧ですが、話の流れではストップウォッチの記録は消され、作った服には欠陥があったのではなかったかしら。

だけど20歳前の私は影響されました。

「そうだ、頑張ろう、この二人のように。」と私は思ったのです。

※      ※      ※

トリオだとか御三家だとか言われると、なぜかその中から一番好きな人を選んでファンになると言う傾向が、あったように思うのですがどうでしょうか。

今思うと「みーんな好き。」で良かったような気もしますが、きっとあれは、みんな好きだと公言してしまうと、レコードを買ったり雑誌を買ったり映画に行ったりと、お小遣いがもたなかったからなんじゃないかとも思うのですよね。

私はその頃、野口五郎派。

ええとね、なんか変な映画も(ゴメンね。)見に行っちゃった^^

 

だけどある日、家族で歌番組での「傷だらけのローラ」を聴いていたら・・・・

じっと見入ってしまい、そして胸がキューンとなりました。

「あのさ、今、私思ってしまったんだけど・・。」と、声をちょっと潜めて告白する私。←浮気告白じゃないんだからね(^_^;)

「秀樹って、良いのね~。なんか好きになっちゃった。なんかこの激しい歌い方を見ていると、なんか応援したくなっちゃう。」

「うん、私も。」と姉。

「レコード、買いに行っちゃう?」

かくして、「傷だらけのローラ」のレコードは、我が家のレコードの置いてある棚の仲間入りを果たしたのでした。

 

絶唱、または絶叫型と言われた彼の歌に、当時会場を訪れたファンの人たちの熱狂ぶりはすさまじかったみたいですね。家に居てもその魔法にかかってしまったのは、普通の事だったと思います。

※      ※      ※

西城秀樹さん、63歳。

 

若すぎる死はいつだって悲しい。

ご冥福をお祈りします。どうぞ安らかに。

楽しい想い出をありがとうございます。

 

画質は確かに良くはないのですが、アップして下さっただけでも本当に嬉しいです。

「傷だらけのローラ」じゃなくて、こちらを貼らせていただくのは、やはり私的にはこちらの思い出の方がより深いからなんです。

 

風の街「あこがれ共同隊」

 

 

 


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母の日の。

2018-05-17 00:39:12 | 梢は歌う(日記)
 
ずっと母でいよう。
 今でも私は何でもない日常の生活の中で、例えばキッチンでお皿などを洗っている時などに「おかあさん」と呼んでみます。 母は横浜で姉と暮らしているので、そばに居るわけではないのです。だ......
 

上の囲みは昨年の5月16日に投稿したものです。

 

カーネションの花などは、過去に一回ぐらいは贈られたことがあったような気がします。またはごく稀に良い事があったかも。そんな私の「母の日」でも、それなりに想い出は積み重ねられていくのでした。

 

13日の日曜日、スーパーやホームセンターなどに行くと、もうこれでもかと言うくらいに「母の日」用のプレゼントの鉢植えが並べられていました。

近頃ではカーネーションなどを贈るより、変わった品種の紫陽花などの方が喜ばれる傾向があるかと思います。または小さな寄せ植えとかも。

―私だったらね・・・・どれがいいかな~。

もう自分で買っちゃおうかな~、などと他の人が聞いたら、ちょっぴり悲しく聞こえるような事を考えてしまいます。

だけど本当は、私はそんなことはまったく悲しくないのです。

だって、面倒くさいじゃないですか。

人の善意を、「あるか、ないのか」ってなんとなく期待しないように期待するのって^^

 

だけど最近、歳を取ったなと自分でも思うのは、ちょっとイヤミとか言ってみたくなる所でしょうか。

 

買い物から帰って自分の部屋に向かう時に、ふと隣の階段を見たら、花キューピットの箱を抱えたヤマトのお兄さんが走っていたのです。

「そうか。今日は書き入れ時なのね。」って思いました。

 

それで家に帰った時に、思わずルート君に言ってしまいましたよ。

 

「君ね、今日は何の日か知っているのか ?ヤマトのお兄さんが花キューピットを持って走っていたぞ。」

「知っている !!」

「えっ、知っている? 知っていて無視か?」

「そうではない。だから俺は休みを取った。ここの所ずっと休んでなかったからな。そしてその休みに、おばちゃんをお風呂   に連れて行くから。」

「あっ、そうなの。そうだったんだ~。」

 ふんふんふん♪

チョー単純なワタクシ♪

 

「じゃあ、ママは15日に出かけるとか言っていたのに、その翌日も出かけると言うわけなのか。大変じゃないのか。」

「いいえ~、心配ご無用です。」

 

と言うわけで、日付が変わってしまったので、もう昨日ですが、彼と一緒にお風呂に行ってきました。

「街中温泉マニア」のコレクションを一つ増やせて嬉しかったです。

 

あっ、そう言えば「父の日」とかもあるじゃないですか。

 

なんか、母の日のイベントよりも大変そうですよね。

毎年アイデアなんかそうそう思い浮ばず・・・・

 

「父の日」って要らないじゃない~。←真夜中にひとり呟く暴言^^

だけど私にはもう、「父の日」に何かをプレゼントする人はいないのよね・・・・・・・。

 

 


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