森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

日の光と星ぼしは

2006-03-29 23:21:48 | 詩、小説
手をかざして  天空を仰ぎ見れば
わたしは  葉陰に反射して 一瞬で消えていく  一筋の光にすぎない

また 草はらに腰を下ろして  星ぼしを見つれば
わたしは  足を濡らす その草原の一滴の夜露のようなもの


だからといって  
日の光が わたしたちを侮ることはない
その一筋の光のきらめきが  幾重にも重なって
きらきら きらきら  舞い降りてくる
そうやって  我等の時代が作られている



月の光や星ぼしが  わたしたちを軽んじる事はない
指ではじけば 消えてしまう 儚き者であっても
あるときは 命を生み出し 慈しみ育てていく
あるときは 限りなく 命を奪い去っていく
そうやって  我等の時代が過ぎていく


そうかといって
日の光は わたしを 優しく包み込んだりなんかしない
時には ゲラゲラわらいながら
悩め 嘆け のた打ち回れ
迷いながら 生きていけ と言う

星ぼしの煌きも わたしに 優しく微笑みかけたりなんかしない
時には 無表情に
もがくな 嘆くな 耳を澄ませ

生きていく事を 迷うな と言う













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「功名が辻ー信玄の影」旅の終わりに見たものは

2006-03-27 00:26:41 | ドラマ (大河)
もし、今日のドラマが舞台劇だったら、私は坂東三津五郎演じる光秀の独白シーンに、お惜しみない拍手を送るでしょう。

・・・・・・・・・
光秀がその半生を費やして夢見たものは、足利義昭を将軍にする事。自分の力で義昭を将軍にし、そして信長と共に追放してしまった。
「私は、夢を失ってしまった。」そうつぶやく夫に妻は、寄り添って
「わかっております。」と優しく言う。・・・そう分かります。だって、あなたの夢と共に諸国を流浪した妻ですもの。←ここは、私の独断ですが。
ー何のための人生だったのか。私は何をしてきたんだろう。ー

信長の元で、いち早く出世し城持ちになった光秀だが、その坂本城から見つめたものは、光きらめく琵琶湖の湖面ではなく、荒涼とした心の砂漠だったかもしれない。       ・・・・・・・・・・・

                       
しかし、三谷幸喜の義昭を見ていると、いまいち光秀の夢というのがぼやけてしまっていました。だけど、NHKの「功名が辻」ホームページなんて言うのを、今日はじめてのぞいて見ましたが、彼のすとっぼけキャラは「滅び行く者の最後のあがき」と表現されていました。なるほどすっかり、見る目が変わっちゃいましたね。
最後のあがき・・・最後のじたばた・・・伝わってきました。


最後に信長がやって来て、恐れて後ろに退いたところなんて、本当にその座から転げ落ちたって言う感じがしました。
それにしても、この時の信長がこわ~い
私は、先週から舘ひろしの信長にはまっちゃっているから、此処でも拍手しちゃいます。

今日見逃せなかったのは、やはり六平太と一豊との戦いですよね。なかなかの迫力でした。そして、今日のお言葉ですか。
「日輪の・・・」    ー面倒だからどうでもいいや。ーオッと・・。

だけど、一豊と六平太、光と影の男・・なんかかっこいい


             ・・・・・・・・・・
そして、最後は小りんちゃんですか~。
私は、小りんのお誘いはとっても魅力的だと思いますよ。・・一緒に逃げて自由に生きよう。・・・
それを、望んでいる相手だったらね。一豊は、そんな事少しも望んでいないのに。それに、自分が惚れたからといって、あのように食い下がる女性の行動がいまいち理解できない。
ー小りんちゃん、根本的にまちがえているよ~、あなた。-って言ってしまいましたよ。
だって一豊は千代、千代ってうるさいくらいに妻に惚れているのですよ。
一夜限りの、うっかりつまずいちゃったような女に付いて行く訳ないじゃない。
あれっ今日の私小りんにきついですか?でも、
「間者はやめた。」なんて言っちゃって。うそでしょ、そんな簡単な事なの。間者ではない小りんって、完全にヒールじゃないですか。

惚れたなら、六平太の女版みたいになって、一豊を守れ頑張れ小りん

なんだか、小りんの事が、長くなってしまいました。だって今回小りんのシーンだけが、退屈でつまらなかったものですから。




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水族館の方の海

2006-03-26 01:16:35 | お出掛け日記

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ひたち海浜公園の梅

2006-03-26 01:08:58 | お出掛け日記

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国営ひたち海浜公園

2006-03-26 00:58:10 | お出掛け日記
この前の記事で春だから、どこかへお出かけって、お出かけ記事書こうと思ったのになんだか出かける前のバタバタで終わっちゃったので・・・までなんて意味不明の題名付けちゃった。


で、実は「ひたち海浜公園」に連れて行ってもらった。
ここは、100万本の水仙があるところ。
前にも同じメンバーで行ったことがあるんだけれど、・・なんか私不安だな。
「あのさあ、咲いてるの?」って聞いたら
「平気よ、水仙祭りもやっているみたいよ。」と言ってチラシを見せてくれた。
でも、梅祭りだって咲いてないうちに終わっちゃったみたいよ。と言っても誰も聞いてないかぁ。しかも前の時は、チューリップもたくさん咲いていたよと思ったけれど言いづらいなぁ。


22日は雨って言われていたのに、快晴で公園の中は広々で、う~ん、気持ちいい    

レンタル自転車借りて  公園内をサイクリングすれば、海の方まで見に行ける。

しかも、梅の花がさかりで紅梅、白梅、しだれ梅、なんて綺麗なんでしょう。 でも、もっと混みこみの梅林が見たかったなあ。

ひたち海浜公園を出るとき、右は行けば大洗、左に行けば水戸という標識を見て心が騒いでしまったわ。

次は、大洗の20日オープンのアウトレットに行った。私は、半袖のTシャツとビーズの指輪を買った。

「水族館に行くんじゃないの?」って聞いたら、
「子供連れでもないのに行くわけないでしょ。水族館の方って言ったのよ。ホウ
ーそんな、どこかの消火器屋さんみたいなこと言わないでくださいな~。消防署の方から来ましたって。-

でも、水族館のホウの海辺で貝殻拾いなんかしちゃいました。海は、心が癒されるなあ



そうそう、この「ひたち海浜公園」は遊園地も付いていて家族でお弁当を持ってお出かけするには、とてもお勧めできるところです。特にこれからは、春の花が咲き誇っていくので、素晴らしいのではと思います。


スイセンですか~  咲いていましたよ~。      1万本ぐらい・・

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春だから、どこかへお出かけ・・・・まで

2006-03-25 11:36:39 | お出掛け日記
 22日は6時に起きた。目覚まし鳴って・・うーん、後5分・・。
おっと、大変寝ている場合じゃないよ。カレーを作らなくっちゃ。

今日はお出かけ。友達が車でどこかへ連れて行ってくれることになっている。ちょっとそのどこかへと言うのが微妙でしょ。
最初は、房総に行くから6時スタートの予定だった。でも、
「房総はもう花も終わりだからどうする?」と、聞かれたのでバスガイドみこさん
から教えていただいた情報を元に青梅や越生に行きたいと言ったら、
「梅、見たいの~
なんか乗り気でない返事。
ーいいですよ、どこでも。乗せていっていただけるだけでありがたいことですダ。行き先決まったら、前日で結構なので、メールにでも集合時間を入れといておくんなせえ。ーと、まるなげアバウト打ち合わせ。

前々日、メールに7時集合とあった。ところが、前日夜遅く電話にて
「茨城行くから、ゆっくりでいいや。」と時間変更の連絡。
「帰りに、大洗の水族館の方に新しくアウトレットが出来たからそこ回ってくるつもり。」
なんだか、思っていたお出かけと違うイメージになってきちゃったなあ。でも、春色のシャツかなんか買えたらいいなあ。

明日はお出かけだって言うのに、いつもどおりに3時頃寝た。寝るときになってから、これは少しまずいかもと思っても、もう後の祭りだ。
その時、ふと気がついた。ゆっくりでいいやって何時?8時って言ったような。でも9時であって欲しいな。9時でいいんじゃないかしら。9時って言ったんじゃないかしら。・・・・かくのごとく願望が、事実とすりかえられていく過程でした。


それで朝目覚めた時には、すっかり9時でいてねって言う気分になってたわけだけれど、どこに行くのか分かってないのだから、帰宅時間も分からない。夕ご飯は作っていかなくちゃね。

6時に起床じゃ、いつもの時間だから、結構きつい。時間ないなぁ、と思っても手抜きなんかしませんよ。玉ねぎ、人参、ジャガイモに茄子にエリンギにインゲンも入れちゃう。「カレー大好き少年達」がおやつや、夜食にも食べれるように大箱2箱半、約3000mlのお水で作る。その水が沸騰してブイヨン入れるとほっとする、もう出来たようなもの。

その時、急に冷静になった。やっぱり、8時だわ
7時40分、やばい。あたしゃ、パジャマだわよ。


オロオロ・・って、嘘ですよ。こんなの、私焦った事ないですよ。脱兎のごとく身支度整えて、カレーも完成させて、さあ出発

「ペナルテイだからね。」って友達
「あら~、何言ってるの。」って私。
3分遅れたからって、ガタガタ言うなって   えーと、これって逆切れ?


とにかく、出~発          ふ~、やれやれ。  


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お墓参りと野球と仕事

2006-03-24 01:11:54 | 家族スナップ
21日は9時半に起きた。
おっと大変 寝てる場合じゃないよ。お墓参りに行かなくちゃ。

昼夜逆転で、3月いっぱいはニート宣言をしている上の子供には、昨日のうちに
「付いて来ないと、昼飯ないよ。」とか
「来ないとおじいちゃんが嘆く。」とか←お墓の中の人
「おばあちゃんが、君におすしを食べさせたいって言ってたよ。」とか、しっかり言ってあったので(どこが、しっかりかわからないが)起こすのにも苦労なく、11時出発で、お墓参りに出かけた。(下の子供は苦労無しなのにね)

途中で、熱いお茶が程良く冷めるところに住んでいる、独居老人のおばあちゃんを誘ってお花を買ってGO    

ところで、この21日の11時って何かに気になる時間じゃない?
そう、WBC のテレビ中継が始まっちゃった。でも、おばあちゃんが出てくるまでと、花を買っているときに車の中で見ていたら、出だし好調で勢いに乗っている感じ。

さて、お墓についてみたら、なんとぺんぺん草が元気良くはびこっていてびっくりお正月に来たばっかりだというのに。そういえば、ぺんぺん草はナズナ・・春の七草だものね。21日は、本当には~るという暖かさだし。だからと言って、見逃すわけにはいかないから綺麗に抜きましたよ。

せっせと墓掃除にいそしんでいたら、ついうっかり納骨するところの上に立っている事に気がついた。つまり骨の上。
「や、やばー、すいません、すいません。」と後ろめたいので何度もお墓に謝っていたら、息子が
「でも、ここにもう祖父さんはいないだろ?」と言う。居るか居ないかと聞かれたら「ここには、いないんじゃない。」と言ってしまう。
「じゃあ、まあいいじゃん。」   
ああ、そうか。そういうことね。この子は、微妙なところで微妙に優しい。じゃ、今のうっかりはなかったことにしよう。幸い、おばあちゃんは事務所に管理費を払いに行ってる事だし、パパは水差し洗いに行ってるし・・(でも、おじいちゃんはお墓の下ではなくわたしたちの横にいたかもね)

まあ、いいや、お墓は綺麗になったし、花も綺麗に飾られて、吹く風もなくうららかな墓参り日和だった。

その後、公約どおりおばあちゃんが回らないお寿司屋さんに連れて行ってくれた。

そのお寿司屋さんでは、ラジオ放送がトイレのみ聞こえるようになっていた。
「この辺で、中継ぎ点が欲しいところ・・」と言ってるから点の動きはないみたい。

スーパーで買い物も済まして帰途へ。どうでもいいけど、例年と違って道路もスーパーもガラガラだった。すごいみんなテレビ見てるんだよね。


9回の表が終わる頃、家に帰ってきた。最後は家でのんびりと見たと言いたいところだが、最後の30分私は違った意味で微妙に落ち着かない。とにかく3時に終わってくれないと困る。
3時から、私はいつも通りにお仕事だったから。ドキドキ(試合で)ソワソワ(早く終わって~)
「自分の部屋大好き青年」の息子まで「見ないわけにはいかない」なんて言って、一緒にテレビ見ているのに、途中で、消してなんて言えないもの。

で、やったー勝ったー
で、やったー終わったー3時5分前

二倍楽しんだ私。・・・イチロ-かっこいい
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功名が辻「仏法の敵」

2006-03-20 00:31:40 | ドラマ (大河)
今日の舘ひろしの信長は迫真の演技で、彼が信長役でよかったよねと思えた初めての回だった。と言うより、演技派そろえた男性陣が、しっかり見せてくれた延暦寺攻めだった。

忠言する光秀の頭を叩き、罵倒しながら殴る、蹴るの暴力を振るう信長。ああ、全ては、ここから始まったのね、と思ってしまった。

正しき事を忠言したのに、いざ、延暦寺攻めになると信長の言うとおりに、僧兵でない僧侶から、女子供まで殺していってしまう。
「仏罰があたりまする~。」と、息も絶え絶えに死に逝く僧侶が言った時
「当たったな。」
「当たったね。」と、だんなと同時に、はもって言ってしまった。

その後の彼らの因縁を思うとき、その「因」はここにあるような気がしてしまった。ただそれは、信長、光秀のみにあらず。この戦いに参加した人々みんなにあるのではと思った。なぜなら、仏罰の「因」は、各々の心の中にあるからだ。おこなった事の結果は、良きにしろ悪しきにしろ、必ず己に戻ってくる。

だからこそ、疲れきった顔をして一豊が戻り、
「地獄絵のようだった。」と元気なく伝えた時、
「あなたが地獄に落ちるなら、私も共に地獄について行きます。」とそっと言う妻。-ちょっと、セリフ違うかもしれないけど・・まあいいか。-
「あなたに仏罰が当たるなら、私が受けます。」

この、恐ろしい戦いで、男達は本当に疲れ果てていたと思う。だけど、この妻の言葉は、その疲れた体の隅々まで優しく染み渡って行ったのではないかしら。


その他の感想だが、前回は寧々様がかっこ良かったが、今回は秀吉かな。信長の前では何も言えなかったが、いざ現場では女子供は斬らなかった。それが原因だったのか、光秀は城持ちになり、秀吉はならなかった。「命令だからと言って全てをその通りにしなくていい。・・・・」なんかその後もいい事言ったのだけど、・・聞き取りにくくて・・・・。

信仰のトラウマは結構重い。下手をすると精神を病む。秀吉は分かっているなあ、家来達を守ってるなあと思って見ていた。武田節の言葉を借りちゃうけれど、「人は石垣、人は城」だものね。「人の城壁」を作れる人が最後は、勝つのかも。

ところで、あの秀吉の甥はどうなってしまうのだろう。あれっ、あの子が養子になる子???


今日の私はヨロヨロです。朝から、「女王の教室」の感想のめり込んで書いちゃったから。めちゃくちゃまじめに書いてます。良かったらよろしく
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流れの速い清流のようにー「女王の教室」追記

2006-03-19 12:23:42 | テレビ・ラジオ
2日間にわたっての「女王の教室」は、ドラマの面白さはもちろん最高だったが、そのメッセージ性も高く、受け取ったものを、一気に表現する事ができなかったので分けて書くことにした。それでも、体罰の事や第三の選択に関しては、またいつかと言う事にしよう。

「イメージ出来る?何もかも見通しているような女教師は、昔、余りにも愚かな若い母だったことを。」

こんなのただのドラマだよ、とか、子供死なして涙を誘うなんて卑怯だよと思う。だけど、私は、その罠から逃れられた事がない。(別に、本当は涙を誘っているわけではないんだけどね。)
真矢の子供が川で溺れ死んでしまった時、見ていられなくて逃げ出してしまった。真矢のだんなが「お前が殺したようなもの。」と言った時も「そうよ、あなたが殺したようなものよ。」と涙でかすんだ目で、心の中でせめてしまった。
だって、辛すぎる。あの子は、何時だって母の幸せばかりを考えているような子供だったから。

時に若い母は、その若さゆえに本当に愚かなことがある。

子供は、母に対して無条件で愛を注ぐ。その愛は、まるで流れの速い清流のようだ。だけど、母は、自らが子供に対して注ぐ愛ばかりに、気をとられて、子供からのその大きな愛を受け止め損ねてしまっている時がある。守ってるようで守られている。支えているようで支えられている。

あの時もこの時もと受け止め損ねた愛を思うとき、私は後悔ばかりで、心は涙の沼に沈む。ただ、生きて生意気でも成長していってくれれば、あの時は、この時はありがとうと伝えていく事が出来る。

だけど、失ってしまっては、もうそれも出来ない。真矢が川に向かった気持ちは、本当に良く分かる。

死のうと思った川の真ん中で、教え子からの電話。「死のうと思ってるんだ。」・・・・・人は皆、生きるべき道があるということか。もっと硬く言うと生きる使命とか。涙の川から這い上がってきたからこそ、あの覚悟の真矢先生が誕生したんだなあと納得した。

このドラマは縦糸横糸、しっかり織られている。過去から現在、現在から過去へしっかりつながっていて全て納得だった。この作品の脚本は「遊川和彦」という人が書いている。


子供たちの流れの速い清流のような愛を、母達が受け止められるなら、親に殺される子供はいなくなると思う。

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「女王の教室」また、あなたに会いたい

2006-03-19 09:25:50 | テレビ・ラジオ
 昨日も、今日もみんな泣きながら、真矢が、なぜ悪魔のような先生になっていったのかを見続けていたのではないだろうか。

 ドラマとしての感想を書こうと思うならば、期待通りの素晴らしい作品でしたとしか、今の私には言うことが出来ない。なぜなら、思うことがたくさんあり過ぎてどう表現していいのか、わからないのだ。

 そういえば、中学の歴史の先生が昔言ってたっけ。水戸黄門や、大岡越前、あとは、誰だっけなあ・・この人たちのイメージはみんな創作。こんな権力者、こんな奉行がいたらいいなあという庶民の願望から生まれた。実際にはいないから。
真矢先生、あなたも私達の願望から生まれた主人公。実際にはいないから。・・・ゴメン、これは、言い直そう。なかなか、めぐり会えないから。中には、居るものね、本当の先生。


 真矢もそうだけれど、ドラマの中の愛される先生達には、皆同じ共通点がある。

もう、だいぶ前だけれど、「地獄先生ぬ~べ~」という漫画をテレビでアニメでやっていた。その頃は、食事時間も早かったので、家族でそのアニメを見ていた。すると、主人が
「ぬ~べ~も、昔教え子が自殺しちゃったから辛いよね。」と言った。
「彼の教え子は死んでないよ。死んじゃったのは、ガー助だよ。」と私。
その頃、「みにくいアヒルの子」というドラマをやっていた。主人は、その主人公たちのキャラが混ざってしまったのだ。なるほど、無理もない、と私はその時思った。


 真矢も、そのぬ~べ~も、ガー助も、他にもヤンクミもみんな同じことを言う。
「私は(または、俺は)、私の生徒達を、私の命に代えても、守る。」と。

学校の先生とは、学校で子供に勉強を教える人・・・。だけど、学ぼうとするものにとっては、教科書を丁寧に読み進めるだけでも学んでいく事ができる。

学校の先生とは、学校で子供たちを教育する人、教え育てる人なのだ。教育とはなんて、中途半端にここでは語るまい。
ただ、家庭では、父、母が親として「私の命に代えて、子供を守る。」と思っている。
学校では先生が、「子供を守る。」と心の底から思っていてくれたら、子供たちにとって、学校は、もっともっと大切な場所になってくると思うのだ。母の家に帰る時の子供たちが、家に近づいた時に思わずスキップをしてしまうように。


だからと言って、本当に真矢先生のような、悪魔バージョンの先生がいたら、ついていけないよね。グレー真矢なら本当にいて欲しい。白真矢だったら、父親参観日の出席率は上がるけど、本当にあれじゃ、学級崩壊は起きる。6年じゃなくても、1年生でも起きるよ。
だけど、実際には、鬱々といろいろなことがある、教育界の現場。私は、真矢の活躍を見てスカッとしたい。
だから私は、また、あなたに会いたい。




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