森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ちゃんと、捨てましょう。その2

2012-04-29 22:56:16 | 梢は歌う(日記)

GWの前半が始まりましたが、私はいつもこの期間はどちらかと言うと、大掃除週間です。大掃除といっても窓拭きを頑張ると言うよりは、ごみ捨てに頑張ります。

ごみ捨ては、紙ゴミを制すれば半分は勝ったようなものです。

いつも決まりきった所を片付けて終わってしまうことも多いのですが、今回はちょっといろいろなところにもチャレンジしています。

この前半のGWに、ルート君は所用があってお出かけです。彼の部屋のクローゼットは、この部屋が子供部屋と呼ばれている時からあまり中をいじられていなくて、前から整理がしたかったのですが、なんたってお年ごろ男子が居座っていれば出来るものではありません。それに昨年の震災前までは彼の部屋全体が魔窟でしたので、魔窟の奥の更なる魔境でした。

今回は、そこのお片づけに着手しています。

その中には、子供の作品や私のアルバムや・・・
ああ・・・・。

思い出の品って厄介なんですよね。

この想い出の品についてもいろいろ思うことがあったので、それは次回に書くことにして、今回は特に思い入れがあったわけでなかったのに、長く持っていた為に「思い出の品」になってしまった物のことを書きますね。

 

だけど、なぜ長く持っていたのかと言えば、それは買った時や貰った時に思い出があったからなんですね。

上手く使いこなせていたわけではないのに、捨てがたくて何年も持っていたもの。

だけど捨てがたくずっと持っていたものにも、ある日突然「もういいな」という気持になる瞬間があるのですね。

この事は、ずっと以前にもサマーセーターやレースのポーチのエピにも書いたのですが、今回も、そんな気持ちになったものがありました。

この色褪せたポーチは、確か姉が、ラッタ君が生まれた時に、
「こういうのも必要でしょ。」と言って、くれたのだと思います。

子供のための洗浄綿や綿棒を入れておいたり、その後は旅行用の下着入れにしたりで活用してきました。でも洗うたびに色が落ちて、落ちた色でまた変な風に染まってしまいました。そしてその綺麗に洗ったまま長い間仕舞われてきました。

でも今回取り出してみて、やっぱり捨てることにしました。もう使うことはないですから、その役割はとうに終わっていたのです。

このポーチは、このままでは捨てることは出来ません。
ファスナーは不燃ごみで、その他は布ですから燃えるゴミです。

ハサミを入れるときに、ちょっとだけ心がキリリと痛みました。

使ってきた思い出にかと言うとそうではありません。

「こういうのも必要でしょ。」
そんな風に思って、選んで贈ってくれた人の心が蘇ります。

「ありがとう。そしてさようなら。」

そうして、私はハサミを入れました。

やっぱり、物との別れには必要な言葉ですね。

「ありがとう。」

 


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ちゃんと、捨てましょう。

2012-04-26 00:43:20 | 梢は歌う(日記)

夫殿と喧嘩になると、彼の攻撃パターンの一つに
「お前は、本当にお前の父親に似ているな。」というのがありました。

これは自慢になってしまいますが、マイ父は実際の年齢より常に若く見え、頭も良くてリーダーシップのある人でなんでも器用にこなします。でも夫殿は、もちろんその辺を言っているのではありません。

「なんでも取っておくんじゃないよ。」

そうです。

父は物をあまり捨てません。広かった父の部屋はだんだん狭くなっていきました。先日、母が決意をしてその父の部屋もかなり広く復活してきましたが、その「捨てない」という部分を言っていたのです。

 

この文は「ありました。」「いたのです」と過去形で書かれています。

もともと、私は「これはいつか役に立ちそうだな。」とひらめくと、それは捨てません。ものの本によると、「そのいつかはいつ来るのか。10年後20年後に役に立つために、その保管する地代を払い続けるほうが無駄だ。」と言う趣旨のものがあって、全くその通りだと思います。

だけどそれをちゃんと保管し続けるスペースと管理する能力があれば、細かいことを考え捨てる努力に力を使い、必要なときに買い直したり叉探し求めたりすることだって、実は時間と労力の無駄なんじゃないかなと思うのです。

ある日、私が
「『いつか使うな、これ』って思ったものは、本当に必ず使う事が多いね。」と実家に帰った時にほぼ独り言のように呟いた時に父の共鳴度は非常に高かったです。

だけどこれは「保管し続けるスペースと管理する能力」がある場合限定です。
部屋が狭くなっていったり、ごちゃごちゃして常に探し続ける毎日や、いざというときに出てこなくて結局買うはめになったりするのなら論外ですよね。

この記事は、本当は夫殿の悪口を書いて(おっと~!)簡単に終わるはずでしたが、今週は、奇しくもお片づけ週間になってしまいました(私の暦では)。なので、続けて同じテーマで書いていこうかなと思います。

ちなみに今の私は「なんでもとっておく女」ではありません。いろいろ思考が変わったのです。

で、出てくるわけですよ。夫殿への苦言が。

彼がパソコンを買い換えたのですが、本体内蔵型というもので(本当はこんな言い方じゃないかも。立ち上がって確認に行くのが面倒なのだ)、いきなり机の上がすっきりしました・・・‥・パソコンの部分だけ。

彼の机は大きいので、本体の上は彼の小物をカゴで整理して置いてあり、その横は文房具や私の小物なんかが置いてありました。本体が無くなってしまったので、カゴの山になってしまい見苦しいこと極まりありません。カゴといっても10×15×10ぐらいの小さなカゴですが、そこを片付けるためにいろいろやりました。いわゆるパズルの入れ替えです。新しく収納の何かを買うのは嫌なので、カゴの代わりに小さなファンシーケース。そのファンシーケースに入っていたものは、キッチンから持ってきたやっぱり小さなケース・・・。私の小物はやっぱりドレッサーの中を整理して、入れ直しました。

一箇所片付けるのに半日以上費やしてしまいましたが、帰ってきた夫殿が、まっさきに
「綺麗になったなあ。」と喜んだので、報われました。

そして私はすこぶる優しい顔で言いました。

「パパちゃん、このカゴいっぱいの使用済みライターの中で、いるものがあったら抜いてね。明日捨ててしまうから。」
半分は本当に確認の意味があったのですが、残りの半分は嫌味です。

それにまた別のかごいっぱいの使用済み電池・・・・。
さすがにこっちは、「いるものがあったら抜いてね。」なんて言いません。

ああ、そんな物で机の上はドッチャリしていたのかと思うと、イラッとしました。

だけどなんたって長い付き合いなので、私の嫌味などさらりとかわして彼はのたまいます。

「ナイナイ、いるものなど何にもない。みんな捨ててイイよ。」

「いいよじゃないよ、全く」と思ったので

「パパちゃん、要らなくなったものは、ちゃんと捨てましょうね。」と今度はストレートに言うと、

「オウ、お前がな。」

・・・って、あたしかい・・・

「まったく~」と思った、ある日の出来事でした。

 

でも、よく考えてみれば、私は今までに彼に
「要らなくなった電池はここに捨ててね。」と言ったことがあったかしら・・・・。

今までライターはどうやって捨てていたんだっけ。そう言えば机の上に放置してあるライターを、点くかどうかチェックしてやっぱり私が勝手に捨てていたのでした。

一々彼が「コレを捨てて。」と言わず、自分のエリアのカゴにポイポイと投げ込んでいたから、私も気にも止めずに溜まってしまったのです。だけど「コレを捨てて」と言う習慣がなかったのだから仕方がありません。

これって、使用済みライターの置き場所を作ればいいだけのことで、そして使用済み電池の置き場所を彼に伝えるだけで解決するという事案ですよね。ところが私、ふと彼が要らなくなったそれを、廊下にある棚の上に自分で捨てに行く姿を想像したら、なんか意味もなく嫌な気分になったのです。

なんか、悲しいというか侘しいというか・・・
良くわかりません・・・。

どうもくだらない感傷のようです。
廊下の棚と言うのが、その感傷の原因らしいので、不要電池等の置き場所を変えることにしました。

ええと、どこが良いかな・・・。

あっ、閃きました。

彼のパソコンの横。

えっ、結局同じ・・・。
いやいや、今度はちゃんと捨てる場所。
だけど今までと同じようにぽいぽいと入れて良い場所なのです。

 

 ふう、やれやれ・・・
主婦は大変なのですよ。
という訳で、最近の私はゴミと格闘する毎日です。

 

 


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ささやかなお出掛けでも

2012-04-21 14:44:51 | お出掛け日記

考えてみると、3月はお仕事も忙しく、なんとなく気分ではなかったのでほとんど友人にも合わない生活が続いていました。その反動で4月は会えなかった友人たちと続けてランチです。

「次の季節」の中で書いた友人たちとの絵話はサイゼリアで、安上がりランチだったのですが、その翌日は少々リッチなランチに行きました。

テレビでも時々取り上げられていたと言う、「鳥善」というお店です。

ランチは平日のみですが、お食事にも満足ですが、その内装が素敵なんですよ。
あっ、その内装の写真は撮り忘れてしまいました。

外にはこんなものが・・・

古民家で太い柱がたくさんあって(表現力ナシ)森の中にいるようです。

とりあえずお食事の画像・・・

食べながら、先日江戸川の土手に一緒に行った友人のことを思い出し、今度は彼女と行きたいなと思い早速お誘いしました。

こうして素敵なお店は口コミで広がっていくのでしょうね。

お食事やお店も素敵でしたが、私には一番上の風景もごちそうでした。

 

手賀沼のほとり・・・

沼のほとりと書くと、何やら素敵な響きがありますよね。

遠くになんか行かなくても良い。

私はもっともっと自分の家の近くや、またはそこからそんなに遠くないところをもっと知りたいと、やっぱり思ったのでした。

 

春がやって来ました。

そしてどんどん過ぎていこうとしています。

 

ランチに行くというささやかなお出掛けでも、最近春を感じる毎日です。

コメント (3)
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次の季節

2012-04-16 18:10:28 | 家族スナップ

「季節」と言う言葉が入っているのに、画像がないなんて寂しい限りですが、土曜日は雨で日曜日の昨日は散歩に行きそびれてしまったので、イメージしていた画像を撮りにいけなかったのです。

イメージしていた画像とは、それは新緑の木々の写真でした。

雨の街を車で通り過ぎた時、街路樹は既に美しいフレッシュな若葉色に着替え始めていたのです。

待っていた季節は、あっという間に通りすぎていこうとしているのです。

春を・・・、
春を感じることが出来ましたか、皆様。

先日の「天空では風が吹いているに違いない」と言う記事の中で、なぜ人は地球の公転自転から起きる現象に、人生を重ねあわせたがるのだろうかと言うようなことを書きましたが、近頃のような待ちに待った暖かい陽気の、いかにも春という日がやって来ると、やはり私も同様に、重ねあわせてしまったのでした。

暖かい春風に
「なんて良い季節が来たのだろう。」としみじみとしました。でも続けて思ったのは、
「こんな良い季節はアッという間に過ぎてしまうのだわ。」

そう。
アッという間に、春の暖かい季節は過ぎていってしまう。それは単なる自然の事実なのですよね。だけどそう感じた私の中では、なぜかそこには人の人生の春夏秋冬が重ね合わされてしまっているのです。

青年たちよ。
君たちの季節は、まだまだ寒い早春の春。
だけど必ず、優しい春風の吹く、そして花々が咲き乱れる素敵な春は必ずやって来る。
でもそんな季節はアッという間に過ぎてしまうのだよ。
惜しめよ、今という時を・・・

などと思っても、その春の中にいる人は次の季節を思うことは、あまりないのでしょう。

次に来る、汗を大地に吸い込ませながら、それでも守るべき者たちのために働いて働いて、ただ働いて、そんな熱く長い季節が来ることを、そんなには意識しないのではないかしら。人生の夏は、本当に「暑い」わけではないので「熱い」と書きました。誤字ではありません。

じゃあ私達はどうなんだろうか。

この朱夏と呼ばれる季節が終わったら、静かな静かな白い秋の時代がやって来るのですよね。

今、「分かってる人には分かる」的な書き方をしてしまったので、少し補足させていただくと、人生を季節と重ね合わせるのは大昔からの人の傾向で、それ故、青春、朱夏、白秋、玄冬という言葉が存在するのです。

この言葉を知ってると、人がどう思おうと自由だよと思いながらも、60のオヤジが「青春」とか言っていると、少々気持ちが萎えたりもするのです。

朱夏という時代は、人生の骨格をなす良い季節だと思います。
確かに苦労も多いし、悩みも多い時代です。でもその悩みは具体的で、曖昧な何が悩みかわからない悩みで悩んでいたという青春時代とは違うものがあり、確かな手応えのある時代といっても良いと思います。

そして今の世の中、その朱夏という時代は、60代はもちろん、70代のはじめでも次の季節の白秋ははやって来なくて、最も長い季節なんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。

 

この記事、カテゴリーは「家族スナップ」。
例のごとく、今までのは本文より長い前置きです。

 

土曜日の朝、いつものようにまったりとしていましたら、背後でカチャカチャと音がします。
何かしらと思ったら、夫殿が食洗器の中の食器を片付けています。

ああ、何かがなくてそこから出しているのかなと思ったら、勢いづいたのか、まだ洗っていない食器などをゆすいでその中に入れている彼。

そして昨晩の洗っていない鍋などを洗い出す彼。

私は金曜日は夜まで仕事で、その後夕食の支度やあれやこれやで体力的にも限界なので夜家事はやりません。

だからと言って、それで文句言われる筋合いもないので長年の習慣です。

でも、夫殿にそんな事をされると、なんか嫌味を言われているような気分になってしまうのです。

←久しぶり「何をしてるの?」

「暇だからさ。」

そうです。土日の夫殿はお暇です。

365日お休みナシの主婦業とは違います。
じゃあ、やってもらうかと思っても、続けてマッタリもするわけにはなんとなく行かず、やろうと思っていた仕事をはじめる健気な私です。

ところが、お昼・・・・

また片付け始める夫殿。

だから私は、やっぱりお仕事を。

そしてまた夜。

またも彼はお片づけを・・・。

「何か、今までの私に不満でも?」

「いや、綺麗だと気持がイイなと思ってさ。やりたいからやってるだけで、ママは気にしなくてイイよ。」と申します。

うちら夫婦は同じB型人間で、あまり裏というものがありません。

「やりたいからやっているだけ。」と言うのは、多分本当のことで、他意はないのだと思いました。はっきり言って助かります。

ところが翌日の朝、また彼が片付け始めると、思わずワタクシ言ってしまいました。

「来るべき時代の練習でもしているんですか?」

「いや、別に。」

※    ※     ※

私も空気読まずという人ではないつもりなので、日曜日の昼食は、ビューンと片付け終了。これ以上やっていただくのは、なんとはなしに居心地が悪かったのです。まあ貧乏性なのです。それと後から威張られそうな予感もしたものですから。

で、彼のブームも去ったのか、夫殿は夜は知らんぷりしていました。

 

「来るべき時代」と言うのは、リタイアした後の時代です。

※     ※     ※

今日は友人たちと久しぶりにランチです。私の友人たちはほとんどが年上で、いろいろ参考になります。その彼女たちの旦那さんの二人が定年を迎えました。その体験談・・・・・。
思った通り何もしない旦那さんたち。
三食の食事作りを苦痛に感じる彼女たち。

当番制‥‥・って訳にはいかないんだろうな、世代的に・・・。

そこで、私はある意味自慢話でもあるこの話をしたくなってしまいました。

「自慢‥自慢‥自慢・・・」

←友人「あなたのうちの旦那が、そんな事をするから、明日から天気が崩れるんじゃないの。やめてくれないかしら。」

「そうか・・・、明日の天気の悪いのは、うちの旦那のせいだったのか。それはすまぬことを・・。」

すると、友人は

「うちの旦那がそんな事をしたら、槍が降るわ。痛いよ、そうなったら。」

と言いました。と、その時私はろくでもないことが頭に浮かんできてしまいました。

「槍じゃなくて、カラスのフンが降るんじゃないの?」

そうなのです。友人はカラスのフンの直撃を2回も受けてしまった稀なる人なのです。

頭の中で、カラスのフンの雨が降る図を想像した私・・・・
あな恐ろしや・・・。

 

だけど季節が変われば何かが変わる。
他所様のおうちはともかくも、私のうちではどんな季節が来るのかしら。

そんな事を考えると、白秋の未来であっても少々楽しみになってくるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 


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ちょっ蔵、旅気分。

2012-04-13 09:18:48 | お出掛け日記

時に人は旅への想いに駆られたりもするけれど、何も遠くに行かなくても良い所はすぐ近くにあるのだよ。

そんな事を再確認した昨日でした。

昨日は友人が車で、「万華鏡ギャラリー寺田園茶輔『見世蔵』」に連れて行ってくれました。

今「見世蔵」では、中里保子さんの万華鏡世界大会グランプリ受賞3作品も展示しています。(22日まで)

 

 

 

外観は写真を撮るのはO.Kでした。

覗いた中も、素晴らしかったですよ。この三作品以外にも、見応えがある作品が多くて、しばし万華鏡の世界に浸ってしまいました。

今後、万華鏡の手作り講習会も予定があるみたいなので、興味のある方は→HP

 平日なのにおじさまもおばさまも多くの人が歩いていました。「流山散策ウォーキング」とか言うイベントに参加しているのかしら。

ここを出ると、遠くに何か黄色く染まった風景が目に入って来ました。
 既にトップ画像に載せているのでバレバレですね^^

思わずフラフラと惹きつけられるように行ってみました。

 

 

 

 

菜の花って言ったら、南房総に行かなくてはなんて思っていました。

なんだァ、こんな近くにこんなに素敵なところがあるんじゃないって、本当に思いましたよ。

昨日は汗ばむぐらいの陽気でした。

春を・・・

春を感じました・・・

川は江戸川です。流山本町は歴史を感じさせる建物がちょこちょこあって、またふらりと行ってみたい町だと思いました。

 

 

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桜の季節

2012-04-12 07:22:22 | お散歩&写真日記

火曜日は仕事、水曜日は雨と予報を聞いていたので、ようやく咲いた桜を見るのは月曜しかないと、家でクタクタしていた自分を叱咤激励して、花を見て参りました。

叱咤激励してまで桜は見なくちゃならないものでもないかも知れませんし、まだ咲いたばかりの桜は、少々の雨では散らないので、まだまだ見ることは出来ると思います。

でもようやく咲いた桜。
待っていた桜。

たくさん、そしていっぱい見たいのです。

月曜日は、後回しにしていた皮膚科に絶対に行くと予定を立てていたので、コース的に、子供が小さかった頃に行っていた公園に行って来ました。この公園は大きくはないのですが、その敷地にこれでもかというくらい植わっているので、桜の公園として有名だったのですよ。

空は青空。

でも既に夕方だったので、やっぱり画像は淋しげですね。

だけど空を覆う桜。

 

 

 

 

花狂い‥‥‥そんな言葉あったかしら。

でもそんな言葉、良いよね。

花に狂って春を追いかけて、そして今を感じたい。

そんな事を思った今日の朝です。


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勝・新(KATSUARA)#5

2012-04-10 07:49:16 | テレビ・ラジオ

「生瀬勝久と古田新太が本当に劇団を立ち上げるところから物語は始まる。」

「毎回大物ゲストがやって来て、ステージを練りあげていく様子をドキュメンタリータッチで追う」という物。

これ面白そうだなと思っていましたが、なんとなく見逃していたんですよね。でもゲストが藤原竜也となれば、見逃さずに見るのです。7日(日)深夜0時からwowowで見ました。

いやいや、本当に面白かったですよ、これ。

とりあえず劇団に加わることにした竜也くんは、どうせならシェークスピアをやろうと言います。そして演目は「ロミオとジュリエット」。

もちろんシーンはバルコニーのシーン。

ご存知、藤原節が響き渡ります。

短いセリフですが得した気分です。

 

ところが生瀬さん、
「いいよ、いいよ」と言いながら、なんと「ロミ・ジュリ」を関西のノリでやることになりました。

「好きや、好きや、めっちゃ好きやねん。」

真夜中なのに笑い転げましたよ~。

何でも器用に熟しますね、竜也くん。

関西弁のリズムとイントネーションの指導をする生瀬さん。

「上手いねえ。」と褒めていましたが、続けて
「これは竜也にとってもメリットがあるよね。関西弁が話せる俳優として幅が出来る。BKの朝ドラに出られるよ。」と言っていたのが印象的でした。

NHKの朝ドラは関西と東京で順番に作っていて、関西はBK、東京はAKじゃなかったかな。間違えていたらどなたか訂正してください。

それはともかく、思わずアンテナが立って秒の単位で妄想をしてしまいました。竜也くんが朝ドラに出たら、半年(役によってはそうはいかないけれど)、しばしの間、朝に幸せが訪れるじゃないですか。ふふふのふ。←どっぷりファンコメです。

生瀬さんは褒めて人の良いところを引き出すタイプなんだなあと思ってしまいました。本当はここもあそこもちゃうねんと思っていても、「イイヨイイヨ、だけどココはこうしたほうが」と・・・

思わず良い人だあと、前から好きでしたが、再度思ってしまいました。

ジュリエットは古田さん。
おっさんのくせにちゃんとジュリエットに思えるから、古田のおっさんには本当に参ります。大好き❢

短いシーンでしたが、セリフも
「中二の‥‥なんとか。
高二のなんとか‥‥停学明けの・・・なんとか。」という部分、痺れました。
すみません。痺れたと言いながら、脳の老化により全く覚えられませんが、引きこまれました。

そういう部分は、きっとライターさんもムフフとか思って書いていると思うのですよね。しっかり届きましたよ。

 

とっても楽しい真夜中のひとときでした。

 

この「勝・新」の一挙放送の再放送情報ですが・・・。

5月4日(金)深夜1時20分から wowowプライムで。
#5は深夜3時35分から。

5月17日(木)よる10時から wowowライブにて。
#5は深夜0時15分から。

他の回も伊勢谷さんや吉高さん、風間さん、松雪さんとゲストは豪華で面白そうですよ。

と、私はこんなにwowowの宣伝をしてしまって、思わず「回し者か!」ってセルフツッコミ・・・です。

 


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天空では風が吹いているに違いない

2012-04-08 02:07:15 | 思いつくまま

上の画像は一昨日の月。

月がとっても綺麗でしたね。
地上では火曜日、水曜日と吹き荒れていた風も止んでいましたが、きっと天の上空では大気が安定せずに、雲がとどまることを許していなかったのかも知れません。澄み渡った空に輝いている月。心が洗われるようでした。

 日付が変わってしまったので、既に昨日ですが、やはり月が綺麗だと多くの人が呟いていました。でも私は立ち上がって空を見ようとは思いませんでした。だって寒いんですもの。

だけど昨日はソメイヨシノの花も、ようやくその固かった蕾もゆるめ街をピンクに染め始めました。

こういう季節を人は春というのだと思います。

人は何故か春を待っている・・・。

不思議だなあと思います。

そんなに冬が嫌いだったのかと、自分に問うてみれば、冬の素晴らしいところがいろいろ思い浮かんできて、満更でもないような気もするのですよね。
確かに春は、街がキャンバスに描かれた絵のように華やかに彩られますが、冬枯れの木々の美しさにはまた格別のものがあるじゃないですか。

冬は寒いけれど、春だってまだまだ寒いじゃないですか。

決して丁度良い季節なんかじゃないのですよね。

北風は辛いけれど、春一番の辛さに比べたら大したこともありませんよ。

それでも人は春を待っているんですよね。

 

ワタクシ、先日、私にしては珍しくネガティブなことを考えてしまいました。

「明けない夜はない。」と言う言葉、なんか感動しますよね。
「冬来たりなば春遠からじ」もまた、心に響きます。
でも何で‥‥‥?

地球の自転の関係で、朝が来てそして夜が来ると言う現象を繰り返しているんでしょう。
そしてやはり地球の公転では春夏秋冬があるわけなのですよ。
自然の営みなんですよね。

なぜそれと人生のリズムみたいなものが、どうして同じだと言えるのでしょうか。

明けない夜はない、確かに。だけど終わりなき夜の世界を彷徨う人もいるんじゃないかしら。
春は必ずやって来るのだと思う。でも永久凍土のような人生を歩むことはないのかしら。

こういう例えって、実はいっぱいある。
例えば、「夜明け前の闇は実は一番深い」というのもそう。

確かに、夜明け前の暗さは本当に真っ暗。これは夜が明ける前に仕事なんかで出かけた経験のある人には実感できることだと思います。でも人はこの言葉を聞くと、本当の夜明け前の暗さを言っているのではなく、人生の、または社会が変わる前の不安定な世の中を指して言っているのだと感じるのです。

なぜ感じるのかといえば、それは人には感性というものがあるからなんですね。

言葉は先人たちからの贈り物だと思います。そして人は持てる感性で、自分を励まし、しっかり人生を歩ませようとする力を持っているのだと思います。

だけど厳しいようだけど、人生の夜は勝手には明けてくれないし、冬もぼんやりしていたらいつの間にか春になっていたと言う訳にはいかないんじゃないかと思うのです。

出来ればぼんやりしている間に、勝手に来て欲しいのだけれど・・・・・というのは本音。

本音はともかく、言葉というギフトを貰って、そこで満足してしまうことも多いかなと思います。やはりそこで立ち止まって考えていかなければならないのだと強く思ったのでした。

そうは言っても、知恵無き私はオロオロするばかりです。

そんな私には、
「優雅に湖に浮かんでいるように見える白鳥の、水面下ではその足は休むことなく水をかき続けている。」なんて言う言葉のギフトが届けられるのでした。

見あげれば、美しい月が。

静かに見える天空。だけど見える雲の更にその上では風が音を立てて通り過ぎて行っているのかも知れません。
大気の流れを止めることもなく。

 

 

 

 

 


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新相棒に成宮くん

2012-04-04 01:50:41 | ドラマ(相棒)

って、今頃ブログに書いても、みんなに知ってるよって言われそう。

昼間、ツイッターでは呟いたけれど、やっぱりマイブログでスルーは、それはないんじゃないかなとか思ってみたりして・・・

しかし、思わぬところから来たと言う感じがしましたね。

小栗旬とか水嶋ヒロとか噂に出ていたけれど、噂になっていただけに、それはないなと思っていました。最近の噂では長谷川博己という説も。あっ、それイイなと思いましたが、なんたって彼は今や時の人ですから、逆に難しくなってしまいましたよね。「家政婦のミタ」の前だったら、アリだったかも知れないとかも思ったのですが。

そして決定したのは成宮寛貴。
(すみません、みんな敬称略です。)

仕事から帰ってきた夫に言ったところ、「えー」とちょっと不満顔。

仕事から帰ってきた夫に、まず話す話題がそれかってなもんですが、若いという点が不満らしい。

でも私は、その若さが良いような気がするのですよね。

若い刑事に今まで通りにはいかない右京という構図もあるかも知れません。

それに成宮くんだと、普通のサスペンスに出ると、どんなに良い人を演じていても、
「いやいや、こいつが最後に絡んでくるな。」とか「こいつが真犯人。」とか、そういう役まわりの人だと思うのですよね。だけど今度は、その彼が刑事役。

新相棒、なんか楽しみになって来ました。

ちなみに今から書くのは先走り妄想です。

成宮くんだと、彼の「相棒」卒業の時は(気が早すぎ)、刑事が犯人だったとかまたは殉職で号泣モードのドラマも作れそうとか思ってしまいました。

まあ、その前にどんなふうに登場してくるのかが、問題なんですよね。

 

「ヒラP・伊東仁の事件簿」は→こちら

 

 

 

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梅も桜も

2012-04-03 00:58:06 | お散歩&写真日記

最近パソコンを開くと、ついピグライフの自分のお庭へ行ってしまって、麦の収獲なんかを勤しんでしまいます。ちょっと前まではとうがらしの収獲。疲れはてて、こんなことはもう止めようと思いながら、なんだか頑張ってしまうのですよね。

今まで子供たちに、パソコンのメモ帳を使えばと言われていたのに、「いいよ、別に使い道がないから」とか無視していたのに、ここに来てそういうモノを使うことも覚えました。なんたって頻繁にアイテムの必要数や確率なんかを計算したりなんかしてるものですから。

ゲームの中の私、かなり用意周到です。

何でこの周到さがリアル生活に反映しないのか、全くの謎です。

 

ところで、パソコンを開くたびにそっちのピグ村に行ってしまうものですから、なかなか落ち着いてブログ記事が書けません。「カーネーション」の感想を書き始めたものの、既に「梅ちゃん先生」が始まってしまったりで時期も逸しています。今があんまりまとまった時間が取れないのもピグに嵌った一因でもあるのですが、何となく忙しかったお仕事月間が終わってみると、家の中の雑用が山のように溜まっているような気がします。

主婦のお仕事はヤラなければそれでも済んでしまう事も多いのですが、やればやったで生活の快適をやった分だけ手に入れることが出来る、究極のゲームのようなものです。

ピグライフの庭造りも、ツイッターもブログも止めませんが(欲張り)、リアルゲームも頑張りたくなってきたのは春が近づいてきたからでしょうか。

いや、「近づいてきた」というのは間違いですね。

 

今日は美容院に行って来ました。
その時、街は既に春色に色づいていることに気が付きました。

白、ピンク、黄色・・・

またも華やかな春がやって来ていたのです。

 

だけど私の心は浮き立ちません。
なんとなく晴れやかな気持ちになれないのです。

それは単純に春の暖かさを感じることができないからかも知れません。
だけどもしかしたら、心が寒いのかも知れませんね。

 

ああ、この美しさは幻。
本当の春が早く来て欲しいと願っているのです。

 

ところで、ついちょっと前にうちの方は梅が満開になりました。先日の強風でかなり落ちてしまいましたが、美容院の帰りにまたいつもの

公園に梅のお花見に行って来ました。まさに今頃かと言う感じです。

 

 

もう昨日ですが、風もなく穏やかでしたので、春休みの親子連れや学生さんたちの花見の人たちで、公園は賑わっていました。

ソメイヨシノは咲いてはいませんが、寒緋桜系や彼岸桜の仲間などが綺麗に咲いていて、お花見に不足することもないかと思われました。

 

 

 

 

桜ではありませんが

今は幻のように見える春の風景が、しっかり心に届くことができますように。

しみじみと春を感じたい今日この頃の私です。

 


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