森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

五月怪談

2009-05-29 13:08:50 | 家族スナップ
注:ホラーにあらず。
大島弓子作「四月怪談」と言う作品がありますが、そんなたいそうなものではなくて、単なる家族スナップです。
一つ前の記事は懐かしさのあまり予定外で、真夜中にアップしてしまいました。なので今日は二回目。
でも、また4日ぐらいお休みするので、ちょうどいいのかな?


「母の日」に出かける直前に片付けられなかった食器をだんなが洗ってくれたことを書きましたが、それは「母の日」だからなのかと思っていました。
だけど・・・・


先日も日曜日にお出掛けしました。姉とお芝居を観に行ったのです。

「帰って来てから食事を作るのは大変だから、帰りに惣菜を買ってこいよ。」と我がだんなが言いました。
「バスの時間が気になるから、それならパパが買っておいてよ。」と私がだんなの優しい言葉につけこんで、さらに甘いことを言いますと、
「じゃあ、迎えにいってやるから、やっぱりお前が買ってこいよ。駅に着いたら、買い物の前に電話しろよ。待たないですむからさ。」と言うのです。


どうしたんだろ。やけに優しいじゃないか・・・?


私の遊びのモットーは、昔は、人を巻き込まず迷惑掛けずだったのです。ひとりで勝手に行くし、昼食夕食の準備もちゃんとしてお出掛けしていたのですが、近頃では、「いいよいいよ」とだんなが言うので昼食なんてものは、食べる人に任せています。

とんでもない主婦だなんて思う人もいるかしら。でもね、私達夫婦はあまり共通の趣味がないんです。強いてあげれば同じドラマを見て感想を言い合うぐらいかしら。シネコンが近所に出来たので、最近は一緒に映画に行くようになってようやく共通のものが見つかった感じです。彼はおうち大好き人間なので、何処にも遊びになんか行きたくない人なんです。私もおうち大好きでありながら、ちょっとだけお出掛け好きでもあるんです。

で、だんなは言います。
「勝手に行ってください。」

それで、私は勝手に行ってあげているんです。
そのお陰で、彼は独身時代の時のように、私に付き合って美術館とかお芝居に行かなくても良くなったわけです。どうも昔は無理をして私に合わせてくれていたらしいのです。
そんな無理なんかしないで、「素」の自分で付き合って欲しかったな。そしたら結婚しなかったのに・・・、ちょっとそこの部分は昔思っていた微かな本音です。とにかく私は釣られた魚。餌をくれなくなった彼を不満に思っていたら、
「勝手に行ってください。」「勝手に買ってください。」といわれたと言うわけなんです。

慣れてくると、この「勝手に」はかなり快適です。

でも「勝手に」なんだから、私は私の仕事はちゃんとやるというか・・・
だからこの日は、だんながやけに優しいなと感じたのです。



    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



帰りの電車の中で、あと一駅というところで、バッグの中の携帯のバイブの音がしました。でも、私は駅に着いてから携帯を見たのです。どうせ電話しなければならないわけですし。だんなからのメールが入っていました。

「今、駅に着いたよ~!」


えええ、どういう事なの?
だって、私は途中から一度も連絡を入れていないのですよ。だんなに、今駅に着いた事とこれから買い物をする旨を伝え、急いで買い物を終えて車に乗り込みました。だんなが当たり前のように言いました。
「そろそろだと思ったんだ。良いタイミングだったな。」
確かにそうでしたが、不思議に思って聞きました。
「だけど勝手に来ちゃってどうするの。もし私がお姉ちゃんとお話が盛り上がって、『いけなーい!もう7時よ。』って、あなたが駅に着いた時に、渋谷で言っていたかも知れないじゃない。」
「もしそうなら、ぶっ飛ばす。」

実際には違うので、ぶっ飛ばされないですんだのですが、妙な事は続きます。

お昼はおうどんを食べたらしいのですが、ちょっと前の彼らだったら、勝手に作って食べてあげたとばかりに台所が、洗い物で山のようになっていたのに、綺麗になっていました。食洗器の中にも洗ったお昼の食器が入っていました。

暇だったのかしら?

買ってきたおかずを並べて夕食を戴きましたが、何も作っていないので申し訳ないような気がして数だけ買ってきてしまいました。いろいろなものがちょっとずつたくさんあるので、意外と好評で、美味しい美味しいと言って食べてもらいました。

いつもなら仕事に疲れて夜家事はやらないと言っている私ですが、その日は遊びに疲れて、片付けは明日の朝でいいやと思っていました。

だけど、アレッと気がついたらだんなが片付けていました。

「どうしたの。私がやるからいいよ。」
「嫌なんだよ、俺。最後までちゃんとやらないと。」

それはお昼の食洗器の中の食器の事を言っていたのでした。で、その食器を片付けて、夜に使った食器をその中に入れてくれました。
私のやることなし。

なんと言うか、居心地悪し。
どうしちゃったと言うのだ。
もうすぐ彼は死んじゃうとか・・
外で、何か良からぬことをしているとか・・
「お前なんか要らないやキャンペーン中」とか・・

いずれにしても、何かまずいような・・・?
思わず目が右に左に泳いでしまいます。
怖い、怖いです! ブルブル


いつもの私なら、
「スイカあるから、食べたかったら勝手に切って食べてね。」
「お茶を飲みたかったら、ダメって言わないから勝手に飲んでいいからね。」とか言っているのに、その日からずっと、
「スイカ切りました。ハイどうぞ。」
「お茶入れました。ハイどうぞ。」と言っています。


今週の土日も、予定があるので出かけます。でもその後はしばらくは、家でじっとしていようと思います・・・。

フラフラしている妻を家に落ち着かせる方法は、妻の遊びに気持ちよく協力する。妻が遊んでいる間に、普段やらない家事をやって、「この人どうしちゃったんだろう。」と不安に思わせる・・・なんちゃってね。



 先日姉が、
「何処かに書いてあったのだけど、『夫婦喧嘩をしたら夫は冷蔵庫チェックをしろ。妻は黙る』ってあったわよ。」と言いました。

凄い!名言です。男達には知られたくない。この姉の話を友人にしましたら「ドキッ!」って言っていました。

6月は夫婦喧嘩をして冷蔵庫チェックされても、口笛吹いていられるように、そこからお掃除でもしようかな。











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懐かしくて、胸がキューン。

2009-05-29 01:24:30 | 思いつくまま

「日曜日」様から、かなり前の記事にコメントを戴きました。

それは2006年に書いた「口ずさむ歌はなんですか」。
それは→こちらです♪

またYouTubeで、その歌を見つけて教えていただきました。下に載せておきますね。(日曜日様、ありがとうございました♪)

胸がキューンとなりました。この歌を聴くと高校時代のざわめきが聞こえてくる様な気がします。でも私はこの歌を、学校では歌った事がないんです。姉の教科書で見つけて歌っていたからなんです。

 

それでも女子高のざわめきみたいなものを感じるのは、この歌が私にとって、ある少年への「想い」のテーマ曲みたいなものだったからなんですよ。でも私が「愛らしい姿」と少年の事を言っているのではなく、少年が私の事を言っていてくれないかなという願望が、少しはあったかもしれません。

そしてまた、
「どうぞ今日は会えますように」は、私だけの願いではなく、彼もそう思ってくれているんだと信じていたのかもしれません。短い歌ですが、想いは結構深かったのですよ。

昔の話ですよ、大昔。
お肌つやつや、黒髪きらきらの時代です。

ただすれ違う時に見つめあっていた恋・・・
そんな時代もあったのです・・・。

私、なんだか明治の人みたいですね。

ついでに言うと、ブログを始めた頃は、こんな事書いていたんですね。二重の懐かしさを感じました。

 

男の人が歌っているのも素敵です。
それは→ココ

 

 Sonntag - Johannes Brahms, opt.47 No.3

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「結婚記念月」です

2009-05-28 09:41:25 | 家族スナップ

 

 実は五月はなんと、私達夫婦の結婚記念日なんてものもあったのでした。ところが、イベント好きですと言っている私の、唯一忘れてしまう記念日、それは結婚記念日です。

 

きっと結婚している事実を「忘れたーい無視したーい」と、日頃から思っているので無意識に忘れてしまうのかも知れません。・・なんて、嘘ですよ、コホコホ・・

 

だけど何でか今年は覚えていたのですよ。

5月16日、17日。昔と同じ土日でしたから。

むかしむかし、16日に仏前で結婚式を挙げて、17日に披露宴でした。新婚旅行で事故にあって死ぬと面倒な事になりそうでしたので、婚姻届はずっと後から出しました。(いつだったか忘れてしまいました。)こういう場合記念日は何時になるんだろう・・・

って、最初からたぶん「結婚記念日」なんてものを大切にしていない二人だったのですね。

 

そのむかしむかしのその時に、若き私は思っていました。
結婚するなら5月にしたいな。
なぜなら、5月の若葉の頃が私には一番美しい季節だったからです。

学生時代も仕事を持ってからも、その日々の中には東京から横浜までの30分の東海道線の旅というものが組み込まれていました。

繰り返し見つめる車窓の旅。だけど今思うと、あまり覚えていないのはなぜだろう・・・
いつも寝ていたのかもしれませんね。

でもある日、それは5月だったのですが窓の外を見ていた私は、街があまりにも美しいことに気がついて、ドキドキしました。街路樹も川辺の木々も丘の緑も若葉色。本当に煌いていました。

どうせ結婚するなら、季節に祝福されたいと思って、そして五月に結婚したのです。

 

だから毎年五月が来るたびに、私はそのことを思い出します。私にとっては結婚記念日ではなくて結婚記念月なんですね。それで日にちなんか忘れてしまって、6月になった頃、お互いにそういえばさあと言い、またよろしくねと挨拶を交わすのでした。

 

だけど、今年は覚えていたので、
「たまにはお食事に行こうか。」なんて言いました。
「子供も連れて。」
「何だ、あいつらも連れて行くのか。」
「だって、結婚したから家族が出来たのよね。その記念日に彼らは外せないわよ。」

でも、今月の私は「超お疲れモード」。 パッと浮かんだフレンチのお店・・・、想像するとめんどくさい。そんなところへ行こうとなると、きっと夫は義母も誘おうとか言い出しかねないし、そうすると義理堅い人なのでお金とか包んできそう・・・

だから私は言いました。
「。。。へ行こう。」
「。。。」は近所の気に入っているうどん屋さん。
「それっていつものことじゃん。」
「いいんじゃない、それで。 結婚=日常なんだから。」

 

16日は夫とラッタと私で映画を観に行きました。ルート君は、行きたくないんだって。「天使と悪魔」だったのですが、
「理解できないんだ、あいつ。」とラッタが言いました。まったくもう、ルート君たら・・・。

映画はいいけど、その後食事に行こうと思っていたのになあ。本当にうどん屋さんに行く気は、なかったのですよ。でも夫がなんと間違えてポップコーンのスタンダードを買ってしまいました。スタンダードって言葉で騙されてはいけませんよ。凄い量なんです。もうおなかがいっぱい。「映画の後にお食事案」は流れてしまいました。

 

その翌日、いきなり肌寒かったのです。本当におうどんが食べたくなってしまいました。誘ったらみんなで行くことになりました。
なんだか、予定通りになってしまいました。でも敢て「結婚記念日」だからなんて言う事もないよなあ。本当にいつもの光景だし・・・。

 

でも、お会計の時にお店の奥さんに、
「お子様達は、いつの間にかあんなに大きくなられて驚きました。」と言われました。

私はちょっと驚きました。長い間、このお店には来ていますが、そんな風に話しかけられたのは初めてです。結構忙しいお店ですし、レジで挨拶を交わすと言う感じでもなかったからなんです。でも良く来る客の事は、やはり覚えているのですよね。来るたびに子供たちは小学生だったり中学生だったり高校生だったりしたわけで、そして今は背も高いしどう見ても大人です。ふと、女主人はしみじみと私の家族を見てしまったのですね。繰り返し彼女は言いました。

「お子様達があんなに大きくなられたのですから、私が歳を取ってしまうのも当たり前ですね。」

ああ、それは私も同じ事。

「またこれからも飽きずにお越し下さい。」

 

なんでもないレジ前の会話です。でも私、ちょっと不思議な気がしたのです。結婚=日常と考えている私には、このうどん屋の女主人の言葉は、「結婚記念日」になんと相応しい言葉でしょう。

 

世の中って、なんだか不思議な糸で導かれている、時々そんな風に思う時があります。あなたにはそんな風に感じる時、ありませんか?

 

なんだかつまらない話だなあと思った方もいるでしょうね。でも私は山盛りに盛られた日常の出来事から、きらきら光る金の針を見つけ出しそっと摘み上げる事が、喜びでまた特技なんじゃないかなと思っているんです。
別な言葉に置き換えると、ささやかな事でも喜びを感じる小市民と言う事ですね。

さてと、今日はやることがいっぱいです。金の針、見逃さないように頑張ります。

 

 

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雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた

2009-05-26 11:28:35 | 観劇・コンサート日記

 5月24日、シアターコクーンにて観て参りました。

どちらかのサイトでだったか、「元気が出る。」と言う言葉を見つけて、行くか行くまいか天秤にかけ、行かない方に傾いていた私の気持ちに変化が起きました。

「やっぱり行こう!」急遽、姉を誘って行く事にしました。

でも私・・。

鳳蘭に真琴つばさ、セットは大階段、「元気になる」と言うキィワードで、勝手にあの宝塚のような華やかな舞台が何処かで一度は展開されるのかと、期待してしまいました。

私の心の片隅に勝手に膨らませたイメージによる自爆的な何かがくすぶりだした頃、それを払拭するような思いがけない展開が起きるのです。

結構その趣旨は難解な深いお話でした。

見終わって、私がウームと難しい顔をしていましたら、姉が
「なんだか私、がんばらなくちゃと言う気分になったわ。」と言いました。

「ふーん。」「へえ~」と、私の心は密かに動揺。姉はこのお芝居で元気が出たのですよ。そう言えば、劇場から出てくる人の顔はみんな結構明るかったです。

そうすると、私は何かを見逃してしまったと言うのでしょうか。

でもそれは、頭の中でリピートしたい事がたくさんあって、単純に「元気、ヤル気」が出てこないだけなんだと思います。脳内二次的鑑賞をゆっくりやっていこうと思います。

なんたって劇中で三回も泣いてしまいました。ただ私は泣き虫なので、参考にはなりませんね。姉はクールな人なので劇中では一滴の涙もこぼしませんが・・・

だけど、吃驚しましたよ~!!

カテコで流れた曲!!
最初からの予定曲だったのでしょうか?
5月6日からの公演だから、公演前から決めていた予定曲ではないかも知れませんね。

思わず私も姉も涙です。カテコで泣くというのもアレですが・・・

何の曲かって?

それもネタバレになってしまうので、下の方に書いておきますね。

やっぱりこのお芝居は、私にとっては観るべきものだったのですよ。

 

30日までです。
以下ネタバレ感想です。
(と言っても、あらすじは追っていません。あらすじなどはこちらにあります。→ここ

 

  

 一幕目が終わった時、私は姉に言いました。

「風吹景子の世界が真実で、周りにいる人たちの方が夢の世界のような、そんな違和感を感じるなあ。」

もちろん、そんなSF的などんでん返しのある物語ではありません。

なぜそう感じたのか―

ちょっと私が最初に涙が出てきたシーンのお話をさせてください。

石楠花少女歌劇団のメンバーが、恐る恐る集まってきたシーンですが、最初は三人、そのメンバーが再会の喜びに沸き立っていると、後から後から人が現れて三十人になるのです。

このシーンは、ちょっと脳内で映像に転化させてしまいました。その転化した映像の中で一人一人が大きく映し出されました。爆撃によって散り散りになってしまった歌劇団でした。本当はどんなに再会しその生存や近況を知りたかったことでしょう。でも彼女達は自分たちでは、長い間それをしなかったわけです。

それは怖かったから。知りたくない現実がそこに待っているかもしれないからです。

問い合わせの電話でも、自分の事は何も言わないで切ってしまう・・
そんな風に感じました。

そんな彼女達が、新聞の優しい文面に惹かれて逃げていたものから向き合おうと、みんなみんな恐る恐る現れた・・・
そんな感じだったのでしょうか。

なので、ジーンと涙が溢れました。が、ワイワイと集まってみると、そんなことを感じさせるセリフもないし、雰囲気もまるで女子高校の同窓会のように見えてしまいました。

ああ、なんだか感動未満。

「三十人」とタイトルで謳っておきながら、これではただの脇役の群集ではないか―

それでなのか思考が飛んでいきます。

人はいったい、いつからいつを振り向いて懐かしく思うのか・・・
なんだか舞台を観ていたら、そんな疑問がわいてきたのです。

 

そんなところで一幕目が終わったわけではありませんが、心の中に巧く説明できないものを感じていたのです。

でもそれは良く考えると、真琴つばさの弥生理恵と三田和代の風吹景子のセリフの応酬の中にあったのだと思いました。

自分の「時」を止めて、夢見る永久少女である景子に
「思った以上のモンスター」と理恵はののしり、そんな理恵を景子は
「何処かの地下から出てきた亡霊」だと応えるのです。

そうか、と私は気がつきました。

「時」を止めてしまったがゆえに、景子はずっと「今」を生き続け、現実を生き続けている者は、過去からの亡霊となって「今」ここに集いあっている・・・

ゆえに最初に感じた、夢に生きるものと現実に生きる者の世界が逆転しているように感じたのだと思います。

 

次に涙が出てきたシーン。

もうこれは条件反射です。「ロミオとジュリエット」のセリフは辛いです。ロミオのセリフをいろいろな方が語って面白かったですね。

中川安奈の加納夏子の夜明けの別れのシーン。
「あれは雲雀ではないわ。」って、前から簡単に泣いてしまうシーンなんです。

最初に脇役の群集などと失礼な事を思ってしまった、元歌劇団のメンバーもどんどんパワーを持っていきましたね。追放された、たくさんのロミオを思ってたくさんのジュリエットが嘆き、遠くで砲弾の音がする。

この物語は、頭の中でリピートするたびにいろいろなものが、湧き出てくるような罠が仕掛けられているのかもしれません。

ああ、そうですね。劇関係の人は脳内リピートをしないで、また観に来てというかもしれませんね。今の私には無理な事ですが、お芝居と言うのはそういう楽しみがあるのかもしれませんね。(お芝居だけではなく本とか映画なんかもそうですね。)

 

「ロミオとジュリエット」の物語に託されたシーンで圧巻だったのは、やはりジュリエットが薬を飲むシーンと鳳蘭の弥生俊の墓地でのシーンでした。二人とも凄かったですね。

 

夢の途中で目覚める恐怖

「ロミオとジュリエット」のお芝居の中では、ひとり墓地の中で目覚めてしまう恐怖をジュリエットが語ります。暗い地下の墓地の中で白骨と化した過去の人であったものの残骸、つい最近まで同じ時を生き生きと生きた従妹のティボルトの新しい遺体。シンと静まり返ったそこで彼の亡霊が語るかもしれない。その中で目覚めてしまう勇気を与えよと願いつつ薬を飲むのでしたね。

このお芝居の通し稽古の中で、徐々にずっと夢の中で生き続けた景子の中に変化が現れるのです。「生きたマネ」をし続けてきた景子の幕引きはジュリエットの選んだ道と同じ。

ずっと見ていた夢を、過去からの亡霊たちの中で目覚めさせる事を拒んだのでしょうか。

お芝居の中の悲劇は現実の悲劇となってしまいます。

私はここでもちょっと泣きながら、心の中の何処かで
「こんな話だったのか。」と、少し動揺していました。

ウエンツ君の北村次郎の
「あんた達、やりすぎなんだよ。」と言うセリフは、このラスト周辺では一番の現実的な言葉だったと思います。

若き次郎には彼から見た、この物語のストーリーがあったように思います。かつては父の愛した人かもしれない女性を、智慧を絞りここまで連れてきたのです。ロミオを演じさせる事によって、彼女に救いを与えたかったはずです。

・・・こんな終わり・・・
次郎の驚きは半端ではないと思います。ずっと見守り続けた「バラ戦士の会」の男達の動揺も同様(ドウヨウもドウヨウなんて書いて喜んでいるようじゃ、おばさん度が増しちゃったかな・・汗)。

だけど彼らの現実の嘆きは、あっという間に片隅に追いやられてしまいます。

三十人のジュリエット、このラストの群像劇は素晴らしかったですね。

「ああ、私は忘れたい。でも・・・」
・・・
・・・

セリフを覚えていないのが悔しいほど残念です。

 

そして最後に夏子が決めのセリフを言うのですが、痺れましたね。

不正確なので書けませんが、
―今を生きろ、今の自分の歌を歌え
と言う内容だったかと思います。
・・・プログラムの中にセリフを見つけました。
「うたえ!自分の歌をうたえ!」でした。

そして三十人の女達の叫びで舞台は終わります。

 

 体から搾り出すような夏子の叫びに、感動した方の多いかもしれません。その方々には、次に書く事は叱られてしまいそうですが、この時夏子の声が、擦れていなく透き通った甲高い声であったなら、たぶん鳥肌が立ったと思います。

でも生の舞台はそんなところが、堪らなくいいんですよね。

女達の叫び、その時流れた曲は「姫神」でしょうか。違うかな?映画の「ミスト」で流れた曲の方かな。ぴったりでしたね。プログラムに音楽情報もちょっと欲しいですね。

女達の叫びの声を聞きながら、私の中で一幕目の終わりに感じた、夢に生きるものと、現実に生きるものの微妙に違うと感じたパズルが、符合していく、そんな感じがしたのでした。

 

長々と感想を書いてしまいました。読んでくれる人なんかいるのかな?
と言う疑問は闇に閉ざし、カテコで流れた曲ですが、なんと忌野清志郎の「ディドリームビリーバー」だったのですよ!!

ねえ~、驚いてしまいますよね。

でも、「雨の夏、」で検索してきたいただいた方には、ナンデか分からないと思います。こんな所などを読んでくださると幸いです。
こんな所
ついでにここも

最後にミーハーチックに叫ばせてください!

蘭さま~、つばささま~、やっぱり超カッコイイ~

 

 

 

 

 

 

 

 

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天地人21回「三成の涙」

2009-05-24 22:37:53 | ドラマ (大河)

見逃してしまったりブログを休んでいたりで、お休みしていた「大河」感想ですが、今日も見ることが出来ないかなあと思っていたのに、見られたので、感想を書くことにします。と言っても続けて書きたいことがあるので簡単なんですが・・

ここ数回の「天地人」は私的にはかなり面白く、意外と楽しみになってきたところです。前に振り返ってああだこうだとも言いたい所ですが、そうすると簡単にはいかなくなるので、敢て我慢です。

ああ~、でもやっぱり我慢が出来ない事が・・・

先日歴史オンチを自称する友人に「本能寺」と言ったら、「何それ。」と言われました。吃驚して「『本能寺の変』もダメなの。」と聞いたら、「本能寺の変は知っているわよ。」と彼女は言いました。

歴史オンチ(だいたいそんな言葉が存在するのか・・)の人に、「変」を取ってはダメなんですよ。「本能寺の変」と言えば分かるけれど略して
「来週の大河は『本能寺』だわ。」と言ったら呪文のようにしか聞こえないらしい。

世の中は、あなたが思っている以上にいろいろな方がいらっしゃるのですよ。

―いろいろな人と言えば

三成と兼続も同じにおいと初音に言われても、その考え方から性格までも違う人でした。でもお互いの考えに魅かれあい魅せられていく過程が、なかなか面白かったです。

二人の盟友のその出会いと、得がたき友となっていくまでのお話というところですね。

でも三成が家に訪ねて来たのに、お城ではごかいのごかいにん騒ぎ(ああ、くだらない!そういう事を言いたくなっちゃうくらいお話もくだらない)で兼続は家になかなか帰れません。もうそんなコメディやっていないで、家に帰れよ~、そっちの方が面白いじゃんと思っていたのは、私だけではないはずですよね。

三成が正直すぎてみんなを怒らせてしまうところは、こちらもコメディ。でもこちらはイケメン小栗旬がクールに言っているので、思わずもっとやれ~と思ってしまいます。

その小栗旬君ですが、昔の大河で佐吉役をやってお茶を出していたのですね。意外と大河に出演していたことも含めて、ちょっと驚きです。

その時の画像はHPにありますね(佐吉のですが)
こちらですよ

一度しか泣いた事がないと言う三成。
私は兼続に
「そうかい、俺は毎回泣いているよ。」と言ってもらいたかったです。
言うわけないけれど・・・。

でもこの先の歴史の展開を思うと、三成が豊臣の敗残の将であったとしても、遠く離れた地に 決して裏切らないかけがえのない「友」がいたのかと思うと、なぜか救われる思いがしたのです。

・・・、だけどちょっと、
なんでも分かってしまう神様のようなお船さん。
なんだか偉そうな口ぶりの兼続。
ちょっと気になってしまいました。

 

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僕があなたに贈ったものは・・

2009-05-24 00:53:30 | 家族スナップ

「私離婚したいわ。」
「うん、いいよ。じゃあ、一度離婚してまた結婚しよう。」
「それはちょっと考えさせてくださらない。」

 ある日の車の中での会話。 でも心配後無用。こんな会話は結婚してからウン十年日常会話のように、挨拶のようにしている会話です。

 お休みしていたので、ちょっと古い話題です。5月と言えば母の日ですよ。

 

 母の日の前日、母へのプレゼントに予定していたブリザーブド・フラワーのアレンジメントは、注文してあったのにも拘らず、どうも忘れられている模様。催促するより違うものの方がいい様な気がして急遽、夫と二人で買い物に行ったのでした。 母へのプレゼントはすぐに決まりました。旅行用のポシェットでたぶん義母好み。

実際、喜んでもらえました。

でもその帰り道、プレゼントが買えたと安心しながらも、今度は我が身の事を思うと、ムカムカしてきました。これは毎年起きる、私のストレスです。 本当に男の子のお母さんなんかつまらないよ、と言うのがこの時期だけの本音です。

「あのね、私はイベント好きな人間なの。」
「いや~、俺はあんまり好きじゃなくて・・」
「知ってる!
でも、私はイベント好きだからあなたはあれやこれやと恩恵を受けているはずよ。それなのに、私にはないのよ。あなたは私の気持ちを無視し続けるなんて、私をないがしろにしているのと同じでしょ。そんな人、気持ち悪いしこの先一緒にいる意味なんかないわよ。」
「でも、君は俺のお母さんじゃないし。」
「子供がアホなのは、あなたがいけないからよ。」

 そう、子供のいいところはみんな私のお陰。悪い所はみんなあなたのせい。そんなの常識よね。

 「でもさ、俺は君にはかけがえのない自由を贈り続けていると思うんだけどな。だから君が、イギ・・」
「ハイ、そうでした。ああ、そうです、ごもっともです。他には何もいりませんでした。これからもよろしくでございます。」

突然態度が豹変する私。

 そう言えば来週も出かけるし今月の末も、彼には頼まなければならない事があったのでした。ブータレタ振りをしている場合ではありません。 私が好きな時に、好きなように自由に出来るのはみんなあなた様のお陰でしたよ。

 

 母の日なんてものはとっくに過ぎた、とある日。何でそんな話になったのかは忘れましたが、ラッタ君と話していて、「君はある時まで、いつも私にプレゼントをくれたのにね。」と言いましたら、「だから、もうそう言うのは卒業したんだよ。」と彼が言います。

 「卒業しちゃったのかあ・・」と思わず笑いがこぼれます。 なぜ笑えるのか。それは気持ちがちょっと分かるからです。

 私はもっと若いとき、この「父の日」「母の日」がちょっと気持ちの負担でした。そつなく終わると、ちょっとホッとしちゃったり・・・ こんなイベントは気持ちに余裕がある時に、気分次第で楽しむと言う事でいいんじゃないかなと思うのですが、「嫁」と言う立場を考えると、どうしてもそこに「義務」のような気持ちを拭い去れませんでした。

でも相手が歳を取ってくると、また気持ちが変わってきました。ささやかな事で喜んでくれるのなら、出来るだけの事をしたいという気持ちです。でも若いときは違かったのです。

 

 ここまでの文には、実母の事は書いていませんが、そちらもちゃんとしています。そちらの話の方が、書き出したら長くなってしまいそうなので触れないのですが、その母と私の子供の頃を思い出すと、「母の日」の思い出になぜか良い思い出がないのです。思い出すとそれも不愉快になります。だって良い思い出ではないからです。

 ああ、若き日の母は、バカ!

って、同じような事をラッタ君も私に思ったかどうかは分かりませんが、嫌な事はやらないと思うことも自由なんじゃないかなと思うのです。

気が小さいので訂正しておきますが、我が母上殿は、決して愚かな人ではありません。今の母上殿は慈悲深い聡明な人で、周りにいる人を幸せな気分にする人です。・・・・、まあこんなもんでいいかな。

話が横道に逸れました。

 

ラッタ君が続けて言いました。
「だけどさあ、俺はあなたの『あの、ちょっと』って言葉でどれだけ働いているか分からないぜ。」
・・・、ああ、それは言える。それでルート君はラッタ君の三倍は、私の「ヘルプ ミー」で働かされているような・・・

「どうせ花は枯らすしさあ・・」
「うるさいなあ。じゃあ、今度から母の日には黙って肩を揉みなさい。」
「それもいつもやっているじゃん。」

・・・、ああ、良かったわ。それじゃあ、これからは一年に一度でいいんだななんて言われなくて。

 

私は毎年二人の母たちに「母の日」に贈り物をしていますが、本当に思っている事は、「いろいろおしゃべり」と言う中にも書きましたが、「母の日」「父の日」なくても親は大切にするのが当たり前、贈り物が感謝の印ではないということなんです。 でも気が小さいので、私はその本音を押し通してくる事ができなかったのですね。

だからそんな私の子どもなので、自分の気持ちに正直に生きているんだなと思います。仕方がありません。育てたように育ったのだと思います。

自分を真摯に分析すると、実は私はきっと何か貰っても、喜んだ振りをするけれど、本当に嬉しいかどうか分からない様な気がするのです。だってそういう喜びって一瞬だけで長続きしないんだもの。だから本当は何もいらないんです。でも人の欲と言うのは果てしなく・・・いや、人ではなく私の欲はというべきですね。本当は別に欲しくもないものを欲しいとねだっていると言うわけなんです。

 

ああ、さもしき私。

と言うわけで、もう私も毎年「かわいそうなお母さんごっこ」は止めようと思ったわけです。

 

だけど母の日、別に母の日でなくてもそんな予定は入れてしまうのですが、友人とランチに行きました。

行く間際、食洗器に食器を入れたら、少し残ってしまいました。帰ってきてから、また続きをやれば良いやと思って身支度をしていましたら、夫がその食器を洗っていました。

「何しているの、あなた。」驚いて「あなた」などと言ってしまったではないか。
「帰ってきた時、何もないと気が楽だろう。」と言うのです。

確かに・・・

 

私は首を傾げつつ、ふふふと心の中でほくそ笑み、ドロンと彼の視界から消えました。
 

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ゲキ×シネ 新感線☆RX「五右衛門ロック」

2009-05-23 02:14:18 | 観劇・コンサート日記

ゲキ×シネ 新感線☆RX「五右衛門ロック」 - goo 映画
5月22日。

最初はちょっと違和感がありました。だって役者様のお顔が大アップ。それがゲキ×シネのウリなんだと思いますが、なんたってお芝居は生の良さがもちろんいいのですが、私なんかの取れる席からはいつもお顔は豆粒なのよ。

だから、見え過ぎちゃって困るの~♪
って、貧乏性の私はたじろいでしまいました。

だけどそれはすぐに慣れてしまって、物語の世界にのめりこんでいきました。

 

メチャクチャ面白いよ~、これ。
というのが、感想です。生で見ていない方、お薦めできます。お気軽に上質のお芝居体験、映画館で如何ですか?

 

本当に私は知らない事ばかり。シンカンセンと言われたら、ヒカリにこだまに後なんだっけとか言いそう。「劇団☆新感線」の舞台はこんなに面白かったのですね。

 

シネコンの他の部屋では「GOEMON 」が。でもこのお芝居の中では五右衛門を追いかける人、岩倉左門字役の江口洋介と先住民とのシーンでは涙がハラハラこぼれてしまいました。でも、あらっ、このティストは「五右衛門」なのに「ルパン三世」みたい・・・。

 

ところで、この記事は映画だから「近未来二番館」の方に書くべきだったのかとどうでもいいことに悩みつつ、以下ネタバレ感想です。

 

 

いきなりラストの感想ですが、お宝がっぽり独り占め、決してただ働きはしない真砂のお竜、松雪泰子のカッコいい事。どう見たって峰不二子ですよね。そしてどんな事があったって五右衛門を追ってくる左門字はかっこ良過ぎるが、銭形のとっちゃんそのもの。

「待て~、五右衛門~。」が
「待て~、ルパン~。」に聞こえてきてしまいました。

だからなんだと言うわけではありませんが、カッコいい泥棒の物語には共通点があるということなのかもしれませんね。お宝の謎にかっこいい女に無骨で情に篤い追跡者。愛すべき小悪党に、エゴ丸出しの権力と言う悪、そして魅力たっぷりの敵対する者、儚げで迷う若き王子に、過去の悲劇と因縁。そして、滅びの美学・・・

 

上にも書きましたが、島が沈む時先住民の所へ駆けつけた左門字と、その住人達との別れのシーンは、今思い出してもウルッと来てしまいます。

「約束の時は来た」と歌う穏やかな顔の先住民達に、逃げるんだと懇願するように言う左門字。

「大丈夫、左門字。お前もいつか死ぬ。」は心に突き刺さるセリフでした。

 

セリフと言えば、このお芝居、セリフの切れが本当にいいよのねえ。

クガイの
「もう今日は女を 殺す気分ではないと言ったろう。」
間髪いれずに
「明日は?」とお竜に言わせるところ、なんか惚れ惚れしてしまいました。

 

はっきり言って凄く気に入ってしまって、私的には何処を切りまくってもいいところばかりなんです。

月生石の謎も面白く、北大路欣也の大物的な魅力がたまらない。
どんな時にもボッタクリ、ペドロ・モッカの川平慈英、あのテンションで結構見せてくれます。
シュザクの濱田マリが歌う「あなたはちっちゃいの。」はかわいいです。
カルマの森山未來、歌からタップまで何でもこなすのですね。魅せられました。先日天王洲銀河劇場から、彼の公演のお知らせメールが来ていて、無視してしまいましたが後で見てみようかな。

さてどん尻に控えしは、稀代の大泥棒石川五右衛門、古田新太。
「腹も太いが・・」
―確かに太い、しかもイケメンとはいえない・・・

なのになんであの男はあんなにかっこよく見えるのだろう・・・

 

 

カテコの熱さも充分伝わってきました。ゲキ×シネ、結構癖になりそうです。

後一つだけ・・

結構派手にあった剣での戦闘シーンなのですが、「その男」では二階席から見たからなのか、剣の舞に見えてしまったのに、このお芝居ではそうは感じなかったのです。それは、光りを点滅させた見せ方とスピードある動きが良かったのでしょうか。それともそんなところに映像の良さが表れているのでしょうか。

比べる事ができないのでわかりません・・・。

 

追記:森山未來の9月の公演「ネジと紙幣」、チケット買ってしまいました♪

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大切な人

2009-05-22 07:21:02 | 梢は歌う(日記)

薔薇の季節になりましたね。記事には関係ありませんが、イメージにあわせて少しずつ載せていこうと思います。

結局はサ、自分を助けるものは我と我がうちなるものなんだよね、って自分の詩に解説付けたら、だめだよね(汗)

 

なので今日の別のお話。

先日、友人とランチをしました。そこでの会話です。

彼女に会うのは一週間ぶり、だから話が溜まっていて・・・
なのに話した話題は、一週間の出来事ではなくて、10何年前にやった私の新聞集金体験記での事。あの時はあんなに大変に感じた仕事だったのに、今その時の体験記を話すと、結構笑えます。

そんなお仕事体験記も、いつか書くことがあるかもしれませんが、その時はシリアスだった物語も、時を重ねてから話すと「喜劇」になってしまう・・・・ウーム、誰か似たような事言っていませんでしたっけ?

「ああ、あなたと知り合った時は、私はまだ20代の終わりだったのよ。」
「アタシは30代の初めだったわ。」
「それがどうして、二人してこんな歳になってしまったわけ。」

私は嘆きつつ将来の姿を想像します。

「ハッと気がついたら、私はヨロヨロ70歳の初めでサ、あなたは皺くちゃ80才目前のばあさんよ。きっとあっという間よ、どうするの、もう。」
「アタシは皺くちゃなんかにはならないわ。」
「何言っているの。どんなに綺麗なおばあさんになっても、歳には勝てなくて皺くちゃになるのは、逃れられない運命なのよ。」

なんて言いながら、そう言う時代が来るのも楽しみだなぁなんて、ふと思ったりもします。そこまで長く付き合う事が出来たなら、本当に幸せです。

話題はあちらこちらに飛びながら、私は忌野清志郎が死んで本当に悲しかった事を告げました。

すると友人は
「アタシは彼のことは知らなかったのだけどね、今度の事でたくさん歌が流れたじゃない。それで歌も本当に上手だと思ったし、いい歌をいっぱい歌っていた事も知ったわ。」と言いました。

それで、私は調子に乗って、彼の結婚秘話や子供の話とか彼女に伝えていました。

「良い人だったのね。」と彼女。

そう言われて私はなぜだか嬉しくなってしまいました。それでさらに調子に乗って、彼の「ディドリームビリーバー」の歌詞の話を解説付きでしました。

―ずっと夢を見て安心してた、僕は
この記事は→こちらです♪

 

すると彼女は、
「あっ、なんかそれ・・・
ジーンと来ちゃうね。」としみじみと言いました。

 

私の心の中で、何かがホヤッとしました。
そう、私は誰かにこの歌の話をして、そう言ってもらいたかったのです。

ー話を聞いてくれる、共鳴してくれるー

私には素敵な友人がいるのです。

 

私はブログをはじめて、幅広く好きな話を出来る場所を見つけたと思っています。でも現実の主婦の生活では、萩尾望都や大島弓子が好きだーと叫びたくても、なかなかそれに応えてくれる友を見つけることが出来ません。

そう言えば、前の肉体労働の職場で、西村京太郎なんか読んだ事がないといったら、(今は数冊あります。本で読むと結構あれも面白いです。)本は読まないんだと言われたことがあります。

なんかムカついたので、
「ヘッセとかモームが好きなんだけど、じゃあその話する?」と大人げない事を言ってやりました。でも、
「変な本ばっかり読んでいるのね。」みたいなことを言われたんだ~・・ああ~・・・

自分の世界だけで生きているおばハンは、もう最強、勝てる気がしないので、勝負したくありません。

この話も、最初に書いた新聞集金の話と同じですね。その時はマジにムカついた話なのに、今、お茶時に話したら笑い話にしかなりませんものね。

思わず話が横道・・・

 

でも大河の話がしたくても、歴史に興味がなかったり、拓郎のあの歌はなどと感想を言いたくても誰も聞いちゃくれませんよ。

だからブログ、書いているんだと思います、私。

でも、彼女は聞いてくれるんです。ずっと昔から。 私の姉と一緒です。

「ふーん。」「へえ」と言って聞いてくれるので、幸せな気持ちになれるのです。

私は好奇心が強い人なので、情報収集は意外と得意です。だから人のブログもたくさん読むけれど、人の話もたくさん聞くのですが、しゃべる時は機関銃トークなので「聞いている人」という印象が薄いのですよね。

 

帰る時、自転車の鍵を差し込みながら、彼女が
「今日は過去の話で盛り上がったわねえ。」と言いました。

「そりゃあさあ、これからの私達はますます『過去』は山盛りてんこ盛りってな具合で、豊富だもの。話の引き出しにはぎっしり詰まっているから、途切れる事のない話題だものね。」と私は言いました。
「でもサ、同じ話なんか繰り返しちゃってね、やりかねないね。」

そしてまた彼女。
「だけど、またそれを初めて聞いたような顔をして『ふーん』なんて言っていたりして。」

 じゃあ、またねといって笑いながら別れました。

 

人の話にしっかりと耳を傾けてくれる友だちは、かけがえのない宝ですね。

 

 

 

 

コメント

SYUGOSIN

2009-05-21 00:46:32 | 詩、小説
あの光り輝く若葉を見てごらん
何が切なくて君は泣くと言うのだろう

―疲れてしまったの
もう息をするのも辛いのよ―

それならば僕の肩に寄りかかり、目を瞑っていればいいよ
ずっとずっとさ

あの光り輝く若葉の、その葉陰を見てごらん
きらきら光るその若葉は、その闇を深いその内側に隠して
過ぎてきた冬の記憶を封印しているんだよ

吹く風が君の襟足を優しく撫ぜて
君がその瞼をパッと開けるまで、
僕がそっと側にいるよ

もう立ち上がらなくてもいい
もう微笑まなくていい

僕が変わりに悲しいくらいの空の青さを見つめよう
僕が変わりに鳥達の甲高い悲鳴を聞いていよう

もう立ち上がらなくていい
もう微笑まなくていい

君は僕の肩にもたれて
吐く息の数を大地の振動に合わせてゆっくりと数えて居ればいい
耳を澄まして遠い海の引き潮、満ち潮の音を感じていればいい

僕は君、君は僕
君は自分の中の僕にもたれかかり、君の中の僕が君を守る

―私を守るあなたは
私の意識私の無意識私の知識私の言葉
そして私の魂―
コメント

やれやれ♪

2009-05-20 01:50:43 | 梢は歌う(日記)
お休みしていた間も、ご訪問ありがとうございました。

なーんだ、10日を待たないで出てきたじゃないかと思われてしまいますね。なんとなくピークは過ぎました。でも、いろいろうんざりするような事が山のようにあって・・・。

それらの事を、やっつけ仕事のように(そういう言葉ってありますか?)取り組むべきなんでしょうが、ちょっとストレスが溜まってしまいそう。

前に私はドラマの見過ぎだとここに書いたことがありましたが、夜は疲れてそういう受身の事しか出来ないと言うのがその理由でした。でも今はそんなに仕事をしていないのでドラマ時間を減らして、家事や読書時間に当てようと最近思っているとも書きました。

でもそうじゃないんだわと、今日気が付きました。

何もテレビなんか見ていなくても眠くなくても、私は立ち上がれません。ソファに横たわり何かがジーンと押し寄せてくる事に耐えているのです。
その何かが何なのか、私には分かります。それはストレスなのです。

何年も前から思っていることですが、「ストレス」と言うのは嬉しい悲しいと言う感情の作用ではなく、暑い寒いと言うような感覚で感じる事が出来るものですね。

「ねえパパ。来世と言う確約があるのなら、死んでしまいたい。」

そんなことを言って夫を困らせたりする私です。

「何言ってんだい。来世なんかないよ。だから死んじゃダメなんだ。いや確かに来世は信じたほうが楽しいよ。手塚治虫の「火の鳥」の世界みたいに。でもね、来世があってももうそれはあなたではないんだよ。」
「じゃあ、パパ。今生でお別れね。」

って、この後夫が私になんて言ったのかは、長いし面倒なので省略ですが、意外と世間話風でありながら予防線を張っているのがわかります。ありがたいことですよ。そんな馬鹿なことを言いながら、私はゆっくりと復活していくのです。

結構気持ちが弱くて、また近頃力に合わない事を抱えすぎていて大変です。

それでも先週は「頑張るぞー!!」モードだった私。

やっぱり若くないので(こんな所でしみじみ実感です。)、「がんばらないけどいいでしょう~♪」モードで行こうかな。


たまに出てくれば、ろくでもない独り言で申し訳ありませんでした。

ところで、上の画像・・・

本当はもっとかわいくて綺麗だったのですよ。このポニャポニャした感じがいいなと思って適当に撮ったのですが、あまり綺麗に取れなかったのでがっかりです。でも、今日(昨日でした)その前を通ったら、すべて抜かれ土がならされていました。
最近良く言う言葉ですが、過ぎていく日々との出会いも一期一会。今日と言う日、明日と言う日。しっかり出会ってしっかり生きていきたいものです。



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