森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

約8年 その5

2022-03-30 22:52:59 | ランダム自分史

約8年 その4」の続きです。

 

ブログには、書くことと書かない事を選択して書く事も多いのではと思います。

例えば、2014年3月15日から母と姉妹4人で山梨に出掛けた時のお話。

その時の記事は、「甲斐の旅 《その1》」甲斐の旅《その2》」甲斐の旅《その3》」です。

それは前の年に亡くなった父のやり残した事、父の両親の墓参りに行くと言うのが。その旅の目的でした。

そして父の生きた足跡を、ほんのちょっと辿ると言うのもやろうとしていた事でした。

 

ここからはその記事には書かなかった事です。

母がその旅が決まった時に言いました。

「今年はお姉ちゃんの節目の年だから、そのお祝いにホテル代をお母さんが全額持つから。」と。

それで私はいろいろと検索して、女性に人気があると言う「坐忘庵」という旅館を見つけて予約したのでした。そこへは甲府の駅に迎えに来てくれた旅館のバスで行きました。

ところが私は、その前に会った叔父さんにご馳走してもらった、凄く美味しかったイチゴパフェがお腹に来てしまい(この時私は自覚したんです。今の私には生クリームは敵だと。)、旅館に着くまで地獄の時間でした。

すこぶるカッコ悪い話なので、ブログには書かなかったのですね。

旅館についても、しばらくは体調悪く寝込んでいました。

それでいつものような食事の前にお風呂に入って、みんなでのんびりすると言う時間がなかったのです。

旅館ではみんなで一緒にと言う時間はほとんどなかったわけですが、その後は上にリンクした記事にも書いた通り、楽しい旅行で終わったのです。

 

ところが数日後にスノウさんから電話がかかってきました。

「なんだか胸にしこりがあるみたいなの。あの時、ひとりでお風呂に行って、クヨクヨしてたんだ。」

「えーっ !!

どうして言ってくれなかったの ? 蝶子さん、経験者なんだからさ、きっと触ればわかったよね。」

「うん、そうなんだけれどね、なんとなく言えなかったんだ。でも大丈夫。今度会社で乳癌検査するから。」

「うんうん。何か分かったら、今度はすぐに教えてね。」

 

検査の時、技師さんが「あー」みたいな反応を、妹は見逃さず

「やっぱ、そうですよね。」と切り込むと、

「うん、ちょっとあるねぇ。」と言われ、すぐに次の行動に移る事になっていったのでした。

「大丈夫だよ。蝶子さんも大丈夫だったんだから。」と私が言うと

「うん、私もそう思う。」とスノウさんは言いました。

 

坐忘庵の受付の所に、「雨の日は雨の中を 風の日は風の中を」という額が掛かっていました。

葬儀の時、使っていたお茶碗とお箸、湯呑が供えられていました。

その青い湯呑には、その「雨の日には・・・」の言葉が書かれていたのです。

私たちの8年は、あの日から始まったようなもの。

それが葬儀の供えられた湯呑に、同じ言葉を見つけるなんて。

 

スノウさん、ドラマチックじゃないですかー。

 

不定期で、続きます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約8年 その4

2022-03-30 01:26:52 | ランダム自分史

約8年 その3」の続きです。

それはつい最近の事ですが、叔父と電話で話す機会がありました。

私が

「子供の時、スノウさんとは仲が良くなかった。」と言うと、叔父は

「知ってるよ。」と言いました。

私は少しムカッとしました。

「だって仲よくしろと言う方が無理よ。そんな環境だった?」

だけど叔父に言っても仕方がない事です。もしこれに戦犯と言うものがいたら、あなただってその中に入るわと私は思っているからです。

「でも、私たちは、ずっとそうだったわけじゃないのよ。」

何となく電話の向こうで、私の気持ちが微妙に振動しているのが分かったのか、叔父は

「それも、そう思っている。仲良くなかったら、一緒に旅行とか行くわけないものな。」

 

そうよ。そんなに単純なものじゃないよ。

「その3」の中で

>「今なら分かるんです。私が何を期待していたのか。それは私が居場所を姉に求めたように、彼女にもそれを私に求めて欲しいと思っていたのだと思います。

だけどそれは期待通りには行かなかったんです。」

と書きました。

今なら分かっても、その時には分からなかった。ただ私はスノウさんに対して「ざまあみろ」ぐらいの悪魔のような感情を持っていたのだと思っていたのでした。

 

だけどある日夢を見ました。

 

何もない部屋の真ん中に大きなテーブルが置いてありました。

貴族の食卓のようなテーブルで、私たちも含めて大人たちも座っていました。

スノウさんが遅れてやって来て、その食卓に着こうとすると、隣に座っていた父がフォークを床に放り投げ、スノウさんに拾えと言いました。

それを拾うと今度が母が、お皿を投げ捨て片付けろと言いました。またほかの大人がまたテーブルの物を投げつけました。

もうこれは父とか母とかは関係なかったかもしれません。父とか母の姿をした何か。

妹は細くちっぽけな姿で、一生懸命に拾っては元に戻し、壊れたものを拾っては片付けました。

最初は訳が分からず何が始まったのかとニヤニヤして見ていた私は、徐々に怒りがこみ上げてきました。そして妹の所に飛んで行って大人たちに向かって叫びました。

「ヤメテー !!!

この子は、私の妹なのよ !

もう止めてください。」

そしてスノウさんには

「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげる。」と言い、そしてそこで夢は覚めたのでした。

 

目が覚めて、私は自分の夢に戸惑いました。

夢は真実の心の声だからです。もちろん11歳の私に「真実の心の声」などとは分からなかったかもしれません。

ただ、私はこの夢を誰にも言わずにずっと忘れていませんでした。

 

あの頃は、妹に対して「ざまあみろ」と思っていた自分に、「そうじゃないよ。」という本当の気持ちを教えてくれた夢だったと思っています。

 

だけどその夢は、未来に大きく意味を変えて行ってしまいました。

何かがスノウさんに何かを投げつける、また何かが何かを彼女に投げつける。

彼女はひとつひとつ、それらを拾っては戻し拾っては戻していたのです。

「ヤメテー !!!

この子は、私の妹なのよ !

もう止めてください。」

私は記憶の中の夢の中で叫び続けていました。

 

乳癌やって、肺がんやって、腎臓にも癌があって、脳腫瘍で三回頭を切ったなんて凄くないですか。凄すぎませんか。

「大丈夫。お姉ちゃんが守ってあげる。」って夢の中で言ったけど・・・・・。

それでも一つだけは約束を守ったと思います。

最後まで傍に居るよと言った約束は。

 

駆けつけた私たちの見守る中で、彼女は呼吸をする事を止めたのです。

スノウさんは、とうとう力尽き、3月13日に静かに眠りにつきました。

 

 

不定期に、続きます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンガ日本の古典「和泉式部日記」

2022-03-29 10:56:21 | 漫画・マンガ・まんが

この本を図書館から受け取った時、思わず

「えっ?」となりました。

前に「吾妻鏡」を読んだ時に、続けて「平家物語」も読みたいなと思いました。ところが、カバーの内側に折り返したところにあった32巻の本の名前の紹介の所に、「和泉式部日記ー萩尾望都」を見つけてしまっては、こちらを先に読みたいと思うのは、私にとっては当然の気持ちだったと思います。萩尾先生は、どんなねっちりした平安の恋愛劇を見せてくれるのかなと、即予約したのです。

ところが受け取ってみると、作者はいがらしゆみこさん。「キャンディキャンディ」を描いた方ですね。

本には編集部から「読者の皆様へ」という、都合により作者変更のお知らせが挟まれていました。

ああ、何があったのかなぁ。編集部と方針が合わなかったのかなぁ。体調が悪くスケジュールが合わなかったのかなぁ。

いろいろと考えても、ネットで調べてもまったく分かりません。

私的には、解けないミステリーになってしまいました。

 

弾正宮を失った後、その弟君である帥宮との愛に萌える和泉式部。

その愛の物語です。

 

冒頭の部分で言葉の言い回しとか、少々引っかかるところもあって、期待値が下がってしまったのですが、それが良かったのか、読み終わってみたらなかなか面白かったなと思いました。

帥宮は、意外と周りを気にするタイプで、遅々として恋の行方は定まらず、また雨の音で門をたたく音がかき消されてすれ違ったりと、そのもどかしさも良かったかもしれません。

帥宮が門があかなかった事で、他の者が来ているのだと疑っても無理はありません。まったく触れられてはいませんが、一体この和泉式部は、何で生計を立てているのだと思ってしまうからです。幾多の男たちが文をよこすと書いてあったけれど、たぶん文だけではなく、その時にいろいろと付けてよこしているのかなと思うのですがどうでしょうか。

彼女は弾正宮の恋の為に、夫からは離縁され実家からは勘当されてしまっているのです。何かにすがらなくては、優雅に生活など出来るわけはないのですよね。

だから乳母や側近の女房達も、その恋は道徳的に如何なものでしょうかなどとは言わないのですよね。

「まったく」以下の事は、私が思った事であって、本編には本当にまったく出てきません。

 

私が一番好きだなと思ったシーンは、帥宮の宮中に招き入れられた和泉式部の為に、本妻である北の方が出て行ってしまいます。

その出て行く時に和泉式部は宮の背後に立っています。その時帥宮は二人が微笑んでいるのを見るのです。

影のせいかと彼は思うのですが、きっと北の方は、折り合いの合わない夫に対して一片の責めを負わずに(みな彼のせい)出て行けるし、和泉式部は正妻を追い出して恋の勝者です。

恐ろしくも、メデタシメデタシの終わりだったと思います。

 

その後の4年、二人は幸せに暮らしました。だけどまたも帥宮は病死。

そしてその後、彼女は藤原道長の娘、彰子に使え、その和歌の才能を存分に生かしたのは周知のとおりです。

その道長の配慮によって、再婚もするのですが、その後も恋のうわさが絶えなかったと言います。

だけれどそれが彼女の和歌を作る才能の原動力だったのでしょう。

 

まぁ、所々で「私は宮様の思うとおりに生きるだけ。」的な事を言っちゃって、責任回避をするので、あまり世の女性たちの人気は高くはならないと思いました。

 

 

だけどいつの世も恋に生きる女性の好感度は、そんなものかも知れません。

これはこれで面白かったし、分かりやすかったし、和泉式部は美しくて良かったのですが、それでも私はやっぱり萩尾氏が描いたものも読みたかったような気がします。

 

 

 

 

・・・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉殿の13人 第12回「亀の前事件」

2022-03-28 02:30:50 | ドラマ (大河)

義経が絡むとなんだか話がややこしくなるが、この単純なゆえに生み出す複雑さに慣れてくると、先の運命を知っているが故なのか、逆にその時までは、ササッ思う存分ヤッテ、その様を我らにお見せしなさいって言う気分にもなって来てしまいました。

「後妻打ち」で牧の方が「前妻」という言葉を使うと、政子は「前妻と言うな。」とたしなめます。

なにげに親切で優しい素振りの牧の方ですが、その裏の気持ちは違う・・・・

そして政子はしっかりその裏の気持ちに気がついていて、亀の家を壊したのは牧の方の兄とどうせ分かる事だし、その時はたっぷりと叱られればいいのだなどと言います。策略に乗ったように見せかけて、その心の奥底では、ちゃんとその先の事を考えていたのです。流石に未来では尼将軍と言われるだけの事はありますね。

だけど義経が絡んで、やり過ぎて話がややこしくなってしまった今回の後妻打ち。

 

舅の身内を裁くことは頼朝だってしたくはなかったはず。だけどスルーするわけにもいかず、牧の方の兄に処分を下すと、今度は牧の方が出てきてしまいました。

彼女は頼朝の姑ですものね。

はっきりと頼朝の行為を、娘を守る視点で責めます。そこに又政子が現れて・・・・・・ !!

口は強気でしたが、やっぱり頼朝がタジタジとしているのが伝わって来るようでしたね。

そして強気の女たちに、頼朝が完全な上から目線でしかりつけると、そこにそれまで黙っていた時政が参戦し、とうとう隠居宣言をしてしまいます。

 

私が思うには、この時テレビ前であがっていたのは視聴率ではなくて、この時政パパ様の好感度だったのじゃないでしょうか。

家族の為に怒りまくるパパ様、カッコ良かったです。

 

しかし大変なのは義時です。

あっちにもこっちにもと気を使い、果ては親友の「その時頼朝を超える。」まで付き合わなくちゃならないのですものね。

小四郎、今が大変なのは、すべて未来のための修行ですって言ってあげたくなると言うものですね。

 

だけど義時が、八重に対して粘るなぁと思うと笑えるのに、八重が未だに「やっぱり、頼朝様のおそばに」などと言うと、気持ちが悪いなぁのような気持ちになるのは、ある種の偏見かしら。それは義時が独身で、頼朝には政子と言う新しい妻がいるからなのかも。

時政パパと違って、好感度を下げたと思う・・・・・

でもこのくらい粘らないと、脇の方々のはずの女性陣がヒロイン並みに派手に頑張っていますので、ヒロインのお立場が薄くなってしまいますものね。

薄いと言えば、薄い顔の女(どんな顔なの ?)の亀。彼女こそ視聴者女性陣の敵なる人になりそうなものだけれど、キャラが徹底しているので、全く憎めませんね。江口のり子さん流石です。

「鎌倉殿の13人」には、愛おしいキャラがたくさんでてきますよね。純粋なイケメン枠の畠山も、いつもカッコつけつつ内容がどうなのと言う義村(だけど義時の知恵袋)、そして京に上った時の為に文字の練習に余念がない上総広常。

 

というわけで次回も楽しみですね。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」と上野

2022-03-27 01:44:24 | お出掛け日記

25日の日に行ってまいりました。

この絵画展は、まさにフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」を見るための美術展だと思いました。

 

1979年X線調査で、キューピッドの絵が塗りつぶされていることが判明。だけど長年、それがフェルメール自身の手で塗りつぶされたと信じられてきたのです。ところがその後の調査で、それは他の者の手でフェルメールの死後塗りつぶされたことが判明し、2018年2月に元の姿に修復されることが決定されました。

そして大規模な修復プロジェクトによってキューピッドの画中画が現れ、フェルメールが描いた当初の姿となったこの作品を、所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館でのお披露目に次いでの公開で、しかも所蔵館以外での公開は、世界初。

 

本人が消したと他の者が消したでは、本当にまったく意味が違いますよね。本来の姿が戻って来て、心から良かったと思いました。

 

今回のチラシも、ちょっと工夫がされていて面白く感じました。

 

 

だから、私自身のお土産も

この二枚の絵葉書にしました。

 

私は結構、美術館で人が話している言葉を拾うのが好きなんです。

だいたい美術館と言う所は、本来は人がおしゃべりするところではないんですよね。もちろん今はコロナがありますから尚更です。それでも絵を前にして出てしまう声には、自分とは違う視点も含まれていて、「なるほど」と心の中で思う時もあるのです。見知らぬ人で聞く意思もなく聞こえてきてしまった言葉なので、もちろんお返事などしませんが。

ところが今回は、何で今そんなに大きな声で、あなたの感想を話す必要があるわけとなりました。

修復された絵をみんなが観に来ていると言うのに、その絵の前で、つまり見ている人の群れの中で

「ない方が良いな。」

こんな元も子もない感想は、後でお相手の奥様と家とかで語って下さいと思ってしまいました。

ただ、この人が思った事を否定するつもりなどはないのです。

 

会場にかかっていたキューピッドのない絵は、もちろん複製画です。だけどその絵をしみじみと見た後で、修復されたオリジナルを見ると、絵画絵が大きくて、ない方がすっきりと見え戸惑うと言うか、何かザワザワするものを感じたのは、実は私もです。

絵が塗りつぶされた真実は不明ですが、その理由として考えられるひとつに「その時代の美意識によって」というものがあげられていたように思います。

またこの時代のフェルメールはまだ無名。レンブラントは既に著名な画家でした。この作品は最初はレンブラント作と言われていて、より彼の作品風に近づけたのではとも推測されています。

今の時代からしたら、とんでもない暴挙のような行為も、この時代のそれを行った「ある者」からしたら、実に単純な理由からだったと思います。

「高く売れるから。」

そんな所じゃないかと思うのですが、そのある者も無い方が良いなと思ったという事なのでしょうね、きっと。

実は後から合流したご一緒したお友達に、この大きな声の「ない方が良いな」おじさんの話をしたら、そのお友達も「私もそう感じた。」と言いました。

でもこの時、私の中ではある程度考えがまとまっていたので、そんなお話を語り合って良い時間が持てたような気がしました。

 

私は、何か気持ちがざわついたので、この複製画とオリジナルの間をしばしウロウロしていました。

確かに何もない空間に、ほとんどの壁面を埋めて絵が出てくるわけですから、そりゃ、前の絵をしみじみと見た後では「うわぁっ !!」となるってものですよね。何もない絵がスッキリ見えるのは当たり前のことです。

だけどこの絵は、この塗りつぶされた黒歴史があって良かったような気がしました。だからこそ分かる、このキューピッドの絵の大きさの意味がと言う感じがしました。

何も壁に絵がない方は、寧ろ何もないがゆえに、彼女の心の中の空白を意識させ、彼女が読んでいる手紙は、別れの手紙や会えない言い訳の手紙、戦場に出向いた夫からの手紙、または母親からの叱咤の手紙、そんなものを連想させるのでした。ですが壁面を埋めるキューピッドのある方の絵は、逆に恋人からの愛の手紙、離れて暮らす夫の帰還が近づいたと言う近況の知らせ、母親からの娘の生活を気遣う暖かい手紙、そんなプラスを感じさせるものを連想させるのでした。

そして絵画絵が大きいのは、彼女の心の中に広がる明るい希望の大きさなのではないでしょうか。

何度も何度も見返しているうちに、やっぱり「ある方が好きだな。」となりました。

また人の好みは千差万別だけれど、何よりも大切な事は、人の好みは関係なく原画を守る事だと思います。

 

他の方の作品はHPに少々載っていますが、ほぼ下記に載せたチラシと同じです。

 

この時代の流行りなのか、壁の色は暗く、風景画も青空に真っ白な雲と言うのはなくて、皆グレーの雲が混ざっているちょっと重い空が多かったです。

17世紀のオランダ絵画の色彩は、あまり好みではないかも知れないと思いました。

ただ室内絵の人々は、皆日常の一こまを綺麗に切り取られ描かれているなと思いました。

 

前に「フェルメール展」を見に行ったのは、2008年だったのですよ。もう月日がたつのが早すぎて、涙が零れそう・・・・。

その時の記事は・「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その1>

「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<その2>

「フェルメール展」―光の天才画家とデルフトの巨匠たち<カレル・ファブリティウス>

上にリンクした記事の中に

> 確かにこの時代の絵画は、「鳩は」何々を表し、「キューピッド」はこういう意味であり、「飲酒」は誘惑「リュート」は恋の気持ちなどと、描くものに意味が込められていたりすることが多いと思います。「フェルメール展」の音声ガイドでもそのような説明が多くて、ちょっとその部分に関しては、鬱陶しいような気分にもなったものです。その時代は、絵画に戒めや教訓を込めることが流行っていたのでしょうか。

 と書いてあるのですが、その考え方で言ったら、「手紙を読んでいる女」の相手は不倫相手になってしまうらしいのですが、それは私的には、かなりツマラナイかもしれません。

 

買って来たお土産。

上野の桜は

この日の「花より団子タイム」

 

上野駅では、彼が頑張っていました。(一人です)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約8年 その3

2022-03-25 01:02:27 | ランダム自分史

約8年 その1」と「約8年 その2」の続きです。

ちょっと名都さんが生まれた日の事をお話ししましょう。

だけどその前に、なんだか知りませんが私が漁夫の利を得て、母に「天使に見えた。」と言われたお話をします。

姉の蝶子さんと名都さんは12歳差で一回りも歳が離れていて、私も10歳違いです。スノウさんと名都さんも5歳差。

そんな時に子供が出来たことを知らされた母と父の間では、なんだか理不尽な会話がなされていたらしいです。また誰とは言いませんが、他の人にも心無い暴言を吐かれ、母は傷つき心が揺れていたそうなのです。

 

その日、キッチンの引き戸を開けると、母が流しで何かを切り刻んでいました。

トン・トン・トン・・・・

その音が凄く元気がなかったのです。

肩を落とし背中も丸まって、母は見るからにしょんぼりしていました。

「ママ、どうしたの  ?」

母は子供のまま大きくなったような人なので、こういう時に「何でもないわ。」などとは言いません。

「赤ちゃんが出来たの。でも誰も喜んでいない・・・。」

「えーっ !?

何言ってるの ?

大丈夫だよ。 誰もその子を可愛がらなくても、私が可愛がってあげるから。ママ、頑張って。」と私は言いました。

それは私がまだ10歳前で、赤ちゃんが出来て喜ぶ以外の選択肢を知らなかったからだと思います。

だけど母は持っていた包丁を置いて、私の所にやって来て、私をぎゅうっと抱きしめました。

そして後から母は言いました。

「あの時、花ちゃんが天使に見えたのよ。」って。

 

今これを書いていて、ちょっとだけ涙が出てしまいました。

若かったお母さん。今、私は逆にあなたをぎゅうって抱きしめたくなりましたよ。

 

さて、母の臨月が近づいてきた頃、我が家総出の祈りは、男の子が生まれる事だったのです。なんたって上の三人が女の子なので、一人ぐらい男の子が欲しかったのだと思います。実は私も姉も男の子が生まれますようにと毎日手を合わせて祈っていました。可愛らしい弟が欲しかったんじゃないかしら。

4人目の子供を母はお産婆さんの家で産みました。

 

ある夏の夜。

家には12歳の姉と10歳の私しかいませんでした。蒸し暑い夏の夜は、あちらこちらの窓は開け放されていました。すべての部屋についていた電気さえも幻のように感じさせるのが、夏のマジック。

姉は洗濯機を回していました。

私は眠くなって二段ベッドの下の階でうつらうつらと眠っていました。

その時、リーンと電話が鳴りました。

姉が飛んで行って電話に出ました。

そして寝ている私の横で「花ちゃん、・・・・・・・・・・」と言ったのでした。

「うん。分かった。」と私は言いました。

そしてひとしきり寝ると、ガバッと飛び起きて、洗濯物を部屋干しをしている姉の所に飛んでいき言いました。

「今ね、変な夢見ちゃった。お姉ちゃんがやって来て、この世の終わりのような声で『お姫さまだって。』って言ったんだよ。夢だよね ?」

姉は目を吊り上げて言いました。

「夢じゃないよ !!花ちゃんたらさぁ『ああ、分かった分かった!!』って煩そうに返事したじゃないのよ。私、なんか余計に哀しくなっちゃった。」

「えっ、そうなの。それはごめんね。寝ぼけていたんだよね、私。

だけどさあ、ああ、そうなの。そうなんだぁ。お姫様だったのね。お姉ちゃん、どうする。うち、女四人だよ。ああ、弟じゃなかったんだぁ。」と、私と姉は男の子が欲しいと祈っていたものですから、がっかりしてしまっても無理はない事だと思います。。

 

名都さん、ごめんね。

だけど私と姉ががっかりしたのは、その日だけのたぶん1時間ぐらいだけだから。

私の時の、「お父さんの帰りが毎晩遅くなった」より、ずーーーーーっとマシだからね。

 

それに私たちは寧ろ女四人で良かったなと考えが変わるのに、ほとんど時間がかからなかったし、この名都さんは大人しい子供で、それゆえに子供時代はそれなりの苦労をしていたみたいだけれど、素直で子供らしい愛らしさがあり、近所の人たちにも愛されていました。

私も母との約束を守って、小さな妹の子守は本当に良くしました。名都さん、覚えてないだろうね(/_;)

ただ年齢差の違う姉を持つことは、名都さんにとってはけっして子供時代は楽しい事ではなかったと思います。

なんたって、彼女が10歳の時私は20歳。一緒には遊びません。それどころか彼女の小学校の面談に、母の代わりに出席したり、小学校の運動会に今の夫と一緒に(その頃は夫ではないが)見に行ったことがあるくらいなのです。完全に大人が子供を見る視点だったし、私にとっては彼女の名前は「小さく愛らしい者」の代名詞で、姉に娘が生まれても、その子の名前を呼ぶのに間違えて妹の名前を呼んでしまう事もしばしばあったのでした。

そんな私たちの姉妹四人の楽しさが生きてくるのは、新人であろうが中堅どころであろうが、皆が中年と言う年齢に入ってきた頃からだったと思います。

 

ところでこの名都さんが生まれた日の話に、スノウさんの影がないのは、まだ6歳だった彼女はおじさんの家に預けられていたのでしょう。

夜遅くに父が帰って来たかもしれませんが、たとえ朝まで姉と二人でも、私は何も怖くもなかったです。

二人姉妹の末っ子と言う居心地のいい城から追い出された私は、たぶん姉にその居場所を求めたのだと思います。たった3つ違いの彼女は、私のもうひとりの母のようなものなんです。

私はこの時、心の奥底で、何かを期待している自分がいた事を知っていました。

母には私が天使に見えたと言いましたが、私には私の中の悪魔が見えていました。

スノウさんにだって、私と同じ事が起きるのよと私は思っていました。

これは人類の普遍のテーマだって言いましたでしょう。

だからそれは本当に予想通りに起きたんです。

我が家の新プリンセスは名都さんです。

今なら分かるんです。私が何を期待していたのか。それは私が居場所を姉に求めたように、彼女にもそれを私に求めて欲しいと思っていたのだと思います。

だけどそれは期待通りには行かなかったんです。

かつて捨て猫のような気持ちになっていた私は、気の強いひねくれた女の子になって言ったけれど、彼女は自分の中にドアを作り、そのドアの向こう側に逃げ込むことを選択したのでした。

 

ある時、私たちの祖母が病気になり、短い間だけでしたが我が家にやってきました。その時、口の悪い祖母がスノウさんに付けたニックネームが「コドク」でした。

私にはおばあちゃんと孫が仲が悪いという事が理解できず、単に一人になりたい年頃だからだと思っていましたが、今思うと、そんな名前で呼ばれては好きになれるわけがないですよね。これは前にも書いたことがありますが、スノウさんがある時言いました。

「あの人が嫌いだった。だけどあの人は嫌味のように私の誕生日に死んだのよ。」

それまで祖母の命日など、すっかり忘れていた私でしたが、その言葉を聞いて、忘れられない日になってしまいました。

私はこのおばあちゃんの事が大好きでした。

だけど命日までは覚えていたくはなかったのです。しかしこの先、スノウさんの誕生日を思い出すとき、絶対にセットで思い出すと思います。

これって、スノウさんの「嫌味のように」のせいじゃない ?

 

また不定期に続きます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒20 最終回スペシャル第20話「冠城亘最後の事件―特命係との別離」

2022-03-24 09:27:21 | ドラマ(相棒)

最終回スペシャル19話「冠城亘最後の事件」の前編である「仇敵」の感想も含めて書かせていただきます。

 

最初に「相棒」とは関係なくはないけれど、やっぱりあまり関係のない話から。

「京匡平」、これ普通、読めないだろうって思いました。凄い難読文字使いますよね。これに振り仮名を振っておかなければ、数か月後にこの記事を読み直したときに、この人の名前を読めなくなっているかもしれませんね。

「かなどめ きょうへい」。思わず検索してしまいました。

そしたらね、この「かなどめ」はちゃんと語源があるんですね。なかなか興味深かったので、リンクしておきますね。

こちらです。

 

前編、後編のあらすじは下の方に、HPのページをリンクしておきます。

その前編で印象深かったのは、右京が語る「仇討ちの条件」でした。仇討ちって親が子供の、または兄が弟の仇討ちではダメだったなんて、まったく知りませんでした。その定義はなんでだろうか・・・・・ってまた気になっちゃって・・・・

また寄り道していて日付越えしちゃったのですが、江戸時代の仇討ちの法的な決まりである事しか分かりませんでした。

なぜそういう決まりになったのかと言う部分が知りたかったのですが・・・。

首を傾げながら眠りにつく私。でもそこは、まっいいかって事にしましょう。

 

そして心に残ったのはこのセリフ。

「相棒が不名誉なパパ勝つ疑惑を掛けられているんですから」

冠城の「放っておいてください。」の言葉に、強くそういうわけにはいかないと語る右京でした。

「相棒が」と、右京が言いました。

未だかって、彼の口から、この言葉が出てきたことがあったかしら。

 

そしてカメラ目線の

「M         マリア・・・」のシーン。印象深い演出でしたね。

そして「自業自得だ!!」の四重唱にも笑ってしまいましたね。

 

今回もさした時間延長があったわけでもないのに(ほんのちょっとあった^^)、いろいろと目が離せないお話になっていたと思いました。

同時進行で進んでいた内調と公調の話で、たまたま冠城が美馬からの食事を食べる前に電話に出たので眠らされずに済んだわけですし、Wi-Fiの場所や京が出した動画撮影場所から真実にたどり着いていくさまも面白かったです。

私的には青木の冠城に

「一つ聞いてもいいか ?」と言っても聞けなかった言葉は何かしらと思ったら、彼がすぐに「お前友達だよな。」と言い、聞きたかったのはそれかと思ったら、凄く憎たらしく話すので分かりづらくなってしまうけれど、彼の冠城を大事な友達と思っている気持ちが伝わってきて、好きなシーンになりました。

だけど冠城のパパ活チラシを作ってばらまいたのは青木でした。それが美彌子にバレテも青木を攻める事もなく、代わりに彼女に謝る冠城でした。ただ衣笠に叱られて、青木もどんどん居心地が悪くなっていく感じ。それでも青木は逆切れして「じゃ、首にしてください。だけどその瞬間に警察の不都合な真実が世界中に知らされる。覚悟しておいてください。」などと脅す。

衣笠と青木の父はどんな関係で、何があったのだろう。それはいつか分かる事なのかしら。

衣笠の所から冠城の所に飛んでくるところなど(いなかったけれど)、ちょっと胸が痛くなってしまいますよね。

 

今回、ツイッターでは「泣いた」と言う書き込み多数でした。これは本編ではなくてラストのふたりの別れのシーンでの言葉だと思うのですが、私はちょっとその前の、あの女刑事のシーンでちょっと泣いちゃった・・・。

警視庁警備部の津崎、野波麻帆さん、熱演でしたね。

これこそ仇討ちの定義に一番当てはまらないものですよね。

あの時お腹に赤ちゃんがいたのかと思ったら、可能性への復讐だったわけです。子宮をダメにされて、この先生まれてくるはずだった子供たちへの仇討ち。

えっ!?

って、思う方もいらっしゃると思うのですが、なんか、私メチャクチャ分かる。いやいや、気持ちは分かる。だけどもちろん殺人はダメよね←と一応いい子になって言っておきます。

だけど人を呪わば穴二つって本当ね。

京も復讐を考えなければ、野波を地獄に引きずり込まなかったのに、美馬も憎む気持ちを捨てて自分の人生を生きれば良かったのに。

(と言っても、それを言っちゃあ、このドラマは生まれなかったわけですね(^_^;))

この時の京役の本宮さんも上手いよねと思いました。なぜなら彼はこの時、初めて自分が何をしてしまったのかを知ったと言う顔をしていましたから。

 

しかし美馬、恐ろしかったですね。「匡ちゃん。」なんて親しげに呼びかけるわりに、囮どころかその命を野波に差し出しちゃうんですものね。

後から美馬の本当の計画を知った京の反応を知りたかったです。彼女はすべてをかなぐり捨ててだったのでしょうね。

そして鑓鞍センセのお言葉も、心に残りました。

「政治家なんてもんは、ずぶとくなきゃ生き残れないのよ。誰かさんのように。」

って、それは片山雛子。

彼女は、本当に恐ろしい悪魔のような人だけれど、キャラ的には大好きで、私は彼女の「双頭の悪魔」から「相棒」が好きになったので、この返り咲きは嬉しい。そして彼女の鑓鞍センセに対しての最大の嫌味連発のシーンは小気味が良かったです♡

 

そしてやっぱり冠城亘の別れは寂しく感じましたね。でもその前に言うと、まさかの青木君の卒業にも吃驚しましたね。浅利陽介さんじゃなかったら、この捻くれた醜く顔をゆがめて話す、このキャラについていけなかったかもしれません。彼だったから登場してきた時からずっと好きでした。次のシーズンではこの便利屋ポジションも何気に見つけなくちゃならないんですよね。

 

そしてそして、冠城との別れのシーン・・・・・。

「僕は今まで、去る者は追わずだったのですが・・・・」

「もう少し一緒にやりませんか。君が特命係を去る事を、出来れば拒みたい。」と、右京が言い、

冠城が

「最高のはなむけの言葉です。長い間ありがとうございました。」と言う。

 

これって今までで最長であって、水谷さんからしてみたら最終回まで一緒と思っていた相棒への、本当の気持ちのような気がしてしまった人も多いのではないかと思います。そして反町さんの言葉も。

なんかグッときましたね。

そして暗い部屋の特命係の名札が一枚。

小手毬にひとりで座る、右京の後姿。

さみしい~・・・・・・

そして半年、「相棒」ないのよ~・・・・

寂しい~・・・・・

 

こんな高視聴率番組をテレ朝が、まだ手放すわけはないと思いつつ、やはり20年は凄く長いと思うんです。脇のキャストも含めて、そろそろ「相棒」も盛大にフィナーレの花火を打ち上げ時かなと思っていたのですが、次の「相棒」を迎えてしまっては、その人への配慮も考えなくちゃいけないと思うので、後少なくても2から3シーズン続けるのではと思うのですが、どうでしょうかね。

と言うわけで、またも毎回、私の感想をお読みくださった皆様、ありがとうございました。

また半年後にお会いしましょう。

(ああ、いや、ブログは明日も続きます(^_^;))

 

オマケ: 反町さん4月からさっそくドラマが、WOWOWで始まるんですが、昨日まで興味ないなと思っていたのですが、いきなり見たくなりました。

^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月の「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」とアナザーストーリーズ

2022-03-23 01:03:31 | テレビ・ラジオ

3月の月一「吉田拓郎のオールナイトニッポンG」は、3月11日でした。

この日は「3.11」。それもあったけれど、実は3回目のワクチン接種日でした。ファイザーを2回打って、3回目はモデルナ。副反応が出そうだなと覚悟していましたが、予想通りでした。高熱が出たわけでもないのに、なんか辛い。体の内側が熱いと言うか寒いと言うか・・・・

ツイッターでみんなのツイートを読んでいたけれど、自分では全く呟く気力もわきませんでした。

だから、結局またradikoのタイムフリーで聴きなおしました。

拓郎さんが、テレビの番組の事を話していたので、録画してあった「アナザーストーリーズ運命の分岐点」の「「俺たちが音楽の流れを変える!〜フォーライフ 4人の冒険〜」を見てから、この記事を書こうと思っていました。

拓郎さんの語るフォーライフの話は、以前から度々聞いていたから、彼がどんな風に思っていたのかは知っていたように思うのだけれど、テレビの番組の方は、知らなかった事なども語られていて、私的には面白かったです。

確かに「つま恋」とフォーライフはあまり関係がなかったのではと思うけれど、何も知らずにただ彼らが好きだっただけの私にとっては、フォーライフ設立も「つま恋」の「朝までやるぞ~」と言うようなライブも、とにかくあの時代のチャレンジャーに見えてカッコ良かった !!

それに後から考えて「あれは違かったな。」と思うようなことがあったとしても、「違う。」と思う事は、やってみなくてはその「違う」が分からなかったわけで、やはり大事な時代だったんだと、私は思うよ。

 

拓郎さんが語る、泉谷さんの想い出。

「てめーら 客だと思って偉そうにしてんじゃねえよ。」と客席に向かって言っていて、そんな彼のノリが好きだった・・・・。

ここの部分は、あまりお話は拾わなかったんです。

こうせつは雨男、拓郎は晴れ男とか。

ステージで寝ちゃった高田渡。これぞフォークとかね。

そんな程度^^

それは寧ろ番組の後半で、序盤にはブログの紹介がありましたね。

「TAKURO BLOG」→https://avex.jp/takuro/takuroblog/#blog200

 

新しい曲情報も入っていたりで面白いですね。

 

「Together」と言う曲は、ブログの中でも話題にしていましたが、キンキ・キッズや篠原や、小田和正などの実名が登場してくるのだそうですね。

なんか楽しみじゃないですか ?

 

後「3.11」が放送日だったので、地震の時の思い出を語ってくれましたね。「くれた」と言うのも変な言い方ですが、皆それぞれの「3.11」があるんだなと、しみじみとしたものですから。ちょうどハワイに向かう予定の日で、空港に向かう前で、佳代さんはちょうど化粧が終わっていた頃・・・・・。

そして

武器を捨ててもらいたいと心の底から思う。

地球に住んでいる私たちは愛を目指そう。

「RONIN」、いい歌だよね。

 

吉田拓郎「RONIN」

 

私も大好きだった「マンハッタン・ラブストーリー」のミッチーにはまったと言う話。

今年いっぱいこの番組は続けるー。

 

吉田拓郎 / 「ぼくのあたらしい歌」Music Video+メイキング -Short Ver-

 

ネットの功罪について語る。共有も大事だが(大事って言ったけかな?)、「個」が大事だと思う。つまりオリジナルティで、これが自分の生きる道なんだと言う、そんな曲「アウトロ」は完成一歩前らしいですね。

 

吉田拓郎 たえなる時に

 

ええと、拓郎さんちは夫婦は別々のお部屋。だけど真夜中にふと目が覚めた時に、何をしているのかなと気になるから壁に窓を付けようと・・・・言う話はどうでも良いですよね(笑)

女の人は佳代さんと同じで「何、バカ言ってるのよ。」ってなるよね、たぶん。

 

恋のひとこと [日本語訳付き]  フランク&ナンシー・シナトラ

 

とりとめもないメモになってしまいましたが、次回は4月の8日です♪


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

約8年 その2

2022-03-21 18:20:15 | ランダム自分史

約8年 その1」の続きです。

 

私のお母さんは、私たちを愛だけで育てた。

そう私が言うと、時に人は誤解して、「素敵なお母さんですね。」などと言われることがありました。

いや、素敵なのはこの私の言い方でしょう。

子供を「愛だけ」で育てられるわけがないのです。

だけど、私たちはまぁまぁいい子に育ちましたよ。よくよく考えるとお母さんの愛には、本当は凄く助けられてましたから。

よくよく考えないと分からないのかと言う所ですが、てんこ盛りで母と娘の話、私には言いたい事がたくさんありますよ。でもそれはまた別のお話。

 

とりあえず「愛だけ」の母には、子供に対する気持ち的配慮というものがなかったような気がします。

でも昔のお母さんの半分ぐらいはこんなものだったと大目に見て、私はそう思いたいです。

「お前なんか、橋の下から拾って来た。」などと言う、訳の分からない言葉が流布していた昔、その言葉を聞いたことがある人は結構いるんじゃないかしら。

こんな言葉で平気で言っちゃうグループの人の中に母は入っていました。

 

その母が、面白おかしく楽しげに話す、私が生まれて来た時の話・・・・・

「お姉ちゃんが生まれた時、パパは嬉しくて、毎日毎日仕事が終わると飛んで帰って来たの。でも花ちゃんの時は、お産婆さんが『お姫様ですよ。』といった途端にガッカリしちゃって、毎晩帰って来るのが遅くなっちゃった。」

それを本当に楽しげに話すんです。きっと母にとっては、「まったく~」という面白い想い出なんでしょうね。

吃驚しちゃうでしょう。

でもこの時、私にもその話は面白く感じていたんです。だって、母が楽しげに話すし、それよりも現実的に、自分のポジションが如何に快適なものなのかが分かりかけてきた頃だったからだと思います。

お姉ちゃんがいて、私が二人姉妹の末っ子で、そして母は私たち二人にいつも可愛らしい服をお揃いで着せていました。

良く家族四人で出掛けていました。

疲れたと言うと、父がおぶってくれました。

私は、少々の我儘も許されるチヤホヤされるプリンセスだったのです。

 

でもそれは、スノウさんが生まれたあの日の朝まででした。

妹は生まれた時から、それはそれは可愛らしい顔をしていました。それがちょっと嬉しかったと思います。

だけどそれもすぐにあまり嬉しくなくなりました。

どんなことがあったのかなんて、詳しくは書かない事ですが、下の子供が生まれたらと言うよくある話です。

 

早くに結婚した父と母は、今思えば、若く精神的には子供だったのだと思います。

新しい可愛らしい子供に両親は夢中になりました。彼女が新プリンセスです。

私は居心地のいいお城から放り出された惨めな子供に成り下がってしまいました。

 

そうなってくると、蘇ってくる私が生まれた時の父の話。

「ガッカリして、毎晩遅くに帰って来ていた。」

いつも何かに飢えていた・・・・・。

 

だけどね、こんな話、実は昔はざらでしょ。

別に父と母が特別に愚かだったわけじゃないし、と言うよりも、これは人類の、いや、別にいきなり大きく出たわけじゃなくて、真実だから言うのだけれど、これは人類の普遍のテーマなんですよね。

「エデンの東」、映画を見て号泣し、また本を読んで滂沱の涙を流しました。

別にクリスチャンではないけれど、アベルとカインの話は胸に突き刺さります。

 

確かに子供の頃は惨めな自分を感じていたけれど、今思えば、その時の欠落感が今の私の感性を作り出し、知識をかき集めたのかと思ったら、必要な時代だったかもしれません。

でもそれは、今だからそう思えるのです。

 

私とスノウさんの姉妹としての出会いは、ベストとは言えなかったと思います。

 

また不定期に続きます。

トップ画像は3月20日の日の朝のスカイツリーです。

 

 

※ アクションボタンやコメント欄を閉じているので、なにげにランキングに入る数で励まされています。よろしかったら押してくださると嬉しく思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鎌倉殿の13人 第11回「許されざる嘘」

2022-03-21 11:08:29 | ドラマ (大河)

かなり覚悟はしていました。この時代のドラマを見る事を。

漫画で「吾妻鏡」を読んでからも、思っていた以上の厳しさになる事も分かっていました。

だけどこの11回、かなり厳しかったです。

 

戦の天才である義経。

かなり私の中ではヒーローであったけれど、今までのイメージを覆していく鎌倉殿の義経。

だけど私が好きなエピソードナンバー1である一の谷の「鹿も四足馬も四足」と言って平家の背後の崖からドドドと落ちて攻めていくなんて、あのくらいの狂気を持ち合わせていないと出来ない事だったのかもしれないと、先週までで、自分の中で折り合いをつけていたのでした。

ところがですよ、今回の義経は完全なデープダークキャラ。

しかしこの先の彼の運命を語っていくには大事な伏線だと思います。

 

幼くして家族と引き離された義経にとって、欲しいものは愛の独占だったのかなと思うのです。

義経は凄いね。義経が頼りになるね。義経、義経、義経・・・・・

そう彼は兄に言って欲しいのかもしれません。

それを阻みそうな義円の存在が、彼は疎ましく感じていたのでしょう。

彼の心無い嘘に依って、義円は戦場に行ってしまいます。そして帰らぬ人に・・・・

好きだったのになぁ、彼。しかも恐ろしい死に方で、可哀想すぎる。

でも義経の悪行は目撃者ありで、すぐにバレてホッとしました。

「心を育てよ。」と頼朝は言いましたが、その時彼は余計な一言を言ってしまいましたよね。

例え、それが今の時点の考えの一部であって、けっして嘘ではないにしても「息子とも思っている。」と。

確認しないと、もう分からなくなってしまいましたが、はっきりと後継者という言葉を言ってしまいましたか?

政子にだけ言ったのでしたっけ ?

 

叱られ、しょんぼりした顔をしていましたが、心の中では、彼はちょっと嬉しかったのではないでしょうか。

 

だから・・・・・・

政子が懐妊して、次はお世継ぎが生まれるといいなと他の家臣に言われると、「ハイ」と心無い返事。こういう時義経はいつも能面のような顔をする・・・・・。

 

そしてその子供が男子になるか否かは大問題。

「懐妊した時、女性が険しい顔をしていると男子」「険しい顔だ、政子。」と言われて、険しい顔の夜叉顔を作る政子に、本当に癒されました。

夜叉顔で癒される !?   (笑)

ホッとする。このコメディ部分に。

 

あっ、そうそう。あまりにも義経のインパクトが強すぎて、そこから書き始めちゃったけれど、冒頭のアバンで振られて壮大な曲がかかる義時の大失恋シーンの小栗さんの顔の崩れ方が絶妙で、笑いつつ、小栗旬氏の好き度が上がりました。

ありがとう、君がいて良かったよ。ホッとするよ~。

彼は純粋に、頼朝が恩赦を与え、我らがじっちゃんに平穏な隠居生活が訪れると信じていたのでしょう。

だけど登場人物に彼の名前が現れるだけで、視聴者が震えると言う善児が再び登場してきて、すっかり丸くなり穏やかになり子供二人と穏やかに暮らす夢を見ている伊東の前に現れて、彼が嬉しそうに

「善児じゃないか。生きていたのか。」と言ったその次のシーンは・・・・

 

前回もぎゅうぎゅう詰まってると書きましたが、今回もそう。

だって清盛の死があったんですよ。

清盛の最後の言葉が、その後の平氏を縛り、その後の運命を決めたと言っていいのでは。なんか秀吉亡き後の豊臣の最後を思い出してしまう私。

 

何に照準を合わせて生きるのかって、大事な事ですよね。

 

ブログの感想もそうかも。こんなにぎゅうぎゅう詰まっていては、何かを捨てて(義村、可愛いとか)、何かを選択して書くべきなのでしょう。

それでもあとちょっとだけ。

夫殿が怒っていました。全成のくだらない諌言に、伊藤のじっ様が死ななくちゃならなかったと。

でも私、

「そうかしら。彼は自分の孫たちを殺した。それを命じた男に今度は自分が殺される。因果応報ってこういう事を言うんじゃないの。」と冷たい・・・。

なぜ彼が穏やかな老後を過ごせるなどと思う ?

それこそ甘い夢なんじゃ ?

気の毒なのは息子よねとは思うが、black kiriyも思わず登場してしまう今回の大河なのでした。

 

もう視聴、テキトーにしておこうかなと思ったりもしてしまったのですが、なんといっても次回が「亀の前事件」なんだものね。

そりゃ、見ないわけにはいかないよね。

だけどこれもさぁ、女たちの戦いだけじゃない所がさぁ・・・・

 

ちょっと、政子の般若顔レベルなんで、一応自分的にはホッとする過去記事リンクしておきます。ホッとなさりたい方は、是非お読みください^^

→「鹿も四足、馬も四足」

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする