御柱祭が行われる長野県諏訪市は、イスラエルの駐日大使が就任すると、必ず真っ先に訪れる場所であるという。
諏訪湖周辺には精密機械の工場が多くあり、それらの会社がイスラエルのハイテク産業と深いつながりがあるのが理由の1つだが、それだけではない。
エリ・コーヘン元イスラエル駐日大使は在職中、何度か諏訪市を訪れているが、その目的の1つがこの御柱祭であったという。
御柱祭は、山から切り出したもみの木を曳いて行き、坂から落とした後、舟で先導しながら川を流し、神社まで運んで拝殿の四隅に立てる。
(カテゴリー/歴史・民俗:「御柱祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/2ff44e4baa1724ec0bdfecd52baaff04)
現地でこの説明を聞いたコーヘンは、タナフのメラヒームに同様の記述があるコトを指摘したという。
タナフとはユダヤ教の聖典で、我々に馴染みのある言葉でいうと「旧約聖書」のコトで、メラヒームは列王記にあたる。
以下がその箇所である。
「・・ソロモンはヒラムに人をつかわして言った、「あなたの知られるとおり、父ダビデはその周囲にあった敵との戦いのゆえに、彼の神、主の名のために宮を建てることができず、主が彼らをその足の裏の下に置かれるのを待ちました。ところが今わが神、主はわたしに四方の太平を賜って、敵もなく、災いもなくなったので、主が父ダビデに『おまえに代って、おまえの位に、わたしがつかせるおまえの子、その人が我が名のために宮を建てるであろう』と言われたように、わが神、主の名のために宮を建てようと思います。それゆえ、あなたは命令を下して、レバノンの香柏をわたしのために切り出させてください。・・
・・「わたしはあなたが申しおくられたことを聞きました。香柏の材木と、いとすぎの材木については、すべてお望みのようにいたします。わたしのしもべどもにそれをレバノンから海に運びおろさせましょう。わたしはそれをいかだに組んで、海路、あなたの指示される場所まで送り、そこでそれをくずしましょう。」(列王記上5:2~9)
ヒラムはツロの王で、ソロモンの父王であるダビデを常に愛した・・と記されている。
レバノン杉というのは、古代には中近東に広く生息しており、ツタンカーメンの棺などにも使われたコトで知られている。
現在も多くの木工細工に使われているが、加工に適した材木ゆえ乱伐され、ソロモン王の時代にはレバノンの山地でしか取るコトが出来ず、標高1200mの山から切り出し、山を下ろしてツロの海岸から筏にしてイスラエルの港まで運んでいたという。
現在、エルサレムには第二神殿と呼ばれる神殿跡がある。
それは完全に石造りの建物跡であるが、今から3000年前に建てられたソロモンの第一神殿は木製であったと考えられているそうだ。
しかし、似たような記述が聖書にあるという理由だけで、それがユダヤ人に由来するものだとは言い切れない。
山から切り出した木を山から下ろし、海路を筏に組んで運ぶとゆーのは、当たり前といえば、あまりにも当たり前・・。
実際、御柱祭の起源については30あまりもの諸説があるという。
ちなみに、この柱がイミするものとして、古代イスラエルの”アシラ”信仰に由来するのではないかとの指摘がある。
牧師の久保有政は著書、『日本の中のユダヤ文化』の中で、このアシラ信仰とはアッシリアから来た女神アシラを崇拝する異教で、この異教崇拝が北イスラエル滅亡の原因になったという。
そのアシラ信仰のシンボルが聖木であったという。
柱=アシラ・・とゆーコトである。
(カテゴリー/歴史・民俗:「相撲の由来」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/16a027504a4872994e211008eefc9c92)
諏訪大社の神長官は、この御柱は”ミサグチ”の拠り代であるという。
「ミサグチ」=「ミサクチ」は、ヘブライ語で「ミ・イツハク」と読むコトが出来、それは「イサクから」、「イサクに由来する」というイミがあるのだそうだ。
そして、この諏訪大社には、そのものズバリ!”ミサクチの祭り”と呼ばれる祭りがある。
「イサクに由来する祭り」・・とゆーイミになるこの祭り、御頭祭(おんとうさい)というのだが、つづきはまた・・。
(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:「御頭祭=イサク献祭?」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/6eb52fc94272d990f0d0fc18db3130ee)