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あんぱんの日

2010年04月04日 | 歴史・民俗

4月4日はあんぱんの日だそうだ。

明治8(1875)年4月4日、 東京・向島の水戸藩下屋敷でお花見に訪れた明治天皇木村屋酒種あんぱんが献上されたコトに由来するという。

献上されたあんぱんは、奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の塩漬けを真中に埋め込んだ「桜あんぱん」で、ご試食された天皇・皇后のお気に入りとなり、木村屋はその後、宮中御用商に加わった。

 

木村屋の創業者、木村安兵衛は、もともと徳川幕府に仕える武士であり、山岡鉄舟とは旧知の間柄であったそうだ。

明治維新により、武士を廃業した安兵衛は、当時、東京府職業授産所長を勤めていた木村家本家の重義を頼って江戸に出る。

 

授産所とは、今でいう職業訓練所。

明治維新で職を失った者の手に職を付けさせる職業訓練をするトコロであり、そこで安兵衛はパンを知り、重義のすすめもあって、パン職人の道を歩むコトになったそうだ。

 

天皇に献上される前に、既に安兵衛は日本にパン文化を広めるために、和菓子との融合を図ったパンとして、あんぱんを作っていたが、知名度も低く、売れ行きもイマイチだったという。

そこへ、当時天皇の侍従をしていた山岡鉄舟に、これまでは京都の和菓子をお出しすることが多かったが、純日本製のパンをお出ししたらどうか?・・ともちかけられ、それまでのあんぱんに工夫をこらし、開発したのが、この「桜あんぱん」。

その献上を水戸藩に勧めたのも山岡鉄舟であったという。


その裏には維新によって明治新政府が誕生し、形だけは近代化を成したとしても、このままでは日本が西洋列強に呑み込まれてしまうとの憂いから「文明開化」「富国強兵」「脱亜入欧」を掲げ、西洋列強と肩を並べるために、まず、天皇ご自身にその模範を示してもらおう・・との考えがあったようだ。

そして、天皇にあんぱんを献上した際の説明が「見かけは西洋の文化でも、中味は日本古来の魂を大切に・・」という、まさに「和魂洋才」をもって国民に範を示して欲しい・・という願いであったというから、あんぱん、侮りがたし・・。

 

天皇のお墨付きを得たコトで、あんぱんは世に広く知られるようになり、広まったという。

 

もともと牛肉が1200年にわたる肉食の禁を破って宮中に取り入れられたのも、明治天皇が1872(明治5)年1月24日に試食したのにはじまり、天皇の下に公認されたコトで、それまで卑しいものとされてきた国民の肉食への偏見も改まり、広がったのだそうだ。

そういえば、神式の結婚式も、クリスチャンが教会で結婚式を挙げるのに倣い、皇室が神社で結婚式を執り行って以来、全国に広がったのだという。

 

今も皇室の動向がいちいちマスコミで取り上げられるが、ロイヤル・ファミリーの影響力は、「象徴」となった現代の天皇制においても、絶大なものがあるようだ・・。

その経済効果もバカにならない。

 

なんにしろ、サムライが作ったあんぱんが天皇によって広まり、そこに「和魂洋才」の魂が籠もっている・・ちゅーと、なかなか感慨深いものが・・。

 

あんこが好きな自分は、当然、あんぱんも好きでよく食べるが、こーゆー歴史を知ってみると、妙に神妙な気分になって、ただ、あんぱんを食べる時でも襟を正しちゃったりなんかしてね・・。