先日、TVのニュースでも流れていて、見た人も多いと思うのだが、信州は長野県諏訪市にある諏訪大社で、7年に1度という御柱祭(おんばしらさい)が行われた。
諏訪大社最大のこの祭りは、正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅年と申年に行なわれる式年祭である。
それゆえ、正確には満6年間隔で行われるのだが、慣例として、数え年の7年目ごと・・という意味で「7年に一度」と言われているそうだ。
”日本三大奇祭”の1つで、山中から御柱として、もみの大木を上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮の各4本、計16本を切り出し、各地区の氏子が分担して各宮まで曳いて行き、社殿の四方に建てて神木とするもの。
「山出し」、「穴山の大曲」、「木落とし」、「川越し」、「里曳き」、「建御柱」・・といった過程があるが、中でも「木落し」というクライマックスでは、山の上まで曳きあげた大木に氏子がまたがり、一気に坂を滑り落ちる!・・という勇壮なもので、よくニュースの映像で流れるのもこのシーン。
しかし、見てわかる通り、危険極まりないもので、毎回、死傷者が出るほど。
奇祭と言われる所以であろう。
その熱気は凄まじく、今年は3日間で曳き子4万6000人、観客49万人と、過去最多の53万6000人(!)の人出があったという。
その起源は古く、平安時代以前とされる。
諏訪大社は五穀豊穣、狩猟・農耕の神として古くから信仰されており、それらを祈願するものであったと推測されるそうだ。
『日本書紀』の記述では、出雲の大国主命が高天原から降ったニニギノ尊に”国譲り”を承諾したとき、ただ一人反対した建御名方命(たけみなかたのみこと)は武神・タケミカヅチに追われるコトになるが、結局、諏訪湖畔まで逃げてきて降伏した。
その際、この地から出ないことを誓って許されるのだが、その時、結界として神社の四隅を仕切った・・という話が残っているそうだ。
これは地鎮祭の神話的表現とも考えられおり、実際には記紀神話以前からの諏訪地方の信仰との関係が深いといわれている。
諏訪大社の神長官、守矢氏の伝えるトコロによると、この御柱は”ミサグチ”(ミシャグチ)の依り代であるという。
さて、この「ミサグチ」とは一体・・。
つづきはまた・・。
(カテゴリー/都市伝説・ミステリー:「ミサグチとは・・?」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/48d9ea143a5cf63d463899128adf8fc8)
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