相撲は日本の国技。
しかし、現在のような相撲興行の形は江戸時代初期からだという。
もともとは五穀豊穣や天下泰平・国家安泰を祈念して奉納する神事であった。
『日本書記』に書かれている、第11代・垂仁天皇の前で野見宿禰が相撲をとったのがはじまりといわれる。
ところで先日、これもテレビでやっていたのだが、それによると、相撲は古代イスラエルの神事であるという。
日本語で書く「相撲」(すもう)とは当て字であるが、聖書の中に「スモウ(シュモー)」というヘブライ語が出てくる。
これが”Name of him”というイミで、その”彼の名”とは、イスラエルの祖であるヤコブを指す言葉だという。
ヤコブが天使と相撲をとったという話が聖書にはあり、その時ヤコブは”イスラエル”の名を授かった。(創世記32:22~28)
さらに相撲の立会いでおなじみの「ハッケヨイ」の掛け声であるが、日本語では意味を成さない単なる掛け声としか思われないのだが、ヘブライ語では「ハッケ・ヨーイ」は「ハッケ」が「投げろ」、「ヨーイ」が「やっつけろ」という立会いにぴったりの意味をもつ言葉だという。
また土俵入りする力士が塩をまくが、塩で清めるというのはユダヤ教にもあり、円は神とつながる神聖な場所で、ロープで神聖な場所とそうでない場所を区切るのだという。
これはそのまま神聖な土俵をイメージさせる。
ちなみに相撲で”てっぽう”という柱を相手にする稽古があるが、イスラエルでは柱=アシラという神をあらわしているという。
諏訪大社に御柱祭という奇祭があり、その際使われる巨大な柱はやはり、神を象徴するという。(カテゴリー/歴史・民俗:「御柱祭」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/2ff44e4baa1724ec0bdfecd52baaff04)
そういった話は枚挙に暇がない。
いわゆる、「日・ユ同祖論」である。
イスラエルの失われた10部族の生き残りが長い歴史の中、はるかシルクロードを旅して日本にたどり着き、何らかの痕跡をこの国に残したというのは間違いなさそうである。
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