Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

亀田興毅、日本人初の3階級制覇達成!

2010年12月27日 | 格闘技・武道

昨日、亀田興毅WBAバンタム級世界王座決定戦を制して、日本人初の3階級制覇を成し遂げた!

日本人では過去にファイティング原田井岡弘樹が3階級制覇に挑んでいるが、いずれも失敗に終わっていた。

 

興毅は、これまでにライトフライ級フライ級での王座を獲得しており、スーパーフライ級をとばしての3階級制覇になる。

対戦相手は、過去、日本人とは7戦全勝、負けなしの日本人キラー、アレクサンデル・ムニョス

同級5位でWBAスーパーフライ級元王者とはいえ、今年初めに1度は引退し、10月に再起したばかりの31歳は、かつての勢いはなかった。

 

興毅はがっちりガードを堅め、ヒット・アンド・アウェーで要所、要所で的確なパンチを叩き込む。

最終12ラウンドにはダウンを奪い、3-0の判定勝ち。

もう少し畳み掛けるのが早ければ、KOも出来たのでは?・・と思えただけに、詰めの甘さは否めなかったが、見事、日本人初の3階級制覇を成し遂げた。

 

同じ日に行われた弟、大毅WBA世界フライ級タイトルマッチで防衛に成功し、兄弟が同時に世界チャンピオンになったコトも日本ボクシング界初! 

2人の前座を戦った三男、和毅もKO勝利で、デビュー以来の連勝を17に伸ばした。

 

それにしても、日本人初の3階級制覇という偉業を成し遂げたにもかかわらず、こないだの長谷川の2階級制覇よりインパクトがない・・とゆーか、感動が薄いのは、やっぱ試合内容のせいなんかなぁ・・。

 


第3の気持ち

2010年12月22日 | 格闘技・武道

長谷川穂積は、先日、日本人初の1階級とばしての2階級制覇を成し遂げたWBC世界フェザー級チャンピオン

(カテゴリー/格闘技:「長谷川穂積、2階級制覇!」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/da8cfe19cd65f81a5874e999a9480585

以前いたバンタム級では、国内歴代2位の10連続防衛を成し遂げ”絶対王者”と呼ばれた日本ボクシング界のエースである。

 

持ち味はスピードで、「打たせずに打つ」ボクシングがモットー。

ズバ抜けた反射神経と、高速回転の連打は、1秒間に10発(!)のパンチを繰り出すほど!

そのテクニックは世界でも定評がある。

 

その長谷川が、「第3の気持ち」と呼ぶものがある。

 

「第1の気持ち」とは、相手に向き合った時の気持ち。

 
「第2の気持ち」とは、ピンチになった時の気持ち。
 
 
「第3の気持ち」とは、さらなる極限のピンチ、絶体絶命になった時、無心の状態から湧き起こる気持ちだという。
 
普段は眠っている”心の奥底の強さ”・・といったトコロだろうか。
 
 
 
スピ-ドやテクニックは言うまでもないが、そうした気持ちの強さが、長谷川を強い王者たらしめている。
 
 
 
―しかし、そんな長谷川も、最初から精神的に強かったワケではない。
 
 
元プロボクサーだった父からボクシングの手ほどきを受けはじめた7才の頃、いかに練習をサボるか、逃げ出すかを考えてばかりの子どもだったという。
 
プロテストは、体力がなくて、1度落ちている。
 
デビュー当時は、5戦して3勝2敗・・特に目立った選手ではなかった
 
 
練習不足で体力がない上、気持ちが弱い。
 
相手が強いから、勝たれへんやろな・・と、負けると思って試合をしていた。
 
 
プロ2年目でトレーナーが変わったのが、長谷川にとっての転機となった。
 
当時39歳で、元刑事の山下正人さんは、ボクシング経験ゼロの駆け出しトレーナーだったが、人一倍、勉強熱心で、優しく大きな人間性、熱心な指導に引き込まれ、長谷川のボクシングに対する姿勢も変わっていった。
 
どんなに疲れていても、朝のロードワ-クを欠かさなくなり、持ち前のスピードに、技術とスタミナが加わるコトで、見る見るランキングも上がっていった。
 
 
そして3年後、辰吉を破ったウィラポンに判定勝ち、以来5年間、無敗のまま、王座に君臨し続けてきた。
 
 
―そんな長谷川が、本物の”強さ”とは何か?・・という質問に対し、”強さ”=”優しさ”とは思うんでね・・と答えていたのが印象深かった。
 
 
絶体絶命のピンチに陥った時、発揮される「第3の気持ち」の強さは、心の優しさ、大きさに比例するのかもしれない・・。
 
 
 
「強い”優しさ”をもってる、思いやれる気持ちが強い奴が、強い奴じゃないですかね・・」   by 長谷川穂積
 
 
 
 

K-1 WORLD GP 2010 FINAL

2010年12月13日 | 格闘技・武道

先日行われたK-1 WORLD GP 2010 FINALを制し、優勝したのは”史上最強の外敵”MMA出身のアリスター・オーフレイム 

”マッスル・モンスター”らしいラッシュでピーター・アーツを秒殺し、K-1参戦2年目にして栄冠を手にした。

 

 

しかし、間違いなく、ベスト・バウトはピーター・アーツがセーム・シュルトを破った準決勝であろう。

 

順当にいけば、アリスターと5度目の優勝を狙うシュルトの決勝戦・・というのが大方の予想であったろうが、40歳(!)のアーツが見せてくれた!

 

2年前、K-1史上初の3連覇を成し遂げたシュルトに「奴がチャンピオンだとK-1が盛り上がらない」・・と、立ちはだかったのが、やはり、アーツだった。

2mを超す恵まれた体躯にもかかわらず、カウンター狙いのシュルトの戦法は、「勝ちに行く」というより「負けない」ための戦い方。

地味ではあるが、確実―とはいえ、プロ向きの派手な試合とは言い難く、正直、盛り上がりに欠ける。

 

アーツは見事、これを撃破し、シュルトの4連覇を阻んだ。

 

 

開始直後からガンガン前に出て攻めるアーツ。

とにかく真っ向勝負で、懐に飛び込んで、顔面に渾身のパンチを叩き込む・・という”どストレート”な作戦だ。

 

シュルトも珍しく自分から前に出て、これを迎え撃つ。

シュルトにすれば、アーツは4連覇を阻まれた因縁の相手である。

普段は感情を表に出すコトのないシュルトだが、アーツのコトを語る時は、必ずリベンジする!・・と、感情をむき出しにするほどだという。

1ラウンドから激しくぶつかり合う両者。 

 

この長身から繰り出す前蹴りでアーツを突き放す。

 

それでも、かまわず前へ出るアーツ!

 

臆するコトなく踏み込み、顔面を狙う。

絶対にこいつだけは倒す!・・というアーツの気迫が伝わってくるかのような攻撃が続く。

 

2ラウンドには目の上をカットするも、その気合いは衰えるドコロか、ますます激しさを増す。

シュルトも徐々にアーツの気迫に押され、クリンチに逃げる場面が多くなり、ついには警告をとられる。

3ラウンドにはローキックのダメージが蓄積した脚が動かず、下がって防戦一方に。

 

この身長差では確実に不利な打ち合いだが、まったく臆するコトなく、自分よりでかい敵の懐に、果敢に、何度も飛び込むのだ。

 

そして顔面を殴る!

 

殴る!!

 

迷うコトなく殴るっ!!!

これぞ、”ミスターK-1”!!

 

解説の魔娑斗が、

「いやー、それにしても、ピーター・アーツって、スゴイ人ですね・・」

・・と、もらした言葉が印象深かった。

 

試合終了後の両者の対照的な姿が勝負を物語っていた。

アーツは大きく両手を挙げてガッツポーズ!

 

それに応える観客席のファン。

アーツの熱い闘志が、観客の心にも火を点けた。

間違いなく、今大会、もっとも会場がヒートアップした瞬間だった。

 

文句なし、2-0の判定で決勝進出を決めたピーター・アーツ。 

入場の花道を行くアーツの胸に去来した思いは何だったのか・・?

 

もし、優勝すれば、4度目の王者!

98年以来、12年ぶりの王座奪還となるはずだったが、既に決勝進出を決めた時点でアーツは満身創痍、決勝のリングに立つのがやっとの状態だった。 

残念ながら、4度目の戴冠とはならなかったが、夢を見せてくれた! 

 

自分も来年40になるが、同世代のアーツが、ここまでやれる!・・という素晴らしいファイトを見せてくれたコトで、非常に勇気をもらった試合だった。

 

自分もこの試合で心に刻まれた”「不惑」の魂”を忘れるコトなく、新しい年を迎えたいものだ・・。

 

 

 


長谷川穂積、2階級制覇!

2010年11月27日 | 格闘技・武道

昨日、長谷川穂積は2階級上げて、25戦無敗で同級1位のファン・カルロス・ブルゴスWBC世界フェザー級タイトルマッチを戦い、見事、3-0の判定勝ちで、2階級制覇に成功した。

1階級飛び越しての2階級制覇は日本人初!

 

4月にフェルナンド・モンティエルに敗れて王座陥落した長谷川だが、再戦の希望も叶わず、リベンジ出来ないなら、減量苦をおしてバンタム級(-53.52kg)にとどまる理由がなくなり、フェザー級(-57.15kg)に戦場を移した。

(カテゴリー/格闘技:「長谷川穂積、王座陥落!」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/434d841ff9f640d6e8c5a454f63a3a11

バンタム級では毎試合、11kgの減量をして試合に臨んでいたという長谷川は、1階級違うだけで格段のパンチ力の差があるといわれる中、跳び級で王者となり、その実力を証明した。

 

リーチで劣る長谷川は、ベタ足のまま1歩もひかず、ショートレンジの打ち合いで挑む。

スピードと、高速回転の連打で戦う今までのスタイルとは違い、絶対に倒す!という気迫に満ちている。

―しかし!

 

7ラウンドにブルゴスのアッパーが長谷川の顔面をとらえる!

 

一瞬、ぐらつき、ヒヤッとさせたが、何とかダウンは免れ、猛然と襲いかかるブルゴスと果敢に打ち合う。

 

今回は、とにかく、足をとめて打ち合う長谷川!

 

ショートレンジで危険なパンチが交錯する。

8ラウンドで偶然のバッティングにより右目の上をカット。

そこからは足を使い、本来のスタイルに戻ったかに見えた。

解説も「今ので力みがとれましたね」と言っていたが、試合後のインタビューで、長谷川は「途中、右目が切れて、自分のボクシングが出来なくなった・・」と答えていたように、とにかく最後の最後までKOする!・・という戦い方にこだわった。

 

ポイントでは完全に上回っていたにもかかわらず、ポイント・アウトする気などさらさらなく、危険な距離で打ち合いに行くのだ。

 

ブルゴスも長谷川の的確なパンチで右目が腫れ、2人とも満身創痍!

おそらく、以前の階級なら、間違いなく倒れているだろう、いいパンチが何発も入ってるが、ブルゴスも意地を見せる。

 

頭上を・・

 

目の前を、互いの危険なパンチが飛び交う。

 

最終ラウンドで見せた長谷川のこの表情。

気迫と、「絶対に勝つ!」という強い気持ちで戦い抜いた!

 

試合後、同じ日に行われたWBCスーパー・フェザー級タチトルマッチで、王者ビタリ・タイベルトからダウンを奪い、同じく3-0の判定勝ちをおさめた弟分の粟生隆寛と抱き合った後、リングサイドに駆け寄り、ガッツポーズ。

試合前、「俺の勝手なお願いやけど、2人でチャンピオンになって、おかんに報告させてくれ」と粟生にメールしていたという。

 

長谷川が駆け寄った先には、先月、亡くなった母の遺影を掲げた家族が。

まさしく、母に捧げた勝利だった。 

 

10月24日にガンを患っていた母が他界、タイトルマッチ前の大事な時期であったが、5日間の休暇をとった。

正直、今も気持ちはひきずっているが、1ヶ月、練習する時間をくれた・・。

 

その母を安心させるためにも、必ずKOで勝つ!

―そんな魂の叫びが聞こえてくるかのような、気迫の試合だった。

 

恐妻家で知られる長谷川だが、リングサイドの妻も、夫の勝利に思わず涙ぐむシーンも・・。

 

10連続防衛、2階級制覇のチャンピオンといえど、やはり、おかんと奥さんには勝てないのだ・・。

 


K-1 WORLD MAX 2010 世界一決定トーナメント

2010年11月09日 | 格闘技・武道

昨日、K-1 WORLD MAX 2010 世界一決定トーナメントがやっていた。

世界一決定トーナメント、決勝ラウンド・・呼び方はいろいろあれど、MAX―すなわち、ミドル級の王者を決定するトーナメントで、ヘビー級の王者を決定するK-1 グランプリが12月のあたまにあり、その前のこの時期、MAXの決勝ラウンドが行われる。

決勝ラウンドに残ったベスト8のメンバーのうち、1日に3試合を勝ち抜いた者が王者になるという過酷な1dayトーナメント!

 

マイク・ザンビディスは、日本代表決定トーナメントを制した長島”自演乙”雄一郎をKOで降し、初代王者、アルバート・クラウスを降した昨年王者のジョルジオ・ペトロシアンと準決勝で対戦。

 

その”鉄の拳”で、66戦してダウン経験のないペトロシアンを、かつてないほど追い詰めるも、惜しくも判定負け。

 

モハメド・カマルを降したドラゴと、ミハル・グロガフスキーを降した佐藤嘉洋が準決勝で対戦。

佐藤が気迫のヒザ蹴りの連打で序盤からドラゴを猛攻、判定で降し、ペトロシアンとの決勝戦が決まった。

 

 

共に2試合とも判定勝ち、フルで6ラウンドを戦ってきたため、かなり消耗も激しいが、ポーカーフェイスのペトロシアンに比べ、やや佐藤のダメージの方が大きいように見える。

脚に蓄積したダメージのせいか、得意のローキックもなかなか出ない。

 

ボクシング技術は明らかにペトロシアンが上!

ポイントで勝るも、逃げ切るつもりなど一切なしで倒しに来る。

 

「下がっちゃダメだ!」「ここでやんなきゃ、絶対後悔する!」・・と、解説の谷川EP魔娑斗の声が飛び、観客席ではラスト30秒、”佐藤”コールの大合唱であったが、残念ながらその声は届かなかった。

 

3ラウンド終了のゴングと同時にがっくりとうなだれ、リングにヒザを着く佐藤の姿が印象に残った。

「今年勝てなければ、もう勝てない」との決意で、今年、生まれた息子に世界王者になるコトを誓って臨んだトーナメントだったが、その夢が潰えた瞬間だった。

 

「あともう少し」、「あと一歩」―しかし、そのもう少し、その一歩が出ないほど、苦しい時が、人生においてもある。

それでも、その一歩を、気力をふりしぼって踏み出せた者だけが、勝利をつかむコトが出来るのだろう。

 

 

ペトロシアンの勝利でMAX初の連覇となる、世界王者の誕生となった。

 

ペトロシアンは非常に完成度の高いサウスポーで、佐藤も「天才」と評し、魔娑斗にも「やりたくない」と言わしめたほどの男。

スピードやパワーももちろんだが、目(動態視力)が良く、テクニックがズバ抜けており、距離の使い方がバツグンにうまい。

 

今回のトーナメントで戦ったクラウスとザンビディスは、その距離を殺すため、ガードを固めて接近戦に持ち込んだ。

テクニックで敵わないなら、インファイトでガチャガチャにするという作戦だ。

ザンビディス戦で見たように、サウスポーのペトロシアンの左ストレートに、左フックを合わせる戦法は有効な攻略法といえよう。

 

しかし、ペトロシアンほどの選手なら、その攻略法に対する対策も講じてくるだろう。

 

その王座がいつまで続くのか?

ペトロシアンを脅かす選手は出てくるのか? 

今後のMAXも目が離せない。


K-1 WORLD GP 2010 FINAL16

2010年10月04日 | 格闘技・武道

先日、K-1 WORLD GP 2010 FINAL16が、おとなり韓国ソウルで行われた。

韓国の格闘技熱も相当なもののようだ。

 

毎年、12月に東京で行われる決勝ラウンド進出を決めた8人のメンバーは、エロール・ジマーマンをKOで下したダニエル・ギタ

同じく、フレディ・ケマイヨをKOで下したグーカン・サキ

極真世界王者エヴェルトン・テイシェイラを延長の末、判定で下したK-1ファイナリストの常連、現在40歳のピーター・アーツ

ラウル・カティナスとの新旧豪腕対決を制したマイティ・モー

そして、タイロン・スポーンと昨年の王者、セーム・シュルト

セーム・シュルトに挑んだヘスディ・カラケスは、ピーター・アーツをはじめ、数多くの選手を育てたドージョー・チャクリキの名伯楽、トム・ハーリック会長、私が育てたヘビー級選手の中で最高の選手になる・・と太鼓判を押した選手。

2mの長身だが、デカいだけじゃなく、ムエタイの技術も確かで、バダ・ハリも倒した男!

惜しくも判定で敗れたが、判定結果に会場からブーイングがおこるほどの接戦で、絶対王者を追い詰めた。

 

個人的にはイチ押しのMMA出身、アリスター・オーフレイムは、ベン・エドワーズから1ラウンドに3度のダウンを奪う、余裕のTKO勝利。

 

K-1参戦で打撃の技術にも磨きをかけ、この試合でもカウンターを決めていた。

しかし、この筋肉はスゴイ・・。

300kgの鉄骨をも持ち上げる脅威の背筋力は、まさしく、マッスル・モンスター・・。

背中でオーガが笑ってる・・。(笑)

 

こんな奴にパンチ喰らった日にゃあ・・。

 

ファイナルでもぜひ、”サイクロン”を巻き起こして欲しいトコロ。

 

さて、今回、注目の選手は京太郎

K-1ヘビー級チャンピオンとしてメルヴィン・マヌーフ、ピーター・アーツといった強豪を倒してきた京太郎の今回の相手は”無冠の帝王”ジェロム・レ・バンナ

武蔵も引退した今、日本のヘビー級を背負って立つ男だ。

 

プレッシャーをかけつつ、カウンターを警戒するバンナに、ただ待つだけではなく、真っ向から殴り合い、圧倒する場面も。 

3ラウンド、激しい打ち合いの結果、判定はドロー。

 

この結果が不服だったのか、これ以上戦えないとの判断か、延長戦を戦わずに会場を後にするバンナ。

これもK-1では珍しいシーンだ。

 

よって、バンナの試合放棄によるTKO勝ちで、京太郎が決勝ラウンド進出を決めた。

少々スッキリしない最後ではあったが、バンナと堂々と渡り合い、試合に勝ったのは事実!

 

決勝ラウンド、京太郎がどこまで行けるか、活躍に期待したい。

 

 


DREAM16

2010年09月27日 | 格闘技・武道

先日、DREAM16がやっていた。

対戦カードは、結構、充実していたはずだが、なんともスッキリしない試合が多く、この辺がPRIDEと比べて地味に感じる部分なのだろう。

視聴率もとれないからか、TV放送も少ない・・。

 

ライト級”クラッシャー”の異名をもつ川尻達也を破った自他ともに認めるDREAMのエース、青木真也マーカス・アウレリオを終始圧倒するも、決めきれず、判定勝ち。

41歳で現役続行中の桜庭和志は、いいトコロなくジェイソン”メイヘム”ミラーの肩固めで秒殺・・。

 

ワンパンチでチェイス・ビービをKOし、フェザー級タイトルマッチ進出を決めた”伝説の喧嘩師高谷裕之試合はよかった。

ケンカに明け暮れ、父親から「おまえはゴミみたいな奴だ」と言われたコトもある元ヤンキーが、タイトルマッチには会場に来る・・という父の約束と、新しく生まれた命をモチベーションにして、もぎとった価値ある1勝だった。

 

去年の大晦日以来、9ヶ月ぶりに日本のリングで戦った石井慧は、ミノワマンを判定で下すも、打撃に課題が残るとK-1出場を希望、ピーター・アーツとの対戦を要求した。

実現すれば、これも面白いカードだ。

 

さて、メインのライトヘビー級タイトルマッチを制し、見事2階級制覇を成し遂げたゲガール・ムサシは、かつてK-1で戦ったコトもある、立ってよし、寝てよしのトップ・ファイターで、最も”世界最強”に近いといわれる男の1人

惜しくも(?)負けてしまった対戦相手の水野竜也は、脱サラしてプロ格闘家に転向したという変り種の脱サラ・ファイターだ。

しかし、7月のDREAM15では、今回のタイトルマッチの挑戦権をかけ、メルヴィン・マヌーフと対戦、1Rにアームロックを決めて勝ち上がってきた実力の持ち主である。

 

かつて水野は、会社を辞めた2ヶ月後に、当時、ヒョードルと並び、最強の呼び声高かったトップ・ファイターのミルコ・クロコップとの対戦に自ら名乗りをあげ、ボコボコにされたとゆー戦歴をもつ。

 

その時、ボコボコにされる旦那を見ていた水野の奥さんは、

「人って、こうやって殺されるんだなぁ・・

・・と思ったという。

 

 

「明日死んじゃうかもしれないし、体が動かなくなっちゃうかもしれないけど、絶対私が最後まで面倒みるし、一緒に生きる!

 

プロ格闘家に転向した時から、たとえ、夫が死んだとしても、後悔のないように生きる―それが私にとっての覚悟・・そう言い切る妻に支えられ、二人三脚でこの試合に臨んだ。 

 

しかし、世界のカベは厚く、あえなく玉砕・・。

 

スポットライトを浴び、リングの上で一瞬、輝く格闘家。

勝者は敗者の、その一瞬の輝きさえ奪ってしまう・・。

しかし、当り前のコトではあるが、勝者にも敗者にも、その1人1人に人生があり、愛する家族があり、ドラマがある。

 

―とはいえ、プロたる者、お金をもらって試合をしている選手である以上、試合の勝敗が、その人生の明暗を分けるのは、まぎれもない事実・・。

 

見る者は、シビアに「しょっぱい試合」・・などと無責任に言うが、しかし、それがプロってもんなんだよなぁ・・。

 

うーん・・それにしても、正直、フラストレーションたまる試合が多かった・・。

 

 

 

 


千代の富士超えた!白鵬54連勝!

2010年09月18日 | 格闘技・武道

昨日、秋場所6日目にして昭和の大横綱、千代の富士がもつ53連勝にあっさり並んだ横綱・白鵬は、今日、稀勢の里を破り、54連勝!

ついに千代の富士を抜いて、歴代2位の連勝記録を達成した。

実に22年ぶりの快挙である。

 

22年前に、千代の富士が53連勝を達成した時には、北勝海大乃国の2横綱に加え、伸び盛りの大関・旭富士と、強敵揃いで土俵が充実していた。

記録としては、千代の富士を超えたが、ウルフ・フィーバーと呼ばれた当時の盛り上がりや内容とは、残念ながら比べるべくもない・・とゆーのが正直なトコロ。

 

なにしろ、当時のその人気ぶりは、「キン肉マン」に千代の富士をモデルにしたウルフマンなる超人が登場するほど!

(アニメではリキシマンに名前が変わっていたが・・。

 

しかし、野球賭博問題などの不祥事で揺れる中、一人横綱として、角界を引っ張る責任を背負っているそのプレッシャーは、凄まじいものがあるだろう。

その中で、この連勝記録を達成した白鵬は、精神的にも強いコトは間違いない。

 

おまけに白鵬に唯一対抗できそうな横綱・朝青龍もいない今、周りにちょっと敵いそうな力士もいないのが現状・・。

 

次は双葉山がもつ歴代1位の69連勝!

 

今や敵なしの白鵬、気力・体力、ともに万全なら、その大記録超えも夢ではなさそうだ。


柔の道

2010年09月11日 | 格闘技・武道

先日、52年ぶりに東京で世界柔道大会が開催された。

国際化・競技化し、著しくスポーツ化する”JUDO”は、勝敗にこだわるあまり、柔道の創始者、嘉納治五郎が当初、考えていた柔道の精神とは、大きくかけ離れてしまっていた。

そんな中、柔道発祥の地、日本で開催された今大会のテーマは「原点」回帰。

 

嘉納は明治14(1881)年、それまでに学んだ天神真楊流起倒流などの柔術からの技を取捨選択、洗練し、崩しの理論などを確立して「柔道」を創始、翌年、講道館を設立した。

 

もともと体が小さく、非力だった嘉納は、いわば”いじめられっ子”で、文明開化の時代、既に時代おくれと省みられなくなっていた柔術を習うコトを、親から反対されたという。

しかし、技を覚え、体を鍛えるコトで、自信がついたからか、不思議と心が落ち着き、ハラが据わっていくのを感じていた嘉納は、柔道の精神として、「精力善用」「自他共栄」を唱え、その真髄を心身の鍛錬による人間形成とした。

 

すなわち、柔道の精神修養の面に重きをおいたワケである。

 

それゆえ、日本のオリンピック初参加に尽力した嘉納は、当初、意外にも、柔道がオリンピック種目として取り入れられるコトに反対したという。

柔道がオリンピック競技になるコトによって、人間形成の面がなおざりにされ、勝敗だけに重きをおいた、単なるスポーツと化すコトを危惧したからである。

 

昭和に入り、日本が軍国主義に走る中、武道が学校教育に取り入れられた際も、柔道が国策に利用されるコトをよしとせず、「極端な軍国主義は日本を世界から孤立させてしまう」「我々が説くところは右にも左にも片寄らない中正道である」と、バランス感覚に優れた知性人・国際人らしい発言をしている。

 

戦後、GHQは、武道教育が軍国主義を助長するものとして、大日本武徳会を解散させた際も、講道館はこれに当たらず・・と存続を認めたコトからも、嘉納の指導方針が国際的にも認められるものであったコトを証明している。

 

しかし、戦後の軍国主義に対する反動ゆえ、柔道も精神修養とは切り離された、単なるスポーツとして扱われていく運命を辿るコトになる。

 

以前、武道論の話で、武道に欠かせない要素である「用」「道」「美」 について書いた。

(カテゴリー/格闘技:「武道論」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f68ac47ac2072b62991822050b63bb6e

 

「用」は実用性、実戦における有効性。

「道」は心身の鍛錬による人間形成。

「美」は技術体系の完成度。

 

「心」「技」「体」という言葉で当てはめれば、それぞれ「心」は「道」、「技」は「美」、「体」は「用」に相当するであろうか・・?

まあ、なんにせよ、嘉納が柔道の修練の目的の筆頭に掲げてきた精神修養、人間形成といった「道」、「心」にあたる部分が、もっとも疎かにされて来た・・とゆーワケである。

 

近年、オリンピックや国際大会の柔道の試合を見るにつけ、感じさせられるのは、「勝ちさえすればいい」・・とゆー傾向が顕著であるコト。

一応、自分も柔道をかじったコトがあるので、余計にそうした傾向を感じる。

 

奇しくも、嘉納が危惧したごとくになってしまったワケである。 

 

今回、一部ルールの改正もあり、日本勢は男子100キロ級穴井隆将の優勝をはじめとして善戦、活躍した。

今大会で、日本が柔道の国際試合で獲得した金メダルの数は、通算100個を越えたそうだ。

 

柔道を世界に広める過程において、精神論はさておき、勝敗が目に見えて分かりやすい競技化・スポーツ化を促進したコトが、その普及に大きく貢献したコトは否めないだろう。

しかし、世界の”JUDO”となった今、創始者が本来、柔の道に求めた精神修養、人間形成といった初心に戻るべき時なのかもしれない。

 

どんなに世界中に普及し、隆盛を誇っても、「心」を失った時、それは柔道に限らず、衰退の一途しかない。

 

「勝ちさえすればいい」のではなく、正々堂々戦う精神性―その「心」こそ、今、柔の道に求められているものだと思うのである。

 

 

 

 

 


最高のチーム

2010年08月28日 | 格闘技・武道

ボクサーは、一たんリングに上がれば、己が拳を頼りに1人、孤独に戦うしかない。

しかし、試合のインターバルでは、選手に付き添うセコンドが戦術や作戦を指示し、傷の手当てをし、選手が危険と判断した時には、タオルを投入して試合を終わらせる権限さえもつ。

それは、ボクサーが全幅の信頼を寄せる人間のみがセコンドに立てる・・というコトをイミする。

  

トレーナーダブ・ハントリーと、カットマン(止血係)のジェリー・ボイドは知る人ぞ知る、アメリカ、ボクシング界の名コンビ。 

ダブ・ハントリーは世界ランク9位までいった、世界タイトルも狙える有能なボクサーだったが、 網膜はく離で左目を失明し、引退。

トレーナーに転向し、世界チャンピオンを育てるコトが夢になった。

 

一方のジェリー・ボイドは1930年、カリフォルニアの労働者の家に生まれ、靴磨きをしながら演劇学校を卒業、舞台俳優を目指すが挫折。

今度はメキシコで闘牛士になろうとするが、これも挫折。

アメリカに戻り、アイスクリーム工場の工員や私立探偵など、職を転々とするが、どれも長続きせず、小説家になるという夢もあったが、何度編集社に持っていっても相手にされず、3度結婚して3度離婚するという、何も成し遂げられない孤独な中年・・。

 

KO負けし続けるボクサーさながらの人生を送るジェリーは、自らの人生をボクシングに重ね合わせ、こんな自問自答を繰り返していた。 

 

「なぜボクサーは、体も魂も、すべてを賭けて戦うコトが出来るのか?それもチャンピオンだけでなく、敗者さえも・・」

 

―それが分かれば、もう1度やり直せる気がする・・と、ボクシングを教えてくれるようダブに頼み込んだ。

 

アメリカのボクシング界では、ボクサーはジムに所属するのではなく、トレーナーと個人的に契約を結び、試合が組まれれば、ファイトマネーの10%をトレーナーがもらう・・というのが主な収入源で、日頃のトレーナー料はごくわずか。

ダブはその執念に根負けし、トレーナーにはならないが、ボクシングは教えてやる・・と、定職をもたないジェリーから一切トレーナー料を受け取らず、ボクシングを教えはじめた。

 

この時、ジェリーは49歳、ダブは36歳。

 

ジェリーは意外に筋がよく、熱心にダブが教えたボクシング技術を吸収していく。

一方、ジェリーは、まだ黒人差別が激しい時代、早朝から倉庫の積み下ろしのバイトをしてギリギリの生活をするダブの窮状を見かね、自分が働く白人相手の収入がいいナイト・クラブの仕事を紹介したりと、何の得にもならない、さえない中年の自分に無償でボクシングを教えてくれるダブに、何くれとなく世話をやいた。

こうして年の差13歳、白人と黒人の、年齢も人種も越えた2人の友情は育まれていった。

 

しかし、左目を失明しているダブは、セコンドとして的確な指示が与えられず、トレーナーとしての限界を感じていた。

ジェリーは「俺がお前の左目になってやる」・・と、あっさりボクシングをやめ、カットマンとしてダブをフォローし、ともにダブがトレーナーを務めるボクサーのセコンドにつくようになった

 

ダブが、自分のもつボクシングの知識をすべて叩き込んだジェリーの観察眼は確かで、2人は世界中を転戦し、抜群の戦績をあげた。

 

やがて、ダブとジェリーのコンビの名は全米のボクシング界に知れ渡り、有能なプロ選手からのオファーも殺到、2人が擁するボクサー、トニー・バードは1993年3月25日、見事、フランク・ニコトラを下し、世界タイトルを獲得した。

2人は最高のチームとしてその絆を深め、お互いになくてはならない存在となっていた。

いつしかダブの、アマチュアの選手を1から鍛えて世界チャンピオンにする・・という夢は、ジェリーの夢にもなっていたのだ。

 

既に出会いから21年の歳月が流れ、その間、ダブとジェリーのコンビは、実に7度のタイトルマッチ(!)を経験した。

 

ジェリーは70歳の白髪の老人、ダブももう57歳になっていた。

 

しかし、この2人の友情の物語にはつづきがある。

 

その話は、この次に・・。

(カテゴリー/映画・ドラマ:「ミリオンダラー・ベイビー」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/d95bf52478a076cbaf0e5b4487ff1262