Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

『剣の天地』

2010年08月18日 | 格闘技・武道

先日、『剣の天地』という池波正太郎の小説を読んだ。

本は結構読む方だが、小説は、もうずい分前に、司馬遼太郎の歴史小説を少々読んだくらいで、それ以来、かなり久しぶりのコト。

 

池波正太郎といえば、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』といったシリーズで有名な時代小説家。

『剣の天地』は、実際に実在した歴史上の人物、”剣聖”と呼ばれた上泉伊勢守の話だ。

 

きっかけは光文社新書『剣豪全史』という本を読んだコト。

なんだかものものしいタイトルだが、伝説やエピソードだけでバラバラに語られるコトの多い剣豪たちの、それぞれの時代背景をふまえ、歴史的・社会的に果たした役割を、現代の視点からとらえ直した通史的なもので、なかなか面白い本だった。

 

わかりやすく言えば、生涯、剣の道を極めんと修行に明け暮れた剣豪といえども、生身の人間。

食っていかなければ、剣を極めるドコロか、生きていくコトも出来ない・・。

宮本武蔵が天下無双を求めたのも、名を上げ、仕官のクチを探す就職活動でもあったワケだ。

 

その中でも気になったのが、武蔵が憧れた柳生石舟斎宗厳の若かりし日の師であった上泉伊勢守。

「バガボンド」にも石舟斎の回想に、穏やかな笑顔をたたえた初老の上泉伊勢守が「無刀取り」を極める、とても印象的なシーンが描かれている。

(カテゴリー/マンガ・アニメ:「バガボンド」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/30648e69d201492bf1d80d2aa8372fd0

 

以下、『剣豪全史』の引用であるが・・

 

「新陰流開祖の上泉伊勢守信綱は、上野国(群馬県)の戦国大名・長野氏の重臣だった。

 小なりといえども主持ちの身となれば、閑であるはずはない。それでいて、家臣としての務めを遺漏なく全うするのみならず、己が剣術の研鑽と指南にも尽力し、ついに自流派を創始したのだから、そのバイタリティーには畏敬の念を抱かずにいられない。ビジネスマンにひときわ人気が高いのも、仕事と両立して一芸を極めた点が魅力なのであろう。

 信綱の特徴はそれだけではない。すでに高い剣名を勝ち得ていたにもかかわらず、主家の長野氏が滅亡するまで労を惜しまず、忠義一徹に仕え続けたのである。」(cf.p51)

 

関東管領上杉憲政擁する長尾景虎(後の上杉謙信)から、上野国防衛の拠点であった箕輪城を預かる主君・長野業正の守護神的な存在であった上泉伊勢守は、関東全域を狙う武田信玄北条氏康の同盟の侵攻を阻止し続けていたが、業正の死に乗じて攻め込んで来た武田軍の猛攻に抗し切れず、討死を覚悟して最後の斬り込みを敢行するも、既にその剣名が轟いていた伊勢守の才能を惜しんだ信玄は使者を遣わし、長野家中の生き残った人々の助命を許可した。

一命をとりとめた長野家の旧臣200余名は武田家に召し抱えられるも、もとより隠居して剣の道を極め、その技を世に広め、後世に伝えんとしていた伊勢守は仕官を固辞した。

その剣才を惜しみ、何としても召し抱えたかった信玄であるが、決して他家に仕えないコトを誓わせ、自分の名から「信」の一字を与え、その出立を許したという。

 

上泉伊勢守は「秀綱」から名を「信綱」に改め、この時から剣聖・上泉伊勢守信綱が誕生した・・とゆーワケだ。

 

第2の人生を、自らの好きな道に没入できる絶好の境遇を得た見事なリタイア劇で、まさしく「芸は見を助ける」好例といえよう。

 

この生き方は、あるイミ、あこがれるなー・・と、その生き様や人となりをもっと知りたいと思い、『剣の天地』を読むに至った・・とゆーワケである。

 

伊勢守は師・愛洲移香斎「陰流」から名をとり、自らの剣の体系を「新陰流」と名づけた。

燕飛山陰月影松風などの秘伝と組太刀から成る新陰流の剣の体系は、現代の剣道の基盤ともなっているそうだ。

 

優秀な弟子も育成し、新陰流の正統を継いだ先述の柳生宗厳は「柳生新陰流」を創始、徳川将軍家の指南役として確固たる基盤を築いたのはご存知の通り。

伊勢守が目指した「活人剣」の理想を受け継ぎ、戦国乱世の積極的な武力としての兵法から、武家の棟梁として自らを律し、世を治める抑止力としての兵法、治世者の剣へと昇華していく。

他にも「タイ捨流」の開祖・丸目蔵人之佐「宝蔵院流槍術」宝蔵院胤栄、そして伊勢守が武者修行の際に伴った高弟、「疋田陰流」疋田豊五郎・・と、錚々たるメンバーである。

 

「その技と心を伝えることで連綿と続いてきた剣術流派の場合、パイオニアとはまさに後進を教え導く存在に他ならない。」・・と『剣豪全史』の著者・牧秀彦も言い切っているが、自らも夢想神伝流居合道四段で、時代小説や剣術コラムなどの著書も多いだけに、説得力がある。

 

当たり前のコトではあるが、いかに”最強”を謳う武道や流派といえども、後進に伝えるコトがなければ、一代かぎりでおわってしまうのである・・。

 

 

 


白鵬、歴代3位タイ、45連勝!

2010年07月24日 | 格闘技・武道

昨日、白鵬大関琴欧洲を降して今場所13戦無敗。

通算連勝記録が45連勝になり、歴代3位大鵬の記録に並んだ。

 

大鵬といえば、「巨人・大鵬・玉子焼き」という言葉もあるほど、その世代の人なら誰もが愛した昭和の名横綱。

その大鵬が1968~69年に達成して以来、誰も成し得なかった大記録である。

 

今場所、野球賭博問題でNHKの相撲中継はなく、連日、暴力団との関係が取り沙汰される角界の不祥事の報道が続き、半ば、いい加減にしろ・・と、正直、かなり食傷気味であった。

そんな中、ようやく届いた明るい話題である。

 

歴代1位双葉山連勝記録69連勝で、まずこの大記録を破るコトは不可能・・と言われているそうたが、ライバル・朝青龍も引退して1人横綱となった今、決して不可能ではないのでは?・・と思わせてくれる。

 

今場所、さらに連勝記録を伸ばし、優勝して、相撲界に明るい話題を提供して欲しいものだ。


K-1 WORLD MAX ライト級トーナメント

2010年07月06日 | 格闘技・武道

昨日、K-1 WORLD MAX ライト級トーナメントミドル級トーナメントがやっていた。

ミドル級では昨年、世界3位の山本優弥と、2008年に世界3位だった佐藤嘉洋が激突!

佐藤は魔娑斗が現役時代にしのぎを削ったライバルで、魔娑斗がいたため常にナンバー2に甘んじてきたが、実力は折り紙つき。

山本は5年前に敗れており、彼を倒さずして日本でナンバー1は名乗れない。

結果は佐藤の判定勝ちであったが、山本はその成長を見せつけた。

 

そして、コスプレファイターとしておなじみ、現日本王者の長島☆自演乙☆雄一郎

桜庭がセコンドについた”殴り者”アンドレ・ジダとの対戦。

ジダはあのブアカーオを殴り倒し、高谷裕之の鼻を折った強敵だが、長島が見事判定勝ち。

 

ちなみに、今回は「残酷な天使のテーゼ」を入場曲に、エヴァに出てくる第3使徒サキエルのコスプレで入場・・。

唯一、元ネタが分かったコスプレであるが、悲しいかな、誰が入場してるかは全くわからない・・。

 

後ろに「乙」のサインボードを持ったレイアスカを従えての入場・・。 

エヴァのパチンコ台をやってるFIELDSがK-1のスポンサーだからだろーか・・?

アニメ布教のつもりが、企業のいい宣伝マンにされてる悲しみを感じた・・。 

 

しかし、なんと言っても注目は-63kgのライト級トーナメント!

決勝は共に22歳の大和哲也久保優太の対決で、今回のベストバウトだろう。

 

大和は毎朝5時に起きて仕事に向かうというペンキ職人で、人の性格や普段積んで来た「徳」も全部試合に出る・・という話からも、その生真面目な性格をうかがわせる。

「人間力が詰まった重いパンチになってますんで・・」と語る”豪腕ペンキ職人”は、1回戦、2回戦とKO勝利でコマを進め、そのハード・パンチャーぶりを見せつけた。 

 

一方の久保も、いいひとキャラ全開で、ペコペコと低姿勢で、いたって物腰の柔らかい草食系の好青年。

しかし、試合ではスイッチが入って豹変、3-0の判定勝ち、そして左ハイキック1発で決勝に進んできたサウスポー。

それにしても、”微笑スナイパー”って・・。

 

ハッキリ言って、ヤンキーかチンピラみたいな礼儀知らずな輩が多いプロ格闘技界にあって、この2人はなかなか好印象だな・・と思っていたら、決勝でぶつかるコトに・・。

 

まず1ラウンド目に久保がダウンを奪う。

 

倒した選手の思いを背負って決勝のリングに立つと語った大和は2ラウンド、巻き返しにかかる。

ダウンこそ奪えなかったが、何度も久保をよろめかせた。

 

そして迎えた最終ラウンド、打ち合いに行く大和に真っ向勝負で挑む久保。

 

両者の熱い想いが交錯する激しい戦いになった。

 

結果は、2度のダウンを奪った大和の勝利! 

決勝を戦った2人を見ながら、やはり、真面目にコツコツ努力する奴が1番強いんだなあ・・と思わされた。

 

いやー、しかし、いい試合だった・・。

 

 

 


コンデ・コマ

2010年06月09日 | 格闘技・武道

「コンデ・コマ (Conde Koma)」

 

―興味がない人には、まったく聞き覚えのない言葉であろう。

 

「コンデ」とは「伯爵」のイミで、「コマ伯爵」とゆーこの名前は、前田光世という明治の日本人柔道家の呼称である。

ちなみに「コマ」は、日本語の「困る」に由来し、前田がヨーロッパを転戦中、スペイン人の知人からのアドバイスを受けて、リングネームとして考えたものだそうだ。

「困る伯爵」・・て、イミ不明であるが・・。

 

―そう、前田光世とは今から100年以上前、明治という時代に海を渡り、海外で異種格闘技戦を1000戦以上戦い、柔道衣着用の試合では無敗!)で、今なお「史上最強の柔道家」に推す声が高い、いわば、現在の総合格闘家の草分け的存在なのである。

 

前田光世は1878年、青森県出身。

19歳の時に嘉納治五郎講道館に二期生として入門、講道館四天王の1人、横山作次郎らに鍛えられ、めきめき頭角をあらわした。

昇段審査の時、嘉納治五郎から前田のみ15人抜き(!)を命ぜられ、見事これを成し遂げたというツワモノ。

1904年には柔道普及のための使節団の一員として渡米。

親日家のルーズベルト大統領の計らいでホワイトハウスで試合をするも、講道館四天王の1人にして団長の冨田常次朗が敗れてしまう。

 

雪辱を誓った前田はアメリカに残り、日本柔道の強さを証明すべく、ボクサーやレスラー相手に試合を行い、これを片っ端から退け、アトランタでは世界一の怪力と恐れられた巨漢、ブッチャーボーイに勝利!

あのヒクソン・グレイシーでさえ、400戦無敗でベラボーな数字だと思ったが、1000戦無敗・・て、尋常な戦積ではない・・。

全日本柔道選手権9連覇の偉業を成し遂げ、国民栄誉賞を受賞した、あの山下康裕でさえ203連勝なのだから、推して知るべし・・である。

 

強すぎちゃって「困る」・・とゆーコト・・?

 

その後はヨーロッパからメキシコ、キューバ、中南米など、世界各地で異種格闘技戦を行い、1913年にはブラジルに辿り着き、後に、かつてのリングネーム、コンデ・コマの名で帰化した。

ブラジルはバラー州ベレン市で道場を開き、柔道を教えながら日本人移民を助け、「アマゾン移民の父」と呼ばれた。

 

その時、ブラジルで前田から柔道を習ったのがカーロス・グレイシー

当時、前田は柔道ではなく、「柔術」を名乗っていた。

その弟であるエリオ・グレイシーによって「グレイシー柔術」が確立されていった。

 

エリオ・グレイシーは、グレイシー柔術を広めるため、やはり異種格闘技戦を行い、柔道家の木村政彦とも戦った。

 

1993年、第1回のUFC大会がアメリカで開催された時、優勝したのがエリオ・グレイシーの六男、ホイス・グレイシー(カテゴリー/格闘技:「武道論」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f68ac47ac2072b62991822050b63bb6e

強豪ひしめく”何でもあり”のルールで戦うリングで、無名の、しかも最軽量の選手が優勝してしまったのである。

 

このグレイシー柔術が世界の格闘技界に与えたはインパクトは計り知れない。

日本では”黒船”と恐れられ、事実、エリオの三男、ヒクソンは当時、最強の呼び声高く、日本のトップ・ファイターたちが挑むも、ことごとく敗れ去っている・・。

 

そのグレイシー柔術を生むきっかけとなったのが、100年以上前に海を渡った1人の日本人柔道家、コンデ・コマこと、前田光世だったという事実は、日本人として誇らしい思いにさせてくれる。

 

それは、かつて柔道の強さを証明するため、海を渡った小さな日本人が、大男を次々と倒していく「柔よく剛を制す」精神―その魂と遺伝子が、100年の時を経て再び海を渡り、日本に帰ってきた瞬間であったといえよう。

 

 

 

 

 


内藤大助、再起戦で快勝!

2010年05月10日 | 格闘技・武道

昨日、亀田興毅に敗れて以来、約5カ月ぶりのリングに内藤大助が帰ってきた。

後楽園ホールで行われたス-パー・フライ級のノンタイトルマッチで、内藤は1階級あげての復帰となるも、5ラウンドTKO勝利で快勝!

レフェリーが試合を止めると、ご覧の表情でガッツポーズ。

 

「負けたら引退」という覚悟で臨んだ亀田戦は惜しくも敗れたが、「ここでやめたら絶対に後悔する」と再起を決意した。

現在、内藤は35歳。

日本ボクシングコミッション(JBC)の規定では、37歳の誕生日でライセンス失効とされており、この8月で36歳になる内藤のボクサーとしての選手生命は、本当に残りわずか。

 

2週間前に二男が誕生したという内藤は、試合後のインタビューでも「子どもが自分のところに来てくれた」と、その喜びを表現しながらも、今後のコトはゆっくりと考えたい・・と慎重だった。

 

昼間の、しかもノンタイトルの試合だったにもかかわらず、会場はご覧のとおりの満員で、その人気ぶりをうかがわせた。

涙が出そうになる・・と感激しきりの内藤は、応援に来てくれた観客に頭を下げていた。

 

家族と、応援してくれるファンの声援が、彼の心の支えとなり、気持ちを奮い立たせているコトは、まず間違いないだろう。

 

 


長谷川穂積、王座陥落!

2010年05月01日 | 格闘技・武道

昨日、日本武道館長谷川穂積WBC世界バンタム級防衛戦が行われた。

勝てば長谷川は11回連続防衛!

しかし、相手はWBO世界バンタム級王者フェルナンド・モンティエル

9年間無敗、40戦40勝30KO(!)という驚異的な戦績をもつ、3階級制覇のメキシコの英雄である!

WBOは日本で認定されていないので長谷川は防衛のみ、フェルナンドは勝てばWBCのベルトを手に入れられるが、負ければ共にベルトを失う、まさしくベルトを賭けた戦い。

日本では、はじめて行われる統一王座戦となる。

 

現役王者であるフェルナンドは、これ以上ない強敵で、戦前から今回はヤバいのでは?・・と囁かれていた。

しかし、長谷川も今回、いつもより2週間早く減量に入り、万全の仕上がりで試合に臨み、フタを開けてみれば、互角以上の攻防を見せ、「これはいけるかも・・」とゆー期待をもたせてくれた。

 

しかし、幕は突然やってきた。

 

4ラウンド終了間際、フェルナンドの左が長谷川の顔面を捉える。

長谷川も右を返すが、ここへ追い討ちの左がクリーンヒット!

 

これで完全に意識を失い、たたらを踏んでロープへ。

そこへフェルナンドが猛然と襲い掛かり、長谷川のお株を奪うような高速の連打でラッシュ!

長谷川はロープに右腕をとられ、倒れるコトすら許されず、メッタ打ち。

 

たまらずレフェリーが割って入り、TKO負け。

 

―あるいは、王者のプライドがダウンを拒み、無意識にロープに腕を絡ませながらも、かろうじて立っていたのか・・?

 

いずれにせよ、これだけ一方的に殴られる長谷川の姿は記憶にない。

完敗である。

さすがにフェルナンド・モンティエルは強かった。

 

新王者がリング上で祝福を受ける中、静かに長谷川はリングを去った。

 

長谷川陣営が退場する際、リングに向かって全員で一礼する姿は、敗れたとはいえ、王者の誇りを感じさせる、美しい場面であった。

 

負けた相手が勝者を野次るなど、自らを貶める行為以外の何ものでもない。

 

プロのリングであれば、当然、勝ち負けが人生の明暗を分ける。

それを象徴する場面でもある。

 

しかし、それは人生においても同じであろう。

一瞬が人生の明暗を分けるコトもある。

 

出来るコトなら、散り際も美しくありたいものだ。

 

花道を引き上げ、ゲートに消える直前、長谷川は応援してくれた観客席に向かって、両手をあわせる仕草をした。

 

「期待に応えられなくて、すんません・・」

 

・・そんな長谷川の心の声が聞こえた気がした。

 

”絶対王者””日本のエース”と呼ばれた男が、試合後のインタビューでは悔しさに声をつまらせ、涙を見せた。

ぜひとも、またリベンジして欲しいものだ。

 

 

 

 

 


K-1 WORLD GP 2010 開幕戦

2010年04月05日 | 格闘技・武道

今年も始まりました、K-1グランプリ

まあ、正直、だい~ぶさびしくなった感は否めない・・。

 

威勢がいーのはバダ・ハリくらいかなー・・?

アレクセイ・イグナショフを破り、順当に勝ちあがった。

 

注目は”史上最強の外敵”アリスター・オーフレイム

300kgの鉄の塊を持ち上げる背筋力、片手に80kgずつ、合計160kgのウェイトを両手にさげて歩くパワー(!)からも、その驚異的なフィジカルの強さがうかがえるMMA(Mixed Martial Arts:総合格闘技)出身のファイターだ。

 

ジャバット・ポトラックをこのヒザ蹴り1発でKO!

まさしく”ダッチ・サイクロン”

(あ、オーフレイムはオランダ出身の選手なので・・

 

・・まあ、これをくらって立てる奴はおるまい・・。

昨年もベスト4に入ったが、優勝を狙える逸材であるコトは間違いない。

総合格闘技が好きな自分としては、ぜひとも頑張って、バダ・ハリとともに低迷気味のK-1を盛り上げて欲しい選手だ。

 

さて、長年、日本人のK-1トップ・ファイターとして、日本人勢を牽引してきた武蔵が引退、その後を継ぐファイターと目されているのが、現K-1ヘビー級王者京太郎!(カテゴリー/格闘技:「日本人初!前田慶次郎、K-1ヘビー級王者に!」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/48e100efc934e300cf1900b74f50cc5f

戦国時代の傾奇者、前田慶次郎のリングネームでデビューしたが、現在、本名の京太郎がリングネームとなっている。

 

今回の防衛戦の相手は、K-1の生ける伝説ともいえる”ミスター・K-1”こと、ピーター・アーツ

 

”20世紀最強の暴君””ランバー・ジャック”と恐れられた男も今や40歳。

減量して臨んだ今回の試合、決して本調子とはいえず、若い京太郎の動きが終始、ピーター・アーツを上回り、試合を支配した。

 

試合を決めたのはカウンターで入ったこの1発!

 

豪快に倒し、KOで勝利!

 

ピーター・アーツが、あれほど見事にKOされるシーンは、数えるほどしか記憶にない。

 

日本人ファイターがなかなか勝てないヘビー級のリングに現れた救世主となるのか、今後の活躍に期待したい。

 


K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント2010

2010年03月29日 | 格闘技・武道

先日、K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメントがやっていた。

去年の大晦日で魔娑斗は引退、今回のトーナメントに出場予定だった小比類巻太信もケガで出場を断念、引退を発表した。

 

長年、MAXを牽引してきた2人に代わり、今年の日本王者に輝いたのは、なんと!!

 

このブログでもたびたび紹介してきたコスプレファイター!長島☆自演乙☆雄一郎!!

 

・・・・。

 

お気づきだろうか?

普通は選手名の下に異名とゆーかキャッチフレーズ、そして、その下に空手やキックボクシングなど習得している格闘技や所属団体が書かれているのだが、自演乙は「アニメ」となっている・・。

どないやねん・・。

 

1回戦の相手は辰吉と並び、日本最速プロ8戦目で世界王者になった名城信男の弟で、その格闘センスは兄をも上回るといわれ、19戦して19KOというKO率100%の名城裕司

これを1ラウンドKOで破り、2回戦も元日本王者の城戸康裕を判定で下した龍二から、1ラウンドで2度のダウンを奪い勝利。

ノーダメージで決勝戦へコマをすすめた。

 

 

決勝戦の相手は魔娑斗も注目のゴールデン・ルーキー、中島弘貴

1回戦でTATUJIを下し、今回の優勝候補と目され、昨年のWORLD MAXベスト4の山本優弥を下した日菜太を秒殺KOで沈めた強打の持ち主。

ウエイト・トレーニングをまったくやっていないという、天性のパワーを持つ21歳だ。

中学時代は野球部に所属し、八王子市の優勝投手にもなったコトがあるという。

こちらもノーダメージ。

まさしく次代を占うにふさわしい新星同士の戦いとなった。

 

 

決勝のリングに入場する自演乙も気合いののったいい表情。

しかし、格好は相変わらずのコスプレ・・。

魔女・・?

こいつのコスプレはまったく元ネタが分からん・・。

アニメもいろいろあるだろーに、萌え系の女の子キャラばかりコスプレするとゆーのが、絶対に曲がられない彼の信念のようだ・・。

 

初回からバチバチに殴りあうも、パワーでは中島が上。

しかし、自演乙もまったく引かずに打ち合う。

2ラウンドに中島のパンチが入り、ヒザから崩れてダウンをとられる。

お互い、蹴りも出さずに真っ向勝負の殴り合いだ。

 

勝負を決めたのは3ラウンドに自演乙が入れたこのパンチ。

 

カウンターで中島の額に入り、そのままダウン!

立ち上がれず、レフェリーが試合を止めた。

パワーではあきらかに劣っていたが、それを上回って余りある気合いで、臆するコトなくガンガン前に出て打ち合い、勝機を掴んだ。

3ラウンドがはじまる前、セコンドから「お前、ここで負けたら、ただのオタクになっちまうんだぞ!」・・と檄を飛ばされ、送り出されたという。

 

最後は、ポスト魔娑斗にはなれないけど、MAXは絶対つぶれません!・・と涙ながらに絶叫してたのが印象深かった。

 

3回勝って3回コスプレで入場して、アニメ布教を完成させます・・と、日頃から公言しているアニオタのコスプレファイターが、実際にやりとげた時には、意外に殊勝なコトを言っていたのが、何とも彼の生真面目な性格を垣間見た思いだ。

 

まあ、あそこで、 

「アニオタは永久に不滅です! 

 

・・とか言っていたら、ただの野次だけではすまなかったかな・・?

 

しかし、自演乙が今年のMAX日本王者かー・・うーん・・。

 

ちなみに同じ日に行われたWBC世界フライ級王座統一戦で、亀田興毅ポンサクレック・ウォンジョンカムに判定で破れ、王座陥落。

 

兄弟王者も一瞬だったなあ・・。

残念・・。

 


亀田大毅、悲願達成!日本人初、兄弟王者誕生!!

2010年02月08日 | 格闘技・武道

昨日、WBA世界フライ級タイトルマッチが行われ、亀田3兄弟の次男、亀田大毅が王者のデンカオセーン・カオウィチットを3-0のストレートの判定勝ちで下し、王座を獲得した。

これが3度目の世界挑戦で、「最後の世界戦」との覚悟で臨んだ。

途中、スタミナ切れの王者はパンチを出しては体を預けてクリンチ、ホールディングによる減点を2回とられたのが大きく響き、亀田大毅がリベンジを果たし、悲願を達成した。

 

初の世界挑戦は、あの”因縁の内藤戦”で、その時の反則行為で1年間のボクサー・ライセンス停止。

2度目の世界戦は判定負け。

対戦相手が試合前の練習中、滝つぼに落ちて亡くなる・・といった事件もあり、自身の招いた結果もあったが、3兄弟の中でも最も不幸を背負い込んだ感のある亀田大毅。

 

悲しげな八の字眉毛にモロに出ているが、いつも試合を見ていて思う彼の最大の弱点は、メンタル面の弱さ。

 

あれだけスタミナ切れしている相手に攻めきれず、倒せなかった詰めの甘さは今後の課題であろう。

技術面とゆーより、挑戦者らしからぬ、アグレッシブさに欠ける消極的な攻めは、やはり、精神面が問題かな、と・・。

 

まあ、何にしても、兄弟で世界王者という日本人初の快挙を成し遂げた。

セコンドにも兄の興毅と弟の和毅が入り、指示というより、ひたすら気合いを入れ続ける姿が印象深かった。

 

最後、残り2ラウンドという時、興毅が大毅の髪をつかんで喝を入れ、コーナーから送り出すシーンもあり、思わず笑ってしまった。

 

 

それでも王者になった瞬間、リング上で兄弟が涙ながらに抱き合うシーンはなかなか感動的であった。

まあ、二十歳そこそこで、さまざまな心情を通過している兄弟には違いない・・。

麗しい兄弟愛を見せてもらったとゆー感じだ。

本当に兄弟仲いーんだろーなー・・。

 

三男の和毅が王者になり、兄弟3人そろって世界チャンピオン・・とゆー日も、近い将来、本当に見れるかもしれない。

 

それまで大毅、防衛し続けろよー。


横綱・朝青龍、引退!

2010年02月05日 | 格闘技・武道

昨日、横綱・朝青龍が引退を表明した。

酒に酔って一般人男性を殴ったという報道がなされる騒動の渦中とはいえ、電撃引退といってもいい、突然の引退劇であった。

 

実際に殴ったかどうかはともかく、近年の角界の話題の中心は、よきにつけ、悪しきにつけ、常に朝青龍だった。

土俵上でのガッツポーズにはじまり、朝稽古をさぼる、場所前のCMイベント出演、写真集出版、仮病?で休場し、サッカーに興じていたり、その後の騒動でうつ病になったり、離婚が報じられたり・・。

横綱審議会の内館牧子やくみつるとの確執も、マスコミが煽るかのよーに面白おかしく騒ぎたてて来た。

 

つい先日行われた理事選挙では、相撲界の改革を唱える貴乃花親方が一門を脱退してまで出馬し、大方の予想をくつがえし、逆転当選。

造反したと言われる親方が廃業するとの記者会見も行われたが、さすがにそれはかえってまずいとの上層部の判断からか、廃業は一時、見合わせる・・というかたちで落ち着いた。

 

まあ、公正な選挙で”造反”とかゆーのもおかしな話だが、それだけ選挙とは名ばかりの出来レースの中で行われていた理事選であるコトが露呈した格好だ。

 

「伝統」と「格式」、あるいは「国技」、「神事」・・という中で、ある程度守られてきた世界もあったろうが、ここらで本当に改革・刷新していかなければ、大変なコトになる―そうした角界全体の危機感の表れが、今回の貴乃花親方の理事当選となったのだろう。

 

組織も人も年をとり、古くなると風通しが悪くなり、既得権益にしがみつき、慣れあいや惰性といった膿が出てくるのは世の常だ。

 

もちろん、朝青龍本人の問題もあろうが、そうした流れと世論の中、解雇をせまられ、やむを得ず、自ら引退する道を選んだ・・というのが、今回の引退劇の顛末のようだ。

 

相撲ファンというより、格闘技ファンの自分は、いい相撲、いい試合を見せてくれればそれでいい。

 

土俵を降りた朝青龍は、確かに「品格」という点においては、横綱として決して褒められるものではなったかもしれない。 

しかし、土俵の上での彼の相撲は、とても力強く、気持ちが伝わってくるアツイ取組で、自分も好きな力士であった。

 

優勝回数25回は大鵬千代の富士に次ぐ歴代3位。

押しも押されぬ平成の大横綱である。

 

まだ29歳と若く、先場所も優勝を飾ったばかりで、これからもまだまだ記録を塗り替えてくれそうな勢いのある、力のある横綱だっただけに、非常に残念だ。

 

「伝統」や「格式」といったかたちへのこだわりが、現在の角界の腐敗を招いたとするなら、それをぶち壊す熱いハートをもった「モンゴルの大草原で育った少年」は、風穴をあけるカンフル剤にもなり得たと思うのだが・・。

 

「モンゴルの大統領になる!」という夢をもつという朝青龍の今後に期待したい。