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柔の道

2010年09月11日 | 格闘技・武道

先日、52年ぶりに東京で世界柔道大会が開催された。

国際化・競技化し、著しくスポーツ化する”JUDO”は、勝敗にこだわるあまり、柔道の創始者、嘉納治五郎が当初、考えていた柔道の精神とは、大きくかけ離れてしまっていた。

そんな中、柔道発祥の地、日本で開催された今大会のテーマは「原点」回帰。

 

嘉納は明治14(1881)年、それまでに学んだ天神真楊流起倒流などの柔術からの技を取捨選択、洗練し、崩しの理論などを確立して「柔道」を創始、翌年、講道館を設立した。

 

もともと体が小さく、非力だった嘉納は、いわば”いじめられっ子”で、文明開化の時代、既に時代おくれと省みられなくなっていた柔術を習うコトを、親から反対されたという。

しかし、技を覚え、体を鍛えるコトで、自信がついたからか、不思議と心が落ち着き、ハラが据わっていくのを感じていた嘉納は、柔道の精神として、「精力善用」「自他共栄」を唱え、その真髄を心身の鍛錬による人間形成とした。

 

すなわち、柔道の精神修養の面に重きをおいたワケである。

 

それゆえ、日本のオリンピック初参加に尽力した嘉納は、当初、意外にも、柔道がオリンピック種目として取り入れられるコトに反対したという。

柔道がオリンピック競技になるコトによって、人間形成の面がなおざりにされ、勝敗だけに重きをおいた、単なるスポーツと化すコトを危惧したからである。

 

昭和に入り、日本が軍国主義に走る中、武道が学校教育に取り入れられた際も、柔道が国策に利用されるコトをよしとせず、「極端な軍国主義は日本を世界から孤立させてしまう」「我々が説くところは右にも左にも片寄らない中正道である」と、バランス感覚に優れた知性人・国際人らしい発言をしている。

 

戦後、GHQは、武道教育が軍国主義を助長するものとして、大日本武徳会を解散させた際も、講道館はこれに当たらず・・と存続を認めたコトからも、嘉納の指導方針が国際的にも認められるものであったコトを証明している。

 

しかし、戦後の軍国主義に対する反動ゆえ、柔道も精神修養とは切り離された、単なるスポーツとして扱われていく運命を辿るコトになる。

 

以前、武道論の話で、武道に欠かせない要素である「用」「道」「美」 について書いた。

(カテゴリー/格闘技:「武道論」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f68ac47ac2072b62991822050b63bb6e

 

「用」は実用性、実戦における有効性。

「道」は心身の鍛錬による人間形成。

「美」は技術体系の完成度。

 

「心」「技」「体」という言葉で当てはめれば、それぞれ「心」は「道」、「技」は「美」、「体」は「用」に相当するであろうか・・?

まあ、なんにせよ、嘉納が柔道の修練の目的の筆頭に掲げてきた精神修養、人間形成といった「道」、「心」にあたる部分が、もっとも疎かにされて来た・・とゆーワケである。

 

近年、オリンピックや国際大会の柔道の試合を見るにつけ、感じさせられるのは、「勝ちさえすればいい」・・とゆー傾向が顕著であるコト。

一応、自分も柔道をかじったコトがあるので、余計にそうした傾向を感じる。

 

奇しくも、嘉納が危惧したごとくになってしまったワケである。 

 

今回、一部ルールの改正もあり、日本勢は男子100キロ級穴井隆将の優勝をはじめとして善戦、活躍した。

今大会で、日本が柔道の国際試合で獲得した金メダルの数は、通算100個を越えたそうだ。

 

柔道を世界に広める過程において、精神論はさておき、勝敗が目に見えて分かりやすい競技化・スポーツ化を促進したコトが、その普及に大きく貢献したコトは否めないだろう。

しかし、世界の”JUDO”となった今、創始者が本来、柔の道に求めた精神修養、人間形成といった初心に戻るべき時なのかもしれない。

 

どんなに世界中に普及し、隆盛を誇っても、「心」を失った時、それは柔道に限らず、衰退の一途しかない。

 

「勝ちさえすればいい」のではなく、正々堂々戦う精神性―その「心」こそ、今、柔の道に求められているものだと思うのである。

 

 

 

 

 


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2 コメント

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柔道。 (トーマス。)
2010-09-12 01:26:24
 あ、どうも。世界選手権、連日テレビで
中継されてますね。

 初日の9日、第一体育館で生で
観戦してきました。やっぱり生はいいです。
2日目の10日はテレビ観戦でした。
何といっても残念なのは、日本人の試合ばかり
放送する点です。当たり前と言えば
当たり前で、仕方のないことなのでしょうが。

 日本人も、多くの国のみなさんと同じく
「勝てばいい」「自分さえよければ」
そんなふうに見えてしまいます。日本人の
試合でも、勝っても内容が貧相な試合も
あれば、負けてもよく頑張ったと思える
試合もあります。外国人の試合も素晴らしい
試合がたくさんあります。放送にのらない
多くのことにも眼を向けられたらいいのに、と
思ってしまいます。

 精神修養という点では、試合後の
ガッツポーズ、気になるところです。
先ごろ亡くなったアントン・ヘーシンクさんは
東京オリンピックで神永昭夫さんを破って
優勝しました。そのとき、優勝を喜んで
畳に上がろうとした自国オランダの記者たちを
制して、静かに礼を交わし、神永さんの
善戦を称えたという話は、まさに嘉納治五郎さんの
思うところと合致するのではないでしょうか?
いまの日本人選手も、「原点」に
立ち返ってほしいところです。

 ちょっとエキサイトしてしまいました。
4日目の12日は第一体育館で2度目の
観戦です。3日目の11日は男女全3階級で
日本人選手が金メダルを独占!快挙です。
この勢い、ぜひ続いてほしいです。
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柔道ネタは (きんと)
2010-09-12 10:27:35
さすがにアツイですねー。

生で見に行ってたとは・・。

「試合に負けて勝負に勝つ」・・なんて言い方もしますが、ただポイントの優劣ではなく、その試合に臨む態度は、大きいですよね。

ただ勝負に徹すれば、相手の裏をかく、いやなコトをする、相手にいいコトをさせない・・とゆーのは、もちろん、ありますが、見てて見苦しいのは、どーかと思いますよね・・。
 
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