凡夫 煩悩の泥(でい)のうちにありて
仏(ぶつ)の正覚(しょうがく)の華を生ず









凡夫 煩悩の泥(でい)のうちにありて
仏(ぶつ)の正覚(しょうがく)の華を生ず
たとえば、医者が、
「この薬を飲んでも80%の人は助からない」
・・と言うのと、
「この薬を飲むと20%の人は治る」
・・と言うのでは、同じコトであるが、聞き手が受ける印象はまるっきり逆になるのが分かるであろう。
このように、何か物事を解釈する際に、様々な考え方に思考を転換していくコトで、場合によって考え方や感じ方が変わるコトを、フレーム・シフティング(frame-shifting)と言うのだとか。
この場合の「frame」とは「気分」のコトで、「frame of mind」(気持ち、心の持ちよう)などで使われるのと同じイミだそう。
日本語で「気分転換」・・とゆーと、違うイミになってしまうが、「心情転換」とでも言おうか・・?
以前にも紹介したが、靴メーカーの社員がアフリカに視察に行き、誰も靴を履いてないのを見て、売り込み不可能ととらえるか、あるいは絶好のビジネス・チャンスととらえるか・・という小咄も、フレーム・シフティングであろう。
(カテゴリー/人生覚書き:「幸運を呼ぶ言葉」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/f74e3b600e75dab4b89b39b2d73b44ab)
コップに水が半分入ってるのを見て、「もう半分しかない」と思うのか、「まだ半分もある
」と思うのかも同様である。
とらえ方1つ、自分の心の持ちよう1つで、人生は180度、変わるもの・・。
全国実態調査の結果から、若者の「ひきこもり」が全国で70万人(!)に上ると推計され、将来、そうなる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万人(
!)と推計しており、今後さらに増える可能性がある・・と言われているそうだ。
しかも、70万人の約半数は30代だというから、日本の将来に不安を覚えずにはいられない・・。
こんなデータも、フレーム・シフティングで、「まだこんなもんかー」・・と、ポジティブにとらえるべき・・?
放てば手にみてり
『正法眼蔵』より
曹洞宗開祖・道元禅師の言葉。
手放してこそ、大切なものが手に入る。
何かを掴もうとするなら、掴んだままの手では何も掴めない・・というイミ。
自分の欲や執着を捨てた時、見えてくるものがある。
結構、自分がこだわって大切にしてるものは、案外、他人から見れば何の価値もない、ちっぽけなものだったりするコトが多い。
大事にしがみついてるから、自分の目には見えないのだ。
1歩引いてみて、はじめて俯瞰で見れるように、それは1度手放してみて、はじめて
分かったりするものなのかもしれない・・。
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」・・だ。
何も持ってない、何のこだわりもない・・とゆーコトは、すべてを所有してるのに等しい。
何ものにもとらわれない自由な心は、その中にすべてを包容してしまうからだ。
しかし、捨てても、捨てても、頭をもたげてくる「自分」・・。
これはなかなか、やっかいなものだ・・。
「デフォルト」(default)とは「欠席」「(義務などの)不履行」「棄権」といったイミの英単語で、要するに「何もしない」とゆーコト。
「ユーザが設定を行なわない」というイミから転じて、利用者が何も操作や設定を行なわなかった際に使用される、あらかじめ組み込まれた設定値(デフォルト値)のコトをいうIT用語で、「初期設定」「既定値」なども、ほぼ同じイミだそう。
では、デフォルト・ネットワークとは何か?
脳が今まで直面したコトがないような困難やトラブルに見舞われると、今まで使ってなかった新しい回路―ネットワークをつくって問題解決に当たるのだそうだ。
それをデフォルト・ネットワークというそうで、そうした困難やトラブルを克服した時、脳内にドーパミンという快感物質が分泌され、達成感を感じる・・とゆー仕組みになっているのだという。
確かに、以前に紹介した「脳にいい習慣」でも、要するに普段と違うコトをするコトで、適度な刺激を脳に与えてやるコトが、脳の活性化につながる・・というものであった。(カテゴリー/人生覚書き:「脳にいい習慣」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/7323ea8fea4ea6334b2640b84ed1faae)
それをつきつめていけば、”適度な”ストレスを与えるコト、難行・苦行も脳の活性化、ひいては人の成長という観点では必要・・とゆーコトになろう。
―しかし、当然、”過度な”ストレスは脳にはよくないのでご注意を・・。
このデフォルト・ネットワーク、脳科学者の茂木健一郎が先日TVで「ラーメン二郎」に、なぜ”ジロリアン”と呼ばれる熱狂的なファンが殺到するのかレポートに行った時に言っていた話。
「ラーメン二郎」は、都内では結構、有名なラーメン屋だ。
さほどうまいワケではない?ラーメンだが、野菜やニンニク、脂といったトッピングがタダ「増し」出来、量がハンパないため、完食した達成感でドーパミンが分泌され、クセになる・・とゆー分析をしていた。
このハンパない量のラーメンを食べるコトが一種の難行・苦行であり、「ラーメン二郎」のラーメンを”史上最強のド-パミン発生装置”と称していたほど・・。
まあ、たかがラーメン1杯完食するコトが、史上最強の難行・苦行なら、人生も大したコトないんだがねぇ・・。
羯諦(ぎゃーてい)
感動をくれたW杯も激闘の末、オランダを降したスペインの初優勝におわり、TVからにぎやかなブブゼラの音も聞こえなくなって久しい。
まさしく祭りのあと・・といった雰囲気だ。
見事、海外でのW杯で初のベスト16進出を果たした岡田武史監督率いる岡田ジャパンも帰国会見を最後に解散。
モノマネあり、歌あり、笑いありの会見は、本当に日本代表の一体感を感じさせた。
W杯前のテストマッチ4連敗で、岡田監督は「やめろ!」と世間とマスコミから叩かれてきたが、初戦のカメルーン戦での勝利を皮切りに、1戦ごとに進化・成長するチームに岡田監督の評価も一転、「迷将」から「名将」へと手の平を返すように変わっていった。
南アフリカへ出発する前、岡田監督が師事する禅僧・野田大燈師が贈った言葉が冒頭の「羯諦」(ぎゃーてい)。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」(ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー ハラソウギャーテー ボージソワカ)という、『般若心経』の最後に出てくる言葉で、精神統一をするための呪文。http://www.chohoji.or.jp/houwa/hannya.htm
イミは「前へ進め!」というものだそうだ。
「“羯諦”とは、前に前に行って一歩も下がらない、との意味。
英語の「GO」。
1センチも下がらず、ただひたすら前へ進んでください」
野田師は人の心を癒したいと脱サラして禅宗を学び、出家。
現在は香川県高松市の西部、五色台と呼ばれる山の中腹にある財団法人・喝破道場の理事長を務め、不登校児やニート、非行少年を預かり、共同生活を通し、社会更正させている。
鎌倉仏教の中でも、自己を厳しく律する禅宗が主に武士の間に浸透したのは、戦いにのぞみ、命のやり取りをする侍に向いていたからであろう。
過去の過ちを悔い、未来の不安に怯えていては、自分の持っている力を発揮するコトは出来ない。
過去や未来にふりまわされるコトなく、自分には今しかないという、「今、ここ」を生き切る知恵こそ、禅の悟りであり、その教えの核心である。
野田師は岡田監督に、くりかえし”平常心”を説いたという。
青きサムライたちを率い、どんなに否定され、こき下ろされても、表情ひとつ変えるコトなく、自らの考えを貫き通した岡田監督の胸中には「今、ここ」を生き切る平常心と、「羯諦」の2文字が常にあったのかもしれない。
「今、ここ」、そして「前へ!」
―肝に銘じておきましょう・・。
充分尽くしたと思う時、もう一度進んで
さらに深く愛しなさい。
困難にぶつかって、人に尽くす努力をやめそうになる時
その心を乗り越え、さらに深く愛しなさい。
利己心から自分の殻に閉じこもろうとする時
殻を打ち破って、あなたから先に一歩手前に歩み寄りなさい。
人の不正の犠牲になって 抗議したくなったら
さらに深い愛を持って 沈黙を守りなさい。
人の悪口を言いそうになったら
愛を心に沸き立たせ、話題を変えなさい。
人の為に犠牲を払いたくないと思う時
さらに深い愛を持って 寛大の道を選びなさい。
人を大切にするということに困難な反発を感じる時
理屈や議論を抜きにして、さらに深く愛しなさい。
全ては静けさを取り戻すだろう。
愛の掟の実行を拒みたくなる時には
いつでも心を広げて
さらに深く愛しなさい。
生は寄なり 死は帰なり
『淮南子』精神訓より
「せいはきなり しはきなり」と読む。
人は、仮にこの世に身を寄せて生きているにすぎず、死ぬコトは、本来いた所に帰るコトである・・というイミ。
『淮南子』(えなんじ)は前漢の武帝の頃、淮南王劉安(B.C179~122年)が学者を集めて編纂させた思想書で、道家思想を中心に儒家・法家・陰陽家の思想を交えて書かれており、一般的には雑家の書に分類されるそうだ。
日本へはかなり古い時代に伝わっており、「八紘一宇」の由来となった『日本書紀』の神武天皇の言葉、「掩八紘而爲宇」も『淮南子』から引用されたという。
中学?の頃だったか、ずい分前に、ことわざ辞典か何かで見つけたのが最初だったと思う。
自分の座右の銘であり、こころが楽になる言葉。
結構、小さなコトにクヨクヨ悩んだりしてる時、この言葉を思い出すと、開き直れる・・とゆーか、「所詮、人生も仮住まいだな・・」と、いいイミでリセット出来、気持ちも大きくなる、壮大なスケール感のある言葉である。
人はどこから来て、何の為に生き、どこへ行くのか?
―人生の三大疑問であるが、真摯にこの問いに向きあった時、人はいかなる思いを抱くだろうか?
「死」は必然である。
それは、「生」を享けた瞬間から運命づけられている。
諸行無常。
行雲流水。
流るるままに・・。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
―松尾芭蕉の『奥の細道』の序文であるが、そうした無常感―決して投げやりなニヒリズムではなく、大きな流れの中に身をゆだねて、何事にもとらわれるコトなく、風の吹くまま気の向くまま、自由に、楽に生きる・・。
”天地自由人”とでも言おうか?
・・そんな境地で、いつもいられたらいーのだが・・。
小さなコトにこだわって、とらわれて生きるなんてバカバカしい・・。
所詮、すべては同じ大海に注ぐ、小さな川の流れに生きる群れにすぎないと思うのである。
ありがとうございます!
感謝します!
ツイてるー
!(”るー”は上がり調子で発音する
)
健康で幸せです!
ある靴メーカーの社員が、社長から「アフリカの靴の普及状態を調査する様に」との指令を受けて、アフリカに行き、戻ってきて報告した。
「アフリカでは誰も靴をはいている者はおりません。売り込みは不可能です。」
そこで社長は別の社員に同じ指令を与えたトコロ、彼の報告はこうだった。
「アフリカは絶好の取引先です!なぜなら、誰も靴をはいていません。」
・・同じ状況でもポジティブにとるか、ネガティブにとるかによって、ビジネス、あるいは人生にも大きく違いが出てくるのが、この小咄からも分かる。
とかく現実は厳しく、ネガティブになりがちだが、ネガティブにならない、「幸運を呼ぶ言葉」が上記の4つの言葉。
はじめは、この4つの言葉を念仏の様に唱えていけば、やがてその言葉が”ホンモノ”の自分の言葉となって、現実に”ツイてるー”情況が・・。
「そんなバカな・・」
・・とネガティブにとらえるなかれ。
自分の友人は、いつも自信がない思いがあって、そんな自分を変えるために「俺は自信がある!」とゆー言葉を毎日100回1セットで唱え続けた結果、ある日、突然、「あ・・俺、自信あるかも・・」と思えるようになったという。
だいたい100万回くらい?唱えた時だったそうだ。
またある人は、100万回、「ありがとうございます」を言うと、良いコトがおこる・・とゆー話を信じて唱え続け、100万回言い切った時、警察にスピード違反で捕まったとか・・。
”良いコト”がおこると信じてやった結果が違反で捕まる・・とは、「ありがとうございます」とは言い切れない情況かもしれないが、もし、そこで捕まっていなかったら、もっと悲惨なコトになっていたかもしれない・・。
人間の脳は「馴染みのあるコトが重要なコト」だと認識するそうで、その馴染みのあるコトが、正しいか、間違っているかは問題ではないという。
「自分はダメだ」、「自信がない」、「ツイてない」・・と感じている人は、常々、そーゆー言葉を口にし、馴染みのあるものになっているため、自分の脳が、”それを重要なコトと認識してしまっている”可能性が高い。
逆に100万回も「ありがとうございます!」、「感謝します!」、「ツイてるー!」、「健康で幸せです!」・・と言い続けていれば、脳はそれを重要なコトと認識し、現実に、そう感じられるようになるのかも・・。
なんてったって、言うだけならタダなのだから、どうせなら”いい言葉”を使って、損はあるまい。
何事もポジティブに!
Be Positive !
最近ハマってるのが、明石家さんまの「ほんまでっか?TV」
月曜の深夜枠で、最新のデータや学説をもとに、個性豊かな現役の心理学者や脳科学者、評論家などが、さまざまなトピックを思いつくまま語る情報バラエティーで、司会のさんまはもちろんであるが、ブラックマヨネーズや磯野貴理を配したひな壇?のツッコミも絶妙で笑える。
最新のデータをもとに、現在、検証中の仮説であるが・・というトピックが多いので、まさしく「ほんまでっか?」な内容も多いが、そこは各分野の専門家が語る内容ゆえ、アカデミック・・とはいかないまでも、それなりの説得力はある。
当然、通説として認められてる話もポンポンとび出し、なかなか為になる。
何より笑える。
そこで言っていた話だが、「女性は自分のテリトリーに入ってるものに厳しいのに対し、男性は自分のテリトリー入ってるものにやさしい」のだとか・・。
すべての結婚している男性諸氏には、うなずける話であろう・・。
これは、男性のテリトリーが、会社や社会など大きなものに対する権力欲である為、筋の通った理屈が大事であるのに対し、女性は家庭というより小さなテリトリーになる為、より目の前の現実的な内容に対し、目くじらを立てる現象が起こってくる・・とゆーワケなのだという。
ちょっと前に流行った「話を聞かない男、地図が読めない女」等の本でも扱われた、こうした男脳、女脳みたいな話は、結構この番組では話に出てくる。
さらに女性は怒ると動態視力が1.8倍アップして、さまざまな情報を取り込むようになるが、逆に男性は怒ると動態視力が下がるそうだ。
妻の小言にいたたまれなくなり、うつむく夫に「私の話、聞いてんの!」と追い討ちをかける構図が目に浮かんでくる・・。
(覚えアリ・・)
やはり、女性はコミュニケーションを重視する”共感脳”であるため、自分の話を聞いてくれるコトに愛を感じるようで、「いつも聞いてくれてありがとう」・・と言われる夫なら、夫婦仲は安泰といえるそうだ。
ところが、女性の話とゆーのは、また男が聞きたくもない、興味もない話ばかりだったりして、ついつい「じゃあ、こうしたらいーんじゃないの?」と、アドバイスなんかをしたくなる。
しかし、それは女性にとっては最悪な対応で、余計なアドバイスなんかで話の腰を折らず、ただただ”共感”してくれればいいのだ。
「女性がキレた時は、そのフレーズをそのまま繰り返せばいい」・・なんて、少々乱暴な意見も・・。
ちなみに聞き上手の条件は・・
かぶせ気味の質問
「それで?」「それから?」・・と接続詞を変えながら聞く
うなずきを1/3に減らす
・・だそうで、、
は相手の話に興味があるという意思表示になり、
も同様だが、女性に「もっと話さなきゃ・・」とゆー気にさせるのでいいらしい。
結婚生活をうまくやって行くには、聞き上手になる必要があるようで、実際、聞き上手な男性は結婚に向いてるらしい。
ただし、モテるのはしゃべり上手の男性だとか・・。
やはり、恋愛と結婚は違うんだねー・・。
勉強になります・・。