「『全て』を敢えて差し出した者が
最後には真の『全て』を得る」
シュガーマウンテン
(「ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン」より)
「『全て』を敢えて差し出した者が
最後には真の『全て』を得る」
シュガーマウンテン
(「ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン」より)
「人の幸福とは家族の中にこそあるのだ。
家族を守ることが国を守ることにつながり
家族がバラバラになるという事は先祖を・・
そして未来の子孫を軽蔑することにつながるのだ」
グレゴリオ・ツェペリ
(「ジョジョの奇妙な冒険 Part7 スティール・ボール・ラン」より)
論理的で技術指向性の高い仕事を「ハード・インテリジェンス」というのに対し、受容的で人間指向性の高い仕事を「ソフト・インテリジェンス」というそうだ。
男性は”勝負脳”といわれるが、心理学的にも具体的で理論的、そして相手に勝たなければ気がすまない。
これに対し、相手の気持ちに寄り添うコトが出来る女性は”共感脳”ともいわれ、抽象的であいまいでもOK、なおかつ、自分が折れるコトで相手が満足するのであれば構わない・・という“負ける賢さ”が備わっている。
その特性をまた、ソフト・インテリジェンスとも呼ぶそうだ。
日本人の得意とする”和を以って尊しとなす”精神ともいえよう。
従来ならば、ハード・インテリジェンスが男性向き、ソフト・インテリジェンスが女性向き・・というコトになろうが、近年、だいぶ様変わりし、女性の社会進出にともない、女性の”心理的男性化”が進んでいるそうであるが・・。
ともあれ、ソフト・インテリジェンスが人間関係を円滑にするのに、とても重要な役割を果たすコトは間違いない。
皆がみんな、ガツガツ自己主張をするだけではぶつかるばかりだが、そこにソフト・インテリジェンスを備えた人が入れば場が和み、うまくまとまる・・とゆーワケだ。
たとえば、浮気グセがある男性に対し、女性はどう対処するだろうか?
やはり、「浮気しないでね」と釘を刺すのが普通であろう。
しかし、心理学的には「浮気しないでね」と言われると、ついつい浮気をしてしまうが、「あなたは絶対浮気なんかしないから好き」と絶対的に、無防備に相手を信じきってしまうと、そーゆー相手に対して、人は裏切るコトが出来なくなってしまう・・というのだ。
コンビニのトイレに「いつもキレイに使っていただきありがとうございます」とゆー張り紙が貼ってあるが、それまで使われていた「汚すな!」といった命令調の張り紙より、格段にトイレがきれいに使われるようになった・・とゆー事例も、ソフト・インテリジェンスをうまく使ったもの。
わかりやすく言うと、信頼するコトで相手を雁字搦めにするワケだ。
(言葉は悪いが・・)
つまり、「こちらがまず、絶対的に相手を信じる」・・とゆーのが相手の信頼を得る最も確実な方法といえよう。
現在、核サミットが開かれ、”核なき世界”へ向けて核軍縮が協議されているが、
「まずウチが核兵器全廃しま~す。だから、みんなもやめよーよ!」
・・くらい、ハラの据わった発言が聞きたいもんである。
しかし、大きな問題が1つ・・。
「こちらがまず、絶対的に相手を信じる」
・・とゆー無防備に相手の懐に飛び込む作戦には、こちらが傷付くのも厭わない・・とゆーくらいの覚悟が、やっぱ必要なんだよなあ・・。
それでもまず、信じる勇気を・・プリーズ・・!
ゆるすことは
幸せになるための処方箋
ゆるさないことは
苦しむための処方箋
苦しみの原因が何であれ
苦しみにはすべて「ゆるさない」という種が
宿っていないだろうか?
復讐の念を燃やしつづけ
愛や共感を出し惜しみすれば
健康を害し 免疫が低下することは
まちがいない
当然だと思われるような怒りでも
こだわりつづけていれば
神の安らぎを味わえなくなる
ゆるしとは
その行為をよしとすることではない
残虐な行動を
見逃すことではない
ゆるしとは
怖れに満ちた過去に
こだわりつづけるのをやめること
ゆるしとは
古傷を引っかいて
血を流しつづけるのをやめること
ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
いまこの瞬間に
100%生き 100%愛すること
ゆるしとは
怒りからの解放であり
攻撃的な思いにさよならすること
ゆるしとは
誰に対しても
愛を拒まないこと
ゆるしとは
ゆるさないという思いから生じた
心の空洞を癒すこと
ゆるしとは
過去に何をした人でも
すべての人のなかに
神の光を見ること
ゆるしとは、相手のためだけでなく
自分自身のためであり
自分が犯したまちがいのためであり
くすぶりつづけている罪悪感と
自分を恥じる気持ちのためである
最も深い意味でのゆるしとは
愛で満ちた神から自らを
切り離してしまった自分を、ゆるすこと
ゆるしとは
神をゆるすことであり
神は自分を見捨てたという
おそらくはまちがっている考えを
ゆるすこと
いまこの瞬間にゆるすということは
もう先延ばしせずに
ただゆるすこと
ゆるしは心の扉を開け
感情をスピリットと一体にし
すべての人と一体にし
すべての人を神と一体にする
ゆるすのに
早すぎることはない
遅すぎることもない
ゆるすにはどれだけの時間が
必要だろうか?
それはあなたの価値観しだい
絶対にムリだと信じるなら
絶対に起こらない
半年かかると信じるなら
半年かかる
一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ
私は心から信じている
一人ひとりが
自分も含めてすべての人を
完全にゆるせるようになったとき
世界は本当に平和になるということを
ジェラルド・G・ジャンポルスキー
(『ゆるすということ』より)
三浦知良。
―通称、「カズ」。
「キング・カズ」とも言われた日本のサッカーを牽引してきた男。
43歳の今も、プロとしてプレーし続ける現役最年長選手。
90分間、走り続けるコトが出来るよう、ストイックにハードな練習を自らに課すその姿が、若い選手たちの見本となり、刺激を与え、プロ意識を植え付ける”日本サッカー界の魂”とも言うべき存在である。
ドーハの悲劇を経て、4年後のジョホールバルの歓喜で日本が初出場を決めたフランスでのワールドカップが1998年、今からもう12年前のコト。
しかし、カズは悲願のワールドカップ出場の夢破れ、まさかの代表落選・・。
自分にとって、もうワールドカップはないのか?・・との思いに襲われた。
昨日、NHKの「プロフェッショナル」とゆー番組で、カズはその時のコトを振り返り、こう語っていた。
「もしかしたら、あそこからがサッカーの人生のはじまりだったのかもしれないね。
そこまでは、もしかしたらもう、本当にこう、こう言ってはなんですけど、余興だったのかなっていうね。
あそこから本当にこう、『自分がどうなるか?』っていう・・あの、サッカーの神様が与えたものじゃないの?
『お前はここから、どうやってサッカー選手としてやっていくんだ?』っていうね。
そんなような気がしますね。
サッカーの神様がいるなら」
運命は、時に残酷だ。
神様は、こっちの事情などお構いなしに、過酷な問いかけをしてくる。
自分の信じてきたものが、足元から崩れ去るような挫折を味わうコトもあるだろう。
―お前はここから、どう生きるのか?
―それでもやるのか?
落ち込む時もある。
くさる時もある。
傷つく時もある。
「もうダメだ・・」という絶望感に駆られ、すべてを投げ出してしまいたくなる時もある。
しかし、誰よりも真摯にサッカーと向き合ってきた12年間こそが、その神様の問いかけに対する、カズの答えに他ならない。
番組最後、恒例のプロフェッショナルとは?・・という質問に対し、カズは「どんな状況に立っても全力を出し切る、出せる人」と答えていた。
「どんな状況に立っても」
・・という言葉が、とても重みある響きにきこえた。
①1日の予定を書く
②キーワードを探しながら新聞を読む
③食事の際、目隠しをする
④左手だけで洗濯物を干す
⑤部屋の模様替えをする
⑥月1回、思いきって高い買い物をする
⑦喧騒の中で他人の話に聞き耳を立てる
⑧目的地の一駅手前で降りてウォーキングする
⑨知らない人と会話する
⑩行った場所までの地図を描いてみる
⑪寝る前にポジティブな日記を書く
先日、TVでやっていた脳にいい11の習慣。
「こんなコトが・・?」と感じるものもあるが、要は普段と違うコトをするコトで、適度な刺激を脳に与えてやるコトが、脳の活性化につながるというもの。
運動するコトで血流がよくなり、ブドウ糖や酸素などが血液とともに脳に送られ、脳全体を刺激するので、当然、ウォーキングなど体を動かすコトも脳の活性化によい。
適度な刺激というのがポイントで、脳はストレスに弱く、心配事や悩み事など、過度な刺激でストレスがかかると記憶を司る海馬の神経細胞が壊れ、甚だしくは記憶障害など、脳に支障をきたすコトもあるという。
寝る前にポジティブな日記を書く・・というのは、まさしく、自分がポジティブなよい状態であるコトを脳に刷り込むためで、脳の活性化には、ポジティブな心理状態であるコトが不可欠であるといえよう。
これは、逆に脳に悪い習慣を見るとわかりやすい。
それは、
愚痴を言う
趣味がない
終わりが見えると安心してしまう
・・というもの。
「疲れた」、「苦しい」、「無理だ」、「出来ない」・・といった否定的な、ネガティブな言葉を使うコト。
こうしたネガティブな態度は周囲にも伝染してしまう。
さらに何事にも関心を持てず、新しいコトにチャレンジしようとしない態度は、日常のルーチンワークの中に埋没してしまうコトになり、脳に適度な刺激を与え、活性化させる上で大きな妨げとなる。
また「もうチョットで終わりだ」と思った途端、脳が安心して作業効率が非常に悪くなってしまうそうだ。
これは誰しも身に覚えがあるのではないだろーか・・?
オリンピックで金メダルをとった北島康介選手は、日本代表チームの脳科学的戦略指導家から「ゴールしたら終わりではなく、ゴールして電光掲示板の自分のタイムを見たら終わり」という指示を受け、練習時もそれを体に覚えこませたという。
目標とする地点をさらに先に設定するコトで、最後の最後で効率が落ちるコトなく、思わぬ力が発揮できたのだそうだ。
常に前向きで、ポジティブで、ワクワクしてるコトが脳の活性化にはよい、とゆーのが結論といえよう。
いい刺激になる話でした・・。
One for all,
all for one.
「一人は皆の為に、皆は一人の為に」という、ラグビーで有名な言葉。
実話を元にしたスポ根ドラマの金字塔、「スクールウォーズ」で一躍有名になった感があるラガーマンの合言葉ともいえるフレーズで、自分もてっきりそうだと思っていた。
が、実は出典はアレクサンドル・デュマの『三銃士』だそうだ。
原典のフランス語だと「 un pour tous, tous pour un 」となるそう。
まあ、出典はともかく、シンプルな中に、真理がある名言には違いない。
最近、この言葉が妙に頭に浮かんでくるのは、やけに「all for one」が強調される世の中だからだろーか・・?
ケネディ大統領の就任演説の有名なフレーズ、
「Ask not what your country can do for you,ask what you can do for your country」
(国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何が出来るかを尋ねてみてください)
・・のごとく、その前に「One for all」があるコトを、決して忘れてはならないだろう。
本来、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずもなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがないのである。
キウィはニュージーランドに生息する飛べない鳥。
フルーツのキウィの名前の由来はこの鳥からで、茶色い羽毛に覆われた卵のような丸っこいその姿は、まあ、確かに似てるっちゃあ似てる・・。
一見、地味~な、飛べない鳥だと侮るなかれ。
ニュージーランドの先住民、マオリ族の寓話にこういうものがあるそうだ。
<ある日、森の王、タネマフタは森の中を歩いていた。
彼は子どもである空に届く木々を見上げ、彼らが虫に食われて病気になりつつあることに気づいた。
弟である空の王、タネホカホカに話すと、彼は子どもであるすべての空の鳥を呼び集めた。
タネマフタは、鳥たちに語りかけた。
「何者かが、わたしの子どもである木々を食い荒らしている。誰か一人、森の屋根から降りてきて地上で暮らしてくれないか。そうすれば、わたしの子どもたちは助かる。君たちの住処も助かる。誰か来てくれるかい?」
みんな静かだった。どの鳥もしゃべらなかった。
タネホカホカはトゥイの方を向いた。
「トゥイよ、森の屋根から降りてきてくれるかい?」
トゥイは木々を見上げ、葉を透かす太陽を見た。
そして、冷たく暗い地上を見下ろし、身震いした。
「タネホカホカさま、地上は暗すぎます。わたしは暗いのは怖いです」
タネホカホカはプケコの方を向いた。
「プケコよ、森の屋根から降りてきてくれるかい?」
プケコは木々を見上げ、葉を透かす太陽を見た。
そして、冷たく湿った地上を見下ろし、身震いした。
「タネホカホカさま、地上は湿りすぎています。わたしは足が濡れたくありません」
タネホカホカはピピファラウロア(カッコウ)の方を向いた。
「ピピファラウロアよ、森の屋根から降りてきてくれるかい?」
ピピファラウロアは木々を見上げ、葉を透かす太陽を見た。
そして、家族を見渡した。
「タネホカホカさま、わたしは今、巣作りにいそしんでおります」
タネホカホカの心は悲しさで満ちていた。
もし彼の子どもたちが誰ひとり森の屋根から降りてこなければ、兄が子どもたちを失うだけでなく、鳥たちも家を失うのだ。
タネホカホカはキウィの方を向いた。
「キウィよ、森の屋根から降りてきてくれるかい?」
キウィは木々を見上げ、葉を透かす太陽を見た。
そして、家族を見渡した。
冷たく湿った地上を見下ろし、もう一度周りを見渡してから、タネホカホカに告げた。
「行きましょう」
この小さな鳥が与えた希望に、タネホカホカとタネマフタの喜びはひとしおだった。
しかし、タネマフタはキウィに、その決断によって何が起こるかを伝えなければならなかった。
「キウィよ、大地で暮らすには、太くて強靭な足がいるぞ。美しく、色とりどりの羽と翼も失い、二度と森の屋根には戻れないぞ。二度と日の光は拝めないぞ。それでも森の屋根から降りてきてくれるかい?」
そして、もう一度周りを見渡してから、タネホカホカに告げた。
「行きましょう」
タネホカホカは、他の鳥たちに向かい、こう言った。
「トゥイよ、おまえは臆病すぎて森の屋根から降りてこられなかった。これからは臆病者の証として、のどにふたつ、白い羽をつけるのだ」
「プケコよ、おまえは足を濡らしたくなかった。これからは永遠に沼で暮らすのだ」
「ピピファラウロアよ、おまえは巣作りが忙しすぎた。これからは自分で巣を作ることはなく、ほかの鳥の巣に卵を産みつけるのだ」
そして最後にキウィに向かい、こう言った。
「キウィよ、おまえは自らを犠牲にした。おまえは、もっとも有名で、誰からも愛される鳥になるであろう」
http://acky.s5.xrea.com/nz_kiwistory.html>
―こうしてキウィは美しい羽をなくし、空を飛べなくなったというのだ。
現在、キウィはニュージーランドの国鳥として愛され、ニュージーランド人を指す愛称にもなっているという。
オスが巣作りや子育てをするコトから、ニュージーランドでは家事に協力的な夫を「キウィ・ハズバンド」 (Kiwi Husband) と呼ぶそう。
理想的な男性像、夫像というワケだ。
昨日、このキウィ・ハズバンドのコトをやってたTV番組に出ていたニュージランド人の旦那さんが、こう言ってたのが印象深かった。
「Happy wife、Happy life!」(妻がしあわせなら、人生もしあわせ!)
男は、こうありたいねえ・・。