Peace Waveの平和な日々~行く雲、流れる水のように~

気が向いたら、ボチボチ更新しようかと・・。(笑)

大海への旅

2010年06月26日 | 人生覚書き

 

   生は寄なり 死は帰なり

 

                          『淮南子』精神訓より

 

「せいはきなり しはきなり」と読む。

人は、仮にこの世に身を寄せて生きているにすぎず、死ぬコトは、本来いた所に帰るコトである・・というイミ。


『淮南子』(えなんじ)は前漢武帝の頃、淮南王劉安(B.C179~122年)が学者を集めて編纂させた思想書で、道家思想を中心に儒家法家陰陽家の思想を交えて書かれており、一般的には雑家の書に分類されるそうだ。

日本へはかなり古い時代に伝わっており、「八紘一宇」の由来となった『日本書紀』神武天皇の言葉、「掩八紘而爲宇」も『淮南子』から引用されたという。

 

中学?の頃だったか、ずい分前に、ことわざ辞典か何かで見つけたのが最初だったと思う。

自分の座右の銘であり、こころが楽になる言葉。

結構、小さなコトにクヨクヨ悩んだりしてる時、この言葉を思い出すと、開き直れる・・とゆーか、「所詮、人生も仮住まいだな・・」と、いいイミでリセット出来、気持ちも大きくなる、壮大なスケール感のある言葉である。

 

人はどこから来て、何の為に生き、どこへ行くのか?

 

―人生の三大疑問であるが、真摯にこの問いに向きあった時、人はいかなる思いを抱くだろうか?

 

「死」は必然である。

それは、「生」を享けた瞬間から運命づけられている。

 

諸行無常

 

行雲流水

 

流るるままに・・

 

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」

松尾芭蕉『奥の細道』の序文であるが、そうした無常感―決して投げやりなニヒリズムではなく、大きな流れの中に身をゆだねて、何事にもとらわれるコトなく、風の吹くまま気の向くまま、自由に、楽に生きる・・。

”天地自由人”とでも言おうか?

 

・・そんな境地で、いつもいられたらいーのだが・・。

 

小さなコトにこだわって、とらわれて生きるなんてバカバカしい・・。

 

所詮、すべては同じ大海に注ぐ、小さな川の流れに生きる群れにすぎないと思うのである。

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿