休みの日は家の中でできる簡単な運動をします。今日はベットの端に腰かけて、腹筋体操、まっすぐ後ろに倒れるのと壊れている右側、やはり力を入れることが少ないのか右側ばかり肉が着くようで反対側の方に体を倒して二種類の腹筋を繰り返します。 そばに置いたラジオから、鎌田實先生の声で ”かわいそうな像のお話”の朗読が聞こえてきました。聞き入っている間に胸がキューンとしているうち、鎌田先生も声を詰まらせていました。 いくつかの絵本を紹介して平和を皆で守ろうと結んでいました。 ふと1946年の夏、中国の大連沖の葫蘆島で引き上げの順番を一年以上待つまだ生まれて間もない私。
順番が来て乗り込んだ引き上げ船192号。 どうして引き上げ船の番号まで知っているのか。 待っている間にもやっと船に乗ってからも赤ん坊は栄養不良と腸チフスにかかってほとんど死んでしまったのだそうです。 近くに寝かされていた赤ちゃんは船の中で死んでしまい日本に連れて帰れずそのまま日本海に。
船の号数を名前に付けて“いくじ”。そんな話を聞かされていたせいか、脳溢血で倒れて五日間の昏睡状態の間、気がついてしばらくしてから家人に話したことは、ずっと海に浮かんでいたこと。
(復員輸送船192号は1945年3月に三菱造船で海防艦として造られ、戦後復員輸送船に。任務完了後中国へ引き渡されたそうです。)
家人にもそれはきっと日本海だろう。君の頭に記憶として残っていたんだろう。と言われました。 先日交通事故でやはり昏睡になった方は原色の綺麗なお花畑を見たというのに。