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モーシェ・アツモン指揮BBCウェールズ響によるモーツァルト「レクイエム」(1978年録音)

2010年09月30日 15時55分50秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の15枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6055
【曲目】モーツァルト:「レクイエム」
          :フリーメーソンの葬送音楽
          :アヴェ・ヴェルム・コルプス
【演奏】モ―シェ・アツモン指揮BBCウェールズ交響楽団、同合唱協会
    ジェニファー・スミス(ソプラノ)、ヘレン・ワッツ(メゾ・ソプラノ)    イアン・パートリッジ(テノール)、スタンフォード・ディーン(バス)    
【録音日】1978年9月8日


◎モーツァルト「レクイエム」ほか
 この、モーツァルトの「レクイエム」を中心にしたCDで指揮をしているモーシェ・アツモンは、日本の音楽ファンにも馴染みの深い名前だと思う。これまで1977年の初来日以来しばしば日本の聴衆に自身の指揮を披露するだけでなく、その名トレーナーとしての手腕を買われて、78年から86年までは東京都交響楽団のミュージック・アドヴァイザー兼首席指揮者として貢献し、さらに、1987年から93年までは、名古屋フィルハーモニーの常任指揮者に就任している。名古屋フィルでは、アツモンの功績を称えて、退任後、名誉指揮者の称号を贈っている。
 このCDは、そうしたアツモンが東京都交響楽団の首席指揮者に就任した年に、イギリスのカーディフに本拠を置くBBCウェールズ交響楽団らと行なった録音。つい先頃来日したこのオーケストラは、イギリスのBBC放送局傘下の交響楽団のひとつだが、日本の尾高忠明が8年間もの長い間首席指揮者となって良好な関係を築いてきたことでも知られている。尾高も、アツモンと同じように、その功績を称えられ、BBCウェールズ響から、桂冠指揮者の称号を与えられた。偶然とは言え、日本との縁が様々にあるCDだ。
 アツモンは1931年にハンガリーの首都ブダペストに生まれたユダヤ系ハンガリー人だが、イスラエルのテル=アヴィヴとロンドンで音楽を学び、デビューが1967年のザルツブルク音楽祭という経歴を持っている。ベルリンでロッシーニのオペラ「シンデレラ」「セヴィリアの理髪師」で、オペラ指揮者として成功した後、69年から72年までシドニー交響楽団の音楽監督を務め、72年からイッセルシュテットの後任として北ドイツ放送響の音楽監督、77年からバーゼル交響楽団の芸術監督・常任指揮者となり、翌78年から前述の都響との兼任となった。
 アツモンの「レクイエム」の演奏は、オペラ指揮者としての実績を感じさせる声楽のまとまりの良さを聴かせ、独唱陣もよく全体のなかに取り込んで、横に流れる声楽のラインを中心とした流麗な音楽で進められて行く。音楽の表情が平明で、メリハリを強調したものではないので、平板な印象を与える部分もあるが、その穏やかな起伏は、良い意味でアマチュア的な合唱の響きとともに、親しみ深い演奏となっている。 (1996.2.2 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 誤解されないために念を押しますが、これは、とても穏やかなアプローチをしっとりと聴かせる、いい演奏です。アツモンの都響や名フィルの演奏を聴かれたか方なら、想像していただけると思います。名フィルとの「第9」のCDも、よい演奏でしたね。このライナーノートの「良い意味でアマチュア的な合唱の響き」というのは、さらに誤解されかねません。現に、この原稿を渡した時、担当ディレクターだった川村氏が少々気にしていましたが、様々に話をして納得してもらった記憶があります。いわゆる「プロっぽい」したたかな合唱団にはないしなやかさなひたむきさが魅力で、これは貴重なものだと思いました。そういうものを引き出す指揮者でもあるのでしょう。今なら、もうちょっと違う表現で書けたかもしれませんが、ひとことで表現するのはむずかしいことがらです。


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ヘルヴィッヒ/BBCフィルによるシューベルト「グレート」の、一気呵成の魅力

2010年09月28日 07時55分13秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の14枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6054
【曲目】ウェーバー:「オイリアンテ」序曲
    シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」
【演奏】ギュンター・ヘルヴィッヒ指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
【録音日】1985年4月11日、1985年4月10日

■このCDの演奏についてのメモ
 このCDには、最近ますます貴重になってきた本格的ドイツ音楽の指揮者のひとりとして、ヨーロッパで次第に実力が認められてきているギュンター・ヘルビッヒによる演奏が収められている。これは、ドイツ・オーストリア圏の音楽伝統を自身の内にしっかりと根付かせているヘルビッヒが、確信をもってイギリスの聴衆にドイツ・オーストリア圏の音楽の神髄を聴かせている1枚と言えるだろう。ドイツのオーケストラを相手にしているときよりも、低弦を主体にした重厚な響きや、音楽の高揚を意識的に引き出そうとするヘルビッヒの意志が前面に出てきていて、アンサンブルの崩れやテンポの揺れを引き起こしているのが興味深いとともに、即興的な魅力にもなっている。
 シューベルトの「交響曲第9番」は序奏の部分から、深々とした呼吸で貫かれたスケールの大きい演奏が聴きとれる。こうした息づかいの深い自然さは、第2楽章や、あるいは第3楽章の中間部などの少し沈んだ表情では、振幅の大きい低弦の動きと併せて、いっそう効果的だ。
 終楽章に至って、ヘルビッヒの演奏は音楽のロマン派的高揚に全幅の信頼を置いて、積み上げ、昇りつめてゆく。旋律の骨組がきっちりと把握された堂々とした響きで突き進む。その足取りの迷いのなさは、ロマン派的情熱の有効性が希薄になりつつある現代で、この指揮者が持っている貴重な資質だ。
 以下に、ヘルビッヒの経歴を記そう。
 ギュンター・ヘルビッヒは、1931年にチェコスロヴァキアに生まれたが、ドイツの名指揮者ヘルマン・アーベントロートに学び、ワイマール歌劇場でデビューするなど、ドイツの正統的な音楽環境の中で育った。1972年から77年までドレスデン・フィルハーモニー、77年から83年までベルリン交響楽団の首席指揮者、音楽監督を歴任しており、この時期までは、当時の東ドイツ側を活動の場としていたが、83年以降アメリカに移り、ダラス交響楽団の首席客演指揮者を経て、84年からドラティの後任としてデトロイト交響楽団の音楽監督に就任した。90年からは、カナダのトロント交響楽団の音楽監督に就任している。
 BBCフィルハーモニーはBBCノーザン交響楽団が83年に改称されたもので、BBC放送局が傘下に収める管弦楽団のひとつ。イギリスのマンチェスターに本拠を置いている。ヘルビッヒは80年代に入ってから、毎年のように、このBBCフィルハーモニーに客演していて、この顔触れでのCDは、本シリーズでも既に、ベートーヴェンの交響曲第4番と第5番、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の2枚がある。(1996.1.26 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 ブックレットに掲載されている録音データを見ていたら、「オイリアンテ」序曲のみヴィクトリア・ホールでの録音で、シューベルトの「交響曲」は、その前日、マンチェスターのBBCスタジオでの録音となっていたので、びっくりしています。 私はマンチェスターの放送スタジオの実態を知りませんので、どこかの放送局のスタジオのように、聴衆を入れて公開録音をすることがあるのか、とか、まったく様子がわからないので迂闊なことは言えませんが、翌日のコンサートに向けての「総練習」のテイクが、本番よりも良かったので、このBBCラジオクラシックスでの使用テイクとなったのかもしれないと思っています。私が上記のような印象を演奏から受けているということは、たとえスタジオ録音でも、一筆書きのような勢いのある演奏だったということでしょう。私自身は聴衆ノイズや拍手の有無に言及していませんから、これを執筆した時には、そうしたことを気に留めていなかったのだと思います。
 「本番の演奏会テイクではなく、その前日の総練習のテイクを使用する」――このシリーズのプロジェクトは、テイクの選択に際してそうしたことがあってもおかしくないほど、細部にまで神経が行き届いた選曲、アルバム構成、音源調整をして作成されていました。曲間ブランクの長さ、拍手の残り方などもよく考えられていました。一度、ゆっくり聴き直してみたいと思っています。





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ヘルヴィッヒのマーラー「交響曲第5番」の不思議な〈なつかしさ〉に想うこと――近代人の〈抒情〉の形象

2010年09月17日 10時35分16秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の13枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6053
【曲目】マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
【演奏】ギュンター・ヘルヴィッヒ指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
【録音日】1984年3月27日


◎マーラー「第5番」
 このCDの指揮者ギュンター・ヘルビッヒは、1980年代の初め頃までは当時の東ドイツで活躍していた。その後西側に移り、このCDのBBCフィルハーモニーへもしばしば客演していたが、最近は毎シーズンのパリ管弦楽団への登場を初めとしてヨーロッパの各都市やアメリカで、オーソドックスなドイツ音楽の手応えを聴かせる数少ないひとりとして評価が高まっている。
 ヘルヴィッヒの、マーラー演奏は、スコアの隅々まで照射するアプローチで聴く者を説得するといったものではなく、あくまでもシューベルトやシューマンに連なるロマン派の系譜の延長で、オーソドックスに捉えられたマーラーだ。全体に弦楽を主体にした歌に力点を置き、豊かな抑揚で歌い継いでゆく。オーケストラの技量から、しばしば響きの混濁を生じてしまうのが惜しいが、その分だけ、縦のラインをぴたりと揃えた管理の行き届いた演奏にはない味わいが聴こえてくるのは、ヘルビッヒの音楽のベースが、自然な流れに根ざしているからだ。第2楽章の表情付けには、〈自然〉に対峙する人間の哀歓が感じられ、最近の自意識の過剰に彩られたマーラーを聴き慣れた耳になつかしさを感じさせる。
 近代の抒情は、攻めぎあう対立の構図を引出す底意地の悪さとでも言ったものに振り回されているが、ヘルビッヒのマーラーには、調和と同化を求めてやまない人間の優しさがあふれている。だから、有名なアダージェット楽章から終楽章への流れも、暗部をえぐりだすよりも、明るい未来へと向かって行く高くかかげた希望を、ことさらに意識させる美しい演奏となっている。終楽章では、金管セクションがしばしば飛出しすぎたり、リズムの刻みがくずれたり、と問題が噴出する。旋律の重層的構造を克明に追えないための緊張感の断裂を立て直そうとする、ライヴ録音ならではのヘルビッヒの苦心の跡も聴き取れる。だが、だからといって、全体の印象がバラバラに分散してしまうわけではない。オーケストラの弱点をあまり気にさせないで、結局、最後まで聴かせてしまうのは、ヘルビッヒの、ドイツ・オーストリア音楽のオーソドックスな価値に対する揺るぎない自信と慈しみがさせていることだろう。(1996.1.30 執筆)

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ショスタコーヴィッチ「11番」――プリッチャ―ド1985年盤とストコフスキー1958年盤の乖離

2010年09月15日 10時27分05秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の12枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6052
【曲目】ショスタコーヴィッチ:交響曲第11番《1905年》」
【演奏】ジョン・プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
【録音日】1985年4月12日

◎ショスタコーヴィッチ「交響曲第11番」
 1921年にロンドンに生まれたプリッチャードは、指揮者としてはオペラ経験の長い人だ。イギリスのグラインドボーン音楽祭での活躍が知られているが、ドイツのケルン市立歌劇場の音楽監督をしていた期間も長い。それが彼の、全体構造をきっちりと把握した上での、豊かな即興性あるロマン派音楽の演奏に大きく寄与しているのかも知れない。晩年はBBC交響楽団の首席指揮者として1982年から89年の死の年まで活躍して、ブラームス、やベートーヴェン、あるいはエルガーなど、シンフォニー・コンサートでの実力をロンドンの聴衆に示していた。
 しかし、ショスタコーヴィッチの「交響曲第11番」といった現代のレパートリーとなると、少々状況が変ってくる。
 プリッチャードのショスタコーヴィッチを聴くと、作曲当時の時代の東ドイツなど東欧圏の演奏、例えばフランツ・コンヴィチュニーの残した録音に近いものを感じる。そこではショスタコーヴィッチの音楽は、暗く重い響きで口ごもる。プリッチャードのなかに、そうした演奏の伝統が根を下ろしていたとしても、彼の経歴からすれば、決して不思議なことではない。
 例えば第2楽章。テンポの変化が浅く、管・弦のバランスの移動も控え目。全体に表情付けが淡泊で、あっさりと進行してゆく演奏だ。カラフルな音色の変化も抑えられている。ショスタコーヴィッチの効果的なパーカッションの使用、リズム構造のおもしろさも出てこない。これはショスタコヴィッチ作品の演奏では、本当は困ったことなのだが、このあたりに、プリッチャードの音楽観が見え隠れする。
 ショスタコーヴィッチの「交響曲第11番」の西側諸国での演奏として、アメリカ初演を行なったレオポルド・ストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団による初演直後の録音がCDでも復刻されている。この演奏は歴史的に意義があるだけでなく、演奏そのものも優れたものだ。これを聴くと、ショスタコーヴィッチの一見モノトナスな部分でさえ、暗部の底のステンド・グラスのように様々な色彩を放っているのがわかる。そのストコフスキーが自身でバッハやベートーヴェン、ワーグナーなどの作品を色彩感豊かな管弦楽に編曲したりしていたのは有名なエピソードだ。こうした極端な例を持ち出さないまでも、私たちの時代は、ショスタコーヴィッチの描いた複雑な音響やリズムを聴き分ける耳で、バッハやベートーヴェンを聴いているのだという厳然とした事実がある。決してベートーヴェンを聴く耳で、ショスタコーヴィッチを聴きたいとは思わないという観点は、確かにあるのだ。だが、その一方で、それとはまったく相容れない視点もあるということに、プリッチャードの演奏は気付かせてくれる。 (1996.2.4 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 この原稿は「時代と演奏スタイル」との関わりについて考え続けている私にとって、貴重な感覚を思い出させてくれました。すっかり忘れていましたが、15年ほど前に、こんなことを書いていたのだと感慨深いものを感じました。ここで触れているストコフスキー盤は、米キャピトル盤です(ブログup時に、米エヴェレストと誤記しました。訂正します)。老いても「進取の気概」を失わなかった大指揮者が残した貴重な遺産のひとつ。この曲の西側での評価に大きな影響を与えた録音です。




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ロジェストヴェンスキー/BBC響による1981年録音のマーラー「嘆きの歌」は、ロシア的な文学的解釈?

2010年09月10日 16時31分15秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の11枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6051
【曲目】マーラー:カンタータ「嘆きの歌」
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団
    テレサ・カヒル(ソプラノ)
    ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
    ロバート・ティアー(テノール)
    ギーネ・ホーウェル(バス)
    BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
【録音日】1981年7月20日


◎マーラー「嘆きの歌」
 ロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは、戦後世代では最もイギリスとの関係が深い指揮者だろう。1978年から82年までは、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として活躍していたが、この有能な指揮者の国外流出を快く思わなかったソ連政府(当時)によって、82年に半ば強引に帰国させられたが、それがなければ、ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆とのきずなは、更に堅固なものになっていただろう。
 このCDは1981年の録音で、前述のように当時ロジェストヴェンスキーは、このBBC交響楽団の首席指揮者をしていた。
 当時の音楽状況から見ると、マーラー作品の演奏としては、この1981年という年は過渡期に当たるだろう。バーンスタイン、クーベリックといった指揮者のマーラー全集の録音が、1960年代から70年代にかけて完成したあとを受けて、80年代はマゼール、テンシュテット、アバド、インバルなどの新しいマーラー像探求が少しずつ進み始めた時期なのだ。若きサイモン・ラトルが最初のマーラー録音「交響曲第10番」を、クック校訂の全曲版で収録したのも1980年だ。正に、第2期のマーラー・ルネッサンスだったが、ラトルがマーラーの「嘆きの歌」をEMIに録音して、この曲の存在を広く知らしめたのは1985年。当CDのロジェストヴェンスキーの演奏の5年後だった。
 ロシアのマーラー演奏にはそれほどの歴史や伝統がなく、目立った仕事としては、キリル・コンドラシンの一連の録音(これは、実にすばらしい)があるくらいだ。ロジェストヴェンスキーが当時、どの程度マーラーに取り組んでいたかは不明だが、この「嘆きの歌」を聴く限りでは、この曲を、その後のマーラーの交響曲世界に連なるものとして捉えるよりは、伝統的なロマン派の劇音楽の延長で捉えているように思われる。各パートの相互干渉に配慮したオーケストラの響きや、きめ細かく動かされるアーティキュレーションといったマーラー演奏の最近の主流とは異なり、語り口が優しく分かりやすく、親しみの持てる劇音楽として平易に聴ける演奏だ。これはロシアに伝統的にある、音楽に対して文学的にアプローチするスタイルが、むしろ色濃く影響したものと言えるだろう。(1996.1.30 執筆)




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ブーレーズによって鍛えられた頃のBBC響が、レッパード指揮でマイケル・ティペットを演奏すると……

2010年08月26日 10時43分23秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の10枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6050
【曲目】ティペット:コレルリの主題による幻想的小協奏曲
         :交響曲第3番
【演奏】レイモン・レッパード指揮BBC交響楽団
  ジョセフィン・バーストウ(ソプラノ)
【録音日】1976年12月15日


■このCDの演奏について
 イギリスの現代作曲家マイケル・ティペットの作品を2曲収めたCD。演奏するオーケストラは、このCDの録音の1年前までの首席指揮者が、戦後世代を代表する作曲家のひとりでもあるピエール・ブーレーズだったBBC交響楽団だ。このオーケストラはブーレーズが首席指揮者に就任していた1971年から75年の間に、かなりの現代作品の演奏に取り組み、また新作の発表に協力してきた。ティペットを、指揮台に迎えたこともある。
 一方このCDで、指揮をしているレイモンド・レッパードという指揮者については、日本では専ら、16世紀から17世紀にかけての作曲家モンテヴェルディの校訂者として知られている。グラインドボーン音楽祭におけるレッパード改訂版上演の映像がLDで発売され、話題になったりもした。そのほかのレパートリーも、パーセル、バッハ、ヘンデル、モーツァルトといった17世紀から18世紀の音楽が中心というように理解されている。
 ところが、このBBC・RADIOクラシックスのシリーズで、昨年マーラーの「大地の歌」が発売されてびっくりした矢先、今回、ドビュッシー、ルーセル、フォーレからなるフランス近代作品のアルバム、ショスタコーヴィッチの「交響曲第11番」、そしてこのティペットが登場したわけだ。こうしたジャンルまで指揮するのは意外だった。かなり、レパートリーが広い指揮者のように見受けられる。
 このティペットの演奏は、古典音楽に精通し、ロマン派の音楽については原則として避けているらしいこの指揮者の音楽性が反映し、気分の耽溺のない直截な表現が目立つ。そのこと自体は良いのだが、「交響曲第3番」の第1部でのリズム処理の曖昧さは少々気になるところだ。旋律の断片がそれぞれ小さなコアを形成して自立し、互いにぶつかり合う第2部でも、レッパードのいささか焦点の定まらない指揮では、この曲が本来持っている切り立った表現を見失ってしまいそうだ。
 このCDでは、当然ながら比較的保守的な手法の「コレルリの主題によるファンタジア・コンツェルタンテ」が、作品の魅力をよく引出した禁欲的な演奏で聴かせる。この曲には、もっと抑揚が大きく、音楽がグッと前にせり出してくるロマンティックなスタイルのグローヴズの名演もあるが、この作品の基本的な様式は、当CDのレッパードのようなアプローチにあるだろう。(1996.2.3 執筆)



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1966年プロムスに客演したロジェヴェン/モスクワ放響《悲愴交響曲》の熱気と、「はげ山の一夜」原典版

2010年08月24日 10時37分57秒 | BBC-RADIOクラシックス

 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の9枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6049
【曲目】グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
    ムソルグスキー:「はげ山の一夜」(オリジナル版)
    チャイコフスキー:「交響曲第6番《悲愴》」
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団
 (ムソルグスキー)BBC交響楽団、BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
   デイヴィット・ウイルソン・ジョンソン(バリトン)
【録音日】1966年8月21日、1981年7月27日(ムソルグスキーのみ)


◎チャイコフスキー「交響曲第6番《悲愴》」ほか
 ロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは、戦後世代では最もイギリスとの関係が深い指揮者だろう。1978年から82年までは、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として活躍していたが、この有能な指揮者の国外流出を快く思わなかったソ連政府(当時)によって、82年に半ば強引に帰国させられた。もし、それがなければ、ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆とのきずなは、更に堅固なものになっていただろう。
 このCDは1966年の録音で、当時ロジェストヴェンスキーが音楽監督をしていたモスクワ放送交響楽団と行なったロンドン公演を中心にしている。プロムナード・コンサート(プロムス)の招待オーケストラとしての演奏会だ。
 ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆との最初の出会いは、これより更に10年前にさかのぼる。1956年、ボリショイ・オペラの指揮者に就任した年のロンドン公演で「ボリス・ゴドゥノフ」を振ったのが最初と言われている。この時にはコヴェントガーデンでバレエ「眠りの森の美女」も指揮しているようだ。この時、ロジェストヴェンスキーはまだ25歳の青年だった。政治的に、いわゆる東側のヴェールの向うから突然登場した、若き天才指揮者を西側でいち早く評価し、以後盛んに招待演奏会のアプローチを続けたのはイギリスの音楽関係者だった。
 いずれにしても、当CDに収録された1966年の演奏会の、おそらく最初の曲と思われる「ルスランとリュドミラ」は、この曲のベスト演奏としてしばしば話題になるムラヴィンスキー/レニングラード・フィル以来の快演だ。このテンポ、この抑揚、これこそがロシアの音楽だ。はやる心を抑え切れないといった感じの大きな身振りの音楽が眼前に迫ってくる。「悲愴交響曲」は、この指揮者の開放的な性格が前面に出た演奏で、オーケストラにかなりの乱れがあるが、かまわずに突き進む。指揮者の熱気は伝わってくるが、この人はもう少し緻密な演奏が出来たはずだ、と思ってしまう。これはオーケストラの技量の故かも知れない。豪快さ一本で勝負に出た観があって、そのためか、第3楽章が終わったとたんに、プロムス名物の怒涛の拍手が沸き起こる。終楽章では、演奏にも集中を欠いているので、曲の終わりが何となく緊張が持続せずに、漠然と終わってしまったのが、拍手の具合からも聴きとれる。ロイヤル・アルバート・ホールのような大きな会場では、最弱音を集中して聴くのはむずかしいということもあるかも知れない。
 「はげ山の一夜」はリムスキー=コルサコフによる近代的なオーケストレーションの改作版が一般的だが、このCDの合唱付のオリジナル版は、ロシア的響きの本質の一端を聴くという意味で、興味深い。(1996.1.29 執筆)


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ノーマン・デル・マーは本当に「後期ロマン派」が得意?――リヒャルトの歌曲伴奏を聴いて考えたこと。

2010年08月19日 11時12分36秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の8枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6048
【曲目】リヒャルト・シュトラウス:「4つの最後の歌」
                :「オーボエ協奏曲」
                :「管弦楽伴奏付き歌曲、5曲」
      (作品27-2、39-4、43-2、56-5、56-6)
【演奏】ノーマン・デル・マー指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団、
      BBC交響楽団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
    ヒーザー・ハーパー(sop.)、ジョン・アンダーソン(ob.)、
    エリザベス・ハーウッド(sop.)
【録音日】1981年7月18日、1981年5月26日、1968年3月23日


◎R・シュトラウス「歌曲集」
 リヒャルト・シュトラウスの管弦楽伴奏付きの歌曲を中心にして、それに、同じくリヒャルト・シュトラウスの「オーボエ協奏曲」を加えたアルバム。ふたりのソプラノ歌手の歌の間に「協奏曲」が割って入る形に構成されているので、途中の歌手の交替に違和感がない。よく構成まで考えられたCDだ。
 3曲というか、3つのブロックに分けられた曲目は、録音日もオーケストラもそれぞれ異なるが、指揮はいずれもノーマン・デル・マーとなっている。
 指揮のノーマン・デル・マーは1919年に生まれたイギリスの指揮者。ホルン奏者でもあった。夭折の天才ホルン奏者として有名なデニス・ブレインは親友だったという。王立音楽学校を卒業後、名指揮者トーマス・ビーチャムに見いだされ、ロイヤル・フィルのホルン奏者をしながら、やがて指揮者となった。BBCスコティッシュ交響楽団などで活躍し、後期ロマン派、特にリヒャルト・シュトラウスを得意としていたと言われているが、1994年には世を去った。
協奏曲の伴奏指揮に安定感のある演奏をいくつか残しているが、あまり録音には恵まれていず、1990年録音で得意のリヒャルト・シュトラウスの交響詩「マクベス」、交響的幻想曲「イタリアから」がASVレーベル(日本クラウン発売)にあるのが目立つ程度だった。
 そういう事情だから、このBBCの録音によるCDは、デル・マーの得意ジャンルであるリヒャルト・シュトラウスが聴ける数少ないCDということにはなるのだが、「4つの最後の歌」ではヒーザー・ハーパーの声質ともども、あまりリヒャルト・シュトラウスの陰影のこまやかな豊かな音彩が聴こえてこないのが残念だ。安全運転に終始してしまって、呼吸が浅く、インスピレーションに乏しい薄塗りのリヒャルト・シュトラウスなので、直線的にボツボツと途切れてしまう。そうしたことは、「オーボエ協奏曲」にも言える。この2曲はどちらも1981年の録音だ。
 このCDでは、ずっと古い録音だが、1968年のハーウッドとの「最後の4つの歌」以外の管弦楽伴奏付き歌曲が、このCDでは、一番この作曲家の響きの豊かさを伝えている。(1996.1.29 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 久しぶりに読み返して、デル・マーの演奏に対しての素っ気ない表現に、少々申し訳ないなぁと思ってしまいました。ひょっとしたら、デル・マーの指揮の特徴を私が理解できないのかもしれません。私のこのCD評でのキーワードは「薄塗りのリヒャルト」というあたりですが、それを積極的に評価するのが「英国流」なのかと、名盤の誉れ高い英EMIのシュワルツコップ盤のことを思い出しながら考えました。
 ただ、「安全運転」「インスピレーションに乏しい」という私の感想に間違いがなければ、それはやっぱり、いけません。デル・マーという指揮者には、他の曲でもそうした印象がありますが、どうだったでしょう。数年前にHMVの店頭でしたか、手書きでかなりの「煽りポップ」を付けて、デル・マー指揮のチャイコフスキーを売っていたことがあって、つい買って帰りましたが、そんなに大騒ぎするような演奏ではなかった記憶があります。
 でも、そもそも、「後期ロマン派」というドイツ・オーストリア圏でことさらに「いびつ」な音楽が得意だと言うイギリスの指揮者、というのが曲者かもしれません。つまり、そうした「いびつ」をすっきり聴かせることで評価されていたのだとすれば、これは根底から、見方を変えなくては……ということです。
 西欧の音楽を聴くと言う行為は奥深い、のです。(これはマニア気取りの単純な名盤かぶれの人には無縁のお話しです。)


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様々な時代のイタリア系作曲家の作品を、若き日のマッケラスの指揮で聴く珍しい一枚

2010年08月12日 12時45分44秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の7枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6047
【曲目】レスピーギ:「鳥」
          「ボッチチェリの三幅画」
    ケルビーニ:「交響曲ニ長調」
    ブゾーニ:「喜劇的序曲」
【演奏】パトリック・トーマス指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
    チャールズ・マッケラス指揮ロンドン交響楽団
【録音日】1984年1月6日、1969年2月8日

■このCDの演奏についてのメモ
 このCDは様々な時代のイタリア系の作曲家の作品を収録している。バロック音楽を素材にして書かれたレスピーギの組曲「鳥」がパトリック・トーマス指揮のBBCフィルハーモニーの演奏である以外は、すべてチャールズ・マッケラス指揮のロンドン交響楽団が演奏しているが、録音はいずれも、このライヴ中心のBBC・RADIOクラシックスのシリーズではめずらしくスタジオ収録だ。
 一見雑多に並べられたようなアルバムだが、いずれも古典的な均衡感のある美しさで共通しており、声高なところの少ない比較的控え目な音楽が続く。そして後の曲になるほどに、構築的な劇性が強まるといった仕掛けになっているようだ。なかなか、これはこれで考えられた組み方に仕立てられたCDだ。
 演奏はマッケラスの「ボッティチェリの三幅画」が、第1曲「春」の快活な表情や、第2曲「東方の三博士たちの礼拝」の彫りの深い表現で群を抜いて楽しませてくれる。また、マッケラスの人間味あふれる人肌のような温かさを感じさせる劇的な表現が、ケルビーニの「交響曲」では思いがけずロマン派の交響曲の前ぶれを予感させるのも、このCDの収穫だ。最近は古典的プロポーションを大事にした秀演を聴かせるマッケラスだが、この1969年の録音では、対象に直接肉迫する若々しさがある。やはり、この人は見識だけではなく、豊かな音楽性とあふれる情熱を併せ持っていたのだと、改めて思った。
 チャールズ・マッケラスは1925年にオーストラリア人を両親にニューヨークで生まれ、シドニー交響楽団のオーボエ奏者からスタートしたが、やがてロンドンに留学。さらに、紹介者を通じてチェコ・フィルハーモニーの大指揮者ターリッヒを頼ってプラハに留学、そこでヤナーチェクの作品と出会ったマッケラスはロンドンに帰国後、弧軍奮闘してヤナーチェクの紹介に努めるかたわら、サドラーズ・ウェルズ劇場のバレエ指揮者として地道な活動を続けた。努力の成果が実って、現在ではヤナーチェク作品の演奏の第一人者として認められているのはよく知られている。その他モーツァルトの交響曲の演奏でも、その学究的なアプローチが評価されている。
 パトリック・トーマスはオーストラリア出身の指揮者で、ヨーロッパ各地のオーケストラとの共演は数多いが、主にオーストラリア国内で活動している。(1996.1.29 執筆)




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レイモン・レパード指揮「近代フランス音楽集」(ドビュッシー/ルーセル/フォーレ)の珍妙な演奏の意味

2010年08月10日 15時27分02秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の6枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6046
【曲目】ドビュッシー:管弦楽のための「映像」
    ルーセル:交響曲第3番 ト短調
    フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード
【演奏】レイモン・レッパード指揮BBCノーザン交響楽団
    マルコム・ビーンズ(ピアノ)
【録音日】1976年11月23日、1976年5月26日

■このCDの演奏についてのメモ
 これは、非常にめずらしい内容のCDだ。収録されている作品がめずらしいのではなく、演奏者と作品との取り合わせがめずらしいのだ。レイモンド・レッパードという指揮者については、日本では専らモンテヴェルディの校訂者として知られ、そのレパートリーもパーセル、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトといった17世紀から18世紀の音楽が中心というように理解されている。このBBC・RADIOクラシックスのシリーズで前回マーラーの「大地の歌」が発売されてびっくりしたが、今回はドビュッシー、ルーセル、フォーレというフランス近代の作品のアルバムだ。こうしたジャンルまで指揮するとは寡聞にして知らなかった。
 演奏は、やはりかなり特異なもので、それはドビュッシーの作品でより顕著だ。ドビュッシー特有の旋律の有機的なつながり、折重なりがそぎおとされ、ボツボツとちぎれた旋律が放り出されたような演奏だ。特に「イベリア」の第3曲「祭の日の朝」は大傑作で、私は、こんなふうにサウンドがバラケて一人歩きしている演奏を、これまで聴いたことがなかった。しかし、それでいて奇妙に説得力があるから不思議だ。色彩感とか、描写音楽としての匂いとか空気感の極端に抑えられた演奏というのだろうか? ドビュッシーの書いたスコアの素材がくっきりと浮び上がるという意味では、かなり今日の音楽的趣味を満足させてくれる。面白さでは相当な演奏だが、これを聴いてドビュッシーの音楽をこういうものだと思うのは、かなり問題になるだろう。異能の演奏として聴くべきものだ。
 ドビュッシーに比べるとルーセルの作品は、その交響曲としての純粋性、構築性を前面に押出したことが、それなりの効果を生んでいるが、ここでも、その色彩感の不足が、この曲のルーツを見失わせているかも知れない。だが、この曲の背後にある作曲当時の暗い時代の反映は、モノトーンのギスギスした演奏から、飾り気のない真摯なものとして伝わってくる。そう言えば、こんな風にモノトーンのルーセルを聴いたことがある、と思って記憶をたどって思い出した。バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィルの演奏だ。それもまた、おそろしいくらいに単色の世界が迫ってくる演奏だった。
 なお、このCDでレッパードの指揮で演奏しているBBCノーザン交響楽団は、マンチェスターを本拠地とするBBC放送局傘下のオーケストラのひとつ。1983年に改組され、現在はBBCフィルハーモニーと名称を変えて活動している。(1996.1.29 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 このCDの演奏が、思わず「大傑作」と形容したくなったくらいに異色だったことをよく覚えています。メジャー・レーベルが世界の市場に商品として発売するような、いわゆる「標準的」な感覚に収まった演奏ではありませんから、このBBCのようなシリーズでなければ世に出ないはずの、ローカルな「地域限定演奏」だったと言えるでしょう。これが録音された1970年代は、まだ、そういうものがあり得た時代でした。世界中のオーケストラが、まだ、それぞれの国や地方の文化を持っていました。それが、高度な情報社会が到来し、皆がよく勉強してしまったおかげで、今では世界のいたるところに同じような演奏があふれかえっています。グローバルといえばそうですが、ボーダーレスなのです。失ってしまったものはたくさんありますが、そのおかげで、それぞれの個別文化の中での発想の限界を突き抜けるヒントがたくさん見つかったことも事実です。
 このCDが発売された当時、私はかなり面白がってこのCDの演奏の奇妙さに言及していますが、フランス風の演奏と全く違うこの演奏は、何か別の感覚に気付かせてくれるはずなのです。私の解説も、それを書こうとしながら、今一歩踏み込めていません。今なら、おそらく、もっと様々なことに気付くはずです。たった15年ですが、既に、演奏芸術を鑑賞する方法は、かなり変わってきているのです。今度、聴き直してみようと思いました。





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ロジェストヴェンスキー/BBC響のヤナーチェク「シンフォニエッタ」は、聴きなれた演奏とはかなり違う。

2010年08月06日 13時36分09秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の5枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6045
【曲目】ヤナーチェク:シンフォニエッタ(*1)
          :タラス・ブーリバ(*2)
          :交響詩「ブラニークのバラード」(*3)
    マルティヌー:二重協奏曲
~2群の弦楽オーケストラとピアノ、ティンパニのための(*4)
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団(*1,2)
    チャールズ・マッケラス指揮BBC交響楽団(*3,4)
    ハロルド・レスター(ピアノ)(*4)
【録音日】1981年10月28日(*1)、1981年8月25日(*2)
     1979年7月24日(*3,4)


■このCDの演奏についてのメモ
 別項にもあるように、イギリスの聴衆の持っている様々の民族の音楽伝統への接し方には、私たち日本人の想像を越えたたくましさがあって、それぞれの音楽の貪欲な吸収はヨーロッパ随一の幅の広さを誇っている。
 チェコの作曲家ヤナーチェクの作品を、チェコ国外でいち早く最も積極的に評価して、その普及に熱心に努めたのもイギリスだが、この作曲家の作品は、それ以来、ロンドンの聴衆にとって馴染みの深いものになったようだ。
 第2次大戦の間、一時、ヤナーチェク紹介の動きが止まっていたロンドンで、戦後、積極的にヤナーチェクを紹介して今日のヤナーチェクの評価の基礎を築いたのが、BBC放送局であり、その時の指揮者が、このCDでも後半の2曲を指揮しているマッケラスだった。
 前半の2曲で指揮をしているロジェストヴェンスキーは、そのヤナーチェク評価の先頭に立っていたBBC放送局直属のオーケストラ、BBC交響楽団の首席指揮者の地位に1978年から82まで着任していた。このCDの演奏も、その間の81年のものだ。このCDは、ヤナーチェク演奏の伝統を持っているオーケストラに対して、そこを振るロジェストヴェンスキーの側が、めずらしいレパートリーの演奏となった恰好だ。だが、演奏はかなりロジェストヴェンスキーの持ち味が出たものになっている。ヤナーチェクの個性的な音響のひだを丁寧に聴かせることよりも、ずっと直截な力強さで畳みかけてくる。「シンフォニエッタ」の第3楽章のたっぷりとした量感を前面に出した進行からは、いつになく親しみやすくヤナーチェク音楽が一気に歌い上げられ、続く第4楽章も、スラブ的リズムを太いラインで繋ぎ、どこまでもたくましく豊かだ。かなり原色のどぎつい演奏で、それは「タラス・ブーリバ」の語り口の大げさな身振りにも言えることだ。私としては、ヤナーチェクの感受性が作り上げた音楽の感応のこまやかさがかなり単純化されているのが不満だが、分かりやすく一気に聴かせるものに仕上がっているのは、ひとつの功績だろうと思う。
 「ブラニークのバラード」1曲だけを、このCDのヤナーチェク作品で指揮しているマッケラスは、さすがにこの作曲家の研究者だけあって、ヤナーチェクの各パートの響きの見通しがよい。ヤナーチェクらしさは、こういう響きだと思う。最後に収められたマルティヌーの作品も青年時代をチェコで過ごして、その地の音楽を学習していたマッケラスらしく、よく手中に納められた演奏のようで、作品の魅力が十分に伝わってくる。(1996.1.28 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての追記】
 本日掲載分の冒頭にある「別項」とは、当ブログの2010年1月2日付けで掲載している、このCDシリーズ全体の意義について書いた解説文のことです。


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ロジェストヴェンスキー/レニングラードpo.がロンドンの聴衆を熱気と興奮へ導いた1970年9月の記録

2010年07月30日 10時44分51秒 | BBC-RADIOクラシックス
 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の4枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6044
【曲目】チャイコフスキー:交響曲第4番
            :ヴァイオリン協奏曲
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮レニングラード・フィル
    ミハイル・ワイマン(ヴァイオリン)
【録音日】1970年9月9日、1970年9月10日


■このCDの演奏についてのメモ
 このCDには、やがて1978年になってロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として迎えられるロシア(当時はソ連)の名指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーが、それに先立つ7年前の1971年に、彼の国を代表するオーケストラ、レニングラード・フィルを引き連れて、ロンドンのプロムナード・コンサート(プロムス)に招待されて演奏した時のライヴ録音が収録されている。二晩連続の演奏会から、1曲ずつ選ばれているが、どちらも、会場となったロイヤル・アルバート・ホールの広い会場をゆるがす大音響が力強くとどろきわたる熱演だ。
 曲目が彼らの十八番のチャイコフスキーだけに、委細かまわずといった骨太さで大きな構えの音楽を堂々と披露しているのが、まず何よりのライヴならではの魅力だ。弦楽合奏の底力の威力は、このオーケストラ屈指のもので、その遠慮なく前へ前へとせり出してくる音楽が、イギリスの聴衆を沸かせている。
 「交響曲」では第1楽章が必ずしもこの曲の立体的な構造を十全に描き出したものとは言えないが、コーダ直前からの盛り上げには、有無を言わせないものがある。そして、第2楽章に至って、このオーケストラがただ者ではないことが本当に実感できる。木管の吹く旋律が直截に響き、余情を排してグイグイと迫る。弦楽の合奏力の見事さは、この大音量が荒々しさではなく艶やかさに裏付けられていることを思い知らされる。金管のタフさはもちろんだ。第3楽章での弦のピツィカートも、とてつもなく力強い。第4楽章の開始とともに、猛然としたスピードで怒涛のように音楽が前進する。確信に満ちた演奏は、彼らの自国の音楽伝統を高らかに歌い上げる大デモンストレーションとなって、ホール全体を占拠してしまう。これは、実にトンデモナイことが起こった晩の記録だ。
 それにしても、イギリスの聴衆の反応の素直さには感心する。最後の1音が鳴り響くなかから、もう待ち切れないとばかりに拍手が沸き起こり、場内はまるでサッカー会場のような騒ぎだ。こういう演奏を、したり顔しながらプロっぽくディテールについて語り出したならば、その場で蹴飛ばされてしまうだろう。
 次の「ヴァイオリン協奏曲」は、1926年オデッサ生まれのミハイル・ワイマンを独奏者に立てての、翌日の演奏。スピーカーの前に陣取って聴くしかない我々にとって、しかしこれは、「交響曲」の興奮をそのまま持続させてくれる、うれしい余韻だ。オーケストラは翌日になっても、疲れも見せず快調で、彼らの得意満面な顔が目に浮ぶようだ。2曲を通して聴くと、心地好い疲れでくたくたになり、充実感が残るうれしいCDだ。やはりチャイコフスキーを聴くのには体力と気力が必要だ、と思わず苦笑いしてしまう。(1996.1.28 執筆)


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ディーリアス作品の味わいを正当に表現したグローヴズ指揮「アパラチア」の、なだらかな演奏の魅力、他

2010年07月29日 10時33分59秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の3枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6043
【曲目】ディーリアス:高い丘の歌
          :アパラチア
          :河の上の夏の夜
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団、BBCシンガーズ他
    グローヴズ指揮ロンドン・フィル、
      BBC合唱協会、ゴールドスミス合唱ユニオン他、
      ジョン・ノーベル(バリトン)
プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
【録音日】1980年12月10日、1967年8月30日、1984年4月18日

■このCDの演奏についてのメモ
 ディーリアスの音楽は、音楽の劇性を構築的に積み上げて行くことで成り立ってきたドイツ・オーストリア系の音楽に慣れた耳で聴くと、とらえ所の不明瞭な音楽に聞こえてしまうことがある。ディーリアスの描く世界は、ゴシック建築的にそびえ建つものではなく、パノラマ的に横へ横へと広がってゆく世界だ。加えて、ディーリアスの作品の風景画的描写の私的な趣きの穏やかなまなざしが、なおさらに、ディーリアスの世界を、なかなかには眼前に迫ってこないものにしている。ディーリアスの音楽は、心穏やかに耳を傾ける者に静かに沁みこんでくるような世界だが、ひとたびその中に入り込むと、急に開ける地平はとても広く果てしがない。
 イギリス人のディーリアス好きは有名だが、それは海洋国イギリスの聴衆の心に触れるものがあるからかも知れないし、日本にディーリアスのファンが多いのも、同じ理由かも知れない。ディーリアスの世界を表現するには、彼の控え目な語法への深い共感が、なによりも大切だが、その点で、このCDに収められた3曲ではグローヴズの「アパラチア」が傑出した演奏を聴かせる。グローヴズの描くアパラチアはのどかな牧歌的気分の表出があふれ、華いだ曲想でも、なだらかな起伏を決して忘れない。音彩は豊かでカラフルな世界が広々と立ち現われるが、ぎらついたところがない。テンポもせきこまず、落着いた流れを保っている。濁りやベタつきのない理想的なディーリアスの演奏だ。
 イギリス人の専売特許のようなディーリアスを、録音当時BBC交響楽団の首席指揮者だったとは言え、ロシアの指揮者ロジェストヴェンスキーが指揮しているのを不思議に思われる方がいるかも知れないが、ここで演奏されている「高い丘の歌」はノルウェーの作曲家グリーグの影響を受けたものとされ、しかもロジェストヴェンスキーは1974年から78年まで、スウェーデンのストックホルム・フィルの指揮者をしていたのだから、この北欧の風景の印象で書かれたと言われる作品への共感にはそれなりのものがあるだろう。ただ、グローヴズのようななだらかな音楽ではなく、もう少しメリハリのくっきりした仕上りになっているところが、いかにもこのロシアの才人指揮者らしい。
 「河の上の夏の夜」のプリッチャードも好演だ。イギリスのオーケストラは一般的に木管の澄んだ響き合いが美しいが、ここでもそれが十分に生かされている。(1996.1.28 執筆)



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プリッチャード、ベートーヴェン第7の名演。シュナーベル仕込みの女流、フォーゲルとの共演も注目。

2010年07月27日 10時23分12秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の2枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6042
【曲目】ベートーヴェン:レオノーレ序曲第1番
           :交響曲第7番
           :合唱幻想曲
【演奏】ジョン・プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
    BBC交響合唱団、BBCシンガーズ
エディット・フォーゲル(ピアノ)
【録音日】1985年10月6日、1985年10月4日

■このCDの演奏についてのメモ
 ジョン・プリッチャードは、その初来日が人気指揮者バルビローリの急死による代役だったということもあって、日本での評価は決して高くなく、むしろ穏健な伴奏指揮者といったイメージで捉えられているふしもある。だが、イギリスでの評価は高く、その人気も戦後のイギリス指揮者の中では群を抜いていたという。
 その実力の一端は既に、このBBCのシリーズ中のブラームス「交響曲第2番」やエルガーの「交響曲第1番」で聴くことができるが、今回のベートーヴェンの「交響曲第7番」も、期待通りの名演を聴かせる。むしろ期待以上といってよい。前回発売されたブラームスなどでは巨大なロイヤル・アルバート・ホールでの演奏のために、オーケストラの楽員が互いに音を聴き合うといったアンサンブルの緻密さでは若干のマイナスがあり、プリッチャードの音楽の、抑揚の大きな呼吸の自然さ、力強さの手応えが、ともすれば、どろどろした残響のなかに埋没しかねなかった。
 今回のベートーヴェンの交響曲は、その点、BBCのスタジオでの放送用のセッションのため、各楽器のディテールもかなり明瞭でバランスもよいので、プリッチャードの大きな身振りの深々とした息づかいが、かなりかっちりとしたフレームを土台にした上での天性の即興性にあることを認識させる。管楽器の牽引力をバランス良く配した弦楽のうねりが、緊張の続く力強さを最後まで維持しているスケールの大きな演奏だ。最近の古楽的アプローチからは聴かれない、ベートーヴェンの劇性に全幅の信頼を置いた、自信あふれる音楽がうれしい。
 1921年にロンドンに生まれたプリッチャードは、指揮者としてはオペラ経験の長い人だが、それが彼の即興性に大きく寄与しているのかも知れない。晩年はこのBBC交響楽団の首席指揮者として1982年から89年の死の年まで活躍した。「交響曲第7番」は彼らの名コンビぶりがイギリスの音楽ファンを魅了していた時期の録音。前後に収められた「レオノーレ序曲第1番」と、ピアノと合唱を伴う佳品「合唱幻想曲」は、同じ時期のコンサート・ライヴからのものだ。ここでピアノを弾いているエディット・フォーゲルは戦前にウィーンでデビューしたオーストリア出身の女性ピアニスト。1912年生まれ。戦前からイギリスに移り住んで演奏活動を続けたが、戦後は専ら後進の指導に尽くした。名ピアニストのシュナーベル仕込みのベートーヴェン、ブラームス、シューベルトなどの演奏が高く評価されていたという。(1996.1.28 執筆)



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V=ウイリアムズの2交響曲を真摯に指揮しているサージェントとストコフスキーのライヴ録音が伝えるもの

2010年07月20日 10時32分12秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の1枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6041
【曲目】ヴォーン=ウイリアムズ:交響曲第4番
               :交響曲第8番
【演奏】サージェント指揮BBC交響楽団
    ストコフスキー指揮BBC交響楽団

【録音日】1963年8月16日、1964年9月15日

■このCDの演奏についてのメモ
 イギリスを代表する交響曲作家、ヴォーン=ウィリアムズの交響曲を2曲収めたこのCDは、どちらも有名なロンドンのプロムナード・コンサート(プロムス)でのライヴ録音で、指揮者は4番がサージェント、8番がストコフスキーと異なるが、いずれもプロムスのメイン・オーケストラ、BBC交響楽団による演奏だ。指揮を担当している二人は、いずれもイギリス出身で、その後ロンドンとアメリカのフィラデルフィアと、活躍の場こそ異なるが、第1次、第2次、二つの戦争に挟まれた暗い時代を通過して、それぞれの地で、音楽的に優れていながら、分かりやすく親しみやすい演奏で大衆的人気を獲得してきたことでは共通する。その二人が、同じ時代を生き抜いてきたイギリスを代表する交響曲作曲家の作品を演奏しているわけだから、そこに同朋としての世代的共感があると考えるのは、自然なことだろう。
 「第4番」は、正にヨーロッパの不穏な時代の真っ只中で書かれた作品。サージェントの指揮が、いつになく鋭い咆哮で噛み付くように、時代の暗部を抉り出して開始される第1楽章。「サージェントにはイギリス紳士の折り目正しさがある」といった過去に貼られたレッテルで先入観を持って聴くと、度胆を抜かれる。終楽章のひた向きな厳しさからは、彼らに時代が落としていったものの重さが伝わってくる。
 一方の「第8番」は戦後の平和の中で書かれた作品だが、第1楽章から、暗くうごめくものと優しいなぐさめとが慌ただしく交差する曲想を、ストコフスキーが入念に描く。楽章を追ってカラフルで変化に富んだ音楽が展開され、ストコフスキーの語り口の巧さが、ひときわ鮮やかになるが、響きの隅々にまで慈しみにあふれた温かさが絶えず最優先して聴かれるのは、ストコフスキーとしてはめずらしい。作品に対する共感の深さが、そうさせるのだろう。
 この二つの演奏の録音年代は63年、64年と近接している。この時期は、日本で東京オリンピックが行なわれ、敗戦国である日本が奇跡的な経済復興を成し遂げたことを世界に喧伝する直前にあたる。世界は第2次大戦の傷を癒し、平和の中で高度成長へと突き進んでいた。そうした時期の録音であるということは、心にとめておいてよい。レコードの発売を念頭に置いていなかった二つの演奏のライヴ録音から、こうした過去の美しい〈ある日〉が切り取られて残ったことを喜びたい。(1996.1.28 執筆)


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