1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。
以下に掲載の本日分は、第2期20点の15枚目です。
【日本盤規格番号】CRCB-6055
【曲目】モーツァルト:「レクイエム」
:フリーメーソンの葬送音楽
:アヴェ・ヴェルム・コルプス
【演奏】モ―シェ・アツモン指揮BBCウェールズ交響楽団、同合唱協会
ジェニファー・スミス(ソプラノ)、ヘレン・ワッツ(メゾ・ソプラノ) イアン・パートリッジ(テノール)、スタンフォード・ディーン(バス)
【録音日】1978年9月8日
◎モーツァルト「レクイエム」ほか
この、モーツァルトの「レクイエム」を中心にしたCDで指揮をしているモーシェ・アツモンは、日本の音楽ファンにも馴染みの深い名前だと思う。これまで1977年の初来日以来しばしば日本の聴衆に自身の指揮を披露するだけでなく、その名トレーナーとしての手腕を買われて、78年から86年までは東京都交響楽団のミュージック・アドヴァイザー兼首席指揮者として貢献し、さらに、1987年から93年までは、名古屋フィルハーモニーの常任指揮者に就任している。名古屋フィルでは、アツモンの功績を称えて、退任後、名誉指揮者の称号を贈っている。
このCDは、そうしたアツモンが東京都交響楽団の首席指揮者に就任した年に、イギリスのカーディフに本拠を置くBBCウェールズ交響楽団らと行なった録音。つい先頃来日したこのオーケストラは、イギリスのBBC放送局傘下の交響楽団のひとつだが、日本の尾高忠明が8年間もの長い間首席指揮者となって良好な関係を築いてきたことでも知られている。尾高も、アツモンと同じように、その功績を称えられ、BBCウェールズ響から、桂冠指揮者の称号を与えられた。偶然とは言え、日本との縁が様々にあるCDだ。
アツモンは1931年にハンガリーの首都ブダペストに生まれたユダヤ系ハンガリー人だが、イスラエルのテル=アヴィヴとロンドンで音楽を学び、デビューが1967年のザルツブルク音楽祭という経歴を持っている。ベルリンでロッシーニのオペラ「シンデレラ」「セヴィリアの理髪師」で、オペラ指揮者として成功した後、69年から72年までシドニー交響楽団の音楽監督を務め、72年からイッセルシュテットの後任として北ドイツ放送響の音楽監督、77年からバーゼル交響楽団の芸術監督・常任指揮者となり、翌78年から前述の都響との兼任となった。
アツモンの「レクイエム」の演奏は、オペラ指揮者としての実績を感じさせる声楽のまとまりの良さを聴かせ、独唱陣もよく全体のなかに取り込んで、横に流れる声楽のラインを中心とした流麗な音楽で進められて行く。音楽の表情が平明で、メリハリを強調したものではないので、平板な印象を与える部分もあるが、その穏やかな起伏は、良い意味でアマチュア的な合唱の響きとともに、親しみ深い演奏となっている。 (1996.2.2 執筆)
【ブログへの再掲載に際しての付記】
誤解されないために念を押しますが、これは、とても穏やかなアプローチをしっとりと聴かせる、いい演奏です。アツモンの都響や名フィルの演奏を聴かれたか方なら、想像していただけると思います。名フィルとの「第9」のCDも、よい演奏でしたね。このライナーノートの「良い意味でアマチュア的な合唱の響き」というのは、さらに誤解されかねません。現に、この原稿を渡した時、担当ディレクターだった川村氏が少々気にしていましたが、様々に話をして納得してもらった記憶があります。いわゆる「プロっぽい」したたかな合唱団にはないしなやかさなひたむきさが魅力で、これは貴重なものだと思いました。そういうものを引き出す指揮者でもあるのでしょう。今なら、もうちょっと違う表現で書けたかもしれませんが、ひとことで表現するのはむずかしいことがらです。