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「文庫本」の歴史再考として――ある出版人の軌跡

2009年05月31日 12時57分04秒 | 書物および、愛書家・気谷誠に関すること





 下記は、あるフリーペーパーに寄稿した原稿です。ここ数年、大正・昭和初期の文化を、様々に調査・研究していますが、その過程で知りえた断片的事実から興味を広げてしまった結果を、まとめたものです。調査過程で、本郷の出版社「青蛙房」の2代目社主には、快く私の質問にお答えいただき、感謝しています。その後、ご挨拶をしそびれてしまいました。申し訳ありません。


■「アカギ叢書」と赤城正蔵
――わずか一年で散った希代の出版人

 出版社の歴史や、その創設者について調べていくと、しばしば、個人の情熱の深さや志の真摯さに打たれて茫然としてしまうことがある。「アカギ叢書」の発行人として日本の出版史の一隅に名を残す「赤城正蔵」も、そのひとりである。
 大正三年に刊行が開始されたアカギ叢書は、日本における文庫本発刊の草創期を飾ったシリーズで、いわば、日本の文庫本の元祖のひとつと言ってよいものとして知られている。ハガキ大の小型サイズ一〇〇ページで、価格はすべて十銭とした。それは、明治期に急速に進んだ日本の近代化過程で、書物による知識が一部の富裕層にしか普及していない状況を憂いてのことだった。「発刊の辞」は、次のように高らかに宣言されて結ばれている。
 「依って以て従来専門家、篤学者のみの専売に委したる宇宙の真理、学術の宝庫の、高価、厖大、難渋の三大門戸を開放して、あらゆる人士の活用に供せんとす。未だ善美を尽さずと雖、予が事業の第一声としては私に誇りとする所也。希くは大方の諸賢、幸ひに善導を賜へ。」
 大正三年三月のことであった。第一巻はイブセン作『人形の家』(執筆:村上静人)で奥付には「大正三年三月廿六日印刷」「大正三年三月三十日発行」とあり、発行者、発売元ともに「赤城正蔵」とある。
 巻頭に載せられたアカギ叢書の「発刊の辞」には、中学を卒業した後、生涯を捧げる職として書籍出版業を選定してその職に従事して六年を経たが、大正三年の元旦に、自身で出版業を興すことを決意したとある。彼をして、この壮大な企画を決意させた背景にあるのが、明治期の書籍の「高価、厖大、難渋」にあったことは、「発刊の辞」から十分読み取れるが、こうして当時の出版界を批判してアカギ叢書を発刊した時、赤城正蔵はまだ二十五歳だったという。
 赤城正蔵は明治二十三年に、東京九段辺りに店を構える和菓子屋の次男として生まれた。そして、明治四年に開校された日本最古の小学校のひとつ番町小学校から府立一中へと進学した。
 番町、麹町周辺は、薩長による明治新政府の官吏たちの多くが居を定めたため、この進学ルートは、彼らの子弟を養育するという色彩が強かったようである。いわゆるエリート養成の見えざるレールがあったようで、それは、戦後も学校群制度開始まで「番町小→麹町中→日比谷高校→東大」と、形を変えて温存されたルートである。
 赤城は、居住地の関係から、この進学ルートに組込まれたものと思われるが、商人の倅が、このルートに乗ってさらに「一高→東大」へと進むような時代ではなかった。だが、かなり成績は優秀だったようで、彼の書籍に対する興味なども、そうした環境での語り合う仲間から形成されていったものだろうと思う。推測の域を出ないが、同窓から大学へと進学した仲間の周辺との語らいから発展して、アカギ叢書の執筆陣が集められたようにも思う。そうでなければ、大正三年の正月に突然決意してその三ヵ月後に発刊、わずか一年後にはほぼ一〇〇冊の刊行に漕ぎ着けるなどという早業は不可能だったろう。中学を卒業後、実家の近くの出版社「同文館」に就職したが、結局、ここで前述の出版界への疑問を抱くに至り、六年後に一大決心をした後の、正に驚異的な偉業である。
 「アカギ叢書」は大正三年三月に第一冊目を刊行後、翌大正四年の六月までに百冊を越える点数となったが、その後の刊行はない。わずか一年余の短期間のことだった。
 発刊後、このように驚異的な勢いで次々と刊行されたアカギ叢書だが、それが発刊一年余で中止されてしまった理由について、語る人は少ない。多くの出版社史文献に於いても、「短命に終わった」「一年で百冊を刊行した」という記載はあっても、その休止の理由の記載がないものばかりで、また、その発行人赤城正蔵については、経歴のみならず「生没年不明」とするものさえ、未だに存在している。
 もともと明治・大正期の出版事情には浅学の私だが、「岩波文庫」の創刊準備で挨拶回りをしていた岩波茂雄に、「君がやろうとしているのは、昔あったアカギ叢書のようなものだな」という言葉が、あちらこちらから返されたようだという話を教えてくれたのは、帝塚山学院大学教授の山田俊幸氏である。ちょっと興味を持って、それほどに当時話題になっていたことならば、それがどのようなものだったかはすぐわかるだろうとタカをくくっていたのだが、そうではなかったのである。
 だが、「わずか一年で百冊ほど刊行されたが、その後、休刊」という記載が妙に心に残った。これは尋常ではない。何かあったに違いないと思って、様々な文献リストをあたっている中から、同叢書の詳細を調査した渡辺宏氏の著書『アカギ叢書』(日本古書通信社刊/古通豆本39)の存在を知った。本稿で先に私が紹介した生年や学歴などの情報も、もちろん、渡辺宏氏の著書によるものである。
 それによると、赤城正蔵は「アカギ叢書」発刊満一年を待たずして、大正四年三月十一日に肺病で、わずか二十六歳の生涯を終えている。そして、その後、家業の和菓子屋を営んでいた長兄の新輔が正蔵の事業も引き継ごうとしたが結局中止となり、大正五年までに廃業としたという。ただ、叢書とは別に安藤博著『徳川幕府県治要略』を赤城書店名で発行したという。その出版点数や、その後に与えた影響の大きさに比して、出版史でも稀なほど短命の出版社は、こうして、忽然と姿を消してしまった。
 おそらく、赤城正蔵の生涯を調査して記述した書として、渡辺宏氏の著書は唯一のものと思われるが、小冊子ながら相当の労作であり、わずかの手がかりから全貌をまとめるに至ったものと推察できる。直接縁故者と面談もされているが、渡辺氏にそうしたことを可能にした最初の手がかりとなったものは、同書の記載から推察するに、残された長兄が出版した、たった一冊の書『徳川幕府県治要略』を昭和四十年に復刻刊行した青蛙房社主(当時)岡本経一氏の「あとがき」だったようだ。
 その「あとがき」によれば、岡本氏は、自分に復刻版刊行を決意させたユニークな書籍の、無名の刊行者の正体を追っている内に、赤城正蔵の長兄と和菓子屋との接点に辿りついている。おそらく、この記述がなければ、渡辺氏の調査は、もっと困難を極めていたことだろう。岡本氏はこのあとがきを「一冊の本の歴史を追うと、そこには人間の歴史がある。(……)この本を作った人の面影をも、今わたしは思い浮かべるのである」と結んでおられる。これは正に、書物について調べる時の醍醐味であり、私にとっても、同じ思いであった。(たけうち・きくお/書籍編集者)

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モーツァルト『ピアノ協奏曲/第23番』で思い出したこと

2009年05月29日 15時20分24秒 | ディスコグラフィ的な話題
 昨日のブログ、モーツァルト「ピアノ協奏曲第23番」の「付記」を書いている内に、それに関連して思い出した友人のエピソードで付記がどんどん長くなってしまったので、大半を破棄して昨日は掲載しました。けれども、破棄した部分をもう一度読み直して、私自身の備忘録として、本日掲載することにしました。プライべートな内容で恐縮です。

                 *

 ハイドシェック/ヴァンデルノートの演奏は、70年代の半ば、学生時代に友人のアパートで聴いたのが最初です。東芝エンジェルのLPでした。東芝セラフィムの緑色の統一デザイン・ジャケットになる前の盤です。その友人は、「ピアノとオーケストラが、こんなに自由に戯れている演奏って、めずらしいと思わない?」と言い、「モーツァルトの音楽のいくつかは、それを可能にするんだよね」と言っていたように思います。私にとっては、この日以来、愛聴演奏になりました。もちろん私が買ったのは、緑色のセラフィム盤です。
 彼の結婚相手と私の結婚相手と、そして私自身の3人は、大学入学時の同級生で、彼は、彼女たち二人のテニス同好会での知り合い。彼のアパートに初めて行ったのは、彼女たちが夜行列車で帰省するのを見送りに東京駅まで行った日。乗る列車が違っていましたが、彼の相手が出発してから数十分後だったか、私の相手の列車が発車するまで付き合ってくれ、お互いに相手がいなくなって取り残された駅のホームで、「なんか、寂しいね。僕んちに来る?」と誘われたのが最初でした。彼は年末ぎりぎりに帰省するから、明日はヒマなんだと言っていました。
 そんなふうに、共に青春時代を過ごした彼が、昨年の正月に亡くなりました。先日、1年以上経って、やっと気持ちの整理がついたと言って、関西から彼女が「青春感傷旅行」と称して上京、ひとりで同棲時代をすごしたアパートのあたりを歩いて、その翌日、私たち夫婦と十数年ぶりに再会しました。「懐かしいから…」と一緒に何度も行った名曲喫茶に行ってしばしぼんやりしていたら、モーツァルトの23番の協奏曲が流れ、私は気づかなかったのですが、彼女が、「この曲、何?」と聞いてきました。「メロディを知っている」と言うのです。それほど音楽が日常的ではない彼女がそう言ったのですから、彼の愛聴曲だったに違いありません。
 彼との会話が急に甦ってきた私は、彼女に、「曲はモーツァルトのピアノ協奏曲23番の第2楽章だけど、彼がずっと聴いていたのは、ハイドシェックという人がピアノを弾いてるレコードだと思う」と話しました。彼がレコードを処分しないでずっと持っていると聞いていたからです。彼は病を得て、数年前からカウントダウンの生活を送っていました。

 5月13日や5月15日のブログで書いた「交響曲39番」「40番」の付記とも通じますが、死が近づいたとき、モーツァルトの音楽は、それまでと違った光を放つのかも知れません。指揮者の若杉弘さんがまだ40歳になる前だったと思いますが、「年をとったら、モーツァルトを指揮したい」と言っていました。「まだ僕には出来ない」と。
 モーツァルトは、汲めども尽きぬ泉です。

                *

 ここまでが、昨日、破棄した文章です。
 文中の、学生時代に通った名曲喫茶(のひとつ)とは、渋谷・道玄坂の「ライオン」です。この日、私たちが聴いたモーツァルト「23番」のピアニストは、ジェルメール・ティッサン=ヴァランタンでした。これもまた、フランス系のすばらしいモーツァルト演奏で、確か、「シャルラン・レコード」のLPが初出だったと思いますが、当日はCDを使用していました。たぶん、パレットかヴィーナスの古い国内盤でしょう。現在はいわゆるインディーズ系の「グリーンドア音楽出版」でCDが制作され発売されています。(「アマゾン」で取り寄せられます。)この演奏の「ゆらぎ」も絶品でしたから、彼女が「聴いたことがある」と感じたのも当然でしょう。




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モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番』の名盤

2009年05月28日 11時34分49秒 | 私の「名曲名盤選」







 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第6回」です。


◎モーツァルト*ピアノ協奏曲第23番

 この曲では独奏ピアノだけでなく、オーケストラ伴奏が導き出す陰影が曲趣を盛り上げるが、クリフォード・カーゾン盤は、ケルテス/ロンドン響の的確な表現が曲全体に彫りの深い表情を与えており、カーゾンのピアノも力みのない、大らかでゆったりした演奏で奥行きのある音楽を形成している。決してすっきりとは聴かせてくれないが、独特の匂いの漂う演奏だ。バレンボイム盤は弾き振りによる演奏。ピアニストとしてのバレンボイムのリリカルなロマンティシズムと、表情付けの大柄な指揮ぶりとが違和感なく収まり、表現の振幅の大きい演奏となっている。タッチの細やかなピアノが陰影の濃いオケの上をみずみずしい響きで滑るように転がっていくのは魅力だ。
 アニー・フィッシャー盤は隈どりのくっきりした硬質なピアノだが、第二楽章の内省的な演奏が特に素晴らしい。遅いテンポで表現されたニュアンスの深さには忘れ難いものがある。
 このほかでは、ポリーニのクリアな演奏もよいが、ハイドシェックの、多少タッチの曖昧なピアノだが雰囲気に溢れた演奏が、むしろ曲趣に合っている。この人の自在に揺れるテンポの不安定さも、ここでは独特の魅力を生んでいる。早めのテンポにもかかわらず、オケも溌剌とした動きの中でよくレガートして、独奏を支えている。
 しかし、晩年のホロヴィッツがジュリーニ/スカラ座の好サポートを得て録音した演奏を聴くと、淡々とした粒立ちの良いピアノの音が、やはり、モーツァルトでは特に大切だということを改めて感じる。さすがのホロヴィッツも往年の切れ味のよさが薄れ、時折聴かれる制御し損なったような強い打鍵も惜しいが、代わりに、ぎらついたところのない素朴な飾り気のなさに、ホロヴィッツ晩年の心象を見る思いだ。伴奏も淡々と弾き続けるピアノによく合わせ、余計な仕掛けをしないで随いている。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 久しぶりに読み返してみました。ほとんど、書いた内容も忘れていました。そのくらい長い間、この曲を聴いていなかったということでもあるでしょう。
 当時の私は、結局、素直な気持ちでこの曲を聴けば、カーゾン/ケルテス盤か、ホロヴィッツ/ジュリー二盤だということが言いたかったのです。ホロヴィッツ盤は、発売されてまだそれほどの年月が経っていませんでしたから印象深かったのですが、基本は「カーゾン」です。それは今でも変わりません。こういう素直な音楽が遠のいてしまったここ20年ほどの間に、この境地を別の側面からでも越える演奏が現れたかどうか、追いかけていないのでわかりませんが、そろそろ出会えるかもしれません。
 アニー・フィッシャー盤については、現在このブログで、平行して進めているEMIの「モーツァルト・コレクション」のライナー・ノートで詳しく言及しています。数日中には掲載します。ライナーノート執筆のために初めて聴いた演奏だったはずですが、新鮮な驚きが感じられた演奏でした。
 ハイドシェックも、ここに書いてあるとおり、この曲では魅力を感じさせます。こうした演奏が生まれるほど、この曲の持っている天衣無縫な世界が大きく広い、ということでしょう。





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モーツァルト・コレクション/クーベリックの交響曲第35、36、38、41番、アイネ・クライネ

2009年05月26日 09時30分46秒 | ライナーノート(EMI編)




 1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6802】【TOCE-6803】ライナーノート

 クーベリックはチェコスロバキアの名ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックの子として1914年にプラハの郊外に生まれた。プラハ音楽院で作曲、指揮、ヴァイオリンを学び、33年に卒業、翌34年1月にチェコ・フィルハーモニーを指揮してデビュー、36年には同フィルの常任指揮者に就任している。作曲活動も精力的に行いながら、指揮者としてのキャリアを積んでいったが、40年代に故国を去り、そのままヨーロッパの各地で活躍した。
 先頃東西ドイツ再統合を控えたヨーロッパの大転換に湧くプラハに、既に現役を引退していたクーベリックが帰り、久しぶりにチェコ・フィルを指揮したのは記憶に新しい。
 クーベリックは1950年からアメリカのシカゴ交響楽団の常任のポストに付いたが、これは53年までで、すぐヨーロッパに戻り、55年からロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場の音楽監督となったが、61年、ミュンヘンのバイエルン放送響の常任となり、これを引退に至るまで続けた。
 結果を見てから言うわけではないが、クーベリックの音楽はアメリカでは大衆の支持は得られにくかったようだ。これは、クーベリックの音楽が、作曲家としての分析的視点を持っていることと無縁ではないだろう。(同じシカゴ響をその後、やはり作曲家としても評価のあるジャン・マルティノンが数年しか常任に就かなかったのは皮肉なことだ)。シカゴ時代のクーベリックは、マーキュリーにブラームスの「第1交響曲」などの録音が残されている。かなり思索的で、手の込んだ演奏だ。
 ヨーロッパに戻ってからのクーベリックは、しばらくはEMI、DECCA、D.G.にウイーン・フィル、ベルリン・フィルなどを振って録音している。ベルリン・フィルとのドヴォルザーク「第8」、ウイーン・フィルとのブラームス交響曲全集、ロイヤル・フィルとのベートーヴェン「田園」など名演も数多い。
 このCD2枚に収められたモーツァルトは、クーベリックがバイエルン響の常任に就任して落着いてからのもので、ウイーン・フィルとの一連のモーツァルト録音を初出時とカップリングを変えて収めたものだが、どれも廃盤になってかなりの年数が経ち、クーベリック・ファン、モーツァルト・ファン、ウイーンフィル・ファンが、それぞれの立場から復活を希望していたものだ。
 演奏はいずれも細部までよく磨かれた、このころのクーベリックならではのもので、それが、ベルリン・フィルとのドヴォルザークでも見られたような彼の根底にある自由なのびやかさが、ウイーン・フィルの豊かな音楽性と結び付いて、類まれな名演を生んでいる。
 曲によってその仕上りにばらつきがあるが、ウイーン・フィルの持ち味にかなりを委ねているのが「第35番」。無理のないテンポ設定でオケの響きを大切にしたアプローチで、この甘美な響きや、朗々としたほとばしり出てくる音楽は、この曲の数ある録音中でも屈指の名盤だ。特に第2楽章の深々とした呼吸は実に美しい。だが、それが決して情緒てんめんといったものではなく、ある種の緊張感から解き放たれることがないのが、いかにもクーベリックだ。その意味では、自発性に富んだ自在な演奏とは趣を異にするが、正にそれこそが、今日のモーツァルト演奏へと繋がる接点でもある。現代感覚を身につけたクーベリックが、まだウイーンの伝統的響きを守っていた60年代のウイーン・フィルと出会った貴重な記録と言える名盤だ。
 この傾向は「第38番」では、さらにすばらしい結実を聴かせてくれる。
 充実した緊張感を持続させる序奏部の、彫りの深い表情がまず聴くものを捉えて離さない。主部に入り速い動きを隅々まで聴き分けようとする緻密さ、モーツァルトの大胆な転調を明確にする微妙なテンポの変化やわずかな間の設定など、磨きぬかれた細部の積み重ねが、骨格をむき出しにすることなく、生き物のように有機的につながり、大きく豊かな音楽のよろこびに溢れて再現される。
 この2曲に比較すると「第36番」「第41番」はいくらかクーベリックの丁寧さが前面に出過ぎていて、「少々考えすぎ」の感がある。もちろん良い演奏ではあるが、曲想とクーベリックの個性との相性の問題もあるだろう。だから、「アイネ・クライネ」の終楽章になると、なおさらだ。このあたりになると、クーベリックに関心を持っている聴き手の世界だが、興味深い演奏であることに変わりはない。


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ケルテスのデビュー盤『オテロ』を追う――新事実が判明

2009年05月24日 13時37分55秒 | ディスコグラフィ的な話題



 5月2日の当ブログでご紹介したケルテスのデビュー当時の録音と思われる『オテロ』に、新事実が発見されましたので、ご報告します。
 5月2日付けでは、過去に「駅売りCD」の「ピルツ」盤で発売されたものと同一内容と思われるものが、現役のCD「CONCERT ROYALE」というレーベルから発売されていると書きました。私としては、念のため、ほんとうに同じものなのかを確認するために通販で購入したのですが、その結果、興味深い新たな謎が発生したのです。

 (その前に、5月2日付けのピルツ・ジャパン盤の曲目表記、トラック3が第3幕となっているのは第2幕の誤記です。以下、トラック4の第4幕は第3幕、トラック5の第5幕は第4幕です。トラック2と3がどちらも第2幕なので、勝手に順送りにしてしまったものでしょう。CD表記を誤記のまま訂正せずにご紹介して、申し訳ありませんでした。)

 さて、ピルツ盤は全部で5トラックで、トータルの収録時間が36分35秒です。一方CONCERT ROYALE盤(以下、CR盤と略記します)は4トラックで46分11秒です。
 しかし、演奏はまったく同一。音質的にも大差はありません。これは聞き比べて確認しました。次に、それぞれのトラック構成と収録時間を列記しましょう。

●ピルツ盤
1)第1幕第3場 09分10秒
2)第2幕第1場 04分38秒
3)第2幕第5場 10分51秒
4)第3幕第2場 03分15秒
5)第4幕第3場 08分41秒

●CONCERT ROYALE盤
1)第1幕第3場 09分09秒
2)第2幕第1場・第5場 15分34秒
3)第3幕第2場 12分41秒
4)第4幕第3場 08分40秒

 実は、ピルツ盤のトラック2の第2幕第1場と、トラック3の第2幕第5場とを、数秒の間合いを付けて1トラックにしているのがCR盤です。これで、トラック数の謎は解けましたが、問題は、ピルツ盤のトラック4と、CR盤トラック3の、収録時間の大きな差です。これは誤記などではありません。どちらの表記も正しいのです。
 聴き比べた結果、ピルツ盤は、CR盤の4分42秒経過したところから開始され、8分59秒まで収録してフェードアウトしていることがわかりました。それで3分15秒なのです。おかげで、かなり音楽的にドラマチックな展開が短縮されてしまっています。

 どうしてこのようなことが起こったのか、オリジナルの「メディアフォン」のLPレコードを発見しないことには、どうにもお手上げですが、LPに収まっていた演奏を、収録時間に余裕のあるCDに収めるときにわざわざ割愛するなどという面倒なことをするとは考えられません。しかし、オリジナルの全曲版のテイクが存在して、CR盤は、新たに選択し直した、というようにも思えません。他の3箇所が完全一致なのですから、それも不自然です。
 謎は増えてしまいましたが、ケルテスのデビュー時期の演奏を聴く機会がほんの少し拡張されたのは、うれしいことです。
 なお、ピルツ盤には (P)1990 Mediaphon/(C)PILZ GmbH & Co. と盤面に表記がありますが、今度のCR盤の盤面表記は、(P)2001 TIM CZ/(C)ADORA, BELLA MUSICA とあります。

 この一連の問題について、どなたか、情報をご存知の方はコメントをください。


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モーツァルト『交響曲第41番《ジュピター》』の名盤

2009年05月23日 17時04分52秒 | 私の「名曲名盤選」







 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、しばらく断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載します。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第5回」です。


◎交響曲第41番《ジュピター》

 冒頭、第一主題の力強さと優雅さとの連続した旋律の描き方が、演奏の第一印象を決定づけるが、クリップス/コンセルトヘボウ管盤は、最初の二小節に込められた壮大さ、雄渾さと、次に続く二小節の楚々とした入り方の交替の描き分けが見事に決まっている。そして第二主題で、じわじわと大きく迫り出して来る歌わせ方の素晴らしさ。恰幅の良い、豊かな音楽の喜びに溢れた名演で一息に聴かせる。
 一方、カラヤン/ウィーンフィル盤は、レガートに徹した特異ともいえる演奏。演出過剰とも言えるが、優雅、典雅の極みをこの中に見いだすことができることは事実だ。この曲でこういうことが可能だと気付かせる名人芸を随所に実現した演奏は、もう二度と現れないと思う。カラヤンの全録音中でも出色のものの一つだ。
 カラヤン盤は、いじくればここまでも可能だ、といったデモンストレーションのような面があるが、レオポルト・ルードヴィッヒ/北ドイツ放送響は、オペラ指揮者としての長いキャリアのあるこの人らしい生気にあふれた自然体の演奏。速いテンポでグイグイと進み、少々粗っぽさもある演奏だが、意外とこうしたテンポで〈音楽〉を見失わずに一気に進められる人は少ない。終楽章は正に〈モルト・アレグロ〉で、その元気の良さには得難い魅力がある。
 このほか、フリッチャイ/ウィーン響、カイルベルト/バンベルク響、なども味わい深いが、最近の演奏に目を転じよう。例えばグラヴァー/ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ盤は、この曲が持つ天才的な緩急の大きな落差の魅力、転調の妙を、様式感を守り通しながらも大胆に先鋭化して表現している。また、第二楽章での旋律の連なりの周到な運びや、それに重なる管楽器を中心とした安定感のあるリズムなども、見識と音楽性の調和した名演だ。現代解釈の一つの結実として推奨したい。


【ブログへの再掲載に当たっての付記】
 私がジュピターを初めて聴いたのは、昭和36年の夏休み。小学校6年生の時でした。遊びに行って泊まった母方の叔父のレコード棚から見つけた古いSPレコードです。だから、もちろん『木星交響曲』と書かれていました。演奏はブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィル。紫色のレーベルの国内盤コロムビア・レコードでした。父親の蓄音機でSPレコードの扱いにも慣れているのを知っていた叔父は、自由に聴かせてくれました。今でも、その日のことを覚えています。十数年前に、新星堂の復刻シリーズで、この演奏を買って、懐かしく聴きましたが、考えてみたらもう随分と長い間、どの「ジュピター」も聴いていないなぁ、と思いました。
 というわけで、「ジュピター」は、今、様々な演奏を聴いたらどう思うかは、わかりません。上記の文章そのものには、私自身、異論はありませんが、これが全てではない、という思いは、強くあります。


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モーツァルト・コレクション/バレンボイム指揮の交響曲第31、39、40番

2009年05月21日 10時08分42秒 | ライナーノート(EMI編)






 1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDの1枚です。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6801】ライナーノート

 バレンボイムはイスラエルの血を引いているが、生まれはアルゼンチンのブエノスアイレスで、幼いころから父親にピアノを習い、本格的な音楽教育はウイーン音楽アカデミーで受けている。1942年生まれだからそろそろ50歳に差し掛かる年齢だが、このモーツァルトの交響曲の録音は1968年、まだバレンボイムが20代の青年時代のものだ。
 このことは、バレンボイムを、はじめピアニストで、のちに指揮者に〈転向〉した音楽家と同列には考えられないということを示している。確かに、ウイーンで教育を受けたバレンボイムのレコーディング・デビューは、1964年のショモギー指揮ウイーン国立歌劇場管とのベートーヴェンの第3ピアノ協奏曲他だが、その3年後の67年にイギリスに渡り、バルビローリとのブラームス、クレンペラーとのベートーヴェンの各協奏曲全集を完成させた2ヵ月後の68年1月には、指揮者として、この一連のモーツァルト録音が開始されているのだ。
 今回のCD化は「第31番、39番、40番」だが、この他に「第35番」「第38番」「第41番」などがある。また、同じ頃、シェーンベルク「浄夜」/ワーグナー「ジークフリート牧歌」/ヒンデミット「ヴィオラと弦楽合奏のための葬送音楽」を同じイギリス室内管弦楽団と録音している。
 演奏は、古典的な様式感を前面に押出したものではなく、バレンボイムのピアノの特徴である造形のくっきりとした細やかな音楽性を持ちながら、随所に熱っぽさがバランス良く配されたもので、主張のはっきりした演奏だ。
 「31番」は第1楽章から表情づけのたっぷりとした演奏で、この曲としては、かなり大きくうねる表現なので、ともすれば重い音楽になりがちだが、リズムの刻みが明瞭なのと、木管を浮び上がらせる弦とのバランスの良さで、それを免れている感がある。そして、リズムの明瞭さを際立たせるためか、息の短いフレージングで区切りながら進む硬質の音楽づくりなので、いわゆるモーツァルト的な典雅さよりも、前進する意志を強調した演奏となっている。
 第2楽章は、ゆったりとしたテンポでしなやかに弦が奏でる音楽が美しい。が、ここでも、1音1音スタカートでていねいに鳴らし、間の取り方が良いので、思わず耳をそばだててしまう。
 終楽章は、打ってかわって速いテンポで怒涛のように突き進むが、控え目なフォルテが、全体をバランス良くまとめている。
 「第40番」では、木管の音を全体から遊離させて鳴らしているのが特徴的で、特に速いテンポの両端楽章で、それが際立っている。分裂的性格をサウンドとして表現しているとも言えようか。
 第1楽章はかなり速いテンポで、テンポだけはフルトヴェングラーの有名な演奏に近いが、音の輪郭をくっきりと取り、アインザッツの乱れもない。
 第2楽章は淡々として、呼吸も浅い。その雰囲気を第3楽章へとつなぎ、正確にテンポを刻んで、インテンポで前進する。中間部も思い入れを押さえてテンポを変えずに終始する演奏。
 終楽章は前のめりにグイグイと進むが、散発的な管のパッセージが単調さをカバーしている。
 「31番」「40番」のいずれもバレンボイムの実験的意欲に溢れた演奏で、音楽の自在さが犠牲にされているということも言えるが、はっきりとした主張を持ったもので、イギリス室内管も率直にバレンボイムの要求にそのまま応えている。
 バレンボイムにしてみれば、やりたかったことを、一通りやっているといった感のある個性的なモーツァルト演奏だ。
 この2曲に比べると「第39番」の演奏は、一見オーソドックスだが、それでも、第1楽章の序奏部や第2楽章の、異様に遅いテンポで隈どりをはっきりと丁寧に描いていく様や、打楽器の扱いなど、あるいは第3楽章の中間部のフレージングなど充分に個性的だ。
 これらの演奏に共通するのはレントゲン写真のように骨格を透かして見ようという分析的な姿勢で、バレンボイムの音楽が、決してリリカルなものではなく、むしろ〈新ウイーン派〉的な側面を持っていることを示している。ウイーンでのピアノの師はブーランジュやエドウィン・フィッシャーだが、彼の音楽の根底には〈シェーンベルク以後〉の流れが影を落としているようだ。指揮者バレンボイムのデビュー時の録音がこの一連のモーツァルトのほかに「シェーンベルク/ワーグナー/ヒンデミット」なのは、意味のあることなのだ。興味の尽きないアルバムだ。


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60年代EMI録音に聴く「モーツァルト演奏の原点」?

2009年05月19日 14時54分41秒 | ライナーノート(EMI編)





 バレンボイムのモーツァルトについての私のこだわりを、前回のブログで書きましたが、それで思い出したのが、本日、以下に掲げる「ライナーノート」です。
 1990年12月16日に書いたもので、まもなく執筆後20年経過、となるもの。1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年台のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDの1枚です。そのシリーズ全体像の解説原稿と、各CDの演奏論原稿を依頼されたもので、モーツァルト没後200年に合わせた企画。英EMIでリリースされたものの国内盤でした。
 曲目解説は既存の解説文を二次使用するから不要だが「演奏論」の原稿が欲しいというもので、時間的に余裕がないので全15点揃わなくてもいい。書けるものだけ、という注文でした。確か、依頼が年末の12月10日頃で、原稿締め切りは年内、という強行スケジュール。書けたのは10アイテムほどでしたが、当時まだ小学生だった息子と私の両親がクリスマス・パーティをしている我が家でひたすら書き続けていたのを、今でも覚えています。年内と言っても、印刷所に仕事納め前に渡すので、27日の夕方必着というものです。まだ昭和から平成になったばかりで、12月26日が祝日という習慣もなかった時代ですが、もちろん、メールで「添付ファイル」を送るなどというツールもありませんから、たいへんでした。
 60年代の演奏を聴くということの意味は、当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直すひとは少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が(評論家諸氏も含めて、です)、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 
 と、まあ、そんなわけですが、以下が、その時に書き上げたシリーズ全体への解説原稿です。本日は、これだけ。次回から、カテゴリー「私の名曲名盤選」と並行して、新カテゴリー「ライナーノート(EMI編)」として、各CD解説も順次掲載します。


(1991年2月、東芝EMI新譜CD解説)
■「現代のモーツァルト演奏の原点」を聴く
 1991年はモーツァルトの没後200年に当たるということで、このところモーツァルトのシリーズCDが続々と発売されている。それぞれに独自のコンセプトを持っているが、この「モーツァルト・ポピュラーコレクション」の場合は、そのほとんどが1960年代の貴重な録音ということが最大の特徴だろう。
 60年代はレコーディング演奏史の上で最も収穫のあった時期で、世代交代や価値観の転換など新鮮で興味深い出来事が次々に起こっていた。もちろん、演奏というものは常に時代を反映して塗り代えられていくもので、それは今日でも変わらない。時代を先取りしていく才能ある演奏家はいつでもいるが、60年代は、戦後の新しい世代の台頭が、ステレオの普及と高度経済成長の波に乗って、正に百花繚乱の観があった。
 それ以前にはどんな名曲でも数種の録音しかなく、この曲は誰、あの曲は誰と決まっていて、ほとんど選択の余地がなかったと言われているが、60年代はどの曲にも数多くの個性的な演奏が揃っていて、それらをレコード店の店頭で何枚も聴き比べてから買ったものだ。この時期に中学、高校時代を過した私は幸福だったと思っているが、当時発売されたこれらの演奏が、日本で、どれも暖かく迎え入れられたわけではなかった。むしろ、「おとなたち」の無理解や無関心にあって、早々と市場から消えてしまったり、70年代に入ってやっと廉価盤で再発されて細々と片隅で生きながらえたりと、それほど話題にならずに今日に至ってしまった盤も多かった。特にモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトなどに、そうした傾向がかなり顕著だ。
 しかし、戦前からの限られた大家の演奏のレコードを擦り切れるほどに何度も聴き、その音楽に慣れ切ってしまった耳に、当時の中堅や若手の新しい演奏が抵抗なく入っていくほど、日本の聴衆の音楽体験は豊かなものではなかっただろうと思う。これは、聴き手にとっても、演奏家にとっても不幸なことだった。私も含めて、当時少年・青年だった若い音楽ファンの小さな声援の届かないまま、一部のマニアのコレクションになってしまったり、「廉価盤のアーティスト」といわれなき烙印を押されてレコード史のエアーポケットに落ち込んでしまったモーツァルト演奏が、今回、こうして初CD化されて復活するのはうれしいことだ。そのなかには、30年も前!のクーベリック~ウィーンフィル、指揮者としてデビューしたころのバレンボイムの交響曲、レコードが少なく、その存在さえ忘れられがちのアニー・フィッシャーやリヒター=ハーザーのピアノ協奏曲、ウィーン系の演奏の陰に押しやられてしまった観のある、管のための各協奏曲や室内楽、宗教曲に独自の境地を守り続けたゲンネンヴァインの「レクイエム」などが並んでいる。
 しかし、これらは決して「懐かしい演奏」として、意味があるのではない。60年代は、50年代にSPからモノラルLPになって飛躍的に良質となった長時間録音によって、演奏者自らも、自身の演奏を客観的に聴くことができる環境に置かれるようになった時代を受けて、そうした「演奏の客観化」が大きな課題となっていたし、レコード文化や情報産業の発達による、演奏の無国籍化が進んで行った時代だ。そのことによって、私たちが失ってしまったものもあるが、それは止めようもない歴史の流れなのだから、むしろその中から得られるものが積極的に評価されていくのが自然だろう。そして今日の演奏は、そうした傾向がますます推し進められている。
 60年代の演奏は、現代に直接つながる「原点」ともいうべきものなのだ。しかも、それ以前の時代を継承して、その音楽は今よりもはるかに「幸福」で「個性的」だ。客観化が無個性化になりがちな現代にとって、これらは極めて示唆に富んだ演奏だ。また、無国籍化が音楽をつまらなくする(例えばウィーン情緒やフランス趣味がない演奏は駄目だというような)という意見が一面的すぎるということも、これらの演奏は雄弁に語っている。
 今回、一挙に発売される「モーツァルト・ポピュラーコレクション」は、いつの間にか片隅に追いやられていたが、それでも一部のファンによってその魅力が語り継がれてきたものばかりだ。かつて50年代の強い影響の中で不運だった演奏だが、今、改めて聴く意味は大きい。それも若い音楽ファンにこそ聴いてもらいたいと思っている。ここには戦前からの往年の名手といわれる人たちとは違った、もっと直接に現代に連なるものがある。かつてエアポケットに落としてしまったこれらの演奏を、今度は「デジタル録音ではないから」と、また片隅に追いやるような愚かな繰返しはやめよう。これら「現代のモーツァルト演奏の原点」を聴いてみることは、これから先の新しい世代の新しい演奏に、頑迷にNOと言わない、柔軟で豊かな音楽体験を醸し出すために、大切なことなのだ。(1990. 12. 16. 竹内貴久雄)




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モーツァルト『交響曲第40番』の名盤

2009年05月15日 11時21分37秒 | 私の「名曲名盤選」






 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、しばらく断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載します。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。いわば「自註」です。本日分は「第4回」です。


◎モーツァルト:交響曲第40番

 この曲はモーツァルト交響曲中、最後を飾る四一番ジュピターと前後して書かれ、その性格の違いから、ジュピターの健全で構築的な曲想と対比して、しばしば〈悪魔的〉と評される。そうした見方は確かに的外れではないだろうが、同時に一面的に過ぎると言うことも可能だ。
 私の記憶では、この曲の〈悪魔性〉をことさらに聴き手に意識させたのは、フルトヴェングラー/ウィーン・フィルの天才的と言ってよい特異な演奏が最初だろう。この第一楽章の、極端に速いテンポでさざ波のように押し寄せる不安感に、すっかり参ってしまった一部の聴き手の信仰告白のようなベタほめぶりは、それなりにこの曲の真実の一端を伝えている。
 しかし、不幸なことに、その時引合いに出されたのが、ワルター晩年のコロンビア響との甘美なメランコリーに満ちた一方の名演だった。ワルターに〈微温的〉なイメージがあるとすれば、それはほとんど錯覚なのだが、その震源地はこのあたりだ。
 今でこそ、この曲は全体に流れるペシミスト的雰囲気のために、モーツァルトの作品の中でも特異な位置を占めるものとして広く愛聴されているが、かつては、優雅で愛らしい作品と理解されていたという。そのことを忘れさせないという意味で、ワルターの演奏は貴重だ。ウィーン・フィルとのライヴ盤もあるが、コロンビア響とのスタジオ録音の方が、指揮者の意図がストレートに伝わってくる。この曲の持つ一面を正確に伝える演奏だ。
 バレンボイム/イギリス室内管の演奏は、前項の三九番と同じようなきびしさと、かなり速めのテンポで不安感を表出している。フルトヴェングラー的解釈を彼なりに再構築した意欲的演奏と言っていいだろう。
 ジェルメッティ/シュトゥットガルト放送響盤は、最近の録音の中では最も息づかいが自然で、流麗な美しさが生きている。

【ブログへの再掲載に当たっての付記】
 とてもむずかしい音楽です。まだまだ考えなければならないこと、感じられるはずのことが、たくさん残っています。とりあえずは宿題にさせてください。ただ、フルトヴェングラーとワルターについての記述は、この曲を考える上でとても重要な問題を、執筆当時から今に至るまで、ずっと孕んでいます。底流にあるのは、私が中学生になりたての頃、1960年代初頭のレコード批評誌に掲載されていた文章です。それは正に「信仰告白」のようなオマージュでしたが、私も、そして、その文章を雑誌に書いていた彼も、ともに齢を重ね、感じ方が変わってきました。それを可能にするほどに、モーツァルトの晩年の音楽は「深い森」なのです。
 この時期、私はモーツァルトの交響曲演奏については、かなりバレンボイムにこだわっていますが、それは、バレンボイムのモーツァルト演奏の発想が「前衛」だったからのはずです。やはり、聴き直さなくてはなりません。ただ、弦の音色が、CDになって壊されていると困ります。
 バレンボイムは衆知のように、フルトヴェングラーへの強い共感を口にしている音楽家のひとりでもあります。シカゴ響を振ってのフルトヴェングラーの第2交響曲の正規録音もあるほどです。海賊盤LPですが、フルトヴェングラー作曲の『ピアノと管弦楽のための協奏交響曲』のライヴ録音もあります。その彼の40番なのです。
 最後に掲げているジェルメッティ盤は、何か標準的といってよい演奏はないか、と探して、無理やり付け加えた原稿だったと記憶しています。それくらい、40番演奏の決め手に欠けていたのが、この原稿を書いていた時期の状況でした。考えてみたら、セル/クリーヴランド管の名演がありましたね。うっかりしていましたが、「絶対これ!」というほどでもないから、書き漏らしてしまったとも言えます。



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モーツァルト『交響曲第39番』の名盤

2009年05月13日 10時34分07秒 | 私の「名曲名盤選」



 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、しばらく断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載します。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第3回」です。

◎モーツァルト 交響曲第39番

 モーツァルトの交響曲の中でも、とりわけ〈遊び〉の少ない曲で、生まじめなアプローチが成功する作品だと思うが、それでいて、澄みきった伸びやかさが前面に出てこなければならないという難曲だ。
 クレンペラー/フィルハーモニア管盤は、くっきりとした造形の枠組みで、実によく内声部を鳴らした演奏で、この曲のシンフォニックな奥行きの深さを十全に表現している。古典交響曲としての様式を踏み外すことなく、壮麗なスケールでモーツァルトのドラマティックな音響を提示しているが、少々構築的に過ぎるかもしれない。
 これと対局の美しさとも言えるワルター/コロンビア響盤は、ワルターのモーツァルト交響曲録音の中でも、とりわけ魅惑的な演奏だ。特にメヌエット楽章の、色合いの鮮やかな艶のある響きの豊かな音楽は比類ない魅力で、このあたりを聴くと何故かほっとする演奏だが、全体に、この演奏はクレンペラーと異なり色気がありすぎる。
 こうして聴いていくと、モノラル録音だが、ベーム/コンセルトヘボウ管の演奏は、生まじめさとオーケストラの音色の魅力がバランスのとれた標準的名演だ。ただ、オーケストラの編成が少々大きすぎる。
 バレンボイム/イギリス室内管盤は若き日のバレンボイムの前衛的な気概が感じられる演奏で、しばしばデフォルメされた響きが聴こえたりもする意欲にあふれた演奏だが、序奏部から聴くものを掴んで離さないきびしさが、全体を通して流れており、しばしば背筋がぞくっとするような感興を呼んで独自の美しさを実現している。
 モントゥ/北ドイツ放送響盤は、モントゥ最晩年の録音。録音が、技術的にトップクラスの出来ではないのが惜しいが、演奏は明快なひとつひとつのラインを無理なく見事に織りあげたもので、この曲の音楽的流れを自然に聴かせる。構造をきっちりと捉えながら、工夫の跡を気付かせない。

【ブログへの再掲載に当たっての付記】
 私としては、この曲を演奏する際の様々な観点を言い尽くしているとも思いますから、名盤ガイドのスタートラインとしては、これで何も加えることはありません。ただ、ここで取り上げたそれぞれの演奏の方向性を、それぞれに達成しようとしたその後の世代の録音が、この15年の間に生まれては消えていったように思いますが、それらのひとつひとつを丁寧に追ってきたわけではありません。機会があれば、ゆっくり聴いてみたいとは思っていますが、しばらくは果たせそうもありません。
 バレンボイム盤は、EMIの録音で、CD化もされましたが、モントゥ盤はコンサートホール原盤だったと思います。ひょっとして良質のCD化が行われているかもしれませんが、まだ調べていません。ベーム盤はもう役割を終えているかもしれませんが、古楽器演奏を取りざたする必要も、この時期になってのモーツァルトの交響曲には、ほとんどないと思っています。この時代の楽器の性能にイライラしていたひとりがモーツァルト自身であることは、残された書簡からも明白です。つまり、モーツァルトの天賦の才は、既に後の時代の楽器の表現力、性能でこそ真価を発揮する作品を書いていた、というのが私の考えです。
 ワルターの「色気」に関しては、この文章を書いていた当時よりも、今の方が、私は肯定的かもしれません。昨年の晩夏、私の友人が死の床でワルター最晩年のモーツァルト集を聴きながら、「老人になっても、こんなにモーツァルトの音楽を色っぽく演奏する人って、すごいと思う」と言っていました。自分にまもなく訪れる死を、じっと静かに受け入れながら聴いていた彼の姿を、今でも鮮明に思い出します。愛書家として著書も残した気谷誠氏です。彼の追悼特集「書物の人・気谷誠/黄金の国を求めて」が、近く発売される『季刊・銀花』158号(文化出版局・刊)で組まれるそうです。



 
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モーツァルト「交響曲第36番」の名盤

2009年05月11日 09時53分55秒 | 私の「名曲名盤選」
 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、しばらく断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載します。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第2回」です。


◎モーツァルト*交響曲36番

 クリップス/コンセルトヘボウ管は、無理のないテンポで、すべての旋律、パッセージ、音という音のすべてを楽しみ尽くしているかのような生気あふれる演奏。ウィーンをこよなく愛したクリップスならではの、無垢な音楽への愛情と無邪気な遊び心が横溢した名演だ。
 クレンペラー/フィルハーモニア管は、きりりと引き締まった表情で、造形の確かな格調の高い音楽を聴かせるが、弛緩しないリズムの確かさによって流れの自然さが確保され、モーツァルトの自在さが内側からこみ上げてくる魅力を持っている。
 ハンス・グラーフ/ザルツブルク・モーツァルテウム管の演奏は、少々荒い響きのオケだが、緩急を大胆に使い分けた表情の豊かな演奏。グラーフの演奏が何よりも好ましいのは、モーツァルトのギャラントな側面に対して、愛情のあるアプローチが感じられることだ。割り切って、スタスタと通り過ぎてしまいそうなところで、時折ハッとさせられるチャーミングな表現に触れることができる。
 マッケラス/プラハ室内管は、チェンバロの通奏低音を加え第二ヴァイオリンを右に配置した古典的構成で演奏。響きが良く整理された演奏で、第二ヴァイオリンの効果を最大限に生かし、豊かな音楽性に支えられて、内声部もしっかりと鳴らす。フレージングも新鮮だ。これは古楽器ブームの今日の音楽的興味に充分応えつつ、充実した音楽が得られた一例だ。
 C・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン盤の、滋味あふれる響きに全幅の信頼を置いた演奏は、最近の標準的演奏。ここでは、デイヴィスの音楽的バランスの良さが功を奏して、〈正統〉の今日的な帰結を伝えているが、それが安全運転に終始せざるを得ないところに演奏を追込むこととなってしまっている。こうした限界を今後、誰が突き破るのだろうか?

【ブログへの再掲載に当たっての付記】
 このあと、いわゆる「古楽器演奏」が主流となったかの感がありますが、どうでしょう? 私自身は、それぞれの時代の「生理」を意識しすぎて、鬼の首でも取ったように、モダン楽器の演奏の全てを「インチキ」と糾弾していた当時の一部の「インチキな評者」の意見には与しませんでしたから、「マッケラス盤」への私の評価は、そうした人たちへの皮肉を込めたメッセージのつもりでした。コリン・デイヴィス盤で私が指摘した問題点は深刻です。ここで露呈した「病気」は、演奏界にじわじわと広がってしまいました。さて、この病気を打ち破るのは誰でしょう? 私はまだ出会っていませんが、そろそろ出会えそうな予感を感じています。今、そういう時代になっていますし、そう信じたいです。


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作曲家としてのオットー・クレンペラー・補遺

2009年05月10日 04時05分32秒 | ディスコグラフィ的な話題
 先月発売されたばかりの青弓社の新刊書『クラシック反入門』(許光俊ほか編)には、私も4分の1ほど寄稿していますが、その中で、クレンペラーの作曲作品について言及している文章に、重要な訂正があります。
 クレンペラーには交響曲が6曲もありながら「自作の録音を残せなかった」と書いてしまいましたが、「交響曲第2番」をニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した演奏が、マーラーの第七交響曲との2枚組CD(写真)の余白に収められています。しかも、フィルハーモニア弦楽四重奏団の演奏によるクレンペラー作曲の「弦楽四重奏曲第7番」まで収められています。お恥ずかしいことながら、もう随分以前に購入したまま、すっかり忘れていたのです。聴いてもいませんでした。英EMI制作のもので、現在は廃盤です。このCDを輸入盤ショップで見かけ、そうした珍品を見かけたら必ず買うことにしている私の常で、しっかりと購入はしたものの、買った当時は、まったく別のテーマに集中していたので、仕舞い込んで、すっかり忘れていたのです。
 本のほうは、再版時には書き直しをお願いするつもりですが、「私は聴いていないが」と書いてあるのは、当然事実ですから、文章の骨子は変わりません。「全曲の自作録音は残せなかったが~」として、以下のような情報を、何らかの形で書き加えるつもりです。

【クレンペラーの自作交響曲録音】
1)交響曲第2番 1968年3月、10月録音 未発売
2)交響曲第2番 1969年3月、10月、11月録音 英EMI ASD-2575にて発売
3)交響曲第3番 1970年2月録音 未発売
4)交響曲第4番 1969年3月録音 未発売

オーケストラはすべて「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」です。上記のデータは『フィルハーモニア管弦楽団の全録音記録』によるものです。「交響曲第2番」は1968年に一度録音され、それとはまったく別に1969年に再録音されたように記載されていますので、ひょっとすると、スコアが改訂されたのかも知れません。69年の後で出版もされたようです。3番、4番は、少なくともLP時代には発売されていないようですし、クレンペラーがOKしたテイクが完成していないのかもしれません。私の知る限り、CD化もされていないと思いますが、今回のような「ど忘れ」がないとは言えません。
 今回、我が家のCD棚から発掘されたこのクレンペラーの作品は、いずれ、ちゃんと聴いて、このブログ内で書きます。とりあえずは、うっかり書いてしまった文章の訂正をして、お詫びします。


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モーツァルト「交響曲第29番」の名盤

2009年05月08日 12時19分16秒 | 私の「名曲名盤選」



 5月2日付の当ブログに詳しく趣旨を書きましたが、しばらく断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載します。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第1回」です。


◎モーツァルト*交響曲29番

 この曲では、まずクレンペラー/フィルハーモニア管の演奏が、音楽の奥行の深さと軽さを両立させた規範的名演として、長く愛されるだろう。
 突然の事故死で三〇代の若さで世を去ったグィド・カンテルリの、フィルハーモニア管とのこの曲は、完成したスタジオ録音のテイクとしては、彼の最後の録音だ。ステレオで録られていたが、長い間モノラルのみの発売で、ステレオのテイクが登場したのは七〇年代のフランス盤から。弦のしなやかさ、のびやかさ、深く優しい息づかいが、引締まった造形感の中を明るく自在に駆けめぐる。天才の早すぎた死を痛切に感じる遺品だ。
 ケルテス/ウィーンフィル盤は、声高なところなどひとつもない地味な演奏だが、じっと耳を傾けると、優雅でしっとりとしたモーツァルトが静かにこみあげてくる。まだ、この録音が行われてから二十年ほどしか経っていないのに、遠い過去のなつかしい演奏に出会ったかのように思ってしまう。それほどまでにモーツァルト演奏はこの二十年で、大きく変貌を遂げたのだ。
 ウィルブラント/ベルリン室内アカデミー管盤は、音楽の伸びやかで生き生きとした息づかいが確保されていて、しなやかで自在だ。しかし、あくまでも安定したテンポを基本に、細部まで磨かれた入念な仕上げを忘れない現代のモーツァルト。これが、我々の時代のなかで可能なモーツァルトのひとつの到達点なのだと思う。
 グラヴァー/ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズによる演奏も、モーツァルト演奏の今後を考える上で、極めて興味深いものがある。これは、きりりとした表情づけで一貫した演奏で、音の強弱の落差を強く打ち出して音楽の輪郭をくっきりさせた、優美、典雅とは対極にある非常にシャープな感覚のモーツァルト。着実に刻み続けるリズムも快い。


(ブログへの再掲載にあたってのコメント)
 最初の3枚は、この曲をまず最初に誰の演奏で聴くかを問われたとき、今でも答えるだろうと思っている選択です。つまり、私にとってのスタンダード・チョイスです。ウィルブラントとグラヴァーは、この文章が書かれた時期での状況を表しています。二人とも、まだ地道に活動を続けていますが、1990年代後半のモーツァルト演奏に大きな提案を残しています。でも、移り気な擬似音楽ジャーナリズムという「マーケット」からは、ほとんど忘れられています。映画「アマデウス」で売れたマリナー盤が出る前だったと思いますが、どうだったでしょう? 古楽演奏もまだあまり前面に出てきていませんでした。そんな時代の「前衛」が、私にとっては、この2枚です。 
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「コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル」まえがき

2009年05月05日 19時02分38秒 | 私の「名曲名盤選」
 先日の予告通り、私の1994年の著書から、いわゆる「名曲名盤選」に該当する部分を一曲ずつ掲載する前に、同書の「まえがき」をまず掲載します。当時の私の意気込みや、今となっては少々気恥かしい「気負い」が現れていますが、私のスタンスがそれなりに表現されています。次回から、いよいよ「本文」です。



●『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』まえがき
  (1994年11月・洋泉社発行)


序 がらくたの山の中から

 いつの頃からか、音楽評論家と呼ばれる機会が出来てしまったが、未だ幸福なことに、私は音楽好きの一書籍編集者としての仕事を続けている。あまり大きな声で仕事仲間に言えることではないが、小学生の頃に身についたコレクター癖は今なお健在で、どこに出かけても、中古レコード店や、輸入盤ショップを見つけると、飛び込んでしまう。
 自分の目で店先にあるものの中から興味の湧くものを見つける。この楽しみが何よりだ。レコードを買うというのは、決して予定された行動ではなく、偶然出会うことが一番なのだが、時々、それがわかっていない人に出会うことがある。
 雑誌の切抜きやメモを片手に歩き回って、目的のものを順番に手にしてゆくのだが、その周辺のものには目もくれない。何か特定の資料さがしなら、それもわかるが、買っていくのが、その月に発売の雑誌の推薦盤ばかりだったり、名盤チョイスの上位アイテムばかりだったならば、それは淋しいことではないかと思う。自分の好みは自分で発見する。それは音楽体験を豊かにする最初の一歩だ。
 そのことは、〈コレクター〉と呼ばれる人々にも言える。中古市場で高値のものにばかり関心を持つ人や、価値のあるLPは値が張ると思い込んでいる人には、この本は無縁だ。中古レコードは何万円もするものの方が遥かに見つかりやすく、200円、300円や、値の付かない「タダ同然」のものほど見つからないものだ、というアイロニーを解っていただける人にこそ、読んでいただきたい。
 本書のタイトルにも、そうしたアイロニーが含まれている。コレクションはいつも、わくわくするような瞬間でなければならない。

 日本の〈音楽評論〉をとりまく状況には、とても淋しいものがある。これは、その中に多少なりとも身を置く者のひとりとして、そしてそうした世界を操る出版界にいる者としての私の実感だ。
 特定の演奏家のCDばかりが繰り返し発売され、それらの中だけでランキングをしていく業界がある。レコード店の店頭にまで、そうした推薦盤が張り出され、それ以外は買わないというファンがいる。一方、そうした状況に飽きたらないファンは、輸入盤中心の店に通い、こちらでは、めずらしい盤にばかり散発的に目が向くといったファンが育ちつつある。
 こうした現状は、この国の〈音楽評論〉そのものが、評論としての自立を形成することに、必ずしも真剣ではなかったことに責任の一端があるだろう。評論が自立するためには、方法論の形成が不可欠なのだ。
 読者の側にも問題はあった。評論と紹介の混同、そして評論誌と業界誌の混同だ。本書は、そうした中での、音楽評論の在り方を示す、ひとつの試みとして書かれている。
 書名の「コレクター」とは、ともかく買ってみた、聴いてみた、ということだ。与えられたものでも、他人に選んでもらった物でもない。執筆にあたっては、もちろん発売する側の事情にも考慮していない。そういう当たり前のことが、なかなかむずかしいのだ。
 読者は、本書に登場する様々な未知の演奏家やLPに戸惑うかもしれないが、こうした一般のガイド本に登場しない演奏家、長く廃盤となっているものにも、驚くほどの名演がある。今日の演奏家の意図を理解するための、重要な転換点を示している演奏もある。だが、これでも、本書で紹介したものは、私の知り得たものの極く一部だ。音楽を聴く世界は、それほどに広く、深い。小さなフィールドにいる限り「快楽」は得られないのだ。

 どこに出かけて行っても、その街の中古レコード店に出入りしているおかげで、随分たくさんのレコードに出会った。数年前からは世界各地の店からカタログをとり寄せて、手紙やファックスでの注文もしている。もちろん国内の地方の店での通信販売も受けている。口の悪い友人は、全国どころか、世界中からガラクタを日本に集めていると言う。
 確かにそうなのだ。ダンボール箱が我が家に届き、カッターで頑丈な封を開けた瞬間、ロンドンの包みからはロンドンの、ブダペストの荷物からはブダペストの香りがする。カリフォルニアの店の箱の中身は、妙にパサパサとしてほこりっぽかった。そういう気がするものなのだ。
 決して高くはない。昔、買ったレコードに奇妙な高値がついておどろくことがあるが、私が手を出すのは、たいてい二束三文。未知の物との出会いこそが、こうした店とのやりとりの最大の楽しみだ。この演奏家に、こんな曲の録音があった、とか、こんな名前のピアニストは初めてだ、とか、そんなとき、カタログにペンが走る。真夜中、ひとりで目をやるカタログからは、様々の音楽が聞こえてくる。あの曲でこうだったから、きっとこの曲ではこうだろう。想像の世界で聞こえてくる音楽に浸りながら、ファックスに向かう。レコード集めは、やはり、やめられない楽しさなのだ。
 やがて到着した荷物をほどき、ジャケットを眺める。片隅の小さな文字が気になる。マルP何年。こんなに早い時代に発売されていたのか、と驚く。解説の英文をたどる。「世界初録音」。そうか、これが最初だったのか。レコード盤を取り出す。手ざわりがいい。外周の始末がきれいだと思う。ずしりと重い。盤面が黒光りしている。レコード針を下ろす。
 こうして聴き始めた演奏が、とんでもない凡演、ということは、よくあることだ。しかし、これだけ楽しめれば、何もいうことはあるまい。レコード集めは、正に「快楽」なのだ。
 もちろん、私は骨董品趣味の持主ではない。それこそ、録音されたばかりの最新のCDで、聴いたことのない新人の演奏を聴くのも好きだ。どちらも同じことなのだと思う。いつでも大切なのは、未知のものとの出会いだ。そして、出会いが増えるたびに、ひとつひとつばらばらだった〈点〉が繋がり、〈線〉になり、最近やっと、少しずつ〈面〉が見えてきた。それぞれの演奏様式を繋ぐ山脈の形が、知識としてではなく、そのままの形で私の中に出来つつあるような気がしている。

 本書は、クラシック音楽を聴く人のための、様々な演奏に対する情報の宝庫だ。現役国内盤のあるものはそのように記載したが、中には、現在輸入盤でしか入手できないものや、廃盤で入手できないものも含まれている。だが、数年前の原稿などでは、執筆時から今日に至るまでにCD化されたものも多い。本書で興味を引かれた盤があれば、心の片隅に留めておいていただきたい。よほどの事情がない限り、いずれはCDで発売されるはずだからだ。
 繰り返しになるが、あるものの中からしか選ばないのならば、この本は不要だ。音楽の世界を大きく自由にはばたかせたい人と、この本の世界を共に楽しみたいと思っている。





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ケルテス、若き日の録音、ヴェルディ『オテロ』を聴く「駅売りCD」

2009年05月02日 17時09分55秒 | ディスコグラフィ的な話題
 本日2本目のブログUPです。先日、ちょっと必要があってネット上で「ケルテス」「アウグスブルグ歌劇場」を検索したところ、思いがけず、私が以前「歴伝/洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評1957~1966」で執筆した注記を拠り所にしているブログ記事に出会い、少々補足しておかなくては、と思ったことを、以下に記します。

 まず、以下、私が執筆した「注」です。これは、ケルテス~ウィーン・フィルの『新世界交響曲』の国内盤LPに関連した注記で、西側亡命後のケルテスの初録音に言及したものでした。

■(SLC1095) 英デッカ=ロンドンによる1961年ステレオ録音。前年1961年7月新譜として6月中にSLB95で発売されていることから、1960年録音の可能性もある。なお、当盤はSLB系列からSLC系列に番号がスライドしただけ。
 指揮のイシュトヴァン・ケルテッシュ(現在はケルテスと表記)はハンガリー動乱の際に「西側」に亡命。50年代の終わりには西側で活動していた。筆者の知る限り、ケルテスの初期録音は、最初の西側での職だったアウグスブルグ歌劇場でのヴェルディ《オテロ》抜粋(独メディアフォン)、独エレクトローラへのフィルハーモニア・フンガリカとのリスト《ピアノ協奏曲1/2》(ピアノ:ユリアン・フォン・カーロイ)の60年9月録音、そして、この《新世界》あたりではないかと思う。

 その方が自身のブログで、2枚組で390円という格安で入手した「駅売りCD」の『オテロ』は、このメディアフォンが原盤の「ケルテス盤」だろうと書かれているのです。それを読んで、とても懐かしく思い出しました。私も、今から6~7年ほど前、『歴伝/洋楽名盤~』の出版からかなり経ってから、偶然、駅売りCDのワゴンの中にこのCDを発見して、あわてて買って帰った記憶があるからです。それが、冒頭のカラー写真です。
 『歴伝/洋楽名盤~』の「注記」は、当時、古い海外版の目録を詳細に読んでやっと見つけたもので、レコードを所有していたわけではなかったので、音を聴いてはいなかったのです。「駅売りCD」はドイツのピルツ社の制作で、「ピルツ・ジャパン」が輸入元と表示されたものでした。
 2枚の内1枚は「ピタミック指揮ニュルンベルク・シンフォニカー」による「ヴェルディ『椿姫』ライライト集」(ハイライトの誤植です!)と記載され、もう1枚が「イストヴァン・ケルテッツ指揮アウグスブルグ市立オーケストラ」による「『オテロ』ハイライト集」「『運命の力』序曲」「『アイーダ』第1幕への前奏曲と勝利への行進」と記載されていました。
 この「ケルテッツ」なる指揮者が「ケルテス」であることは明白でしたし、歌劇場のオーケストラがレコード録音に際して変名を用いるのも常識ですから、これは、間違いなく、私が過去に言及した原盤ソースのものだと確信して買って帰りましたが、帰宅後に調べて、ピルツ社がCD化の権利を買ったレーベルの中に「メディアフォン」の名前を見つけて、満足したのを覚えています。これらピルツ社に移った音源は、2、3年前には3枚組で1000円程度の『CONCERTO ROYALE』という更に怪しげなレーベルに移動して発売されています。
 いわゆる「駅売りCD」には、こうした例のように、通常の市販盤では見かけない原盤ソースのものがあるので、要注意です。これまでにもずいぶん、興味深いものを見つけました。いずれ、「私の駅売りCD博物学」と題して、お読みいただくようにしますが、今日は、この「ケルテス~アウグスブルグ市立管弦楽団」の「オテロ(抜粋)」について、私が調査した詳細を記します。ひょっとするとこのCDに収録された約37分の抜粋の他に全曲盤のレコードもあるかも知れませんが、詳細は不明です。レコード1枚分の抜粋としては、この程度の収録時間が妥当でしょう。なお、これは、当時の多くのドイツ国内の歌劇場の慣例に従って、「ドイツ語歌唱」で録音されています。トラックは5つで、各々の日本語表記は以下の通りです。なお、ライヴ音源ではなく、放送用かもしれませんが聴衆ノイズのないしっかりしたスタジオ録音です。
1)「第1幕第3場:オテロ、デズデモーナ~夜の静けさの中で」
2)「第2幕第1場:イアーゴ~行け、私は君の目的だ(クレド)」
3)「第3幕第5場:イアーゴ、オテロ~君が? 裏切り者、手を引け!」
4)「第4幕第2場:デズデモーナ、オテロ~目を開けてみよ」
5)「第5幕第3場:デズデモーナ、オテロ~助けて、私はカシオを愛していない」
【原盤LP番号】独メディアフォン 22・339
【歌手】Edith Gabry(sop.) Yvonne Helvey(m.sop) Hubert Mohler(te) Eugene Tobin(te) R.B.Andersen(br) Zoltan Kelemen(bs)

 このケルテス指揮アウグスブルグ市立管弦楽団の演奏は『オテロ』のみで、他の2曲もすべて「ケルテッツ指揮」と記載した当CDの表記は誤りです。
 『運命の力』はレズーチャ指揮ブラチスラヴァ・スロヴァキア・フィルハーモニー、あるいは、パルツェック指揮ロンドン・フェスティバル管弦楽団のどちらかによる演奏で、『アイーダ』はカール=アウグスト・ビュンテ指揮ベルリン交響楽団の演奏。いずれも古いLPカタログからの推定ですが、確信はありません。しかし、ケルテス指揮でないことは間違いないでしょう。

 なお、もうひとつのケルテスの初期盤、独エレクトローラ社制作のリスト『ピアノ協奏曲』は私の手元にありますが、その記載によると、西側に亡命してきたケルテスに最初の職場であるアウグスブルグ歌劇場を紹介したのは、ハンガリー出身の先輩指揮者、ラズロ・ショモギーだったということです。しかし、わずか数年でこの歌劇場の音楽監督になってしまったのは、まぎれもなくケルテスの傑出した才能によるものですし、この若き日のケルテスの『オテロ』の生き生きとした演奏には、その一端が刻印されています。どこかでこのCDを見かけたら、絶対に買わなくてはなりません。


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