以下は、7月24日発売のCDのために書いたライナーノートです。日本ウエストミンスター発売(日本コロムビアの販売)です。写真は解説書の表紙およびウラ表紙です。ウラ表紙は、オリジナルLP4種のジャケットです。新しいオリジナル・マスターテープにまで遡った大幅に音質が改善されたCDによるものとしては初発売となるものです。ライセンスその他については、詳しくは当ブログの『ストコフスキー』シリーズ第1弾、第2弾を参照してください。(今年の1月、2月頃に、このカテゴリー「ライナーノート(ウエストミンスター/編)」に掲載しました。)
■20世紀に生まれた「こどものための音楽」
米エヴェレスト原盤による「ストコフスキーの芸術」第3弾は、以下の「こどものための音楽」3曲で再編成したものとなった。
●プロコフィエフ『交響的物語《ピーターと狼》』
20世紀の代表的な作曲家のひとりセルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)は、現在はウクライナ共和国となっているロシア帝国内に生まれた。ロシア革命後にアメリカに渡り、その後パリに行き、その間の20年ほどの海外生活で近代のモダンな作風を確立した作曲家だったが、そのプロコフィエフが望郷の念の高まりから、革命後のロシア、すなわちソビエト社会主義連邦(ソ連)への帰国を決意したのが1933年だった。『ピーターと狼』は、こうして故郷に帰り着き、折からの音楽芸術に対する社会主義リアリズム礼賛と大衆化路線の波に遭遇した作曲家が、「わかりやすい音楽」を目指していた時期の作品。1936年に作曲されている。ロシア民話をベースにしているが、音楽の進行に合わせて語られる台本は、作曲者自身によって書かれており、物語に登場するキャラクターが、以下のオーケストラそれぞれの楽器に割り当てられている。
少年ピーター(弦楽合奏)、小鳥(フルート)、アヒル(オーボエ)、ネコ(クラリネット)、ピーターのおじいさん(ファゴット)、オオカミ(ホルン3本)、狩人(ティンパニ+大太鼓)
最初、各キャラクターの紹介から。それが終わると、次のように物語が始まる。
――ある朝のこと、ピーターが外へ出掛けると、良い天気に小鳥たちがはしゃいでいる。やがて、ピーターが閉め忘れた門からアヒルが外へ逃げ出す。泳げない小鳥と飛べないアヒルとのケンカ。そこへネコが登場。小鳥を捕まえようとするが、とっさに逃げる小鳥。おじいさんが現れて、オオカミが来たらどうするんだと叱って家に帰らせる。置いてけぼりのアヒルを狙ってオオカミが登場。ネコは逃げるが、足の遅いアヒルがオオカミに呑み込まれてしまう。それを見ていたピーターが、小鳥たちに協力してもらいオオカミの気を引いて捕まえようとする。狩人たちも鉄砲を持って応援に駆けつける。こうして生け捕りにしたオオカミを連れての勝利の行進。すると、呑み込まれていたアヒルがオオカミの口から、無事に飛び出す――。
●プロコフィエフ『バレエ曲《シンデレラ》』
『ピーターと狼』が作曲された8年後の1944年の作品。誰でも知っているフランスの童話作家シャルル・ペローの『シンデレラ』に基づくバレエで、バレエの初演が1945年11月、第2次世界大戦終結の直後に行なわれている。バレエ曲は全3幕50曲から成るものだが、そこから作曲者自身によって3種の異なる組曲が編まれている。このCDでは組曲版と全曲版から、以下のようにストコフスキーによる独自の構成で抜粋され演奏されている。( )内が出典であるが、それぞれ、接続個所を中心に、ストコフスキーの改変が見られる。特に第1組曲第7曲、第8曲に、それが著しい。
「春の精と夏の精」(第2組曲第3曲)~「舞踏会へ行くシンデレラ」(第1組曲第6曲)~「宮廷のシンデレラ」(第2組曲第5曲)~「シンデレラと王子」(全曲版)~「シンデレラのワルツ」(第1組曲第7曲)と「真夜中」(第1組曲第8曲)~「大団円とフィナーレ」(全曲版)
●ドビュッシー『組曲《子供の領分》』
ドビュッシーが、当時3歳だった愛娘のエマ(愛称:シュシュ)に聴かせるために作曲したピアノのための組曲。1908年の作品。全6曲を作曲者の友人の作曲家アンドレ・カプレが管弦楽に編曲した。しかし、ここでもストコフスキーは独自の考えで第2曲「ジャンボ(象)の子守歌」、第5曲「小さな羊飼い」、第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」のみが演奏されている。ベースにあるのはカプレの編曲版だが、これも、ストコフスキーによって改作が施されている。
■「ピーターと狼」のナレーション史
今では日本語によるナレーションが学校教育の現場では当たり前になってしまった『ピーターと狼』だが、じつは、録音・編集技術の制約もあったためか、LP最初期の昭和30年代前半には英語版のままでの発売が通常だった。文部省の必修教材になったこともあって、日本語版が登場したのは昭和33年11月新譜の芥川比呂志(オーマンディ指揮)の日本コロムビア盤あたりからのはずだ。続いてドイツ・グラモフォンの中村メイ子(フリッツ・レーマン指揮)が話題になったと記憶している。どちらもモノラル盤である。団塊の世代が学校で聴いていたのはほとんど坂本九(カラヤン/フィルハーモニア)の擬似ステレオ盤だが、黒柳徹子(マゼール)がステレオ盤で登場して主役の座を競い始めた。このマゼール盤は、初出LP時から、英、独、仏、日、それぞれが各国語で発売された。その後は日本語吹き替えが主流となり、日本で英語版は、バーンスタイン自身の「振り語り」盤、プレヴィンとミア・ファーロー、バレンボイムとデュ=プレの夫婦盤、ベームとカール=ハインツ・ベームによる親子盤や、ショーン・コネリー、デビット・ボウイなど人気俳優盤に限られる時期が続いた。
当CDのストコフスキー盤は、日本でもキャプテン・カンガルーによる英語版が昭和40年代に日本コロムビアからLPで発売されたが、日本語版全盛の陰に追いやられてしまった感があり、堺正章による日本語ナレーション・バージョンに差し替えられてしまった。1975年のことだ。
今回のキャプテン・カンガルーによる英語版の国内盤登場は久々のものだが、時代の風潮はすっかり一変してしまった。もはや、日本の児童教育はグローバル化が叫ばれ、英語教育の早期化は、社会的な要請ともなっている。そうしたことを踏まえてこのCDを聴くと、オリジナル録音のままの発売が当たり前となった今日に於いても、キャプテン・カンガルーの聞き取り易く親しみ易い英語は、最も理想的なものに思えてくる。
■「キャプテン・カンガルー」のナレーションと、ストコフスキーの見識
「キャプテン・カンガルー」とは、アメリカの三大テレビ・ネットワークのひとつCBSの、子供向け人気番組の名称。この番組のホスト役を務めたボブ・キーシャンが、大きなポケットの付いた上着を着込んで登場したため、彼自身をキャプテン・カンガルーと呼ぶようになったという。1955年に放映されて以来1984年まで30年も続いた名物番組で、1977年にエミー賞を初受賞した後、80年から83年まで4年連続受賞をしている。この番組は日本では放送されなかったが、アメリカではこのストコフスキー盤が録音・発売された1959年~60頃に、すっかり子供の人気者だった。キャプテン・カンガルーの起用は、ストコフスキー自身の発案ではなかったかも知れないが、エヴェレストレコードとしては大きなセールス・ポイントであったに違いない。
ジャケット記載のストコフスキー自身のメッセージでは、『ピーターと狼』という1936年に発表されてまだ〈間もない〉と言える作品の、響きの斬新さを指摘することにかなりの字数が費やされている。それは時としてフランスの近代音楽をも引き合いに出すほどのもので、このあたりにも、プロコフィエフという20世紀の作曲家の音楽的素養が、パリ時代のモダニズムの洗礼にあることを看破したストコフスキーの優れた見識が窺えるものとなっている。そしてオリジナルLPのB面には、ナレーションを省いた録音が収録されている。もともとナレーションが音楽の進行をガイドする役割を担っている作品だけに、音楽のみで聴くと、それは時として少々唐突だったり間延びしたりもするのだが、純粋にプロコフィエフが書いたサウンドを聴くことが出来る貴重な機会ともなっている。(これは1990年代の米オメガ(ヴァンガード)によるCD化では聴くことが出来る。)
■ストコフスキーと収録作品
ストコフスキーは、20世紀という西洋音楽演奏の大転換期を代表する指揮者の一人だった。音楽はレコード、放送、映画を通じて、貴族や支配階級から開放され、大衆のものへとなっていったが、その先頭に立って音楽の普及に努めていたのがストコフスキーだったと言っても過言ではない。ストコフスキーは「啓蒙の人」だった。ストコフスキーによって解釈され指揮された音楽は、いつも、その音楽が持っている本質をわかり易く提示したものだったと言える。『ピーターと狼』のすっきりとして明瞭な響きにも、それは現れている。バレエ曲『シンデレラ』では、通常の「組曲版」や「全曲版」といった枠を取り払ったストーリー展開に合わせた構成で、戦後のプロコフィエフ作品の斬新な響きのエッセンスが聴けるわけだが、終盤の12時へと向かう時計のカウントダウンと、愛の成就の場面は圧巻だ。この流れで全編がコンパクトにまとめられているのは、この演奏しかない。
ドビュッシー『子供の領分』抜粋も、ストコフスキーの独自の考えで構成されている。原則としてカプレの編曲版を尊重して、よく言われているほどには恣意的な改変をしないのがストコフスキーの見識だ。こうした抜粋方式はストコフスキーの得意技でもあって、最晩年にはビゼー『アルルの女』で見事な「つまみ食い」を聴かせている。
■米エヴェレストのオリジナルLPについて
今回収録の3曲は《ストコフスキーの芸術(3)》のために編成されたもので、米エヴェレストのオリジナルLPの初出は、以下の通りであった。(カッコ内はカップリング曲)
*SDBR-3043/『ピーターと狼』(B面にはナレーションを入れる前の録音を、そのまま収録)
*SDBR-3016/『シンデレラ』(ヴィラ=ロボス『ウィラプルー』『モディーニャ』)
*SDBR-3108/『子供の領分』(プロコフィエフ『シンデレラ』『みにくいあひるの子』)
この内、SDBR-3108は、既発売の「ストコフスキーの芸術(1)、(2) 」で詳しく触れたエヴェレストレコード末期のリリースの故か、『シンデレラ』が重複していること、表紙に『子供の領分』の記載がないなど、不可思議な登場となっていた。しかも、そのためか、ライセンス元が『子供の領分』の初出を、後年発売の「3327」としている可能性がある。「3327」は、「ストコフスキーの芸術(2)」と、「同(1)」で述べたように経営陣の総入れ替え後のリリースなので、ひょっとすると、LP時代から『子供の領分』を未発売音源と思い込んでいたのかも知れない。
ちなみに「3327」は、エヴェレストの一連の録音プロジェクトとはかかわりのない若い作曲家ポール・チハラの新作「ウィンド・ソング」発表の場がA面で、B面にヴォーン=ウィリアムズ『すずめ蜂』と『子供の領分』が付されている。この2曲が、ストコフスキー指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団による未発表音源とされての登場と思われるが、『子供の領分』は先に述べたように再登場。『すずめ蜂』のみ初出音源だが、ストコフスキーではなく、エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルの演奏と思われる。おそらくSDBR-3006のヴォーン=ウィリアムズ『交響曲第9番』録音(これは作曲者の立会いが予定されていたが、録音当日の朝、作曲者は急逝したと伝えられている)の際に、追悼の思いから追加録音されたまま未発売となっていたものではないかと推測される。これら4点のオリジナルLPジャケットをウラ表紙に掲載した。
なお、ストコフスキーが指揮しているニューヨーク・スタジアム交響楽団は、アメリカの名門ニューヨーク・フィルハーモニーが契約の関係で米CBS(現SONY)にしか録音できないために用いていた変名である。当時のニューヨーク・フィルは、ミトロプーロスが引退し、若きバーンスタインが音楽監督に就任したばかりだった。
■20世紀に生まれた「こどものための音楽」
米エヴェレスト原盤による「ストコフスキーの芸術」第3弾は、以下の「こどものための音楽」3曲で再編成したものとなった。
●プロコフィエフ『交響的物語《ピーターと狼》』
20世紀の代表的な作曲家のひとりセルゲイ・プロコフィエフ(1891~1953)は、現在はウクライナ共和国となっているロシア帝国内に生まれた。ロシア革命後にアメリカに渡り、その後パリに行き、その間の20年ほどの海外生活で近代のモダンな作風を確立した作曲家だったが、そのプロコフィエフが望郷の念の高まりから、革命後のロシア、すなわちソビエト社会主義連邦(ソ連)への帰国を決意したのが1933年だった。『ピーターと狼』は、こうして故郷に帰り着き、折からの音楽芸術に対する社会主義リアリズム礼賛と大衆化路線の波に遭遇した作曲家が、「わかりやすい音楽」を目指していた時期の作品。1936年に作曲されている。ロシア民話をベースにしているが、音楽の進行に合わせて語られる台本は、作曲者自身によって書かれており、物語に登場するキャラクターが、以下のオーケストラそれぞれの楽器に割り当てられている。
少年ピーター(弦楽合奏)、小鳥(フルート)、アヒル(オーボエ)、ネコ(クラリネット)、ピーターのおじいさん(ファゴット)、オオカミ(ホルン3本)、狩人(ティンパニ+大太鼓)
最初、各キャラクターの紹介から。それが終わると、次のように物語が始まる。
――ある朝のこと、ピーターが外へ出掛けると、良い天気に小鳥たちがはしゃいでいる。やがて、ピーターが閉め忘れた門からアヒルが外へ逃げ出す。泳げない小鳥と飛べないアヒルとのケンカ。そこへネコが登場。小鳥を捕まえようとするが、とっさに逃げる小鳥。おじいさんが現れて、オオカミが来たらどうするんだと叱って家に帰らせる。置いてけぼりのアヒルを狙ってオオカミが登場。ネコは逃げるが、足の遅いアヒルがオオカミに呑み込まれてしまう。それを見ていたピーターが、小鳥たちに協力してもらいオオカミの気を引いて捕まえようとする。狩人たちも鉄砲を持って応援に駆けつける。こうして生け捕りにしたオオカミを連れての勝利の行進。すると、呑み込まれていたアヒルがオオカミの口から、無事に飛び出す――。
●プロコフィエフ『バレエ曲《シンデレラ》』
『ピーターと狼』が作曲された8年後の1944年の作品。誰でも知っているフランスの童話作家シャルル・ペローの『シンデレラ』に基づくバレエで、バレエの初演が1945年11月、第2次世界大戦終結の直後に行なわれている。バレエ曲は全3幕50曲から成るものだが、そこから作曲者自身によって3種の異なる組曲が編まれている。このCDでは組曲版と全曲版から、以下のようにストコフスキーによる独自の構成で抜粋され演奏されている。( )内が出典であるが、それぞれ、接続個所を中心に、ストコフスキーの改変が見られる。特に第1組曲第7曲、第8曲に、それが著しい。
「春の精と夏の精」(第2組曲第3曲)~「舞踏会へ行くシンデレラ」(第1組曲第6曲)~「宮廷のシンデレラ」(第2組曲第5曲)~「シンデレラと王子」(全曲版)~「シンデレラのワルツ」(第1組曲第7曲)と「真夜中」(第1組曲第8曲)~「大団円とフィナーレ」(全曲版)
●ドビュッシー『組曲《子供の領分》』
ドビュッシーが、当時3歳だった愛娘のエマ(愛称:シュシュ)に聴かせるために作曲したピアノのための組曲。1908年の作品。全6曲を作曲者の友人の作曲家アンドレ・カプレが管弦楽に編曲した。しかし、ここでもストコフスキーは独自の考えで第2曲「ジャンボ(象)の子守歌」、第5曲「小さな羊飼い」、第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」のみが演奏されている。ベースにあるのはカプレの編曲版だが、これも、ストコフスキーによって改作が施されている。
■「ピーターと狼」のナレーション史
今では日本語によるナレーションが学校教育の現場では当たり前になってしまった『ピーターと狼』だが、じつは、録音・編集技術の制約もあったためか、LP最初期の昭和30年代前半には英語版のままでの発売が通常だった。文部省の必修教材になったこともあって、日本語版が登場したのは昭和33年11月新譜の芥川比呂志(オーマンディ指揮)の日本コロムビア盤あたりからのはずだ。続いてドイツ・グラモフォンの中村メイ子(フリッツ・レーマン指揮)が話題になったと記憶している。どちらもモノラル盤である。団塊の世代が学校で聴いていたのはほとんど坂本九(カラヤン/フィルハーモニア)の擬似ステレオ盤だが、黒柳徹子(マゼール)がステレオ盤で登場して主役の座を競い始めた。このマゼール盤は、初出LP時から、英、独、仏、日、それぞれが各国語で発売された。その後は日本語吹き替えが主流となり、日本で英語版は、バーンスタイン自身の「振り語り」盤、プレヴィンとミア・ファーロー、バレンボイムとデュ=プレの夫婦盤、ベームとカール=ハインツ・ベームによる親子盤や、ショーン・コネリー、デビット・ボウイなど人気俳優盤に限られる時期が続いた。
当CDのストコフスキー盤は、日本でもキャプテン・カンガルーによる英語版が昭和40年代に日本コロムビアからLPで発売されたが、日本語版全盛の陰に追いやられてしまった感があり、堺正章による日本語ナレーション・バージョンに差し替えられてしまった。1975年のことだ。
今回のキャプテン・カンガルーによる英語版の国内盤登場は久々のものだが、時代の風潮はすっかり一変してしまった。もはや、日本の児童教育はグローバル化が叫ばれ、英語教育の早期化は、社会的な要請ともなっている。そうしたことを踏まえてこのCDを聴くと、オリジナル録音のままの発売が当たり前となった今日に於いても、キャプテン・カンガルーの聞き取り易く親しみ易い英語は、最も理想的なものに思えてくる。
■「キャプテン・カンガルー」のナレーションと、ストコフスキーの見識
「キャプテン・カンガルー」とは、アメリカの三大テレビ・ネットワークのひとつCBSの、子供向け人気番組の名称。この番組のホスト役を務めたボブ・キーシャンが、大きなポケットの付いた上着を着込んで登場したため、彼自身をキャプテン・カンガルーと呼ぶようになったという。1955年に放映されて以来1984年まで30年も続いた名物番組で、1977年にエミー賞を初受賞した後、80年から83年まで4年連続受賞をしている。この番組は日本では放送されなかったが、アメリカではこのストコフスキー盤が録音・発売された1959年~60頃に、すっかり子供の人気者だった。キャプテン・カンガルーの起用は、ストコフスキー自身の発案ではなかったかも知れないが、エヴェレストレコードとしては大きなセールス・ポイントであったに違いない。
ジャケット記載のストコフスキー自身のメッセージでは、『ピーターと狼』という1936年に発表されてまだ〈間もない〉と言える作品の、響きの斬新さを指摘することにかなりの字数が費やされている。それは時としてフランスの近代音楽をも引き合いに出すほどのもので、このあたりにも、プロコフィエフという20世紀の作曲家の音楽的素養が、パリ時代のモダニズムの洗礼にあることを看破したストコフスキーの優れた見識が窺えるものとなっている。そしてオリジナルLPのB面には、ナレーションを省いた録音が収録されている。もともとナレーションが音楽の進行をガイドする役割を担っている作品だけに、音楽のみで聴くと、それは時として少々唐突だったり間延びしたりもするのだが、純粋にプロコフィエフが書いたサウンドを聴くことが出来る貴重な機会ともなっている。(これは1990年代の米オメガ(ヴァンガード)によるCD化では聴くことが出来る。)
■ストコフスキーと収録作品
ストコフスキーは、20世紀という西洋音楽演奏の大転換期を代表する指揮者の一人だった。音楽はレコード、放送、映画を通じて、貴族や支配階級から開放され、大衆のものへとなっていったが、その先頭に立って音楽の普及に努めていたのがストコフスキーだったと言っても過言ではない。ストコフスキーは「啓蒙の人」だった。ストコフスキーによって解釈され指揮された音楽は、いつも、その音楽が持っている本質をわかり易く提示したものだったと言える。『ピーターと狼』のすっきりとして明瞭な響きにも、それは現れている。バレエ曲『シンデレラ』では、通常の「組曲版」や「全曲版」といった枠を取り払ったストーリー展開に合わせた構成で、戦後のプロコフィエフ作品の斬新な響きのエッセンスが聴けるわけだが、終盤の12時へと向かう時計のカウントダウンと、愛の成就の場面は圧巻だ。この流れで全編がコンパクトにまとめられているのは、この演奏しかない。
ドビュッシー『子供の領分』抜粋も、ストコフスキーの独自の考えで構成されている。原則としてカプレの編曲版を尊重して、よく言われているほどには恣意的な改変をしないのがストコフスキーの見識だ。こうした抜粋方式はストコフスキーの得意技でもあって、最晩年にはビゼー『アルルの女』で見事な「つまみ食い」を聴かせている。
■米エヴェレストのオリジナルLPについて
今回収録の3曲は《ストコフスキーの芸術(3)》のために編成されたもので、米エヴェレストのオリジナルLPの初出は、以下の通りであった。(カッコ内はカップリング曲)
*SDBR-3043/『ピーターと狼』(B面にはナレーションを入れる前の録音を、そのまま収録)
*SDBR-3016/『シンデレラ』(ヴィラ=ロボス『ウィラプルー』『モディーニャ』)
*SDBR-3108/『子供の領分』(プロコフィエフ『シンデレラ』『みにくいあひるの子』)
この内、SDBR-3108は、既発売の「ストコフスキーの芸術(1)、(2) 」で詳しく触れたエヴェレストレコード末期のリリースの故か、『シンデレラ』が重複していること、表紙に『子供の領分』の記載がないなど、不可思議な登場となっていた。しかも、そのためか、ライセンス元が『子供の領分』の初出を、後年発売の「3327」としている可能性がある。「3327」は、「ストコフスキーの芸術(2)」と、「同(1)」で述べたように経営陣の総入れ替え後のリリースなので、ひょっとすると、LP時代から『子供の領分』を未発売音源と思い込んでいたのかも知れない。
ちなみに「3327」は、エヴェレストの一連の録音プロジェクトとはかかわりのない若い作曲家ポール・チハラの新作「ウィンド・ソング」発表の場がA面で、B面にヴォーン=ウィリアムズ『すずめ蜂』と『子供の領分』が付されている。この2曲が、ストコフスキー指揮ニューヨーク・スタジアム交響楽団による未発表音源とされての登場と思われるが、『子供の領分』は先に述べたように再登場。『すずめ蜂』のみ初出音源だが、ストコフスキーではなく、エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルの演奏と思われる。おそらくSDBR-3006のヴォーン=ウィリアムズ『交響曲第9番』録音(これは作曲者の立会いが予定されていたが、録音当日の朝、作曲者は急逝したと伝えられている)の際に、追悼の思いから追加録音されたまま未発売となっていたものではないかと推測される。これら4点のオリジナルLPジャケットをウラ表紙に掲載した。
なお、ストコフスキーが指揮しているニューヨーク・スタジアム交響楽団は、アメリカの名門ニューヨーク・フィルハーモニーが契約の関係で米CBS(現SONY)にしか録音できないために用いていた変名である。当時のニューヨーク・フィルは、ミトロプーロスが引退し、若きバーンスタインが音楽監督に就任したばかりだった。