竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

駆け足で辿る西洋音楽史(2)「ロマン派の時代」

2014年02月28日 15時07分21秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 一昨日の続きです。この原稿の性格については、一昨日のまえがきをご覧ください。
 一昨日の掲載分に、コメント欄への「質問」が寄せられました。真面目な内容でしたので、そのままコメント公開の処理をしましたので、ご覧いただければお分かりくださる方も多いかと思いますが、私としては、予期せぬ内容でした。
 確かに、「アルビノーニのアダージョ」を例に出すのは、あの原稿の執筆時であった17年前には、「アルビノーニの真作」ではないにしても、彼の作品の断片を再編した「復元作品」といった程度の認識があったように記憶していますが、どうだったでしょうか? 執筆当時も、印刷前になって、若干の補足をしたようにも記憶していますが、文章の骨格は変更しませんでした。
 なぜならば、全体の文脈からもご推察いただけると思いますが、私の文意は、古典派以前の音楽が共通して持っている「様式感」にあるからですし、現在では「アルビノーニのアダージョ」は100%「アルビノーニ」作ではなく、二〇世紀の人間の「擬作」と判明しているのは、コメント氏のご質問通りですが、それが、二〇世紀の作品としてではなく、巧妙に、古い時代の様式に似せて作られたものだから、です。
 考えてみれば、「パッヘルベルのカノン」にも、似たことが言えるわけで、それほどに、この時代の音楽「らしさ」が端的に凝縮された作品は、ほんとうはひとつもない、ということの証左なのかも知れないと思いました。「擬作」であるがゆえに、「わかりやすく」その時代「らしさ」を具体化している、というのは、一種アイロニカルではありますね。



●ロマン派

■ロマン派音楽は、心を映す鏡
 ロマン派音楽の範囲は非常に広く、様々な姿を見ることができます。1800年代のほぼ全般、つまり、19世紀全体に流れる様々な音楽傾向の総称と言ってもよいでしょう。
 18世紀後半の古典派音楽の時代は、作曲家ひとりひとりが心の動きを大胆に表現する方向へと、音楽を少しずつ開放して行きました。その古典派最後の巨人ベートーヴェンは、ロマン派音楽を最初に切り開いた人としても、音楽史上の重要な作曲家となりました。
 ロマン派の時代の作曲家は、心の微妙な動きを反映するための大胆な転調や和声的な強弱法を拡大させましたが、それは、古典派の時代に飛躍的に発展し完成したソナタ形式や、性能の向上した楽器の用法なしには達成できなかったものなのです。
 感情の高揚が、音楽表現と結びついたロマン派音楽は、物語的、劇的な表現や、詩的、絵画的表現が、感情の動きと積極的に結び付くということでもありました。例えば、ベートーヴェンの「交響曲第6番《田園》」を聴きましょう。第1楽章が「田舎に着いたときの楽しい気分」と題され、ソナタ形式の展開のなかで、見事に〈気分の高揚〉が表現されています。
 こうした主観的な感情と形式との結合は、シューベルト、メンデルスゾーンといった初期のロマン派の作曲家のなかで、次第に深められて行きました。
 シューベルトの「交響曲第8(7)番《未完成》」の第1楽章も、二つの主題が提示された後の、展開部での二つの主題の動きは、不安な感情の劇的な展開として、ロマン派の表現を示しています。
 また、メンデルスゾーンの「交響曲第4番《イタリア》」の第1楽章も、古典派的な均整のとれた形式からはみ出してしまう、感情の高まりが感じられます。そして、ベートーヴェンが「田園交響曲」で試みた絵画的表現が、明るく弾む気分と暗く沈む気分との交錯するなかで、美しい風景画の世界のように描かれています。

■心の奥底の揺れ動きを捉えた初期ロマン派
 シューマンの場合は、さらにロマン派的な〈心のひだ〉の奥深い所にまで進んで行った作曲家と言えるでしょう。シューベルトの後を受けて歌曲の世界で傑作を残したシューマンは、文学の世界と結びつきながら、矛盾し、苦しみ、悩み続ける心の動きを調性の揺れ動きのなかに表現しました。長調から短調へ、短調から長調へと、移ろい行く魂そのもののように、音楽で心のあいまいさを表現しました。その幻想的な世界は、ピアノ曲や交響曲でも、充分聴きとることができます。
 ポーランドが生んだ〈ピアノの詩人〉と呼ばれるショパンも、この時代で忘れることはできません。ショパンが詩人と呼ばれるわけは、その作品の自在な転調、修飾を多用した旋律、そして自由にテンポを揺らす独特の音楽の運びなどによるものです。ショパンの音楽の持つ〈揺らぎ〉は、ロマン派音楽におけるピアノ曲で、ひときわ独創性に輝くものです。

■《標題音楽》を生み出したロマン派の音楽
 ベートーヴェンが「田園交響曲」で道を開いた、音楽と絵画や物語との結合は、《標題音楽》というジャンルも生み出しました。
 フランスの作曲家ベルリオーズは、ベートーヴェンの崇拝者でしたが、その彼が、残した「幻想交響曲」は、物語的展開や、事物の描写が、音楽形式と密接に関わりあった傑作です。この交響曲には、主人公の恋人を表現する旋律が設定され、それが、物語の展開に合わせて各楽章で姿を変えて現れます。「野の風景」と題された第3楽章では、ベートーヴェンが「田園交響曲」の第4楽章の嵐の描写で試みたような、風景と、その投影としての心の動きとが、丹念に描かれています。
 「序曲《フィンガルの洞窟》」を書いたメンデルスゾーンも、絵画的表現に優れていますが、この作品も、単なる情景描写ではなく、その風景を見ている作曲者個人の心が投影されていることに気付かれるでしょう。
 標題音楽は、リストによって、「交響詩」というジャンルとなりますが、リストの「交響詩《前奏曲》」では、「人生は、死に至る前奏曲である」という詩を受けて、人生そのものを表現しようとさえしています。また、「ファウスト交響曲」「ダンテ交響曲」などでも、文学の影響を大規模な作品のなかで実現しました。

■文学と結合した音楽が総合芸術としての歌劇に結実した
 ベルリオーズ、リストといった標題音楽は、シューマンに聴かれる主観的、情緒的な音楽としてのロマン派音楽とは異なった方向に進んで行きました。音楽と文学、思想、哲学との融合は、抽象性、幻想性は残しながらも、より大掛かりで視覚的には具体性を持った総合的な表現芸術としての歌劇に発展して行ったのです。その頂点がワーグナーです。
 ワーグナーは、最後には、自ら台本を書き、自分の作品専用の劇場を作らせるのですが、それは、ワーグナーという人間自身が、作曲家という枠に収らない、総合的な芸術全体の支配者であったことを意味しています。
 一方、ワーグナーの時代は、イタリアにはヴェルディが活躍していました。イタリアの音楽とロマン主義との関わりは、決して分かりやすいものではありませんが、ヴェルディが「オテロ」などシェイクスピアの戯曲を元にした歌劇で追及した人間の心理的葛藤は、正に、ロマン派の時代のものでしたし、それに続く〈ヴェリズモ・オペラ〉の運動も、装飾としての音楽から、人間存在そのものを捉える真摯なものへ突き進もうという狙いの帰結でした。
 こうしたイタリアオペラの歴史は、ベートーヴェンとほぼ同じ時期に活躍していたロッシーニによって変革されて以来の長い歴史の中で培われてきたものです。その意味でロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲は、豊かな物語性や表現の大きさだけでなく、〈人間のドラマ〉としてのロマン主義の芽を宿した作品として聴くことができるのです。
 フランスでは、歌劇はビゼーの「カルメン」が、時の哲学者ニーチェに「ワーグナー以上だ」と絶賛されるのですが、若くして世を去ってしまいました。

■純粋に音楽と向かい会ったブラームス
 ワーグナーによって、音楽は局限にまで拡大されて行きましたが、その一方で、そのような大掛かりな総合芸術といった考えを振り回さずに、静かに、純粋に音楽と取り組み続けたのがブラームスでした。
 ブラームスは、この時代におけるどの作曲家よりも熱心に、バッハからベートーヴェンに至る音楽の手法を研究しました。ブラームスによって、音楽の形式の美しさと、形式からはみ出して行く感情の高揚とが攻めあう、緊張と弛緩が混ざりあった音楽が生まれました。有名な「交響曲第3番」第3楽章の旋律は、そのひとつです。ここには、野放図に拡散して行かない張り詰めた美しさや儚さと、そうした世界への憧れを持った幻想的世界が広がっています。拡大された和声の豊かで個性的な進行が、色鮮やかな世界を築いています。この孤高の美しさも、ロマン主義音楽の一方の頂点です。

駆け足で辿る西洋音楽史(その1)「古典派音楽の成立」

2014年02月26日 15時13分57秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 古い文書ファイルを整理していたら、面白いものを見つけました。1997年7月17日の日付がありますから、17年も前に書いた原稿です。いわゆるクラシック音楽の入門用に執筆したもので、古典派の成立から近代・現代までを駆け足で辿ったものです。最近は「ユーキャン」を名乗っている通信販売の会社が「日本音楽教育センター」とかいう名称で活動していた時代に依頼したものです。セット物に付随していた冊子のためのもので、ルネサンスからバロック期までは、別の方の執筆のはずです。私のことをよく知っている方はニンマリなさるでしょうが、私、バッハ、ヘンデル以前は苦手なのです。古典派以降なら、ということでお引き受けした原稿です。
 じつは、今、久しぶりにザッと読み返しただけなので、ちょっと不安なのですが、一応かなり面白く書けてる――というか、私の西洋音楽観の原点が凝縮されているようにも思いましたので、私自身の考え方を整理するためにもなると思い、そのまま、この場に掲載することにします。もとより、数万部(数万セット)か、それ以上、世の中に出回っている文章ですし、そうなることを前提にお渡しした原稿ですから、内容のすべてに対して私に責任があるわけですが、執筆から20年近くも経っていますので、細部に修正の必要を感じる部分もあるかも知れません。その場合は、この場にて訂正・修正・補足をします。まずは「古典派の成立」の部分を、お読みください。(CDセットの付録冊子ですから、実際に聴ける音楽を例に挙げながら話を進めています。)明日以降、順次、掲載します。


●古典派の音楽

■古典派の代表はハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの三人

 古典派の音楽とは、18世紀の半ばから19世紀の初頭までの、ウィーンを中心としたヨーロッパ音楽の傾向を指しています。誰でもが知っている音楽家の名前を挙げれば、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの三人に代表される音楽ということになるでしょう。
 彼らは、音楽史的には、バッハやヘンデルなどの後の世代ということになりますが、この三人の音楽が時代の頂点を極めるに至った背景には、その時代が持っていた状況や雰囲気というものを忘れることはできません。
 既に見てきたように、西洋音楽のこれまでの歴史にとっては〈教会〉の力は、とても大きなものがありました。古典派の時代は、それが少しずつ、ふつうに生活して生きている人々の世界へと近づいてきた過程にあったと言えるでしょう。それは、音楽が表現芸術として自立し始めたということでもありました。

■古典派に至るまでのさまざまな動
 古典派音楽が完成するまでには、社会的な様々の背景を無視することはできません。
 まず第一に、文化活動の中心が、これまでの教会から、王侯貴族たちのサロンへと移ってきたことです。それによって、音楽のスタイルも、荘重でどっしりとした権威あるものから、優美で軽やかなものへと変りました。
 第二には、バッハの息子のエマニュエル・バッハ(C・P・E・バッハ)などが提唱した「真実で自然な感情表現」を求めた結果に生まれた音楽傾向が挙げられます。これは、音楽に対照的な動きや感情の動きを高らかに歌い上げる要素を持込みました。
 そして第三には、ゲーテ、シラーといった文豪たちが推進した主観性の強い文学様式の運動です。これは「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)」と呼ばれていますが、これが、音量の増減の大胆な対照効果が可能になったこの時代の楽器の性能向上と結びついて、ベートーヴェンの力強くほとばしる音楽にまで到達したのです。

■表現力を増した古典派の音楽
 古典派音楽の発達は、主として器楽の分野が担っています。それには、各々の楽器の性能の向上と、それに伴う合奏技術の発達といった時代の要素は見逃せません。当時の作曲家、特に才能があふれるほどあった作曲家ほど、次々に広がっていく可能性に吸い寄せられるように、自らの表現を深めて行きました。
 ジャンルとしては、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲などの作曲技法が特に進歩しましたが、それらは、いずれも、各々の楽器の音色の複雑な重なり合いを楽しむような立体的な音楽として、飛躍的に表現の可能性を広げて行きました。また、チェンバロにとって代ったピアノの、音域や音量の幅の広さも、音楽表現に大きな変化をもたらしました。ハイドンやモーツァルトの後期の「ピアノ協奏曲」には、この楽器の豊かな音域、音量によって広がった表現力を使い切ろうとする意欲的な作品が現れます。そして、やがてベートーヴェンの「熱情ソナタ」のように、ピアノ1台で、幅広い表現が可能になりました。
 「〈表現〉の幅が広がった」、と言われても、どういうことなのか、すぐにはピンと来ないかも知れません。では、ハイドンの「弦楽四重奏曲第67番《ひばり》」をお聴きいただきましょう。どうですか? このハイドン以前の音楽、例えば、有名なアルビノーニの「アダージョ」やパッヘルベルの「カノン」、あるいはヴィヴァルディの「四季」などを思い出してみてください、それらと、このハイドンの「ひばり」は、何かが違う、と思われることでしょう。その〈何か〉が、古典派の時代の〈表現〉に対する強い意志の力なのです。それは、モーツァルトを経てベートーヴェンで頂点を極めました。
 ベートーヴェンは「コリオラン」序曲のような短い作品でさえ、凝縮された中に巨大なドラマを盛り込むことが出来ましたが、それは、表現意欲の強さをベートーヴェン自身が持っていただけで達成できたのではありません。そうした表現を実現する楽器の性能の向上、合奏技術の進歩、作曲技法の発展など、古典派の時代が、時代の変化のなかで花開かせてきたことでもあるのです。

■古典派の時代に確立したソナタ形式
 そうした豊かな表現力を、形式の面から支えたのが〈ソナタ形式〉です。
 〈ソナタ形式〉とは、第1、第2の二つの主題旋律を提示する〈提示部〉と、その二つの主題がからまり合う〈展開部〉、二つの主題が元の形で戻ってくる〈再現部〉の三部分から成り立ち、全体の初めと終わりに、序奏部と終結部(コーダ)が付く、というのが基本のスタイルです。
 ハイドンの「弦楽四重奏曲第67番《ひばり》」や、モーツァルトの「交響曲第41番《ジュピター》」、あるいはベートーヴェンの「交響曲第6番《田園》」のそれぞれ第1楽章を聴いてみましょう。印象的な旋律がすぐに耳に飛込んできますが、それが第1主題です。やがて、かなり性格の異なる旋律が、これもまた、印象深く演奏されますが、これが第2主題。二つの主題を性格的な対比、対立の構図でとらえるのは、ソナタ形式が完成するためには、ぜひとも必要な考え方でした。
 ソナタ形式は、耳が慣れてくると、自然に理解できるものです。とても印象的な目立つ旋律が2種類現れて、いったん落ち着いた後、その旋律がかなり変形されて聞こえてきたところからが展開部。やがて、最初と同じ旋律がくっきりと聞こえてくると、それが再現部の始まりといった具合で、全体には、とてもまとまりのあるものです。これが、西欧的な価値観の産物であることは、言うまでもないことです。

■楽曲の組み合わせ方も完成した古典派音楽
 交響曲や室内楽が、その第1楽章にソナタ形式を用い、第2楽章がゆったりとしたテンポの音楽、第3楽章がメヌエットと呼ばれる3拍子の優雅な舞曲、第4楽章が急速なテンの音楽による締めくくり、という組曲形式として完成したのも、ハイドン、モーツァルトの時代からです。
 〈メヌエット〉の楽章は、モーツァルトの「ディヴェルティメント第17番」の第3楽章を聴いてもすぐにわかるように、〈複合3部形式〉といって、真ん中に〈トリオ〉と呼ばれる異なった旋律を置いて、その前後をメヌエットで挟むというのが一般的です。これもまた、異なった旋律で対比させた後、再び、「元へ戻る」という安定した感覚を求めたものと言えるでしょう。
 ベートーヴェンは優美なメヌエット楽章を、激しさを持った〈スケルツォ〉の楽章に入れ替えましたが、トリオ部分を持つ複合3部形式は守られました。
 協奏曲では、メヌエット楽章が省略された3楽章構成が定着しましたが、第1楽章がソナタ形式であること、第2楽章や第3楽章に複合3部形式が採用されることがあるなど、形式としての完成には、同じような傾向が見られます。そして、様々な楽器それぞれを得意とする名手が出現し、華やかで美しい独奏を聴かせる作品が多く生まれました。モーツァルトの「ホルン協奏曲」や「クラリネット協奏曲」などは、その好例です。