一昨日の続きです。この原稿の性格については、一昨日のまえがきをご覧ください。
一昨日の掲載分に、コメント欄への「質問」が寄せられました。真面目な内容でしたので、そのままコメント公開の処理をしましたので、ご覧いただければお分かりくださる方も多いかと思いますが、私としては、予期せぬ内容でした。
確かに、「アルビノーニのアダージョ」を例に出すのは、あの原稿の執筆時であった17年前には、「アルビノーニの真作」ではないにしても、彼の作品の断片を再編した「復元作品」といった程度の認識があったように記憶していますが、どうだったでしょうか? 執筆当時も、印刷前になって、若干の補足をしたようにも記憶していますが、文章の骨格は変更しませんでした。
なぜならば、全体の文脈からもご推察いただけると思いますが、私の文意は、古典派以前の音楽が共通して持っている「様式感」にあるからですし、現在では「アルビノーニのアダージョ」は100%「アルビノーニ」作ではなく、二〇世紀の人間の「擬作」と判明しているのは、コメント氏のご質問通りですが、それが、二〇世紀の作品としてではなく、巧妙に、古い時代の様式に似せて作られたものだから、です。
考えてみれば、「パッヘルベルのカノン」にも、似たことが言えるわけで、それほどに、この時代の音楽「らしさ」が端的に凝縮された作品は、ほんとうはひとつもない、ということの証左なのかも知れないと思いました。「擬作」であるがゆえに、「わかりやすく」その時代「らしさ」を具体化している、というのは、一種アイロニカルではありますね。
●ロマン派
■ロマン派音楽は、心を映す鏡
ロマン派音楽の範囲は非常に広く、様々な姿を見ることができます。1800年代のほぼ全般、つまり、19世紀全体に流れる様々な音楽傾向の総称と言ってもよいでしょう。
18世紀後半の古典派音楽の時代は、作曲家ひとりひとりが心の動きを大胆に表現する方向へと、音楽を少しずつ開放して行きました。その古典派最後の巨人ベートーヴェンは、ロマン派音楽を最初に切り開いた人としても、音楽史上の重要な作曲家となりました。
ロマン派の時代の作曲家は、心の微妙な動きを反映するための大胆な転調や和声的な強弱法を拡大させましたが、それは、古典派の時代に飛躍的に発展し完成したソナタ形式や、性能の向上した楽器の用法なしには達成できなかったものなのです。
感情の高揚が、音楽表現と結びついたロマン派音楽は、物語的、劇的な表現や、詩的、絵画的表現が、感情の動きと積極的に結び付くということでもありました。例えば、ベートーヴェンの「交響曲第6番《田園》」を聴きましょう。第1楽章が「田舎に着いたときの楽しい気分」と題され、ソナタ形式の展開のなかで、見事に〈気分の高揚〉が表現されています。
こうした主観的な感情と形式との結合は、シューベルト、メンデルスゾーンといった初期のロマン派の作曲家のなかで、次第に深められて行きました。
シューベルトの「交響曲第8(7)番《未完成》」の第1楽章も、二つの主題が提示された後の、展開部での二つの主題の動きは、不安な感情の劇的な展開として、ロマン派の表現を示しています。
また、メンデルスゾーンの「交響曲第4番《イタリア》」の第1楽章も、古典派的な均整のとれた形式からはみ出してしまう、感情の高まりが感じられます。そして、ベートーヴェンが「田園交響曲」で試みた絵画的表現が、明るく弾む気分と暗く沈む気分との交錯するなかで、美しい風景画の世界のように描かれています。
■心の奥底の揺れ動きを捉えた初期ロマン派
シューマンの場合は、さらにロマン派的な〈心のひだ〉の奥深い所にまで進んで行った作曲家と言えるでしょう。シューベルトの後を受けて歌曲の世界で傑作を残したシューマンは、文学の世界と結びつきながら、矛盾し、苦しみ、悩み続ける心の動きを調性の揺れ動きのなかに表現しました。長調から短調へ、短調から長調へと、移ろい行く魂そのもののように、音楽で心のあいまいさを表現しました。その幻想的な世界は、ピアノ曲や交響曲でも、充分聴きとることができます。
ポーランドが生んだ〈ピアノの詩人〉と呼ばれるショパンも、この時代で忘れることはできません。ショパンが詩人と呼ばれるわけは、その作品の自在な転調、修飾を多用した旋律、そして自由にテンポを揺らす独特の音楽の運びなどによるものです。ショパンの音楽の持つ〈揺らぎ〉は、ロマン派音楽におけるピアノ曲で、ひときわ独創性に輝くものです。
■《標題音楽》を生み出したロマン派の音楽
ベートーヴェンが「田園交響曲」で道を開いた、音楽と絵画や物語との結合は、《標題音楽》というジャンルも生み出しました。
フランスの作曲家ベルリオーズは、ベートーヴェンの崇拝者でしたが、その彼が、残した「幻想交響曲」は、物語的展開や、事物の描写が、音楽形式と密接に関わりあった傑作です。この交響曲には、主人公の恋人を表現する旋律が設定され、それが、物語の展開に合わせて各楽章で姿を変えて現れます。「野の風景」と題された第3楽章では、ベートーヴェンが「田園交響曲」の第4楽章の嵐の描写で試みたような、風景と、その投影としての心の動きとが、丹念に描かれています。
「序曲《フィンガルの洞窟》」を書いたメンデルスゾーンも、絵画的表現に優れていますが、この作品も、単なる情景描写ではなく、その風景を見ている作曲者個人の心が投影されていることに気付かれるでしょう。
標題音楽は、リストによって、「交響詩」というジャンルとなりますが、リストの「交響詩《前奏曲》」では、「人生は、死に至る前奏曲である」という詩を受けて、人生そのものを表現しようとさえしています。また、「ファウスト交響曲」「ダンテ交響曲」などでも、文学の影響を大規模な作品のなかで実現しました。
■文学と結合した音楽が総合芸術としての歌劇に結実した
ベルリオーズ、リストといった標題音楽は、シューマンに聴かれる主観的、情緒的な音楽としてのロマン派音楽とは異なった方向に進んで行きました。音楽と文学、思想、哲学との融合は、抽象性、幻想性は残しながらも、より大掛かりで視覚的には具体性を持った総合的な表現芸術としての歌劇に発展して行ったのです。その頂点がワーグナーです。
ワーグナーは、最後には、自ら台本を書き、自分の作品専用の劇場を作らせるのですが、それは、ワーグナーという人間自身が、作曲家という枠に収らない、総合的な芸術全体の支配者であったことを意味しています。
一方、ワーグナーの時代は、イタリアにはヴェルディが活躍していました。イタリアの音楽とロマン主義との関わりは、決して分かりやすいものではありませんが、ヴェルディが「オテロ」などシェイクスピアの戯曲を元にした歌劇で追及した人間の心理的葛藤は、正に、ロマン派の時代のものでしたし、それに続く〈ヴェリズモ・オペラ〉の運動も、装飾としての音楽から、人間存在そのものを捉える真摯なものへ突き進もうという狙いの帰結でした。
こうしたイタリアオペラの歴史は、ベートーヴェンとほぼ同じ時期に活躍していたロッシーニによって変革されて以来の長い歴史の中で培われてきたものです。その意味でロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲は、豊かな物語性や表現の大きさだけでなく、〈人間のドラマ〉としてのロマン主義の芽を宿した作品として聴くことができるのです。
フランスでは、歌劇はビゼーの「カルメン」が、時の哲学者ニーチェに「ワーグナー以上だ」と絶賛されるのですが、若くして世を去ってしまいました。
■純粋に音楽と向かい会ったブラームス
ワーグナーによって、音楽は局限にまで拡大されて行きましたが、その一方で、そのような大掛かりな総合芸術といった考えを振り回さずに、静かに、純粋に音楽と取り組み続けたのがブラームスでした。
ブラームスは、この時代におけるどの作曲家よりも熱心に、バッハからベートーヴェンに至る音楽の手法を研究しました。ブラームスによって、音楽の形式の美しさと、形式からはみ出して行く感情の高揚とが攻めあう、緊張と弛緩が混ざりあった音楽が生まれました。有名な「交響曲第3番」第3楽章の旋律は、そのひとつです。ここには、野放図に拡散して行かない張り詰めた美しさや儚さと、そうした世界への憧れを持った幻想的世界が広がっています。拡大された和声の豊かで個性的な進行が、色鮮やかな世界を築いています。この孤高の美しさも、ロマン主義音楽の一方の頂点です。
一昨日の掲載分に、コメント欄への「質問」が寄せられました。真面目な内容でしたので、そのままコメント公開の処理をしましたので、ご覧いただければお分かりくださる方も多いかと思いますが、私としては、予期せぬ内容でした。
確かに、「アルビノーニのアダージョ」を例に出すのは、あの原稿の執筆時であった17年前には、「アルビノーニの真作」ではないにしても、彼の作品の断片を再編した「復元作品」といった程度の認識があったように記憶していますが、どうだったでしょうか? 執筆当時も、印刷前になって、若干の補足をしたようにも記憶していますが、文章の骨格は変更しませんでした。
なぜならば、全体の文脈からもご推察いただけると思いますが、私の文意は、古典派以前の音楽が共通して持っている「様式感」にあるからですし、現在では「アルビノーニのアダージョ」は100%「アルビノーニ」作ではなく、二〇世紀の人間の「擬作」と判明しているのは、コメント氏のご質問通りですが、それが、二〇世紀の作品としてではなく、巧妙に、古い時代の様式に似せて作られたものだから、です。
考えてみれば、「パッヘルベルのカノン」にも、似たことが言えるわけで、それほどに、この時代の音楽「らしさ」が端的に凝縮された作品は、ほんとうはひとつもない、ということの証左なのかも知れないと思いました。「擬作」であるがゆえに、「わかりやすく」その時代「らしさ」を具体化している、というのは、一種アイロニカルではありますね。
●ロマン派
■ロマン派音楽は、心を映す鏡
ロマン派音楽の範囲は非常に広く、様々な姿を見ることができます。1800年代のほぼ全般、つまり、19世紀全体に流れる様々な音楽傾向の総称と言ってもよいでしょう。
18世紀後半の古典派音楽の時代は、作曲家ひとりひとりが心の動きを大胆に表現する方向へと、音楽を少しずつ開放して行きました。その古典派最後の巨人ベートーヴェンは、ロマン派音楽を最初に切り開いた人としても、音楽史上の重要な作曲家となりました。
ロマン派の時代の作曲家は、心の微妙な動きを反映するための大胆な転調や和声的な強弱法を拡大させましたが、それは、古典派の時代に飛躍的に発展し完成したソナタ形式や、性能の向上した楽器の用法なしには達成できなかったものなのです。
感情の高揚が、音楽表現と結びついたロマン派音楽は、物語的、劇的な表現や、詩的、絵画的表現が、感情の動きと積極的に結び付くということでもありました。例えば、ベートーヴェンの「交響曲第6番《田園》」を聴きましょう。第1楽章が「田舎に着いたときの楽しい気分」と題され、ソナタ形式の展開のなかで、見事に〈気分の高揚〉が表現されています。
こうした主観的な感情と形式との結合は、シューベルト、メンデルスゾーンといった初期のロマン派の作曲家のなかで、次第に深められて行きました。
シューベルトの「交響曲第8(7)番《未完成》」の第1楽章も、二つの主題が提示された後の、展開部での二つの主題の動きは、不安な感情の劇的な展開として、ロマン派の表現を示しています。
また、メンデルスゾーンの「交響曲第4番《イタリア》」の第1楽章も、古典派的な均整のとれた形式からはみ出してしまう、感情の高まりが感じられます。そして、ベートーヴェンが「田園交響曲」で試みた絵画的表現が、明るく弾む気分と暗く沈む気分との交錯するなかで、美しい風景画の世界のように描かれています。
■心の奥底の揺れ動きを捉えた初期ロマン派
シューマンの場合は、さらにロマン派的な〈心のひだ〉の奥深い所にまで進んで行った作曲家と言えるでしょう。シューベルトの後を受けて歌曲の世界で傑作を残したシューマンは、文学の世界と結びつきながら、矛盾し、苦しみ、悩み続ける心の動きを調性の揺れ動きのなかに表現しました。長調から短調へ、短調から長調へと、移ろい行く魂そのもののように、音楽で心のあいまいさを表現しました。その幻想的な世界は、ピアノ曲や交響曲でも、充分聴きとることができます。
ポーランドが生んだ〈ピアノの詩人〉と呼ばれるショパンも、この時代で忘れることはできません。ショパンが詩人と呼ばれるわけは、その作品の自在な転調、修飾を多用した旋律、そして自由にテンポを揺らす独特の音楽の運びなどによるものです。ショパンの音楽の持つ〈揺らぎ〉は、ロマン派音楽におけるピアノ曲で、ひときわ独創性に輝くものです。
■《標題音楽》を生み出したロマン派の音楽
ベートーヴェンが「田園交響曲」で道を開いた、音楽と絵画や物語との結合は、《標題音楽》というジャンルも生み出しました。
フランスの作曲家ベルリオーズは、ベートーヴェンの崇拝者でしたが、その彼が、残した「幻想交響曲」は、物語的展開や、事物の描写が、音楽形式と密接に関わりあった傑作です。この交響曲には、主人公の恋人を表現する旋律が設定され、それが、物語の展開に合わせて各楽章で姿を変えて現れます。「野の風景」と題された第3楽章では、ベートーヴェンが「田園交響曲」の第4楽章の嵐の描写で試みたような、風景と、その投影としての心の動きとが、丹念に描かれています。
「序曲《フィンガルの洞窟》」を書いたメンデルスゾーンも、絵画的表現に優れていますが、この作品も、単なる情景描写ではなく、その風景を見ている作曲者個人の心が投影されていることに気付かれるでしょう。
標題音楽は、リストによって、「交響詩」というジャンルとなりますが、リストの「交響詩《前奏曲》」では、「人生は、死に至る前奏曲である」という詩を受けて、人生そのものを表現しようとさえしています。また、「ファウスト交響曲」「ダンテ交響曲」などでも、文学の影響を大規模な作品のなかで実現しました。
■文学と結合した音楽が総合芸術としての歌劇に結実した
ベルリオーズ、リストといった標題音楽は、シューマンに聴かれる主観的、情緒的な音楽としてのロマン派音楽とは異なった方向に進んで行きました。音楽と文学、思想、哲学との融合は、抽象性、幻想性は残しながらも、より大掛かりで視覚的には具体性を持った総合的な表現芸術としての歌劇に発展して行ったのです。その頂点がワーグナーです。
ワーグナーは、最後には、自ら台本を書き、自分の作品専用の劇場を作らせるのですが、それは、ワーグナーという人間自身が、作曲家という枠に収らない、総合的な芸術全体の支配者であったことを意味しています。
一方、ワーグナーの時代は、イタリアにはヴェルディが活躍していました。イタリアの音楽とロマン主義との関わりは、決して分かりやすいものではありませんが、ヴェルディが「オテロ」などシェイクスピアの戯曲を元にした歌劇で追及した人間の心理的葛藤は、正に、ロマン派の時代のものでしたし、それに続く〈ヴェリズモ・オペラ〉の運動も、装飾としての音楽から、人間存在そのものを捉える真摯なものへ突き進もうという狙いの帰結でした。
こうしたイタリアオペラの歴史は、ベートーヴェンとほぼ同じ時期に活躍していたロッシーニによって変革されて以来の長い歴史の中で培われてきたものです。その意味でロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲は、豊かな物語性や表現の大きさだけでなく、〈人間のドラマ〉としてのロマン主義の芽を宿した作品として聴くことができるのです。
フランスでは、歌劇はビゼーの「カルメン」が、時の哲学者ニーチェに「ワーグナー以上だ」と絶賛されるのですが、若くして世を去ってしまいました。
■純粋に音楽と向かい会ったブラームス
ワーグナーによって、音楽は局限にまで拡大されて行きましたが、その一方で、そのような大掛かりな総合芸術といった考えを振り回さずに、静かに、純粋に音楽と取り組み続けたのがブラームスでした。
ブラームスは、この時代におけるどの作曲家よりも熱心に、バッハからベートーヴェンに至る音楽の手法を研究しました。ブラームスによって、音楽の形式の美しさと、形式からはみ出して行く感情の高揚とが攻めあう、緊張と弛緩が混ざりあった音楽が生まれました。有名な「交響曲第3番」第3楽章の旋律は、そのひとつです。ここには、野放図に拡散して行かない張り詰めた美しさや儚さと、そうした世界への憧れを持った幻想的世界が広がっています。拡大された和声の豊かで個性的な進行が、色鮮やかな世界を築いています。この孤高の美しさも、ロマン主義音楽の一方の頂点です。