一昨日は、私の「マゼール論」をとりあえずまとめて再録しました。つまり、ベルリン→クリーヴランド→ウイーン→ピッツバーグ→バイエルンと、マゼールが振り子のようにヨーロッパとアメリカの常任ポストを行き来して、バイエルン放送響及びウイーン・フィルとの録音が中心となったBMG時代を論じた「ニューイヤー・コンサート」のライナー・ノーツ前後までです。それで、ちょっと気になって、それ以降、私がマゼールのCDを論じたことがあるだろうかと調べてみて、意外なことに気付きました。ほとんど皆無なのです。おそらく私は、一昨日の記述のとおり、ある種の「終着点」を見定めるまで、すべてを保留していたのでしょう。その数えるほどしかないマゼールへの言及が、以下に再掲する3つの小文です。いずれも、詩誌『孔雀船』に、新譜CD雑感として書いたものです。
■マゼール~ニューヨーク・フィルのCDが、やっと登場(2007年1月執筆)
数年前にドイツのバイエルン放送交響楽団の音楽監督を辞して、以前からヨーロッパとアメリカ双方を交互に活動拠点としてきたマゼールの、クリーヴランド、ピッツバーグに続いて三度目のアメリカでの活動拠点がニューヨークと決まったとき、私は、これが、マゼールの最後の地になるかな、と思った。マゼールは、ロマン派的な音楽演奏のスタイルに、そしてヨーロッパ伝統の二〇世紀的展開に、第二次大戦後、最も鋭く斬り込んだ指揮者のひとりだが、その彼が、幼い頃、神童としてデビューしたニューヨークに戻ったのは、象徴的な出来事だった。ご承知のように、ニューヨークは、芸術の各分野、美術から、工芸、ファッションにいたるまで、二〇世紀における、最も先鋭な発信地だった。マゼールが、自身の音楽芸術を集大成するに相応しい土地だと思ったものだ。ところが、折からの音楽ビジネス全体の不況で、ニューヨーク・フィルとの新録音がまったく発売されないという事態に陥っていた。今回のCDは、ドイツ・グラモフォンが新たに、世界各地の放送局の中継録音を使用するという形で始めたシリーズで、録音経費が節約できる、という今の時勢に沿った安直なもので録音も少々粗いが、注目盤の登場ではある。曲目は得意のリヒャルト・シュトラウスの「ドンファン」「死と浄化」「ばらの騎士」など。往年の巨匠演奏ファンを挑発しているような演奏で、抽象的哲学の靄靄[もやもや]などくそくらえ! といった中で、スコアの解析に堕さず、大きくうねる音楽の生気が漲った、充実した演奏である。「見事な絵解き」で、リヒャルトの屈折したロマンティシズムが上滑りにならず、あざとくもなく、明快に再構築されている。完成の域とはこうしたものだ。
■マゼールのフランス国立管とのマーラー「巨人」がCD化(2012年1月執筆)
一九六〇年代の初頭と言えば、私にとっては、若き日のマゼールの演奏をテレビで見て、何かわけのわからない興奮に襲われた時期でもあった。新しい音楽の予感とでもいうものだったと思う。私の記憶に間違いがなければ、ベルリン・ドイツ・オペラと一緒に来日したマゼールが、東京交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「交響曲第四番」が、NHK教育テレビから流れた。私の「マゼール体験」の最初の一撃である。その後のマゼールの様々な変貌の意味については、これまで、様々な機会に書いてきた。戦後演奏史の中でのマゼールの位置付け、果たした役割の大きさについて、私は誰よりも真剣に論じてきたと自負しているが、最後の変貌を目前にして、マゼールのメモリアル的なアルバムが、突然発売された。最近の輸入盤の「まとめ売りアルバム」の超廉価攻勢には半ば呆れてもいたが、これは、とても丁寧な仕事である。合併に次ぐ合併の成果(?)で、ソニーとBMGの原盤から三〇アイテムが選ばれ、全てオリジナル時のレコードジャケットを再現した紙ジャケットに一枚ずつ収め、詳細データ付きのオールカラーの解説書が付いてのボックスセットが五〇〇〇円程度というから驚きだ。誰が選定したものか、ずっとCD化されなかったフランス国立とのマーラー「巨人」が入っているので、あわてて予約したときには、こんな仕様だとは思ってもいなかった。DG+デッカ+フィリップスでもやってくれないか、と思った。
■初期DGで、ムラヴィン盤の陰に忘れられたマゼール盤の復活(2014年1月執筆)
ロリン・マゼールは、戦後の演奏スタイルの変遷をひとりで体現し続けて変貌を繰り返してきた天才だが、若い頃の演奏以外は認めない、という頑固な聴き手も多い。私自身は、これまでにマゼールの壮大な変貌の意味について様々なところで考察してきたので、ここでは繰り返さない。前述の山田和樹やネセ=セガン、あるいは、ベルトラン・ド=ビリーらの口当たりのなめらかな音楽が台頭する時代に、マゼール自身がどのような決着を与えるか興味深いところだが、つい最近、「時代錯誤」のように若き日のマゼールの〈奇演〉が、「世紀の名盤」と銘打たれたDGの復刻シリーズで発売された。ある意味では時代の役割を終えた「名盤」が多い中、チャイコフスキーの『交響曲第4番』は、未だに多くの問題提起を残した演奏だと思う。長い録音歴を誇るマゼールだが、意外に同曲異録音は少ない。そんな中、この曲は数少ない例外だ。このベルリン・フィル盤は一九六〇年、マゼール三〇歳の録音で、この後に、ウィーン・フィルとデッカ録音、クリーヴランド管とはソニーとテラークとで2回も録音するという念の入れよう。この「抽象化の陥穽」に嵌まり込んでしまったチャイコフスキーの、謎に満ちた世界の入口作品に、マゼールが果敢に挑戦している。おそらく、「一番、わからないまま、ムキになって振っていた」演奏がこれ。だからこその、謎解き開始の原点。もう一度ゆっくり演奏史を辿りながら、聴き直してみたいと思って聴いた。
以上の3本を読めばお分かりのように、私のスタンスはずっと変わっていないのです。自分で読み返して、あきれもし、感心もしてしまいました。マゼールは、最後に、私に大きな課題を残して去っていったのですね。
■マゼール~ニューヨーク・フィルのCDが、やっと登場(2007年1月執筆)
数年前にドイツのバイエルン放送交響楽団の音楽監督を辞して、以前からヨーロッパとアメリカ双方を交互に活動拠点としてきたマゼールの、クリーヴランド、ピッツバーグに続いて三度目のアメリカでの活動拠点がニューヨークと決まったとき、私は、これが、マゼールの最後の地になるかな、と思った。マゼールは、ロマン派的な音楽演奏のスタイルに、そしてヨーロッパ伝統の二〇世紀的展開に、第二次大戦後、最も鋭く斬り込んだ指揮者のひとりだが、その彼が、幼い頃、神童としてデビューしたニューヨークに戻ったのは、象徴的な出来事だった。ご承知のように、ニューヨークは、芸術の各分野、美術から、工芸、ファッションにいたるまで、二〇世紀における、最も先鋭な発信地だった。マゼールが、自身の音楽芸術を集大成するに相応しい土地だと思ったものだ。ところが、折からの音楽ビジネス全体の不況で、ニューヨーク・フィルとの新録音がまったく発売されないという事態に陥っていた。今回のCDは、ドイツ・グラモフォンが新たに、世界各地の放送局の中継録音を使用するという形で始めたシリーズで、録音経費が節約できる、という今の時勢に沿った安直なもので録音も少々粗いが、注目盤の登場ではある。曲目は得意のリヒャルト・シュトラウスの「ドンファン」「死と浄化」「ばらの騎士」など。往年の巨匠演奏ファンを挑発しているような演奏で、抽象的哲学の靄靄[もやもや]などくそくらえ! といった中で、スコアの解析に堕さず、大きくうねる音楽の生気が漲った、充実した演奏である。「見事な絵解き」で、リヒャルトの屈折したロマンティシズムが上滑りにならず、あざとくもなく、明快に再構築されている。完成の域とはこうしたものだ。
■マゼールのフランス国立管とのマーラー「巨人」がCD化(2012年1月執筆)
一九六〇年代の初頭と言えば、私にとっては、若き日のマゼールの演奏をテレビで見て、何かわけのわからない興奮に襲われた時期でもあった。新しい音楽の予感とでもいうものだったと思う。私の記憶に間違いがなければ、ベルリン・ドイツ・オペラと一緒に来日したマゼールが、東京交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「交響曲第四番」が、NHK教育テレビから流れた。私の「マゼール体験」の最初の一撃である。その後のマゼールの様々な変貌の意味については、これまで、様々な機会に書いてきた。戦後演奏史の中でのマゼールの位置付け、果たした役割の大きさについて、私は誰よりも真剣に論じてきたと自負しているが、最後の変貌を目前にして、マゼールのメモリアル的なアルバムが、突然発売された。最近の輸入盤の「まとめ売りアルバム」の超廉価攻勢には半ば呆れてもいたが、これは、とても丁寧な仕事である。合併に次ぐ合併の成果(?)で、ソニーとBMGの原盤から三〇アイテムが選ばれ、全てオリジナル時のレコードジャケットを再現した紙ジャケットに一枚ずつ収め、詳細データ付きのオールカラーの解説書が付いてのボックスセットが五〇〇〇円程度というから驚きだ。誰が選定したものか、ずっとCD化されなかったフランス国立とのマーラー「巨人」が入っているので、あわてて予約したときには、こんな仕様だとは思ってもいなかった。DG+デッカ+フィリップスでもやってくれないか、と思った。
■初期DGで、ムラヴィン盤の陰に忘れられたマゼール盤の復活(2014年1月執筆)
ロリン・マゼールは、戦後の演奏スタイルの変遷をひとりで体現し続けて変貌を繰り返してきた天才だが、若い頃の演奏以外は認めない、という頑固な聴き手も多い。私自身は、これまでにマゼールの壮大な変貌の意味について様々なところで考察してきたので、ここでは繰り返さない。前述の山田和樹やネセ=セガン、あるいは、ベルトラン・ド=ビリーらの口当たりのなめらかな音楽が台頭する時代に、マゼール自身がどのような決着を与えるか興味深いところだが、つい最近、「時代錯誤」のように若き日のマゼールの〈奇演〉が、「世紀の名盤」と銘打たれたDGの復刻シリーズで発売された。ある意味では時代の役割を終えた「名盤」が多い中、チャイコフスキーの『交響曲第4番』は、未だに多くの問題提起を残した演奏だと思う。長い録音歴を誇るマゼールだが、意外に同曲異録音は少ない。そんな中、この曲は数少ない例外だ。このベルリン・フィル盤は一九六〇年、マゼール三〇歳の録音で、この後に、ウィーン・フィルとデッカ録音、クリーヴランド管とはソニーとテラークとで2回も録音するという念の入れよう。この「抽象化の陥穽」に嵌まり込んでしまったチャイコフスキーの、謎に満ちた世界の入口作品に、マゼールが果敢に挑戦している。おそらく、「一番、わからないまま、ムキになって振っていた」演奏がこれ。だからこその、謎解き開始の原点。もう一度ゆっくり演奏史を辿りながら、聴き直してみたいと思って聴いた。
以上の3本を読めばお分かりのように、私のスタンスはずっと変わっていないのです。自分で読み返して、あきれもし、感心もしてしまいました。マゼールは、最後に、私に大きな課題を残して去っていったのですね。