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アンドルー・デイヴィスを聴く3枚

2009年01月17日 12時27分13秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より




 以下は、1998年6月に発行された『指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に掲載したものです。このブログで昨年末に、いくつも再掲載しましたが、もうこれが、同書からの再録は最後のはずです。「アンドルー・デイヴィス」も、原稿執筆後に、ずっと現役で活躍を続けた人ですから、「バレンボイム」の項で書いたことと同じ問題があります。つまり、最近のアンドルーの演奏を追いかけていないのです。あくまでも、執筆時点での私の「アンドルー・デイヴィス観」だとしてお読みください。最近の彼については「いずれ」の宿題です。その前に、「最近のバレンボイム」について考えるほうが先です。ニューイヤーも終わったことだし……。実は、録画をしたまま、まだ、ちゃんと見ていないのです。そろそろCDが発売されてしまいますね。


■アンドルー・デイヴィス Andrew Davis (1944~ )

●略歴
 1944年イングランド南東部ハートフォードシャー州出身。ケンブリッジのキングズ・カレッジでオルガンを修めて卒業後、ローマ聖チェチーリア音楽院で67年から2年間、フランコ・フェラーラに指揮法を学ぶ。70年BBC響で指揮者デビュー。74年カナダのトロント響の音楽監督。88年にグラインドボーン音楽祭音楽監督、89年にはBBC響首席指揮者に就任。90年代にはプロムスの人気指揮者としても活躍。

●アンドルー・デイヴィスについて
 アンドルー・デイヴィスの名前を私が聞いたのは、1977年CBS録音のヤナーチェク《利口な牝狐の物語》組曲と《タラス・ブーリバ》のLPが発売された時だったと記憶している。オーケストラはカナダのトロント響だった。既にコリン・デイヴィスが広く知られていたので、〈二人目のデイヴィス〉として、後塵を拝する存在で、だった。いまだに、「もうひとり、なんとかデーヴィスという人がいましたね」などと言われる。損な人だ。
 しかし、ほぼデビュー盤とも言えるヤナーチェクの時から、その紡ぎ出す音楽の響きの純度の高さ、豊かな音楽の息づかいがきらりと光る指揮者だった。その頃、アンドルーはまだ30歳代の前半だった。当時私は聴きもらしていたが、古いカタログによれば、このヤナーチェクの国内盤発売に10ヵ月ほど先立って、フランク『交響曲ニ短調』が発売されている。オーケストラはイギリスのフィルハーモニア管弦楽団(録音当時の名称はニュー・フィルハーモニア管)で、録音は75年11月。新人好きの私に、発売当時の記憶がないのは、おそらく、コリン・デイヴィスと混同していたからだろう。ほんとに目立たない人だった。
 実はフランクの交響曲は、私の場合は、数年前に『レコード芸術』誌の名盤選の原稿を書く時に、手元にある十数種では納得が行くものが2枚しかなく、3枚目の選のために未知の演奏を探し求めて聴いたのが最初だ。(国内盤は廃盤だったが輸入CDがあった。)その時の原稿では「各主題、動機をくっきりと聴かせ、重苦しくない響きを確保しながら、充分な粘りある音楽のうねりを聴かせてくれる。感性と情熱の均衡のとれた演奏。」と表現したが、その印象は、今でも変わらない。ご承知のように、オルガンの名手でもあったフランクの交響曲は、その壮麗な響きの書法のベースに「オルガン」があるわけだが、アンドルーの指揮ぶりには、そのことへの深い理解があるようだ。前記の執筆時には知らなかったが、後日、アンドルーがオルガンを弾いたCDのあることを知り、アンドルーの演奏のベースにあるものを納得したのを憶えている。
 この時期のアンドルーの名盤としては、同じくニュー・フィルとのドヴォルザーク交響曲《第7》《第8》がある。これもまた、響きの澄んだ構成感のなかに歌が溢れた演奏だ。 アンドルーは、80年代にはトロント響の職を辞して故国イギリスでの仕事に専念するようになる。グラインドボーン音楽祭音楽監督、BBC響の首席指揮者に80年代末には相次いで就任。イギリスを代表する人気指揮者となる。
 イギリスは、音楽の楽しみを享受することにかけては世界でも有数の聴衆を抱えた国だ。そのことは、有名なプロムナード・コンサート(プロムス)の最終日の熱狂的な盛り上がりを聴けばよくわかる。小難しい理屈を並べて煙にまこうとしても、底の浅い音楽はすぐに聴衆に見破られてしまう。芯の部分が自然な、音楽の豊かさ、楽しさから発信されていなければ、ロンドンっ子は納得しない。加えて、スマートで、洒落ていて、時折ドキリとするユーモアにあふれていなければならない。
 今、それが出来る第一人者がアンドルー・デイヴィスだ。IMPから限定頒布された《Music and Speeches from the Proms》は歴代の「プロムス」最終日のスピーチ集だが、その最後のトラックにアンドルーのスピーチが収録されている。なかなか達者な役者ぶりが聴かれる。これだけのことがやれる人なのかと再認識したが、アンドルーの幅の広い音楽性は、英CARLTON:30367-00632で発売されているガーシュイン作品を収めたCDにも発揮されている。これはアンドルー・デイヴィス・アンド・フレンズと表記されたトロント・ラグタイム・アンサンブルの演奏で、アンドルーはここで、ピアノとハープシコードによる軽妙洒脱でウィットに富んだガーシュインを聴かせてくれる。
 このところ、テルデックでエルガー作品などイギリス音楽の秀演をいくつもリリースしているが、それにとどまらず、スタンドードなオーケストラ作品も、もっと聴いてみたいと思う。私は当日聴きもらしてしまったが、生きた音楽が豊かに息づいたすばらしいベルリオーズ《幻想交響曲》の演奏が、93年5月28日に東京の人見記念講堂で行われた。幸い放送録音が残され、英BBCの音楽雑誌の付録でCDが発売された。こんなに音楽を聴いていることそのものが楽しくなるような演奏には、最近はなかなか出会うことがない。


 ●アンドルー・デイヴィスを聴く3枚

○フランク:交響曲ニ短調/フィルハーモニアo.
[米CBS-ODYSSEY:MBK46276]1977年録音

○エルガー:《ミュージック・メイカーズ》他/BBCso., BBCcho.
[独TELDEC:4509-92374-2]1994年録音

○ベルリオーズ:幻想交響曲/BBCso.
[英BBC Music Magazine VOLⅡ-No.1:BBC-MM113]1993.5.28(東京・人見記念講堂ライヴ録音)




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グローヴズを聴く3枚

2008年12月31日 09時47分46秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より



 今回も、このところ続けている1998年6月に発行された『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に寄せた原稿の再掲載です。


■チャールズ・グローヴズ Charles Groves (1915~1992)

●略歴
 1915年3月10日にロンドンに生まれ、92年6月20日に同じくロンドンで心不全により急逝した。

●エルガー:弦楽のためのセレナーデ、ブリテン:フランク・ブリッジの主題による変奏曲他/ロイヤルpo.
[英RPO:CDRPO5005]1989年録音
 滔々とした音楽が冒頭からはちきれそうにあふれ出てくる。エルガーのロマンティシズムが、何の衒いもなく、まっすぐに伝わってくる。とても大きなものに全身が包まれていくような、聴く者を幸福で満たされていくような演奏だ。これは、絶対に聴くべし。グローヴズが、なぜロンドンの聴衆に愛されていたのかが、何の言葉も用いずに理解できる。こうした演奏に接したときには、ほんとうに言葉の無力さを感じる。聴いていて、思わず涙するほどの高揚感に襲われる。ブリテンも、いきなり胸に突き刺さるような開始によって、耳をそばだたせる。このCDはロイヤル・フィルが残してくれた至宝だ。

●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調《新世界より》他/BBCso.
[Cr-BBC・RADIOクラシックス:CRCB6012]1975.6.16年ライヴ録音
 グローヴスの初来日時のライヴ。会場は、東京の武道館だ。BBC響はこの時ピエール・ブーレーズの来日に同行していた。ブーレーズ指揮のコンサートの合間をぬって、プロムスの心をよく知っているグローヴス指揮による気軽な名曲コンサートが、プロムスの会場ロイヤル・アルバートホールにその規模が匹敵する武道館で開催されたもの。このCDには、旅の途中でのリラックスした気分が満載された幸福なひとときが聴かれる。グローヴスの人間性にあふれる温かさが最大の魅力だが、そのスマートなアプローチからにじみ出てくる大らかな演奏は、自然を愛する都会人の哀愁かも知れない。

●ブリテン:《シンフォニア・ダ・レクイエム》、ハイドン:交響曲第104番《ロンドン》他/日本po.
[日本フィルハーモニー協会:JPS-28CD]1987年、1991年録音
 グローヴズのような指揮者は、どの曲の録音がいいとか悪いとかいった見方には無縁の人だ。彼が振れば、どんな曲であろうと、どんなオーケストラであろうと、音楽が生まれ出てくる瞬間の喜びに接することができる。それだけで充分ではないか、と一度も思ったことがない人には、このCDを私が大切にしていることが不思議でならないだろう。ブリテンは確かこのオーケストラとの初共演。たちまち楽員をとりこにしてしまったグローヴズへの敬愛に満ちた演奏だ。ハイドンは死の前年の演奏会の記録。グローヴズの感興にあふれた音楽がみずみずしい。



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レイボヴィッツを聴く3枚

2008年12月25日 17時44分07秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より




 以下は、このところ続けている1998年6月に発行された『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に寄せた原稿の再掲載です。10年前に書いたものですが、先週のように「10年前の…」とタイトルに入れていないのは、もちろん、バレンボイムのような現在進行形の音楽家ではないからです。
 9月1日付のブログの冒頭にも書きましたが、私は、原則としていつも、それぞれの演奏家についての考え方は、よほどのことでない限り、書き加えることはあっても、一度書いた内容を否定したり、書きなおしたりはしません。その時々の、売り手側で作り上げる風潮に合わせたりしていないから、と自負しているからです。だから、著書としてまとめる時にも、それまでに書きためたものをなるべくそのまま再録して、「初出誌一覧」を付けてきました。それが普通の書籍の作り方です。このブログも、いずれはカテゴリー分けをして(本で言えば「章建て」して)、完全な、私の文章のアーカイヴにするつもりですが、しばらくは、この、何がどこにあるのか分からない状態をお許しください。(少なくとも「ブログ内検索」だけは有効に使えます。)

■ルネ・レイボヴィッツ Rene Leibowitz (1913~1972)

●略歴
 1913年にポーランドのワルシャワに生まれたが、26年に家族とともにパリに移住。30年から33年にベルリンでシェーンベルク、次いでウィーンでウェーベルンに師事、12音技法を修得した。フランスに戻ってからは、ラヴェルの指導も受けている。12音技法の指導者として、ブーレーズ、ヘンツェらに影響を与えた作曲家としても知られている。

●キーワード
 この人、ほんとに「指揮者」なの?

●レイボヴィッツを聴く3枚

○ストラヴィンスキー:バレエ音楽《春の祭典》/ロンドン・フェスティバルo. [CHESKY:CD42]1960年録音
 オーケストラは決してヘタではない。むしろ、当時の水準では、かなりのものだ。だが、指揮は相当に怪しい。たぶんきちんと振れていないのだろう。少々オーバーに表現すれば、リズムのややこしさをわかりやすく組み立て直して、イチ、ニ、イチ、ニと数えて、それでも「あ、ずれちゃった。ま、いっか」といった感じ。だが、この録音が行われた1960年当時、この曲に、どのような演奏があったかを考えると、それなりの意義を感じてしまう。必要な音が全部きちんと聞こえてくる真面目な演奏。61年に発売された時、『リーダーズ・ダイジェスト/世界名曲集』でこれを買った人は正解。

○A PORTRAIT OF FRANCE/パリ演奏協会o.、ロンドン・フェスティバルo. [CHESKY:CD57]1960年録音
 これは、フランス音楽の小品(ピエルネ、グノー、オッフェンバック他)を収めたオリジナルLPの8曲に、上記「春祭」のLPの余白に収録されていたドビュッシーの《牧神の午後への前奏曲》を加えたCD。メインの8曲のオケ名は「パリ音楽院」の名が使えなかったからと言われているが、どうだろうか? クリュタンスが振っていた頃の音楽院オケにしては、彼らのなかで出来上がっている美学にかなり反した裸形の音楽がむき出しになっている。レイボヴィッツがそれぞれの様式に無頓着な人だということがわかる。ただし、ラヴェルの《ラ・ヴァルス》は、ウィーン風のパロディではなくパリの社交界への風刺のようでおもしろい。

○ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調、同第5番《運命》、《レオノーレ》序曲第3番/ロイヤルpo.
[CHESKY:CD17]1960年録音
 レイボヴィッツには、このほかに『オペラの夕べ』と題する小品集もあるが、これは時代も国籍も無視して「どれも同じ味」になってしまっている。というよりも、塩、コショウどころか、醤油、ソース、タバスコも使わず、何の味もしないまま食べさせられるような演奏。「何も加えず、何も足さない」を、ほんとに実践してしまう人もいるのだ。ベートーヴェンの『第2』は、「スコアを隅々まで読みました」というだけのぶっきらぼうな演奏だが、音楽そのものが自分の力で凝縮していく。皮肉なことに、9曲のベートーヴェンの交響曲で一番、「これは、」という演奏のない盲点をクリアした盤がこれ。

(付記)
以上の3CDは、いずれも「リーダーズ・ダイジェスト」が発売した通信販売のセット物が原盤。




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10年前の、「指揮者バレンボイム」を聴く3枚

2008年12月19日 17時40分31秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より





 以下は、1998年6月に発行された『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に寄せた原稿。先週、先々週に続いての掲載です。今、読み返してみて、自分で言うのもおかしいですが、あれから10年経って、バレンボイムはどうなっているだろうか? と興味を持ちました。あまり関心のある音楽家ではなかったので、「その後」を追いかけていなかったことを思い出しました。なるべく近いうちに、何か聴いてみてご報告します。でも、その後の10年間のバレンボイムをまったく聴いていませんが、以下の文章の私の予感は、たぶん、間違っていないと思っています。
 そういえば、今度の「ウィーンフィル・ニューイヤー」は彼でしたね。


■ダニエル・バレンボイム Daniel Barenboim (1942~ )

●キーワード
脱臭装置が使えない
武骨者恐妻家だった?


●シェーンベルク《浄夜》、バルトーク《ディヴェルティメント》、ヒンデミット《葬送音楽》/イギリス室内O.
[英EMI:CDM5-65079-2]1967年、1969年録音

 《浄夜》と《葬送音楽》はバレンボイムがピアニストとしてもEMIにメジャー・デビューした67年の録音。数ヵ月後には同じオケでモーツァルトの交響曲も録音している。そのモーツァルトは古典的な様式感よりも、随所で発揮される熱っぽさが目立つ演奏で、表情づけのたっぷりとした大きくうねる表現だが、息の短いフレージングで区切りながら進む硬質の音楽づくりが、前進する意志を強調していた。このシェーンベルクも、音楽の底に横たわる情念を、骨格を透かして抉り出そうとする実験精神にあふれた意欲的な演奏だ。すっきりとした音づくりのバレンボイムは、この時期にしか聴けない。


●シューベルト:交響曲全集/ベルリンpo.
[独CBS:M5K45661]1985~88年録音

 バレンボイムという人は、ピアノを弾いているときにはとても粒立ちのよい造形感覚に優れた演奏をするのに、オーケストラの指揮では、デビューして数年後にはベタベタと引き摺り、情念の塊のようになってしまった。汗臭い下着で顔じゅうを撫で回されているような感覚だ。ひょっとしたら、夫人だった天才チェリスト、ジャクリーヌ・ドゥ・プレに弦楽の表現スタイルの影響を受けすぎたのかも知れない、と思うことがある。我が道を行けばよかったのに、彼女が偉大すぎた? このシューベルトの全集は、特に4、5番が、オケの優れた造形感覚に安心して、彼の熱っぽさを聴き取れる。シューベルトに必要な熱が、バランスよく放射されている。


●ブルックナー:交響曲第7番ホ長調/ベルリンpo.
[独TELDEC:9031-77118-2]1992年録音

 パリ管との録音は概ね、バレンボイムの大暴れのおかげでオケの音がどろんこになってしまい、ブラームス全集などでのシカゴ響は、指揮者の思いが空回りしてすっぽ抜けた感があるが、このブルックナーは様になっている。オケがいいんだと言ってしまっては身も蓋もないが、バレンボイムという人は、やりたい音楽は体じゅうからあふれ出てくるのに、それが指揮棒にまで伝わって行かないもどかしさがある。このブルックナーはオケがとても協力的だ。今日、こうした呼吸の深いブルックナーを堂々とやる人は少ない。みな浅い呼吸でこせこせしている。この人、指揮技術を問われない老人になったときに、続々と名演を生むタイプかもしれない。




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「アルヘンタ」を聴く3枚

2008年12月12日 18時31分07秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より




 以下は、先週に続いて、1998年6月に発行された『指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に掲載した文章のひとつです。これまでも、当ブログにいくつかを再掲載しました。「オーマンディ」(7月21日付の2つ目)「カラヤン」(7月23日付の後半))「ストコフスキー」(8月18日付)「ビーチャム」(8月21日付)「チェクナヴォリアン」(10月9日付)が、そして、前回12月6日付の「プレートル」です。今回も、ムック掲載時に半ページしか割り当てのないショートバージョンですから、総論抜きで、3枚のCDの各論のみとなっています。もっとも、よく読むと、紹介しているのはレコード換算で3枚。実際のCDは2枚しか言及していませんでした。
 執筆当時から10年ほど経過している間に、アルヘンタのCDも、ずいぶん発売されました。その調査結果については、次回にご報告します。なお、前回のプレートル~パリ管の《新世界》は、最近タワーレコードから復刻CDが発売されていることに気が付きました。


■ 「アタウルフォ・アルヘンタ」

●略歴
1913年、スペイン生まれ。スペインの伝統的な歌芝居「サルスエラ」を中心にスペイン国内で積極的な録音活動を行っていたが、50年代の数年間には英デッカ/ロンドンによりパリ音楽院管、スイス・ロマンド管、ロンドン響などで集中的に録音。個性的スペイン出身指揮者として将来の大成が期待されていたが、58年1月、自動車事故に遭遇して、わずか44歳で世を去った。英デッカ=ロンドンへの録音の他、スペイン・コロンビア、仏ムジディスク(米オメガ)にも録音があった。最近、スペイン放送局がライブ演奏を収録した4枚組のCDを発売した。

●キーワード
スペイン伝統音楽の演奏に、短かった人生のほとんどを捧げた。本格的な国際活動の最初の年に事故死。開花を前に散った大輪の花?

●特記事項
人生が未完に終わった人の評価には、つらいものがある。そう思うと、ストラディバリウス盤は、聴いていてほんとに悲しい。スペイン放送局盤ではベートーヴェン、ブラームスも聴ける。

●「アルヘンタ」を聴く3枚

○『エスパーナ!』/ロンドンso.
[PO-ロンドン:POCL9707]1957年1月録音
 次項のドビュッシーを合わせて元のLP2枚分を収録したCD。タイトルの「エスパーナ!」はオリジナルLPと同じ。ロマンド管より数段に弦の揃いが良く、ラッパがちゃんとなるロンドン響が底力を示しているシャブリエの「狂詩曲《スペイン》」が圧巻。それでも時折、隅っこでチャランポランに鳴る音が滑稽だが、指揮者からオケが貰った「元気の素」の魅力は大きい。リムスキー=コルサコフも、細部のバランスなどおかまいなしのアマチュアぶりが、大らかでアッケラカンとした音楽の開放感にあふれた賑やかさを生んで、とにかくヘンな演奏。オケのフレームがしっかりしているからガタピシにならず、「名盤」になったのかも知れない。

○ドビュッシー:管弦楽のための映像/スイス・ロマンドo.
[PO-ロンドン:POCL9707]1957年3月録音
 演奏は、いわゆるドビュッシーの語法からは大きく離れたもので、極彩色を大胆にぶつけるといったもの。独特のおおらかな金管楽器の吹き鳴らしも開放的。単純にオケを開放しっ放してるだけなのかな? と不安になったりもするほどに破天荒なドビュッシーだが、音楽の芯は熱く太い。53年ウィーン響ライヴ(オルフェオ盤)のメンデルスゾーンは明らかに指揮がメチャヘタとしか聞こえないし、55年録音のスイス・ロマンド管とのリスト《前奏曲》は、がさつな野人がひとりで暴れまくっているといった感じが濃厚だから、この57年録音は、ようやく彼の持ち味が空回りしなくなった時期なのだろう。10ヵ月後の急逝は、ほんとに惜しい。

○ファリャ:《恋は魔術師》/フランス国立o.
[伊STRADIVARIUS:STR10059]1957年2月21日ライヴ録音
 メゾ・ソプラノ独唱はテレサ・ベルガンサ。パリでのコンサートライヴ盤で、同曲の53年の仏パテ(EMI)へのパリ音楽院管との正規録音よりずっと、演奏のまとまりと野放図な推進力とのバランスが良い。EMI盤ではオケを掌握し切れていないのか、全体が奇妙に丁寧でこわごわ動いていて、借りてきた猫のようではある。指揮者が持っている音楽が、意外とこまやかな抒情性に根差していることは感じさせるが、「正統」から見れば未熟な指揮者が、オケに内在する伝統に負けたといった感は免れなかった。その点、この57年のライヴ盤は隅々まで良く鳴って生気にあふれている。1957年がアルヘンタの音楽の完成への第一歩だったのかも知れない。




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「プレートル」を聴く3枚

2008年12月06日 12時37分29秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より
 


 以下は、1998年6月に発行された『指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に掲載した文章のひとつです。これまでも、当ブログにいくつかを再掲載しました。「オーマンディ」(7月21日付の2つ目)「カラヤン」(7月23日付の後半))「ストコフスキー」(8月18日付)「ビーチャム」(8月21日付)「チェクナヴォリアン」(10月9日付)が、それです。今回の「プレートル」は、ムック掲載時に半ページしか割り当てのないショートバージョンでしたから、総論抜きで、3枚のCDの各論のみとなっています。
 文中の、ボストン交響楽団との「幻想交響曲」については、2005年7月発行の詩誌『孔雀船』の新譜CD雑感のページで、タワーレコードから発売された復刻CDで言及しています。これは当ブログでは、9月5日付で掲載してあります。
 プレートルは、今年のウイーン・フィル・ニューイヤーに出ていました。その感想を書くつもりだった今年7月発売の『孔雀船』で触れずじまいだったので、来年のニューイヤーの感想でも書きながら触れたいと思っています。
 それにしても、私のこのブログ、私自身が自分のアーカイブのつもりで、過去の文章を整理しながら再掲載するつもりでいるのに、「カテゴリー分け」をしていないので、だんだん、どの日に何をUPしたのか、分からなくなりつつあります。早くカテゴリー分けをしなければ、と反省しきりです。

■「ジョルジュ・プレートル」Georges Pretre (1924~ )

●キーワード
太くて輪郭のくっきりした旋律線

●特記事項
作曲者にも信頼されていたプーランク作品の演奏は全て聴きたいもの。
プレートルの音楽傾向のルーツと重なり合うようだ。

【プレートルを聴く3枚】

●ビゼー:《アルルの女》組曲第1番、第2番他/バンベルクso.
{独EURODISC:610332-231]1985年録音
 プレートルは、クリュイタンス/パリ音楽院の繊細な感覚がフランス音楽の精華だと信じ込んでいた時に、音の太い逞しく響きわたる音楽を聴かせてくれた指揮者だ。CD化されたプーランク《牝鹿》デュティユ《狼》などを収録したパリ音楽院管盤がそれだ。プレートルは、プーランクのモノドラマ《人間の声》の名盤を初めとして、プーランク作品の録音で大きな功績のある人。旋律線の明瞭さがプーランクの信条だが、それはビゼーが大先輩。ビゼーの旋律がこんなにしっかり鳴りながら、香り豊かな音楽を聴かせる演奏は、ありそうでなかなかない。ミュンシュのようにあわてず、腰の座った音楽が力強い。

●ベルリオーズ:幻想交響曲/ウィーンso.
[WJ-テルデック:WPCC5766]1985年録音
 プレートルの《幻想》は、ボストン響との旧録音がRCAにある。そちらの方が、もっと個性的で原色を塗りたくったような演奏だったが、このテルデック盤も注意深く聴いていると、至る所の隅から、おやっと思うフレーズが断片的にしっかりと聴き取れる。音楽の輪郭が逞しく、とても男性的な音楽だ。しかも、ベルリオーズの情熱の高まりに連れて、グイグイとテンポが速まり盛り上がる。ドラマティックで、低域の動きをベースにくまどりのくっきりした演奏としては、ボド、スーストロなどとも共通する味わいを持っている。彼等が一様にオペラ畑の指揮経験が長いというのは、偶然ではない。フランスの劇音楽の伝統と関係があるのだろう。

●ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調《新世界より》/パリo.
[仏EMI:4-71602-2]1970頃録音
 プレートルには、ビゼー『カルメン』、グノー『ファウスト』など歌劇の名盤も数多いが、3枚目には、敢えて、ドヴォルザークの《新世界》を選んだ。この人は、ニュー・フィルハーモニア管とのシベリウスの交響曲第5番も、なかなか興味深い演奏だった。パリ管の《新世界》というのもめずらしいと思うが、どうだろう。演奏は後半2楽章に端的に表れているが、思い入れの一切ない、音の運動体そのものでばく進していく演奏。テンポの動きだけで勝負しているような演奏だが、それがぶっきらぼうにならないのは、オケの響きが充実しているからだ。ぎっしりと詰まって、匂いがぷんぷんしてくる。気持ちいいこと、この上なしの快演だ。



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チェクナヴォリアンの「個性」とは?

2008年10月09日 15時48分06秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より


 以下の一文は、『指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に掲載したものの再録です。執筆してから10年近い歳月が経ってしまいました。この文章を書いてからしばらくしてキングインターナショナル系で井上喜惟~アルメニア・フィルのCDがかなり発売されたり、チェクナヴォリアンのRCA時代のめずらしい録音が、タワーレコードの復刻シリーズで発売されるなど、かなり状況に変化が出てきましたが、もちろん、私が以下の文章で展開していることには何の変更も加える必要はないでしょう。
 このブログの「7月28日」掲載分は、この小文より後に書かれたもので、チェクナヴォリアンに関する部分は、言わば「補説」となります。改めて合わせてお読みいただければ幸いです。私としては、その補説でも少々触れている、いわゆる西洋音楽の拍節感覚との違いについて、もっと掘り下げてみたいと思っているのですが、まだ果たせていません。これは日本人演奏の多くに聴かれる特徴を解く鍵でもあります。

■ロリス・チェクナヴォリアン Loris Tjeknavorian (1937~ )

略歴:1937年にイランに生まれたアルメニア人の指揮者、兼、作曲家。54年にウィーン音楽アカデミーでスワロフスキーに指揮法を学んだが、それ以前は、ほとんど独学でヴァイオリン、ピアノ、作曲を勉強、16歳で、テヘランで合唱団を組織したといわれている。イギリスを活動の本拠にしていたが、近年アルメニア・フィルの芸術監督にも就任して、このオーケストラの再建に尽力した。

 チェクナヴォリアンは、アルメニア・フィルハーモニーを振るアルメニア人ということもあって、アルメニア物のスペシャリストと目されがちだ。オーケストラの強烈な個性に関心が寄せられ、そのためにチェクナヴォリアンに対しては誤解されている部分も多い。チェクナヴォリアンは、必ずしも一般的に言われているような〈野生味〉一辺倒ではないように思う。例えば、作曲家でもある彼自身の作品を聴くと、アルメニア・フィルのハチャトリアン演奏で話題になった骨太の力強さよりは、むしろ、おおらかな歌や、中東的な執拗な反復と自在な衝動性との融合に、チェクナヴォリアンの最大の特徴が潜んでいるように感じられる。
 これはアルメニア人とは言え、イランに生まれ、その首都テヘランで音楽家としての修業を積んだチェクナヴォリアンの音楽性のルーツに関わることかも知れない。彼の感性の源泉は、ハチャトリアンの故郷アルメニアのコーカサス山脈よりもずっと南下したあたりにあるのだ。
 例えば、英EMI盤で自作自演している演奏時間50分を越える大作、交響組曲《オテロ》にそうした特質が顕著に表れている。
 もともとチェクナヴォリアンのレパートリーは、ハチャトリアンに集中していたわけではなく、過去にはベートーヴェン《運命》、チャイコフスキー《悲愴》《第4》、ボロディン《第2》などの録音もヴァレーズ・サラバンドというレーベルにあり、中でも80年7月録音の《運命》の独特の執拗な拍節感が、西欧の構築的な語法にとらわれずに音楽を聴かせるチェクナヴォリアンの個性を表出していた。とても、明るく、軽やかなベートーヴェンだが、この演奏では、特に第3楽章にチェクナヴォリアンの特徴がでている。全体に対しても言えることだが、旋律を縦のラインできちっと仕切らずに、連鎖させていくのは、いかにも中東音楽的だった。
 英ASVレーベルでのアルメニア・フィルを起用してのチェクナヴォリアンのCDでは、プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》に、チェクナヴォリアンの個性が現れている。特にいくつかの曲目でのテンポ設定には、耳を洗われるような新鮮な発見がある。第1組曲第6曲〈バルコニーの情景〉では異常にゆったりとしたテンポでの歌い上げが実に効果的で、中東から東洋にかけての、我々の感性に近いものを聴きとることができる。そう言えば、このあたりのテンポ感はマゼール盤やサロネン盤がチェクナヴォリアン盤から遠く、最も近いのがチョン・ミュンフン盤だというのも偶然ではないだろう。
 第2組曲第1曲の〈モンターギュ家とキャピュレット家〉などでも、反復音型を強調した輪郭の太々とした音楽の、地に根差したような足取りが、オケの音色の特質と重なり合って、このプロコフィエフの作品のモダニズムの陰にあるゴツゴツした手触りを明らかにしている。
 このチェクナヴォリアンの演奏の特徴を表す白眉は、終曲〈ジュリエットの死〉だろう。ここでもチェクナヴォリアンは、ゆったりとしたテンポで旋律を豊かに朗々と鳴りわたらせる。深い呼吸で、あくまでも堂々たる響きで押して行く。ここには、神経質で傷つきやすい精神ではなく、広々とした大地の大きな包容力にあふれた精神の胎動が聞こえている。
 ハチャトゥリアンの『ピアノ協奏曲』の2種ある録音では、ロンドン響との旧録音は、安定した見通しに支えられた演奏で、リズム・アクセントの配分もテンポの揺れも、全体の中での位置付けが明快で、論理的に構築された演奏となっていた。それは、この作品の構造を客観的に提示した演奏として貴重なものだったが、アルメニア・フィルとの新録音は、それを踏まえて、豊かな肉付けを施した演奏。いずれも安易にアルメニア的体臭に寄り掛かる結果にはなっていないところが、チェクナヴォリアンだ。 
 ハチャトゥリアンの有名曲『ガイーヌ』も、ASVとのアルメニア・フィル盤以前にRCAにナショナル響との旧録音がある。これはサウンドの細部がかなり透けて聞こえる演奏。アルメニア・フィルはそれに血肉を加えた骨太の演奏といった感じ。旧録は「アイシェの目覚めと踊り」に代表される薄くへらへらとして奇妙に音楽が持続する感覚に、〈中東〉が聞こえる。
 だが、勘違いしてはならないのは、チェクノヴォリアンは、決してヨーロッパのローカル指揮者ではないということだ。彼の感性に中東的なものがあるのは間違いないが、それと、彼が修得した西欧の合理精神とが、奇妙に重なり合っているのが、この人のユニークさだ。

【チェクナヴォリアンを聴く3枚のCD】

○プロコフィエフ:《ロミオとジュリエット》第1、第2、第3組曲/アルメニアpo.
[Cr-ASV:CRCB209]1993年録音

○ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲他/ロンドンso.,ポルトゥゲイズ(pf)
[Cr-ASV:CRCB121]1986年録音

○ハチャトゥリアン:バレエ曲《ガイーヌ》全曲/ナショナルpo.
[BV-RCA:BVCC8905~6]1976年録音



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こんな時代だからこそ、トーマス・ビーチャム!

2008年08月21日 11時53分52秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より

以下は、1998年発行の『指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)からの転載です。私自身が気に入っている文章のひとつです。久しぶりに読み直してみましたが、最近、特に増えているように思う邪念にあふれた目立ちたがりの、受けねらい演奏にうんざりしたときには、ビーチャムの音楽はとても居心地がいいです。こうした率直な音楽の持っている愉悦感は、不滅なのだろうと思います。まだビーチャムをお聴きになっていない方は、ぜひ!

■「トーマス・ビーチャム」 SIR THOMAS BEECHAM (1879~1961)
  大富豪の家に生まれたビーチャムは、その持っていた財力をすべて、大好きだった音楽に注ぎ込むことのできた幸福な人だった。彼は自身の財産を投じてオーケストラや合唱団、歌劇組織を創設したが、それが、現在でも活動を続けているロンドン・フィルやロイヤル・フィル、ナショナル・オペラだ。
 音楽を正式に学んだことは一度としてなく、全て独学だったが、それでいて、指揮者として楽員に心底尊敬され、どちらのオーケストラもイギリス屈指のオーケストラに育て上げた。ただのお坊っちゃまが、趣味で音楽家を集めて、指揮者の真似事をして得意がったというのとは違う。天性の音楽家が、たまたま大金持の家に生まれ、好きなだけ使えたお金を「正しく」使ったということだ。こうした例は、めったにないことだろう。
 ビーチャムが20歳頃のこと。アマチュアのオーケストラを結成して間もなく、父親が主催したハレ管弦楽団のコンサートに指揮者として予定されていたハンス・リヒターが急病となり、代役として振ったのがデビューだと言われている。以来、半世紀以上にわたって活動を続け、彼の「財力と指揮活動」によって、イギリスに紹介された作品も数多い。イギリスの音楽文化の向上に多大な功績のあった人だ。
 ビーチャムが並はずれた才能を持った指揮者だったということは、彼が愛して止まなかったモーツァルトを晩年の58年に録音した《ジュピター》を聴いてもわかる。オーケストラは戦後に彼が創設したロイヤル・フィル。ビーチャム好みの壮麗で堂々とした響きで、伸び伸びとした音楽を満喫できる。第3楽章など、ゆったりしたテンポだが、決して弛緩しない。終楽章の見通しのよい構成感に支えられた音楽の躍動、推進力は、ビーチャムの音楽が誰からの借り物でもなく、彼自身の内から湧き起こるものであったことを示している。趣味の域を大きく踏み出した、偉大な趣味人だった。
 同じ時期のビーチャムのモーツァルト録音に、『クラリネット協奏曲K622』もある。これは、ビーチャムの懇請で呼ばれたイギリスにおけるクラリネットの名手、ジャック・ブライマーとロイヤル・フィルによる演奏。かなり遅いテンポで開始されるが、このテンポ以外には考えられないといった自然な説得力が、たちどころにあたりにたちこめる。第1楽章の終わり近く、主題が還ってくる直前の大きなリタルダンドと、そのあとのゆったりとした主題の立上がりの美しさは、正に絶品だ。第2楽章の深い呼吸には、音楽の至福の瞬間が刻まれている。第3楽章の声高にならずに綾なす音楽にいたるまで、おそらくビーチャムの音楽観でまとめられた録音だろうと思われる。ブライマーには、この後にサージェント、C・デイヴィス、マリナーと、3種も録音があるが、ビーチャム盤のテンポ、フレージングとはまったく別人のようだ。
 だが、この演奏が、58~59年という時期に行われていることが、私には興味深い。時代が大きく変わりつつあったなかで、この演奏の世界だけが、タイム・カプセルに保存されていた理想郷のような安らぎを持っている。
 誤解を恐れずに言えば、ビーチャムが「現役の」プロ指揮者ではなかったということが、この特別なモーツァルト空間を生んだと言えるのではないだろうか? 彼には、職業指揮者として絶えず新たな問題意識を披露して、人気と支持を受け続ける必要などなかったし、戦後の価値観の大転換に対しても無縁だった。ビーチャムは自分が大切に育ててきた自分の庭の果実を味わえば、それだけでよかった、ということだ。
 彼が「偉大な趣味人」だったというのは、そういうことなのだ。もう二度と、こうした幸福な音楽は生まれないだろう。こうした人を生み出すには、富の偏在と、巨万の富を使いこなせる深い教養が必要だが、今はそうしたことが可能な時代ではなくなってしまった。富の偏在を解消した民主主義が、芸術の誕生に与えた影響は大きい。
 ビーチャムは音楽を仕掛けで聴かせる人ではないから、彼の録音は基本的にはどれもみな居心地のよい秀演だが、ベートーヴェンの劇音楽《アテネの廃墟》抜粋は、ビーチャム協会合唱団の加わった合唱曲も含むもので、体温の感じられるビーチャムらしい演奏だ。
 56年にニューヨークに渡り、メトロポリタン歌劇場のメンバーたちと録音したプッチーニ《ラ・ボエーム》全曲は、イギリスでのオペラの普及に熱心だったビーチャム渾身の録音だ。
 フランス国立放送管とも相性がよかったが、中でもビゼー『交響曲』は、老いても青年のような輝きを持っていた人だったことがわかる。

【ビーチャムを聴く3枚】
●モーツァルト:クラリネット協奏曲イ長調 K.622/ロイヤルpo., ジャック・ブライマー(cl)
[To-EMIエンジェル:TOCE6805(廃盤)]1958,59年録音
●ベートーヴェン:劇音楽《アテネの廃虚》抜粋、交響曲第7番イ長調/ロイヤルpo.、ビーチャム協会cho.
[英EMI:CDM7-69871-2]1957~59年録音
●プッチーニ:歌劇《ラ・ボエーム》/RCAビクターo.,cho、ピョルリンク(te)、ロスアンヘレス(sp)、メリル(br)他
[To-EMIクラシックス:TOCE9139~40]1956年録音

 

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ストコフスキーとは?

2008年08月18日 14時12分39秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より

以下は、『指揮者120人のコレを聴け!』(1998年発行・洋泉社ムック/絶版)に掲載したものの再録です。今から10年ほど前のCD発売状況下で書いていますが、ストコフスキーのどこが偉大なのかについての私の考えは変わっていません。文中の最晩年のブラームス「交響曲第4番」の録音については、別の文章で、「ストコフスキーが指揮するブラームスの交響曲など、聴く気もしない」などと聴きもしないで理不尽なことを書いた新譜月評担当者を批判したので、一時期、そのことばかりが話題になって困ったことがありましたが、そうした雑音は忘れてください。以下の文章は、コンパクトながら、ストコフスキーをトータルで考え直そうと試みた私の試作です。

■「レオポルド・ストコフスキー」 Leopold Stokowsuki (1882~1977)

●国籍:
 イギリス⇒アメリカ

●略歴:
 1882年に、ポーランド人を父、アイルランド人を母に、ロンドンで生まれた。オックスフォード・キングズ・カレッジを経て、ロンドン王立音楽院で学ぶ。22歳でアメリカにわたり、わずか29歳でフィラデルフィア管弦楽団の常任指揮者の座を射止め、以来アメリカ楽壇の寵児となった。晩年1972年にイギリスに戻り、74年、92歳を超えるまで指揮活動を続けたが、77年に世を去った。

●キーワード
 アメリカン・ドリーム
 サクセス・ストーリー的大出世
 機械文明とロシア的憂愁の同居

●特記事項
 本来は音楽の純度とデフォルメ度は反比例するというのが私の持論。双方が矛盾し合わない稀有な指揮者だ。

(本文)
 ストコフスキーは、戦前からのクラシック音楽ファンならこの名前を知らない人はいないというほどの大衆的人気指揮者だった。ベストセラーになったレコードは数多くあり、満90歳を越えてまだ現役だった彼は、レコード史上、最も長く人気を保持していた指揮者だった。
 しかし、そうした外見の華麗さの陰で、多くの若い演奏家や作曲家の登場の機会を作っていたことでも知られている。ストコフスキーの進取の気概によって正当に評価された作品や演奏家は意外に多い。ただの初演魔やめずらしもの好きではないのだ。
 ストコフスキーは、1950年代の後半に、長年にわたり契約していたRCAを離れ、EMI系のキャピトル・レコードと契約した。このときかなり意欲的なラインナップも要求しており、その中に、ショスタコーヴィッチの交響曲第11番が含まれている。この作品は、アメリカ初演がこのストコフスキー/ヒューストン響で1958年4月7日に行なわれ、その直後に録音されたこの曲の西側での普及に貢献した名演盤だ。絵画的な遠近感の表現や色彩感にあふれたリズムの処理、第3楽章での旋律の歌わせ方など、ストコフスキーの初演作品に対する音楽的判断の的確さ、語り口のうまさが感じられる。
 ストコフスキーは、このほか米ヴァンガード、米エベレスト、米CBSなどそれぞれに、次々といわゆる売りやすい曲と売りにくい曲とをバランスよく配分して録音を行ない、また、英デッカ/ロンドン、英パイ、英CBSなどにも精力的に録音を行なう。世界はステレオ録音の全盛時代となっていた。
 米、英を往復していたストコフスキーが正式にイギリスに戻ったのは1972年のことだった。74年を最後に引退するが、その最後の公開演奏会のライヴ録音は、BBCラジオ・クラシックスでCD化された。ブラームスの交響曲第4番をメインとしたプログラムで、これは数ヵ月後、彼の最後の録音曲目にも選ばれた。そのラストレコーディングは、当時最先端だったビクターのディスクリート4チャンネル録音で行なわれ、「SPから4チャンネルまでを体験したただ一人の指揮者」として話題になったものだ。
 録音による音楽の普及にも人一倍熱心だったストコフスキーは、もうあと少し長生きして百歳まで現役だったならば、デジタル録音まで体験できたということになる。音楽の普及に長い生涯を捧げた人らしい最後だった。
 ところでストコフスキーの指揮するディズニーの《ファンタジア》は1940年代にサウンドトラックで録音されたステレオ録音のはしりだが、それより10年以上前の1931年に、当時実験的に行なわれた世界初のステレオ録音で数曲録音しているのもストコフスキー指揮フィラデルフィア管だ。人類の夢だったハイファイ・ステレオ録音に世界で最初に参加したのがストコフスキーだったというのも、彼の気概を示している。かなり前に一度だけ関係者頒布の形でアメリカでLP化されたものを最近入手したので聴いてみたが、これは実に見事なステレオ録音だ。選ばれた曲目のひとつが《展覧会の絵》の抜粋。ステレオ効果を発揮する選曲だが、後に録音のあるストコフスキーの編曲版ではなく、有名なラヴェル版を使用している。
 ストコフスキーは、いくつかの曲で独自の解釈による強調や改作をかなり行なったので、そのことを指して非難する人もいるが、それぞれの音楽の「魅力の源泉」に忠実とも言える見識が、そうした原曲の改作でも不思議な説得力を持っている。堂々と自身の編曲であることをうたった《展覧会の絵》は、そうしたストコフスキーの個性が前面に出ている例だ。ラヴェルがラテン的な明るい響きに変容させたこの曲を、ずっと暗い、いわゆるロシア的憂愁に引き寄せた編曲は、リムスキー=コルサコフ的な近代性よりもずっとロシア的な重量感がある。
 そうした視点で、R=コルサコフ版が有名な《禿山の一夜》も、ストコフスキー版(66年録音)で聴いてみるとおもしろい。確かに派手な編曲だが、必ずしも、アメリカンナイズされたスペクタキュラーの一言で片付けられない。後半は弦楽を中心に独特の泣き節だ。ボロディンの《ダッタン人の踊り》(69年録音/グラズノフ版)も漂う雰囲気がいい。そういえば、アンナ・モッフォを独唱に迎えたラフマニノフの《ヴォカリーズ》も不思議な魅力を湛えた演奏だった。20世紀という、機械文明の急成長時代、文化の大衆消費時代を生き抜いた音楽の使徒ストコフスキーにとって、遠い故郷はロシアの大地だったのかも知れない。

【ストコフスキーを聴く3枚】
●ショスタコーヴィッチ:交響曲第11番ト短調《1905年》/ヒューストンso.
  [米EMI-CAPITOL:CDM5-65206-2]1958年録音
●ブラームス:交響曲第4番ホ短調/ニュー・フィルハーモニアo.
  [Cr-BBC RADIOクラシックス:CRCB6017]1974.年5月4日ライヴ録音
●ムソルグスキー~ストコフスキー:交響詩《はげ山の一夜》、ボロディン~グラズノフ《だったん人の踊り》他/ロンドンso. ロイヤルpo. ウェルッシュ・ナショナル・オペラ合唱団
 [Po-ロンドン:POCL9881]1966年, 1969年録音

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ユージン・オーマンディを聴く

2008年07月21日 17時33分01秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より

 以下は、1998年6月に発売された『名指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)の原稿です。同書の独特のフォーマットに合わせて執筆したものです。

「ユージン・オーマンディ」 Eugene Ormandy (1899~1985)

●国籍:ハンガリー~アメリカ
●略歴:ブダペスト生まれ。5歳でブダペスト音楽院に入学。ヴァイオリニストとして活動を始めた20歳の時、アメリカへの演奏旅行に到着した際にキャンセルに会い、やむを得ず生活のために劇場オーケストラの団員になる。急病の指揮者の代役でデビュー、以後31年にミネアポリス響の指揮者。38年にはストコフスキーの後任としてフィラデルフィア管の指揮者に就任。以来40数年もの長期間その地位にいた。
●主要CDレーベル
 RCA CBS/SONY
●キーワード
 指揮者になりたくなかった指揮者
 全員参加、全会一致の音楽
●特記事項
 細部への執着は、楽員に順番に出番を回そうとする気配りから?

(本文)
 オーマンディが長年録音を続けた米コロンビア(現SONY)を離れ、米RCAに移籍した1968年に作られた記念LPというものがある。移籍というのは正しくなくて、RCAへの復帰なのだというが、それによるとオーマンディ/フィラデルフィア管のレコード・デビューは、RCAに36年に録音したパガニーニ『ヴァイオリン協奏曲第1番』の伴奏で、独奏者はクライスラーだった。オーマンディはクライスラーとの録音と同じ36年12月13日と翌年1月9日にチャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》を録音。これがオーマンディ/フィラデルフィア管が本格的に世に問うた最初の録音となった。
 どちらも最近CD化されたので手軽に聴くことができるが、パガニーニの伴奏の方が音楽の表情が生き生きとしていて、チャイコフスキーの交響曲は、サウンドのまとまりは良いものの、いったい何を伝えたいのかがわからない。それぞれのパートがどれも等距離に置かれていて、楽員が公平に分担しているといった不思議な風情を持った演奏だ。内声部がよく鳴っている演奏というのとも違う。だれにでも多少はある特定の音への偏愛、こだわりがオーマンディにはないのは、なぜだろうか? オーマンディは、ひたすら黙々と、淡々と、指揮を続けている。
 オーマンディは、それぞれの音楽に固有の温度差とでもいうものに、まったく関心がない人のようだ。もしこれを「職人気質」というのなら、職人とは実につまらない人種だが、職人芸とももちろん違う。
 オーマンディは、最初に就いた職が、無声映画時代の映画館での、ヴァイオリン奏者だった。それが、オーマンデイ自身の回想によれば、就職して5日目には、解任されたために空席になっていたソロ・コンサートマスターに抜擢されたという。その後しばらくして副指揮者に登用されるが、その時も演奏の始まるわずか5分前に指揮者が病気で来られなくなったと連絡が入り、他の3人いた副指揮者も夕方までは誰もこないことになっていたので、「君がやれ」と大急ぎで着替えさせられたのが始まりだ。 この時代の大きな映画館では、映画の合間に、交響曲の一部やバレエの数曲などをオーケストラが聴かせていたが、このときの曲目はチャイコフスキーの第4交響曲と、ドリーブのバレエ曲1曲だったという。演奏の終了後に、第3副指揮者の地位を与えると支配人に言われたが、オーマンディは断った。「私はヴァイオリニストです。きょうは突然のことだったので指揮台に飛び乗って指揮しただけで、指揮したいなどとは一度も思ったことがありません」。だが支配人は説得を続け、25ドルも給料を上げると言い出したので指揮するようになったとオーマンディは語っている。そしてオーマンディは「指揮にはまったく興味がなかった」と改めて強調している。(「チェスターマンとの対話」より) これは、おそらく謙遜でも何でもない。本心なのだろう。こうして、生活のためにヴァイオリンを弾いていた青年がひとり、指揮者になってしまった。それが、指揮者として才能があったからではなく、たまたま空席があったりしたときに、使えそうな奴として(誰でもよかったとまでは言わない)声をかけられた程度のものなのだ、というのは、オーマンディ自身が一生にわたって持ち続けていた思いなのだ。前記の対話を読むと、そのことがよく理解できる。
 オーマンディの演奏の、奇妙な「自意識の欠落」には理由があるのだ。もともと、映画館での場つなぎの音楽屋から出発したとか、誰とでも即交代可能な演奏で毎日同じ曲を演奏させられたとかいうこと以上に、オーマンディの内面に生涯つきまとっていた「自分は指揮者としての才能がない」という思いだ。だが、その思いと同じくらいに、技術的には完璧な指揮者だ、という自負もあったに違いない。そうでなければ続くわけがない。何しろ、フィラデルフィア管という全米でも有数の一流オケのトップに君臨し続けたのだから。
 《新世界交響曲》は、CBSのステレオ録音はオーマンディでは例外的にフィラデルフィア管を離れてロンドン響との録音だが、その後のRCAへの復帰後にフィラデルフィア管と録音している演奏ともども、判で押したように、デビュー録音の頃と同じに、妙にオーケストラの各パートが等価に響く演奏だ。どこのオーケストラを振っても同じというのも凄いが、それ以上に40年間変わらなかったというのが凄い。「指揮棒を持った人」として指揮台に立ってはいても、生涯にただの一度も「指揮者」だという実感を持てなかった人だったのかも知れない。

【オーマンディを聴く3枚】
●チャイコフスキー:交響曲第6番《悲愴》/フィラデルフィアo.
[英BIDDULPH:WHL046]1936年録音
●ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》/ロンドンso.
[米SONY:SBK46331]1967年録音
●ドヴォルザーク:交響曲第9番《新世界より》/フィラデルフィアo.
[BV-RCA:BVCC8845~6]1976年録音

 


 

【ブログへの再掲載に際しての追記】

文中「チェスターマンとの対話」よりと略記してあるのは、『マエストロたちとの対話』(ロバート・チェスターマン著・中尾正史訳/洋泉社1995年9月刊)です。

 

 

 

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