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イギリス軽音楽系指揮界の重鎮だったアシュリー・ローレンスで聴くディーリアス作品のおもしろさ

2010年06月29日 11時22分06秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の28枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6038
【アルバムタイトル】ディーリアス名曲集
【曲目】
 グレインジャー:ブリッグの定期市
 ディーリアス:ブリッグの定期市――イギリス狂詩曲
       :「イエルメリン」前奏曲
       :ノルウェー組曲(フォルケラーデッド幕間音楽)
       :夏の庭園にて(第1版)
       :ダンス・ラプソディ第2番
【演奏】アシュリー・ローレンス指揮
    BBCコンサート管弦楽団、BBCシンガーズ
    ガース・ロバーツ(テノール)
【録音日】1974年8月3日、1974年1月12日

■このCDの演奏についてのメモ
 イギリスの音楽ファンにとって、大好きなごちそうのひとつ、〈音による田園詩人〉とも言うべきディーリアスの作品の、自然で耳に優しい響きの特質がよくわかるCD。
 ここで指揮をしているアシュリー・ローレンスは、ニュージーランドに生まれロンドンの王立音楽学校を卒業後、名指揮者のラファエル・クーベリックにも指揮を学んでいる。イギリスを中心にバレエ指揮者として研鑽を積み、王立バレエの指揮者陣のひとりに加えられたのが1962年のことだ。一方、バレエ指揮者としてのキャリアとは別に、このCDでも演奏しているBBCコンサート管弦楽団の首席指揮者に71年に就任し、軽音楽まで含めた幅広いジャンルの演奏活動で、多くのファンを獲得した。この方面でのイギリス音楽の魅力の表現に、生涯を通して尽力したが、90年の急逝が惜しまれている。
 このCDでは、例えば「ノルウェー組曲」での、堂々とした音楽の構えを忘れずに、のどかで楽天的な音楽が鳴り響くのを聴くと、イギリスの軽音楽系の潮流のなかでのディーリアスの音楽の受け入れられ方が、手に取るように聞こえてくる。これは、ビーチャムやバルビローリといったディーリアスを得意にしている指揮者たちのシリアスなアプローチとは異なった、伸び伸びとくつろいだ世界に生きるディーリアスの魅力が満喫できるCDだ。おそらく、これがロンドンっ子たちの日常のなかでのディーリアスなのだろうが、これまでに日本で発売されたディーリアスの演奏にはなかったスタイルのように思う。(1995.9.15 執筆)



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クリスティーヌ・ワレフスカのチェロ――その独特の音色の秘密

2010年06月28日 14時39分16秒 | ワレフスカ来日公演の周辺
 様々な困難を乗り越えてワレフスカの招聘を成し遂げた渡辺一騎さんが、先日、少しほっとされたのか、長文のメールをくれました。一般の方のブログなどでの率直な感想に喜ばれる半面、新聞・雑誌などのコンサート評で、いわゆる「プロ」らしさを披歴するあまりの演奏評が厳しい見方を提示したり、あるいは「往年の名演奏家の今を聴く懐かしいコンサート」などといった訳知り顔の評があったりして、かなりの誤解が混在していると嘆かれてのものでした。(ここの表現、私の要約です。渡辺氏の表現ではありません。念のため。)

 その渡辺氏のメールに、彼が愛して止まないワレフスカのチェロの独特の音色について、とても興味深いレポートがありましたので、無理をお願いして、私のブログに掲載させてもらうことにしました。ワレフスカの音楽の魅力に、改めて気づかれた方は大勢いらっしゃると思います。それらの方に、ぜひとも読んでいただきたく、私宛のメールのままではもったいない、とお話ししたものです。そして、ワレフスカのチェロに、不幸にして否定的な印象を持たれてしまった方にも、今一度これをお読みくださって、ワレフスカの音楽を思い起こしていただきたいと思っています。

 渡辺氏からは、私の申し出を受けて、若干の加筆修正、注記が送られてきましたが、それらを織り込んで、私の責任で編集・再構成したのが下記の文章です。渡辺一騎氏のオリジナル文のニュアンスは、ほとんど生かされているはずです。

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ワレフスカの音の秘密について(渡辺一騎)

 ワレフスカのチェロは、なぜ「昔の」音がするんだろう?という疑問が常に、彼女が来日してからは特に、私の頭の中にありました。「昔の」とは、古いLPやSPレコードなどでしか聴くことのできない、当時のチェリストと似たような音、ということです。そこで、以前からいろいろな奏者の奏法について、見聞きしていたこと、そして今回のツアーでワレフスカと話し合ったこと、公開レッスンで指摘していたことなどをまとめてみました。

 ワレフスカの「音」を考えるときには、まず使用している弦の問題がありますが、ワレフスカの場合、上2本はヤーガー、下2本はプリムというスチール弦を張っています。最新のブランドではありませんが、ガット弦ではありません。彼女は「ガット弦のチェロは生涯に一度しか弾いたことがない」と言っています。(それは、ある昼食会で、師匠のマレシャルの楽器を使い、ロストロポーヴィチのピアノ伴奏でロココ変奏曲を弾いたとのことです。)要するに、ガット弦の音に馴染みがあるわけではないのです。

 答えは結局、左手の弦の押さえ方と右手のボウイングにあるようです。一つの大きなヒントが、東京新聞に掲載されたワレフスカの演奏中の写真にありました。
 彼女のボウイングとビブラートは、彼女自身の言を借りればギリシャ建築のように完璧な「ベル・カント奏法」で、とくに彼女の左手は、カザルスの左手の奏法――関節を全て曲げて指を常に丸くし、弦を叩くようにして指先で押さえる――と、ロストロポーヴィチを代表とするロシアン・スクールの左手の奏法――より安全なポジションの獲得と移動方法の徹底――の影響を多少なりとも受けている他の全ての現役のチェリストとは、明らかに一線を画するものなのです。(「ベル・カント奏法」の定義とは?と言われてしまうと困りますが、この言葉自体はワレフスカ本人が自分のボウイングに対して使っていたものなので、敢えて「ベル・カント」という言葉を使いました。)
 私は、東京新聞の音楽会評に掲載された演奏中のワレフスカの写真を見て「はっ!」としたのですが、それは、ポルトガルのかつての名女流チェリスト、G・スッジアの肖像画と、フォルムがほとんど一緒だということです。この肖像画、T・ジェリコーが描いた有名な「エプソムの競馬」のように、かなりデフォルメされて書かれていると思っていたのですが、そうではなかった訳です(インターネットで調べたところ、この肖像画の元となるポートレート写真も見つかりました)。[竹内註:その肖像画を、本日のブログの冒頭に挿入しました。この肖像画、私は、名指揮者フレイタス=ブランコのCD蒐集で購入した中にあって、見覚えがありました。数少ないスッジアの録音で伴奏指揮を務めていたからです。]
 要するに、ワレフスカの左手は、カザルスやロシアン・スクールが登場する以前の奏法に準じているということです。事実、彼女自身は、カザルスやロシアン・スクールの奏法を「テクニックと引き替えに多くの芸術的な利点を見捨てたメソッドだ」と言って否定しています。

 現代ではチェロ奏者は、左手の手のひらの中に卵でも入れたかのように手を丸くし、指の尖端の最も肉が薄いところで弦を押さえます。つまり肉を介し、ほとんど指の骨で弦を押さえている感じです。弦を押さえる場所を「点」として捉えることができるだけでなく、こうして押さえた音はシャープで張りのある音になります(開放弦の音に近づくイメージ)。カザルスの録音を聴くと、ポジションを取る際に音が出るほど強く弦を押さえているのが良く分かります。
 ところがスッジアやワレフスカに見られる「昔の奏法」では、指は弦に対して上からも横からも垂直で、従って指の腹の最も肉の豊かなところで押さえているわけです。もしかしたら弦は指板に当たっていない時があるかも知れません。このことが音響学的にどうして有利になるのか、何とも説明しづらいところですが、例えば中国の胡弓などは指板が無くてもあのように美しい音が出ています。

 ところで近年では、一部のヴァイオリンやヴィオラ奏者、そしてさらにごく一部のチェロ奏者の間で、「開放弦がベストの(目指すべき)音」という考えを捨てて、新しい?弦の押さえ方を模索・実践している人たちがいるようです。彼らはどうしているかというと、単純に「強く押さえない(指板と指はほとんど触れない)」あるいは「指の芯を外して押さえる」という方法を取っているようです。
 いずれにしても、ワレフスカの音の秘密の最初のポイントは、左手の指にあるようです。そういえば、あるプロデューサーがワレフスカのビデオを見て「この人は弦の押さえ方が下手なのですかね?」と言っていました。ハイフェッツやピアティゴルスキーなどの昔の偉大な演奏に触れていないと(映像を通してでも)、こうした間違いを犯してしまうことになります。

 また、ビブラートの回数も、現代のチェリストは1秒に7~8回かけているのに対し、彼女は1秒間に6回(これがビブラートの「黄金比」、ピアティゴルスキーもボロニーニも同じように教えてくれた、とのこと)なのです。
 さらに、ワレフスカの場合、右手のボウイングは手首のスナップを必要以上に使わず、肩の力を直接弓に伝える(ために、移弦の際の肘の移動量が大きくなるデメリットがある)ので、あんなに大きいけれども、優しい音が出るのです。マイスキーなどのソリストは、木と毛が平行になるほど強く弓の毛を張っています。音楽家の好みがガット弦からスチール弦に移り、さらにより強い張りのスチール弦を…という流れの中で、特にロシア系のソリスト達は弓の毛をどんどん強く張るようになって行ったようです。

 弓の毛を強く張らずに、優しく弾くと、チェロはヴァイオリンとは比べものにならないほど(弦が長いので)豊かな倍音が出ます。ワレフスカの場合、この倍音の出具合が半端ではありません。音程によっては、一瞬、何の楽器が鳴っているのか分からないほどです。
 だから、普通の人は彼女の音を「捉えどころのない音」と勘違いしてしまうのではないかと思うのです。多くの方が、「前半はチェロの音に戸惑ったが、後半は一転して…」と感じるようです。なぜ皆がこう感じるのか、僕はずっと悩んでいたのですが、最終的に上記の「豊か過ぎる倍音」説にたどり着きました。

 ワレフスカの演奏評価で、音程の不安定さが指摘されるのは覚悟していましたが、一部の評者に、ワレフスカが作り出す音楽の大きさ、深さ、優雅さが評価されなかったのは残念でした。心を動かされたのが南米の音楽のリズムだけだった、ということでは、寂しすぎます。それは、「豊か過ぎる倍音」に惑わされ、そのために、音程の問題とビブラートの問題が一緒に処理されてしまうといった「間違い」から起こってしまったことだと思うのです。聞き慣れないビブラートに惑わされ、音程も悪かったし…で、結局、ワレフスカの音楽の本質に迫る余裕がなくなってしまったのではないでしょうか。弱音時の表現はピカ一だったと思いますが…これも残念です。
 彼女のようにしっかりと音楽を語ってくれるチェリストは、世界中に、もうほとんど残っていないと思うのですが…
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ボールトの名演で聴くエルガー「序奏とアレグロ」ほか、イギリス近代の管弦楽曲

2010年06月25日 13時53分07秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の27枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6037
【アルバムタイトル】ボールト/イギリス管弦楽名曲集
【曲目】E. エルガー:序奏とアレグロ 作品47
         葬送行進曲 作品42より
    A. バックス:地中海
    P. ハドリー:春の朝
    A. ブリス:序奏とアレグロ
    G. ホルスト:ハンマースミス 作品52
    J. アイアランド:忘れられた儀式
【演奏】エイドリアン・ボールト指揮
    BBC交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
    フィルハーモニア管弦楽団
【録音日】1975年9月4日、1969年11月26日、
     1963年2月27日、1963年3月18日

■このCDの演奏についてのメモ
 今世紀にイギリスで作曲された管弦楽のための小品から、親しみやすく抒情的な美しい旋律の作品を集めたCD。いずれも、その穏やかな起伏の品格が、イギリス音楽のある一面をよく伝えている。
 指揮をしているのは、すべてエードリアン・ボールトで、オーケストラはBBC交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団と様々で、録音時期も各々異なっている。このCDは、イギリス的リリシズムの様々な姿を、イギリスの聴衆に愛され続けて世を去ったボールトの指揮でまとめて聴こうとして企画されたもののようだ。
 エードリアン・ボールトは、1889年に生まれ、1983年にイギリス指揮界の重鎮と言われながら世を去った。イギリスの近代作品の紹介に尽力する一方で、若き日にライプチッヒ音楽院やニキッシュに学んだ幅広いレパートリーを持ち、ドイツ古典派から後期ロマン派の作品まで、多くの作品を取り上げてイギリスの聴衆に愛されていた。
 全7曲での白眉は、何と言っても冒頭に置かれたエルガーの「序奏とアレグロ」だろう。この魂をえぐるような厳しさは、ヤワで浅薄なリリシズムの真似事など吹き飛んでしまうだけの力がある。この重さを通り抜けなければ、抒情世界の真実にはたどり着けないのだ。聴き終えた後の心地よい疲労感には得難いものがある。この曲には、かつてジョン・バルビローリの名盤があったが、それもまた同じく、真摯で誠実な彼らの国民性が、高純度で結晶化している演奏だった。(1995.9.17 執筆)




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ウェストミンスター寺院のためにヘンリー・パーセルが書いた音楽

2010年06月22日 11時15分31秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第1期30点の26枚目です。


【日本盤規格番号】CRCB-6036
【アルバムタイトル】パーセル:ウェストミンスター寺院のための音楽
【曲目】パーセル作曲:
  主よ、わが祈りを聞き給え
  ベネディクト―3人の子どもの歌
  主よ、われらが罪を思い給うことなかれ
  オルガンのためのヴォランタリー
  マニフィカ―トとヌンク・ディミティス ト短調
  汝の言葉は燈なり
  メアリー女王の葬送のための音楽
  おお神よ、汝はわが神なり
  マニフィカ―トとヌンク・ディミティス 変ロ長調
  詩篇第100番によるヴォランタリー
  おお主よ、われらをかえりみ給え
  おお主に感謝を捧げん(詩篇第106番)
  われらの心の秘密を知り給う主よ    
【演奏】マイケル・ハワード指揮カンターズ・イン・エクレジア
  ジーン・ニプス(ソプラノ)
  ジェフリー・ミッチェル(カウンター・テノール)
  ピーター・ホール(テノール)
  デイヴィット・トーマス(バス)
【録音日】1972年7月14日

■このCDの演奏についてのメモ
 パーセルは、17世紀後半のイギリスに彗星のごとく現れ、わずか36年でその生涯を終えた天才作曲家。このCDでは、20歳でウェストミンスター教会のオルガニストに就任し、以後宮廷作曲家として活躍したパーセルの、言わば公的な仕事の部分での代表作を聴くことができる。
 ウェストミンスター寺院では11世紀以来、イギリス国王の戴冠式や埋葬儀式が行われるが、パーセルの残したアンセムとは、その英国国教会(聖公会とも言う)の礼拝式で歌われる英語モテットで、イギリス人の精神的故郷、イギリス音楽の原点と言ってもよいものだ。これらは現在、マーロウ盤、デラー盤などでも聴くことが出来るが、このCDは英国放送協会(BBC)による録音であり、イギリス国民の生活の一部に密着した演奏とみることが出来るだろう。
 指揮のマイケル・ハワードは1922年にロンドンに生まれ、王立音楽学校で学んだ。父親は戦前、名指揮者トーマス・ビーチャムの管弦楽団でビオラを弾いていたという。(1995.9.26 執筆)



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ラヴェル:「ピアノ協奏曲」の名盤

2010年06月21日 15時31分35秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第45回」です。

◎ラヴェル:「ピアノ協奏曲」
 初演者マルグリット・ロンと作曲者自身の指揮によるSP録音を、後年に同じくロンがツィピーヌ指揮で録音した演奏と聴き比べてみると一目瞭然だが、おそらく両端楽章でのラヴェルの意図は、猛然としたスピードによる音楽の推進性を重視することにある。中間楽章では抑制された表情を一貫して守らなければならない。
 これを実現している演奏に、ラヴェル自身から自作の独奏曲の意図やその演奏法を学んだペルルミュテールとホーレンシュタイン/コロンヌ管との古い録音がある。ピアノのアクセントの付け方、思い入れを挟む余地のないテンポ設定など、一見ぶっきらぼうで直截な表現のたたみかけから聴こえてくる音彩の自在な変化こそ、ラヴェルがこの曲に求めていたはずのものだ。
 ロジェ/デュトワ盤は、絶妙のテンポとまばゆいばかりの色彩感で推進する第一楽章、一歩間違えばぶっきらぼうになりかねない、わずかに付けられる硬質な表情の変化が、思いがけず〈古代〉を感じさせる第二楽章での感覚の冴えなど、良好な録音で聴ける最も正統的な演奏だろう。
 ウェルナー・ハース/ガリエラ盤は、ノン・レガートを守るオケに導かれて広々とした音楽の拡がりを持たせながら、ラヴェルの様式に忠実で明瞭な表情のピアノが好ましい。第二楽章のギリシア彫刻を思わせる抑制された彫りの深さも見事だ。
 バーンスタイン盤はラヴェルの様式から大きく逸脱したロマン的な演奏で、レガートを多用し思い入れ深くたっぷりと歌った特異な演奏だが、その徹底ぶりは強烈だ。
 ウーセ/ラトル盤のスリリングなリズムは、この曲がラヴェルの支配から離れて独自の世界を打出した記念碑的演奏。一方、かつて我流でこの曲を弾ききったアルゲリッチ(アバドの伴奏指揮)だが、その新盤では、アプローチがラヴェルのスタイルに接近してきて、遥かに標準的になってしまった。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 字数不足で書き切れていませんが、私が言いたかったのは、ロンは、ツィピーヌとの録音では、自分が弾きやすいテンポで、標準的な意味でのピアニスティックな表情づけで演奏しているということです。
 なお「ラヴェル指揮」とあるのは、最近では『クラシック・スナイパー/3』(青弓社)に収載の「名盤・奇盤の博物学――その暫定版」にも書きましたし、確か、当ブログ内のどこかでも言及したはずですが、現在では、ラヴェルの立ち会いのもとで実際に指揮していたのは、若きフレイタス=ブランコだったとされています。ただ、私はこの録音を「フレイタス=ブランコ指揮」と表記するのには反対です。上記のペルルミュテール盤との比較でも分かるように、明らかにラヴェルのスタイルでの録音だからです。
 ラヴェルが、いわゆるロマン的情緒を排したスタイルを目指していたことは明白で、それは、私のブログで先日(6月15日)ご紹介した「船山発言」とも関連することです。
 この曲の「名盤」をめぐる諸相は、様々の問題を孕んでいます。バーンスタインのラヴェル様式からの逸脱、ラトルとウーセのチャレンジ、アルゲリッチの回帰、――そのどれもが、同じ難問から発した苦悶なのです。
 いずれにしても、6月14日にupした『左手のためのピアノ協奏曲』の名盤と合わせてお読みください。

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マンデアルのブルックナ/エッティンガーのシューマン/ダルレのサン=サーンス/ファルナディのバルトーク

2010年06月18日 14時34分01秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 以下は、詩誌『孔雀船』に半年に一度掲載しているクラシックCD新譜雑記です。2010年7月に発売される最新号のために書き終えたばかりの原稿です。詩誌主宰者に了解をいただいているので、私の当ブログに先行掲載します。


《詩誌『孔雀船』2010年7月発売号~「リスニングルーム」》


■クリスティアン・マンデアル/ハルレ管のブルックナー第9
 初めて聞く名前の指揮者だ。例によって、「知らない名前だから」というだけの理由で、通販サイトの「注文」をクリックしてしまった。ちょっとした好奇心が、また、思いがけないものを見出したというわけである。最近のクラシックCD販売をめぐる状況は相当に苦しいものがあり、メジャーレーベルがほとんど新譜を出せなくなっているため、各オーケストラは自主制作盤に活路を求めている。このCDもそのひとつで、「ハルレ・コンサーツ・ソサエティ」の制作。見たところ通常盤のようだが、通販サイトには「CD―R規格」と記載されていたし、ブックレットも、オフセット印刷ではなくて、インクジェット・プリンターのようにも見える。いったい全世界で何枚流通しているのだろう。大変な時代になったものである。しかし、このブルックナーは素晴らしい。今までに聴いたことのない音響世界だ。ひと言でいえば「虹のようにカラフルに響くブルックナー」である。単にスタンダードな演奏よりも高域に寄った演奏といった程度ではない。各楽器間のバランスが独特で、とても個性的な音色を創り上げることに成功している。特に金管群の重なりと高弦とのバランスや、そこに入り込んでくる木管の存在感ある色合いが新鮮だ。息づかいも気持ちがいい。こんな離れ業をやってしまう人も出てきたのかと驚いた。


■ダン・エッティンガ―/東京フィルのシューマン「第4」
 もう一枚、若い指揮者のCDについて書こう。東京フィルハーモニー交響楽団の第8代常任指揮者となったダン・エッティンガーの指揮によるシューマンの「交響曲第4番」とブラームスの同じく「交響曲第4番」という組み合わせで、二〇〇八年三月八日のサントリーホールでのコンサートのライブ録音である。東京フィルとタワーレコードとの提携によるCDシリーズの一枚。このシューマンは、凄まじい演奏である。オペラの指揮経験の豊富な人だそうだが、この劇性には、並々ならぬものがある。気持ちの高ぶりを抑えきれないように序奏部が終わると、ある種の噛みつきそうな音楽が開始され、そのまま畳み掛け続ける凄まじい音楽の運びはかなり強引だが、不思議に説得力がある。この曲の第一楽章で、これほどに激しくも不安定な演奏は、久しく聴いたことがない。タイプこそ異なるが、思わずフルトヴェングラーのDG盤の奇跡的名演を思い出してしまった。このシューマンの音楽が一種の奇形な音楽であり、あたかも「生き物」のようにうごめいていく音楽なのだということを、十数年ぶりに実感した。第二楽章の切なさ、第三楽章への突入の力強さ、そして終楽章へとなだれ込む。この全楽章が一繋がりとなった「交響的幻想曲」とでもいえる音楽の真価を伝える久しぶりの快演。ブラームスも自在な演奏だ。


■ダルレの弾くサン=サーンス「ピアノ協奏曲」全集+七重奏曲
 これは、古い録音の復刻盤である。EMIとタワーレコードの提携によるもので、一九五五年から五七年の録音。一九〇五年生まれのフランスのピアニスト、ジャンヌ=マリー・ダルレは、一〇代でデビュー、一六歳で初録音という経歴をもっている人で、パリ音楽院の出身。フォーレ、サン=サーンス、ラヴェルに学んだ経験があるといわれている。中でもサン=サーンスへの傾倒が顕著だったというが、今回CD化されたサン=サーンスのピアノ協奏曲を全5曲録音するという快挙を成し遂げた翌年あたりから、演奏家としては第一線を退き、後進の指導に当たるようになったため、レコードで聴かれるものもあまりなく、次第にその名前が忘れられていった。だが、この一連のサン=サーンス録音は、急速な上昇と下降を繰り返す第一番の冒頭から、強烈に魅きつける音楽性と技術を持った人だということがわかる。「めくるめく音楽」というのは、こういうものなのだ、と思う。サン=サーンスの書法をこれほどに生かせるピアニストは他にいないかもしれない。もっとも、サン=サーンスの一連の作品が、時代の役割を終えているという部分があることも否定できない。だとすれば、このダルレの演奏は、これらの曲が明確な役割を与えられていられた時代の、輝かしい演奏の記録だとも言えるのだ。ぜひとも聴いておくべき演奏である。


■エディット・ファルナディのバルトーク「こどものために」
 私のような古いLPレコードマニアにとっては懐かしい「ヴォアドール」のマークを付して、LPからの「板起こし」で良質な復刻盤シリーズを発売している「日本ウエストミンスター」が、先月、好評のレーヌ・ジャノーリのモーツァルト「ピアノ・ソナタ全集」を全5枚で完結させたと思ったら、今度は、バルトーク演奏で伝説的な名前の残っているエディット・ファルナディを発売した。ヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管のサポートによるピアノ協奏曲の録音や、アンドレ・ジェルトレルらが加わった『コントラスツ』なども有名だし、ぜひとも復刻して欲しいが、まず『こどものために』全曲が、素晴らしい音でCD化されたことは快挙だと思う(写真参照)。「ピアノの響き」を徹底して追求し続けたバルトークが、最晩年に改訂作業を続け、死後に出版された七九曲の小品による音響の宇宙が七〇分以上にわたってよどみなく繰り広げられるのは、幸せな時間である。一曲あたり数十秒に満たないが、それらがひとつひとつ丁寧にトラック分けされていることも、CDならではのもの。LP時代には考えられなかった「贅沢」である。このCDの魅力をひと言で伝えるのは難しいが、私は敢えて、「確かなものを聴く幸福」と呼びたい。しっかりした手応えの凝縮された音楽が、私の周りに、静かに広がって行った。

注)ファルナディのバルトーク『こどものために』全曲は、6月30日発売。
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「オーマンディ問題」のその後――そして、20世紀前半に演奏芸術を席巻した「自意識の過剰」について

2010年06月15日 11時53分48秒 | クラシック音楽演奏家論
 この、私のブログで2年ほど前、2008年7月21日付けで、「『竹内貴久雄』と『竹内喜久雄』、そして『オーマンディ問題』」(カテゴリー:雑文)と題するものと、「ユージン・オーマンディを聴く」(カテゴリー:「指揮者120人のコレを聴け!」より)と題するものが連続で掲載されています。(このブログ頁の左欄をず~っと下に降りていくと「ブログ内検索」の窓がありますから、そこに「オーマンディ」と入力すると、見つけやすいはずです。)
 本日は、その時のオーマンディの特質から発想していた私の考え方――20世紀前半に世界中を席巻していた「演奏芸術における自意識の過剰」の意味――を、既に1978年のオーマンディ来日時に船山隆氏が指摘していることを知ったので、ご報告します。
 ちなみに、その時のプログラムに寄せられた船山氏の文章のコピーを送ってくれたのは今村亨氏です。彼は、この1978年の演奏会を聴いたそうですが、コピーの送付に当たって、彼が書き添えた手紙には、次のようにありました。

 当時は「そんなものかな」くらいにしか思いませんでしたが、今読み直すと、核心に触れる評論だったように感じ、また、竹内さんが書かれた事にも通じるところがあるように思いました。あの頃は、未だ、船山氏の批評に反論したX氏のような見方が、「レコ芸」で主流だった事も、改めて思い出しました。

 文中の「X氏」は、船山氏の文中に「音楽は心の歌でなければならない」とオーマンディを批判した人として登場する人物です。これも興味深いことです。いつも私が口にしていることですが、演奏様式の歴史は、きちんとその時代の中に置いて検証しなければならないし、聴衆の大半は、常に時代の後衛に過ぎないのです。時代の先端を嗅ぎ取る鋭敏な感覚は、磨き続けなければなりません。改めて、そう思いました。
 ――で、船山氏は、こんなふうなことを当時、書いていました。

 (オーマンディのフィラデルフィア管弦楽団は)精巧で、しかもよく鳴り、聴き手の眼の前で多彩な音色のパレットをくりひろげる。……時には激しい表情をみせるが、それが内面の表現といったものに直接結びつくことはない。聴き手の意識の外側で、響きと光と色彩が一緒になってすべっていく。……彼らは曖昧な内面の表現を一度あきらめ、《気晴らし》に徹し、完璧な音の仮面を作りだそうとする。

 船山氏は、古典派以降の西洋音楽は人間の内面と深層にくいこんでいた、と指摘し、20世紀は、こうした内面のドラマとしての音楽に強い疑問が投げつけられた時代だと、ストラヴィンスキー、ラヴェル、サティの名を挙げて書いています。つまり、私も再三指摘している「ロマン派」の終焉について、言っているのです。1972年の来日の時から感じていたことだとも書いています。それは、私がフルトヴェングラー体験を清算し始めたころです。そしてマゼールは「クリーヴランド管弦楽団」で、それまでの強い自己主張を押さえ、まるで室内楽のように精緻なベートーヴェンを録音し始めた時代。テイルソン=トーマスがイギリス室内管でベートーヴェンを録音し始め、ピリオド奏法が大衆的にも話題になってきた時代です。
 船山氏は、この70年代に書かれた文章に「鏡のなかの音像」とタイトルを付けています。「かつて存在していた音楽の魂は、音響という仮面や衣裳につつみかくされている」「オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の完璧な音響体は、いわば鏡にうつしだされる映像のようなものであるともいえる」とする船山氏にしてみれば、これは積極的な評価でもあるし、19世紀的なものと20世紀的なものとの相克でもあるのだと思います。
 そして、この時代から、まもなく半世紀が経とうとしています。2020年代には、こうした鏡像作用を通過した新たなロマンティシズムが台頭してくるのではないか、と最近、予感がしています。そうでなければ「音楽」は死滅してしまいます。今、音楽は混迷のなかにあるように見えますが、じつは、大きな転換点に差し掛かっているです。
 まだまだ、鋭敏な感覚を失わないように努力したいと思っています。


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ラヴェル:「左手のためのピアノ協奏曲」の名盤

2010年06月14日 11時24分55秒 | 私の「名曲名盤選」




 2009年5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第44回」です。


◎ラヴェル:「左手のためのピアノ協奏曲」
 この作品は、第一次大戦で右腕を失ったピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの求めに応じて書かれた。当然このヴィトゲンシュタインが初演を行ったが、ラヴェルはそれが気に入らず、初演後ただちにこの曲の理想的な独奏者を探して再演した。それが、当時まだパリ音楽院の学生だったジャック・フェブリエだ。
 フェブリエはSP期にもミュンシュの伴奏で録音しているが、LP初期のフェブリエ/ツィピーヌ盤の復活を望みたい。この曲の暗い翳を伴った深い沈潜も、中間部のジャズ的な曲想も、どちらも安定した曇りのないピアノで十全に聴かせる名演だ。
 ハース/ガリエラ盤も、音の色彩の豊かさを犠牲にせずに、堂々と安定した動きを聴かせる。ペルルミュテール/ホーレンシュタイン盤の自在さにあふれたインスピレーションの豊かな演奏も忘れ難い。
 ところで、この曲を理解出来なかった依頼者、初演者、という不名誉な烙印を作曲者によって押されたヴィトゲンシュタイン自身は、作曲者と大げんかしながらも、彼なりにこの曲が気に入り、依頼者の権利で、生涯この曲を弾き続けた。
 長い間彼の録音は最晩年のマックス・ルドルフ指揮メトロポリタン歌劇場管との米VOX盤が知られており、それを聴く限り、この曲の魅力の発露から遠いものとしか感じられなかったが、ブルーノ・ワルターとの一九三七年録音が登場して、二人の確執の一端が明瞭になった。それは、どんよりとしたロマン的雰囲気に蔽われ、思い入れのたっぷりとした揺れ動きのある情緒纏綿たる世界だ。明らかに反ラヴェル的だが、この曲をこのようにしか解釈し得なかったのは時代の宿命であるし、こうした解釈が成立し得たというのは、作曲者の意図を越えて、この曲の本質にかかわることだ。
 ウーセ/ラトル盤では、そうしたロマン的でエモーショナルな内面のうねりを、ラヴェル的な精緻な色彩感覚と並存させている。この曲の新時代を告げる演奏だ。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 文中「復活を望む」としていたフェブリエ/ツィピーヌ盤は、数年前に仏EMIからCDが発売されました。ラヴェルゆかりの演奏家の録音を集めた貴重なアルバムでしたが、現在は廃盤かもしれません。
 ハース/ガリエラ盤はフィリップス、オケはモンテカルロで、CD化されたと思いますが、確認していません。ペルルミュテール/ホーレンシュタイン盤は1970年代に箱入りの組物LPで日本コロムビアから発売されたのが国内では初出かもしれません。それは劣悪な音でしたが、数年前に仏アコードからCD化され、かなり輝かしい音になりました。(ちょっと造り物的でしたが…)。ヴィトゲンシュタイン/ワルター盤はキングレコードから出たものを買いましたが、あっという間に廃盤になった記憶があります。
 最後に触れているウーセ/ラトル盤までは、これ以上書き加える必要を感じていませんが、それ以後の動きに関しては、まだ、きちんと追っていません。何か、興味深い盤をご存知の方がおられましたら、コメントをお願いいたします。





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ワレフスカの公演を大成功させたピアニスト・福原彰美のことは、どうしても書いておかなくてはならない。

2010年06月08日 12時33分57秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 ワレフスカの36年ぶりの来日コンサート・ツアー、その終盤を大いに盛り上げた上野学園・石橋メモリアルホールでのリサイタルは、2010年6月5日(土)に、多くの聴衆の熱気と称賛の拍手が鳴り響く中、無事に終わった。私は、そのリサイタルを大成功へと導いた名演を支えた若いピアニスト、福原彰美の名前を生涯忘れないだろうと思う。まだ、私の中で当日の演奏の記憶が生々しい分だけ、整理されていないことが多いので、少々とりとめがないかもしれないが、感じたことを以下に記しておきたい。

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 当日のリサイタルは、バッハのカンタータ第156番の「アリオーソ」で開始されたが、その最初の一音が出た瞬間、私は思わず涙をこぼしそうになった。それほどに心に響く音楽が開始されたのだった。この日、休憩時間にロビーで同じ趣旨のことを話している人がいたが、おそらく、あの日会場にいた多くの人たちが同じ思いだったと思う。あたりの気配が、瞬間で変化したのを感じた。音楽は、時として、そうしたことを可能にする。あの日、ワレフスカの演奏を隣の席で聴いていた知人のI氏が「心にしみる音楽を持っている人だ」と表現していたが、その通りだと思う。
 実は、録音された音楽にも、最初の一音が出た瞬間に、ハッとして心を奪われる演奏というものがある。かつて、ワレフスカのドヴォルザーク「チェロ協奏曲」のレコードを聴いた時がそうだったし、例えばリパッティのピアノにも、そうしたところがある。それが何に由来するものなのか未だにわからないが、おそらくそれが、人間という不可思議な生きものの営みの神秘なのだろう。

 福原彰美は、ワレフスカとの共演が決定していたピアニストとの演奏がうまく行かず、ツアー最終日近くなって、急遽ニューヨークから緊急帰国して最後のいくつかのリサイタルだけ参加したピアニストだ。代役である。私は初めて聞く名前だったが、ワレフスカから出た名前だと聞いていたから、既に何度も共演しているのかと思ったら、そうではないと主催者から聞かされて驚いた。演奏会終了後の会食で福原自身が私に語ったところによれば、ニューヨークで、先月、一度だけショパンのチェロソナタの伴奏で合わせたことがあっただけだという。それに続けて福原は私に、こんなことを語った。きちんとメモを取ったわけではないので、少し違うかもしれないが――
 「ワレフスカさんの音楽に触れた瞬間、こんな音楽の世界があったのか、と衝撃を受けました。それは今までに体験したことのない感覚でした。ワレフスカさんの世界に必死で随いて行って、不思議な充実感を味わいました。」
 ――確か、そんな話だったと思う。私は、そのほんの2時間ほど前に終えたばかりのリサイタルでの、ワレフスカと福原の素晴らしいデュオを思い出しながら、納得してその話を聞いた。
 すべて、めぐり合いである。ワレフスカが困り果てて、共演のピアニストをどうしようかと思った時、ふっと思い出したのが福原だったというのも、理由は同じだろう。相性とはそういうものだ。降りたピアニストが言っているような、日程がきつかったとか、入念なリハーサルを行う時間が足りなかったとかいうことではない。
 
 福原彰美は1984年大阪生まれだから、まだ26歳という若さだ。1999年に渡米し、現地の高校に通いながらサンフランシスコ音楽院のマック・マックレイ教授に師事。既にアメリカ国内のコンクールで数々の受賞をして、将来を嘱望されている。プラッツから既に2枚のCDを発売している。1枚目は渡米前のデビュー・リサイタルのライヴだそうで、それは聴いていないが、2001年8月に夏季休暇中に一時帰国してセッション録音したセカンドアルバムがワレフスカのCDと並んで会場ロビーで売られていたので購入して帰った。今から9年ほど前、福原がまだ17、18歳頃の録音である。
 実は、今日、そのCDを初めて聴きながら、この稿を書いている。もう2周目が終わりそうだが、急に思い立って福原のことを書きたくなったのは、このCDの力である。福原のCDもまた、最初の一音で私の心を捉えてしまった。
 最初の曲はショパン『舟唄 嬰ヘ長調 作品60』。私は、これほどに深い愁いと翳りを若くして持っているピアニストを、他に知らない。ちょっと記憶を辿ってみたが、初めてのような気がする。これは、奇跡といってもいいような稀有な例だと思う。福原の音楽に対する俊敏な感応性は特筆されるもので、これがあったからこそ、ワレフスカという「大きな」音楽との共演が成功したのだと確信した。少々失礼な言い方かもしれないが、17歳の少女の音楽とは信じられない。私は、半世紀にひとり現れるかわからない稀有な才のピアニストだと直感した。
 こうした才は、音楽ビジネスのつまらない部分に足元を取られる気づかいはないと信じているが、福原には、自身の内にある音楽の心を、自由に解き放ち続けて行って欲しいと思っている。福原の音楽世界には、独特の畏怖の感覚があり、それが濃密な雰囲気を生み出す源泉にもなっているのだが、どんな世界も、必ず、はるか遠くに光が差し込んでいるはずで、その光への希求が、音楽を前進させる力なのだと、私は信じている。そうした「突き抜ける何か」をしっかりと見失わないで見つめ続けて欲しい。それが、半世紀ほど様々な演奏家の音楽を聴き続けてきた私が、福原彰美に願うことである。
 またひとつ、希望の星を見つけた。

[参考]
 私が購入した福原彰美のCDは、下記アドレスにアクセスすればアマゾンの該当項目にアクセスします。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3-%E8%88%9F%E6%AD%8C-%E7%A6%8F%E5%8E%9F%E5%BD%B0%E7%BE%8E/dp/B00005YUVE/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1275966909&sr=1-1
 



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ワレフスカの来日コンサートが成功裡に終了しました。

2010年06月07日 14時23分43秒 | ワレフスカ来日公演の周辺




 6月5日(土)、クリスチーヌ・ワレフスカの来日演奏会ツアーのメイン・コンサートとも言える上野学園・石橋メモリアル・ホールでのリサイタルが、無事、成功裡に終了しました。「メイン」と私が呼ぶのは、「ワレフスカ来日演奏会実行委員会」による唯一の主催公演だからですが、追加販売されたチケットも全て完売し、当日は、ワレフスカの演奏を聴くために駆けつけた人々の熱気で溢れかえっていました。来日に合わせて、ミッテンバルト社から発売された来日記念CDも休憩時間中に売り切れとなり、急遽、追加プレスが決定して、後日の郵送購入の申し込み者もかなりの数に上ったそうです。
 そうした中、つい1ヵ月ほど前には、一ファンとして実行委員会を立ち上げてしまったものの「いったいどうなることか」とひとり気を揉んでいた渡辺一騎さんが、うれしそうに、そして、せわしそうに、ロビーを歩き回っていたのが印象的でした。
 私とワレフスカとの邂逅については、このブログ内の検索で「ワレフスカ」と入力してお読み戴ければ幸いです。当日の演奏会についての感想や、終演後に渡辺さんが用意してくれたワレフスカを囲んでのスタッフたちとの会食で得られたワレフスカに関する貴重なエピソードなどは、いずれ、どこかにきちんと書いて発表したいと思っています。とりあえず、きょうは、当日聴いていない方に、少しでもワレフスカの音楽の素晴らしさを知っていただくために、会場で配布されたプログラムに寄稿した私の文章を掲載します。
 
 
■ワレフスカの36年ぶり来日コンサートに寄せて
                                   
 私が音楽を語るに際して、これまでにおそらく、たった一度しか使っていない言葉がある。「驚天動地」である。文字通り「天を驚かし、地を動かす」ということで、それほど「圧倒的に凄い」という意味だが、それを私は、かつてクリスティーヌ・ワレフスカがソロを弾くドヴォルザーク『チェロ協奏曲』の演奏評で使った。今から20年ほど前、同曲の「名盤選」の中だった。以下に引用しよう。

 クリスティチーヌ・ワレフスカ~ギブソン盤は驚異的な演奏だ。通り過ぎようとする者をその場に留め置かずには済まさない、凄じい気迫と説得力。〈驚天動地〉とは正にこのような演奏にふさわしい言葉だ。/豊麗な音がほとばしり前進するワレフスカの強靱な感情表現は、この曲が、今この場で彼女自身によって産み出されつつあるかのような一体感となって呼吸している。情緒に耽溺して引き摺るようなこともない。すばらしい表現力とテクニックを持ったチェリストであるにもかかわらず、話題にする人は少ないが、この曲のベスト盤と信じて疑わない。

 大仰とも言える言葉を思わず使ってしまったのは、私にとっては、このワレフスカのレコードとの出会いが、それほどに衝撃的だったからである。昨年の暮れに、この名盤選の文章を再録する際にも、「その後これほどに衝撃を受けた演奏には出会っていない」という趣旨を書き加えたが、ワレフスカは正に、20世紀後半を代表する驚異的なチェロ奏者だと信じて疑わない。それは彼女が、途方もなく大きな世界を内に持ちながら、それをチェロという楽器で自身の肉体の外側に放出する的確な技術を持っている稀有な演奏家だからである。
 チェロという楽器は不思議な楽器だと思うことがある。人の声の音域に最も近い楽器だという話を聞いたことがあるが、チェロがしばしば、それを弾く人の人格をとてもよく投影しているように感じるのは、それ故かも知れない。とてもヒューマンな楽器なのだ。チェロの表現力を高めて今日の音楽鑑賞の場に引き出したのは、人道主義者としても知られるカザルスだが、それは決して偶然ではないだろう。奏者が椅子に座り、包み込むようにして奏でる楽器となった時、チェロは、その豊かで包容力にあふれた音楽を宿命づけられたのかもしれない。
 だが、そうしたチェロの音楽の「大きさ」を表現できる人は少ない。ワレフスカの演奏はその数少ない例だ。大きな感情の抑揚がはじけるように飛び出してくるが、それが、明快なフォルムが崩れることなくまっすぐに届いてくることこそが、ワレフスカのチェロの本当の真価だ。
 ドヴォルザークの演奏に出会って以来、私が彼女のレコードを次々に集めたのは、実は1990年代になってからのことである。デビュー盤といわれているシューマンの協奏曲や『コル・ニドライ』『シェロモ』、プロコフィエフとハチャトゥリアンの協奏曲、サン=サーンスの協奏曲など、既にどれも廃盤だったので、ヨーロッパ各地からアメリカにまで手を広げて中古市場を探索した。それも今ではなつかしい思い出だが、特にイギリスから届いたばかりの中古レコードに針を降ろした日に聴いたハチャトゥリアンの協奏曲の強烈な印象は、私にとって特別な夜の思い出として鮮明に残っている。それは、ハチャトゥリアンの「第2チェロ協奏曲」とも言うべき『コンチェルト・ラプソディ』をコンドラシンと録音しているロストロポーヴィチの名演をも超える快演だった。
 今回、ワレフスカの演奏が忘れられなかった人々の努力によって、36年ぶりの来日が果たされると聞いた時、私は、一瞬、自分の耳を疑ったが、現実に彼女がまだ存命中で、アメリカの地で素晴らしい演奏を奏で続けていたという報告を受けて、心の底から嬉しく思った。
 音楽ビジネスが、表面をうっすらと撫でるようなものしか伝えなくなったような思いにとらわれていた私にとって、まだワレフスカの音楽が健在であったということも嬉しかった(彼女がどのようにして、この困難な時代に孤塁を守り通してきたかについては、『日本経済新聞』4月28日付の文化欄に詳しい)が、それ以上に嬉しいのは、ワレフスカのコンサートを実現しようというファンの努力が実を結んでの来日公演だということである。通常の音楽ビジネスの外から、真摯な愛好家の力によって実現したこのコンサートは、「常識にとらわれない無謀な企てこそが、いつも歴史を動かしてきた」と信じている私にとって、何よりも嬉しいことである。(2010.5.14)


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「夏も近づく八十八夜」の「茶摘み」は、産地が偽装されていた?

2010年06月03日 12時00分09秒 | 「大正・昭和初期研究」関連




 先日、帝塚山学院大学教授の山田俊幸氏から電話があって、拙著『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメディア)の50~51頁「茶摘み」の記述について重要なアドバイスをいただいたので、ご報告します。

 まずは、誤解が生まれないよう、その頁の私の記述の全文をご紹介します。

 ======================

「茶摘み」

作詞:不詳
作曲:不詳

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
「あれに見えるは茶摘みじゃないか
あかねだすきに菅(すげ)の笠」

日和(ひより)つづきの今日このごろを
心のどかに摘みつつ歌う
「摘めよ摘め摘め摘まねばならぬ
摘まにゃ日本(にほん)の茶にならぬ」

――初出:文部省・編『尋常小学唱歌(三)』1912年(明治45年)3月発行


《民謡を引用して作られた唱歌だった》

■どこの地域の茶摘み歌だったのかは、謎のまま?
 この歌では、歌詞の一番、二番ともに、三行目、四行目が「  」とカギかっこでくくられていることに注目だ。明治期の教科書の時から、このように書かれている。これは、それぞれのカギかっこの中の言葉が、別の歌から引用されていることを意味している。
 この引用先をめぐっては、戦後になってから、伝聞情報として京都府綴喜郡宇治田原村(現在の宇治田原町)に伝わる「茶摘み歌」にあるらしいと記した書が出版されたことから、すっかりこの説が流布してしまったという。しかし、伝聞は伝聞に過ぎなかった。現地の郷土史家が調査したところ、それらしき歌はまったくみつからないという。そして、宇治田原の隣りの相楽郡和束町や、同じく隣りの滋賀県大津市田上、そして、宇治茶の本場とされる宇治市に残る民謡などに、この唱歌の引用によく似た表現が見られると指摘されている。
 ただ、昔から茶摘み歌は、作業のための歌として受け継がれ、しかも、作業をする人たちは、茶摘みの時期が早い地区から遅い地区へと渡り歩いていたから、それに合わせて、歌も伝えられていったはずだ。何しろ、遠い明治時代に作られた文部省唱歌である。その頃は、宇治田原村で歌われていたかも知れない。文献証拠が出てくるまで、今となっては誰にも「原産地」がわからないのだ。

■「あかね」のタスキには秘密の効用があった
 引用歌詞に「あかねだすきに菅の笠」とある。茜(あかね)の襷(たすき)を懸けて、菅(すげ)の笠(かさ)を被って作業することを歌っているのだが、よく民謡踊りでも見かける赤い色の襷は、単なるファッションではない。茶摘みは素手の作業なので、指先にケガを負いやすい。そのため、ケガに効く茜の成分を擦り込みながら作業を続けるという、先人の知恵が活かされた服装なのだという説が、染織の専門家から出されている。
 この知恵がかなり広範囲に広まっているのか、それとも民謡踊りの衣装として定着してしまったのかはわからないが、茜の襷は静岡の『チャッキリ節』を踊るときにも見かけたような気がする。だが、この唱歌の起源は、静岡ではなく、京都の宇治茶の産地周辺だ。
 なお、「チャッキリ」は囃し言葉で、「茶切り」ではない。よく間違って書かれているが、静岡茶も、ちゃんと摘んでいる。いきなり切っているのではない。そのことは、『チャッキリ節』の作詞者がはっきり書いている。

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 実は、この本文では敢えて曖昧にしていますが、「伝聞情報」を不用意に著書に書いているのは金田一春彦氏です。それは今でも講談社文庫に収められている『日本の唱歌(上)』のことで、金田一氏は、慎重に断定は避けているのですが、これを引用する人が後を絶たず、『茶摘み』は「宇治田原」と「断言」する人ばかりとなっていたところ、郷土史家の調査で誤りが指摘されたということを、私なりに紹介したものです。
 郷土史家氏は、この誤りの指摘に力を入れておられますが、私としては、茶摘みの作業者が土地土地を渡り歩いていたはずだから、特定の地域を決めつけはしないほうがいいという考えでしたが、「宇治方面」ではあるだろうと思っていました。
 山田氏の電話は、それを根底からひっくり返してしまったのです。
 山田氏は日本の絵葉書の研究者としても知られている人で、「日本絵葉書会」の会長もしているのですが、彼によると、

1)明治末期の宇治茶の茶摘み風景の絵葉書は、「白いタスキ」あるいは「白てぬぐい」としか見えない。
2)一方、静岡茶は、モノクロ写真なので「赤」と断定は出来ないが、黒く映っているタスキだから、おそらく「赤」と思われる。
3)宇治という土地柄から、「日本の茶にする」という発想が生まれたとは思えない。当時、輸出策を取っていたのは静岡茶だから、「日本の茶にする」とか「日本の茶にならない」とかいう意識は、静岡茶ではないか。

というものでした。
 考えてみれば、「日本の茶」というのも、確かに国家主義的で、いかにも文部省的な作詞です。――というわけで、訳がわからなくなりました。
 つまり、宇治方面にあった民謡を一部に取り入れたけれども、静岡の「赤いタスキ」を知っていた文部省の唱歌編纂委員の誰かが巧みに改作して、当時の国家主義的な時代のムードに添った唱歌とした、ということかもしれないのです。似た歌詞の民謡が宇治方面にあったことだけは確認されているようですから、それを前提にすると、そういうことになります。
 近々、山田氏から、そうした絵葉書をお借りすることになりましたが、ややこしいことになりました。(ちなみに、そうした残された図像資料から様々なことを研究する学問を、図像学=イマジュリィ学と呼ぶのですが……)
 「茶摘み」の歌の産地が、偽装かもしれない、あるいは、「ブレンド品」だったのかというお話です。


 
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アニハーノフ/ニューシティ管弦楽団で、ワレフスカの妙技の一端を聴きました。

2010年06月02日 16時54分44秒 | ワレフスカ来日公演の周辺



 先日、5月28日(金)に池袋・東京芸術劇場で、東京ニューシティ管弦楽団の定期演奏会に、チャイコフスキー「ロココ風の主題による変奏曲」で登場したクリスチーヌ・ワレフスカのチェロを聴いてきました。
 ワレフスカの素晴らしさ、今回の来日に至るまでの関係者の努力などについては、もうご存知の方も多いと思いますが、この私のブログでも、左欄をず~っと下にスクロールして行って「ブログ内検索」で「ワレフスカ」を入力すれば、まとめてお読みいただけます。
 縁あって、招聘者の渡辺一騎さんにお会いしたことからお付き合いが始まり、来る6月5日(土)の石橋メモリアルホールでのリサイタルのプログラムにも一文を書きましたので、会場にいらっしゃる方には、そこで私のワレフスカ観をご覧いただきたいと思います。きょうは、とりあえず、5月28日の演奏会の感想を、簡単にメモ書きで……。推敲もしていませんから、カテゴリーも「エッセイ」ではなく「雑文」です。何か少しでも書き残して置きたかったので、……。失礼します。以下、本文です。

==========================

 目の前でチェロを弾くワレフスカを初めて聴いた。彼女の若き日のレコード録音を聴いてから20年以上経てのことだった。この夜の驚きもまた、私の大切な思い出となった。
 ほんとうの自在さを持ったチェロである。こんなチェリストがいたのだという驚きは、20数年前のある日とまったく同じだった。自在で包容力のある豊かな音楽は、健在だった。そして柔和さとチャーミングな要素さえも加わって、その音楽的な広がりを堪能した。
 私の座っていた位置の故かも知れないが、楽器の鳴りが少し悪かったのが不満と言えば不満だが、リサイタルのホールでは、その心配もないだろう。ともかく、ワレフスカの健在ぶりを確認できてうれしかった。
 ロビーで、個性的な仕事をしているマイナーレーベル「ミッテンバルト」から、ワレフスカ自身と渡辺一騎氏による半ば自主制作のようにして発売された「来日記念CD」を購入。これは、1967年録音の私家版LPの初CD化だそうだ。

 ところで、この定期演奏会、「創立20周年記念演奏会」と銘打たれ、指揮は客演指揮者のアンドレイ・アニハーノフ。1曲目が伊福部昭『交響譚詩』、2曲目が『ロココ~』で、休憩後はショスタコーヴィッチ『交響曲第8番』という意欲的なプログラム。アニハーノフという指揮者は初めて聴いたが、とても興味を持った。
 ショスタコーヴィッチのこの曲を、音色、音量、各楽器間のバランス、受け渡し、それらのどれに対しても繊細で、きめ細やかな神経が行き届いている。
 曲の終盤では、気配とでもいうものをさえ指揮しているかのようだった。かなりの才能の持ち主だと感じた。
 オーケストラもカラフルな表現を達成して、よく応えていた。これは研鑽の賜物だろう。パッと合わせてササッと演奏するといった中からは、決して生まれない音楽だった。
 アニハーノフは、曲を完全に手中に収め、完璧にイメージが出来上がっていた。
 久しぶりに充実した演奏会だった。

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以上。
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