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メンデルスゾーン『交響曲第3番《スコットランド》』の名盤

2009年08月28日 11時24分31秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第18回」です。


◎メンデルスゾーン:交響曲第3番《スコットランド》

 ペーター・マーク/ロンドン響は、みずみずしい感性で、ほの暗いこの曲のムードを描いた名演で、全編に漂う匂いの濃さは特筆ものだ。今から三〇年も前の録音だが、ひとつの時代の証言として、この曲の名演としての価値は、長く保たれるだろう。
 アバド/ロンドン響の旧盤は、ぐいぐいと惹きつけて離さない高揚感を前面に押し出しながらも、輪郭が曖昧な、気分の濃密な世界を確保しており、同じアバドの新盤の、ずっとスリムになって洗練された演奏よりも、この曲に内在する雰囲気の表出にとって好ましい。
 期待の若手指揮者ウェルザー‐メスト/ロンドン・フィル盤は、この曲に一貫して漂う深く沈んだ気分を全身で引き受けたとでもいうような、大きな包容力が全曲を通して間断なく確保された持続力のある演奏だ。それは、どこを切り取っても、どのパートを抜き出しても、生き生きとした生命力が溢れていることで実現したものだ。この若い指揮者のスケールの大きさと技量、そして将来性を認識する演奏だ。
 ロンドンのオーケストラばかりが並んでしまったが、これは必ずしも偶然ではない。この曲を演奏するのに、ラテン系やスラヴ系のオーケストラの響きは、やはり、似つかわしくはないというのは事実だ。その意味でも、クレンペラー/フィルハーモニア管の演奏は、この曲のコンセプトに沿いながら、堂々とした風格のロマンを導き出したということで、〈青春の音楽〉としてのこの曲の側面からは離れた別格の演奏だが、代表的な録音としての評価にふさわしい。
 ほの暗い抒情にこだわり続ける限り、こうした選択になってしまうわけだが、ドホナーニ/クリーヴランド管のアプローチは、この曲に新しい地平を拓いた魅力ある演奏だ。抑制の効いた明快な指揮で細部まで確信を持ってよく響き、明晰で緻密な世界を構築している。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 冒頭にも書いたとおり、16年も前に発表した文章ですから、文中「30年前」と言っているマーク盤は、そろそろ、録音されてから半世紀が経過してしまいます。「期待の新人」だった「ウェルザー=メスト」は、私の期待した通りに「進化」しているようです。(メストに関しての私の過去の記述は、もうかなり、当ブログに掲出済みです。ご興味のある方は、当ブログ左欄をずーっと下に降りて行って、「検索欄」を「このブログ内」に設定して検索してください。)メストも、お決まりの「スランプ」「低迷期」に数年前から入っているようにも思いますが、私はまだ、諦めていません。この「スコットランド」は、彼が、いわゆる「優等生」とは無縁の人だったということを物語っています。
 「スコットランド」の録音では、このほか、ディーン・ディクソン指揮プラハ交響楽団の録音(スプラフォンのLP。米ノンサッチでも発売されていたと思いますが、CD化の有無は調べていません。)が、私は好きです。
 10年ほど前に、一時とりざたされた特異な指揮者、ダヴァロスがフィルハーモニア管を振った英ASV盤も、音彩の妙を確保しながら、底光りのする躍動を感じさせる魅力ある演奏だったと記憶しています。ダヴァロスは、私も、国内盤のライナーノートをかなり書きました。近々、それらもこのブログに掲出しましょう。



 
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『アルプス山嶺に消ゆ』――夭折の天才フルート奏者・加藤恕彦

2009年08月25日 10時28分26秒 | エッセイ(クラシック音楽)





 以下は、特異な企画CDで知られる「ジネット・ヌヴー協会ジャポン」(「ジャパン」ではないそうです)のCDのために書かれた解説です。ドキュメント的でもあり、書誌的でもある長文なもので、私としては単なる「ライナー・ノート」ではないものを目指したという記憶があります。夭折の天才フルート奏者加藤恕彦の、公式な研究資料の一角を占めるものとして書いたもので、愛着のある文章でもあります。1999年1月に書いたものです。当ブログでのカテゴリーを「ライナーノート」としなかった私の真意を、お汲み取りいただければ幸いです。なお、このCDは、東芝EMIを発売元として発売されましたが、現在は、直接、協会に問い合わせれば購入できると思います。協会主宰の野口氏の個人的な思いが一杯に詰まったアルバムでもあります。


●甦った『加藤恕彦/ラストコンサート』

 1998年の暮も押し詰った12月29日の夜、私はジネット・ヌヴー協会を主宰する野口眞一郎氏の自宅を訪れた。加藤恕彦(ひろひこ)の演奏するバッハ『組曲第2番』の新しく発見された良質なテープの音を聴きに行くということで、友人の川村聡氏に誘われての訪問だった。
 私が加藤恕彦というフルーティストを知ったのは、もう35年程も昔のことになるだろうか?まだ中学生だった私は、ラジオにかじりついて音楽を聴くひとりの音楽ファンにすぎなかったが、この若くしてモンブラン山中に消えたフルーティストの演奏は、当時のラジオを通して聴いて以来、忘れられないものとなっていた。私の手元には、加藤が不慮の死によってわずか26年に過ぎなかった短い生涯を終えた翌1964年に、東芝が発売したパリのリサイタルの一部を収録したレコード(註1)があるだけだったが、その後に関係者の努力によって、いくつかのレコードが作られた(註2)ということは聞いていた。
 それらをぜひ聴いてみたいと思っていた私の渇望に応えてくれたのが、加藤の没後30年にあたる1993年を期に発売された復刻CD(註3)だった。1962年に行われたパリ・リサイタル(ピアノ:北川正)の全貌に加えて、ヒンデミットのフルート・ソナタ(ピアノ:林光)、そしてモンテカルロ国立歌劇場管弦楽団との2曲の協奏作品を収めた3枚組のものだ。これを企画制作したのがジネット・ヌヴー協会の野口氏だが、死の直前の最後の演奏記録、バッハの『組曲第2番』が、素晴らしい演奏内容でありながら、プライヴェートLP制作時から指摘されていた機器の不調と思われる靄のかかったような音に加えて、低域のかなり大きな雑音も除去し切れないマスターテープからのものだったことを残念に思っていた。
 今回のCD『加藤恕彦/ラスト・コンサート1963夏』は、このバッハ演奏を、新たに発見されたマスターテープを用いて、モーツァルトの協奏曲と共に、東芝の優れたマスタリング方式「HS2088」でCD化したものだ。

             *

 新しいテープは、加藤家に長く保管されていた遺品のなかにあったという。5インチの英国スコッチ社製のオープンリールで、2トラック。外箱の裏にはフランス語で内容がメモ書きされており、その筆跡は日本人ではないように見える。推測の域を出ないが、モンテカルロ放送局の関係者から直接ダビングして提供されたものではないかと思われる姿をしている。
 加藤家の話によると、このテープは加藤の遭難の翌年、突然に送られてきたもので、1964年6月27日の消印。送り主は「HEIDI INDERMUHLE」とある。差出人のハイジは、加藤の書簡中にも出てくるランパルの夏期講習の生徒仲間で、当日の演奏会を聴き「とてもほめてくれてうれしかった」と、加藤が書き残している人物であることが確認されているが、なぜか中には手紙もなく、加藤家にとっては、当時から謎のままの小包だったという。
 これを遺品資料の整理の過程で野口氏が預り、録音制作に経験豊富な川村氏とともに、テープの切断事故や磁性体の損傷などの起こらぬよう万全の注意を払った試聴の機会を設けるまでには、さらに数ヵ月かかってしまった。そして、試聴の結果、この新発見テープが、従来のものとまったく異なる良質な音源であることを川村氏が指摘し、慎重なマスタリングを施して新たに世に出すことが提案された。正に、そのテープは35年の歳月を経て、最良の発見者との出会いを果したということだ。
 このことは早速に加藤家に報告され、加藤家の意向に添って、今回の記念CDが制作される運びとなった。

              *

 私が川村氏の誘いで野口氏の自宅に到着したときも、スピーカーからは加藤のフルートの音が流れていた。久しぶりに聴く加藤の演奏は、やはり美しく、豊かな音楽の息吹にあふれていた。私は、野口氏らとしばし加藤の演奏に浸り、実現をめざしている良質な音で甦るはずの新しい加藤のCDについて語りあった。
 加藤の遺稿書簡集(註4)以来のタイトル『アルプス山嶺に消ゆ』に象徴される、不幸な死を遂げた〈夭折の天才〉といったイメージを払拭したい、と力説する野口氏の主張には、特異な死ゆえに話題にするのではなく、真に優れた演奏家だったからこそ、より多くの人に聴いてもらいたいのだ、という野口氏の熱意があふれていた。「前回の3枚組CDは没後30周年記念という意味から、モンブランの山並みをテーマに、追悼の意味を込めたデザインにしたが、今回はラストコンサート当日のプログラムの表紙を採り入れたシンプルなものにしたい。」という。それが、今回のCDの表紙デザインとなった。
 私たち三人は夜の更けるのも忘れて、お互いに、加藤と出会った幸福を噛みしめながら、加藤の演奏の真価をどのようにしてもっと多くの人に伝えるかを語り合い、新たなマスタリングの音の可能性に夢を描いていた。
 だが、それから約2週間後の年が明けた1月13日の夕刻、マスタリング作業の最終日に東芝のスタジオを訪れた私の驚きは、その日の夢を遥かに越える格別のものだった。「加藤は、伝説の演奏家として、遠い過去から私たちにメッセージを送っているのではなく、今まさに眼前にその姿を現わした」と言っても過言ではない。そうした鋭く切り立った音がモニタースピーカーから飛び出してくるのを聴いた私の驚きは、言葉では書き尽くせない。軽やかで快活で輝かしい加藤のフルートが、移ろいゆく豊かな情感の自在さを得て即興的な色香を放っているのが、はっきりと聴きとれた。何よりなのは、これまでともすれば甘い雰囲気の魅力に聞こえていたテンポの揺れが、細かなニュアンスが聴き取れることで、くっきりとした造形に支えられた必然性を伴う完成されたスタイルを持っていると信じられたことだ。
 加藤は、私が思っていた以上に〈おとなの音楽〉を、この26歳の時点で獲得していたのだと気付かされたということを、私は告白しなければならない。直接に演奏を聴いた関係者が、口々に語っていた加藤の凄さとはこのことだったのだ。その意味では、録音を通してしか加藤を聴いていない私たちの世代にとって、今回のCDの価値は測り知れないものがある。
 どうやら加藤は、異例の若さでヨーロッパの名門、モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団の首席奏者に就任してからのわずかの期間に、急速に、その音楽を完成させていったようだ。そのことは師ランパルや、当時のオーケストラの常任指揮者ルイ・フレモーらが語っているが、それは、夭折者への過剰な思い入れではなく、事実そのものを語っていたということだろう。加藤自身の遺稿書簡集でモンテカルロ着任以降の部分を読むと、そのことは、加藤の実感としても伝わってくる。着任した1961年6月の最初の母親に宛てた書簡に、既に次のような記述がある。
 「独奏ではあるていど自由がきいても、オーケストラ、しかもよいオーケストラではひじょうに厳密なニュアンスが要求され、かえっていままでの勉強では、気がつかなかったり、ないがしろにしていたようなところが、弱点となって出てくるので、ひじょうによい勉強になります。」
 加藤は並み外れたテクニックの持ち主である以前に、偉大な演奏家が皆そうであったように、まず第一に、優れた音楽的感性の持ち主だったのだろう。常任指揮者ルイ・フレモーに、「僅かな期間で彼は第一奏者としての地位を完全に保ち、シンフォニーの大曲の演奏経験を見事に把握した」と言わせた急速な加藤の成長は、こうして始まった。

              *

 さて、それでは、その2年2ヵ月後、加藤にとって最後となってしまった63年8月3日のバッハ『組曲第2番』はどうだろうか?
 この日の3日前の7月31日には、マルケヴィッチ指揮の演奏会があり、そこで加藤はラヴェル『ダフニスとクロエ』の有名なフルート・ソロを見事にこなし、マルケヴィッチの称賛を浴び上機嫌だったが、一転して、ドラティ指揮の8月3日の演目の練習に入ると、暗澹たる気持ちになったようだ。加藤の書簡を見てみよう。
 「こんどの指揮者ドラーティ氏は、期待にそむいて、どちらかといえば重くるしく、バッハの解釈なども、どうもしっくりしなくて、半分、成功はあきらめていました。」
 だが、CDに残された本番の演奏は、次のようだったという。
 「舞台にのぼると同時にすべての邪念がきえうせて、とても澄みきった落ち着いた気持ちで、無心に吹きました。オーケストラもいままでになく力演してくれ、すばらしいできでした。(略)僕の上達の道の大きな一段階として大成功でした。」
 仏フィガロ紙の音楽会評でも「フルート奏者ヒロヒコ・カトーは、あらゆる持ち札を惜しみなく使っての輝かしい演奏ぶりであった」と称賛されたと、加藤自身が両親に報告している。
 最終的に行きついたこの日の演奏会でのドラティは、確かにいつものドラティとは違う。これまで多くのドラティの演奏を録音で聴いているので、私としては確信を持って言えることだが、通常は力強く直截で、男性的とも形容できるドラティが、いつにも似合わず、実に優雅でしなやかな音楽の芳香を漂わせているのが意外だ。これは、名指揮者ドラティが自身の音楽観を抑制してでも、ソリストの音楽に心底共鳴して協力を惜しまなかった数少ない例のひとつに違いない。音楽的な感興のきめこまかい襞が隅々にまで行き届いた、ロマンティックな情感にあふれた稀有な名演が、こうして生まれた。
 もっとも、このことも、新発見テープの今回のマスタリングによる音で、初めて確認できたことだ。旧マスターではソリストともども、オーケストラも細部のニュアンスが欠落しているので、枠組みのしっかりしたいつもながらのドラティのサポートといった印象にとどまっていたものだ。

              *

 しかし、こうしたバッハ演奏を、その後30数年を経て、古楽器による演奏全盛の今日の演奏スタイルを聴き慣れた耳を洗わずに、「個性あふれる情感豊かな演奏」として讃えるのは慎まなければならない。60年代初頭といえば、まだロマンティックなアプローチのバッハ演奏は主流のひとつであったし、事実、この加藤の演奏は、表面的には、同じころに録音されたシューリヒト盤や、少し前のベイヌム盤に近いものがある。必ずしも、パリでの師ランパルに代表されるフランス系のフルートの延長上にあるものではない。日本での勉学と合わさった独自の加藤の音楽が芽吹いているとみることができる。折りしも、私たち日本人が、西欧音楽を独自の感性で問う時代が始まっていた。小澤征爾がテレマン、ヴィヴァルデイの協奏曲で、伴奏指揮とは言えニューヨークでメジャーレーベルに初録音したのが65年、渡辺暁雄/日フィルのシベリウス、岩城宏之/N響のべートーヴェンの全集録音もこの頃に始まっている。そういう時代だったのだ。彼らと同じように、独自の西欧音楽の世界を築き始めた加藤の急速な成長は、しかし、この時点で永遠に停止してしまった。フレモーをして「僅かな期間で」と言わせたほどの吸収力を持っていた加藤が、その後30数年経た今日のフルート演奏の在り様の中で、どのような地平に立った演奏をしたのかは、永遠に知ることができない。
 もっとも、加藤の奏でる音楽の魅力は、そうした演奏様式の変遷を越えて、音楽が今まさに紡ぎださればかりのようなみずみずしさであふれているところにこそあるということも、また、ひとつの真実だ。加藤の演奏は、心の奥底の深い淵までをあまねく照し出し、慈しむように聴く者の内に沁み込んで行く。その音楽の、測り知れない深さは、パリ・リサイタルのシューベルトでも聴くことができたものだった。
 バッハ『組曲第2番』に併わせて収録されているモーツァルトの協奏曲はモンテカルロ放送局の放送用スタジオ録音で、フレモーの証言によれば「可能な時期が到来したと見たので、私は自分の指揮の下で独奏者として演奏するように提案し、1963年5月11日、私たちは放送局のスタジオでモーツァルトのト長調のコンツェルトを録音した」という。そしてその3ヵ月後には、ドラティ指揮の公開のコンサートで当CDの演奏が行われた。
 たった一度のパリでのリサイタル。たった一度の放送用スタジオ録音。たった一度の公開コンサート。加藤は、ほんとうに、「音楽家」として本格的な一歩を踏み出したばかりだった。

              *

 遺稿書簡集によれば、加藤の演奏家としての成長の第一歩となったのは、モンテカルロの首席奏者として着任してわずか二週間後、ダブリン市へ遠征しての演奏会のようだ。指揮はイギリスの名指揮者バルビローリで、メインがブラームスの第2交響曲だった。
 「わずか二回の練習でしたが、彼の暗いが射るような目差しと、その微妙な手の動きに引きずられ、心の底から何かたぐり出されるような気持ちで吹きました。(略)ある偉大な人の心と結びついて、何か口ではいえないようなものの交流を感じたのは、これがはじめてで、生まれてはじめて音楽家になってしあわせだと心から思いました。若くして、よいオケにはいり、その初めての音楽会で、こういう経験ができたことを、ほんとうに幸運だと思います。」
 この幸福なコンサート・ツアーは6月8日から20日まで行われ、帰るとすぐに、オーケストラにはドイツ・グラモフォン社との録音の仕事が待っていた。加藤も書簡で「ママも日本でレコードを買って、息子の笛が聞けるでしょう。」とよろこんでいた仕事で、「毎日の録音は辛かったけれど、たいへんためになりました。」と書いたもので、3枚のLPが作られた(註5)。これらはオーケストラの一員としての加藤を伝える貴重なレコードであるとともに、数少ない加藤の正規録音だ。もちろんいくつかの曲では、着任早々の加藤のソロを、鮮明な録音で聴くことができる。
 当CDのバッハは、加藤がオーケストラの仲間たちに囲まれてソリストを務めている唯一のライヴ録音だが、それが、プライヴェート録音的な音から救い出され、細かなニュアンスがくっきりと浮かび上がり、会場の空気感をも見事に再現できたのは、東芝EMIのエンジニア池田彰氏の技術に負っている。そして、その日、先にマスタリングの完成を見とどけて帰られてしまったので私はお会いすることができなかったが、フルーティスト三上明子氏の貴重なアドヴァイスもあったという。三上氏は、奏法上のフルートの響きにとどまらず、加藤が吹いていた南仏、地中海沿岸の気候、真夏には通常よりもピッチが上がる銀の笛、加藤が手にしていたヘインズのフルート(註6)の独特の音色についても語り、その再現がなされた、とよろこんで帰られたという。加藤はここでも、よい人たちと巡り合った。
 モニター・ルームを辞するとき、私は池田氏に感謝の言葉を掛けずにはいられなかった。繰り返しになるが、私はこの日、初めて聴いた新しいマスタリングの音で、やっと、加藤の音楽のほんとうの輪郭に触れたのだと思ったからだった。   


(註1) 1964年発売。レコード番号はTB-7001。1962年12月17日のパリ・リサイタルの記録の中から、バッハ「フルートソナタ第2番 変ホ長調」、テレマン「フルートソナタ ヘ短調」、シューベルト「《しぼめる花》の主題による序奏と変奏」、丹羽明「フルートソナタ」を収録。その後、TA-7331で再発売。

(註2) 以下に掲げる3点。
 渡仏前のNHK放送録音による室内楽演奏を収めた2枚組LP(75年5月発売、レコード番号:東芝TA-72008~9)。
 パリ・リサイタルの内のTB-7001に未収録曲目、プロコフィエフ「フルートソナタ」、フォーレ「幻想曲」に、渡仏前1957年11月22日にNHKで録音されたヒンデミット「フルートソナタ」を加えたLP(75年8月発売、レコード番号:東芝TAー72013)。
 当CDと同一内容のプライヴェートLP。

(註3) 註1および2に掲げた4点の内、室内楽の2枚組LPを除いた3枚のLPの内容を収めた復刻CD。ジネット・ヌヴー協会より発売中(CD番号:SGNJ-1004~6)。

(註4) 1964年5月にカッパ・ブックスの1冊として光文社より刊行。93年12月に音楽之友社より再刊、発売中。加藤の著書としてはこの他に、パリ留学直後の1958年9月から翌年6月までの日記をまとめた『加藤恕彦 留学日記』が聖母の騎士社の聖母文庫の1冊として1998年10月に刊行され、発売中。聖パウロ女子修道会から1966年に刊行された『ではまた』は現在絶版。

(註5) 『モンテカルロ・コンサート・ガラ 第1集』(デュカ《ラ・ペリ》《魔法使いの弟子》、サティ《パラード》)独ドイツ・グラモフォン:SLPM-138649(1962年4月新譜、国内盤はSLGM-1115で63年3月新譜)
 『同 第2集』(ブリテン《青少年のための管弦楽入門(ナレーションなし)》、トゥリーナ《幻想舞曲集》、ミヨー《エクスの謝肉祭(ピアノ独奏:クロード・エルフェ)》)独ドイツ・グラモフォン:SLPM-138654(1962年6月新譜、国内盤はSLGM-1109で63年2月新譜)
 『モンテカルロの夜会(ソプラノ:レナータ・スコット)』(ベルリーニ《ノルマ》序曲、ドニゼッティ《この心の光~「シャモニーのリンダ」より》、ロッシーニ《兵士の行進~「ウィリアム・テル」より》、ベルリーニ《私は美しい乙女~「清教徒」より》、ヴェルディ《ラダメスがここへ~「アイーダ」より》《シチリアの夕べの祈り》序曲)独ドイツ・グラモフォン:SLPM-138653(1962年6月新譜、国内盤はSLGM-1132で63年5月新譜)
 ドイツ・グラモフォンには、近接した時期のモンテカルロ録音に1964年春に発売の《フランス序曲集》《イタリア序曲集》《ロシア管弦楽曲集》の3点もあるが、加藤が着任中の61年6月から63年8月の間の録音かどうかは特定できなかった。ただ、加藤の美しいソロが聴けたはずのムソルグスキー『禿山の一夜』、リムスキー=コルサコフ『スペイン奇想曲』などが曲目にないのは、ひょっとすると加藤の急逝と関係があるかも知れない。

(註6) THE HAYNES FLUTE 31002, BOSTON, AMERICA 。ミュンヘン音楽コンクールの賞金で、加藤が特別注文したもの。





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中島啓江が歌う「ソング・オブ・ジ・アース」=「大地の歌」

2009年08月21日 16時06分47秒 | ライナーノート(日本クラウン編)



 以下は、2004年9月29日に発売されたCDアルバムのために書き下ろしたライナーノートです。中島啓江がクラシック音楽のメロディに自由に日本語の歌詞を付けて歌った歌を中心にしたアルバムで、「東西の出会い」を基本テーマに、バックミュージシャンにアジアの様々な楽器を奏でるアーティストを配するという、とても個性的なコンセプトのアルバムでした。相当に広範囲にわたって選曲されていて、しかもアレンジのスタイルも、使用楽器も、民族性も、何もかもが様々でしたから、曲目解説にかなり神経を使いましたが、興味深い仕事でした。他のアーテイストによる、クラシック音楽のポピュラー音楽への転用例も、一応は押さえて執筆したつもりです。
 なかなか面白いアルバムです。まだ廃盤にはなっていないと思いますので、ご興味を持たれた方は「アマゾン」などで、ぜひご購入ください。
 
 なお、このアルバムのクラシック曲7曲は、全部を中島の作詞で歌う予定でしたが、ヴェルディの「行け、金色の翼に乗って」と、マーラー「大地の歌」の歌詞が、担当ディレクター氏の納得いくものにならず、ヴェルディは改作、マーラーは全く新しい歌詞を私が書きました。私が時折使っているペンネーム、久坂圭(くさか・けい)の名前で掲載し、JASRACにも登録してあります。


■『ソング・オブ・ジ・アース
  ――ビューティフル・ミュージック・フロム・クラシック』

《収録曲》
1.ソング・フォー・ユー
~「悲愴ソナタ」 第2楽章(ベートーヴェン)より
2.子守歌
~「≪カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(マスカーニ)より
3.フォーリン・ラブ
~「ダッタン人の踊り」(ボロディン)より
4.亡き王女のためのパヴァーヌ
~(ラヴェル)より
5.愛燦々
(作詩、作曲:小椋 佳)
6.恋の病
~「私を泣かせてください」(ヘンデル)より
7.友よ、乾杯
~「行け、わが思いよ、金色の翼にのって」(ヴェルディ)より
8.貝殻節
(鳥取県民謡)
9.ソング・オブ・ジ・アース
~「大地の歌」(マーラー)より
10.この地球(ほし)に生まれて
(作詩、作曲:田中洋太)

《ゲスト・ミュージシャン》
・孟(モン)仲(ジュン)芳(ファン)(中国琵琶)…4
・中川博志(バーンスリ)…8 ・チェン・ミン(二胡)…2
・藤原道山(尺八)…9
・伊藤多喜雄(民謡)…8
・山中信人(津軽三味線)…3,6
・宮西希(二十絃箏)…5
・菅野朝子(ヴァイオリン)…1,7
・平野知種(チェロ)…10

■以下は《ライナーノート》です。

《中島啓江の〈ワイドな〉世界の魅力》

 ミュージカル界のトップスターの一人として大活躍の中島啓江は、そのスタートがオペラ歌手だったことは、広く知られています。ジャンルにとらわれず、ワイドに多くの歌に挑戦し、もう10年以上も続いている銀座博品館劇場でのリサイタルでも、オペラの有名曲から、ポップスのナンバー、日本の流行歌、童謡まで、幅広く披露して客席を沸かせています。
 今回のCDアルバムは、そんな中島啓江が、「ほんとうにワイドな世界はこれだ!」とばかりに聴かせてくれるもので、彼女の音楽が、ただ単純に、いろいろのジャンルを歌いこなせるといったものでないことを、理屈抜きで納得させてくれる傑作です。
 コンセプトは〈イースト・ミーツ・ウエスト〉ですが、東洋と西洋の出会いが、こんな形に融けあって音楽的に表現されるのは初めてのことでしょう。今話題のアジアの民族楽器を駆使する豪華なゲストミュージシャンが加わり、サウンド的にもリズム的にも様々の試みがなされ、クラシックの名曲には新しくオリジナルの歌詞が与えられるといった具合で、どこか聞き覚えのあるそれぞれのメロディが、啓江ワールドの中で大変身を遂げています。
 「音楽に国境はない」とはよく言われる言葉ですが、ほんとうは〈国境がある〉のです。国としての境はなくても、民族の違いは、しっかりとそれぞれの音楽世界となって、独自のものを培っています。けれど、それを、自由自在に交流させて大きくひとつに包んで新たな命を生み出す――。そんな大それた挑戦を可能にしたのが、中島啓江の〈ワイドな〉音楽性なのです。

●それぞれの曲目について
1)「ソング・フォー・ユー」
 軽やかなピアノの旋律とヴァイオリンに導かれた後、ゆるやかに歌い出される優しいメロディは、大作曲家ベートーヴェンが残した青春時代の傑作「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》」の第2楽章です。このメロディにビリー・ジョエルも英語で歌詞を付けて、「今宵はフォー・エヴァー」(原題:This night)という曲名で歌ってヒットしました。このCDアルバムの歌詞は、もちろんそれとは別の中島啓江のオリジナルです。優しさの中にどこか力強さがあるのは、やはりベートーヴェンの作曲だからでしょうか? 菅野朝子のヴァイオリンも、豊かに雰囲気を盛り上げています。

2)「子守歌」
 長く静かな前奏が続きます。チェン・ミンが中国の楽器、二胡でメロディをひととおり奏でた後、中島啓江が歌詞を付けて歌います。これは、イタリアの作曲家マスカーニの有名なオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎の騎士道)』の間奏曲のメロディです。「間奏曲」とは、幕と幕の間にオーケストラだけで演奏される音楽ですが、あまりの美しさに、今では、この部分だけがコンサートで取り上げられたり、映画や演劇でも、場面を盛り上げるメロディとして、しばしば使われています。

3)「フォーリン・ラブ」
 原曲は『イーゴリ公』というオペラの中の「ダッタン人の踊り」という舞踏場面の音楽で、ロシアの作曲家ボロディンの作品です。合唱も加わる壮大な曲で、後半は荒々しく情熱的な踊りが繰り広げられますが、前半部分のエキゾチックなメロディが特に親しまれて、多くのアーティストが演奏しています。エレキギターサウンズの元祖ベンチャーズも「パラダイス・ア・ゴーゴー」(原題:Ten seconds to Heaven)という曲名で演奏しましたが、このメロディが多くのポップスファンにも親しまれるようになったのは、何といってもトニー・ベネットが歌った「ストレンジャー・イン・パラダイス」からでしょう。このCDアルバムでは、それが中島啓江の斬新な詞と独自のリズムですっかり姿を変えています。曲の冒頭から印象的な音色を聴かせる、中川博志によるインド・ネパールの管楽器バーンスリも聞きものです。

4)「亡き王女のためのパヴァーヌ」
 ドビュッシーと並ぶフランス近代の大作曲家ラヴェルは「ボレロ」が有名ですが、この「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、人気曲のひとつです。「パヴァーヌ」とは古代の舞曲のひとつ。誰か特定の王女のために作曲されたわけではなく、気品のある静かなメロディに似合うものとして、作曲者自身が命名した題名と言われています。原曲はピアノ・ソロですが、ラヴェルが自分で編曲したオーケストラ曲も広く知られています。ここでは、歌詞のない中島啓江の歌と、孟仲芳の弾く中国琵琶の音色でじっくりと聴かせます。

5)「愛燦燦」
 シンガーソングライター、小椋佳が、戦後日本を代表する歌手、美空ひばりの〈芸能生活40周年記念曲〉として作詞作曲した作品です。当時、ひばりは私生活の面で多くの不幸を抱えていましたが、この曲を自身への人生讃歌として歌い上げたと言われ、大ヒットとなりました。その後、小椋自身もこの曲をレコーディングしましたが、ここでは、中島が自身の人生を顧みての共感からか、ひときわ光る歌唱を聴かせ、宮西希が十二弦箏で彩りを添えています。

6)「恋の病」
「ハレルヤコーラス」で有名なヘンデルは、CMソングにもなった「オンブラ・マイ・フ」が歌われる『セルセ』など、古典オペラをたくさん残していますが、中川博志のバーンスリを加え、「恋の病」というタイトルを付けて中島啓江が一新したこの曲も、ヘンデルの作品です。『リナルド』というオペラの中で歌われるもので、原曲のタイトルは「私を泣かせてください」(「わが泣くままに」)です。つい先頃、人気テレビドラマの主題歌としても、松本隆作詞で「涙のアリア」とタイトルを付けられて歌われています。

7)「友よ乾杯」
 『アイーダ』や『椿姫』など数々のイタリアオペラの傑作を残したヴェルディですが、オペラ『ナブッコ』の終幕で歌われる合唱曲「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」は、その歌詞が愛国的に解釈されて、第二のイタリア国歌とまで言われ、愛唱されています。ここでは、それに独自の歌詞を与えて中島が歌っています。ヴェルディ自身は、オペラ『椿姫』の中の「乾杯の歌」が有名ですが、まさか、この「行け、わが思いよ……」が乾杯の歌になってしまったなんて、ヴェルディが知ったら、さぞ驚くことでしょう。菅野朝子のヴァイオリンも、軽やかに踊るように加わります。

8)「貝殻節」
 鳥取県を代表する民謡「貝殻節」は、数ある日本の民謡の中でも、ことさらに様々の音楽ジャンルのミュージシャンに取り上げられ、アレンジされています。ロックギターやジャズピアノ、パラパラの人気曲にまでなっていますが、ここでは民謡歌手伊藤多喜雄の歌唱に、ピアノがリズムを刻み、山中信人の津軽三味線が加わり、さらに中島が即興的に声で加わるという形で、独自のサウンド世界を実現しています。様々な歌詞が与えられて日本海沿岸の各地で歌われていましたが、浜村温泉のために昭和7年に虚子門下の俳人松本穣葉子が作詞した歌詞で広く全国に知られるようになりました。このCDでは、賀露方面で歌われている歌詞を元にしています。

9)「ソング・オブ・ジ・アース」
 19世紀末のウィーンで活躍した大作曲家マーラーは、当時のヨーロッパに広まっていた東洋思想ブームと、自らの人生観との接点として、中国の詩人、李太白、孟浩然、王維らの詩のドイツ語訳詩を取り入れた特異な交響曲『大地の歌』を晩年に書きました。その最終楽章「告別」の主要旋律を編曲したものが、この「ソング・オブ・ジ・アース(大地の歌)」です。久坂圭の詞は、このアルバムのために新たに書かれたもの。藤原道山の尺八が加わり、中島の歌唱力で原詩の東洋的な諦念の思想が歌い上げられています。

10)「この地球(ほし)に生まれて」
 星空のコンサートともいうべき魅惑のサウンドで人気のポップスオーケストラ、銀河管弦楽団の主宰者、田中洋太の作詞作曲によるこの曲は、異色の沖縄出身シンガー、普天間かおりが歌って、インディーズ・ポップスの名曲として知られています。〈イースト・ミーツ・ウェスト〉をコンセプトにしたこのアルバムの最後を飾るに相応しい曲です。平野知種の弾くチェロとの語らいで、大らかな心を持って遥かな宇宙の彼方から地球を眺めるような、豊かな気分に浸れることでしょう。


●演奏者プロフィール

・中島啓江(なかじま けいこ)
 鹿児島県出身。昭和音楽短期大学声楽科卒業。ディプロマコース・オペラ専攻科修了後、藤原歌劇団に入団。春平紀美、故砂原美智子、マルチェラ・ゴヴォーニ各女史らに師事。
 1979年以降、多数のオペラに出演したが、1985年に「マック・ザ・ナイフ」でミュージカルに初挑戦。1986年には、初のソロ・コンサート「天高くオペラ肥ゆる秋」を青山円形劇場にて行う。1987年、宮本亜門演出の「アイ・ガット・マーマン(I GOT MERMAN)」で一躍、脚光を浴び、以後、ジャンルにとらわれない幅広い活動が続いている。1994年3月30日~4月10日、銀座博品館劇場でリサイタル「夢であいましょう/第1回」開催。同リサイタルは今年3月に11回目を迎えている。
 テレビではNHK教育にて2003年よりスタートした「夢りんりん丸」にキャラクター『ビッグママ』としてレギュラー出演中。子供を対象に歌・踊り・朗読と楽しいパフォーマンスは中島の新しい一面を覗かせている。
 CD、著書多数。

・孟 仲芳(モン・ジュンファン)
 中国琵琶奏者。中国音楽家協会会員。天津音楽大学助教授。中国で今までに行われた唯一の全国ビーパ(中国琵琶)コンクールである「上海之春」で国家文化省演奏優秀賞を受賞。「ART CUP」国際民族楽器コンクール入賞。1991年 国費研究員として来日、宮内庁式部職楽部楽師のもとで日本雅楽を研究。95年から千葉大学客員研究員。97年から紀尾井ホール、銀座王子ホール、東京文化会館などで定期リサイタルを開催。97年、2000年 文化庁芸術祭に出演。新人賞を受賞。フランス、イタリア、ベルギ-、オランダ他各地の音楽祭やコンサ-トでも国際的な活躍を続けている。

・中川博志(なかがわ ひろし)
 バーンスリ奏者。1950年、山形生まれ。インドのバナーラス・ヒンドゥー大学音楽学部音楽理論学科に留学。帰国後、バーンスリ演奏家として内外で演奏活動を行っている。これまで、ソロCD『The Breeze of the Day』、『January 17, 1995』を出している。

・チェン・ミン
 二胡奏者。中国蘇州生まれ。上海にて音楽教育家の父と越劇女優の母のもとに育ち、6歳の頃より父親から二胡を教わる。その後上海越劇院オーケストラでメインの二胡奏者として活躍。1991年来日。97年に共立女子大学を卒業し、日本での本格的な演奏活動を始める。東芝EMIよりCDを多数発売。一連の中国音楽、二胡ブームの火付け役となり、「第17回日本ゴールドディスク大賞」特別賞受賞。

・藤原道山(ふじわら どうざん)
 10歳より尺八を始める。人間国宝 山本邦山に師事。東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業、同大学院音楽研究科終了。在学中には安宅賞受賞、御前演奏を務める。2001年コロムビアより「UTA」でCDデビュー。現在、都山流尺八楽会師範。都山流邦山会、竹の会、日本三曲協会会員、胡弓の会「韻」、「曠の会」同人。既成の尺八イメージを変える自由な発想でジャンルを超えた音楽活動を展開中。

・伊藤多喜雄(いとう たきお)
 北海道苫小牧出身。民謡界の枠にとらわれず「民謡」の復活へ向けて、独自に活動の場を切り開いてきた。TAKIOBANDを結成、活動し、一方、坂田明(サックス奏者)、小室等(シンガー・ソングライター)など様々なジャンルのミュージシャンとも共演し、積極的にライブ活動を展開。傍ら「唄さがしの旅」を重ね、生活に基づく唄を訪ね歩く。海外での公演もイギリス、イスラエル、トルコ、エジプト、パラグアイ、チリ、アルゼンチンなど世界各地で行っている。<東京の夏>音楽祭をはじめ、国内外で音楽祭の出演およびプロデュースも多数。(財)日本民謡協会の民謡功労賞を受賞。

・山中信人(やまなか のぶと)
 1974年茨城県生まれ。13歳のときに、母の影響を受け、津軽三味線を始める。その後、斯界の第一人者の山田千里に師事。津軽三味線全国大会で入賞、優賞する。伊藤多喜雄&TAKIOBANDのメンバーとして国内外で活躍。

・宮西 希(みやにし のぞみ)
 母の手ほどきを受けて筝を始め、3歳で初舞台を踏む。東京芸術大学を卒業後、日本、中国、韓国の3カ国の伝統楽器奏者によって構成される楽団「オーケストラ・アジア」の正式メンバーとして海外公演等を行う。現在、主に用いている二十絃箏に出会ってから、和音階と西洋音階との隔たりをなくして、ジャズ、ロック、ポップスなどポピュラー・ミュージックとの融合を表現。音楽的にもグローバルな活動を展開している。2002年秋にデビューアルバム「Steps to the Moon」、2003年夏に2ndアルバム「ちょっとひとりKOTO」を発売。ライブ活動のほか、ラジオのパーソナリティーまで、幅広い音楽活動を精力的に行っている。

・菅野朝子(かんの あさこ)
 ヴァイオリン奏者。京都府出身。全日本学生音楽コンクール大阪大会第2位、日本演奏家コンクール入選、YBP国際音楽コンクール一般の部第3位。2002年東京文化会館新進音楽家オーディション弦楽部門合格、同デビューコンサート出演(大ホール)。国内・海外での講習会に積極的に毎年参加、研鑚を積み、2003年東京芸術大学を卒業、その後フリーで活動。

・平野知種(ひらの ちぐさ)
 チェロ奏者。桐朋学園附属「子供のための音楽教室」にて3歳よりピアノを、9歳より、チェロを始める。早稲田大学理工学部卒業、桐朋学園大学音楽学部研究科修了。室内楽で蓼科音楽祭賞受賞。新アドニス弦楽四重奏団メンバー。ソロ、室内楽で活動する他、チェロの曲を中心にした「ちいさな音楽会」、ポピュラーな曲を含めた「おしゃれコンサート」など、楽しく親しみ易いクラシック・コンサートを数多く企画している。






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パガニーニ『ヴァイオリン協奏曲第1番』の名盤

2009年08月18日 09時51分36秒 | 私の「名曲名盤選」





 5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、原文には手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第17回」です。

◎パガニーニ*ヴァイオリン協奏曲1番
 ヴァイオリンの鬼才パガニーニは、自らが弾くために作曲をした。この曲も当時の聴衆が驚嘆した彼のテクニックがどれほどのものであったかを窺わせる、華やかな技巧を堪能させる作品だ。ギトリスは正にこの曲に打って付けのヴァイオリニストで、アクロバティックな凄じいヴァイオリンの鳴らし方は煽情的だ。その臆面のない華麗さが小気味よく、次々に繰り出されるヴィブラートの見事さには唖然とさせられる。
 レビン盤もヴァイオリンの美音に彩られた華やかさでひけをとらないが、弾きまくるといったものではなく、優しさと慈しみのある、しっとりとした歌の深さにあふれているのが貴重だ。一〇代で神童といわれ、二〇代半ばには一線を退いてしまい、三〇代半ばで自動車事故で他界してしまったこのヴァイオリニストには、二種の録音が残されている。一八歳の時のマタチッチとのモノラルと、二四歳の時のグーセンスとのステレオだ。音は古いが、マタチッチとの方が、その惑いのない弾きぶりがレビンの美質をストレートに伝えている。
 アッカルド盤は高度な技術と煌めきのある美音で、この難曲を易々と弾ききって、パガニーニから口当たりのよい音楽の流れを導き出している。バックのオケのくすんだ響きもソロを際立たせるのに効果的だ。
 こうしたアッカルドのような演奏を聴いてしまって、この曲は、かつてのヴィルトオーゾの時代を通り過ぎて濾過され、一種の脱臭作用を施してしまい、もはや後戻り出来なくなったかとも思ったが、アッカルドの録音の十年後に五嶋みどりの天性の閃きと歌にあふれた録音が登場した。五嶋みどりの録音の出現で、私は、この時代に至っても、まだパガニーニの世界に酔うことが可能だと予感出来た。最近の五嶋みどりの一段と冴えたヴァイオリンの美芸を聴くにつけ、この曲の再録音を待ち望んでいる。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 残念ながら、私の期待しているような新盤は、私の知る限り、その後出現していないようです。やはり、この曲は、「現代」という舞台の感性からは、遠く隔たってしまったのかも知れません。誤解しないでいただきたいのですが、上記で「アッカルド盤」は、推奨しているのではありません。「こういう風にしか、演奏できなくなってしまった」と、私は嘆いているのです。その意味で、五嶋みどり盤は、稀有なケースだったと思っています。でも、その彼女も、すっかり大人の音楽を奏でるようになりました。
 そんなわけで、最近(今頃になって)、フランチェスカッティがモノラル時代の終わり頃に、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の輝かしいバックを得て、たとえようもない美音を奏でている盤を発見しました。オリジナルは米コロンビア盤です。ソニーから国内盤CDが、いわゆるファミリークラブ盤で出ていました。偶然にも、リサイクルショップで「200円」で発見! これはすばらしいです。





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グートマン/サヴァリッシュによるドヴォルザーク「チェロ協奏曲」

2009年08月11日 11時06分05秒 | ライナーノート(EMI編)








 以下は、1995年頃に東芝EMIから新譜として発売されたCDのために書いた原稿です。私としてはめずらしく、執筆時の詳細な記録がなくなっているので執筆完了日を特定できませんが、当CDの初出発売の2ヵ月程度前には書き終わっているはずです。この初出時は、「チェロ協奏曲」と「交響的変奏曲」のカップリングでした。現在は、交響曲7番との組み合わせになっているようです。この「演奏について」長々と書いたライナーノートは、もちろん、初出時のみの掲載です。この時代は、まだ、国内盤ではこうした国内盤オリジナルの、演奏についての文章が付いているのが普通でした。ただ、ほとんどが、そのCDの演奏を手放しで礼賛するばかりで、「論」や「解析」を書こうという意欲のないものがほとんどでしたけれど。
 文中にもあるように、ソリストのグートマンは、まだ日本ではほとんど知られていませんでしたが、その後、シュ二トケ作品の演奏で、随分知られるようになりました。ちょっと「考えすぎ」のアーティストですが、私は好きなチェリストです。
 曲目解説は、東芝の既発売盤の文章の転用で済ませる予定でしたが、「交響的変奏曲」の文章が見つからないとかで、急遽、私が書き下ろすことになりました。演奏について書いた部分と文体が違うのは、既存の曲目解説の文体に合わせたためです。この分も、先方が字数を数えて、別途に原稿料を支払ってきたことを、ぼんやりと記憶しています。ジャスラックの影響で、出版社と異なり、レコード会社の原稿料支払は、様々な意味で、正確で細かく、「ま、いいや」がないのです。


■ライナーノート

《ドヴォルザーク:チェロ協奏曲/ナターリャ・グートマン(チェロ)
   ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮フィラデルフィア管弦楽団》

●演奏について
 ドイツ音楽界の重鎮のひとりとして、バイエルン国立歌劇場との関係が長く続くサヴァリッシュが、アメリカのオーケストラの中でもひときわアメリカ的な華麗なサウンドを持つフィラデルフィア管弦楽団とレコーディングしたと聞いたとき、その意外性には少々とまどった。このCDと同じドヴォルザークの交響曲「新世界より」だったが、実際に聴いてみると、それは、機能の優秀なオーケストラを手中にして、特に管のセクションのクリアーな響きを背景にメリハリのくっきりした演奏だった。いつものフィラデルフィア・サウンドよりはずっと重厚な響きだが、それでも50~60年代のサヴァリッシュを思い出させるような若々しい意欲で力強く押して行く演奏だ。その後もドヴォルザークの交響曲をこのコンビで連続して録音したサヴァリッシュが、数ある協奏曲中の名曲「チェロ協奏曲」をナターリャ・グートマンを独奏者に迎えて録音したものがこの新盤だ。
 グートマンはソ連生まれのチェリストで、活動歴も長く、60年代にはアメリカデビューも果しているがレコードは少ない。80年代に入ってからはリヒテル、カガンらとの室内楽活動も盛んに行った。おそらくこのCDが日本での本格デビュー盤と思われる。
             *
 この協奏曲でサヴァリッシュは導入部を、これまでと同じようにフィラデルフィア管から重厚な響きを引き出し、中庸を心得たテンポで、独奏チェロの登場までの長い管弦楽部を一息に歌い切っている。それを受けてグートマンのチェロは、比較的浅い呼吸でこの曲の抒情性を、おだやかな起伏で表現している。それは第2主題のノスタルジックな旋律でも同様だ。この曲の朗々とした力強さに慣れた聴き手は、多少とまどいを感じるかも知れないが、こうした演奏の中から浮び出てくるドヴォルザークの旋律の美しさは、それなりに魅力だ。これでサヴァリッシュのオーケストラ・コントロールがもっと音色の変化に鋭敏であったなら、きわめて個性的な演奏になったと思うが、力強いアンサンブルを重視するサヴァリッシュの指揮がオーソドックスな音楽に留まっているのが惜しまれる。
 この演奏の白眉は第2楽章だ。ここではグートマンの音楽性が見事に曲想と一体となって、淡い悲しみをたたえた旋律が静かに語られる。自身のチェロの音にじっと耳を傾けるようなグートマンのひそやかな歌が、フィラデルフィア管の木管の美しい響きと対話し、室内楽的展開を聴かせる至福の時がしばらく続く。中間部のオーケストラの強奏による慟哭の旋律も、サヴァリッシュの棒で悲痛に鳴りわたり、やがてまた、チェロのやさしい慰めへと受継がれていく。全体に遅めのテンポに終始するこの楽章の演奏は、音楽への慈しみにあふれた佳演で、ひと時も気を弛ませることのない名演だ。
 それを受けて終楽章は、決然とした感じを押さえた控え目なアゴーギクで開始される。ロンド主題の舞曲的なリズムアクセントを強調せず、むしろその背後で揺れ動く抒情性に耳をそばだたせる。オーケストラも柔和な表情を保ったまま、注意深くついてゆく。そして、コーダ近く、第1楽章や、第2楽章の回想までじっと辛抱していたオーケストラが、コーダで堰を切ったように金管を高らかに強奏して結ぶ。極めて個性的な演奏だ。
 この曲でこれほど内面に沈潜した情感をていねいに描いた演奏はめずらしい。大オーケストラを向うに回して堂々とわたりあう演奏が多いなかで、こまやかな音楽性に支えられたこの演奏の美質は貴重だ。特に後半の二つの楽章は、その目標とするところが見事に結実したものとなっている。
             *
 余白に収められた「交響的変奏曲」は、サヴァリッシュの行き届いた指揮によって、見通しのよい演奏となっている。


(曲目解説)
●「交響的変奏曲」
 この曲は、1877年に作曲されたドヴォルザークにとって初期に属する作品である。同年のプラハにおける初演時には「作品40」だったが、のちに出版されたときに「作品78」となった。同じ年に作曲された無伴奏の男声合唱曲「私はヴァイオリン弾き」を主題として、27の変奏とフーガとで成り立っている。
 この作品に前後して75年に「弦楽セレナード」が書かれ、78年には「管楽セレナード」が書かれていることは、注目してよい事実であろう。ドヴォルザークが師と仰ぐブラームスも変奏曲の傑作を残しているが、それと同様に、この曲はドヴォルザークにとって交響曲への習作と見ることができる。今日ではドヴォルザークは9曲の交響曲を書いたことになっているが、彼が生前に交響曲第1番として世に問うたのは、現在第6番とされているもので、それが完成したのはこの「交響的変奏曲」よりも後の1880年である。ていねいに主題を変奏させてゆく手腕はかなりのもので、この作曲家の中にある古典的構築性に対する深い教養が感じられる。リズムやオーケストラの音響には、その翌年に書かれた「スラヴ舞曲」や、後年の交響曲をほうふつとさせるところが見受けられる。ドヴォルザーク理解の一助となる作品である。


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バルビローリ~BBC交響楽団によるベートーヴェン《英雄》

2009年08月07日 10時38分21秒 | ライナーノート(EMI編)




 以下は、東芝EMIが、ミュージカルノートという会社と組んで発売したCDのために書いたライナーノートです。 1995年4月10日に執筆を終えています。確か、この原稿が、元東芝EMIのディレクター、幸松肇さんと初めてお会いして依頼された原稿だったと思います。彼は、私の書いた『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』(洋泉社刊)を手にして現れました。溜池の東芝EMI本社1階のミーティングロビーです。私の本のあちらこちらに印が付いていて、「うちが出せるもので廃盤になったままのものを、この本から探してるんですよ。」と楽しそうに話されたのを覚えています。「既に定年退職しているが、嘱託のような形で、東芝EMIと外部との共同開発商品を手掛けている」とも言っていました。当ブログに掲載済の「シルヴェストリの幻想交響曲」を山野楽器とで発売したのも彼だったはずです。「巌本真理弦楽四重奏団の芸術」もそうでしょう。小回りの利かない会社では出せないアイテムを、外部との提携で発売するという手法の初期のことです。今では、タワーレコードが、独自企画として各レコード会社と提携して発売するようになっていますが、その先鞭と言っていいでしょう。もともと小さなマーケットにすぎないクラシック音楽のCDを、小ロットながら確実に売り上げるという「正しい」売り方でした。
 私のライナーノートは、演奏論から、LPレコード初発売情報、CD化情報、演奏家・演奏団体の経歴、曲目解説まで、かなり広範なものでした。直さなくてはならないところもありますが、とりあえず執筆当時のまま、以下に掲載します。


■バルビローリの個性的名演の復活
 サー・ジョン・バルビローリの隠れた名演が、やっと正規にCD化されて発売された。日本には熱心なバルビローリ・ファンが多いが、そうしたファンの間で、しばしば話題となっていた〈CD化待ち〉の筆頭と言ってもよかったもののひとつが、このBBC交響楽団との《英雄》交響曲だった。
 もちろん、それには少なからず理由がある。バルビローリにもいわゆる珍曲、珍盤といった特殊なレパートリーの録音は他にも様々あるが、ベートーヴェンの交響曲というメジャーな作品であることが、その理由の第1だ。しかも、バルビローリのベートーヴェン作品の録音は極端に少ない。また、オーケストラがBBC交響楽団というのも、バルビローリの録音には他に見当たらないことが理由として挙げられるだろう。
 もちろん、めずらしいというだけで、この演奏が長い間〈語り草〉になっていたわけではない。この演奏が、バルビローリという稀有な個性の指揮者の美質を、最も端的に表したものだからこそ、一度でもこの演奏を耳にしたバルビローリの良き理解者の間で話題になり続けたのだと思う。
 だが、別の言い方をすれば、この演奏は、バルビローリの音楽を愛する人々でなければ、なかなかに容認できない程の個性を備えており、この演奏によって、場合によってはベートーヴェンのこの交響曲を誤解してしまうという危険さえ孕んでいるとも言える。「バルビローリ」という〈森〉に踏み入ることが出来るかの試金石と言っても過言ではないだろう。これは、徹底してバルビローリ流に染め上げられたベートーヴェンなのだ。
 バルビローリにとって、ベートーヴェンは決して得意なレパートリーではなかったと思う。得手不得手より、好き嫌いのレベルで、好きではなかったかも知れない。録音で残されたものも私の知る限り、この《英雄》の他には、ハルレ管弦楽団との「交響曲第1番」「第8番」「レオノーレ序曲第3番」「ピアノ協奏曲第5番《皇帝》」(独奏:ミンドル・カッツ)、が英パイ・レコードから出ていたのが、バルビローリ指揮のベートーヴェン録音の全てだった。
 その中で、当盤のBBC響との《英雄》はバルビローリのゆったりとして、しかも揺れ動くテンポ設定や、しばしば音楽の流れを停滞させてまで朗々と響かせる豊潤な歌い回しが、最も成功している。それは、バルビローリ/ウィーン・フィルの名演、ブラームスの交響曲を思い起こさせるほどのものだ。
 このテンポで歌い継いでいくには、やはり、当時のハルレ管の技量では無理があるだろう。贅沢を言えば、ウィーン・フィルでなかったのが残念だが、それでも、BBC響とで残されたこの録音の仕上がりには、バルビローリが求めている音楽の表情を実現する、ぎりぎりの遅いテンポが達成されている。
 だが、このバルビローリが作り上げた音楽の表情は、決して、一般的に言われているような意味でのベートーヴェン的音楽ではない。ベートーヴェンの〈音の建築家〉的な組み立てから大きく離れて、よく歌い、揺れ動き、深々と全身で呼吸するバルビローリの世界が、伸びやかに、広々とした中に息づいている、というべきだろう。
 特に第2楽章の演奏時間で5分10秒を過ぎたあたりからの優しく温かな表情、7分経過以降の金管の堂々とした咆吼などは、このベートーヴェンの作品が、すっかり面目を一新してしまっている。古典的な構築的アプローチをかなぐり捨てて、ロマンの淵を彷うように歩み続けるバルビローリの独壇場だ。ここには、〈形式〉の枠にとらわれ切れなかったベートーヴェンの〈ロマン主義的傾向〉がデフォルメされて表現されている。
 このバルビローリの演奏を、ベートーヴェンの標準から大きく踏み外していながらも、ひょっとしたらベートーヴェンの本質の一端を、むしろ根源から説き明かしているのかも知れないと思って聴き始めるのは、このあたりだろう。
 終楽章は更に、バルビローリのスタイルが徹底している。この楽章を、変奏形式による各段ごとの描き分けよりも、全体をひとつながりの内面のうねりで聴かせようというバルビローリの意図が際立っており、音楽の停滞をも厭わないコーダに入ってからの極端に遅いテンポによる進行は、正にバルビローリならではの独創的な演奏だ。最近遅いテンポのベートーヴェンとして話題になったジュリーニ/スカラ座管の演奏のような、音楽の構造の襞(ひだ)を丁寧の追っていくスタイルとはまったく違う。あくまでも〈ロマン的気質〉の大胆な発露がバルビローリの特徴だ。BBC響も、音楽が弛緩しないで底力がある。極めて個性的だが充実したベートーヴェン演奏と言えるだろう。こうした演奏が、良好な音質のCD化により手軽に聴くことができるようになったことを喜びたい。

■LP時の発売についてのメモ
 バルビローリ/BBC響の《英雄》は1967年に録音された後、ASD-2348の番号で翌68年3月新譜として英EMIより発売されているものがオリジナルLPだ。ほぼ同じ時期に米エンジェルでもS-36461の番号で発売されているが、なぜか、日本ではその当時発売されていない。
 その後、70年代の半ばにイギリスでは廃盤となってしまうが、日本では逆に79年6月新譜のEAC-30327として、東芝EMIのセラフィム・エクセレント・シリーズ(蝶々の写真を使用したジャケット・デザイン)の1枚で登場した。アメリカでは番号の切り換えもないまま80年代まで現役盤だった。
 だが、いずれもCD時代の80年代には市場から姿を消して、長い間世界中で廃盤のままだった。今回の東芝EMI/ミュージカルノートによる久々の復活発売は、正規盤としては世界初CD化と思われるが、同時に音質的にも、輝かしさ、音場の広がりなど、CD化による改善さえ感じられる出来栄えとなっている。
 なお、前項で述べた英パイ録音のベートーヴェンは、「第1/第8」が1986年に一度、英PRTからCD化されたが、まもなく廃盤となっている。

■ジョン・バルビローリについて
 ジョン・バルビローリは1899年12月2日にロンドンで生まれ、1970年7月29日に来日を目前にして同じくロンドンで世を去ったイギリスの名指揮者。
 戦前のSPレコード時代から、クライスラー、ミルシティンなどの伴奏指揮で、その名を見かける。30歳代の1937年から5年間トスカニーニの後任としてニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督として活動。その間にいくつかの交響曲の録音を残しているが、ニューヨークを辞任して帰国、イギリスのマンチェスターにあるハルレ管弦楽団の音楽監督に就任した。
 この地方都市のオーケストラの育成に尽力して49年にはサーの称号を贈られているが、世界のレコード市場では長い間マイナーな存在になっていたなかで、64年に英EMIに録音したベルリン・フィルとのマーラーの「交響曲第9番」を境に活発なレコーディング活動を開始したが、その6年後の1970年に世を去ってしまった。これからという時の突然の死が惜しまれるが、柔らかく懐ろの深い地味な音楽の、独特の味わいが晩年の芸風として愛されている。
 19世紀的な纏綿としたロマンティシズムとは一線を画して、節度と折り目正しさを保ちながら、豊かに全身を賭けて歌うロマンの大きなうねりが、多くのファンを魅了した。特に、ブラームス、マーラー、シベリウスなどの交響曲、エルガー、ディーリアスなどのイギリス音楽の演奏で独自の境地を示した。

■BBC交響楽団について
 BBC交響楽団は、1930年にイギリス放送協会(BBC)の専属オーケストラとしてロンドンに創設された。第2次世界大戦までは、エードリアン・ボールトの主席指揮の元で、水準の高い演奏活動を行い、ワインガルトナー、トスカニーニ、ワルターらの客演や、現代音楽を積極的に紹介するという方針からストラヴィンスキー、バルトーク、シェーンベルク、プロコフィエフなどとの共同作業をすすめるなど、いかにも音楽商業都市ロンドンの放送事業の一環としてのオーケストラらしい活動を行っていた。
 しかし、第2次大戦で人事的にも経営的にも大きな打撃を受け、戦後しばらくは低迷期を迎えた。このオーケストラが再び充実した活動を行うようになったのは、1963年にオーケストラの名トレイナーとしても定評のあるアンタル・ドラティが主席指揮者に就任してからだ。ドラティの薫陶で再建されたBBC響は67年にはコーリン・デイヴィスへと主席指揮者がバトンタッチされた。このバルビローリとの録音は、このオーケストラがそうした第2期を迎えていたころの録音だ。同じ頃にコーリン・デイヴィス指揮による《田園》の録音などもあり、この時期にBBC響がベートーヴェンの交響曲で世界に真価を問えるほどの自信を取り戻しつつあったことが窺える。
 なお、現在のBBC響は、アンドルー・デイヴィスが主席指揮者を務めている。

■演奏曲目について
●ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調《英雄》作品55
 1802年から1804にかけてのベートーヴェンにとって30代前半の作品。古典派の形式から大きく踏み出して飛躍的発展を成し遂げた交響曲。同時期にベートーヴェンは、ピアノ・ソナタでは《熱情》を書き上げ、やはりスケールの雄大な世界へと踏み出している。
 初演は1805年4月7日にアン・デア・ウィーン劇場で行われている。
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ。ソナタ形式で、長大な展開部を持っている。提示部の反復が指示されているが、省略されることも多い。当CDでも省略されている。
第2楽章 アダージョ・アッサイ。自由な3部形式による楽章だが、〈葬送行進曲〉の名が与えられている。この交響曲で唯一の緩徐楽章だが、その規模は第1楽章に匹敵する。
第3楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ。スケルツォ楽章で、中間部のトリオでは3本のホルンが活躍する。
第4楽章 変奏曲形式による楽章。主題にはベートーヴェンが好んで使用した自作「プロメテウスの創造物」の旋律が選ばれている。ソナタ形式的展開、フーガ的展開がとりいれられた独自の手法によっている。
     



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ベートーヴェン『ピアノソナタ《熱情》』の名盤

2009年08月04日 10時05分08秒 | 私の「名曲名盤選」




 5月2日付の当ブログに「名盤選の終焉~」と題して詳しく趣旨を書きましたが、断続的に、1994年11月・洋泉社発行の私の著書『コレクターの快楽――クラシック愛蔵盤ファイル』第3章「名盤選」から、1曲ずつ掲載しています。原則として、当時の名盤選を読み返してみるという趣旨ですので、手は加えずに、文末に付記を書きます。本日分は「第16回」です。

◎ベートーヴェン*ピアノソナタ「熱情」

 第三交響曲「英雄」を書き上げ、その音楽世界の飛躍的発展を成し遂げたベートーヴェンにとって、ピアノ・ソナタの分野で同じく独自の音楽を獲得し結実させた最初の作品ということができる。人気曲だけに録音数も多く選択に迷うが、ギレリスは、硬質のタッチで一音もゆるがせにしないがっしりとした構成感で迫る。この曲に盛られた不安感や、それを突き破ろうとする内部から燃焼する情熱が、ピアノの音の組立てそのものから伝ってくるといった趣きの、この曲にとって規範ともいうべき正攻法の演奏。
 バックハウスは、がっしりとしたスタイルを守り悠然とした風格の音楽で迫るが、その奥に深く沈んだもの静かなたたずまいを宿しているのが貴重。それはおそらく、バックハウスの中にある我々の想像をはるかに越えたベートーヴェンへの篤い共感と愛情の仕業だろう。
 ルービンシュタインはファンタジックで柔和なアプローチを前面に押し立てたもので、この曲から剛直さを感じさせない演奏。彼のピアノからあふれ出る豊かな音楽が堪能できる。ベートーヴェン演奏としては特異なものだが、ピアノを愛する人ならば、一度は聴いておきたい演奏だ。
 アラウのEMIへの一九六〇年録音(晩年にフィリップスに録音した演奏とは、かなり肌合いが違う)は、男性的で力強く、ドラマティックな演奏として、ルービンシュタインの対極に位置する、一方の雄だ。この演奏こそが、〈意志の人〉としてのベートーヴェン像を期待する聴き手が、何の違和感もなく入って行かれるものだろう。緊張と弛緩、辛抱と開放とでも言ったもののバランスのとれた、本物の力強さがある。ただ、時代は既にこうしたベートーヴェン像から卒業していると、私は思っている。その意味で、彼等よりはずっと若い世代のバレンボイムの、解放感のあるベートーヴェン像は注目盤だ。

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 考え方としては、何も変更を加える必要を感じませんが、ここに言う「バレンボイム」以降の演奏をしっかりと聴き込まなければ、今の音楽状況を映しだせません。その予感だけはありますが、探究する時間が、今はありません。





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