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年明け早々に開かれる「福原彰美ピアノリサイタル」のことなど。

2012年11月14日 10時23分42秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 福原彰美という若いピアニストについては、このブログで何度も採りあげている。私が、その将来を期待していることは、それらをお読みいただければ、お分かりいただけると思う。アメリカ在住の彼女が、毎年帰国して開いているリサイタルが、来年の正月早々の1月6日、一年ぶりに開かれる。サンフランシスコから、ニューヨークに移り、ジュリアードで研鑽を続けていた彼女が、思うところあって最初に踏んだアメリカの地、サンフランシスコの古巣の音楽院に戻ってから、もう1年以上経ったと思う。シスコでは、幸運なことに、今年の春先、マイケル・ティルソン=トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団のコンサートマスターらによる室内楽コンサートに代役で弾いたのに始まり(確か、フォーレだったと思う。メールをもらっているのだが、今、確認しないで、これを書いているので、申し訳ない)、どうやらそれが大成功したようで、その直後にも正式に求められて出演したと聞いている。来春のコンサートも既にブラームスのピアノ四重奏だったかが決まっているという。確か、サンフランシスコ響のコンマスは、T=トーマスが音楽監督に着任するに際してロンドン響から連れて行った人だったはずだが、その彼の耳に、彼女のピアノの音がすーっと入っていったとは、うれしいことだ。音楽的に共鳴する部分があるのかも知れないと思う。今、詳細に書いている余裕はないが、それは、T=トーマスの音楽性について感じる部分と、私が、福原に期待していることとに関係している。
 福原は、今年は10月に一時帰国し、銀座シャネルのホールなど、いくつかのサロンコンサートで、来年のリサイタルのための曲目に取り組んでいたが、今はシスコに戻っているはずだ。その秋口の小さな演奏会には私も出かけたが、先日の当ブログにも書いたとおり、今、私は別件の原稿に追われているので、感想を書くのは後の機会にする。(じつは、演奏会など、行っている場合じゃないでしょう? と言われてしまうはずなほど、日程が遅れている。)
 今度の福原のリサイタルのタイトルが「ロマンティシズムからの旅立ち」と名づけられているのを見て、改めて私の期待は、ふくらんでいる。私は、先日まとめた第2評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア)全体を大きく縦断しているテーマである20世紀の演奏史で、20世紀がロマンティシズムからの距離のとり方の模索であることを指摘した。そして、今世紀は、新しいロマンティシズムが構築されなければならないと信じているのだが、そうした私の立場からすれば、彼女の来年早々のリサイタルは、彼女が、私の信じるクラシック音楽の「未来」の担い手の一人であることを確認する、重要な日になるはずなのだ。そのことだけを書いて、今は、このブログを閉じる。

 ――ほんとうに、時間に追われているのです。無理して、本日、当ブログを更新したのは、もう1カ月以上も更新していないので、テンプレートを強制的に変更してしまうぞ、と警告メールがgooブログ事務局から届いたからなのです。福原彰美のリサイタルは、彼女のホームページで詳しいことがわかります。チケットは「eプラス」の扱いでネットで入手できます。
 ところで、福原は、1月のリサイタルのあと、すぐにシスコに戻って室内楽コンサート。それを終えるとまた3月に日本に戻ってきます。
クリスティーヌ・ワレフスカが待望の再々来日を果たすので、(また、渡辺一騎さんたちが熱心に動いているのです。)そのピアノを担当するからです。さまざま、決まり始めていますし、スタジオセッションでのレコーディングの可能性も模索中です。こちらの詳報も、いずれ。


 
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