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クリュイタンス東京公演/マスネ歌劇「マノン」/モルクとラトルのエルガー/ケネディ、弾き振りのバッハ

2009年03月31日 09時35分30秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)



 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、2001年1月発行号分の再掲載です。ほぼ2000年夏から、その年の暮れまでに発売された新譜が対象でした。


《詩誌『孔雀船』2001年1月発売号掲載「リスニング・ルーム」》


■クリュイタンス、伝説の東京公演がCDで登場!
 一九六四年に当時の常任指揮者クリュイタンスに率いられて、たった一度だけ来日したパリ音楽院管弦楽団の記録。『幻想交響曲』他の1枚と、『ラヴェル管弦楽曲集』の2枚組の2アイテムで、キングインターナショナルから「ALTUS」レーベルで発売された。
 さて、久しぶりに演奏を聴き直してみて、実は「おや?」と思った。正規のスタジオ録音で残されている同じメンバーの演奏とかなり肌合いが違う。それはライヴの熱気があるから、といったレベルではない。特に顕著なのは『ダフニスとクロエ』で、この東京公演は、感情の振幅の大きくうねる音楽として、まるでドイツ・ロマン派音楽のような劇性で歌い上げているのだ。このベルリン・フィルでベートーヴェンやシューマン、シューベルトを録音していた指揮者は、フランス国内ではフランスぶりっこしていて、この極東の地では、体内にある自身の音楽センスが出てきてしまったのか、と思った。上品な仕上りで知られるクリュイタンスのラヴェルは、フランス向けに遠慮していた演奏だったのかも知れない。来日時の演奏は「真にフランス的なもの」を教えてくれたものとして、しばしば伝説的に語られているが、伝説は、オケの音色に関してだけ、正解。音楽の本質では、私はフルネ指揮N響の方がはるかに、日本の聴衆に与えた影響は大きかったと思う。このCDは、むしろ、クリュイタンスのドイツ的なものとフランス的なものとの擦り合わせ方を考え直す上で興味深い演奏、といえる。ミュンシュの演奏もそうだが、意外に、フランスを代表する、と言われている指揮者で真にフランス的な人は少ないのだ。

■フランス語のオペラ『マノン』はいかがですか?
 オペラと言えばイタリア。ヴェルデイ、プッチーニが一番と思っている方は多いと思う。それはそれでいいのだが、フランスにもなかなかの名曲がある。私が好きな曲のひとつにマスネ作曲の『マノン』がある。原作はプッチーニの有名な『マノン・レスコウ』と同じだが、随分ちがう作品になっている。とにかく、フランス語の響きが独特で、それだけでも、イタリア・オペラを聴いているときとは雰囲気がまるで違う。同じフランス語のオペラでも『カルメン』などともまた違う。言葉が、巻舌で、ふわりと舞うような感覚が、旋律にもよく表われていて、耳に心地好い。特に気に入っているのが第2幕。CD3枚組、全5幕と、プッチーニより長丁場だから、このあたりを先に聴いて、その独特の耳に入ってくる感触を知っていただいてもいいと思う。とにかくおしゃれな音楽である。大指揮者モントゥの名盤を愛聴していたが、最新録音が、東芝EMIから登場した。アラーニャとゲオルギューの二人の歌が、ちょっと軽い、悪く言えば薄っぺらな歌い方だが、パッパーノ指揮モネ劇場管弦楽団は、リズミカルで明るく楽しい。モネ劇場は、マスネー作品の初演もしたことで知られるベルギーの歌劇場。ひょっとすると、このオーケストラのメ ジャー・レーベルへの録音は、今回が初めてかも知れないが、しなやかな音楽を身につけていて、なかなかだ。

■エルガー「チェロ協奏曲」に久々の名盤登場!
 イギリスの作曲家中、最もロマン派的色彩の濃い作曲家と言えば、エルガーということになるだろう。ドヴォルザーク、シューマンのチェロ協奏曲と並んで、しばしばロマン派三大チェロ協奏曲のひとつに数えられる作品だが、名演盤となると、先頃夭折の天才チェリストとして一般にも話題になったジャクリーヌ・デュプレが弾いたものが有名だった。
 今回ヴァージン・クラシックスの新譜として東芝EMIから発売されたトゥルルス・モルクの演奏は、新たな名盤と言うに十分な出来栄えだ。トゥルルス・モルクはノルウェー出身の俊英で、伴奏はサイモン・ラトル指揮のバーミンガム市交響楽団。次期ベルリン・フィル音楽監督就任も決定して、ますますレコード会社に自身の希望を要求しやすくなっているラトルが、モルクの才能を高く評価して、この録音が実現したという。
 演奏は、この曲の沈潜した気分を、くっきりとした隈取りと深々とした呼吸で表現し尽くした、と言っても過言ではない見事なもの。夜更けて、ひとりで音楽と向き合うには、これほどの手応えの演奏は、めったにあるものではない。ブリテンの「チェロ協奏曲」がカップリングされ、こちらも、ロストロポーヴィッチ/ブリテン盤以来の名演。新世代コンビの演奏によって、この曲の現代的魅力が鮮明に捉えられている。

■ケネディ弾き振りのバッハ『ヴァイオリン協奏曲』は凄い!
 ケネディは、ナイジェル・ケネデイとして登場して以来、まるでロック青年のような服装で正装で居並ぶ聴衆の前に現れるなど、しばしば、その行動や過激な発言が話題になったヴァイオリニストだが、数年前に、もうコンサートはやらない、と突然の引退(?)宣言をして、「それじゃ、サイナラ」といった感じのデザインのCDを作ってしばらく大人しくしていた。ところが、先頃、名前をただの「ケネディ」に変えてCDアルバムを発表して、健在ぶりをアピールした。そのアルバムは現代社会で窒息しそうになっている抒情精神を、どうすれば蘇生できるかに苦心したと言える意欲あふれるもの(と筆者は信じている)で、思わず身震いするような演奏だった。……で、今度は、自らベルリン・フィルの分厚いサウンドをコントロールしてのバッハの登場である。これは凄い! バリバリのバッハ。「めちゃめちゃイケてる元気印のハツラツのびのびバッハ」とでも形容しよう。。
 有名なBWV1041と1042の協奏曲に2台のヴァイオリンのための協奏曲にオーボエとヴァイオリンのための協奏曲も付いて、全部で4曲が1枚のCDに収められている。どれも皆、生き生きとした律動で伸びやかに演奏される。英EMIの新譜で、輸入盤は相当に凝ったカラフルな解説書も楽しいが、東芝から発売された国内盤が同じ仕様かはわからない。

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五嶋みどり、今井信子の共演/リンゼイSQの新録/佐渡~ラムルーのサティ/「シダリーズと牧羊神」全曲盤

2009年03月29日 18時54分10秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)



 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、2001年7月発行号分の再掲載です。ほぼ2001年前半に発売された新譜が対象でした。


《詩誌『孔雀船』2001年7月発売号掲載「リスニング・ルーム」》

■五嶋みどり、今井信子、エッシェンバッハのモーツァルト
 五嶋みどりの新録音が久しぶりに登場した。『ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調K364』をメインにしたアルバムで、共演はヴィオラの今井信子とエッシェンバッハ指揮北ドイツ放送交響楽団だ。カップリング曲は未完のままの『ヴァイオリンとピアノのための協奏曲 ニ長調K追加56』をウィルビーが完成させたという珍しい作品が、エッシェンバッハのピアノを交えて録音されている。
 この新録音の『K364』の居心地の良さは、なかなかのものだ。穏やかでしなやかな音楽が、どれひとつとして突出せずに、適度な揺籃感の中に達成されている。テンポのわずかの変化も自然に受け渡されて全体を優しさで包み込んでいる。ヴィオラは、この録音でモーツァルトの指定した半音高い調弦で弾かれているということで、そのため、ヴィオラの音は艶やかさ華やかさが増しているはずだが、実際の仕上りは、むしろマイルドな感覚が全体を蔽っている。それでいて、ヴィオラ・パートが対等にくっきりと響くといったものとなっており、幾らか遅めで柔和な演奏に、軽やかで引き締まった表情を添えることに成功している。二人の独奏を支えるオーケストラも、隅々にまで神経が行き届いたこまやかさで全体をまとめあげている。三者の一体感が最大の魅力だ。東芝EMIから発売。

■リンゼイ・カルテット、新録音のベートーヴェン
 一九八〇年代にベートーヴェンの『弦楽四重奏曲全集』を完成させているリンゼイ弦楽四重奏団が、同全集の再録音を開始した。レーベルも、前回と同じく英ASVである。同じ演奏者が、同じレーベルで、これほどの規模の全集を二度も録音するというのは、それほど多くはなく、それだけ彼らが、今日を代表するカルテットとして新たな演奏を世に問う意味があるということだろう。
 実際、私自身の知る限りでも、一九九五年に録音されたモーツァルトの『弦楽四重奏曲第一六番K428』の演奏は、それまでの彼らの演奏と相当に趣の異なったものに変貌していた。メンバーに異動がないにもかかわらずであった。彼らの緊密なアンサンブルは、十分に考え抜かれた明瞭な輪郭の音楽が魅力だったが、ともすれば強弱のくっきりした落差が目立ちすぎるきらいもあった。それが後退し、弱音の色合いにも豊かさが増してきたのだった。今回の新しいベートーヴェンは、その延長上にある。しっかりと組み合ったアンサンブルを基本にしながらも、張り詰めた厳しさより、音楽の息づかいの深さから生まれる奥行が感じられる。極めて現代的でシャープな演奏だが、目の前で生まれたばかりの果実の切り口のようなみずみずしさにあふれた室内楽的愉悦で、聴く者をわし掴みにする。今、これほどの手応えを感じさせるカルテットは他にない。

■佐渡裕/ラムルー管によるサティ管弦楽曲集
 このところ快調の佐渡裕/ラムルー管弦楽団によるサティが仏エラートから発売された。国内盤はワーナーからの発売。久しぶりにフランスのオーケストラの響きを堪能できるCDで、とにかく、一度聴いてみていただきたい。今や、パリ管弦楽団などからは中々聞こえてこない響きだ。特に管楽器の音色がなつかしい。冒頭に収められた「ジムノペディ」を聴いただけで、そのことが実感できる。
 コクトオの台本によるバレエ曲「パラード」は更に傑作。この散らかしっぱなしのガラクタ箱をひっくり返したような曲が、鮮やかな色合いで生き生きと描かれる。リズム処理も見事で、ちょっとはしゃいだ感じの屈託のなさや伸びやかさは、佐渡の手腕が、かなりのものであることを納得させる。この曲はロザンタール指揮の、前衛音楽の騎手としての自負を感じさせるような鋭角的な演奏が、時代の証言のような録音で、その他は意外に安定した訳知り顔の演奏が多い。オーリアコンブ/パリ音楽院管弦楽団の録音もそうだった。だが、佐渡の演奏は、細部の仕掛けがきちんと聞こえて来ながら、全体にみなぎる自在さが洒落ている。
 そのほか、カフェ・コンセールの音楽で有名な「ジュ・トゥ・ヴ(あなたが欲しい)」や「風変わりな美女」など、全35トラックに分かれたサティの小宇宙の全貌は、とにかく楽しい。

■フランス近代音楽の、ギリシャ趣味の珍曲が初登場
 もうひとつ、フランス物を一枚ご紹介しよう。SPレコード期にいくつか録音が残っている戦前の名指揮者のひとりガブリエル・ピエルネは、作曲家としても知られているが、その代表作のひとつに「シダリーズと牧羊神」というバレエ曲がある。その中の一曲として「小牧神の入場」が特に知られた小品だが、意外にも、これまで、抜粋や組曲としての録音はあったものの、合唱付きの全曲の録音はなかったようだ。最近、フランスのマイナー・レーベルである「ティンパニ」という会社から〈全曲収録、世界初録音〉というCDが発売された。演奏は、しばしば来日して在京オーケストラも指揮していたデイヴィット・シャローンとルクセンブルク・フィルハーモニーによるもので、録音は昨年の六月。昨年の秋頃シャローンは急逝しているから、ひょっとすると彼の最後の録音かも知れない。
 「シダリーズと牧羊神」は、ドビュッシーやラヴェルなどにもあったフランス近代音楽のギリシャ趣味に彩られた作品。これまで全曲録音がなかったのは当然といった感もある、少々退屈な作品であることは否定できないが、全曲を通して聴くことによって広がる世界には、それなりの魅力がある。演奏も、これまで抜粋で聴いていた印象を裏切らない好演で、むしろ、曲順を追って聴くことで、バレエとしてのドラマの流れを髣髴とさせる。




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山下和仁のテデスコ/フル二エ秘蔵ライブのバッハ/フルネ~都響のビゼー/フジ子・ヘミングの奇形な音楽

2009年03月27日 10時28分47秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)





 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、2002年1月発行号分の再掲載です。2001年夏から同年末くらいまでの新譜が対象でした。
 もう既に廃盤になったもの、値下げになったものなど様々ですが、アマゾンでは、中古を含めて見つかると思います。ほんとにこのごろのCDの命の短さは「桜並み」ですが、私の7年前の文章は、今でも有効だと自負しています。ギター・ファンの方にはこの山下の名演を……、バッハの無伴奏チェロ組曲がお好きなら、このフル二エ盤を……、フルネの死を悼んで、この永遠の青春の音楽ビゼーを、ぜひお聴きください。フジ子・へミングについては、あの「社会現象」について、何か書き留めておこうと思って書いた一種の備忘録です。もう、すっかり忘れていましたが、こんなことを書いていたんだ、と思い出しました。読み返して私自身が、参考になりました。


《詩誌『孔雀船』2002年1月発売号掲載「リスニング・ルーム」》

■山下和仁によるテデスコのギター曲集『悪魔のカプリッチョ』
 今日、山下は間違いなく、世界の頂点に辿り着きつつあるギタリストだと思うが、それは彼が、自身の高い技術を、自身の体内から湧き上がる生理と一体化させていくという過程を着実に歩んできたからだと思う。最近のリサイタルに於ける山下の演奏からは、ギターが彼の身体の一部になったかのような芳香を放っているのが聴きとれていたが、今回の最新CDには、そうした新境地が十全に記録されている。冒頭の『悪魔のカプリッチョ』を聴き始めた瞬間に、そのことは理解できる。音色の微妙な変化、テンポの微かな揺れ動きなど、どこを採っても、音楽の内側から漂ってくる匂いの豊かさに、背筋がゾクッとしてくる。「楽器」という道具の存在を忘れさせる瞬間が立ち現われてくるのが、最近の山下の音楽の深さであり、凄さであり、これこそが、めったに聴くことの出来ない本物の音楽に触れられた至福の時なのだ。三曲目に収められた『ソナタ』第一楽章での濁りのない素早い動きと、重厚な響きとの対照の妙も、また、四曲目『ロンド/作品一二九』の歌心に溢れた表現もすばらしい。今世紀の前半、ユダヤ系のため故国イタリアを離れてアメリカでの亡命生活を余儀なくされたこの作曲家が残したギターのための作品が、理想的な演奏で一枚に纏められた、この心に沁みるCDアルバムの登場を喜びたい。(日本クラウンCRCC-三二)

■ピエール・フルニエ、秘蔵の東京ライヴが登場!
 しばしば日本を訪れて、数多くの名演奏を聴かせた名チェリスト、ピエール・フルニエの遺産が二枚のCDになって登場した。FM東京の人気番組「TDKオリジナル・コンサート」の保存音源から制作されたもので、TDKコア社からの発売(販売はキング・インターナショナル)。曲目はバッハ『無伴奏チェロ組曲』全6曲で、1枚目に1、5、3番、2枚目に4、2、6番が収められているが、これは各々、一九七二年三月二日と四日に虎の門ホールで行なわれた連続演奏会そのままのライヴ録音だ。放送では時間の都合で三夜に分かれてオンエアされたそうだが、放送用に収録された1曲ごとのフルニエ自身の英語による曲目解説や、演奏後のフルニエの挨拶も最後のトラックに収められているという、今となっては貴重な、フルニエの肉声も聴けるCDとなっている。フルニエにとって五度目の来日。既に六十五歳に至っていて技巧の乱れもあるが、ライヴならではの、時間の経過とともに深まって行く音楽の息使いの豊かさが、聴衆と一体になるような空気感が漂って、不思議な静寂と緊張が交錯した境地を聴かせる。特に第一夜に、そうした良さが色濃く出ている。くっきりとしたリズム感覚の上を滑りながら、芳醇な歌が溢れ出てくる。改めて、フルニエのチェロの魅力に酔いしれた。CDは2枚分売で、規格番号はそれぞれTDK‐OC001および、002。

■フルネ/都響によるビゼー「交響曲第一番」
 これも、ライヴ盤。収録曲目は2曲で、ビゼー『交響曲第一番』が二〇〇〇年五月一三日サントリー・ホール、ブラームス『交響曲第三番』が二〇〇一年六月二〇日東京芸術劇場大ホールの演奏会から採られている。私は、フルネのレコードを一九五〇年代のモノラルLP期のものからかなり収集していて、密かにフルネ・マニアの草分けを自認しているが、演奏会を聴き逃した私としては、思いがけず、名演を聴く機会を与えられて、うれしい限りだ。このCDも私のコレクションの一枚として大切にしたいと思った。特にビゼーが名演。都響の弦が、いつになくしなやかな演奏を実現している。隅々にまで指示が行き届いているのが聴き取れる緻密な演奏だが、音楽が生きて呼吸して、指揮者とオーケストラが一体になって微妙に揺れ動く第2楽章など、聴く者を集中させずには置かない完成度の高い演奏だ。落ち着いたテンポを守り通す第3楽章から終楽章に至って、ビゼーの青春時代の作品が澄み切った世界へ高く飛翔して行く。一方のブラームスも、フルネの独特のレガートにぴたりと追随してゆくオケが見事で、内声部の様々な動きが克明に捉えられていながら、全体を長い息づかいの中に織り上げているのがフルネ流。フルネのブラームス演奏の個性が魅力だ。(フォンテック:FOCD9157)

■フジ子・ヘミングの奇形な音楽
 世捨て人のような生活を続けていた一人のピアニストを紹介したNHKのドキュメント「フジコ~あるピアニストの軌跡」によって大ブレイクしたフジ子・ヘミングは、若き日に掴みかけ、そして目の前から消え去った栄光を心の底に抱いて、静かに余生を送るはずだったのに、にわかに身辺が騒々しくなった。初のCDアルバムは、通常のクラシックCD売上げの十数倍を、あっという間に記録したという。ふだんクラシックのCDを買う習慣のない人までをも動員したということだ。たかが一本のドキュメントが、この忘れ去られていたピアニストを、一夜にして〈商売になる〉ピアニストに変貌させてしまったわけで、とうとうニューヨークのカーネギー・ホールを借切ってのリサイタルの敢行。日本からも三百人を越えるフジ子ツアーの観客が押し寄せたという。そして発売されたのが、今回の『カーネギー・ホール・ライヴ』のCD。この一連の珍現象を、眉をひそめて見るクラシック音楽関係者は多い。だが、私はそうした事より、フジ子が弾く愛奏曲に酔いしれている人々が、彼女の音楽の〈奇形さ〉に早く気付いて、再び彼女の生活が静謐さを取り戻すことを願っている。
 彼女の音楽の奇形さ、それは、〈ひとり遊び〉を繰り返した子供の異常さだ。ひとりのピアニストを、これほどにまでしてしまった孤独の残酷さを思うと、そら恐ろしくもなるが、フジ子の音楽は誰にも踏み込めない〈秘密の花園〉と化したまま、おそらく永遠に扉は開かれない。だが、彼女の音楽を夢中で聴く大半のファンは、まだ、そのことに気付いていない。(ビクターVICC60261)



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小澤征爾のニューイヤー/湯浅卓雄の矢代秋雄/二期会の黎明期を聴く

2009年03月25日 10時26分51秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)




 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、2002年7月発行号分の再掲載です。2001年末から2002年初夏くらいまでの新譜が対象でしたが、この年の新年は、「小澤征爾~ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート」が話題となりました。いつものようにCD4点について書くというパターンを守れず、小澤で2コマ分を使ってしまい、その後の2コマも日本人演奏という趣向でまとまりました。ブームというものは、いつもそうですが、この年、普段は見てもいなかったニューイヤー・コンサートをテレビで見て、CDまで買ってしまった「にわかニューイヤー・ファン」は、結局、姿を消してしまいましたね。

 ところで、一昨日の当ブログの「ラトル論」以降、この『孔雀船』掲載の新譜評で、ラトルに触れているものが、3回ありました。ブログ掲載日は昨年の「8月13日付け」「8月9日付け」「7月18日付け」です。変遷に関心を持っている指揮者のひとりなので、ずっと追いかけているのですね。昨年の初冬に発売された『幻想交響曲』について触れ損なってしまいましたが、「7月18日付け」はベルリン・フィルとの「マーラー/9番」です。ラトルに懐疑的になってしまった私のラトル観が現れています。ベルリンという国際都市は、やはり魔物です。


《詩誌『孔雀船』2002年7月発売号より転載》

■窮屈で息苦しい小澤の「ニューイヤー・コンサート」
 実は私は、「ウィーン・フィル/ニューイヤー・コンサート」のレコード、CDを歴史を追ってずっと買い集めて聴いていて、相当なマニアであると自負している。一九九六年(マゼール)のCDには、演奏解説を執筆・掲載して、この歴史あるウィーンの年中行事の今日的意味を考えてもいる。では、驚異的な売上げ枚数を記録した小澤征爾による今年の「ウィーン・フィル/ニューイヤー・コンサート」のCDはどうだったろうか? それについて、少々書かせていただくことにしよう。
 小澤のニューイヤーは、細部にこだわり、テンポの緩急の微妙な変化や音の伸び縮みを事細かに指示し続けているのがテレビの画面からストレートに伝わって来たが、音だけのCDで聴くとそのことは、ますますピュアに聞こえてくる。生まじめな勉強会のような分かりやすさで、それこそ、1小節ごとに注意書きが書込まれた譜面をひとつひとつ押さえて行くかのような丁寧さだ。リズムの自然な発露が欠けている。生硬で未消化だから、絶えず息苦しい。いったい、これは、どうしたことなのだろうか?
 ウィーン・フィルの演奏するシュトラウス一家の音楽で、小澤ほどきちんと指示をしている指揮者はいないと書いた人がいたが、それは違う。過去のマゼールやアバド、ムーティ、アーノンクールなど、それぞれにオーケストラに対してある種の暴君ぶりで、強い意志力を感じさせる(その意味では、多分に意図的なあざとさのある)演奏だったが、それぞれ、自身のイメージする音楽が、生き生きとしたリズムに誘導されて大きく深呼吸して放射されていた。
 「ウィンナ・ワルツの独特の三拍子を表現するのは、生粋のウィーン育ちでないと難しい」というのは、よく言われることだが、私が言いたいのは、そういうことではない。私が欲しいのは、どんな形であれ、自身の音楽的感性や生理への自信から生まれる生気にあふれた音楽なのだ。懸命に指揮を続ける小澤の痛々しい姿が目に焼き付いてしまった今年のニューイヤーは、今更ながらに、日本人演奏家がまだ、ほんとうの意味で西洋音楽の中に自分たちの感性を確立し得ていなかったということを曝け出してしまったのだと思った。そうした意味で、シュトラウス一家の音楽の持つある種の特異性は一番の試金石なのかも知れない。シュトラウス一家の音楽は、構造的に捉えるだけでは済まない生理的な要素に支えられた部分が多くあるからだ。それが血肉となっていない者にとっては、自身のルーツを堂々と打ち出す強靱さが必要だ。私たちは既に、シュトラウス一家の音楽の様々な演奏を知っている。例えばアメリカではボストン・ポップスがミュージカル映画のように、イギリスではプロムスが元気いっぱいのブラスバンドのように、フランスは大賑わいのレビュー音楽のような色気たっぷりの演奏だ。では日本はどうなのだろう。未だに見よう見まねでギクシャクと硬い表情で踊っていた(らしい)明治期の鹿鳴館の舞踏会から、それほど変っていないのではないだろうか。自分流に消化されていないのだ。その克服を、小澤の次の世代の登場まで待たなければならないのかは、まだわからない。

■ナクソス「日本人作曲家選輯」で矢代の傑作が聴ける
 矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」と「交響曲」を収めた新しいCDがナクソスの1000円盤で登場した。演奏は一九九〇年に英EMIからCDデビューして以来、主にイギリスを中心に活躍している湯浅卓雄の指揮するアルスター管弦楽団。ピアノは岡田博美である。
 矢代は四〇歳代後半という若さで一九七六年に世を去った作曲家だが、この二曲は、それぞれのジャンルの日本人作品を代表する傑作と讃えられている。録音も多く、少なくとも前者は5種、後者は4種ある。どちらの作品も、日本人が耳を澄ますような響きといったものが随所にあって、日本人の感性が強く押し出された作品だが、それと同時に、両大戦間の不安感が漂う時代に作られたヨーロッパの音楽(例えば、バルトークやオネゲルのような)の持つ緊張を追体験しているような、学習成果のみられる作品であることも事実だ。前者は一九六七年、後者は一九五八年に作曲されているから、西欧人にしてみれば時代錯誤の面もあったかも知れない、と今は思うが、発表当時は、「やっと、こんな凄い曲を日本人が書いた」といった思いを持ったものだった。月日は巡り、初演者による八〇年代の再(再々)録音(前者はピアノの中村紘子、後者は指揮の渡辺暁雄)は、作曲者の当時の意図を深化させ、ますます不安感をベースに置いた緊張に厚みが増した演奏となった。これは、作曲者ゆかりの演奏家として、解釈の完成度が高まったということだが、湯浅らの新録音は、そうした要素を後退させ、純粋にシンフォニックな響きで貫かれているところに、この作品の普遍性を探ろうとしている新鮮さが感じられる。

■「二期会」の黎明期を聴く貴重なアルバム
 今回は、日本人と西洋音楽との関わりの歴史を考えるCDが続いたので、最後にもう一枚。これは戦後の一九五二年に結成されて以来、日本のオペラ界をリードしてきた「二期会」の創立五〇周年記念CDとして制作されたアルバムである。(ビクター・エンタテインメントから一般市販されている。)
 結成期の歌手たちの名唱を集めたものだが、総勢二〇人のため、ひとり一曲、収録時間三分前後なので、かなり慌ただしいが、それでも、貴重な音源の連続である。それぞれ、ほんとに短い時間の歌唱で、音質も万全とは言えない録音だが、私は、一曲聴き終えるごとにCDプレーヤーのポーズボタンを押して、しばしの沈黙の時間に様々なことを思った。
 大正の末期にドイツから帰国した山田耕筰や藤原義江らによって勇気ある一歩が踏み出されて以来、日本のオペラ運動に、どれほど多くの人々が真剣に取り組み、今日を築いてきたのだろうかと思う。それほどに、一曲一曲に込められた凝縮度が高い。戦前の声楽界・オペラ界の活動を第一期と捉え、戦後の混乱期の中から生まれた自分たちの活動を第二期と捉えて名付けたという「二期会」の黎明期を支えた人々の真摯さに触れることができる貴重なCDだ。そして今日、日本のオペラ界は第三期をめざすべき時に差し掛かっている。





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ラトルの「第九」が発売された頃/五嶋みどりのデビュー20周年アルバム

2009年03月23日 11時24分20秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)






 本日の「ブログ・カテゴリー」の「新譜CD雑感」は、10年以上前から、私が半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。
 本日は、2003年7月発行号分の再掲載分で、2002年末から2003年初夏くらいまでが対象でしたが、いつものようにCD4点について書くというパターンを守れず、「ラトル~ウィーン・フィル」の「ベートーヴェン交響曲全集」に3コマを割いてしまいました。まだほとんどの人が「ラトル」に関心を持っていなかったころから注目していた私としては、書きとめておきたいことがあったからですが、それはまた、私自身の1980年代からのラトル論を振り返ることでもありました。
 できることなら、先日、21日付けの当ブログなどと、合わせてお読みくださることをお願いいたします。
 なお、『孔雀船』掲載の新譜評でもラトルに触れているものが、このほかに3回ありました。ブログ掲載日は昨年の「8月13日付け」「8月9日付け」「7月18日付け」です。変遷に関心を持っている指揮者のひとりなので、ずっと追いかけているのですね。昨年の初冬に発売された『幻想交響曲』について触れ損なってしまいましたが、「7月18日付け」はベルリン・フィルとの「マーラー/9番」です。ラトルに懐疑的になってしまった私のラトル観が現れています。ベルリンという国際都市は、やはり魔物です。

《詩誌『孔雀船』2003年7月発売号より転載》

■世代交代を決定付けたラトルの「第九」
 戦前からのフルトヴェングラー時代を経て、戦後、紆余曲折の末にカラヤンが長期にわたって君臨していた名門オーケストラ、ベルリン・フィルは、アバド時代という過渡期を終えて、若きサイモン・ラトルが音楽監督に就任した。世代交代は、確実に進んでいる。
 第二次大戦後の音楽演奏は、率直な感情表出への懐疑、屈折した抒情精神、作意的に再構築された感動のドラマ、といった様相を呈していたが、半世紀を経過して、新たな二十一世紀という時代に相応しい演奏が若い世代から生まれてきている、というのが最近の傾向だ。ラトルのベルリン・フィル就任は、中でも象徴的な出来事だと思う。
 実は、私は一九八九年六月の『レコード芸術』誌(音楽之友社)に、当時編集部に所属していたH氏の求めに応じて、ラトルへの賛辞を寄稿しているのだが、その時、H氏が「レコード業界に長くいてレコード・CD評を執筆している方々は、今後どうなるかわからないラトルの特質に戸惑いがあるようで……」と語っていたのを、今でも憶えている。おそらく日本の音楽誌に掲載された物としては、ラトルに関する最初の署名記事だと自負している私の主張は、端的に言えば「ムキになるのはダサイんだよ、おじさん、と言っているような小気味よさ」に真価があるというものだった。
 誤解していただきたくないのは、ここでいう「ムキになっているおじさん」とは、フルトヴェングラーに代表される世代のことではない。第二次大戦後の世代のことである。直接的なラトルの先行世代に対してである。ラトルの演奏は、グイグイと迫ってくる重々しいものではなく、重々しさに意識的に抗うものでもなかった。心地好いビート感とでもいうもので、すいすいと駆け抜けていく自然な爽快感に本領が発揮されていた。
 ラトルは、幼いころ、フルトヴェングラーの演奏をレコードを通して聴き、感動したと語っている。フルトヴェングラーの演奏のベースとなっている時代背景をまったく実感しないところで育った世代が、フルトヴェングラーの「天才的に発露する感情表現」という美質だけをピュアに受けとめ、自分のスタイルで純粋に発信し返そうというのがラトルの演奏の本質だと思っていた。私はそれを、「戦後、屈折してしまった抒情精神が、やがて二十一世紀に相応しい形に姿を変えて復活する予兆」だと感じていたが、それが本格的に実現するためには、ラトル自身が、自分の意のままに動くオーケストラを離れ、内包している音楽が勝手に走り出すほどの、びくともしない伝統を根付かせたオーケストラと向き合うことが必要だと思っていた。そして、そのことは、ラトルほどの才能の持主ならば、とっくに気付いているだろうと思い、いち早くある音楽誌に「ラトルは、いずれ、歴史と伝統のあるオーケストラで、古典的作品に挑戦するだろう」と書いたのだが、その数ヵ月後に、ラトルのベルリン・フィルへの移籍が発表され、ついに、ウィーン・フィルとの「ベートーヴェン交響曲全集」発売となったわけだ。私としては、感慨無量のものがあるが、先行して発売された「第九」(写真)は、正に、私が想像していたとおりのものだった。第一楽章から、その繊細な響きによる内声部のきめこまかな動きのひとつひとつが生き生きしていること、それらが有機的に連なって、淀みなく駆け抜けて行く様に驚かされる。細部を十全に語りながら、直截な力強さで全体を大きく一飲みして語りつくしている。第二楽章の木管群と弦楽とのやりとりの小気味よさ、次第に高まる音楽のうねり、中間部での軽やかで伸びやかなひと繋がりの長い呼吸も快感で、そうした息の長さは第三楽章に至って、さらに昇華してゆく。あくまでも淀みなく滔々と流れていく音楽は、テンポや強弱が、まるで生き物のようにわずかに変化しながら進行し、終楽章へと向かっていくのだ。
 ラトルの本質は、デビュー当時から、少しも変わってはいない。「ムキになって頑張らなくてもいいんだよ。ほら、こんなに音楽は豊かに語ってくれるし、こんなに幸福なんだよ」……と言っているような伸び伸びとした「第九」である。これを、いわゆる古楽器奏法の影響で解説する人は多い。確かにサウンド的にはそう言える部分もあると思う。だが、ラトル自身の音楽性から発せられているものが、その根底にあることを見逃してはならないと思う。私が『レコード芸術』誌に寄稿した際に俎上にあったのはストラヴィンスキーの『春の祭典』だったが、大編成ながら内声部がくっきりと濁りなく聞こえ、自在に伸び縮みするフレージングの陶酔感は、少しも変っていない。ラトルが天性の音楽家であることの証明だ。昨今は「第九を聴いて感動する」ということ自体が懐疑的になってしまっているが、そうした「第九」の19世紀的ロマンティシズムを今日的に軽やかに受け止めているラトルの音楽の原点については、今後も、じっくりと考えてみたいと思っている。

■五嶋みどりの「20周年記念アルバム」
 昨年、わずか十歳の時にアメリカのカーネギー・ホールで衝撃的なデビューを飾り、天才少女ヴァイオリニストと絶賛された五嶋みどりが、昨年、ついにデビュー20周年を迎えた。このCDは、それを記念した「アニヴァーサリー・アルバム」で、日本だけの限定発売だという。
 天才、神童、と言われてデビューした演奏家で、順調に成長していく人は少ないが、特にヴァイオリン奏者に、そうした失速例が多いのは偶然ではないと思う。若い頃(幼い頃)には思う存分に弾き切っていたものが、あるところで分別をわきまえてしまう、といったところだろうか? これはヴァイオリンという楽器の特性にも絡む問題で、あまり軽はずみなことは言えないが、ピアノとは大きく異なっていることだと思っている。感じることと、考えることとのバランスの取り方がむずかしいのだと思う。五嶋みどりは、順調におとなになったと思う。
 現在、彼女ほどに深く確保された息づかいを保ちながら、美音そのものの魅力を存分に発揮できるヴァイオリニストはなかなかいない。是非、お聴きいただきたい。曲目はヴィエニアフスキーの協奏曲第一番のほか、小品が六曲。協奏曲は、全米で放送され好評だった録音の初CD化。小品では特に、ポルディーニの「踊る人形」が魅力的だ。




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私の「サイモン・ラトル論」【1996年版】

2009年03月21日 17時52分07秒 | クラシック音楽演奏家論





 以下は『新・クラシックの快楽』(洋泉社ムック)に掲載した「サイモン・ラトル論」です。執筆は「1996年7月22日」とフロッピー・データには記録されていますから、1996年の9月初めには発行されていると思います。ラトルがベルリン・フィルの音楽監督に就任する前どころか、まだ、次期音楽監督としての決定もしていなかった時期に書いたものです。もちろん、ウイーン・フィルやベルリン・フィルとの一連の録音が開始される前です。ベルリン・フィルの次期音楽監督にラトルが発表された時、「予言どおりになった」と感慨が深かったのを思い出します。
 当ブログ内での2008年8月26日掲載の「ラトルが日本でCDデビューした頃」のレコード芸術誌に掲載した文章、当ブログ内での2008年9月12日掲載の「ラトル22歳の録音」のCDライナーノートを、合わせてお読みいただきたく思います。


■サイモン・ラトル

 ラトルは1979年にバーミンガム市交響楽団の首席指揮者となり、翌年には同響の芸術顧問にも就任している。25歳という若さでの就任だが、それ以降ラトルは、このオーケストラとの関係をじっくりと熟成させることに専念してきた。最近、降板が発表されたが、それまでの15年以上の長い間、他のメジャー・オーケストラからの就任依頼を全て断ってきたのは、最近の指揮者の経歴では異例のことだ。たいていの場合少し名前が上がると、いわゆるランクの上のオーケストラへと移っていく。それが、言わば〈やとわれマダム〉のようなものだということを、ラトルは、自らの活動の成果で示してきた。ひとつのオーケストラに腰を据えることで、自身の音楽語法をオーケストラに徹底して浸透させてきたのがラトルだが、それには、ラトルの就任当時、バーミンガム市響の音に、まだ固有の伝統が育っていなかったことがある。ラトルは、自身のオーケストラであることを徹底して利用して、充分な練習時間、奏法上の実験、作品固有の語法の修得、それに必要なメンバーの配置転換などを行っているという。それが例えば、ラヴェル、ドビュッシーなどのフランス近代作品、シェーベルク、ベルク、などの新ウィーン派作品、そして、ハイドンの交響曲、とそれぞれが別個の語法を持った作品を演奏した時に、驚くほどの成果を生んでいる。古楽のジャンルでは、それぞれの指揮者が自身のオーケストラを持ち、奏法からアプローチしていくのが常識だが、近代オーケストラを指揮するという行為を、これほどまでに徹底して戦略化してきた指揮者はいない。ラトルは、自身の持ち味をオーケストラの伝統とすり合わせながら指揮するという方法を取らない。ベルリン・フィルへの客演に於いても、ラモーでは古楽奏法を徹底させ、ガーシュインでは、その独特のリズム構造の練習を要求したという。
 だが、ラトルの創り出す音楽が常に意欲的で、新鮮で刺激的な視点を提供しているのは、そうした方法論の手なみによるものではない。それらは手段に過ぎないのだ。ラトルの音楽が魅力を生み出している最大の要因は、様々な音のひだに分け入っていく鋭敏な耳にあると思う。
 例えば、ストラヴィンスキー「春の祭典」。これは、荒々しく大仰な身振りが抑えられ、折り重なる音の素材は、横に連なるものと点描的に置かれるものに敏感に聴き分けられている。的確な間合いを計測しながら、最小の変化で大きな効果を引き出そうとする演奏だ。そのために、スイスイと走り抜けていく疾走感が前面に出ていて、そのさらさらしたビート感覚も魅力だ。ラトルはスコアに書込まれた素材から、底流にある連続したリズム要素を探りあて、精妙に繋いでいく。
 ラトルのそうした個性に驚かされるものに、シベリウス「交響曲第2番」がある。84年に録音されたこの演奏は、はじめの数分間を聴いただけで、これまでの誰の演奏とも異なる斬新さにあふれていることが聴きとれる。シベリウスの断続的な旋律を、背後にある小刻みな律動の連続的な動きを主体にして乗せていく。その心地よさは不思議な感覚だ。
 マーラー「交響曲第6番」でも、そうした特徴が顕著だ。抜けるようなリズムの冴えが、マーラーのぎくしゃくした旋律の動きを呑み込んで、力みのない流動感が実現されている。
 ラトルの演奏には、音楽のメリハリを劇的に付けたり、クライマックスで大きく見得を切ったりといった、彼に先行する世代が持っている様式感がない。軽快にドライヴしてゆく走りのよい音楽だ。そのこだわりのなさが、ラトルの現代性であり、我々の時代の新しい感性の可能性を切り拓く鍵なのだ。こうした特質は、サロネンやナガノにも共通しているが、その中にあって、ラトルの場合、その実現した成果が際立っているのは、彼自身の才能もさることながら、オーケストラの掌握力の差が大きく貢献しているに違いない。
 ラトルは、自身の音楽世界を実現するために、オーケストラを思う存分に操ってきたが、その成果を録音して世界に問うにあたっても、レコード会社に、かなり強い自己主張をしてきたようだ。それは、これまで発売されたものを見ても歴然としている。商業的理由での安易なラインナップに協力しているとは、とても思えないレパートリーだ。そして、既に60点ほどになるラトルの録音が、マーラーの作品を除いては、ロマン派の作品が、ラルフ・フォークトの伴奏を引き受けたシューマンとグリークの「ピアノ協奏曲」と、ベルリン・フィルを振ったライヴ録音のリスト「ファウスト交響曲」以外には皆無だという奇妙な現象に気付く。このあたりに、バーミンガム市響を辞任した後のラトルの行動を解く鍵があるかも知れない。
 かつてフィルハーモニア管と来日した折りのシベリウスは、ラトルのリズムの流動感と、オーケストラ側の力みと粘りで抒情的に描こうとする方向とのギャップが、その後のバーミンガム盤と異なっていて興味深かった。ところが昨年、バーミンガム市響との来日で聴かせたブラームスは、まるでマルチ録音の現場に立ち合ったような細分化された面白さばかりが前面に出ていて、全体の有機的な結び付きには欠けていたのを思い出す。
 ラトルに、その青春時代に影響を与えた指揮者は、実は、およそ彼の個性からは想像できないことだが、レコードで聴いたフルトヴェングラーなのだという。確かに、「春の祭典」(バーミンガム盤)ですら、ラトルの演奏は、その軽快な疾走感と同時に、「春のロンド」の部分では音が自在に伸び縮みする独特の気分の耽溺があって、このあたりに、ラトルの音楽の別の側面が感じられた。ラトルがロマン派の音楽に本格的に取り組むとしたなら、こうした傾向を有機的な響き合いの中で実現するために、伝統に育まれたオーケストラ集団との共同作業を目論む可能性は大いにある。ベルリン・フィルへの客演で録音された「ファウスト交響曲」の響きからも、それは想像できるのだ。もし、ラトルのロマン派音楽の録音が、そうして開始されたならば、ラトルの描くロマン派音楽は、第2次大戦後に一度死滅した感情の大きな振幅に寄り添って成り立つ音楽の、現代的手法での再生という途方もない、しかし、来たるべき新しい世紀にふさわしい潮流の先頭にラトルがいる、ということの証明になるだろう。



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クラシックLPコレクター対談(8)■モノラル期のドイツ・グラモフォンLPを追って(続き)

2009年03月19日 07時13分35秒 | LPレコード・コレクション







 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町の月刊タウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。
 今日はブログでの「第8回」です。


■対談:オリジナルLPを追う(その4)
(今村享+竹内貴久雄)


竹内:前回は、ドイツ・グラモフォン(以下、DG)のモノラルLP期のジャケットの変遷を見てきましたが、今回は、その続きということで、まず、モノラル期の総括をしましょうか。DGのモノラル期の特徴はなんでしょうね。
今村:ドイツ・グラモフォンというレーベルは、モノラルLP期までは、ドイツ・オーストリア圏のドメスティック・レーベルという印象があります。それが、ステレオ時代以降、急激にインターナショナルなレーベルへと発展していった。それを引っ張って行ったのが、カラヤン。そして70年代以降は、バーンスタインが加わりました。
竹内:そうですね。モノラル期はオーケストラ曲だけを見ても、フリッチャイ、フリッツ・レーマン、フェルディナント・ライトナー、といったあたりが中心で、フルトヴェングラーなどは、イギリスのインターナショナルなレーベルである英HMV=EMIへの録音がメインでしたね。ベームを起用した一連のステレオ録音は、ドメスティックなレーベルとしての、最後の大仕事といった位置付けも感じます。
今村:モノラル期のDGのカタログは、曲目もあまり完備していないんですよ。だから、シューマンの交響曲も二番が欠けていて、それを埋めるために、当時提携していたアメリカのデッカにあったバーンスタイン/ニューヨーク・スタジアム交響楽団による録音を取り入れた節があります。
竹内:なるほど。
今村:マルケヴィッチにベルリオーズなどを振らせているのも、カタログの穴埋め的な意図があったでしょうし、ピアニストはフォルデス、ロロフ、アスケナーゼなどに加えて、フランス物のために、モニク・アースを呼んだりしています。でも、全体としてはやはり、ドイツ・オーストリア圏ローカルといった弱さがあります。非常に手薄ですよね。ヴァイオリンはシュナイダーハンとヴァルガくらいが目立っている程度でしょう。
竹内:そのころまでのレコード文化の中心は、イギリスとアメリカなんですよね。そして、どちらの国でも「犬」と「音符」の二つのマークが席捲していた……。
今村:DGで曲目が一番充実しているのは歌手物でしょうね。これは、かなりの量のラインナップです。オペラ・ハウスをたくさん抱えたドイツ・オーストリア圏の底力でしょう。竹内:いずれにしても、この50年代という時期は、演奏スタイルに地域特性が色濃く残っていたから、今、この時期のDGが録音した演奏を聴くと、独特の味わいがありますね。この時代、ドイツで温泉に行って湯に浸かりながらポスター見て、あ、地元のオーケストラ・コンサートあるんだ、行ってみよう、って聴いたら、こんな感じの演奏だったりして……(笑)
今村:そう。今では死に絶えたスタイルの演奏といった懐かしさがあって、よくぞ残しておいてくれた、という感じですよね。
竹内:メンデルスゾーンの「ピアノ協奏曲」で、演奏がヘルムート・ロロフのピアノ、伴奏がフリッツ・レーマン指揮バンベルク交響楽団といった初期LPも、正にその通り、といった演奏ですよ。
今村:モノラル期DGでなければ出てこないアーティストの組合せですね(笑)
竹内:あと、こんなのもあります。廉価盤10インチの一七〇〇〇番台系列の盤で、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ミュンヘン・フィルによるリストの「メフィスト・ワルツ」とワインベルガーの歌劇《バグパイプ吹きのシュワンダ》からの「ポルカとフーガ」。これはカラヤンが好んでいた曲ですね。56年前後の録音で、ドホナーニの最初期、27歳くらいでしょう。リューベック歌劇場の音楽監督に抜擢されて、当時ドイツ最年少の音楽監督と注目された時期の、おそらく、デビュー録音ではないかと思っています。
今村:これは珍品ですね。
竹内:ローカル色が強かった時代ならではの物でしょうね。よくぞ残しておいてくれたっていう……(笑)
今村:まあ、この時代のDGは、今となっては聴けないものを聴く楽しみがあります。演奏に独特の雰囲気があって、それは、CDで復刻されないものほど、そうですね。
竹内:ところで、先程、米デッカとの提携のお話が出ましたが、60年代の初期にDGにはポツンとフィルクスニーのピアノで「展覧会の絵」があるでしょう。あれは、その提携期の名残りではないかと思うんですよ。
今村:なるほど。米デッカでその直前まで、フィルクスニーは録音していましたね。エリカ・モリーニと組んで。
竹内:そうなんです。ただ、私は、フィルクスニーの「展覧会の絵」の米デッカ盤というのは見たことがない。このあたり、どういう経緯があったのか、もう少しコレクションを深めて行かないと、分からないですね。
今村:竹内さんは、マゼールのレコードでは筋金入りのコレクターだから、その方面から、DGと米デッカの提携期の現物をかなりお持ちでしょう?
竹内:その通りなんですよ(笑)。ただ、残念ながら、デビュー録音の「ロメオとジュリエット」集の米デッカ盤はまだ持っていないんですが、それに続く同じく57年録音のストラヴィンスキー「火の鳥」「夜鳴きうぐいすの歌」の米デッカ盤は、ステレオ盤とモノラル盤と2つとも持っています。ドイツ盤とはまったく違うデザインです。
今村:なかなか、きれいなデザインですね。これはめずらしい。さすがマゼール・コレクターですね。
竹内:そうそう、今村さんにお聞きしたかったんですが、この翌年になる58年録音のブラームスの第三交響曲の米盤。これはDGのマークの付いた黄色い横長の枠の中に文字を入れたスタンダードなデザインですけれど、マゼールの写真をあしらったドイツのオリジナル盤とはまったく違うでしょう。ブラームスの顔になってる。
今村:これはヨッフム/ベルリン・フィルの同じ曲のLPのデザインですよ。見たことがある。
竹内:ええ! でも、これはマゼール/ベルリン・フィルですよ。
今村:ほんとだ。何ですか、これ。
竹内:裏を見るとわかるけれど、これは、米デッカ盤です。製造、発売がデッカとなっています。だから、米デッカでも、デッカのマークではなく、グラモフォンのマークで発売した時期が、ほんのわずかあったということでしょう。
今村:そういうことですね。このあたりは、私もあまりくわしくないので……。この後ですね、ヨーロッパ直輸入と明記した厚手のダブル・ジャケットに入った米盤のDGが登場するのは。ファクトリー・シールドとも書かれている。これは使用されている絵柄もドイツのオリジナルと共通になりますが、発売がデッカからMGMレコードに代りましたね。
竹内:そうですね。厚手のダブル・ジャケットというところはフランス盤と似ていますが、別のものです。このころは、各国で別々にジャケット製作をしていたようですね。フランス盤にも、ドイツ盤と違う絵柄のものが61年録音の物までは、いくつかあります。
 ところで、米盤でいうファクトリー・シールドは、レコード盤そのものをビニール袋に入れて封をしてあるという意味で、ジャケットの印刷はアメリカです。一度、そういう未開封の物を入手しました。
今村:そういえば、日本でも、この62年頃まで、別デザインで発売されていましたね。
竹内:マゼールのレコードでいうと、62年録音の「ピーターと狼」で、やっと、独、仏、英、米、日、各国の絵柄が統一の物になりました。そして、一九七〇年には、DGがアメリカでポリドール社を設立して、DG盤のMGMからの発売が終わりました。ソフト・ジャケットに入ったドイツのオリジナル盤の解説が独、英、仏三ヵ国併記になったのは、この時からではないかと思います。ただ、その直前、61年録音のフランクの交響曲や62年録音のチャイコの四番などが、MGMの製造、発売のヘリオドール・レコードのマークで出ているのが、よくわからないんですよ。
今村:それは廉価盤でしょう。セカンドで、しかも米プレスの廉価盤ということですよ。DGが国際共通ブランドになってからのヘリオドールとは違いますけど。
竹内:ということは、DGのアメリカ盤の変遷は、①デッカ、②デッカ発売のDG、③MGM直輸入のDG、④MGM発売のヘリオドール、⑤DGによる英・米、独、仏統一、という順序になるのかしら……。
今村:まあ、そうでしょうけれど、③④は並行していたでしょう。直輸入を止めたということではないと思いますよ。いずれにしても、米MGMが直輸入を開始したときから、レコード番号は独・米共通になって、混乱がなくなりました。62年頃でしょうか。もともと、英・仏は独自のデザインで発売していた頃から番号だけは同じでしたから、レコード消費大国では、別番号を使用し続けたのは日本くらいですね。
竹内:次回は、ステレオ時代のDGをじっくりと見ていきましょう。


(写真/キャプション)

▼米デッカ盤のマゼール/ベルリン放送響「ストラヴィンスキー/火の鳥、夜鳴きうぐいすの歌」(57年録音)



▼米デッカ製造発売のグラモフォン盤、マゼール/ベルリン・フィル「ブラームス/交響曲第3番」(58年録音)


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クラシックLPコレクター対談(7)■モノラル期のドイツ・グラモフォンLPを追って

2009年03月17日 10時22分22秒 | LPレコード・コレクション







 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町の月刊タウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。
 今日はブログでの「第7回」です。


■対談:オリジナルLPを追う(その3)
(今村享+竹内貴久雄)

今村:DG(ドイツ・グラモフォン)がクラシックの本流という意識が、いつのまにか強くなってしまいましたね。
竹内:LPマニアは「音符」と「犬」の二大マークが絶対だったんだけど、最近はかなり様子が代わってきて、初期オリジナルLP盤の市場でも「黄色」のグラモフォンが目立つようになりましたね。
今村:DGは二大レーベルほど、まだ、オリジナル盤の流れが研究・整理されていませんから、そのあたりを考えてみましょう。DGのLPは、ジャケット右下に発売の「年・月」表記がきちんと付けられていますから、まず、それが手がかりになります。
竹内:そうですね。ただ、あの表記は初出の表記とは限らず、たくさん売れて何度もプレスしたものは、そのたびに同じ規格番号のまま更新されるので、気を付けないと……。
今村:ええ。本で言えば、初版第一刷の表記を省略して、いきなり第二刷、第三刷の表記だけ書かれているようなものですね。まあ、ドイツ人的に几帳面ではありますけれど。
竹内:DGが最初にLPを発売したのは、いつですか? 米コロンビアから世界初のLPレコードが発売されたのは一九四八年ですが。
今村:DGは一九五二年です。二つ折の、単純なクリーム色のジャケットで、表紙に文字が入っているだけで、作曲家の名前のところに直筆サインをあしらったのが、唯一のデザイン要素というような、楽譜の表紙みたいにシンプルなものです。背文字もレコードを収める周囲も布張りで蔽って作られた堅牢なジャケットで、年月表記はありません。この形で、一年くらい経過しているはずです。
 年月表記のある物では、私の手元では、一九五三年六月と表記されたものが、一番古い物です。これは、デザインは同じですが、レコードを収める部分が糸かがりに変わり、年・月表記が入るのは、この形のジャケット以降です。ところが、その数ヵ月後、八月、九月あたりの発売で、表紙デザインが大きく変わります。もちろん、作曲家サインをあしらった文字だけのシンプルさは同じですが、初期のDG盤としては一番よく見かける、タテに三分割して真ん中3分の1を黄色くしたものです。DGのシンボルカラーは、この時生まれたんですね。
竹内:なるほど。ただ、まだ二つ折のままで、糸かがりですね。
今村:ええ、ただ、レコードを収めるポケットにビニールを一緒に綴じ込むようになります。これも大きな変化です。この「ビニール綴じ込み糸かがり」という形態は、この後しばらく続きます。30センチレギュラープライスの一八〇〇〇番号も、25センチLPの一六〇〇〇番号も、です。ステレオ盤が発売される一九五八年頃まで、ずっとです。
 ただ、これとは別に廉価盤のシリーズが、一九五四年の終わり頃から始まります。規格番号は30センチの一九〇〇〇と25センチの一七〇〇〇ですが、これはカラフルな絵入りのジャケットです。レギュラー盤の表紙がカラー化されるのはステレオ盤からです。ステレオ登場の時に、一番見慣れているマークを広げた黄色い枠の中に文字を入れたデザインになって、CD時代の現在に至るまで、そのまま受け継がれているわけです。
竹内:ベンツのデザインみたいに、ずーっと変えないんだ、ドイツ人は……(笑)
今村:最初期に、先程言ったような試行錯誤があること、通販や教育用の別バージョンが若干あることくらいでしょう。非常にわかりやすいですね。
竹内:ただ、後になって再発売した時に、番号はそのままで、デザインを後の時代の物に変えてしまったというのがあるでしょう。
今村:ええ、そうなんです。一度作ったものを、廉価盤化するのでない時には、規格番号を変えないで発売する、というのもドイツ的几帳面さでしょうか? 一九九八年に音楽之友社から発行された『ドイツ・グラモフォン完全データ・ブック』に掲載されているLP第一号の写真(編集部註/12ページ「フリッチャイ指揮「真夏の夜の夢」一八〇〇一)は、黄色タテ帯もない文字だけのものが本物ですが、掲載されている写真は、一九〇〇〇系列の廉価盤カラージャケットに合わせた何代も後のデザインです。こういうカラー化の例もありますが、文字だけのデザインで、糸かがりのないシングルジャケットの再プレスものは、かなりありますね。
(以下次号)




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クラシックLPコレクター対談(6)■オリジナルLPで、様々の「謎」を解く

2009年03月15日 10時21分22秒 | LPレコード・コレクション





 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町の月刊タウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。

 きょうは、このブログでの「第6回」ですが、実は、当時のフロッピー・データの一部が見つからないので、1回跳んで「雑誌連載の第7回」をきょうは掲載します。「(その2)」となっているのは、そのためです。申し訳ありません。ただ、この「後半」の方が、断然おもしろいです。


●オリジナルLPを追う(その2)
(今村亨+竹内貴久雄)

竹内:初出LPだと思って買ったら、後からもっと古いのが出てきたとか、録音しただけで発売されていない、と書いてあるのを信じていたら、米盤が出ていたとか、日本でだけ発売されていたなんていうのもありますね。
今村:盤そのものでも、そうしたことはありますが、ステレオ・バージョンの初出では、ステレオ初期には、たくさんある話ですね。
竹内:そうですね。ヨーロッパ各国ではモノラルのみの発売だったというものですね。
今村:ええ、英デッカ録音のアルヘンタのドビュッシーもそうです。米ロンドン盤が世界初出のステレオLPです。
竹内:そう言えば、英デッカ一九五六年録音のクナッパーツブッシュ/ウイーン・フィルによるブルックナーの『第五番』は、ステレオLPの方式決定前のデモンステレーション用にステレオのテープをアメリカに送ったまま、しばらく存在が忘れられていたようです。アメリカと日本では、60年代半ばになってやっとステレオLPが発売されましたが、英デッカにその情報が伝わるのが遅れたのか、70年には、なんと疑似ステレオの「エクリプス」シリーズで発売されてしまいました。
今村:ステレオ初期には、様々なミステリーがありますね。
竹内:3月号のリチャード・ファーレルで触れた英パイのステレオ録音も、私の手元にある日本ウェストミンスターによる国内盤が唯一のステレオ盤かも知れないと言いましたけれど。
今村:ええ。一九五九年から六一年ころの日本盤のステレオで、ヨーロッパの比較的マイナーなレーベルのもの、そして、アメリカではあまり人気の出ていなかった内容のものは、案外、日本盤が世界初出ということが考えられます。ルイ・フレモー/モンテカルロ歌劇場管弦楽団の『幻想交響曲』も、仏エラート原盤ですから、61年4月新譜の日本盤(ヴォアドール=日本ウェストミンスター)は、フランスにさきがけてのステレオ発売かも知れません。アメリカほどではないにしても、ヨーロッパよりは日本の方が、ステレオLPの普及は早かったですから。
竹内:音質の点でも、この時期の日本プレスには安定したものが多いから、かえって、後からヨーロッパで発売された初出ステレオより良いものもありますね。それこそコレクターとしては当たりはずれの醍醐味がある部分です。そう言えば、セル/クリーヴランド管のブラームスの『第一番』。
今村:旧録音ですか?
竹内:そうです。57年のエピック録音。あれは、64年に日本コロムビアからエピックのマークでステレオが出ているんですが、かなりいい音ですよ。交響曲全集としての録音は66年ですから、これは旧録です。
今村:竹内さんが編集解説した『LP手帖』誌の初期の月評を集めた本を読んで以来、国内盤が意外に早く発売されていることにも気付いて、奥深さを感じているのですが、国内盤には、「この時期にこんなものまで」というくらい、地味なものが発売されていたりもして驚きます。中には、日本盤が世界初出というのもあるでしょうね。
竹内:そうそう。世界初出をオリジナルというのか、ということも含めて、どこの国のものをオリジナルと言うのかも、こだわり始めると大変です。前号のマーキュリーとパイの場合は、どちらの技術陣が録音したかでオリジナルを特定できるけれど、EMIやデッカは英盤、米盤どちらがオリジナルか、で悩みません? マニアックな人はたいてい英盤をありがたがりますが、さっきも言ったようにステレオ初期は、米盤しかないものもあるし、米盤が先に出たものもある。日本盤が初出というのもあります。それに、ものによっては、単純に米録音は米盤が、英録音は英盤がオリジナルとは言い切れないでしょう。
今村:例えば?
竹内:ミルシテインやマイケル・レビンの58~59年頃の協奏曲は、ロンドンでフィルハーモニア管と録音していますが、発売はイギリスでも英キャピトルで発売されています。EMI系列の米キャピトルの専属アーティストだったから、ということですが、だとすると、これは、米キャピトルがオリジナルということになりませんか?
今村:なるほど、ヨーロッパ録音でも米盤がオリジナル、というわけですね。
竹内:米ウェストミンスターの場合、イギリスのニクサとの提携でロンドンで録音したものがかなりあります。ウェストミンスター・レコードの資料でも「他社音源」とされていますから、これは、英ニクサ盤がオリジナルということになるのでしょうか? もっとも、イギリス録音でも、「他社音源」となっていないものもあるんです。それは米ウェストミンスター盤がオリジナルということになるかしら? ややこしい話です。結局、録音やマスタリングを、どこの責任で行なったかということでしょうから、それは、サウンドポリシーに関わることで、そうなると、オリジナルの盤のプレスの音が最も制作者の意図に近い、ということが、図式的には言えるわけです。
今村:ウェストミンターの場合は、仏デュクレテ・トムソンや仏ヴェガなどから買った音源は、初出盤にライセンスの記載がありますから、それを寄りどころにするのが第一歩ですが、イギリス録音は、もう少し複雑です。「ニクサとの提携」「ニクサによる録音」など記載も様々。この内「ニクサによる録音」だけは、ニクサがオリジナルという考えに疑問はないでしょうけれど。いずれにしても、初出盤の記載は貴重な情報源です。オリジナルだということが、イコール「良い音」とは限りませんが、資料としては重要です。私の場合は音の好みから、米盤を中心にコレクションしていますけれど……
竹内:オリジナル盤には、初出時のことがわかる記載があることもあります。ミュンシュ/ニューヨーク・フィルのサン=サーンス「交響曲第三番」は、米コロンビアのオリジナル盤には、これがミュンシュのアメリカにおける初録音だという記載がありますが、英コロンビア盤では一切触れられていません。
今村:そういうことが、他人の話の受売りでなく確認できるところが、うれしいですね。
竹内:こだわっている演奏だと、同じものを次々に買って、「あれ?」って気付くことがあります。こんな時期に発売されていたのか、と驚くこともしばしばです。
今村:そうです。本で読んだり他人に聞いたりした知識で、「これがオリジナル」と信じて買って安心すると、そこで終わってしまいます。「いや、決め付けられない」という気持ちを持っていないと、なかなか事実に辿り着けません。
竹内:マニアックな話になってしまいましたね。そろそろ、メジャーレーベルの、謎解き話でも始めましょう。
(以下次号)

(写真ネーム/1)
フレモー/モンテカルロ歌劇場管の『幻想交響曲』。日本ウェストミンスター一九六一年四月新譜、VOS-3014E。

(写真ネーム/2)
セル/クリーヴランド管のブラームス『交響曲第一番』(一九五七年録音)。日本コロムビア一九六四年三月新譜、WS-6023。

(写真ネーム/3)
シェルヘン/ロンドン響の『幻想』、米ウェストミンスター盤オリジナル。これは「conjunction with Nixa Records」と記載されている。

(写真ネーム/4)
ミュンシュ/ニューヨーク・フィルのサン=サーンス『交響曲第三番』米コロンビア盤オリジナル。





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クラシックLPコレクター対談(5)■「ウラディミール・ゴルシュマン」の魅力

2009年03月13日 11時28分43秒 | LPレコード・コレクション





 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第5回」です。



●「ウラディミール・ゴルシュマン」の魅力
(今村亨+竹内貴久雄)

竹内:今回は、〈忘れられかけている演奏家列伝シリーズ〉の続きで、指揮者のウラディミール・ゴルシュマンです。ゴルシュマンは一八九三年にパリで生まれたロシア系の人で、一九一〇年代はパリで同時代作品の演奏で活躍、ディアギレフのロシアバレエ団の指揮も四年間やってる人ですね。その直後アメリカに渡ってからずっとアメリカで活躍しました。実は、私は、どちらかと言えばあまりこの人のLPを追いかけていないんです。今村さんは相当集めてらっしゃるようですが……。
今村:この二、三年の間に、様々の個性派指揮者の復刻CDが登場しましたが、ゴルシュマンは少ないですね。系統立っての復刻でもないし。昔はゴルシュマンみたいな指揮者はそれほど目立つ存在ではなかったかも知れませんが、今となっては貴重な持ち味の人ですから、もっと聴かれていいと思っています。
竹内:70年代の初めにキングレコードから、てっぺんがオレンジ色の帯になった廉価盤シリーズのLPでずいぶん出ていましたね。今、御茶ノ水のディスクユニオンなんかで、たまに二百円、三百円で見かけるけれど。AB両面で交響曲が2曲入っている長時間カッティング。あれの、ボールトの《英雄》のB面がゴルシュマンの《悲愴》で、ゴルシュマンの《展覧会の絵》をA面に収めた盤のB面はマリオ・ロッシの《シェエラザード》なんですよ。私がゴルシュマンに興味を持ったのは、その、それぞれ違う目的で聴いてみたくて買った中古LPの裏側だったんです。十年ちょっと前のことです。ほんとに偶然なんですね、「ゴルシュマンって、けっこうおもしろい」と思ったのは。だから、ゴルシュマンに対しては私は駈け出しのコレクターで、それも、あまり熱心じゃない(笑)。だから、きょうは、いろいろと教えていただこうと思っています。
今村:そうでしたか。でも、いくつか既にお持ちでしょう?
竹内:ウィーン国立歌劇場管弦楽団とのベルリオーズ《幻想》は米ヴァンガードのオリジナルです。同じオケでブラームスの《第四》は、オーストリアのアマデオの初出LPを持っています。米ヴァンガードのエブリマンシリーズのLPもあって、音はこちらの方が鮮やかでいいんですが、アマデオ盤はめずらしいでしょう。ステレオですよ。
今村:(実物をみながら)これは珍しいですね。オケ名も、さすがに「ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団」と正確じゃないですか。それに「米ヴァンガード社による録音」と明記されている。初期LPは、こういうことが確認できるところがいいですね。《幻想》は、復刻CDでは《展覧会の絵》のLPの余白に入っていた《はげ山の一夜》を加えてジャケットデザインも変えてしまいましたが、この《幻想》のオリジナルLPの絵は味がありますね。でも演奏は《はげ山》《展覧会》の方がずっといいと思います。歯切れがいいじゃないですか。何て言うか……ドイツ風のピラミッド型のサウンドじゃなくて細部がよく聞こえる……。隅々までよく鳴っている演奏ですね。
竹内:ミーハー的な言い方だけど「カッコイイ」演奏ですよね。
今村:そうそう、「カッコイイ」。さっそうとした演奏ですね、テンポも速めですし。ゴルシュマンの代表盤だと思いますよ。あと、カバレフスキーの《道化師》、ハチャトリアン《ガイーヌ》を収めた盤がいいですね。体質に合ってるんじゃないですか?
竹内:そんなのもあったんですか。
今村:線のはっきりした、あいまいさのない指揮をする人だから。リズムもくっきりしているし……指揮技術に長けた人だから、伴奏がうまかったのも当然ですね。ミルシテインの伴奏のキャピトル盤や、晩年のミッシャ・エルマンの伴奏のヴァンガード盤、グレン・グールドの伴奏のCBS盤などの方で名前が残っているというのも頷けます。
竹内:でも、伴奏指揮者としてだけで残るのももったいない……。
今村:さっき竹内さんが「カッコイイ」と言ったのは、いろいろの意味で当たっていて、写真でみても、美男子というか貴公子然としたところがあって、一九二〇年代にアメリカに渡ったあと、一九三一年から二十五年間もセントルイス響の常任指揮者だったのも、その美しさによる人気が関係していると言われています。もちろん、このオケをメジャーレーベルで録音できるほどにまでレベルアップさせた功績もあったからですが。
竹内:そうそう。ロシアバレエ団時代は、ラヴェルや、ドビュッシーらとの親交もあって、その頃、ディアギレフのホモの相手をさせられたという話もあります。当時のラヴェル邸でのパーティの写真を見たことがありますが、確かに美少年ですよ。
今村:そんな話があるんですか? でも、それはそれとして、彼のキャリアの最初が、ディアギレフがパリでストラヴィンスキー、ラヴェル、ドビュッシーなどに新作の依頼をしていた時代で、それを身近で体験していたということは重要ですね。
竹内:私は今村さんほどのゴルシュマン・コレクターではないので全貌がわからないのですが、活躍の場はずっとアメリカですか?
今村:そのようですね。50年代の終わりから60年代初めの一連のウィーン録音も、ヴァンガードというアメリカ資本によるものですから。そして、結局アメリカで一九七二年に亡くなりますが、死の二年前までデンヴァー交響楽団の指揮者を引き受けていたんです。
 主な録音としてはLP化されたSPレコード時代からのものから一九五二年頃までが、米RCAでセントルイス響とNBC響。その後、一九五五年頃までが米キャピトルでセントルイス響とコンサート・アーツ響で十枚程度。一九五六年頃から二年間ほど米コロンビアでセントルイス響とコロンビア響となっています。米コロンビア時代の五枚程の内、グールドの伴奏ともう一枚がステレオ録音となりました。「もう一枚」というのは、映画で有名なイースデール作曲のバレエ曲《赤い靴》にドリーブ《コッペリア》《シルヴィア》、ウェーバー《舞踏への勧誘》を組合せたものです。これは日本では十インチ盤で《赤い靴》《コッペリア》の組合せのステレオが発売されている、と以前竹内さんが書いていますね。その十インチ盤のほうがめずらしいんじゃないですか。『レコ芸』の名盤ガイドでもモノラル発売のみと誤記されていたくらいだから(笑)。
竹内:いやぁ、今村さんのコレクションの充実ぶりに驚きます。レコード会社にとってメインのアーティストではなかったわりには、かなりの録音量ですね。中でも注目盤は?
今村:RCA時代ではセントルイス響との《白鳥の湖》です。これは米RCAがコロンビアのLPに対抗して一時期発売した箱入りのEPがあります。キャピトルでは、ショスタコーヴィチの《第五》がとてもいい演奏です。コロンビア録音ではモノラルにドビュッシー《海》とラヴェル《ラ・ヴァルス》《高雅にして感傷的なワルツ》もありますが、やっぱり《赤い靴》とドリーブでしょう。
竹内:そして米ヴァンガードによるウィーン録音となるわけですね。セントルイス響とのショスタコやドリーブでも感じましたが、この、ウィーンのオケとの演奏は、オケがよく鳴る充実した響きで聴かせますね。《はげ山》なんか、ほんとにカッコイイ。わくわくします。でも《悲愴》やブラームスの《第四》など、ただ金管がパンパカ鳴るという意味のカッコ良さではなくて、弦もしなやかによく鳴っているでしょう。ユニゾンがすごくきれい。
今村:そう。いわゆる乱暴なタイプではないんですよ。そこのところを間違えられてしまうと困る。音楽が生き生きとしていていますね、あらゆる意味で。アンサンブルが整っていて勢いがあるから、ショスタコの第三楽章も凄かった。あそこから終楽章まで、妙にヒロイックな演出をせずに、音そのものに語らせ尽くしたといった誠実な演奏です。ブラームスも第四は、彼のそういった特徴がプラスの方向に行って、くっきりとして充実した演奏が残されたんでしょうね。
竹内:でも、彼のルーツを探る上ではドビュッシー、ラヴェルは重要でしょう。
今村:そういうことなら、実は、録音年代が特定できないのですが、モノラル録音でフランス・フィリップスにラムルー管弦楽団を振ったラヴェル集があるんです。曲目は《ボレロ》《パヴァーヌ》《マ・メール・ロワ》《道化師の朝の歌》です。
竹内:それは凄い。ラヴェルの流れを汲むゴルシュマンが、そのラヴェルゆかりのオケを振るという……
今村:そういうことになりますね。聴いてみますか? ……(持参したLPを聴く)……
竹内:《道化師》の速いテンポは作曲者直伝でしょうが、特に《マ・メール・ロワ》がすばらしいですね。
今村:わずかなテンポの伸び縮みで物語を表現して行くところなど、客演とは思えないオケの掌握力で、やはり、凄い人だったんだと思いますね。作曲者直伝という以上に実力を感じさせる演奏です。
竹内:貴重な文献としてもCD化して欲しいですね。多分無理だろうけど。
(この項終わり)

■以下は、雑誌掲載当時の写真解説です。このブログでは、写真掲載はありません。

(写真ネーム1)
米RCAのチャイコフスキー《白鳥の湖》ハイライト。EP盤箱入りセット▼

(写真ネーム2)
米キャピトルのショスタコヴィッチ《交響曲第5番》オリジナルLP。米EMIから、フランクの《交響曲ニ短調》とのカップリングで復刻CDが発売されたが、デザインはフランクのものを使用している。▼

(写真ネーム3)
イースデール《赤い靴》/ドリーブ《コッペリア》日本コロムビアの25センチステレオLP▼

(写真ネーム4)
仏フィリップスによる《ラヴェル管弦楽曲集》▼



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クラシックLPコレクター対談(4)■忘れられたピアニスト「リチャード・ファーレル」

2009年03月11日 06時43分10秒 | LPレコード・コレクション






 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第4回」です。



●忘れられたピアニスト「リチャード・ファーレル」
(今村亨+竹内貴久雄)


今村:リチャード・ファーレルというピアニストは、ほとんど忘れられている演奏家の典型ではないですか? 私は、たまたま竹内さんが本の中で書いているのをみて知ったのですが、他に書いている人はいないでしょう?
竹内:レコード・デビューの50年代末ころだけでしょうね。例の、私がまとめた古い『LP手帖』月評を収載した本の編集時に、ファーレルのことを高く評価している発売当時の月評を発見したときはうれしかったですね。あれは上野一郎さんだったかな。
今村:グリーグのピアノ小品集と、もう一枚はグリーグとリストの協奏曲の盤でしたね。あの評は非常に的確だと思いますが、ただ、グリーグの協奏曲が標準的なテンポより遅いという記述は、違うと思いましたね。やっぱり時代の流れですか。
竹内:そうでしたか? 私はグリーグの遅さについての指摘は、当時として、その通りだったと思いますけど。
今村:あ、そうか。グリーグはリパッティが当時の基準だったということですか? それなら、わかるような気がしますね。いずれにしても、ファーレルも、録音が残らなかったら、完全に忘れられていた人ですね。
竹内:今でも、忘れられていますよ。誰も語らないですよ、この人のこと。僕だけじゃないかなぁ、ファーレルのこと採り上げてるのは。あれだって、読んだ人が、気になってくれたかどうか、わからない。
今村:私は気になりましたよ。竹内さんの採り上げ方が異常というか、かなり作意的だったから、これは、それだけのものがあるんだろうと思いましたね。
竹内:そうですか。うれしいな。今村さんにも興味を持ってもらえたんだ。初めて聞く名前だな、どんな演奏してたんだろう、探してみようかな。そんな風に思ってくれる人を一人でも増やそうと思って書いたんだから。
今村:そんなことができるのもレコードがあるからこそ、ですよ。『LP手帖』でも「このレコードがデビューだが、このピアニストは既にこの世にはいない」と言って、レコード文化の有難さに触れているのは象徴的です。
竹内:確かに、そうですね。実は私も、この人のレコードを集め始めたときは、死んで二十年以上経ってましたから……。
今村:何年生まれですか?
竹内:一九五八年の五月二十七日に自動車事故で死んだ時が三十一歳だったと書かれていますから、一九二六年頃ですね。
今村:ということは録音のキャリアのスタートとして、当時ではかなり若かったですね。幸運な人ですね。その若さでも、レコードが残せたわけだから。
竹内:そうですけれど、生きていて欲しかった人ですよ。もっとも、死んで二十年以上経ってから存在に気付いた私も、マヌケな話で(笑)
今村:でも、だからこそ、声を大にして、ファーレルのことを知って欲しいわけでしょう。
竹内:うん。残された者のつとめのような…。
今村:伝道者ですね。(笑)。ファーレルは、どこの出身ですか?
竹内:ニュージーランド生まれです。
今村:勉強はロンドン?
竹内:いえ、詳しいことがわからないのですが、一九四八年には早くもカーネギーホールにデビューしてます。その後、ジュリアード音楽院ですから、ニューヨークですね。卒業後のコンサートはヨーロッパが中心のようですけれど。
今村:イギリスのパイレコードに録音が残されたのは、そのためでしょうか? ロンドンで評価されていたのでしょう。
竹内:たぶん、そういうことでしょう。
今村:アメリカのマーキュリーレコードは、一九五六年にスタッフがイギリスに渡って、マンチェスターでパイレコードと共同で八枚のLPをステレオ録音しています。バルビローリ指揮のハレ管弦楽団がほとんどで六枚ありますが、あと二枚が、ジョージ・ウェルドン指揮ハレ管で、ひとつは《ガイーヌ》。もう一枚がファーレルとの協奏曲なんですね。この時はマンチェスターに滞在しただけで帰ったようですが、後にマーキュリーはロンドン響とコンタクトが取れて、ドラティ指揮などのものを制作することになります。ファーレルとの録音は、ステレオLPが市場に出る前の草創期の録音というわけで、パイとしては、マーキュリーのステレオ録音技術を採り入れたかった、マーキュリーにしてみれば、ヨーロッパ進出をしたかった、そういう時期の録音ということでしょう。マーキュリーは、トラックにステレオ録音の機材をセットして積んだものを持っていて、それが後でモスクワまで行ってコンドラシンなどを録音してるんです。
竹内:そうですか。移動セット、テレビの中継車のようなものだったんだ。
今村:マーキュリーは、かなり先進的で積極的な会社だったんですよ。フィリップスで出ているリヒテルのロンドン録音も、モスクワ録音の延長で、マーキュリーによる録音です。マーキュリーがフィリップス傘下になってしまったので、フィリップスで発売されましたけど、音が全然ちがうでしょ。あれはマーキュリーの音です。
竹内:ファーレルの話に戻しましょうよ。
今村:そうですね。また脱線してしまった。ファーレルのマーキュリー録音は、この一枚だけでしょうね。
竹内:おそらく、そうでしょう。
今村:これも、イギリスではパイレコードで出ているわけですが、日本でもそうでしたね。
竹内:日本ウェストミンスター社から一九五九年に発売のモノラルです。
今村:そのほかのファーレルの録音も、全部パイですね。
竹内:ええ、それ以外のレーベルの録音は、いまだにカタログ上でも見ませんね。
今村:何枚あるんですか? パイには。
竹内:全部ピアノ独奏で、ブラームスのヘンデル変奏曲ほか、ラフマニノフのコレルリ変奏曲ほか、グリーグの抒情小曲集抜粋ほか、ブラームスの作品39のワルツ全曲ほかの四枚です。これが協奏曲以後の日本での発売順で、最後の一枚だけがステレオ発売、一九六一年十二月新譜です。イギリスの古いカタログでも、この四枚以外は、今のところ見当らないです。しかもモノラルばかり。
今村:その時期だと、ヨーロッパではステレオは未発売だったかも知れませんね。日本でもステレオはその一枚だけですか?
竹内:そうです。ステレオがやっと一般的になり始めた時期だったので、最後の一枚がステレオで出ましたが、その直後に日本ウェストミンスター社は解散して廃盤。パイの発売権が日本コロムビアに移ってからは、こんな無名のピアニストのレコードは出ませんね。ほかにたくさんあるんだから。
今村:録音そのものは、全部ステレオでしょうね。
竹内:英パイのラフマニノフのライナーノートの欄外に、「このレコードは彼の最後の録音セッションであり、この録音のわずか数週間後に、自動車事故死した」という意味の英文が書かれています。一度組み上がったものに、後から書き加えたような感じがするところが悲しいですね。
今村:米マーキュリーの協奏曲にも、「このピアニストは既に事故死している。わずか三十一歳だった」と書いてありますから、日本でもアメリカでも、死後のレコードデビューだったという、稀有な人ということですね。
竹内:パイとの録音は、おそらくマーキュリーと共同の協奏曲録音の後、五七年から五八年の春までの間で、四枚のソロ・アルバムを残して死んでしまったということでしょうね。だけど、そのどれもが個性的で、若くして自分のスタイルが確立していたピアニストだったということがわかるんですよ。ブラームスなんか、ドイツ的な響きとはまったく異なったところで、深く沈んだ情感がしっとりとした歌を湛えていて、いいですよ。音の粒が揃っていて、弱音がとてもソフトなんですよ。その後登場してきた若い世代のピアニストの誰とも違う。似ている演奏が思い当らないくらい独自の感性を持っていた人だと思うなぁ。
今村:私は、まだマーキュリーの協奏曲しか聴いていませんが、グリーグの協奏曲を聴くと、遅いテンポだけども粘らないというか、臭みがないですね、あの曲の演奏にありがちの。確かに、誰に似ているか、と聞かれると困りますね。なかなか類型が見出せない人。ただ、音色の変化は乏しい人じゃないですか。
竹内:うん。自分の世界に潜り込んでいくタイプだし。
今村:グリーグでさえ臭く感じないのは、モノトーンの音色だからですよ。
竹内:自分の世界と対話してるというか……。
今村:乱暴な言い方ですが、フツーのグールドと言った感じで(笑)、まあ、敢えて言えばですよ。あんまりペダル使わないじゃないですか。ひきずらない。テンポを遅くしても間延びしないところが、なかなかで。リストもそう。あんなに遅いリストはないでしょう。あの後、どうなっていったか、楽しみな個性を持っていた演奏家ですね。その意味では、前回のアルヘンタ以上に、惜しい逸材だったかも知れませんね。
(この項おわり)


(1)
グリーグ「ピアノ協奏曲」/リスト「ピアノ協奏曲第1番」米マーキュリー盤(SR‐90126)▼


(2)
ラフマニノフ「コレルリ変奏曲」/「前奏曲から6曲」英パイ盤(CCL‐30138)▼


(3)
グリーグ「バラード ト短調作品24」/「ノルウェーの旋律作品66の14・18」/「抒情小曲集より8曲」日パイ盤(PYE‐1504)▼


(4)
ブラームス「ワルツ作品39全曲」/「4つのバラード作品10」日パイ盤(SWP‐3514)▼

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クラシックLPコレクター対談(3)■「アタウルフォ・アルヘンタを語りつくす」

2009年03月09日 01時08分51秒 | LPレコード・コレクション





 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第3回」です。



●アタウルフォ・アルヘンタを語りつくす
(今村亨+竹内貴久雄)

今村:いよいよ20世紀も終わりですが、音楽演奏にとって、20世紀の最大の特徴は、〈録音〉というものが関わってきたことでしょう。ある人の演奏がまたたく内に世界中に伝わってしまう。19世紀までは、その人が演奏旅行なんかで持ち歩かなければ、なかなか、他の町に住んでいる人は、聴けなかったわけですから、ひとつのスタイルが伝わるのに、何十年もかかったりしていた。最近は、演奏スタイルの地域特性のようなものがどんどん薄れてしまった。あっという間でしたね。今では、録音された演奏に明らかに影響された演奏が、また録音という形で登場したりする。
竹内:うん。今は、演奏家も聴衆も、どちらも知識が豊富になっちゃった。(笑)
今村:だから、とんでもなくヘンな演奏が少なくなって、わりとみんな平均化してきたっていうか、そうならざるを得なくなった面もある。ひとつの個性が共感をもって、ある社会で受け入れられるより、「わかってない」なんて言われる。大変な時代になりました。
竹内:でも、録音というものがあって、よかったという面もあるでしょう。
今村:もちろん、あります。若くして死んだ演奏家を聴くことができるのも、そのひとつでしょう。だから、この欄は、しばらくの間、そうした〈録音〉のお陰で今でも聴くことが出来る忘れられた演奏家を、順番に取り上げていくことにしましょうよ。
竹内:それは賛成。ただ、時代を限定しましょうよ。50年代の後半から60年代のステレオLPの初期まででどうです。
今村:その頃レコードで登場した若い演奏家は、まだ、個性が強かったですね。名演奏家、大家、巨匠、といった人たちの録音が中心だったSP時代とは違った活気がありました。
竹内:一九五八年のステレオLP一般市販開始以来、各社がこぞって新しいステレオ音源の確保に走ったおかげで、若い演奏家にも録音の機会が与えられたからですよね。ところで、まず誰を話題にします?
今村:その、一九五八年に早逝してしまった指揮者、アルヘンタはどうですか?
竹内:アルヘンタ。いいですね。あの人なんかも、録音がなかったら、完全に記憶の彼方の人でしょう。残された録音のおかげで、かろうじて、今でも一部にファンがいる……。
今村:アルヘンタの、レコード・デビューは、日本では、彼の死後なんじゃないですか? ひょっとすると。
竹内:有名な《アランフェス協奏曲》の伴奏盤の場合がちょっとわからないけれど、シャブリエの狂詩曲《スペイン》の入ったLPは59年5月の発売で、これが「スペインの異色指揮者の登場」として日本で紹介された最初だったように記憶しています。
今村:既に死んだ人が、レコードで日本にデビューしたわけですね(編集部:注/後述で発言を訂正している)。でも、そのおかげで、優れた演奏が残された。あれは、アルヘンタの代表盤でしょう。《エスパーナ!》ってエクスクラメーションの付いたタイトルのアルバム……最初の日本盤は《スペイン!》でしたね。あれ1枚だけでも、残る指揮者でしょう。単純な発想だけれど、当時よく批評で使われた「本場モノ」ということで。それだったら若手でも受入れられる……。でも、新人を容易に発掘できたのは、録音の功績ですね。この録音がなかったらアルヘンタは、忘れられるどころか、未だに名前も聞いたことがなかったかもしれない。
竹内:あれは売り易かったんです。スペインの指揮者がスペイン物を振った、最新ステレオ録音のド迫力っていう感じで。でも、あれ1枚だけっていうのは、あんまりですよ。
今村:英デッカにアルヘンタは、かなりの録音を残していますけど、それは、彼の後見人だった人物がスペインコロンビアに影響力を持っていて、デッカのプロデューサーとも親しかったから実現したんです。
竹内:へえ、そうなんですか?
今村:英デッカは、確か53、54年頃にスペインコロンビアを傘下に収めるのですが、それも関係あるでしょう。デッカにはスペイン系の指揮者にエンリケ・ホルダがいましたが、それを押しのけたのには、理由があったわけです。そうして、スペイン音楽シリーズをアルヘンタで続々と録音して、やがて、リスト《ファウスト交響曲》、チャイコフスキー《第4》、ドビュッシー《映像》などに進んでいくわけです。それ以前のものとして、スペインコロンビアが世界のコロンビア・レーベルで共通のEMIグループだった時期の録音としては、53年に仏コロンビアとの共同制作でアルフテルやトルドラに混じって、アルヘンタもパリ音楽院管を振って、ファリャの《恋は魔術師》を入れてますね。
竹内:ええ。仏EMIで《ファリャ作品集》として3枚組でCD化されている。あ、いけない。そのモノラル録音、日本コロンビアのLPが55年5月新譜で出ている。この古いカタログに載ってますよ。それに、アルベニス《イベリア》とトゥリーナ《幻想舞曲》で1枚になったパリ音楽院管との盤が、56年8月にロンドンレコードで出ている。
今村:そんなのが。お持ちですか?
竹内:英デッカのLXTで持ってます。
今村:それは、アルヘンタがデッカに移った時期の録音でしょうね。それが伴奏以外での日本デビューと、2枚目ということですか?
竹内:たぶん、そうでしょう。だけど、忘れていたなぁ、日本盤も出ていたなんて。この辺は影が薄かったから。まいったな、やっぱり、《エスパーナ!》が代表盤なんだ(笑)。
今村:そうでしょう(笑)。いずれにしても、アルヘンタの本格的なレコード歴は、その時期を皮切りに5~6年しかなかったわけですが、まあ、なんて言うか、一種ローカルな指揮者がメジャー・レーベルにかなりの枚数の録音が残せたのは、幸運だったですね。その他には米オメガのLPが数枚ありますね。
竹内:米オメガのレコードはフランス録音ですね。
今村:ええ、ディスク・クラブ盤です。ステレオ録音はシューベルトの《グレート》だけでしょう。《ラヴェル管弦楽曲集》はモノです。他に、どんなのがありますか?
竹内:スペインの作曲家、オアナの《闘牛師の死への哀歌》というガルシア・ロルカの詩による声楽曲がありますね。私が持っているのは、その3枚くらいかな。まだあるかも知れませんが、調べ切れていない。
今村:オケは全部セント・ソリ管弦楽団という匿名ですね。
竹内:実体はどこだかわかりますか?
今村:わからないです。パリでの臨時編成だろうということくらいしか。でも、英デッカへの厖大な、……といっても20枚くらいだと思いますが、その半数ほどがスペインの伝統歌芝居「サルスエラ」に割かれているなかで、シューベルトなんかは、貴重なレパートリーの記録ではないですか?
竹内:あのシューベルトは、かなり強烈に個性的だけれども、魅力のある演奏です。以前、別の所に書いたことがあるけれど、英デッカの一連の録音でも、この数年に発売された放送録音のCDで聴いても、アルヘンタって人は棒振りの技術に長けていた人じゃないような気がするんですよ。自分の内側にある熱っぽいものが、オケにピタリと伝わらなくて、とっちらかっちゃうような感じで。
今村:でも、歌わせ方に、はっとさせるものがあるじゃないですか? リズムも推進力があって。
竹内:そう。だから、あのシューベルトなんかは、もっと長生きしたら、ロマン派の音楽にも、興味深い演奏がたくさん残せたんじゃないかと想像するわけです。シューベルトの歌謡性と舞曲的要素が、とても個性的な魅力になって聴かせる。
今村:なるほど。様々な可能性があったのに、早逝してしまったということですか?
竹内:未完成だったと思いますよ。まだ、これからという時に死んでしまった。死因は「変死」ということなんでしょう?
今村:自動車の中で、ガス中毒ということのようですね。事故なのか自殺なのか。いつの間にか病死として経歴に書かれるようになりましたが、死の直後には、ジャケット裏にも、そんなおかしな記述がありました。あまり触れられたくなかったので、次第に曖昧な表現になったのではないですか?
竹内:スペイン物以外を振る内に、壁に当たっちゃったのかしら。
今村:非常に無口でとっつきの悪い人だったという記述がありますから、悩みをひとりで抱えていたかも知れませんけど、まあ、想像しても始まりませんよ。でも、《エスパーナ!》1枚だけは、ほんとに一生一代の名演だと思いますよ。あれだけしか残らなくても、それだけで名前が残る人ですよ。
竹内:結局、そこへ話が落ち着いてしまうんだ。でも、アルヘンタと同じ年に31歳で事故死してしまったピアニストで、リチャード・ファーレルというピアニストがいるでしょう。
今村:『LP手帖』月評を復刻した本で触れてましたね。
竹内:ええ、かなり以前から、必死で集めています。あの人は、若くして自分のスタイルが確立していた人で、急逝は、大痛恨事なんですよ。おそらく世界中のデビュー盤が死後に発売された人。今では、まったくと言っていいほど、顧みられていませんが、このファーレルについて、次回は話しましょう。


*(写真ネーム/1)
イエペス独奏、アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団による『アランフェス協奏曲』他のステレオ録音。同じ曲の組合せで独奏者も同じアルヘンタ/マドリード室内管弦楽団とのモノラル録音も英デッカにある。

*(写真ネーム/2)
『スペイン!』日本のキングレコードによる65年の再発盤(SMR-5034)。この時期のキングプレスは英オリジナル盤と聴き比べても遜色のない音質なのでお薦めする。

*(写真ネーム/3)
アルベニスおよびトゥリーナ作品の英デッカオリジナル盤(LXT-2889)。54年9月発売?

*(写真ネーム/4)
米オメガ発売のアルヘンタ/セント・ソリ管弦楽団によるシューベルト『交響曲第9番《グレート》』(OSL-12)。日本でもテイチクからムジディスク原盤の表示で一〇〇〇円の廉価盤(UDL-3026-V)として発売されたことがある。


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クラシックLPコレクター対談(2)■「幻想交響曲」のレコードを語り合う(続き)

2009年03月06日 10時31分06秒 | LPレコード・コレクション




 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日は「第2回」です。



●「幻想交響曲」のレコードを語り合う(前回の続き)
(今村亨+竹内貴久雄)


竹内:ウェストミンスター録音には、まだ謎の部分が多いようですね。いずれにしても、ロジンスキー指揮ロイヤル・フィルの、お蔵入り録音ではないかと私が疑っている怪しげなレコード、Andore de Lysan指揮ベルサイユ交響楽団という匿名オケの演奏の真贋については、機会を改めて、判定会をやりましょう。
今村:そうしましょう。それより、「幻想」は誰のがおもしろいか、というもともとのテーマに戻さないと……。
竹内:モントゥ/サンフランシスコ響は?
今村:あれは名演だと思いますよ。第2楽章なんかは特に。モノラル録音では代表盤だと思います。
竹内:すごく旋律線が明瞭ですね。
今村:ええ、管楽器がとくにくっきりと際立っていて……。でも、CD化されたときに、そうした味わいは薄れてしまいましたね。
竹内:あれはアメリカのRCA盤を聴かなくてはダメですか?
今村:いや、そんな意地悪いことは言いませんよ。何で聴いているんですか?
竹内:70年代のフランス盤LPです。それでも、CDが貧相な音なのは、すぐわかります。
今村:そうでしょうね。あれで十分かもしれません。とても逞しい、熱のこもった演奏ですけど、細部まで神経が行き届いているのが、聴きとれるはずです。あの、繊細さが逞しさに支えられているところが、フランス的、っていうんじゃないですか? クリュイタンス指揮のパリ音楽院管と違う……。
竹内:パリ音楽院は、「幻想」の録音が少ないんですよね。クリュイタンス盤も東京公演のライヴだし。
今村:SP期ではワルターと入れてるのが有名ですが、ステレオではシルヴェストリのEMI盤とアルヘンタのデッカ盤くらいでしょう。シルヴェストリの演奏もヘンな演奏ですね。奇妙にスラヴ的な派手さがある。
竹内:そうですか? 僕は、オケの音色の繊細さは、かなりよく出していると思いますよ。アルヘンタ盤よりはずっと、パリ音楽院らしさがあると思う。特に第3楽章の演出力というか、色付けのおもしろさは、相当だと思う。ただ、あれがフランス的色づけかというと、ちょっと違うかな、という感じはありますね。プレートル/ボストン響とか、ヴァンデルノート/フランス国立放送管あたりが、むしろ、フランス的カラフルさかなぁ。
今村:お、出ましたね。こだわりのヴァンデルノートが。最近CDで出たベルギー放送局の録音はどうなんですか?
竹内:あれはダメ、ナマクラで。やっぱり、米コマンドに録音していた60年代始めころまでだと思う、ヴァンデルノートが輝いていたのは。アル中になっちゃったっていう話をレコード会社の関係者から聞いたけど、ほんとかも知れない。集中力も統率力もない悲しい演奏で、まいっちゃった。
今村:ヴァンデルノート/フランス国立放送のコマンド盤は、あの頃の、いい意味でのヘンな演奏としては一番でしょう。
竹内:そう。あれはホントにへんてこな演奏、木管がピヨピヨプープー鳴り続けて。
今村:ハーモニーの設定が、普通と違うところにありますね。でも、そこが「幻想」の特徴を強烈にデフォルメしていると……。
竹内:そうです。フランス的演奏というか、ベルリオーズの音楽の本質にかかわることを、大胆にデフォルメした名演だと思います。モントゥの50年録音(サンフランシスコ)の味わいの根底にもそういう傾向はあるし、プレートルの演奏もそうだと思いますよ。
今村:決して、クリュイタンス盤のような上品さではない、ということですね。
竹内:うん。そのあたりをはっきり意識していた演奏では、クレンペラー/フィルハーモニア管も傑作ですね。
今村:あれも個性的な演奏ですけど、私はバーンスタインニューヨーク・フィルの最初の演奏も、けっこういいと思っているんですよ。
竹内:あの、白黒映画のようなモノトーンの。
今村:そうそう、あれです、変った世界で。
竹内:あれも中々CDにならないんだ。あれは63年録音でしょ。五年後の68年に同じニューヨーク・フィルで同じ米コロンビアに再録音してるから、そっちばかりCD化されて。
今村:バーンスタインが再録した理由もわかる演奏ですね。解釈がかなり違う。2度目の演奏はきわめてまっとうだし、「ベルリオーズのサイケデリックな旅」とかいう解説レコードまで付いてたじゃないですか。バーンスタイン的な教育的というか、解説好きな演奏で、わかるんだけれども、でも63年の旧録は、ずっと個性的で。初出のジャケットデザインも合っていましたね。墨絵のような……
竹内:ジャケットまでモノトーンなんだ。知らなかったな。
今村:国内盤は違うんですか?
竹内:違う。奇妙にくすんだ、夕焼けのような写真ですよ。
今村:そうなんですか。あの旧録は、捨て難い演奏ですね。結局、入手難のLPでは、ヴァンデルノート、バーンスタインの旧録あたりが、われわれの共通した関心ですか?
竹内:曲の一般的なイメージを引っ繰り返すようなインパクトを持ったものとしてはね。あとは、クレンペラー盤かな。
今村:でもクレンペラー盤は、あの指揮者がやった、っていう感じがしないんですよね、私には。若い指揮者がやったみたいな……。
竹内:そう?
今村:ええ、音の作り方とか……。
竹内:何でだろう?
今村:何で?、って言われても困るけど。
竹内:クレンペラーっていうのはドイツ系の指揮者でしょ。で、ドイツ風の「幻想」の演奏というものも、あるはずなんだけど、そうした伝統的なものと全然ちがうことをやりたかったんじゃないかな。月並な言い方になるけど、〈表現主義の洗礼を受けたクレンペラー〉という感じがあると思いませんか? そういう風に標語的に言うと安直だけど。
今村:あの演奏は、とても新鮮なアプローチに聞こえますね。アバド、ムーティ、ハイティンクあたりから、最近のチョン・ミュンフンといった若手まで、どれをとっても、あんな新鮮さはないですよ。誰の演奏とも違う。似たものが思い浮かばないんですよ。
竹内:今はみんな若年寄りなんだ。(笑)
今村:ドイツの指揮者から、ああいう個性的な「幻想」が生まれたっていうのも、興味深いですね。
竹内:ところで「幻想」は古くからドイツで評価されていたでしょう。ドイツ的な伝統を残している演奏というのは、あるのかなあ?
今村:スタンダードなドイツ的演奏ですか?
竹内:そのスタンダードというのがクセ物で、僕がさっき言ったフランス的演奏だって、スタンダードじゃないものなあ。スタンダードなフランス的演奏なんて、ないんじゃないかな。スタンダードに聞こえるのが、案外、ドイツ的な伝統解釈の延長だったりして。
今村:そんなことはないでしょう。スタンダードという言葉は極めてむずかしいし、結局、大方のイメージを裏切らないというか、コンセンサスのある演奏というか……。
竹内:じゃ、デルヴォー/コロンヌ管とかフレモー/モンテカルロ歌劇場管だ。
今村:そうです、そうです。そんなところが、フランス的演奏のスタンダードじゃないですか。どちらもCD化されていないけど。でも、ドイツ的な演奏がどういうものかというのは、今まで考えたことないですね。
竹内:カラヤン/ベルリン・フィルも違うでしょう?
今村:違いますね。でも、あれはあれで、独自なんですよ、極めて。ドイツ的演奏という定義は、成り立たないんじゃないですか。
竹内:かつて、ドイツではこんな風にやっていたのかな、って感じさせるのは、ワルターのSP録音かな。
今村:そんな気がして来ました。考えてみたら、十九世紀のドイツ音楽の巨匠で「幻想」を録音しているのはワルターくらいですから。
竹内:あ、思い出した。ワインガルトナーが一九二五年に録音してる。初の電気吹込みによる「幻想」で、去年、新星堂でCD化されている。
今村:聴きました?
竹内:ええ。それで思い出した。わかった。あの演奏、とてもスタンダードに聞こえたけど、それはミュンシュ盤に近いからなんだ。つまり、ドイツ的な演奏の流れにあるのは、むしろ、フランス指揮界の大御所だったミュンシュなんですよ。ドイツ・ロマン派的な勝利への方程式。あの雄渾でヒロイックで、情熱的な演奏……。独特のアチェレランドの懸かり方なんか、ドイツ的じゃないですか。
今村:駆け登って行く感じだし、オーケストラの響きも重厚ですね、ミュンシュの演奏は。油絵の具を塗り重ねたような感じ……
竹内:あれが、伝統的で、スタンダードで、大方のコンセンサスが得られる演奏で、しかも、ドイツ的な演奏なんだ。ワインガルトナーを原点としてのね。
今村:なるほど、ミュンシュ盤が定盤中の定盤だった所以ですか。フランス的演奏に定盤が見当らないのも、それなら頷けます。思わぬところに話が落ち着きましたね。このあたりで「幻想」談義は終わりにしましょう。



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クラシックLPコレクター対談(1)■「幻想交響曲」のレコードを語り合う

2009年03月05日 10時56分41秒 | LPレコード・コレクション


 以下は、古書店、中古レコード店が建ち並ぶ、東京・千代田区の神保町のタウン誌に掲載されたもの。2000年10月頃の掲載開始だったと思いますが、筋金入りのレコード・コレクターと尊敬している今村享氏との対談を「ここまで集めて ここまで聴いて」と題して何回か連載したものです。先日、今村氏の快諾を得ましたので、しばらく、この私のブログ上に再掲載します。
これを機に、新カテゴリー「LPレコード・コレクション」を起こしました。今日が「第1回」です。


●「幻想交響曲」のレコードを語り合う
(今村亨+竹内貴久雄)


竹内:このごろ、CDの復刻が多いせいか、古い演奏を引っ張り出してきては、個性的でユニークな演奏だ、とかいってまつり上げる人が増えてきたように思いますけど、よく聴いてみると、その時代には、みんな似たようなことをやっていたりして、というのはよくあると思うんですが……。
今村:そうなんですよ。特別なことをやっていたわけでもないし、かわったことをやろうと、当人が意識していたわけでもないですよ。そういう意識はなかったと思います。今はユニバーサルな解釈ができちゃったから、一種のグローバルスタンダードになってしまったけれど、昔は全員、ひとりひとりがローカルだったし、そのローカルななかでの伝統が継承されていた。演奏の歴史が把握出来てない人が、変ってるとか個性的だとか騒いでいるわけです。ちゃんと順を追っていったん聴けば、その流れのなかにあるものだということがわかるはずです。ほとんどの演奏は……。
竹内:では、そういうことを念頭に置いて、何かテーマを絞らないとまとまらないから、「幻想交響曲」から始めることにしましょう。これはお互いに隠し玉がありそうだし。
今村:幻想ですか? 聴きすぎちゃって……。どのくらい聴きました? 100種類じゃきかないでしょ。お互いに。どのくらい重なっているかはともかくとして。二人あわせて200種以上とは言いませんけれど、案外重なっていないかもしれませんね(笑)。きょうはなるべく重なってそうなところで話しましょうよ。例えばミュンシュとか……。
竹内:まあ、でもミュンシュだって3種類……、いや5種類、あ、もっとあるから……
今村:まあまあ、3通りということで行きましょうよ。ボストン響とのRCA録音が54年と62年の2回、それとEMIへのパリ管との録音ですよ。ミュンシュの幻想を語るには、ごく一般的なそれで充分じゃないですか
竹内:たしかに、フランス国立放送管とのSP録音なんかはつまらないですね。
今村:ああ、直線的な演奏ですよね。まあ、SPの頃っていうのは、録音に際して色々と制約があったし、なんとも言い難いところもあるから、断定はできませんけど。
竹内:ただ、ミュンシュっていう指揮者は、アメリカのオーケストラと出会ってから、自分の音楽を開放する快感を知った人のように思うけど。
今村:確かにそうかも知れないですね。アメリカに育てられた指揮者かも知れない。それ以前のデッカのモノラル録音などを聴くといわゆるミュンシュらしい燃焼がないですね。
竹内:ボストン響との録音も、1度目のは、まだちょっと硬い。2度目の方がずっと自在ですよね。
今村:そうです、そうです。あれが一番いいですね。晩年のパリ管とのものより。1度目のボストン盤は、硬いっていうより、わりと変った演奏ですよね。ちょっとぎこちないところもあって……。
竹内:うん。ギクシャクしてる。
今村:流れがヘンな演奏ですよね。
竹内:オケが行きたい方向とミュンシュが行こうとする方向がちょっとずれてるっていうか、オケが妙に突き出してくるところがあって、あ、それでもいいかなって、そのまま行かせてるような……
今村:そう、不思議な演奏ですよね。ジャケットも強烈だったし。あの目玉の飛び出した……。あれはモノラルLPが先行発売されて、ステレオはテープのみ。LPは、当時のアメリカでは発売されなかったんですが、日本では、なんと、モントゥ/ウィーン・フィルのアメリカ盤のジャケット・デザインで、2度目の録音発売の半年ほど前に出ているんです。首吊り縄の写真のデザインです。で、モントゥの日本盤はどんなデザインで出たかというと、ミュンシュ旧録音のモノラルでの再発ジャケットというのがアメリカ盤にはあって、そのデザインを転用してるんです。抽象的な油絵の具をたらしたようなデザインです。要するに、ミュンシュ盤とモントゥ盤のデザインが、日本ではひっくり返ってるんです。
竹内:何、それ。
今村:極めてわかりにくい話ですけど、ほんとうです。
竹内:あ、そう言えば、モントゥ盤の日本での再発売ジャケットのデザイン文字が、その首吊り縄のアメリカ盤で使った文字だったけど、先にミュンシュで使っちゃってたわけ?
今村:文字の先っぽに花の付いてるやつでしょ。そうですよ。モントゥの日本盤は、再発で、文字だけオリジナルに帰ったわけです。
竹内:めちゃくちゃだな。
今村:そうでしょ。ほんとに混乱してますよ。ミュンシュの旧録音のステレオLPは、アメリカでは1980年になってからやっと、LP初登場と銘打って出たわけですが……
竹内:そう、日本でもLP初登場と宣伝されて国内盤が発売された。で、その音源でアメリカで83年にデジタル・リマスターしたのが切手のデザインの茶色っぽいシリーズね。そして、そのリマスターでCD化もされてしばらく流通していた。それを62年録音のCD化だと勘違いしていた人も多い。
今村:いずれにしても、ステレオLP初登場は誤りで、ほんの数ヵ月の短期間だったけれど、日本盤だけは旧録のステレオLPも、62年に既に発売されていたというわけです。
竹内:モントゥ盤のデザインでね。
今村:そうです。が、最近、復刻LPで、日本ではモントゥ盤で使った54年録音のセカンドデザインに、リビング・ステレオのロゴの付いたのが登場したんです。
竹内:同じ54年録音の国内CDでは、目玉の飛び出した方にステレオ・ロゴを入れて使ってるから、嘘の上塗りと言うか、これで全部のパターンが揃ったと言うか……。
今村:もともとセカンドデザインは、ステレオ発売用のものだったかも知れませんよ。
竹内:そうか、嘘の上塗りとは言いきれないんだ。ますますややこしくなってきたけど、もうこの話はやめましょう。ジャケット話に脱線しちゃった(笑)。幻想の演奏には、どんなのがあるか、っていう話に戻しましょう。
今村:終楽章の鐘の音に、ピアノを使うっていうアイデアがあるじゃないですか。
竹内:ミトロプーロスの演奏なんかでしょ。
今村:ええ、そうですけど、あれは、ロジンスキーがクリーヴランド管で、既にやってるんですよ。37~38年頃のSP録音です。
竹内:そんなの、あるんですか?
今村:ええ、50年代にSPをLPに復刻した米コロンビアのシリーズです。
竹内:ああ、アントレー・レーベル。思い出した。あれ、気になってたけど、まだ持っていないんだ。
今村:そう、それです。あれは、ピアノの低音で、まったく同じようにやっています。おそらく、ああいう演奏方法がアメリカにはあったんだと思います。ミトロプーロスの個性のように言う人が多いですが、そうではありません。
竹内:ロジンスキーがクリーヴランドからニューヨーク・フィルに持ち込んだやり方だとか……
今村:ロジンスキーはクリーヴランドからニューヨークに移りましたから、そういうこともあるかとは思いますが、でも、ロジンスキーが創始者と、必ずしも言えないでしょ。あるいは、どちらの録音も米コロンビアだから、録音上のテクニックとして、やっていたことかも知れません。その辺は、もう少しアメリカでの戦前の幻想録音を探してみないと……。あまりたくさん聴いていない人は、すぐ、考えぬいた演奏だとか、個性あふれる演奏だとか言いがちですが、案外、流れに沿っているだけだったりして……。
竹内:そう言えば、ロジンスキーは、その後、LP時代には幻想の録音がないですね。ウエストミンスターにも、EMIにも。
今村:ええ、公式には。
竹内:また、そんな言い方(笑)。
今村:いや、例えば、ウエストミンスターから出ているハーバート・ウィリアムズ指揮ウエストミンター交響楽団の『白鳥の湖』『くるみ割り人形』や、米レミントンから出ているベートーヴェンの第1交響曲の「コンダクターX」は、発売を承諾しなかったロジンスキーの録音だ、というのは、けっこう知られているじゃないですか。
竹内:そう。それでお願いがあるのですよ。実は、この間、偶然二束三文で買ったLPでAndre de Lysan指揮のベルサイユ交響楽団の「幻想」というのがあるんです。
今村:何ですか、それって。
竹内:いかにも怪しいでしょ。これが、レーベルがイギリスのアソシエーテッド・レコーディングス・カンパニーでして、この会社は、ウエストミンスターが経営不振になってABCの傘下になった時、ほんの数年間、イギリスでのウエストミンスター盤の発売をした会社です。この幻想の発売がその時期の1963年で、しかもモノラル音源なんです。私は、これもお蔵入りしてしまったロジンスキー録音ではないかと疑っています。少なくとも、演奏の傾向は、私の感じているロジンスキー調で、多少散らかった演奏ですが、方向のはっきりしたレベルの高い指揮ぶりで、無名の三流演奏ではありません。これを、クリーヴランド盤と聴き比べてみたいんですよ。
今村:なるほど。それは興味深いですね。
(以下次号)





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リパッティの演奏と間違われて「ステファンスカ盤」が発売された頃のこと

2009年03月03日 12時04分26秒 | エッセイ(クラシック音楽)



 以下は、このところブログに掲載を続けてきた私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評1957~1966』に寄せたコラムです。私が執筆したコラムは、この一本だけです。なぜ、こうしたコラムがあるのかについては、2月28日付ブログに掲載した「まえがき」をご覧ください。そこにもあるように「コラム」は私以外の様々な方にお願いするという趣旨でしたので、当初は予定していませんでした。それがこうした結果となったいきさつについては、このブログで初めて書きます。

 発端は、私が収録を決めていた月評の文章のひとつが、出版社側から、削除の要望があったことでした。削除を要望された批評対象のレコードは、例の、リパッティ演奏と偽ってEMIが多年にわたり全世界で売ってしまったステファンスカ女史の弾くショパンの『協奏曲』のモノラル旧録音でした。それをリパッティの演奏と信じて月評が執筆されています。執筆者は、高齢になられていますが、まだご存命の方でした。私としては、その当時の月評文をそのまま本文に掲載した上で、注解によって、
 ①その盤が演奏者違いであったことが多年にわたり明らかにならなかったこと
 ②当時の岡俊雄氏のライナーノートも、他誌の月評も、「さすがはリパッティの演奏」という論旨で好評価だったこと
 ③そうした中、この月評は、「いつものリパッティとは違う」ということに言及していること
 ④翌月に発売されたステファンスカ女史のショパン『協奏曲』ステレオ録音に、同じ論者が言及している内容が興味深いこと
――などを指摘する予定で、注解原稿も書き終わっていました。
 出版社からの説明は、この文章だけは、執筆者からの再録の同意が得られなかったというものでした。あの事件は、音楽評論界全体にとって、もう今更、触れて欲しくないことだし、必ず傷つく人が出るから、自分の当時の文章を批判的に取り上げるのではないという編者の意図は理解するが、載せないで欲しいという趣旨だったと記憶しています。それで、私としては「コラム」の中で若干の引用をして触れることだけは認めて欲しいと要請し、なんとかご理解いただいて掲載したコラムだったのです。
 私は、その時も思っていましたが、おそらく最初の発売の時、誰も、決して悪意があったわけではなかったのです。ステファンスカ女史の演奏は、「リパッティと間違えられたほどの名演」などという笑えないキャッチフレーズで、真相発覚後、すぐに日本コロムビアからレコードが発売されましたが、リパッティと間違えられたから名演なのではなく、もともと、ステファンスカ女史の演奏は、別の味わいを提示しているとは言え、一方の名演ではあるのです。
 実は、リパッティの演奏にすっかり魅せられていた少年時代の私は、少ない小遣いの中から買うレコードを厳選していましたから、この「偽リパッティ」は名曲喫茶で聴かせてもらって、「かなりいい演奏だけど、自分の好きな、輝くようなリパッティのピアノが聴けないなぁ」と思ったまま、購入をパスしていたものでした。健康状態があまり良くないときの録音かな、とも思っていました。だから当時の、他誌による「リパッティらしい名演」という褒め言葉だけは納得できませんでしたし、『LP手帖』誌の的確な評に共感したのです。私は、そのことを書いておきたかったのです。
 また、この話を蒸し返して……、とお叱りを受けるかも知れませんが、一度活字になったものは、どんなものでも事実として大切に保存しておかなくてはならないと思っていますし、出来事は記録しておかなくてはならないと思っています。それが、文献を扱う者としての責任であると感じています。関係者の皆様、申し訳ありません。
 
 以下に掲載するのが、その、私が書いた「コラム」です。ややこしいですが、「OS743」という番号で発売されたポーランド・ムザ原盤(ステレオ録音)のステファンスカによるショパン『ピアノ協奏曲 第一番』再々発売時の月評に対する、私の見解として執筆したコラムです。それに続けて、このブログには、コラム文の冒頭にある「一二一ページに掲載されている初出」の「註解」も再録しました。


■ステファンスカによるショパン『ピアノ協奏曲 第一番』再々発売盤「OS743」へのコメント(コラム)
 これは本書一二一ページに掲載されている初出の再々発売である。初出盤の註解にあるように、当録音に先立つステファンスカの旧録音は、かつてEMIが、録音年も伴奏者も不祥の〈リパッティの演奏〉として、世界中で相当数を数年にわたって売ってしまった有名な演奏だが、その問題の贋リパッティ盤(AB7116)が発売されたのが、このステファンスカ再々発売の前月だった。前月号には当然のことながら、贋リパッティ盤がリパッティの演奏と〈信じられて〉批評されている。全文を掲載できないのが残念だが、そこではカップリングの真正リパッティによる《ソナタ》の演奏が、再登場にもかかわらず紙面を割いて讃えられている。「高音部が輝かしく軽やかさを持っていると同時に、低音部が断乎たる重みを持っているが、それが彼の演奏に尊厳を与えている原因であろう」という評価はまさしくリパッティの特徴的な左手の動きを言い得ている。では《協奏曲》はどうだろうか。「ここではリパッティは少しも大仰なポーズをとることはないのだが、むしろ淡々たる進行の中に尽きぬニュアンスの深さを感じさせずにはいないのである」とある。何と、ここに掲載したステファンスカ評の「彼女のショパンには大仰なところがすこしもなく、よく揃った精妙なタッチで、細やかなニューアンスを実に美しく表出している」とあるのと、見事に符号している。当時「さすがリパッティの演奏だけあって」といった言辞が氾濫したなかで、この評は、例えて言うならば〈ラベルが間違っていても味の違いに気が付く〉人もいた、ということを物語っている。


■前同の初出盤「SMZA5501」への註解
 ポーランド・ムザによるステレオ録音。当時、ソ連盤やチェコ・スプラフォンなどを発売していた新世界レコードからのポーランド・ムザ第1回発売盤。文中の「グラモフォンから出しているモノラル盤」とは、スメターチェク/チェコ・フィルとの1955年録音のスプラフォン盤。後に、リパッティの演奏と称してEMI系が世界中で売った演奏が、この55年盤。


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