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ドヴォルザークのアメリカ体験と『新世界交響曲』誕生の背景についての一考察 覚書

2015年07月21日 15時08分07秒 | エッセイ(クラシック音楽)

 

 数年来のクラシック音楽好きの友人C…君が、FMラジオで聞きつけて、ドヴォルザークの「新世界交響曲」作曲の背景には、構想だけで終わったアメリカ・インディアンの物語「ハイアワサ」を素材としたオペラがあって、それを復元したCDがあると言い出して、もう一度しっかり聴いてみたい、と言ってきました。
 もうお解りの方も多いでしょう。2、3年ほど前だったか、ナクソスの「アメリカン・コンポーザー・シリーズ」の1枚だと思いますが、ちょっと奇妙なCDが出ました。「ドヴォルザークのアメリカ」と題されたアルバムのことです。ドヴォルザークの構想していたオペラ「ハイアワサ」のためのスケッチから作成された「メロドラマ」という代物を中心としたもので、かなりでっち上げくさいものではありますが、そこから始まったC…君とのやりとりで、以前から考えていた様々なことを少し整理したので、その一端を以下に掲載しておくことにしました。もちろん「未定稿」、「そう言われてみれば~」みたいな感じで、ドヴォルザークが受けたアメリカ的インスピレーションについて、少し考えてみたことの中間報告です。

 

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 最初C…君からは、「アメリカの風」というタイトルでさまざまなアメリカの作曲家の音楽が聴けるようなプログラムに、との提案があったのですが、20世紀の西洋音楽のなかでの「アメリカ」の位置というか意味合いというものは、簡単に語れるものではないと思っていますから、それは無理でした。「アメリカ的」なるものは、モーツァルト以降に熟成した19世紀の「ドイツロマン派」の温床をひっくり返してしまったといっていいほどの、大きなものなのだと、私は仮説しているのです。そして、それに続く21世紀は、アメリカが中心になって起きた「ポスト・ロマン」の動きが、アジアと中東を中心に、「ネオ・ロマン」へと回帰し始める、という仮説です。
 それと、もうひとつ大事なことは、ドヴォルザークがアメリカに行ったころは、アメリカに渡ったチェコ移民の大きな居留地が出来ていたということ。そして、現在のアメリカの、夏の学生キャンプとか、フォークダンスのナンバーなどにチェコ移民の影響が残っている、ということです。YMCAの歌だった「おお牧場はみどり」は、今や日本人のほうがよく知っていますが、あれは、チェコ民謡が原曲です。そのことは『唱歌・童謡100の真実』(ヤマハミュージックメデイア刊)で、数年前に少し触れました。カントリー&ウエスタンのメロディも、そう見ていくと、「新世界交響曲」の第2楽章を思い出させます。――というように、どこまでも連想は続きます。

 

 「新世界交響曲」は、当時、ヨーロッパにとって〈新大陸〉として話題となっていたアメリカに新しく設立された音楽院の院長として赴任したドヴォルザークが、そのアメリカから様々な刺激を受けて生んだ傑作といわれています。けれども、その実体は、「黒人霊歌」のメロディが引用されていると、しばしば指摘されているような単純な話ではなく、もっと複雑なものがある、と言われています。そのひとつ、当時、ドヴォルザークが構想を進めていたアメリカ・インディアンの英雄譚を元にしたオペラが、新世界交響曲の源流だとする説を「音」にして聞かせるCDが数年前に発売され、話題になりました。
 それが、このCD(写真)です。

 

 
 

 「構成:ヨーゼフ・ホロヴィッツ&ミヒャエル・ベッカーマン/音楽:ドヴォルザーク」とクレジットされ、『メロドラマ《ハイアワサ》』(ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー詩)というものです。演奏者はアンヘル・ジル=オルドニエ編曲・指揮 ポスト・クラシカル・アンサンブルで、彼が編曲者でもあり、ケヴィン・ディアスというバスバリトン歌手がナレーターです。
 全体が6トラックに分かれていて、それぞれ「プロローグ」「ハイアワサの求愛」「ハイアワサの結婚式の宴」「ミンネハハの死」「パウ=プク=キーウィスの狩り」「エピローグ(ハイアワサの出発)」と題されています。
 未完のまま放置されてしまったオペラ『ハイアワサ』のために残されたメモは、旋律のスケッチに過ぎないようですが、愛読していたロングフェローの叙事詩「ハイアワサの歌」のチェコ語訳の断章が書き添えてあるので、ある程度の場面設定ができるようです。ただし、それが劇音楽なのか、歌のメロディなのか、どの楽器で演奏されるのかなど、まったくわからないので、「新世界交響曲」を参考にして指揮のジル=オルドニエが作り上げた編曲に、それぞれ該当すると思われる詩の朗読を重ね合わせて構成したと主張しているのが、この「メロドラマ」です。
 これを聴くと、「新世界交響曲」の所々に不可思議に現われる歌謡的な旋律の謎の一端(つまり、純粋にソナタ形式的な展開ではなく不意に曲想が変わったりする、ある種の風変わりさのことを言っています)が解けるようには思いますが、さて?
 そして、このCDは、メロドラマ「ハイアワサ」に続けて、ウイリアム・アームズ・フィッシャーの『ゴーイン・ホーム』が収録されています。「新世界交響曲第2楽章」によると注記され、「W・アームズ・フィッシャーの作詩と書かれています。歌っているのが先のナレーターです。もちろんオーケストラ伴奏曲です――というより、第2楽章を歌っている、という不思議なバージョンです。
 この「新世界交響曲」第2楽章の旋律に歌詞を付けたフィッシャーという人物は、ドヴォルザークのアメリカでの音楽院の同僚です。作曲者の了解をもらって作られた作品だそうですが、アメリカでは最初、この歌のほうが交響曲よりも有名になりました。日本でも堀内敬三の名訳「家路」で大正時代から愛唱され、この歌が交響曲の原曲だと勘違いしている人も多いのですが、作られた順序は逆です。
 ただ、この第2楽章の主題旋律は、この時期、ドヴォルザーク自身が院長をしていた音楽院の生徒だった黒人青年が歌う黒人霊歌に熱心に耳を傾け、書き留めていたものと深い関わりがあると伝えられています。この時、ドヴォルザークは、そうしたヨーロッパの伝統的な構造から大きくかけ離れた構造を持つメロディにこそ、未来の音楽の可能性が潜んでいると気づいたはずです。ドヴォルザークが院長を務めていたナショナル音楽院は、当時から人種差別のない革新的な思想で運営されていて、この後、20世紀の音楽シーンの様々な影響(コープランド、ガーシュイン、デュ-ク・エリントン)の源流ともなりますが、それも、この時期にドヴォルザークが関心を示した「アメリカの土地に眠る音楽」を掘り起こすことから始まったことと思われます。
 じつはメロドラマ「ハイアワサ」には、明確に新世界交響曲と同じ旋律のほかに、ドヴォルザークの『ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ』作品100の第2楽章の旋律が「ハイアワサの求愛」に現われます。このあたり、ヴァイオリンの小品として後に有名になったドヴォルザークのピアノ曲『ユモレスク 作品101-7』を思い出させます。(そう言えば、ガーシュインが6歳の時に音楽の魅力に取り憑かれた作品が、この「ユモレスク」だったというのは有名なエピソードですね。)
 「新世界交響曲」の終楽章の構想は、なかなかまとまりませんでした。そこで、ドヴォルザークは、当時かなり大きな規模になっていたアメリカに於ける「チェコ人の入植地」に出掛けます。そののどかな草原地域での母国語を話す人々との触れ合いから刺激を受け、一気に終楽章が完成したと伝えられています。アメリカの大自然の広がりは祖国の風景を思い出させ、それに黒人霊歌の旋律、リズムが、チェコの民族舞曲と重なり合って行ったのでしょう。

  こうして、ブラームスの強い影響を受けていたドヴォルザークの作風が、大きく変わり始めました。ドイツの伝統的な音楽から大きく踏み出して、真にドヴォルザークらしい作品を次々に書き上げた晩年の充実した作品群として、作品95の「新世界交響曲」に「弦楽四重奏曲《アメリカ》作品96」「弦楽五重奏曲 作品97」と続くわけですが、この流れの最後にあるのが「チェロ協奏曲 作品104」です。アメリカ在任中にほとんど完成し、任期を終えて祖国に戻ってから完成した作品ですが、この傑作もまた、アイルランド出身のアメリカの作曲家ヴィクター・ハーバートの「チェロ協奏曲」が刺激となっているということが、最近、立証されています。ヴィクター・ハーバートもアメリカでのドヴォルザークの同僚ですが、院長として在任していたドヴォルザークを、自身が独奏する自作の「チェロ協奏曲」の初演に招待し、チェロ協奏曲の書法についてドヴォルザークに大きな刺激やヒントを与えたとされている人物です。そして、ドヴォルザークは、この「チェロ協奏曲」の完成後は、「交響曲」「ソナタ」「協奏曲」「弦楽四重奏曲」など、古典的な形式を堅固に守る作品をほとんど書かなくなり、祖国の民話に材を採った交響詩やオペラの作曲などに多くの時間を割くようになります。
 ドヴォルザークがアメリカによって目覚めさせられたこととは、何だったのでしょうか? 軽々に断定することはできませんが、ひょっとするとそれは、ヨーロッパの伝統からの開放だったのではないでしょうか? ドヴォルザークがアメリカに渡った時期は、建築様式では「脱ゴシック建築」がトレンドで、「プレーリー・スタイル(=草原様式)」が提唱されていました。それが「時代のアトモスフィア(=気分)」でした。そんなことを重ね合わせて考えてみると、おもしろいかも知れないと思っています。つまり、「新世界交響曲」や「アメリカ四重奏曲」や「チェロ協奏曲」などの傑作群は、「望郷の念」が生んだものではなく、ずっと彼を縛り付けていたドイツ・オーストリアの音楽伝統から解き放たれた心が生んだ作品だということです。そう思ってコープランドやアイヴス、バーバーの作品を聴くと、何かしらの感慨があります。それは、どこまでも広がる草原の輝きのようなものかも知れません。

 

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私が訳と監修をしているマンガ『論語くん』の単行本がまもなく発刊されます。

2015年07月14日 13時01分34秒 | 「論語」をめぐって

 アマゾンで私の書籍を検索なさった方は、もうお気付きのことと思いますが、今週の土曜日7月18日、夏休みの始まりに、毎日新聞社から、この本が発行されます。昨年の4月1日から毎日、月曜日から金曜日まで、ずっと欠かさずに「毎日小学生新聞」に連載されて二年目に突入、けさ我が家のポストに入っていた新聞には「連載第322回」が掲載されていました。

 この「論語をめぐって」のカテゴリーで当ブログをたどれば、ことのいきさつがおわかりいただけると思いますが、縁あって「論語」の子供向けの解説・訳を始めて、もう何年になるでしょうか。その間、小学館、学研から「論語」関連書を出しましたが、この毎日新聞との仕事は、それを本格的に通覧するよい機会となっています。

 毎朝、「毎小」の紙面に、私が作成した「論語」の書き下し文と現代語訳が一章ずつ載って、それを踏まえての三谷幸広さんによる「論語くん」たちのドタバタ劇が展開されているのです。三谷さんは藤子・F・不二夫プロに長くいた方で、教育マンガ書をたくさん手掛けているので、私も毎回、おもしろく読ませていただいています。

 この一年ほど、日刊の「論語」にかなりの時間を取られてしまいましたが、もうそろそろ、本来のペースを取り戻さなければなりません。じつは、その決意と反省を込めて、先日、アマゾンの「著者紹介文」を書き換えてもらいました。以下に転記します。これが、今の状況です。

 

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文化史家、音楽評論家、書籍編集者。1949年生まれ。詳細な調査を行なって解説したCD『黎明期の日本ギター曲集』(演奏:山下和仁、日本クラウン)が1999年度文化庁主催芸術祭大賞を受賞して以来、近代日本の西洋音楽受容史に深く関心を持って研究を続けている。レコード・CDコレクターとしても著名で、その収集の成果は、演奏スタイルの変遷を踏まえたクラシック音楽評論として、独自の視点を示している。CD解説も、演奏史を踏まえた視点から「名盤復刻」を中心に300点以上執筆。これらの西洋音楽受容史研究から発展して、大正・昭和初期文化に関連して「セノオ楽譜」「楽譜絵葉書」などの「大正イマジュリィ」に言及した著作や校訂・編集の仕事もしている。2012年7月には第二音楽評論集『クラシック幻盤 偏執譜』をまとめたが、こうして広がった視座をもとに、数年後を目標に第3評論集と、西洋音楽受容史研究第2弾の構想を練っている。一方2013年、10月、小学館および学研から相次いで小・中学生向けに『論語』を翻案・解説した書を発表。これらは、「論語少女」として話題になった『崖の上のポニョ』(スタジオ・ジブリ作品)の声優・ならゆりあとの出会いを機に、書籍編集者の視点で、これまでの多くの『論語』解説書を比較・検討して独自に完成させた「全訳」の一部を掲載したもの。これを受けて2014年4月1日より、毎日新聞社発行の『毎日小学生新聞』でマンガ「論語くん」連載(月~金)の監修を開始(マンガ担当は三谷幸広)。紙上で連日「論語」の子ども向け現代語訳を1章ずつ紹介して既に2年目に入り、その連載は300回を超えた。わかりやすく補筆した大胆な翻訳スタイルと、自由・平等・平和を希求する新しい孔子像を提示して好評を得て、2015年7月、単行本化第1弾が刊行される。2015年6月現在は、昨年秋に在庫切れとなった「唱歌・童謡100の真実」(ヤマハミュージックメデイア刊)を増補新版として再刊するための新原稿20曲分の仕上げの遅れを取り戻すべく、調査・執筆に短期集中している。

 

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 ――というわけです。

 

 

 

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マゼール/ミュンヘン・フィルのヴェルディ「レクイエム」を聴いて思い出したことと、デ・サバタの名盤

2015年07月08日 16時27分42秒 | クラシック音楽演奏家論

 昨日のこのブログの冒頭CDの補遺としてお読みください。カテゴリーが「新譜CD雑感」のほうなので、スマホ等では、切り替えないと出てこないかも知れません。じつは、昨日のブログ掲載分を読み返していて突然思い出したことから、さまざま、連想が広がってしまったので、とりあえず、私自身の覚書のつもりで以下に書きます。したがって未定稿です。ひとつの問題提起としてお読みいただけると幸いです。

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 昨年の7月に世を去ったマゼールの、現在時点では最後の公式な演奏会記録として、すべての演奏会をキャンセルした4月に先立つこと2ヵ月ほどの2014年2月7日にミュンヘン、ガスタイク・ホールで行われたミュンヘン・フィルとのコンサートがCD発売された(写真)。曲目はヴェルディ『レクイエム』で、この大編成の作品を良好な音で収録しているところから推察して、マゼール自身もCD発売を念頭に置いてのマイク・セッティングを了承して行われたコンサートではなかったかと思われるものである。

 このCDの演奏そのものについては別の機会に書くが、あれほどに豊富で長期にわたったマゼールのディスコグラフィに、この曲の正規セッション録音がないということばかりが指摘されているので、ひとこと書いておきたいと思ったのが、そもそもの発端である。

 確かに1950年代後半から始まるマゼールの録音歴に、この曲は登場しない。だから数年前にイタリアでの野外劇場でのライヴ収録のDVDが発売されたときには慌てて購入したのを憶えている。

 なぜ、マゼール指揮の「ヴェル・レク」がないのだろう。私は、その理由はマゼール自身の想いの中にある、と考えている。

 もうずいぶんと昔、確か1960年代のことだったと思う。記憶だけで申し訳ないのだが、何かのインタビューでレコード録音の意義について問われた時、マゼールは、「リパッティの一連の録音のいくつか、サバタのヴェルディ『レクイエム』の録音は、我々人類が録音という手段を持ち得たことを神に感謝する例だ」というようなことを語ったはずだ。今にして思えば、この二つは英EMIの大プロデューサー、ウォルター・レッグが心血を注いだ代表的な仕事だから、60年代の初め、たった2枚のLPレコードをレッグの下で録音しただけで、「芸術上の意見の相違」(レッグの証言)で仲たがいしていた状態を解消しようと思っての発言である可能性もあるが、青年の時期をローマに留学してサバタゆかりの「聖チェチリア音楽院」で学んでいたマゼールにとって、後段は本心から出た言葉のようにも思う。

 死の病に冒され1953年に第一線を退いたサバタを説き伏せ、スカラ座管との「ヴェル・レク」録音に執念を燃やしたレッグは、1954年6月下旬にスカラ座を借り切り、EMI本社を説得して機材と人材を揃え、(心臓疾患だったはずだが「しばしば咳き込み、喀血し、休憩するサバタを気遣いながら」と記述している文献もあったと思うが、いずれにしても、)6月18日から22日、2日の休息を挟んでの25日から27日までと、なんと8日間もかけて、全曲90数分の演奏記録を完成させたのだ。当時イタリアで勉学中だったマゼールと、このサバタの一世一代の渾身の名演とを繋ぐ糸が、心理的に皆無であるはずがない。

 何者をも恐れずに生き抜いたかに見えるマゼールだが、青春時代を過ごしたイタリアが生んだ天才指揮者サバタが残したものを越える日が訪れる予感が、やっと生まれてきたのが、ここ数年ではなかったかと、私は思っている。マゼールにとって、喉にささったままの小骨のようだった曲目が「ヴェル・レク」ではなかったか、ということである。

 私の仮説は、まだ続きがある。マゼールは、レスピーギ『ローマ三部作』の内、「松」は2回録音し、「祭」も1回録音しているにもかかわらず、『ローマの噴水』は、とうとう録音しなかった。思えば、サバタの名録音のひとつが、聖チェチリア音楽院管弦楽団を振った『ローマの噴水』だ。あの、まぶしいほどに躍動し歌い上げ、跳ね回る音楽は、トスカニーニからも聞こえてこない。マゼールが「噴水」の録音を避けたことも、サバタへの敬意と畏怖だったのではないだろうか。そう考えると、ニューヨーク・フィルを去ったあとだったか、マゼールのイタリアでの活動が目立ったことも、何かしらの関係があったと思われる。

 マゼールが、自らの手で「人生のまとめ」を完遂させないままで終わってしまった今、そんな想像を巡らせてみた。

 

【2015年7月9日加筆】(本文の主旨にはかかわりがありませんが…)

 サバタの指揮するヴェルディ「レクイエム」は英コロンビア(33CX)と、ジャケットが色違いの仏コロンビア盤の2種を持っていますが、フランス盤のカンカンする音とイギリス盤の落ち着きのある渋い音との中間くらいのものがないかなぁと思っていましたが、10数年前に英EMIから「イタリア管弦楽曲集」と組み合わせた2枚組のCDが出て、その同内容のCDが東芝EMIからも出ました。私はこの微妙にリマスタリングされて調整された東芝の音が、一番好きです。ここに、レスピーギ「ローマの噴水」も入っていて、これでないと、サバタのグイッとせり出してくる弦のつややかで表現意欲にあふれた輝きが出てきませんでした。

 1枚目の写真は東芝が70年代初頭にLP化したSPレコードからの復刻。私がサバタのレスピーギを初めて聴いた盤です。針音ノイズや低域のブーストをそれほど気にしなければ、それなりにいい音で聴けるし、演奏のディテールも伝わって、音楽が迫ってきます。90年代初期に「レコード芸術 名盤コレクション」の1枚として頒布されたCDは、この音です。

 

2枚目の写真は1995年にイタリアEMIから発売された2枚組CDです。「トスカ」全曲と「レクイエム」を除く全てのEMI録音の集成で、リマスターはロンドンのEMIスタジオで行なっています。1枚目のベートーヴェン「田園」とドビュッシーはすばらしい音質で、サバタの音が前面に迫ってきますが、2枚目が硬い音で聞きづらいものが多いのです。特にレスピーギがいけません。表記をみると、このあたりだけ78回転の金属マスターからの再録のような表現になっていますので、音質の違いはそれが理由でしょうか。結局、そのあたりを再度修正したものが、「レクイエム」の付録に収められているのでしょう。このほかにも、レスピーギを聴くだけでもいくつも購入しているはずですが、概略は、こんなところです。1946年ころからのほぼ10年間の録音は特に、LPもCDも、それぞれで音がまったくちがうので、みなさんもそうでしょうけど、たいへんですね。

 

(7月11日追記)英テスタメントから、未発売だったドビュッシーと組み合わせて、レスピーギが出ているのを思い出しました。まだ比較していませんでした。近日中にさらに追記します。)

 

(7月14日追記)英テスタメントのCD は、デコボコをきれいに刈り込んだような音でした。ある時期以降のCDによく聴かれる音です。

 

 

 

 

 

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マゼールのヴェルディ・レクイエム/ルガーノのアルゲリッチ/若き日のランパル/フランス国立管80周年BOX

2015年07月07日 12時39分13秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

半年ごとに、新譜CDの中から書いておきたいと思ったものを自由に採り上げて、詩誌『孔雀船』に掲載して、もう20年以上も経ちました。一昨年までの執筆分は、私の第二評論集『クラシック幻盤 偏執譜』(ヤマハミュージックメディア刊)に収めましたが、本日は、最新の執筆分で、昨日書き終えたばかりの今年上半期分です。いつものように、詩誌主宰者のいつもながらのご好意で、このブログに先行掲載します。なお、当ブログのこのカテゴリー名称「新譜CD雑感」の部分をクリックすると、これまでのこの欄の全ての執筆分が順に読めます。

■マゼール追悼として、ヴェルディ「レクイエム」を聴く
 マゼールの訃報に接してから、もう一年が経過してしまった。マゼールという「存在」そのものが、二〇世紀芸術の基本的命題を解く鍵だという私の思いについては、昨年七月にブログ上でさまざま書いたので、ここでは繰り返さない。だが、アクシデントからの死によって結果的に「晩年の仕事」となってしまったマゼールのミュンヘン・フィルとの一連の演奏は、私が予測していた方向、すなわち「自意識からの開放」へと向かいつつあるものだっただけに、その行く末は見届けたかったと、今でも思っている。マゼールは、過剰な自意識の処理方法を模索し続けた、その意味では最も20世紀的な音楽家だったからだ。今回ソニー・クラシカルから発売されたこのCDは、昨年七月十三日に世を去ったマゼールが、四月以降の演奏会をキャンセルする少し前、二月六日のミュンヘン・フィルとの演奏会ライヴ。今のところ公式に聴ける〈マゼール最後の演奏〉というわけである。この録音を聴いて、まず強く印象付けられたのは、アメリカのオーケストラのような明るくてよく抜ける金管の響きを、このドイツのオーケストラから引き出していることだった。音響の見通しがとてもよく、細部の動きが透けている極めてパースペクティブな仕上がりだ。だが、そうしたマゼール的な美質に留まってはいないのが、「晩年のマゼール」だった。「アニュス・ディエ」以降は、ほんとうに美しい。このようにじんわりとしみ込む音楽を待てるようになったのだ。敬虔な喜びにあふれ、巨大な音楽は一点の曇りなく響き渡る。改めてマゼールの突然の死を無念に思い涙した。


■アルゲリッチ&フレンズの「ルガーノ・ライヴ2014」
 マルタ・アルゲリッチが、気心の知れた音楽家を集めてルガーノで音楽祭を催し、そこでの演奏からセレクトして三枚組CDアルバムを毎年リリースして、もう何年目になるだろうか。この一連のシリーズでは、知られざる作曲家の作品の発掘や、さまざまの管弦楽曲の室内楽バージョンによる演奏などが目白押しで、中々に楽しませてくれる。また、協奏曲でアルゲリッチが感興にあふれた演奏を繰り広げているのも、毎年聴きのがせないものだ。数年前に、演奏のレベルの高さだけでなく、その選曲の面白さもあってにわかに私のコレクター魂が刺激され、イギリスのアマゾンで中古盤を買いあさり、あっという間に、その最初から全部を買い揃えてしまってから、もう何年にもなる。昨年のルガーノでの演奏を収録したアルバムも、例年通り年が明けてから発売された。当シリーズをこの欄で初めて採り上げるのに、意欲的な曲目ではなくスタンダード名曲を採り上げることになってしまうのが面映ゆいが、今回は、どうしても書いておきたくなった。モーツァルト「ピアノ協奏曲第二〇番ニ短調K466」である。ヴェーデルニコフ(発売時の表記「カプスシク」は誤り)指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団と共演するアルゲリッチのピアノがすばらしい。最初から惹きつけられるが、第二楽章に入って、しみ込むように豊かで暖かな歌がひろがると、そこは、もうアルゲリッチの独壇場だ。よくうねり、よく歌う生きた音楽が、珠のように転がり出てくる。こんなにも美しい曲だったとは! いい仕事をして老いてきた人なのだと思った。


■若き日のジャン・ピエール・ランパルの至芸が復刻された
 ジャン・ピエール・ランパルは、フルートという楽器の魅力を広めた人としては二〇世紀最大の功労者だと思っているが、その若き日、一九五〇年代から六〇年代初頭の仏エラート社への録音は廃盤になったままのものが多く、私の思い出のLPレコードも、CD化されていないものがたくさんあった。それが、つい先ごろ、フランスで一気に一〇枚組BOXで発売された。私が特に欲しかったのは一回目録音のモーツァルト「フルートとハープのための協奏曲」と、テレマン「無伴奏フルートのための幻想曲(抜粋)」。どちらも小学生、中学生時代からLPレコードで長く愛聴していた。「協奏曲」は「パイヤール室内管弦楽団」の前身「ジャン=マリー・ルクレール合奏団」をパイヤールが指揮して伴奏している旧録音で、数年後に同じくリリー・ラスキーヌのハープ、パイヤール室内管弦楽団で再録音した演奏とはちがう。この演奏のほうが、引き締まった造形感を前面に押し出した個性的な演奏に仕上がっているのだ。無伴奏フルート曲を集めた一枚は、今回のCDではオリジナルLPの収録順と異なり、J・S バッハの「ソナタ」、テレマン「幻想曲 6曲」、C・P・Eバッハの「ソナタ」の順だが、作曲年代、時代様式からは、このほうが自然な流れなので、企画段階では、おそらくこうだったのだろう。LPレコードでは、A面に二つのソナタを収め、B面に6つの「幻想曲」が続けて収められている。テレマンの「幻想曲」は晩年になってから12曲全曲をデノンに録音したランパルだが、この選び抜かれた6曲の演奏からあふれ出てくる自在さと輝きがなくなっている。


■フランス国立放送局管弦楽団創立八〇周年記念アルバム
 現在のフランス国立管弦楽団の古い貴重な音源を8枚のCDに収めたBOX。私は、レコードという商品が大きなマーケットに成長した第二次大戦後に、西洋音楽演奏のグローバル化が本格化したと考えているのだが、その顕著な例はフランスの演奏に現われていると思っている。(前項のランパル~ラスキーヌ~パイヤールの旧録音のモーツァルトもその好例。再録音され、ずっと標準的な名演として何度も再発売された録音と異なり、ちょっと異質なモーツァルトだということが、よく聞くと感じられるはずだ。)ドイツ・オーストリア圏の音楽を自分たちの感性で演奏していたフランス人が、明らかな融合へと徐々に向かっていったのが一九五〇年代で、その過程を、私たちはシューリヒトやクナッパーツブッシュが指揮したパリ音楽院管の録音で聴いてきている。第二次大戦終結前にザハリッヒな演奏スタイルを身につけていたシューリヒトはその適役だったが、そう見て行くと、フルトヴェングラーのマーラー観をがらりと変えてしまったと言われているフィッシャー=ディスカウを独唱者に迎えた「さすらう若人の歌」は興味深いわけだ。残響音の短かいシャンゼリゼ劇場などフランスのホールでの収録から聞こえてくるクリアな響きはいかにもフランス的で、クリップスやシューリヒトのドイツ音楽だけでなく、クリュイタンス、クレツキー、ホーレンシュタイン、チェリビダッケ、バーンスタイン、マゼールなど、それぞれの指揮者の音楽が、まるでレントゲン写真のように晒されている。もっと系統立ててまとめると、更に見えてくるものがあるはずだ。

 

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