1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
なお、2010年1月2日付けの当ブログでは、このシリーズの特徴や意義について書いた文章を、さらに、2010年11月2日付けの当ブログでは、このシリーズを聴き進めての寸感を、それぞれ再掲載しましたので、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。
以下の本日掲載分は、第3期発売の15点の7枚目です。
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【日本盤規格番号】CRCB-6067
【曲目】リヒャルト・シュトラウス:アルプス交響曲
:交響詩「ドン・ファン」
【演奏】ノーマン・デル・マー指揮BBC交響楽団
ジョン・プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
【録音日】1982年8月4日、1982年12月17日
■このCDの演奏についてのメモ
リヒャルト・シュトラウスの2作品を収めたアルバムで、オーケストラはどちらもBBC交響楽団。いずれも1982年のコンサート・ライヴだが、会場、日時が異なり、指揮者も「アルプス交響曲」がノーマン・デル・マー、「ドン・ファン」がジョン・プリッチャードと、異なっている。
ノーマン・デル・マーは1919年に生まれ、1994年に世を去ったイギリスの指揮者。名指揮者トーマス・ビーチャムに見いだされ、ロイヤル・フィルのホルン奏者をしながら、やがて指揮者となった。BBCスコティッシュ交響楽団などで活躍し、後期ロマン派を得意にしていた。特にリヒャルト・シュトラウスについては著作もあり、周到な研究を演奏で実践していたと言われるが、あまり録音には恵まれていず、1990年録音で交響詩「マクベス」および、交響的幻想曲「イタリアから」がASVレーベル(日本クラウン発売)にある程度だった。BBC-RADIOクラシックスのシリーズでは、管弦楽伴奏付きの歌曲とオーボエ協奏曲の録音が発売されているが、デル・マーのR・シュトラウス演奏の本領を発揮するレパートリーとしては、今回の「アルプス交響曲」が一番だろう。
デル・マーの〈アルプス〉は不思議な世界だ。金管群と弦楽とのバランスが、聴き慣れたリヒャルトのサウンドよりずっと薄めの管の響きを基本にしているからでもあるが、いわゆる壮大な山を想起させる部分よりも、「森への立入り」以降しばらくの間のように平面的な動きの部分で、独特のきめ細かな音楽を聴かせる。「頂上」での呼吸も決して深くないので、響きが分散していく。むしろ、その直後の「見えるもの」のなだらかな流れのほうが自然で好ましい。そして「哀歌」。デル・マーの自然観が音楽の表現にまで及んでいるようで興味深い。イギリスの自然には切り立った山々は似合わないのだということを、音楽で知らされるとは思わなかった。
一方、プリッチャードの指揮する「ドン・ファン」は、デル・マーの録音の数ヵ月後程度であるにもかかわらず、同じオーケストラとは思えないほど、鳴り方が違う。プリッチャードは長い間、ドイツのケルン歌劇場の指揮者をしていたせいか、冒頭から、金管の弦へのかぶさり具合がスタンダードな響きだ。低域に重心の寄ったサウンドのバランスも普通に聞こえる。この二人のリヒャルト演奏の比較は、演奏の「らしさ」とか「お国ぶり」を考える上で、興味の尽きない現象を生み出している。(1996.6.30 執筆)
【ブログへの再掲載に際しての付記】
これも、執筆当時のことをよく覚えています。イギリスの風景画だとか、イギリス詩人の田園詩を読んだりしたときに漠然と感じていたものの正体に気づいたように思って、膝を打ったのを思い出しました。
私の編著になる『クラシック名曲名盤事典』(ナツメ社)で寄稿をお願いしたひとり岡田敦子さんが使った「農耕民族的な演奏」といった表現を、すっかり気に入って私も多用するようになったのは、この頃からだったと思います。当然のことですが、それぞれの民族の感性は、自然環境にも大きく左右されています。富士山のなだらかな稜線を美しいと感じるのが日本人の感性です。最近は、無理して西欧の感性のまがいものを目指さずに、自分の感性に素直な演奏家が日本人の中からも出てきたように感じていますが、イギリス人はとっくの昔に、自分たちの感性を、堂々と表現していたのです。