goo

「論語カルタ」の著者にもなりました!

2013年12月24日 14時19分27秒 | 「論語」をめぐって
 ご報告が遅くなりましたが、10月8日に既報のように小学館から『ゆりあと読もう はじめての論語』という本を出しましたが、じつは、その2週間後の10月20日過ぎに、学研から『論語なかよしかるた』というものも出しました。(写真参照)

 カルタがメインの商品で、それに解説の小冊子と読み札を読み上げるCDが付いただけのものですが、一応、書籍に準じる商品で、アマゾンやその他書店の通販サイトでも、私の著書として出品されています。付属CDは小学館の本で活躍してもらった子役タレントのならゆりあが読み手です。2冊合わせてのキャンペーンの展開を今、「ゆりあの論語プロジェクト」のスタッフたちと練り上げていますが、先月の末には「毎日小学生新聞」で大きく採り上げられましたので、いち早く、ちいさな子どもたちの間で話題になってくれるといいな、と思っています。
 小学館の本は、小学校高学年以上が設定読者ですが、暗唱を主眼にした「かるた」は、小学校2年生くらいから行けるかな、とは、制作者の目論見です。かるたへの収録フレーズは46本、選定はかなり試行錯誤しましたが、現代語訳と解説は全編書き終えているので、それほど大変ではありませんでした。ただ、やはり、ちいさな子どものために、という配慮での書き直しで編集担当者とのやりとりがあり、これは、私もずいぶん勉強になりました。
 私自身の幼い頃の記憶でも、小学校の5、6年生の頃にはかなりがんばってオトナの本を読んでいたので、小学館本は、もともと子ども向けを想定して書いていたこともあり、微妙な言い回しの工夫とルビ使用でクリアできる範囲でしたが、さすがに学研本は、もっと工夫が必要だったということです。
 何はともあれ、たのしい「かるた」が出来上がりました。私としては、幼いうちから憶えておいてほしい「論語」のことばばかり選んだつもりです。それに、とてもかわいい絵を付けてもらいました。かなり忙しい進行でしたので、選定句一覧だけで先に絵が出来てしまってから、私の解釈・解説と合わなくて書き直しなどというものもあってご迷惑をかけてしまいましたが、「こんな短期間で、このクオリティ?」と、久しぶりに、若いスタッフの方のパワーに圧倒されました。よいものが出来上がって感謝しています。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ミュンシュ1948年録音『幻想交響曲』への疑問から始まった、この時期のHi-Fi的音質の良さの謎が解けました

2013年12月17日 17時49分52秒 | エッセイ(クラシック音楽)



 12月10日に始まった「仮説」から、ずっと続いています。ご興味のある方は遡ってお読みください。
 以下は、昨日、私が提示した疑問への今村氏からの返信です。そのまま、転載します。

 ==============
なるほど、竹内さんの興味の中心は、何故ミュンシュ/フランス国立の『幻想』が同時代のSP復刻より格段に音が良いのか、に関して、でしたね。
米コロンビアが新しいフォーマットのLPを発表したのが1948年6月21日で、年内に百枚程のタイトルをカタログに揃えましたが、LP発売が先行したものは、ほんの数枚だけで、ほぼ全てが45~48年に発売されたSPのLP発売であり、中には40年に発売された古いタイトルも含まれていました。
問題は、これ等の録音が従来のSP録音の方法(直接カッティングする)でマスターを製作していたのかどうか、という事になると思いますが、これには岡俊雄氏が、来日したゴダード・リーバーソンに訊いた話が参考になるでしょう。
それは、1948年夏の時点で、未だ米国でもテープレコーダーは録音に使用されてなかった(米コロンビア、RCAが一斉にテープレコーダーを使い始めたのは1950年から)が、米コロンビアでは40年代の初めから、40cm、331/3回転のラッカー・マスターを使い、外周の音の良いところだけに、10分程度の録音を行い、そこからSP用のマスターを製作していたので、LPは、この40cmマスターに遡ってトランスファーされていた、というものです。
この方法は米コロンビアがいち早く取り入れたものですが、RCAも48年頃には採用していたようで、米国のメジャー・レーベルの録音クオリティは、テープレコーダーが使用される前に、既に従来のSP時代より、一段階進んでいた事になります。
これにffrr等のハイファイ録音で有名な英デッカが注目し、やはり48年頃には40cmラッカー・マスターを採用したという事ですから、竹内さんがブラームス『協奏曲』で推測された話は、米コロンビアの出張録音では?  という点を除けば、ほぼ当たっているのではないでしょうか。
ミュンシュは当時、パリ音楽院管などで英デッカにいくつか録音しているので、48年の英デッカの製作なら、既に新しい40cmラッカー・マスターを取り入れていて、通常のSP録音より優れていたとしてもおかしくないという事です。
しかし、これはブラームスのヴァイオリン協奏曲に関する事で、それは話の枕に過ぎないと竹内さんは繰り返していますが、ここで竹内さんの『幻想』録音に関する推測に合致するかも知れない、全く新たな可能性が出て来ました。
それは、例の有名なミュンシュが表紙になった『ライフ』誌(1949年12月19日号)の記事に、[ミュンシュの名前は今まで米国音楽界ではビッグではなかった。彼は1946-47年シーズンに、ボストン響、ニューヨーク・フィル、シカゴ響、ロサンゼルス・フィル等の客演指揮者として、初めて米国を訪れた。また、1948年には、フランス国立放送管を率いて、米国ツアーを行った。]とあり、そうなると、既に40cmラッカー・マスターが使用されていた米国内で、『幻想』が録音された可能性もあるかも知れません。
勿論、この40cmラッカー・マスターは放送用トランスクリプション・ディスクと同じ規格なので、米コロンビアというより、CBSが録音したものかも知れないですが、いずれにせよ、ミュンシュ/フランス国立放送管の録音に関して、米国ツアー中の製作の可能性も有ると言えるのではないでしょうか。

 ===============

 SP録音時代末期の高音質音源はテープレコーダーの類を使用しているのでは? というのが、思い込みに過ぎないということがわかりました。
 LPレコードの製作には、極小の溝を刻む技術が不可欠だったと聞いたことがあります。いわゆる「マイクログローヴ」です。この極小の溝で細かく詰め込んだものをプレスする素材としてシュラック盤では無理があり、試行錯誤の末、やっと塩化ビニールに辿りついたとも聞きましたが、それ以前のものが40cm盤というわけですか。それも外側から数cmだけしか使えなかったとは…。10分間でどのくらい内周まで進んで行ったのでしょうね。私は、テープレコーダーの技術が1940年代の半ばのアメリカでは実験的に成功していたのかと思っていましたが、そうではなかったわけです。テープレコーダーでの録音が1950年からとは意外でした。ということは、その普及までは、かなり急速な進展だったのですね。
 じつは、舞踊家だった私の父親は、仕事での必要もあって、確か1950年代の半ばには東京通信工業(略称は「東通工」、ブランドは「SONY」)の普及型テープレコーダーを買っていました。1958年の5月に亡くなった私の祖父の声を、その死後に何度も聞いた記憶がありますから、おそらく1956年か57年に購入したのだと思います。昭和で言うと31年か32年です。
 私の家は、1958年のテレビ購入より先に、テープレコーダーが在ったのです。私が小学1年生か2年生。親戚が集って宴会となって歌が出ると、私は父親の命を受けて録音係。当時の「一時停止ボタン」は指で押さえ続けなければならなかったので、親指の腹が真っ赤になってしまったのを覚えています。
 ――思わぬ方向に脱線してしまいました。きょうの今村氏からの情報は、目からうろこ、でした。テープ録音は、意外と歴史が浅いのですね。だから、ステレオ収録がなかなか進まなかったわけです。でも、そのテープを使ってRCAがステレオでの収録を始めるまでには、わずか1、2年ですし、そのまた6、7年後には、マイクログローヴの両側に別々の音を刻み、別々に取り出すという「ステレオ・レコード」製造の技術が完成したわけですから、凄いことです。

 ミュンシュ/フランス国立放送局管が1948年にアメリカ演奏旅行に行っていたという事実は、うっかり見落としていました。ますます米コロンビアの技術で録音された可能性が高まりました。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

レナルディ/ミュンシュのブラームス『ヴァイオリン協奏曲』についての、いくつかの疑問への続報

2013年12月16日 17時39分02秒 | エッセイ(クラシック音楽)
先日、レナルディ/ミュンシュのブラームス『ヴァイオリン協奏曲』の録音日についての疑問を提示しましたが、早速、今村亨氏から、返信がありましたので、以下に掲載します。
 ===============
 レナルディの録音日については、ネット検索した中の幾つかを参照しました。
 当時の有名な批評家アーヴィング・コロディンのレビューと共に紹介すると、以下の通りです。

《オッシー・レナルディが作った、オーケストラとの協奏曲録音は、1948年6月27日に録音された、シャルル・ミュンシュ指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管との、ブラームス『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』である。発売された時、この録音はハイフェッツ、シゲティ、ヌヴー、メニューイン等に匹敵し得る価値があると見なされた。アーヴィング・コロディンは『録音された音楽の新しいガイド』(1950年ダブル・デイ出版社、ニューヨーク)の中で、この78回転盤セットを評し、「レナルディがスコアから引き出したシゲティ、ハイフェッツ、ヌヴー等、以前に提供された如何なる録音ソースにも優る豊かな色彩の数々だけが、この演奏の価値なのではない。レナルディの演奏はとても実演的で若々しいが、陥りやすい大衆受けを狙った表現が、一貫してコントロールされている。ミュンシュの伴奏は極めて優秀にそれを支えている。」と述べている。》

 こうした古い録音には、いつの間にか幾つかのデータが混在してしまうのが常ですが、少なくとも1948年製作のSP録音であるのは確かでしょう。

 ================
 以上が、今村氏からの返信です。今村氏も、私の真意を誤解しているようなので、念押ししますが、私は、この演奏の「初出」がSP盤であることに疑問を持ってはいません。ただ、最初期の米コロンビアのLPレコードの音源が、「商品としてのLPレコード」の発売前に、いくつかが「SPレコード」で発売されているのと同じことが、1948年録音のこの英DECCA録音でも言えるのではないだろうか、ということです。
 米コロンビア最初期のLPの音源は、その数年後に(「アントレ」という名のシリーズだったと思いますが)LPで発売した旧吹き込みSP盤のLP化とは異なる優れた音質なのだと、喧伝していたはずです。当時は、それを「Hi-Fi録音」と言っていたように記憶しています。このところ、この場で話題にしているミュンシュ/フランス国立放送局管の1948年12月録音や、同年の6月とも9月ともいわれているレナルディとミュンシュの共演盤が、実感として、聴き慣れたシュラック盤からの板起こしの音とは違うなァと思ったということなのです。このあたり、SP盤やSP時代の録音に詳しい方なら当たり前なのかも知れませんが、それでも、同じ頃、1948~49年の英EMIのSP録音のCD化より、ずっと「Hi-Fi」に聞こえるのです。
 私の気の迷いだったら、お騒がせ、申し訳ないことです。

 ところで、この一件で気になってしまったので、久しぶりにJames Creighton『DISCOPAEDIA of VIOLIN』を引っぱり出してみました。私の手元にあるのは、第2版ですが、そこでは、今村さんのご指摘どおりの米盤と英盤のSP盤番号、LP盤番号ともに掲載されていますが、何と、録音日がまったく記載されていませんでした。これは、この本では比較的めずらしいことです。つまり、この第一級のヴァイオリン資料が編纂された時点では「録音日不詳」だったということになります。そして、米・英のDecca盤に並んで、米Everest盤のSDBR3314という番号が掲載されていました。Everestレーベルが、様々な古い音源を買い漁っていた時代のものです。権利が複数社にまたがっていたり、権利社があいまいになっていたり、経営難で売却されたりしたものが対象になっていたと思います。と、いうことは、このレナルディ/ミュンシュ盤、Deccaのオリジナルの仕事ではなかったのかも……なんて、また泥沼です。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

M・ブラウン指揮アメリカン・ラジオ響の『パリのアメリカ人』のこと、レナルディの復刻CDのことなど。

2013年12月13日 18時11分29秒 | エッセイ(クラシック音楽)


先日、12月3日付のこの場で、ユージン・リストというピアニストについて書きましたが、久々に「瀕死の若様」を名乗る匿名の読者の方から、その続報を書いた12月9日分にコメントが舞い込みました。公開処理をしましたが、ここにも再掲します。

=================
既に解明済みだとは思いますが、「パリのアメリカ人」のことが気になったので、手元の米シュワンのカタログで調べてみたところ、1976年版「演奏家別」に載っていました。VOX/STPL513.030のレコード番号で「ラプソディ イン ブルー」との組み合わせです。ピアノ独奏はK.Perkinsとの表記。指揮者、独奏者のフル・ネームは何れも不明で、そもそも独奏者は「ピアノ」のページでは全く無視されていて、「指揮者」のページにはBrown,M(ご存知の如く通常は姓名がすべて記載)とあるのみ。
 ユージン・リストの「録音年代の特定」は興味津々です。個人的には1960年代半ばではないかと思いますが。それにしてもCDのブックレットに録音データが印刷されていない、というのは誠にお粗末。

=================

そして、同じ頃、私のレコードコレクター仲間の今村亨氏からも、以下のメールが到着しました。

=================
ご指摘の通り、『パリのアメリカ人』は別の『ラプソディ~』との組み合わせで米VOXから発売(STPL-513030)されていましたが、既にフィリップス録音のロベルト・ベンツィ等もVOXカタログに載っていた頃なので、これがVOXの自社制作音源なのかは不明です。
=================

また、今村氏からは、12月10日付の方で私が言及したミュンシュ『幻想』1948年盤の枕になっているヴァイオリニスト、オシー・レナルディとミュンシュのブラームス『協奏曲』についても、以下の情報が寄せられました。

=================
レナルディのブラームスは英デッカ製作のSP録音(1948年6月)で、米ロンドンがLP発売を始めた時(1950年1月)、その最初の番号(LLP-1)に選ばれました。また、英デッカでのLP発売(LXT-2566)は、その1年ほど後に行われています。
レナルディ(1920.4.26~1953.12.3)はウィーン生まれで、出生時の名前はオスカー・ライスと言い、ナチを逃れて英国に、次に渡米して、そのまま米国の市民権を獲得し、第二次大戦中は陸軍に所属して全米でコンサートを行い、戦後は通常のコンサート・ツアーに復帰、米国内やヨーロッパで広く活躍し、録音も行ったが、1953年12月3日ニューメキシコ州をピアニストたちと移動中に、車がスリップして対向車と激突、同乗者たちは軽い怪我で済んだが、レナルディだけが亡くなった。
彼はパガニーニの『24のカプリース』をピアノ伴奏版で初録音(※本来のソロ版の初録音はルッジェロ・リッチが後に行った)、ユージン・リストともフランクとラヴェルのソナタで共演している。

=================

きょうは、寄せられたコメントの紹介ばかりですが、ユージン・リストについて、気まぐれに書いたエッセイのごときものから、この場が、久しぶりに「ブログふう」に賑やかになって、こういうのも、たまにはいいかな、と思いました。
なお、ユージン・リストに関心を持ってしまったので、今村氏が指摘したレナルディとリストのフランク/ラヴェルの復刻CD(グリードア音楽出版)は購入しました。いささか乱暴な演奏だな、が第一印象でしたが、つい一緒に買ってしまったパガニーニ(これもグリードアから復刻CDが出ているのです)は、今村氏も書いているように、編曲者不詳のピアノ伴奏版なのですが、じつに面白く、また音楽的に興味深い録音でした。レナルディは、パガニーニ『24のカプリス』をコンサート曲としてクローズアップさせ定着させた最初のヴァイオリニストとして、ヴァイオリン史に残る人だそうですが、そのことが納得できる録音だと思いました。

ところで、この今村氏の記述にある「1948年6月のSP録音」は、何を根拠としたものなのでしょう。私が先日記載したように、この録音に関しては国内盤の復刻CDも、英Membran盤も、1948年9月13、14日と一致しているのです(片方が孫引きということもありますが…)。

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ミュンシュ最初の『幻想交響曲』録音についての、いくつかの「仮説」

2013年12月10日 15時23分22秒 | エッセイ(クラシック音楽)


 本日は、ちょっとしたこだわりから連想が広がり、思わぬ方向へと「検索」が向かってしまった結果、気づいたことについて。
 (以下、本文を12月13日になって、言い回しなど少々手直ししました。)

 先日、「ユージン・リスト」というピアニストについて調べた、と、このブログに書いたが、その時、検索に引っかかったものに、「オシー・レナルディ」という四十歳ほどで亡くなってしまったヴァイオリニストとのフランク、ラヴェルの『ソナタ』の復刻CDがある。グリーンドア音楽出版から発売されているもので、原盤は米レミントン。私は初めて存在を知ったLPだが、ヴァイオリン・マニアの間ではかなり知られている盤なのだろう。
 このレナルディという名は、世界初発売と銘打たれた国内盤復刻CDのブラームス『協奏曲』+小品集(英DECCA原盤)で聞いていた。協奏曲はミュンシュ/コンセルトヘボウ管がバックで、その珍しさとミュンシュ録音のコンプリートを目指していたことから購入したものだった。1948年9月、レナルディがその決して長いとは言えない生涯を閉じる数年前の貴重な録音と言うことである。力づよい音楽の奔流で聴かせる人だという印象で、ミュンシュの熱っぽい伴奏ともども、かなり個性的な演奏の部類に入るだろうと思った記憶がある。
 さて、この珍らしい盤はまだ現役なのか、と興味本位で検索をかけたところ、同じ演奏と思われるレナルディ/ミュンシュによるブラームス『協奏曲』を収録した4枚組で1300円という超廉価盤(「独Membran」/写真参照)というものが出て来た。シャルル・ミュンシュの1935年から1948年のSP盤音源を集めたもののようだった。いくつか別の盤で持っているものと重複しているが、安価なので購入してしまった。24bit 96kHz とあるのも、少々気になったからでもある。
ブックタイプの特殊なケースに入っている。
 これが届いて、早速、1枚目の冒頭、フランス国立放送局管弦楽団との『幻想交響曲』を聴いて吃驚した。とにかく、音が良いのだ。冒頭のわずか数秒間、かすかにSP回転のピッチでスクラッチが入るが、全体の音質はモノラルLP時代の録音並みだと言えば、お判りいただけるだろうか。あわてて、同じ録音のはずの1997年に発売された復刻CD、カナダの「A Classical Record」というところの2枚組と比較した。ひょっとすると、元音源は「これ」だなと思わせるほど、ノイズまで同じ部分があるウリふたつの演奏だったが、今度入手した盤のほうがデジタル処理が天才的にうまい! じつにクリアな音で、ミュンシュのその後1950~60年代の著しい進境に想いを馳せる名演を聴くことができる。
 そこで、にわかに録音年が気になった。すると、意外なことが浮上した。
 ネット検索でミュンシュのファンや『幻想交響曲』のマニアの方の記述に、しばしば「1945年録音」とされているこのフランス国立との録音は、ミュンシュの同曲初録音として有名だが、これが「1945年録音」とされたのは、おそらくこのカナダ盤CDが震源地だろう。
 じつは、このCDの表記は「ca 1945」となっていて、これは「およそ」「そのあたり」を意味する「ca」を見逃した結果と思われるのだ。一方、今度私が入手したMembran盤では、中面のブックレットに「Recorded December 1948」とある。これを受けて、私は、この最新技術で引き出されたすばらしい音質からして、1945年という第二次世界大戦がやっと終結したばかりの疲弊したパリで録音されたもののはずがなく、1948年には既にLPレコードの制作技術が確立していた米コロンビアが、その実力を発揮して、この年の12月パリに乗り込んだスタッフと機材によって行なった録音ではないか、という仮説を立てた。つまり、カナダ盤は、故意に録音年を曖昧にしているのではないか、と疑ったのだ。このカナダ盤が制作発売されたのは1997年だから、1948年録音1949年発売だと、公刊後50年という著作隣接権の規定に引っかかってしまうのだ。
 仮説はさらに続く。
 もう誰も話題にする人がいないようだが、この『幻想』は、長い間ミュンシュの「幻の」録音として、超入手困難のSP盤として知られていたものなのだ。全曲フルセットで100万円は下らないと、世界中のマニアが血眼になって探していた稀少盤がこれで、だからカナダから復刻CDが発売された時、私は、何を置いても購入したことを覚えている。
 では、なぜ、それほどの稀少盤なのだろう。
 私は、この前年の1947年にミュンシュがニューヨーク・フィルを振った米コロンビア盤のサン=サーンス『交響曲第3番《オルガン付き》』が、その謎を解く鍵だと考えている。これはキャッチフレーズに「マエストロ・ミュンシュが我がアメリカのオーケストラを初めて指揮した記念すべきアルバム」とまで銘打たれて大々的に発売されたものなのだ。ジャケット・デザインがまったく異なる英コロンビアの33CX番号のLP盤はそっけなくスタンダードな発売で、そのことにはまったく触れられていない。
 つまりミュンシュは初め、米コロンビアが狙っていたアーティストだったのではないか? ということだ。だから、『幻想』のパリ出張録音も敢行した。ところが、ライバルの米RCAの巻き返しによって米コロンビアはミュンシュを獲得出来なくなり、当時の厳しい専属制度のために、音録りが終わった『幻想』も出せなくなってしまった、という推理だ。そして、この『幻想』は、仏コロンビアのSP盤だけがほんのわずか世に出回って終わった、というのが真相ではないか? さらに、この専属レコード会社の問題は、ひょっとするとニューヨーク・フィルとボストン響という二つのメジャー・オーケストラ同士の音楽監督獲得争いだった可能性もある。当時、コロンビアはボストン響の録音が出来なかったし、RCAはニューヨーク・フィルの録音が出来なかった。
 私たちが今日、ミュンシュとボストン交響楽団との数多い名盤を聴く事ができるのも、1948年という時期にもかかわらず、優秀な録音でミュンシュとフランス国立との『幻想』が聴けるのも、いくつかの幸運の重なり合った結果だったのかも知れない。
 なお、冒頭、話の枕になってしまったレナルディとのブラームス『協奏曲』も、この「Membran」盤は初期LP並みの高音質だ。こちらの録音データは1948年9月13日、14日。『幻想』の2ヵ月ほど前ということになる。このヴァイオリニストの初出に関心がないので、なぜデッカのマークで国内復刻CDが出たのかわからないが、確か、LPの初期には米コロンビアは、バーンスタインやワルターなどで蘭フィリップス盤や英ロンドン盤(英DECCAではない)があったりするから、これも、米コロンビアの技術が絡んでいるかも知れない。

 ――というわけで、ユージン・リストの検索から思わぬ発見をした、という本日、です。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

ユージン・リストの「ガーシュイン」録音についての続報、その他

2013年12月09日 17時26分19秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 レコード・コレクターの今村亨氏から、先日のブログに書いたユージン・リストのガーシュイン録音について、情報が携帯メールで寄せられましたので、ご紹介します。以下、まずは、今村氏のメール全文。
 ===============
 リストが弾いたガーシュインは、竹内さんが推察された通り『ピアノ協奏曲へ調』『ラプソディ・イン・ブルー』『3つの前奏曲』の組み合わせで、米ターンナバウト(TV-S 34457)から70年代前半にLP発売されていました。
 リストは同じ頃、ターンナバウトにゴットシャルクのピアノ&管弦楽作品全集(TV-S 34440)等を録音していましたが、ガーシュインの2曲は有名なマーキュリー録音(SR-90002:ハワード・ハンソン指揮、イーストマン・ロチェスター管)が、この録音の前にあり、更に『ラプソディ~』はエリック・カンゼル指揮、シンシナティ響(テラーク DG-10058D)とも録音していました。
一方、『パリのアメリカ人』の出所は今のところ不明で、M(マーク?)・ブラウンという指揮者もロンドンのアンサンブルとの録音があるだけで、アメリカン・ラジオ響の実体も不明です。
 ==============
 以上が、今村氏からのメール全文です。
 じつは、先日のブログには書きませんでしたが、急に気になったので、あのブログupの際にユージン・リストの現役のCDをかなり丁寧に、各国の様々なサイトで調べてみたのです。ですから、今村氏が「有名な」と表現しているマーキュリー録音と思われる1958年録音と表示されたハンソン/ロチェスター響の演奏が「Regis Records Ltd. 」という名称の欧州盤(写真参照)で発売されていることも、米テラークに「ラプソディ・イン・ブルー」と「パリのアメリカ人」2曲だけの34分足らずのCDがあることも気が付いたので、大特急で取り寄せました。

 また、ゴッドシャルクやバーバーなど、そして、ショスタコーヴィッチの協奏曲も、ハンソンとの録音や、マキシム・ショスタコーヴィチとの録音まであることを知りました。皆それぞれ、取り寄せ中です。
 さて、その中に、「VOXBOX」のシリーズで出ている「ゴッドシャルク集」があって、こちらは、もうひとつの「ゴッドシャルク集」2枚組が「ピアノ独奏曲」や「連弾曲」中心なのに対して、「交響曲」、「管弦楽曲」、「協奏作品」がかなり収録されているのです。このオーケストラにサミュエル・アドラー指揮ベルリン交響楽団と、イーゴリ・ブケトフ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団が登場します。もし、これらが全て同じ時期のVOX系の録音だとするならば、契約の関係から考えて、1950年の末期あたりの録音ではないかと考えるのが妥当ではないかと(つまり、米ウエストミンスターのショスタコーヴィチ録音と前後する時期)思うのですが、どうでしょうか。このステレオLP黎明期の1957~1958年ころは、アメリカ資本のウエストミンスター、ヴァンガード、ウラニアあたりが、こぞって「ウィーン国立歌劇場」と冠されたオーケストラを起用していました。ですから、今村氏のいう1970年代前半に発売されたという米ターナバウト盤が初出LPとは思えないのです。
 録音年代の特定、という宿題が生まれてしまいました。
 ところで、届いたばかりの2種のユージン・リストによるガーシュインの演奏、私が先日、すっかり感動して書いたサミュエル・アドラー盤を凌駕するものではありませんでした。どう聴いても、ハンソン盤は「模範的な演奏」を一歩も出ていない(もちろん、その意味では立派な演奏なのですが)どこかしら行儀がよい演奏に留まっているように感じます。アドラー盤のような華やいだ感覚、はしゃいでいるような楽しさに欠けるのです。カンゼル盤は、とても「安定した」演奏です。1980年初頭のこの録音は、誕生から半世紀以上もの歳月を経て、ガーシュインの音楽が「古典」の仲間入りをしてきたことを感じさせます。完全にリストの手の内に入っている音楽は、「様式美」とさえ言える物かも知れません。
 あ、いけません。また深みに嵌ってしまいそうです。アール・ワイルドがアーサー・フィードラーとで録音した盤を聴かなくてはいけませんね。あの盤こそ、さらに現在から半世紀ほど前の1960年代、「ラプソディ・イン・ブルー」の代表盤だったはずです。決してバーンスタイン盤が代表盤ではなかったのです。

goo | コメント ( 1 ) | トラックバック ( 0 )

ユージン・リスト――ひとつの時代の記憶としてのガーシュイン『ピアノ協奏曲』の知られざる名盤

2013年12月03日 13時33分24秒 | エッセイ(クラシック音楽)


 本日は、思いつくまま、思い出すままに――。
 ある友人と、たまたまガーシュインとラヴェルのピアノ協奏曲のことが話題になったので、「さて、ガーシュインの《ピアノ協奏曲ヘ調》には、どんな録音があっただろう」と、ちょっとCD棚を眺めていて、もうずいぶん昔に買っておいたままの一枚のCDが目に触れた。それは、ユージン・リストのピアノ独奏で、サミュエル・アドラー指揮ベルリン・シンフォニー・オーケストラによる共演と表記されたもので、米VOXの「ALLEGRETTO」シリーズの一枚(冒頭写真)、規格番号はACD8034である。カップリングは、同じ指揮者・オーケストラで『ラプソディー・イン・ブルー』、そして、ユージン・リストのピアノによる『3つのプレリュード』。それに加えて、M・ブラウン指揮アメリカン・ラジオ・オーケストラによる『パリのアメリカ人』が収録されている。おそらく、最後の曲は別のLPから持ってきたもので、それ以外の3曲で、1枚のLPだったのではないかと思われる。
 このユージン・リストの『ピアノ協奏曲へ調』は、すっかり忘れていたが、とてつもなくすばらしい演奏だ。とてもよく動く指で、軽快に弾き切っているし、リズムのセンスが抜群だ。ガーシュインのメロディ・ラインの持つ佳きアメリカ時代の夢や憧れが、オーケストラとの掛け合いから滲み出してくる第一楽章の豊かさには、思わず拍手喝采。もう、こういう名人芸を聴かせてくれる人は居なくなった、と確信してしまった。
 ユージン・リストというピアニストに私が初めて出会ってから、もう半世紀も経ってしまった。1964年の東京オリンピックの準備で、東京中が建設ラッシュに湧いていたころだったと思う。銀座の裏通りのいわゆるバッタ屋のような中古レコード店で、キングレコード発売のウエストミンスター盤(例の、ABC系列に替わった後の、楕円形マークの物)のパンチ穴盤で買ったショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第1番』『同、第2番』が、私とユージン・リストとの出会いだった。確かディレクターの名前も記載されていて、クルト・リストとあったと思う。このクルト・リストというウィーン駐在のディレクターについても、私は後年、さまざまな話で引き合いに出しているはずだが、そうした記憶の数々が、不意に思い出されたガーシュインでもあった。ショスタコーヴィチの『第1番』の伴奏の指揮者がゲオルグ=ルートヴィッヒ・ヨッフム。この人がオイゲン・ヨッフムと兄弟だと知って妙に興味を持ったのも、このレコードがきっかけだったと思うし、ショスタコーヴィチのモダニズムと諧謔趣味の小気味よさを知ったのも、この時だった。ロシアの曲でのトランペットの底力の一例として、この曲がインプットされてしまったのも、この時だ。
 たった一枚のレコードが、さまざまな影を私に残しているわけだが、私も、それっきり、ユージン・リストというピアニストのことを忘れていたわけではなかった。そんな記憶があったからこそ、ユージン・リストのガーシュインを見かけたとき、すぐさま購入していたのだろう。すぐに聴かずに仕舞い込んでいたのは、私の怠慢である。
 ちょっと話が飛んでしまうが、同じように最近になって突然、その名前を思い出したアメリカのヴィルトーゾ・ピアニストの系列のひとりに、アール・ワイルドが居る。こちらは、最近、ラフマニノフの『パガニーニ狂詩曲』について考える必要があったときに思い出されたのだが、ラフマニノフのピアノ協奏曲全4曲をホーレンシュタインと録音した盤は、たまたま目に触れた輸入盤をその場で買って聴いて以来、もうずいぶん経ってしまった。この演奏は私にとって、ラフマニノフという作曲家を20世紀の「前衛」として考える際の基準となっている。もっとも、そうなったのはごく最近のこと。それまでは、不思議なほどに独自の個性が発揮された演奏として、ずっと引っかかっていた演奏に過ぎなかった。だが、今となっては特に『第4番』は、この曲をある種の思いで聴いていた〈矛盾〉のごときもの、あるいは、この曲に対する疑問の解決を試みた演奏だと思うに至っている。こうした演奏に較べると、例えばタマシュ・バーシャリ/アーロノヴィッチの全集での『第4番』が、「何がなんだか、さっぱりわからない曲」に留まってしまう理由と対極に居るのがアール・ワイルドだと思う。このアール・ワイルドについては、いずれ、別の機会に書きたいと思うが、ユージン・リストとサミュエル・アドラーについて、その後調べてみたことを、少し書き添えておこう。
 ユージン・リストは1918年にフィラデルフィアで生まれている。名前と年代だけでいささか乱暴な憶測だが、19世紀末に多数のボヘミア系(チェコなど東欧諸国)の人々がアメリカに渡っているから、その末裔かとも思われる。12歳でロスアンゼルス・フィルと共演してデビューしたというが、1934年には、フィラデルフィア管弦楽団と、ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第1番』のアメリカ初演を果たしているから、この曲との縁の深さは筋金入りというわけだ。たしか、米ウエストミンスターのレコードは、この曲の最初のステレオ録音だったと思うが、そのソリストに起用されたのも当然のことだろう。いわゆる難曲を弾きこなすことで名を上げていったピアニストのようで、ヴィラ=ロボスや、ロザンタールら同時代の作曲家が書き下ろした作品の初演者でもある。ウエストミンスターとヴォックスの1950年代末期から60年代初頭と思われる録音が、ウィーン、ベルリンで行われているのは、彼の戦前からの知名度によって、欧州に駐留していた米軍の慰問コンサートがらみで要請されていたからなのかも知れないと邪推してしまったが、真相はどうだろう。そういえば、彼が兵役に就いていた1945年の第2次大戦終結の「ポツダム宣言」の会議場での、トルーマン、チャーチル、スターリン三巨頭の御前演奏会のピアニストだったという話も伝わっている。
 一方、指揮のサミュエル・アドラーは、ドイツ生まれの亡命ユダヤ人で、作曲家、兼指揮者である。亡命前はベルリン周辺で仕事をしていたようだ。当時のベルリンはクルトワイルらがナチによって退廃音楽の烙印を押されて弾圧されていたわけで、キャバレー音楽が街中に流れていた。その空気を知っていたアドラーが、第二次大戦後に再びベルリンに乗り込み、アメリカ資本(ヴォックスはユダヤ系でもある)のレコード会社で録音したガーシュイン、というわけだ。ベルリンには、戦後しばらくの間、駐留アメリカ軍のための放送局と、その専属の管弦楽団があったはずだから、このCDにカップリングされたアメリカン・ラジオ・オーケストラは、それだと思うし、アドラーの振るベルリン・シンフォニー・オーケストラも、その類ではないかと考えている。戦後体制が生んだ特異な一枚なのかも知れない。それほどに、独特のにおいを放つ音楽が聴こえる演奏なのである。
 【付記】 ショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲』はかつて英MCAからCDが発売されたことがある(写真参照)。
また、文中のアール・ワイルドのラフマニノフは英シャンドス盤。CD化されたが、これも、現在は廃盤のようだ。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )