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石黒浩己の新しいCDアルバム『Canvas――風景の見える音楽』の発売日が決定しました。

2012年12月27日 17時30分03秒 | エッセイ(邦楽&ポップス)
先日予告した石黒浩己のCDアルバム『Canvas――風景の見える音楽』の発売日が2月13日に決定しました。
キングレコードからの発売です。
以下は、私が執筆したライナーノート全文です。お読みください。
もう既にアマゾンなどで先行予約が開始されています。ぜひ、お聴きいただきたいと思っています。

■石黒浩己の「祈り」と「思い」
                             
 すべては、東京・日本橋のバーのカウンターでの会話から始まった――と書くと何やら謎めいて聞こえるかもしれないが、これは、ほんとうの話である。2010年6月30日と日付まで言えるのは、待ち合わせを決めたメールのやり取りがたまたま残っていたからだ。
 その日、石黒浩己とロックグラスを傾けながら、私がひとこと呟いた。
「このごろ、いつもひとりで弾いてるけど、一匹クンと一緒にやるのって、いいんじゃない?」
 その瞬間の石黒のすばやい反応を、今でもよく覚えている。
「ぼくも、今、それ、言おうと思ってたんです。何でわかっちゃうんだろう」
 おそらく、ずいぶん前から、ふたりで同じことを考えていたのだろうと思う。正に、「電気が走る」とは、こういうことを言うのだろうと思った瞬間だった。
 一匹クンこと竹本一匹は、石黒が「BLUES ALLEY JAPAN」で弾いていた時の仲間のひとりで、石黒のCDアルバム『うつろひ』にも参加しているパーカッショニストだ。様々の響きに敏感に反応するミュージシャンで、言ってみれば、不意打ちを喰らわす風鈴の音や、かすかに聞こえる衣擦れの音まで表現しかねない、日本的な繊細さをさりげなく聞かせる名人だと、私は思っている。
 その竹本一匹との共演を私が発想したのは、その時期に石黒のソロ・ライヴを、繰り返し聴いていたからだろうと思う。彼から案内をもらうままに、赤坂、品川、神楽坂、と、ずいぶん様々な場所でのライヴを耳にしたが、彼の世界が深化しているのはわかるが、それと同じくらい、自身を追い込んでしまっているようにも感じていた。ソロ・アルバムのCDを計画していて、新曲の試録音も溜め込んでいたから、ライヴだけではなく、録音でも聴かせてもらっていたが、何か、外に向かって開放するものが必要だなぁというのが、私の感想だった。
 世の中には、ひとりぼっちで居ることが好きな人と、そうでない人とがいる。私もその、そうでない一人だ。いい音楽を聴くと、どうしても誰かと話したくなる。飲みたくなる。少々イヤなやつでも、ひとりぼっちで静かに朝を迎えるよりは誰かと話していたいと、無性に人が恋しくなる時は、心が大きく反応している時なのだ。ざわざわとした気持ちが内側から湧き上がってきて、わけもなく叫び出したくなったり……、人の心の動きには、とても不思議な力が宿っている。石黒浩己の音楽は、人との対話を求め続ける音楽なのだ、といつも思う。加えて、石黒が、いつまでもアコースティックな音楽の手触りを大切にしていることも、彼の音楽の心地よさが守り通されている理由だと思う。
 石黒浩己+竹本一匹の演奏は、こうして、2010年6月30日に発案されたが、それから数ヵ月後、彼から、いろいろ試しているし、音も録り始めたと聞いたので楽しみにしていた矢先、この国を襲った未曾有の大地震が発生した。2011年3月11日だ。今回の新しいCDアルバムには『3・11』と題された曲が収録されているが、これはもちろん、この日の出来事にインスパイアされて生まれたもの。多くのアーティストが「あの日」を作品にしているが、石黒にとって、この曲の意味は格別のものであるはずだ。
 石黒は湘南の海を眺めながら育った音楽家だ。そして数年前から、住み慣れた都心のマンションを離れ、その茅ヶ崎の実家をスタジオに改造して生活している。自分ではひと言も触れていないが、あの大津波の映像がテレビのニュースで流れたときの彼の心境は、私の想像を遥かに超えるものだったろうと思う。石黒の『3・11』が、まるで凪のように穏やかな海を思わせて始まり、それがやがて、大きなうねりとなって頂点を極め、一度収まった後、また盛り上がり、やがて静かで穏やかな音型が帰ってくると、そこに、竹本の一打ちが挟まれる――そういう音楽になっているのは、石黒の、海への祈りなのだと思う。
 私が、「一匹クンと一緒に音楽をやったら?」とけしかけてから数ヵ月後に始まっていたはずのデュオの音源がある程度揃ってきたところで起こった大地震は、石黒の音楽にも少なからず影響を与えたという。大地震後に録音したのは『3・11』のほかに、『大海へ』『Island』『ひこうき雲』の3曲だと聞いたが、ほかにもいくつか録り直したいものがあったとも言う。そのままとなったのは、先に録音した演奏テイクの出来を越えられなかったからだそうだ。
 竹本との出会いがしらの感興が勝っていたということだろうか? アコースティックな音楽の生まれる瞬間の神秘とは、そういうものだ。震災の前と後とではピアノのコンディションが異なり、しかも大きな余震で調律が狂うと調律師待ちとなったり、と様々なアクシデントを乗り越えて一枚のCDにまとめ上げるのはたいへんだったろうと思うが、竹本一匹という仲間を得て、石黒浩己が「思う」音楽を奏でているこのアルバムの誕生を、私はうれしく思っている。
 石黒は2011年5月から、ほぼ2ヵ月に1回のペースで竹本とのデュオでの演奏を、六本木の「SOFT WIND」というライヴスポットで続けているが、そこではほとんど毎回、『想う事は…』という曲を弾く。これはもう今から20年も以前、1992年に自主制作された石黒のファーストCDの最後に収められた曲だ。私の大好きな曲だし、古くからの彼のファンなら、誰もが好きな曲のはずだ。
 「想う事は…」のタイトル通り、同じ曲なのに、いつも、その日の心象風景で違って聞こえてくる。この曲は、彼の心を映す鏡なのだ。私は、この曲を弾き始める瞬間の、彼の決然とした表情が好きだ。そんな時、「石黒は音楽を〈自己表現〉にしている、数少ない音楽家のひとりなのだ」と実感する。今回のCDアルバムにも『想う事は…』が収められている。この音楽の手触りを、これからも大事にして欲しいと思っている。(2012. 11. 28)

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「石黒浩己+竹本一匹」のCDアルバムにエッセイを寄せました。

2012年12月18日 16時20分48秒 | 雑文
 このブログで以前紹介したことのある「ピアノとパーカッション」によるライヴ・コンサートを六本木のジャズ・スポットで展開している「石黒浩己」が、久しぶりにCDアルバムを出します。もちろんパーカッショニスト・竹本一匹とのデュオも含まれています。
 じつは、縁あって、今度もライナーノーツを執筆しました。エッセイ風にまとめたもので、私自身、とても気に入っています。彼らの音楽の居心地の良さが、自然に書き進めさせてくれたように思っています。年明け2月初旬にキングレコードからの発売で、タイトルは『Canvas――風景の見える音楽』です。ライナーノーツ全文は、関係者の了解をいただいてから、このブログ上で読めるようにするつもりです。石黒氏もすっかり気に入ってくれたようで、自分のホームページに載せたいと言っていましたので、そちらでも読めるようにしようと思っています。私のこれまでに書いた石黒浩己の音楽についての文章は、このページ左欄を下にスクロールして「このブログ内で検索」を「石黒浩己」にすれば読めます。
 石黒浩己の音楽は、もちろん、いわゆるクラシック音楽の持つシリアスな感覚とは異なりますが、リラックスした中に、彼の表現意欲を感じて、いつも楽しんでいます。六本木の「soft wind」という店ですが、何度も見かけた彼のファンは、いつも同じ窓際のカウンターに座って聴いていた私のことを覚えてくれているでしょうか。私にとっても、久々の、そして待ちわびていた石黒浩己のソロアルバムです。
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やっと、少し時間がとれたので近況報告です。

2012年12月17日 13時45分40秒 | Weblog
 やっと時間が取れるようになりましたが、これまでの余波で、まだ、書き上げなくてはならない原稿が山積してしまっているので、当ブログが、「最低でも週一回更新」程度の通常のペースに戻るまでには、あと数週間かかりそうです。

 「時間を取られていた」という「音楽以外の別の仕事」については、いずれ、このブログ上でも明らかにしますが、久々に、かなり手ごたえのある翻案の仕事でした。ひょっとしたら、私の代表作として残るんじゃないかとまで、それに関係している友人に言われてしまって、喜んでいいのかどうか…、複雑な心境です。私としては、『クラシック幻盤 偏執譜』で取りこぼしてしまった「20世紀の演奏史」の続編や、『ギターと出会った日本人たち』で取り組んだ「日本人の西洋音楽受容史」の次の展開を書き進めなくてはなりませんから。
 じつは、日本ウエストミンスターさんから依頼されて、「エヴェレスト・レコード」のオリジナル35mmマグネチック・フィルムに遡った本格的なCD化音源による「ストコフスキーの芸術」シリーズの解説を書き始めていますが、これは、「20世紀演奏史」のひとつの側面として、重要な指摘ができそうに思っています。近々、当ブログに、CDのPRを兼ねて、一部掲載するつもりです。CDの発売そのものは、1月中旬から、1枚づつ、です。
 一方、「日本人の西洋音楽受容史」に関しては、続編として、「セノオ楽譜とその時代」というような内容で、仮目次を作りました。これは、来春3月下旬に関西の「高畠華宵 大正ロマン館」という美術館で行なわれる展覧会企画の解説を拡大するつもりです。大正期に一気に花開いた西洋音楽の大衆化を、コーラスやハーモニカの楽譜書や楽譜絵葉書の発行などから、解き明かしたいと思っています。

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 ところで、先週、例の「別の仕事」の最後の追い込みで忙しくしていて、このブログへのコメントが届いていたのを見落としていました。さきほど「公開」しましたが、だいぶ前に書いた「リパッティと間違われた演奏」についての文章に対してのコメントです。このページの左欄を下にスクロールしていって、コメントの一番上(最新)をクリックすれば、その私の過去ブログと、それに対するコメントが読めます。ぜひ、お読みください。リパッティに関しては、最近また、例の、ワルツ録音年ねつ造説に関連してお会いした方から、貴重な情報提供を受けましたので、それについても、せめて年内にはご報告したいと思っていますが、さて。

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