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ラヴェルの死の謎に迫る、岩田誠著『脳と音楽』

2009年04月29日 07時09分29秒 | エッセイ(クラシック音楽)
 以下は、2001年6月25日17時32分とタイム・スタンプされたデータです。そのころ、東京の古書店街として知られる神田・神保町のタウン誌のために執筆した書評原稿です。ひょっとすると、関係の岩田氏、渋谷氏に掲載誌をお送りしそびれて失礼したままかもしれないと、これを読み返しながら気がかりになりましたが、時すでに遅し。もしそうなら、ご無礼をお詫びします。私にとっては、愛着のある文章のひとつですので、このブログに再掲載する次第です。



■2001年7月頃の「新刊紹介」再録

《岩田誠 著『脳と音楽』(メディカルレビュー社)》

 ドビュッシーと並んでフランス近代の大作曲家とされるモーリス・ラヴェルの死因については、未だに誤った認識が多くの音楽ファンの間に伝わっている。一九三二年、五十七歳の時に遭遇したタクシー事故の後遺症で、次第に脳が冒され、一九三七年暮れに、開頭手術の効果もなく世を去った、というものである。この説が根拠に乏しいものであることは、十数年前から断片的には一部で伝えられていたが、本書の第二章「ラヴェルの病い」は、著者の研究による成果が十全にまとめられており、これまでの俗説を覆す画期的な内容となっている。著者の岩田誠氏は、東京女子医科大学脳神経センター所長を務める神経内科医であると同時に、音楽や美術を深く愛し、理解する人として広く知られており、一九九八年の著書『見る脳、描く脳――絵画のニューロサイエンス』では、毎日出版文化賞も受賞されている。
 本書では、ラヴェルの脳を冒していた病いが、タクシー事故には直接関わりなく、それよりずっと以前、一九二〇年代には既に自覚症状が現われていることを、明確に指摘している。それは、ラヴェル自身の書簡や、当時の担当医の記録、多くの友人たちが残した証言などを、専門医の立場から捉え直したものだが、私のような専門的な知識に不案内の者でも一気に読み進められて、ラヴェルが自身の脳内の深い闇と闘いながら、死の直前まで作曲家として歩み続け、音楽と共に生きていたことに言い知れぬ感動を得ることができるものとなっている。
 実は、著者の岩田氏は十年程以前からの長期間にわたって、毎回、その興味深い論考が掲載された雑誌の抜刷を、私に送ってくださっていた。岩田氏は、私が一九八七年に編集担当した伝記書『ラヴェル』(ロジャー・ニコルス著/渋谷和邦訳/泰流社刊)に関心をもたれ、お手紙を下さったのがご縁だった。もともと、その伝記は、執筆当時まだ気鋭の研究者だったロジャー・ニコルス(この十数年程の間に、ニコルスが、フランス近代音楽研究の第一人者として、すっかり評価が高まっていることは、音楽文献に目配りしている方ならば、ご存じのことと思う)による渾身の力作で、ラヴェル伝記としては、従来の俗説に惑わされていない、最新の情報を盛り込んだものだった。だが、その訳書出版に当たっては、更に、独自にその他の西欧の文献に目を通していた訳者の渋谷氏による「ラヴェルの死因」に関する小文を、原著者に無断で加えて、当時、かなり遅れていた日本のラヴェル研究に一石を投じようと企てたものだった。その後、私が泰流社から離れ、また同社も解散してしまったので、ラヴェル正伝の補完作業は、中絶してしまうかに思っていたところ、思いがけなくも岩田氏からのお手紙が、私のもとに回送されてきたのだった。そこには、音楽への愛情と、医師として「音楽家の脳」の研究への情熱が綴られ、訳者の渋谷氏と連絡が取りたいとあった。
 その後、岩田氏と渋谷氏との交流が始まり、岩田氏の研究に渋谷氏が様々の参考文献の提示で協力をされたことは伝え聞いていたが、そのことは本書のあとがきにも詳しい。私はと言えば、その後、次々に送られてくる岩田氏の論考の抜刷を拝見して、その研究の深まりに毎号、胸を高鳴らせていた。真実に辿り着こうとする真摯な研究は、いつも、私の心を大きく揺すっていた。その十数年の成果が、こうして一冊の書にまとまったのである。
 私事ばかり、ながながと書いてしまって恐縮だが、本書は、もちろん、第二章「ラヴェルの病い」に先立つ第一章「音楽家の脳」も興味深い。天才的な音楽家の脳の特徴や、それから発生する外見的特徴(例えば、額が広い、といった)など、名指揮者の写真を思い浮かべて、思わず納得する。第三章「言葉を奪われた音楽家たち」での、言語の読み書きが出来なくても、読譜能力も音感も衰えない例など、医学に疎い私が興味深く読めるのは、全編にわたって、著者の音楽を生みだす力への理解があるからだろう。以下、「音楽を失う時」「芸術家の脳腫瘍」「音楽する脳」「創造と幻覚」と続き、バッハ、ハイドン、ガーシュイン、シューマンなどが登場する本書は、正に「自らの脳に起こった数奇な事実を理解できぬまま、創作の炎を燃やし、そして逝った者たちへの、専門医として全能を傾けた検証から深い敬愛を込めて送られた〈告知書〉」(同書、帯文より)として、音楽を愛する者に新たな視点を提供する。



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シルヴェストリの幻想、フランク、ストラヴィンスキー/ムジークフェラインのカラヤン~フィルハーモニア管

2009年04月27日 10時22分19秒 | エッセイ(クラシック音楽)


 古~いフロッピー・データが出てきました。1996年6月に、当時まだ実験的な段階だったCSラジオ番組用の放送台本です。この日が最終回だったので、データが残っていたのかもしれません。読み返して懐かしく、また、今のCD業界やCDファンに向けても、十分に通じるメッセージとも感じたので、きょうのブログにそのまま掲載します。
 おしゃべり用のメモ書きですので、そのようにお読みください。推敲も何もせずに、当時のまま掲載します。CD番号など、すべて当時のものです。(なお、このオンエアCDの内、シルヴェストリ『幻想』は、CDのライナーノートを私自身が執筆していますので、もちろん、そこでの記述と同じようなことを話しています。)


◆今月の名盤復刻CD選(96/6)

(こんばんわ、竹内貴久雄です。)
 「今月の名盤復刻CD選」、きょうは6月新譜からのご紹介です。5月下旬から6月中旬にかけての新譜からのご紹介です。

 先月は、東芝EMIから発売された、「幻の名盤を求めて」というシリーズから、2点ご紹介しました。これは、イギリスEMI系列の豊富な音源から、日本の東芝EMIが独自にCD復刻したシリーズで、多くの「世界初CD化」を含んだものでした。
 このところ、各社とも、復刻盤の発売が多くなっていますが、中でも厖大な過去の名録音の原盤を保有する東芝EMIは、特に、そうした復刻のウェイトが高いようです。
 もっとも、通常の新譜に紛れてしまうと目立たなくなってしまうという考えが営業的にあるようで、まとまったシリーズでの発売や、大型量販店との提携での積極的なプロモーションに委ねるといったケースが相次いでいます。
 最近では、今年の初めに、ストコフスキーの復刻、フランソワの復刻などがシリーズでまとめて発売されたほか、タワーレコードとの提携で、ヴェーグ・カルテット」、新星堂との提携でバリトンの「ゲルハルト・ヒュッシュ」などが発売されました。
 きょうは、まず、今月のはじめに、東芝が山野楽器との提携で、世界初CD化した「シルヴェストリの芸術」から、お聴きいただきます。これは、山野楽器各店のほか、輸入盤を扱っている大型店で、発売しています。

曲目は
●ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」作品14a
  演奏:コンスタンチン・シルヴェストリ指揮
     パリ音楽院管弦楽団
  定価2000円、発売6月5日
  EMI-YAMANO MUSIC YMCDー1033

 シルヴェストリは、1913年にルーマニアに生まれた指揮者で、スラヴ的な個性的アクセントと、情熱的な演奏に強烈な個性を感じさせた指揮者です。1950年代の終わり頃から、ルーマニア国外での活動が多くなり、その将来が期待されていましたが、1969年に50歳代半ばで、惜しくも亡くなってしまいました。
 残された録音はそれほど多くはありませんが、チャイコフスキーやドヴォルザークの交響曲の派手で豊かな色彩感にあふれた演奏が、一部のファンを魅了していて、CDでも聴ける演奏でした。
 今回の山野楽器と東芝EMIの提携によるCDは、世界で初めてCD化されたものですが、オーケストラがパリ音楽院ということでも貴重なものです。
 ベルリオーズ自身も学び、また、この作品を初演したパリ音楽院のオーケストラによる「幻想交響曲」の録音は意外と少ないのです。ステレオによる正規録音では、このシルヴェストリ盤のほかには、アルヘンタ指揮によるものがあるだけです。
 今回CD化されたシルヴェストリ盤は、私自身がライナー・ノートを執筆しておりますので、そこでの記述と重複しますが、この「幻想交響曲」の演奏は、シルヴェストリの多様な色彩感への執着が、オーケストラの個性とうまくマッチした名演です。第3楽章での噛んでふくめるような音楽の進行が特に個性的ですが、全体としてはゴージャスでカラフルなサウンドの飛び交う演奏です。
 録音が1960年で、イギリス盤が1961年7月に発売されている。日本では、1961年12月に東芝から発売されましたが、60年代半ば過ぎには廃盤となっていたものです。

 それでは、お聴きいただきましょう。

 ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」作品14a
  演奏は、コンスタンチン・シルヴェストリ指揮
     パリ音楽院管弦楽団
  使用しますCD、EMI-YAMANO MUSIC YMCDー1033です。

 それでは、お聴きください。

   ~~~~(演奏:CD1)53分10秒~~~~

 ただ今、お聴きいただきましたのは

 ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」作品14a
  演奏は、コンスタンチン・シルヴェストリ指揮
     パリ音楽院管弦楽団
  使用しましたCD、EMI-YAMANO MUSIC YMCDー1033
……でした。

     ~~~~~~(ジングル)~~~~~~

 さて、山野楽器と東芝EMIとの提携による「シルヴェストリの芸術」はもう1枚同時に発売されています。
 曲目は

●フランク作曲:「交響曲 ニ短調」
 ストラヴィンスキー作曲:交響詩「うぐいすの歌」

  演奏:コンスタンチン・シルヴェストリ指揮
     フィルハーモニア管弦楽団
  定価2000円、発売6月5日
  EMI-YAMANO MUSIC YMCDー1034

 きょうは、時間の都合で、ストラヴィンスキーの「交響詩《うぐいすの歌》」の方だけ、お聴きいただきます。
 このCDに収録されている2曲は、もともとは別々のLPに入っていたものです。フランクの交響曲はこの曲だけで61年6月新譜としてイギリスで発売されていますが、ストラヴィンスキーの作品は、もう1曲、同じくストラヴィンスキーの「3楽章の交響曲」との組合わせで同じ61年6月新譜としてイギリスで発売されています。日本では、フランクが61年10月新譜、ストラヴィンスキーの方は、それよりずっと遅れて、62年12月新譜で、東芝から発売されていますが、これらも、60年代半ばすぎには廃盤となっていました。
 これからお聴きいただくストラヴィンスキーの交響詩「うぐいすの歌」は、シルヴェストリのカラフルで達者な語り口が実に楽しい演奏で、おそらく、この曲のあやしげな東洋的雰囲気の表出としては、これ以上堂に入った演奏は、なかなかないと思われる名演です。

 それでは、お聴きいただきましょう。

 ストラヴィンスキー作曲:交響詩「うぐいすの歌」
  演奏は、コンスタンチン・シルヴェストリ指揮
     フィルハーモニア管弦楽団
  使用しますCD、EMI-YAMANO MUSIC YMCDー1034、です。

 それでは、お聴きください。

   ~~~~(演奏:CD2 Tr.4~6)23分30秒~~~~

 ただ今、お聴きいただきましたのは

 ストラヴィンスキー作曲:交響詩「うぐいすの歌」
  演奏は、コンスタンチン・シルヴェストリ指揮
     フィルハーモニア管弦楽団
  使用しましたCD、EMI-YAMANO MUSIC YMCDー1034
……でした。

     ~~~~~~(ジングル)~~~~~~


 きょうは、山野楽器と東芝EMIとの提携による「シルヴェストリの芸術」から2曲お聴きいただきましたが、最後に、つい先日、6月19日に、東芝EMIの新譜として全国発売されたばかりのCDをご紹介しましょう。
「カラカン/フィルハーモニア管弦楽団、ステレオ・レコーディングス 交響曲編」と題して、1枚1700円で6枚のCDが一挙に復刻発売されたシリーズです。
 ご承知の方も多いと思いますが、カラヤンは、ベルリン・フィルとウィーン・フィルを手中に収めて、世界の指揮者の帝王として君臨しはじめるまでの10年近くの間、1940年代の終わり頃から1950年代の終わり頃まで、EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグが設立したフィルハーモニア管弦楽団の指揮を精力的に行い、このオーケストラの最初の黄金時代を築きました。
 このオーケストラとで、カラヤンは自身のレパートリーの大半を録音していますが、その内、50年代後半に録音されたものが、ステレオで残っています。その中には、当時のEMIが実験的に行ったステレオ収録のテイクも含まれています。いくつかは、録音されてからステレオのテイクの発売まで、20年以上も、EMIの倉庫の中に眠っていたものもあります。
 今回、そうしたものも含めて、ステレオ録音の交響曲から選んで、6枚のCDが、東芝EMI独自のCD化で、発売されたものです。従って、ほとんどが世界初CD化、輸入盤発売なし、というものです。
 きょうは、そのなかから、1枚ご紹介しましょう。

●モーツァルト作曲:交響曲第38番「プラハ」
  の他、交響曲第39番、そして、レオポルト・モーツァルト作曲の「おもちゃの交響曲」が収録されているCDです。

  演奏:ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
     フィルハーモニア管弦楽団

  定価1700円、発売6月19日
  東芝EMI/TOCE-9091

 その中から、きょうは、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」を聴いていただきましょう。これは、初CD化ではなく、かつてドイツ盤のCDが出ていましたが、国内では、もちろん初発売です。

 この「プラハ交響曲」は、とてもめずらしいことに、いつものEMIの録音場所であるロンドンのアビー・ロード・スタジオ、あるいはキングズウェイ・ホールではなく、ウィーン・フィルの本拠地、ムジークフェライン・ザールでの録音です。これは、レッグとカラヤンが育てた自慢のオーケストラを引き連れての、1958年9月の、ウィーンでの録音というわけです。ウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートでもお馴染みの、あの、残響時間の異常に長いホールを使用して、フィルハーモニア管弦楽団が、カラヤン仕込みの、しなやかなモーツァルトを演奏しています。これ以外の、カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団との録音と、聴き比べてみてください。同じオーケストラでも、ホールが異なると、かなり印象が変るということが、お分かりいただけると思います。

 それでは、お聴きいただきましょう。

 モーツァルト作曲:交響曲第38番「プラハ」
  演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
     フィルハーモニア管弦楽団
  使用しますCD、東芝EMI/TOCE-9091

 それでは、お聴きください。

   ~~~~(演奏:CD3 Tr.5~7)24分30秒~~~~

 ただ今、お聴きいただきましたのは

 モーツァルト作曲:交響曲第38番「プラハ」
  演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
     フィルハーモニア管弦楽団
  使用しましたCD、東芝EMI/TOCE-9091
……でした。

     ~~~~~~(ジングル)~~~~~~


 このところ、クラシック・レコード業界の長期的な売行き低迷の影響で、いわゆる復刻CDの発売が各社とも相次いでいます。これまで、長い間廃盤だったものが登場するチャンスを得るためには、もうしばらく、不況の影響が残っているほうがよいとさえ思えるほどです。目先の新しいものに野放図にとびつくよりは、もうしばらく、過去の遺産の掘り起こしに専念する時間がとれるのは、ある意味では、よいことかも知れません。
 ただ、復刻CDが、新星堂、山野楽器、タワーレコード、といった量販店や、レキシントンなどの通信販売など、特定のルートでの積極的なプロモーションの後押しでのシリーズ発売などが中心となるのが残念です。こうした方法では、企画が、どうしても特定の演奏家に集中しがちになります。バラで1枚1枚発売したのでは、目立たないということでしょうが、もう少し、企画に広がりが欲しいところです。
 復刻盤が盛んに発売されるのは、よいことではありますが、かならずしも、よいことばかりではありません。レコード会社各社の、新規録音の予算が乏しくなったあおりで、有能な新人がデビューするチャンスが、狭まっていることも事実です。これは、将来に大きな悔いを残すかも知れません。しかし、昔に比べれば、遥かにマイナー・レーベルの数が増えている現在では、そうした、まだメジャーに名前が上がってこない新人のレコードは、マイナー・レーベルの地味な仕事の中で、着実に録音が残されつつあります。表面的な知名度だけで音楽を聴かない、という熱心なファンは、こうしたマイナー・レーベルのCDを丹念に探すことの繰り返しの中から、すばらしい演奏家との出会いが得られるのだとも思います。そして、一方で、過去の演奏家の掘り起こしが続いている、という、ファンにとってはある意味で、とても贅沢な状況になっているとも言えるでしょう。
 この番組「今月の名盤復刻CD選」は、きょうが最終回ですが、過去の録音の復刻は、これからも毎月続くことでしょう。この番組をお聴きの皆様には、この状況を上手に利用して、雑誌や新聞などの「推薦盤」といった言葉にあまり左右されずに、豊かな音楽体験を、これからも続けていただきたいと思います。未知のすばらしい演奏との、偶然の出会いこそが、CDを次々に買い続けることの、一番の楽しみなのです。
 それでは、これで、「今月の名盤復刻CD選」を終了させていただきます。お相手は、竹内貴久雄でした。



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再び、「モーストリー・クラシック」6月号の一文に関して

2009年04月23日 07時10分07秒 | 雑文

 久しぶりに「井上日召」さんのコメントが、先日の私のブログに対して行われましたが、そこでの賛意によって、新たな誤解が発生するといけませんので、少しだけ、付け加えておきましょう。
 山崎浩太郎氏は、本文の中で「敗戦直後のフルトヴェングラーは、2年間にわたりナチス協力者の容疑により指揮ができなかったし、その無罪が法的に立証されたあとも、アメリカ国内をはじめとして、かれを嫌悪する気分が一方に長く残ることになった」と書いているのです。そして、フルトヴェングラーが、ドイツ国内の大衆から寄せられていた親愛の情の強さによって「ナチスといえども手出しのできない特別な社会的地位」を得ていたので、ナチス当局がフルトヴェングラーの「反抗的な態度を難詰することができなかった」として、「いわばかれは『二重スパイ』としてナチス時代を生きたのである。」と断じているのです。
 そして、「皮肉なのは、いや、むしろ当然の結果なのか、録音においてかれの芸術の極点が記録されているのが、このナチス時代の、それも戦争が激化した1942年から45年にかけてである、ということだろう」と続けているのです。
 私がかかわり合いたくないのは、そうした山崎氏の乱暴なフルトヴェングラー観、です。
 だから、かかわりません。
 ただ、略歴の、前回引用した記述は、いくらなんでも「乱暴すぎる」と思ったのですが、よ~く考え直してみたら、ひょっとしたら意図的に微妙に書き飛ばしたふりをして、読者に錯覚をおこさせることを狙った小ズルイ表現なのかもしれないと思うようになりました。だとしたら、これは、日本のマスコミがしばしば行う手法と同じで、もはや、犯罪的、です。その略歴の問題個所、もう少し長く引用します。

 1922年にベルリン・フィルとライプチッヒ・ゲヴァントハウス管の指揮者となる。その後、バイロイト音楽祭音楽監督、ベルリン国立歌劇場の音楽監督を務めるが、ナチス政権に協力したために公職を追放。52年に復帰し、ベルリン・フィルの終身指揮者となった。

 何度も言いますが、彼も「容疑により」と書き、「その無罪が法的に立証された」と書いているのですから、この略歴の「ナチス政権に協力したために公職を追放」という記述は、客観的な事実を正確に表現していません。
 でも、山崎氏のこの新連載の文章全体をもう一度読み返してみると、略歴の記述が意図的な書き飛ばしにも思えてきます。そして、この文章を書いた彼や、それを採用して雑誌に掲載を決めた編集者氏が、フルトヴェングラーを素材にショッキングな表現をして驚かせてやろうと意気投合して載せた「列伝」の連載開始のようにも思えてきて、その意図の品のなさを感じ、嫌な気持ちになります。クラシック音楽ジャーナリズムという、狭くて、ウソが言いやすい特殊世界のいやらしさが、また、露呈しただけなのかもしれません。かかわり合いたくありません! 



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「モーストリー・クラシック」2009年6月号に苦言を呈す

2009年04月19日 13時07分29秒 | 雑文
 新しい「モーストリー・クラシック」を読んで、私としては看過できない記述(表現)を目にしたので、きょうは予定外。臨時のブログアップです。
 私のブログは、こういうことをするためにあるのではありませんから、きょうは例外中の例外です。以下のようなことを匿名で無責任に書くのは私の本意ではありませんし、直接編集部に連絡するのも大袈裟ですので、このブログでの発言とした次第です。

 2009年6月号で、山崎浩太郎氏の新連載「巨匠《名盤》列伝」が始まり、その第1回として、フルトヴェングラーの1回目が掲載されました。その内容について云々するのは、もちろん、このブログの趣旨ではありませんから、それは彼の文章に任せます。ただ、その冒頭に掲載された300字程度の「フルトヴェングラー略歴」に、次のようにあります。
 「ナチス政権に協力したために公職を追放。52年に復帰し、ベルリン・フィルの終身指揮者となった。」
 これは、
 「ナチス政権に協力したとの疑いで公職を追放されたが、多くの音楽関係者の尽力で疑いが晴れ、47年に音楽界に復帰した。」
とするべきです。有名な「バイロイトの第九」でさえ、1951年の夏ですから、52年に復帰したというのがそもそも滑稽な間違いです。もっとも、「音楽界への復帰」ではなく、「常任指揮者、音楽監督などの公職への復帰」を言っているのかもしれませんが、それは重要ではありません。そんな「人事」的なことよりも、「ナチス政権に協力したために公職を追放」という記述が問題です。
 この「ナチス協力者説」が誤解だとして、世界中の多くの音楽関係者が証言して、やっと無実が証明されるまで、数年かかってしまったのですが、これは、戦後のクラシック音楽演奏家史上、有名な出来事です。ある意味では、「協力者説」「非協力者説」それぞれに分かれての論争であったとも言えるのですが、その時、フルトヴェングラーを擁護する運動の中心人物は、ヴァイオリニストのユーディ・メニューインでした。この間のことは、私が中学生だったころ1960年代には、ドイツのジャーナリスト、クルト・リースの著書(みすず書房から邦訳が出ていました)が、もっとも信頼できる文献でしたが、今では、無数に文献があるはずです。ですから、それらを無視して、こうした運動自体が茶番で、「ほんとうは協力者だったのに、うまく言い逃れて赦された」と主張するなら、それだけの覚悟がなければなりません。
 「ナチス協力者」との烙印を押されて、戦後、一度も演奏活動をすることが許されず、失意の中で亡くなった多くの演奏家がいるなかで、「協力したために公職追放されたが52年に復帰した」などといったことが、どれほど不自然なことかも、執筆者は考えるべきでしょう。少なくとも「協力したとして公職追放されたが」とすべきです。(このあたりは、カラヤンのナチス党員説、などで混ぜっ返されると、泥沼です。)
 ナチスの問題は、とても大きな傷をあちらこちらに残しています。ピアニストのルービンシュタインが、戦後、ドイツ国内では演奏しないと決めていたため、この大巨匠と仲の良かった岩城宏之がオランダのハーグ・フィル首席客演指揮者時代、協奏曲で共演したことが、どれほど歴史的に意味があったかということも、だんだん忘れられています。
 この「モーストリー・クラシック」の記載は、たぶん山崎氏によるものではないでしょう。こうした原稿を気楽に考えている知識の少ない編集者が勝手に付け加えたものだと、信じています。少なくとも私が会っていたころの、若き日の山崎浩太郎は、こんないい加減なことは書かない人でした。このブログが関係の方の目にとまって、来月号で訂正が記載されることを期待しています。




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朗読付「プラテーロと私」全曲/ロジンスキーの多弁な音楽/ウクライナ音楽/メンデルスゾーン「八重奏曲」

2009年04月17日 10時51分45秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)



 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、1998年1月発行号分の再掲載です。ほぼ1997年の後半に発売された新譜が対象でした。
 ロジンスキーについての小文は、このブログ内に、ほぼ同じ文章があります。発売されたCDの「ライナーノート」です。それをそのまま踏まえて、私なりに整理しなおした文章です。ウクライナ音楽のCDも、日本盤の解説を執筆したので、その一部を転用して紹介したものでした。 

《詩誌『孔雀船』リスニングルーム 1998年1月発売号掲載分》


■言語と音楽との緊密な関係の成果
 スペインの生んだ大作曲家カステヌオーヴォ=テデスコの「朗読とギターのための《プラテーロと私》」は、スペインの詩人ヒメネスによる同名の散文詩を素材に作曲された作品。日本の生んだ国際的ギタリスト山下和仁によるこの2枚組のCDは、この作品の世界初録音となったもので、日本クラウンにより制作、発売された。山下は、レコーディングにあたって、原語のスペイン語による朗読を強く希望したという。それは、テデスコの作曲が、あくまでもスペイン語に対して行われたもので、実際、譜面のすべての箇所に、音楽と朗読される歌詞の部分との関係が、細かく指定されているからだ。言葉のニュアンスにぴたりと合致した音楽の運びは、日本語とスペイン語の違いによって、どうしても無理を生じてしまう。また、仮にスペイン語が美しく朗読できたとしても、演劇的な要素だけではなく、音楽的な深い理解も要求される。そのため、スペイン語の理想的朗読者を探すのに手間取ってしまい、録音の完成には三年近い歳月を費やしたという。朗読は、高名なメゾ・ソプラノ歌手テレサ・ベルガンサの姪にあたるテレサ・J・ベルガンサが担当した。様々な音色の変化によって詩の世界を豊かに導き出す名手、山下のギターは、朗読と一体になって聴く者の辺りの空気を揺り動かし、遠くアンダルシアの空の彼方へと飛翔してゆく。世界に誇れる国内制作盤のひとつだ。

■時代に抗した〈多弁な音楽〉の充実を聴く
 大量に復刻CD化された「ロジンスキーの芸術」の一枚。曲目はドヴォルザークの「新世界交響曲」とグリーグの「ペール・ギュント」。ユニバーサル・ビクターより発売中。
 一九五〇年代の終わりに世を去ったロジンスキーは、きびしい練習で有名だった指揮者のひとりで、それが、アメリカのオーケストラ・マネージメントとの圧轢を生み、ポストを失うことになったと、しばしば言われている。だが、この録音での相手となったロンドンのロイヤル・フィルは、おそらく真正面から指揮者の要求に応えたに違いない。録音セッションで、どれほどの手間をかけることが許されていたかはわからないが、それでも、細かな指示の痕跡がいたるところで聞こえ、喰い付きの良いオーケストラの良質なアンサンブルが味わえる。それは、レコーディング・データにも表われている。この一曲の録音に四日間もかけているのだから、それだけでも、かなりの〈労作〉だ。
 音楽は、もっと多弁であるべきだというふてぶてしさこそ、ロジンスキーが、同時代の聴衆に向けたメッセージだった。彼が生きた一九五〇年代は、情熱のほとばしりが音楽を染め上げ、クライマックスに向かってまっしぐらに突き進む音楽が主流だったが、ロジンスキーの音楽は、複眼的な思考で音楽のエネルギーを積み上げていく。いわゆる情熱的な指揮者が煽りたてて築き上げる音楽とは明らかに異なるのが、この時代に生きた指揮者の中でのロジンスキーの特異性だ。細部の検討を積み重ねた末の、的確なペース配分と充実した響きは、今聴き直してみても、ずしりとした手応えがある。

■オデッサ・フィルで聴くウクライナ音楽の世界
 黒海沿岸で最も有名な都市のひとつ、ウクライナ共和国のオデッサは、めざましい文化の歴史的舞台であったことで広く知られている。オデッサの街が遺産として受け継いでいるのは、ウクライナとロシアの文化だけではなく、ユダヤ、ギリシア、トルコ、フランス、イタリアの文化でもあるという。19世紀の終わり、オデッサは文化の一大中心地だった。当時、プーシキンやゴーゴリをはじめとするロシアの文学者も、この地に居を定めていたという。
 イギリスASVレーベルによる〈ウクライナ音楽シリーズ〉は、オデッサ・フィルハーモニーを起用しての世界初録音を中心としたもの。ほとんど知られることのなかったウクライナ音楽の伝統と現在を伝える意欲的なシリーズで、昨年末に二枚のCDアルバムが日本語解説付きで発売された。第1弾は、〈ウクライナ音楽の父〉とまで讃えられるコレッサと、その直系の弟子スコリークの作品によって、ウクライナ西部高地、リボフ州を中心とした純正ウクライナ音楽の持ち味を強烈に印象付けてくれた。第2弾は、ロシアの音楽教育を受けたグリエールと、現代ウクライナを代表するスタンコヴィッチの作品が収録されている。指揮はいずれも主席指揮者のホバート・アール。それぞれの作品の持ち味を描きわける手腕を発揮して、これらの初めて聴く作品の演奏としては十分だ。

■メンデルスゾーン「八重奏曲」の隠れた名演との出会い
 「神童」というとすぐにモーツァルトの名前が思い浮かぶが、メンデルスゾーンも、十代の時から才能を発揮し、多くの作品を残している。例えば、室内楽の傑作のひとつとされる有名な「弦楽八重奏曲変ホ長調 作品二〇」は一五歳の時の作品。この、青春期らしい夢見るような広がりとほのかな不安の翳りを持った傑作は、国内盤だけでも十種類くらいは発売されている人気曲で、編成は、ヴァイオリン4、ヴィオラ2、チェロ2だが、それを指揮者付きの弦楽オーケストラに編成を拡大したバージョンが、このCDだ。リチャード・トーネッティ指揮オーストラリア室内管弦楽団による演奏で一九九三年の録音。指揮者もオーケストラもほとんど無名だが、この曲にこだわっていたので思わず買った輸入盤。CD番号は[米ソニー:SBK62828]で、国内盤の発売はないようだ。この演奏には、ほんとうにびっくり。昨年きまぐれに買ったCDで一番の掘り出し物。〈偶然の出会い〉に久しぶりに感動し、改めて「世界は広い!」と思った。南半球のオーストラリアに、こんなに凄い演奏家がいるとは思いも寄らないことだった。弦楽アンサンブルの澄んだ美しさもなかなかだが、トーネッティという指揮者の、抉るような深い呼吸と息づまるような緊迫感の交錯で、一気に聴かせてしまう。





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フレイタス・ブランコの放送録音/1949年のカラヤン/夭折の天才ピアニスト、アンドレイ・ニコルスキー

2009年04月14日 18時03分46秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)





 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、1998年7月発行号分の再掲載です。ほぼ1998年の前半に発売された新譜が対象でした。
 後半、いつもの2コマ分を費やして書いた「アンドレイ・ニコルスキー」についての小文は、この短命に終わったピアニストについて書かれた唯一の日本語文献だろうと思います。書いたとおりの、すばらしいピアニストです。 

《詩誌『孔雀船』リスニングルーム 1998年7月発売号掲載分》

■ポルトガル出身の幻の指揮者、フレイタス=ブランコ
 ラヴェルの『ピアノ協奏曲』の1932年4月に録音されたこの曲の初レコードは、マルグリット・ロンのピアノ、オーケストラは録音用の臨時編成、指揮はモーリス・ラヴェル自身と記載されて発売されたが、最近になって、実は、実際にオーケストラの前で指揮をしていたのは、まだ30歳代半ばだったポルトガル出身の指揮者、ペドロ・デ・フレイタス=ブランコという人物だったということが明るみに出た。ラヴェル自身は、録音エンジニアの横で演奏の仕上りを聴き、そして、レコード会社の営業上の理由で      「ラヴェル指揮」として発売することに同意した、という。
 ラヴェルとF=ブランコの交友がどの程度のものだったのか、詳しいことがわからないが、ラヴェルの晩年(30年代)にパリで活躍していた劇場指揮者のひとりだから、ラヴェルの時代の音楽のスタイルを吸収していたことは間違いないだろう。このF=ブランコのラヴェル作品の録音には、もう40年程の長い間、廃盤のままのLPがあって、マニアのコレクターズ・アイテムだった。ところが最近、ポルトガル放送局の録音が、全12枚のCDで一挙に発売された。極端に録音が少なかったこの指揮者の様々な面が聴けるということで、画期的なことだ。ラヴェルの作品はもちろん、得意のファリャや、そのほか、ポルトガルの作曲家のめずらしい作品も収録されている。リヒャルト・シュトラウスのオペラからの管弦楽曲の演奏にも、同時代の劇場指揮者の感覚が聴けておもしろい。CD番号は[ポルトガルSTRAUSS-PORTUGALSOM:SP4110]他、分売あり。

■情熱の有効性が信じられていた時代のカラヤン
 カラヤンは、第2次世界大戦後、ロマン派音楽の演奏がメッセージを失いはじめたことに、誰よりも危機感を感じていた音楽家のひとりだったと思う。カラヤンは、響きのヴィルトゥオーゾとして、突出した部分をそぎ落とし、口当りのなめらかな音楽へと、全世界の音楽ファンを引きずり込んだが、それは、情熱、熱血……、そうした戦中派的なものを喪失した戦後の高度成長社会のなかで、ロマン派の音楽が有効性を持ちつつ、生きながらえてゆくための方便として、戦中派のカラヤンが選びとった方法だった。それが、70年代以降の奇妙に微温的な社会状況に連なっていったのだと思う。
 来たるべき二十一世紀に向けて、やっと、新たな抒情精神の復活の兆しが若い演奏家の中から聞こえてきたように思うが、そんな中、長い間廃盤だった一九四九年録音のカラヤンのベートーヴェン『運命』が、始めてCD化された。この演奏には音楽演奏における「情熱」の有効性に対する信頼がある。オーケストラはウィーン・フィル。ひた押しな音楽が、グイグイと前進し続ける。響きのバランス、リズムの切れの良さ、豊かな表情など、いずれも、既に完全に完成された音楽として成立している。この時点で、カラヤンは、やるべきことを全てやり終えてしまったかのようだ。CD番号は[英EMI:CDM5-66391-2]

■アンドレイ・ニコルスキーの遺産を聴く
 一九五九年に旧ソ連のモスクワに生まれ、九五年二月三日に、自動車事故によって、35歳の若さで世を去ったピアニスト、アンドレイ・ニコルスキーは、今や、ほとんど忘れられたピアニストだが、昨秋、廉価盤レーベル「アルテ・ノヴァ」から、ニコルスキーの録音が3枚発売された。24歳の時に、当時の西ドイツに亡命した彼は、87年のエリーザベト王妃国際コンクールで、審査員全員を圧倒したと伝えられる伝説的演奏で優勝の栄冠を勝ち取り、世界中に名前を知られるようになったが、現代のビジネス社会では、どうしても他人とのコミュニケーションがうまくとれなかったニコルスキーは、コンクール優勝後の、世界中からのコンサートやレコーディングの依頼も、再三にわたるマネージメント会社とのトラブル、変更によって、なかなか実を結ばず、伝説的な「エリーザベト王妃コンクール」のライヴ録音以外には、一枚もCDが作られることなく数年が過ぎてしまった。ニコルスキーの演奏は、現代では極めてまれなほど、自己の世界を、深く、激しく見つめる強靱な意志に貫かれたものだった。それは、聴く者の心に、重く、鋭く突きささり、出口のない闇へと、ひきずり込まずにはいられない世界だった。人前では無口で、なかなか他人を寄せ付けない、一見、はにかみと気弱さを感じさせたニコルスキーは、その印象のかげで、ひとたびピアノに向かうと、ひたすらに純粋で、感情の振幅の大きい演奏の世界に入りこみ、あたりの空気を張り詰めさせ、飲み込んでしまう、そういうピアニストだった。ニコルスキーの4度目の来日、死の半年ほど前の一九九四年夏のコンサートは、会場を
真っ暗にしての、異様な雰囲気の中で行われたと言われている。
 そんなニコルスキーの演奏に深い感銘を受けた日本のクラウン・レコードの一ディレクターの熱心な働きかけによって、ようやく一九九〇年一月にムソルグスキーの「展覧会の絵」とチャイコフスキーの「四季」の二曲を収めたCDが録音された。コンクール優勝後3年も経過してからの、遅過ぎるCDデビューだった。そして、続けて90年三月に、同じくクラウンで、「リスト、ピアノ作品集」を録音したが、この二枚が、ニコルスキーの録音として最初に知られたものだった。その後、ドイツのマイナー・レーベルに、プロコフィエフ「束の間の幻影」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカからの3章」ほかを録音、発売したと聞いている。たった4枚のCDを残しただけで、わずか35年の生涯を終えてしまったというのが、これまでのニコルスキーに関する情報だった。アルテ・ノヴァから発売されたのはショパンの前奏曲集、ラフマニノフの前奏曲と第2ソナタ、プロコフィエフのソナタ5、7、8番の三点。いずれも、おそらく放送録音からのCD化と思われ、必ずしもベスト・コンディションではないが、それでも、ニコルスキーが聴けるだけで、うれしい。
 ところで、ニコルスキーの死の原因となった交通事故とは、仕事の打ち合せで秘書の家に立ち寄り、深夜になってのクルマでの帰宅途中の山道でのこと。急に目の前に現われた小さな動物をよけるためにハンドルを切り損ね、崖下に転落しての即死だったと言われている。ニコルスキーは、日ごろから、こよなく動物たちを愛し、優しく接していたという。そうしたニコルスキーらしい、生涯の終わりだったのかも知れない。




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BBCクラシックスとBBCレジェンドの差異/珍しい「サティ歌曲集」/「浅草オペラ」華ひらく大正ロマン

2009年04月11日 08時30分11秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)



 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、1999年1月発行号分の再掲載です。ほぼ1998年の後半に発売された新譜が対象でした。
 冒頭、通常の2コマ分を費やしている「BBC」は、私が全100巻全部の解説をした「BBCラジオ・クラシックス」の完結後に、そのシリーズで私自身が得たものの大きさを書きとめておきたかったのと、その面白さを少しでも伝えたかったからでした。
 最後の「浅草オペラ」は、文部科学省主催の芸術祭の大賞を受賞したCDアルバム「黎明期の日本ギター曲集」の解説執筆以来、大正・昭和初期の日本人の西洋音楽受容史の調査への関心を高め始めていたこともあって採り上げたものでした。
 今、このCDも参考の一部にして、『大正・昭和の乙女デザイン』という歴史的デザインを集めた書籍(ピエ・ブックス発行)の一部の章の解説を執筆しています。大正、昭和初期に巷間に流行していた「楽譜絵葉書」を蒐集したもので、5月中旬には発行されますので、ご興味ある方は、ぜひお読みください。当時のイラストを眺めているだけで楽しい本でもあります。書店では、美術・デザイン書籍の売り場に並ぶ本です。


《詩誌『孔雀船』1999年1月発売号掲載「リスニング・ルーム」》

■《BBCラジオ・クラシックス》と《BBCレジェンド》
 先ごろ第一期100巻が完結した《BBCラジオ・クラシックス》シリーズは、一九六〇年代以降三〇年余りにわたるイギリスの音楽状況が捉らえられるような画期的シリーズだった。イギリスは西洋音楽の演奏史上では、ヨーロッパでも特殊な位置を占めている。ドイツ・オーストリア圏やイタリア、フランスといった主流の音楽を、他国の音楽として、自分たちのなかで消化してきた歴史があり、それはヘンデルやハイドンをロンドンに迎えた頃から変わっていないが、そうしたイギリスの音楽文化の面白さを、そのまま伝える貴重なドキュメントが、そのシリーズだった。
 そのシリーズを「玉石混淆だ」と表現した人が日本のCD業界関係者には何人もいた。それらの発言の真意は結局のところ、有名アーティストによる有名曲のライヴ音源が〈宝石〉で、聞いたこともない指揮者の知らない曲は〈石ころ〉だと言っているわけで、私は、こんな貧しい発言はないと思っていた。彼らの言うところの〈宝石〉にしか目が向かない音楽ファンの豊かな音楽体験を開く手助けの先頭に立たなければならない人々が、有名演奏家の同曲異演を「こっちのライヴがいい、あっちの演奏はダメだ」と売り歩く様は、所詮、大勢のファンが群がるところで声高に叫ぶ売り子の媚びでしかない、と言ったら言い過ぎだろうか?
 《BBCラジオ・クラシックス》シリーズは、意外なものを聴くほど面白いのだが、そのことを理解するひとは少ない。
 例えば、多くの亡命者を受入れてきたイギリスの音楽界だが、ボヘミアからやってきてロンドンのオペレッタ劇場の職についたタウスキーや、ポーランドの作曲家=指揮者パヌフニクなどが、祖国ゆかりの音楽を新天地イギリスで指揮している演奏には、有名アーティストばかりを聴いていては得られない魅力があった。もちろん、ロンドン名物のプロムスでの録音も当シリーズには数多いが、そこではボールト、サージェント、グローヴズ、プリッチャードといったイギリス紳士と目される巨匠たちの正規の録音セッションでは聴けない普段着姿を聴くことができた。軽音楽系と言ってもよいロバート・ファーノン、アシュリー・ローレンスといった指揮者のコンサートの楽しさからは、イギリス音楽界の層の厚さと、音楽の喜びを享受する率直さを感じた。ウィンナ・ワルツのボスコフスキーが、ロンドンのオーケストラの持ち味にすっかり従ってしまうのは、このシリーズでなければ聴けない滑稽な真実だった。ロシアの俊英ロジェストヴェンスキーがBBC響の主席指揮者となって、自国の音楽の紹介とイギリス音楽への理解とに挑戦を続けた数年間の苦闘の歴史は、個々に聴いていただけでは得られない興味深い示唆に富んでいた。そうしたものは、様々な記録を重ね合わせると真実の姿に辿りつくことができるが、単独では、大きな誤解や錯覚をも生みかねない。
 安易に「ある日」のライヴ録音だけを切り取って聴くライヴ・マニアの陥穽がここにある。
 年末になって新たに《BBCレジェンド》という新シリーズが発売開始された。ビッグ・ネーム(宝石!)ばかりを並べたシリーズだから、これを評価する人は多いが、音楽ジャーナリズムの使命から見れば残念な路線転換だ。個々の演奏の素晴らしさはあるが、それでも私は、この新シリーズを、BBCが日本の貧困な市場に迎合した企画として、今なお《BBCラジオ・クラシックス》の再開を願っている。

■16ページに及ぶ対訳書も付いたサティの歌曲集
 東芝EMIから発売されている《フランス音楽のエスプリ》シリーズの一枚として、楽しいサティの歌曲集がCD復刻された(CD番号・TOCE九八四六)。一九六〇年代末期から八〇年代半ばまでの仏EMI(パテ)系の録音を集めたもので、この種のアルバムとしては、曲目、演奏ともに、なかなか充実したものとなっている。歌手はマティ・メスプレ(ソプラノ)、ニコライ・ゲッダ(テノール)、ガブリエル・パキエ(バリトン)の三人で、ピアノ伴奏は、いずれもアルド・チッコリーニによる。
 サティは、詩人ジャン・コクトオによって「サティこそが新しい美学の先導者だ」と讃えられ、ドビュッシーやプーランクなどに大きな影響を与えたが、自身はパリ音楽院の伝統や権威からはみ出した奇人、変人と言われた異色の作曲家。そのアイロニカルな作風が広く知られているが、このアルバムの冒頭に収められた歌曲集『ルディオン(潜水人形)』からして、いきなり耳を引きつける魅力的で個性的な音楽だ。メスプレの歌唱は、サティのアイロニーの軽さがよく出ており、積極的な意味での「いい加減さ」の表現がなかなかだ。有名なシャンソン『あんたが欲しいの(ジュ・トゥ・ヴー)』はメスプレによる女声版のほかに、ゲッダが歌う男声版『おまえがほしい』も収録されていて、聴き比べも面白い。窪田般弥氏による対訳も充実している。

■大正期ニッポンの「元気な軽チャー」を聴く!
 このSP盤復刻CD『浅草オペラ/華ひらく大正浪漫』は、「快挙!」というにふさわしい。発売に関係した人たちの努力を考えただけで、ほんとうに頭が下がる思いだ。シャリシャリいうかなり猛烈なSP盤特有の針音の合間から聞こえてくる調子外れの歌声に必死で耳を傾けていると、遥か遠い昔に、この国で、西洋の音楽のエッセンスを無我夢中で吸収し、楽しんでいた人々がいたのだということが、「文献」としての音のなかから飛出してきて身近に感じられてくる。それは、不思議な感動的体験だ。
 何と言っても、「これは凄い」と感じたのは浅草オペラの人気演目、《カフェの夜》や、スッペの《ボッカチオ》、オッフェンバック《ブン大将》など喜歌劇の歌だ。そのエネルギッシュなパワーは、本場ウィーンやパリも顔負けのドタバタぶりで、思いきり翻案した歌詞で、すっかり日本の庶民生活に取り込んでしまった世界がたくましい。ウィーンの有名なシュランメルン「ウィーンはウィーン」の旋律が「あ痛たタッタ、あ痛たタッタ、あ痛たタッタ、アッハッハ」と歌われ、ボッカチオのベアトリーチェがベアトリ姉ちゃんになる。そして「歌はトチチリチン、トチチリチン」と口三味線。大ヒットした「コロッケの唄」もあり、大正から昭和初期のSP盤を探し出しての復刻CDでなければ聴けない味わいだ。おんがくのまち制作、山野楽器発売。





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若き日のクリスチャン・フェラス/『兵士の物語』さまざま/カラヤン初来日のN響/セルの真髄とは?

2009年04月08日 10時54分25秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)
 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、1999年7月発行号分の再掲載です。ほぼ1999年の前半に発売された新譜が対象でしたが、もうこのあたりになると、品切れ、廃盤が多いと思います。「売ってないじゃないか」「買えないじゃないか」などと、怒らないでください。もし、この私のブログでご興味をお持ちくださったなら、ぜひ、中古ショップや、様々なサイトで、探してください。私もそうして、昔から、海外も含めて、それこそ地の果てまで探しに行っています。(もちろん、これは比喩です。通販やネット検索で世界中を駆け回っているという意味です。)ほんの数年前の「CD」は、比較的見つかるのが簡単なはずですし、そうして探すのが、いちばん楽しいことだと、私は信じています。


《詩誌『孔雀船』1999年7月発売号掲載「リスニング・ルーム」》

■クリスチャン・フェラス、若き日の協奏曲録音
 クリスチャン・フェラスというと、私の世代は、「ああ、あのカラヤンと組んだヴァイオリニストね」と、鼻でせせら笑う人が多い。じつは、私も中学生時代に発売されたばかりのカラヤン/ベルリン・フィルとの『ブラームス/ヴァイオリン協奏曲』を聴いて、いわゆるカラヤンの〈流線形の美学〉が始まったグラモフォン録音時代特有の音楽への、柔軟すぎる協力ぶりにうんざりして、〈ダメなヴァイオリニスト〉と決めつけてしまったのだ。あれは、今思えば、まるでヴァイオリン独奏付きの交響曲のような演奏だったのかもしれない。だが、一九四五年に十三歳でデビューした天才少年の低迷期に、その美音だけを利用して、自己主張を押さえてしまったとすれば、カラヤンも人が悪い。私自身は、ずいぶん後になって、バルビゼのピアノで録音したソナタの初期LPレコードを聴いて、「フェラスって凄いな」と思った次第。最近復刻されたこのチャイコフスキーとメンデルスゾーンの協奏曲は、そうしたフェラスの二十歳代の録音。一九五七年のステレオ録音だ(東芝EMI/TOCE一一三四一)。他に、モーツァルトの四番と五番の協奏曲も同時発売された。チャイコフスキーとメンデルスゾーンはシルヴェストリの体臭ぷんぷんとした伴奏がうまくハマっている。モーツァルトはヴァンデルノート/パリ音楽院の伴奏で、フランス系で固めた独特の味のある演奏。

■『兵士の物語』の新しい英語版が登場
 ストラヴィンスキーの『兵士の物語』は「語り、演じられ、踊られる音楽」と添え書きされた作品で、台本はスイスの著名な詩人C・F・ラミュだから、お聴きになっている方も多いと思う。おそらく、この作品の最も有名な録音は、ジャン・コクトーがナレーターをしているフィリップスのマルケヴィッチ指揮の盤だと思う。これは、表紙の絵もコクトーが書いていることで知られている。じつは、これ以前のモノラル録音でも、コクトーは語り役を担当しており、これは、ストラヴィンスキー自身が指揮もしている。まだCD化されていないと思う。CDが簡単に手に入る珍品には、スイス・クラーヴェスという会社から発売されキング・インターナショナルが輸入販売している盤がある。初演を行ったアンセルメ指揮の一九五二年の放送録音のCD化で、組曲版しか正規録音のなかったアンセルメの、唯一の〈語り付き〉の録音だ。これには、付録として五分間ほど、ラミュ自身による一九四〇年の語りも収録されている。ところで、私は自称〈「兵士の物語」コレクター〉で、これまでにも随分と買ったが、最近面白かったのが、このナクソス盤。英語訳だが、役者がいい。音で聴く芝居としては、同じ英語版のケント・ナガノ指揮のスティング盤より数段おもしろいのは、台本、演出も違うせいかもしれない(八・五五三六六二)。

■カラヤン、一九五四年、NHK交響楽団の記録
 話にだけ聞いていた、伝説の演奏会は、先頃、NHK教育テレビの特別番組で、一部だけ見て、聴くことができたが、まさか、チャイコフスキーの《悲愴交響曲》全曲がCDで聴けるようになるとは思わなかった。一九五四年四月二一日の日比谷公会堂での演奏の記録だ。これは、当時新進気鋭の指揮者として脚光を浴びていたカラヤンの初来日、単身での来日だった。ベルリン・フィルを引き連れての来日より前のことだった。この時期のカラヤンは、戦後にロンドンに創設されたフィルハーモニア管弦楽団と組んで、EMI系のイギリス・コロンビアに盛んに録音していた。それは、カラヤンが戦後の新しい価値観の台頭の中で、自身の進むべき道を切り開いていた時期で、その進取の気概とでも言うべき力が漲っている録音が続々登場していた時代だった。
 このN響との録音も、確信にあふれた大きくうねる旋律の動きに、ネオ・ロマンティストをめざしていたカラヤンの真価が堂々と響きわたるが、それ以上に驚くのは、N響の異常なほどの集中力だ。思えば、この時代、おそらく、この限られた大切なチャンスを、みんなが大切に握りしめていたのだと思う。〈掃いて捨てるほど〉と形容される程に来日演奏家がやってくる今とは、緊張の仕方がちがっただろう。それにしても、当時から、N響の演奏技術は相当なものだったことがわかる。

■セル/ウィーン・フィルの《運命》ライヴ盤
 クリーヴランド管弦楽団の音楽監督として後半生を捧げたジョージ・セルは、そのクリーヴランド管との演奏のイメージが出来上がってしまっているが、私は、セルの真価は、まだ誰も語りつくしていないと思う。セルは、戦前はゲオルグ・セルと呼ばれ、ウィーンで活躍していたが、指揮者として以上に、天才的なピアニストとしても嘱望されていた。晩年にもモーツァルトの室内楽の録音が数曲あるが、米ヴァンガードに録音したシゲティのヴァイオリンによるモーツァルトの《ヴァイオリン・ソナタ》は、セルのピアノが、どれほどみずみずしい音楽に満ちていたかが判る演奏だ。そして、セルが求めていたオーケストラの響きの濁りのなさが、セルのピアノのこまやかなニュアンス、音色の弾き分けと同じ所から発せられていることが感じとれる。セルは「ピアノは歌う楽器なのだ」ということをいつも言っていたという。これもまた、セルの音楽を考える時のキーワードになるだろうと思う。セルは、思われているほどに、音楽を几帳面に割り切っている人ではないのだ。このCDは、セルが一九六九年のザルツブルク音楽祭の記録。晩年の演奏会のひとつだが、ごく最近独オルフェオからCD化されて発売されたばかり。オールベートーヴェン・プロで、《エグモント序曲》と《ピアノ協奏曲第三番》(ピアノ/ギレリス)、そして《交響曲第五番/運命》となっている。序曲ではしばしば出がずれるウィーン・フィルだが、次第に、セルのこまやかな音楽の表情に血肉が通ってくるのがわかる。ここには、フォームのしっかりとした、芯から燃え上がる音楽の手応えがある。




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クレンペラー「第9」ライヴ/カンテッリ「イタリア」異盤/メニューイン名盤/アルゲリッチとデュトワ再会

2009年04月05日 13時21分52秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)



 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、2000年1月発行号分の再掲載です。ほぼ1999年の夏から1999年の暮れ頃までに発売された新譜が対象でした。


《詩誌『孔雀船』2000年1月発売号掲載「リスニング・ルーム」》

■クレンペラーの「第9」にライヴ盤が登場!
 このライヴ盤は、正規のスタジオ録音と同じく当時の英コロンビアの録音スタッフによるステレオ録音で、フルトヴェングラーの有名なバイロイトの第九のような意味での正規録音と考えられるものである。録音日は一九五七年十一月十五日、場所はロイヤル・フェスティバル・ホールで、クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団による「ベートーヴェン・フェスティバル」の最終日だった。フェスティバルは十月十一日から飛び飛びに十一回の演奏会が開かれ、合間を縫って、一、四、八番の交響曲などもキングズウェイ・ホールを使ってスタジオ録音されている。第九のスタジオ録音は、十月三十一日、十一月二十一、二十二、二十三日に行なわれているから、スタジオ録音が総練習を兼ねて行なわれ、演奏会本番の後に、細部の仕上げが行なわれたと見るのが妥当だろう。
 クレンペラーによるスタジオ録音の第九の素晴らしさは、以前にも書いたことがあるが、その演奏に聴かれる巨大な足取りの確かさが、このライヴ盤でもほとんど変わらないことに、改めてクレンペラーの偉大さを感じた。細部の設計も、テンポ設定もほとんど同じだが、終楽章のコーダに端的に表われているように、演奏者のはやる感情を、クレンペラーがことさらに押しとどめてしっかりと支え、音楽を凝縮させているのが興味深い。ライヴならではの緊迫感だ。英テスタメントから発売。

■封印が解かれた夭折の天才指揮者の遺産?
 わずか三十歳代半ばで、飛行機事故で不慮の死を遂げた天才指揮者グィド・カンテッリの未発売の録音が登場した。これも、EMIの秘蔵音源を発掘している英テスタメントからの発売。曲目はメンデルスゾーンの交響曲第四番《イタリア》と、ブラームスの交響曲第三番で、オケはフィルハーモニア管弦楽団。この内、《イタリア》が新登場。実は、カンテッリ指揮フィルハーモニア管の《イタリア》には一九五五年に録音された名演が既にあり、これは、その四年前一九五一年の録音で、指揮者とオーケストラは初顔合わせだった。いわゆるお蔵入りだったもので、それは、オーケストラの創設者、経営者で、英EMIの大プロデューサーだったウォルター・レッグの音楽に対する真摯さ、厳格さによるものだったと思われる。言わば、「死人に口なし」。レッグ亡き後、発売が許されなかったものが出てきたということだ。この《イタリア》は、カンテッリの代表盤となった四年後の演奏に比べると、音楽の立体感、距離感、陰影の変化の妙など、明らかに、レッグの理想に及ばなかった演奏であっただろうことが想像できる仕上りだ。だが、音楽の躍動感だけは、ストレートに伝わってくる。畳みかけてくる音楽の勢いにまかせているところが若い。スタイルが完成しかかった時期に世を去ってしまった指揮者だったことが、二種の録音の比較から垣間見えてくる。

■メニューインによるバルトークの名演がCD化
 ユーディ・メニューインは、亡命先のアメリカで貧困と病いに苦悩していた晩年のバルトークに援助の手を差し伸べた人のひとりだが、その彼が援助の一環として作曲料を前払いして委嘱した作品が「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」だ。その委嘱者にして初演者メニューインによる唯一の同曲の録音が、オリジナルLPレコードと同じバルトーク「ヴァイオリン・ソナタ第一番」(ヘフツィバー・メニューイン/ピアノ)との組合せでCD化された。東芝EMIの優れたリマスター技術〈HS―2088〉によるもので、音質もよい。録音が一九五七年というステレオとモノラル混在期で、これはモノラル録音だが、録音も優秀。
 メニューインは戦前から神童として騒がれたヴァイオリニストで、十歳代で既に一流の演奏家として録音もしている。その時代の演奏に比べて、大人になってからのメニューインの演奏は魅力がなくなったと、しばしば言われる。それは彼が〈思索の人〉となったからだと思う。だから、いくつかの作品はヴァイオリンの美音に身をゆだねる心地好さを捨てたメニューインには不向きかもしれないが、このバルトークにおける音楽の崇高な境地では、誰も到達できない世界を現出している。〈無伴奏〉という孤独の中でメニューインが見つめている厳しさが、底知れぬ闇の彼方から突き刺さってきて、やがて、聴く者を浄化してゆく。

■ショパンの協奏曲で共演したアルゲリッチとデュトワ
 ピアニストのマルタ・アルゲリッチと指揮者シャルル・デュトワは、かつては妻と夫という関係だったが、離婚してもう随分と年月が経った。原因は当事者でなければ分からないものだから、つまらぬことは言うまい。ただ、夫婦時代の二人の録音から聞こえていたものが、それなりに面白かった。グラモフォン盤のチャイコフスキーの協奏曲。音楽の主導権は明らかにアルゲリッチにあり、彼女の大胆な音楽に従順な亭主が素直に随いてゆくといった演奏。きっちりと納まるべきところに納まってはいるのだが、どこか居心地が悪い、そんな演奏だった。同じチャイコフスキーでは、もうひとつ、ANFから発売されたスイスでのライヴ盤では、まるで舞台上で演奏をしながら意地の張合いのようなバトルを演じている。言わば、離婚直前の夫婦喧嘩バージョンといった珍盤だ。そんな二人が別々の道を歩み出して十数年経っての共演が今度のショパン。ショパンの協奏曲第一番は、アルゲリッチがショパン・コンクールで優勝した少女時代のコンクール本選のライヴ盤以降、数多くの録音があるが、そのどれもが相手の男は違っても生き生きと青春を謳歌したようなみずみずしい演奏だった。ところが今度の新盤は、すっかり青春時代をなつかしむ心境になっている。奇妙に作り物めいた節まわしに、過去を辿っている初老の人の、自身の青春への慈しみのようなものを感じてしまった。この心境になってこその、別れた者同士の共演。それはそれでいいけれども、そろそろ歳に似合ったレパートリーに絞った方が……と、つい余計なことが言いたくなってしまった。EMIから発売。



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ペール・ギュントのピアノ独奏版/「パリのモーツァルト」全7巻復刻/エッシェンバッハのシューマン全集

2009年04月02日 09時49分06秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)

 本日の私のブログ・カテゴリー「新譜CD雑感」は、すべて、10年以上前から半年ごとに詩誌『孔雀船』に掲載を続けている「新譜CD評」の遡り再掲載です。本日は、2000年7月発行号分の再掲載です。ほぼ1999年の暮れから2000年の夏までに発売された新譜が対象でした。


《詩誌『孔雀船』2000年7月発売号掲載「リスニング・ルーム」》

■名曲《ペール・ギュント》にピアノ独奏版が登場!
 ノルウェーの大作曲家エドヴァルト・グリーグのこの曲は小学校の音楽鑑賞教材として指定されていたから、子供のころに音楽室で聴いた記憶をお持ちの方も多いと思う。実は、筆者にとっては、いわゆるクラシック音楽に夢中になり始めたきっかけがこの曲で、その意味では思い出深い音楽なのだ。それが、ピアノ独奏版で発売されたので、思わず買ってしまった。昨今のCDは、いわゆるヴァージョン違いや、楽器を替えた演奏などがひんぱんに発売され、そうした新奇さで売ろうとする、いわばゲテ物的なものが多く、なるべくそうしたものには手を出さないようにしているのだが、この曲の場合は、ちょっと事情が違う。好きな曲だからということもあるが、グリーグの特質から考えても、ピアノ版には興味がそそられた。グリーグは「ノルウェーのシューマン」などとも呼ばれるピアノの名手だったし、音楽作りの根底にはピアニスティックな響きの魅力があると思っていたから、《ペール・ギュント》をピアノ一台の響きで聴いてみたいと思ったのだ。一聴して、やはり、これはお薦め。この曲の多彩な描写の魅力をとてもピュアに伝えてくれる。「朝の気分」のきらきらした輝きや、「ソルヴェーグの歌」の儚い悲しさなどの原点が、洗い落とされて響く。フローリアン・ヘンシェルというピアニストの演奏も、それなりに素直に聴ける。アルテ・ノヴァの輸入盤。

■《パリのモーツァルト》シリーズ、全七巻が復刻
 一九五五年はモーツァルトの生誕二〇〇年という記念の年で、各レコード会社からの企画物のひとつとして、EMI系のフランス、パテ・マルコニ社からはフェルナン・ウーブラドゥ監修で《パリのモーツァルト》という七枚のLPからなるシリーズが発売された。今回東芝EMIから、そのシリーズの全貌がCDで復刻された。タイトルにうたわれているごとく、このシリーズは一七六三年、一七六六年、一七七八年の三回にわたるモーツァルトのパリ滞在時に作曲された作品を包括して収録したもので、通常のモーツァルト・アルバムと異なる曲目構成が興味深いのと同時に、録音された一九五〇年代半ばにフランスで活躍していた演奏家たちを網羅しているところがユニークだった。ウーブラドゥの演奏はもっそりしていていささか鈍いという印象を、今回の復刻で改めて聴いてみても払拭することができなかったが、ピアノや管楽器のソリストたちの演奏はそれなりに個性的で、ある時代のタイム・カプセルを開いたかのようなおもしろさだ。特に第六巻のラザール=レヴィによるK310のピアノ・ソナタは、テンポを一定に保てないでせきこんでしまう様が、なつかしくもある。そう言えば、この時期にピアノソナタ全集をウエストミンスター盤で完成したフランスの女流、レーヌ・ジャノーリの演奏も、はらはらするくらいにテンポが不安定だったのを思い出す。

■エッシェンバッハのシューマン『交響曲全集』
 エッシェンバッハはピアニストから指揮者に転向した人だが、その指揮者としての彼の行く末に期待して、私は四~五年ほど前に、別のところに以下のように書いた。
 「エッシェンバッハは、まだ十代の若さで登場した〈ピアニスト〉だ。テレフンケンから発売された『バルトークを弾く』というアルバムなどが印象に残っている。まだあどけなさの残る顔のジャケットだった。一九七〇年にはモーツァルトのソナタ全集も完成してしまった。二〇歳代の最後の仕事だ。そして、七二年には指揮者としてデビュー。やがてピアノから足を洗ってしまった。だが、この人は、よくいる転出組ではない。指揮者になったときのインタビューで『幼いころから、指揮者になるのが目標だった。そのためには、まずピアニストとして有名になるのが早道だと思っていた』というようなことを語った確信犯なのだ。技巧的には少しも華麗ではないけれど、隅々まで音楽の見通しが良かったのはそのせい? シューマンの歌曲の伴奏ピアノは、目標の指揮者専業になる直前の七四~七六年録音だが、伴奏の域を超えた雄弁さ。わかっている人の音楽。才能も努力あってこそ。巨匠指揮者への仲間入りも間近かも知れない?」
 この文章を書いたころはヒューストン交響楽団を振ったブラームスの交響曲が出ており、それを推奨しての一文だったが、今回ついに、シューマンの交響曲を録音した。オーケストラは一九九八年から首席指揮者を務める北ドイツ放送交響楽団だ。
 まず最初に『四番』を聴いてみたが、即座に「これは凄い!」と膝を打った。エッシェンバッハは本当に、巨匠になってしまった。まず、シューマンの音楽に流れる情感の動きが豊かで、呼吸が深い。それでいて隅々にまで濃やかな神経のひだが行きわたっていて、全体をしっかりと凝縮させている。ピアニスト時代の特質を髣髴とさせる。様々な感情が幾重にも折り重なってぎっしりと詰っており、それが、滔々とした大きな流れに呑み込まれて突き進んでいく様は圧巻だ。この曲にはクレンペラーなどの透徹した演奏を規範にしつつも、天才フルトヴェングラーの奇跡的に感動的な演奏が過去にあって、その凌駕がむずかしかった。だが、このエッシェンバッハ盤は、ロマン派的な到達感、達成感、充足感の獲得を過去のものとしてシラケてしまった感のある現代演奏の行き詰まりに希望を与えてくれる。行き詰まっていた現代演奏が、出口を見出し、新たな陽光の元へと脱出しかけていると信じてもよいように思う演奏だ。
 思えば、ここ数年は、フルトヴェングラー的な世界に対して斜に構えたり羞恥したりする戦後世代から、バレンボイム、ラトル、ウェルザー=メストといった幼い頃フルトヴェングラーに触発されたことを公言する世代へと移行しつつある。疑いつくしてしまったものを、もう一度信じたくなった時代が、やって来たのかも知れない。エッシェンバッハが五〇歳代の終わりに到達した境地を、新世紀の幕開けのひとつとして、ぜひ聴いていただきたい。BMGから二枚組で発売。



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