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モーシェ・アツモン指揮BBCウェールズ響によるモーツァルト「レクイエム」(1978年録音)

2010年09月30日 15時55分50秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の15枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6055
【曲目】モーツァルト:「レクイエム」
          :フリーメーソンの葬送音楽
          :アヴェ・ヴェルム・コルプス
【演奏】モ―シェ・アツモン指揮BBCウェールズ交響楽団、同合唱協会
    ジェニファー・スミス(ソプラノ)、ヘレン・ワッツ(メゾ・ソプラノ)    イアン・パートリッジ(テノール)、スタンフォード・ディーン(バス)    
【録音日】1978年9月8日


◎モーツァルト「レクイエム」ほか
 この、モーツァルトの「レクイエム」を中心にしたCDで指揮をしているモーシェ・アツモンは、日本の音楽ファンにも馴染みの深い名前だと思う。これまで1977年の初来日以来しばしば日本の聴衆に自身の指揮を披露するだけでなく、その名トレーナーとしての手腕を買われて、78年から86年までは東京都交響楽団のミュージック・アドヴァイザー兼首席指揮者として貢献し、さらに、1987年から93年までは、名古屋フィルハーモニーの常任指揮者に就任している。名古屋フィルでは、アツモンの功績を称えて、退任後、名誉指揮者の称号を贈っている。
 このCDは、そうしたアツモンが東京都交響楽団の首席指揮者に就任した年に、イギリスのカーディフに本拠を置くBBCウェールズ交響楽団らと行なった録音。つい先頃来日したこのオーケストラは、イギリスのBBC放送局傘下の交響楽団のひとつだが、日本の尾高忠明が8年間もの長い間首席指揮者となって良好な関係を築いてきたことでも知られている。尾高も、アツモンと同じように、その功績を称えられ、BBCウェールズ響から、桂冠指揮者の称号を与えられた。偶然とは言え、日本との縁が様々にあるCDだ。
 アツモンは1931年にハンガリーの首都ブダペストに生まれたユダヤ系ハンガリー人だが、イスラエルのテル=アヴィヴとロンドンで音楽を学び、デビューが1967年のザルツブルク音楽祭という経歴を持っている。ベルリンでロッシーニのオペラ「シンデレラ」「セヴィリアの理髪師」で、オペラ指揮者として成功した後、69年から72年までシドニー交響楽団の音楽監督を務め、72年からイッセルシュテットの後任として北ドイツ放送響の音楽監督、77年からバーゼル交響楽団の芸術監督・常任指揮者となり、翌78年から前述の都響との兼任となった。
 アツモンの「レクイエム」の演奏は、オペラ指揮者としての実績を感じさせる声楽のまとまりの良さを聴かせ、独唱陣もよく全体のなかに取り込んで、横に流れる声楽のラインを中心とした流麗な音楽で進められて行く。音楽の表情が平明で、メリハリを強調したものではないので、平板な印象を与える部分もあるが、その穏やかな起伏は、良い意味でアマチュア的な合唱の響きとともに、親しみ深い演奏となっている。 (1996.2.2 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 誤解されないために念を押しますが、これは、とても穏やかなアプローチをしっとりと聴かせる、いい演奏です。アツモンの都響や名フィルの演奏を聴かれたか方なら、想像していただけると思います。名フィルとの「第9」のCDも、よい演奏でしたね。このライナーノートの「良い意味でアマチュア的な合唱の響き」というのは、さらに誤解されかねません。現に、この原稿を渡した時、担当ディレクターだった川村氏が少々気にしていましたが、様々に話をして納得してもらった記憶があります。いわゆる「プロっぽい」したたかな合唱団にはないしなやかさなひたむきさが魅力で、これは貴重なものだと思いました。そういうものを引き出す指揮者でもあるのでしょう。今なら、もうちょっと違う表現で書けたかもしれませんが、ひとことで表現するのはむずかしいことがらです。


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ヘルヴィッヒ/BBCフィルによるシューベルト「グレート」の、一気呵成の魅力

2010年09月28日 07時55分13秒 | BBC-RADIOクラシックス


 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の14枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6054
【曲目】ウェーバー:「オイリアンテ」序曲
    シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレート」
【演奏】ギュンター・ヘルヴィッヒ指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
【録音日】1985年4月11日、1985年4月10日

■このCDの演奏についてのメモ
 このCDには、最近ますます貴重になってきた本格的ドイツ音楽の指揮者のひとりとして、ヨーロッパで次第に実力が認められてきているギュンター・ヘルビッヒによる演奏が収められている。これは、ドイツ・オーストリア圏の音楽伝統を自身の内にしっかりと根付かせているヘルビッヒが、確信をもってイギリスの聴衆にドイツ・オーストリア圏の音楽の神髄を聴かせている1枚と言えるだろう。ドイツのオーケストラを相手にしているときよりも、低弦を主体にした重厚な響きや、音楽の高揚を意識的に引き出そうとするヘルビッヒの意志が前面に出てきていて、アンサンブルの崩れやテンポの揺れを引き起こしているのが興味深いとともに、即興的な魅力にもなっている。
 シューベルトの「交響曲第9番」は序奏の部分から、深々とした呼吸で貫かれたスケールの大きい演奏が聴きとれる。こうした息づかいの深い自然さは、第2楽章や、あるいは第3楽章の中間部などの少し沈んだ表情では、振幅の大きい低弦の動きと併せて、いっそう効果的だ。
 終楽章に至って、ヘルビッヒの演奏は音楽のロマン派的高揚に全幅の信頼を置いて、積み上げ、昇りつめてゆく。旋律の骨組がきっちりと把握された堂々とした響きで突き進む。その足取りの迷いのなさは、ロマン派的情熱の有効性が希薄になりつつある現代で、この指揮者が持っている貴重な資質だ。
 以下に、ヘルビッヒの経歴を記そう。
 ギュンター・ヘルビッヒは、1931年にチェコスロヴァキアに生まれたが、ドイツの名指揮者ヘルマン・アーベントロートに学び、ワイマール歌劇場でデビューするなど、ドイツの正統的な音楽環境の中で育った。1972年から77年までドレスデン・フィルハーモニー、77年から83年までベルリン交響楽団の首席指揮者、音楽監督を歴任しており、この時期までは、当時の東ドイツ側を活動の場としていたが、83年以降アメリカに移り、ダラス交響楽団の首席客演指揮者を経て、84年からドラティの後任としてデトロイト交響楽団の音楽監督に就任した。90年からは、カナダのトロント交響楽団の音楽監督に就任している。
 BBCフィルハーモニーはBBCノーザン交響楽団が83年に改称されたもので、BBC放送局が傘下に収める管弦楽団のひとつ。イギリスのマンチェスターに本拠を置いている。ヘルビッヒは80年代に入ってから、毎年のように、このBBCフィルハーモニーに客演していて、この顔触れでのCDは、本シリーズでも既に、ベートーヴェンの交響曲第4番と第5番、リヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」の2枚がある。(1996.1.26 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 ブックレットに掲載されている録音データを見ていたら、「オイリアンテ」序曲のみヴィクトリア・ホールでの録音で、シューベルトの「交響曲」は、その前日、マンチェスターのBBCスタジオでの録音となっていたので、びっくりしています。 私はマンチェスターの放送スタジオの実態を知りませんので、どこかの放送局のスタジオのように、聴衆を入れて公開録音をすることがあるのか、とか、まったく様子がわからないので迂闊なことは言えませんが、翌日のコンサートに向けての「総練習」のテイクが、本番よりも良かったので、このBBCラジオクラシックスでの使用テイクとなったのかもしれないと思っています。私が上記のような印象を演奏から受けているということは、たとえスタジオ録音でも、一筆書きのような勢いのある演奏だったということでしょう。私自身は聴衆ノイズや拍手の有無に言及していませんから、これを執筆した時には、そうしたことを気に留めていなかったのだと思います。
 「本番の演奏会テイクではなく、その前日の総練習のテイクを使用する」――このシリーズのプロジェクトは、テイクの選択に際してそうしたことがあってもおかしくないほど、細部にまで神経が行き届いた選曲、アルバム構成、音源調整をして作成されていました。曲間ブランクの長さ、拍手の残り方などもよく考えられていました。一度、ゆっくり聴き直してみたいと思っています。





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プレートル/バンベルク交響楽団によるビゼーの「プリミティブ」な魅力

2010年09月24日 17時00分07秒 | ライナーノート(BMG/RCA編)





 以下は、先月(8月25日)に国内初CD発売されたばかりの2枚組CDアルバムのライナーノートとして執筆したものです。RCA盤(独オイロディスク原盤)ですが、タワーレコードとの共同企画で、2枚組1800円(税別)というものです。
 ビゼーの音楽の魅力を余すところなく伝えたと言ってよい「超」が付く名演の、うれしい登場です。タワーレコードのみの発売の限定盤です。かなり好調のようですから、売り切れる前にお早めに! 
 曲目は以下の通りです。いずれもビゼー作曲です。

交響曲ハ長調
「カルメン」組曲
「アルルの女」第1組曲、第2組曲
序曲「祖国」
小組曲「子供の遊び」
    
 演奏の特徴については、以下のライナーノートをお読みください。(少々長くて申し訳ありません。でも、大事なことだけを書いたつもりです。) 


■音楽の「力」を引き出す指揮者プレートルのプリミティブな魅力

 ジョルジュ・プレートルは、いつの間にか「世界最長老指揮者」の仲間入りをしてしまった。今から半世紀ほど前の1960年代に、プレートルという「若い」指揮者の新鮮な魅力に初めて触れた記憶のある音楽ファンにとって、このことには格別に感慨深いものがあるだろう。プレートルの登場は、あの時代にとって、ひとつの若さの象徴であった。
 プレートルの経歴を振り返ってみよう。
 ジョルジュ・プレートルは1924年8月14日にフランドル地方の一部であるベルギー国境に近い北フランスのヴァジエに生まれた。パリ音楽院で学び、第2次世界大戦の終結後から、マルセイユ、トゥールーズ、リヨンといったフランス国内の歌劇場指揮者を務め、やがてパリ・オペラ=コミーク座でのリヒャルト・シュトラウス『カプリッチョ』の指揮でパリ・デビューを果たし、同オペラ=コミーク座で1959年、プーランクのモノ・オペラ『声』の初演によって高い評価を得た。
 プーランク作品の指揮で信頼を得たプレートルは、それ以後、数多くのプーランクのオーケストラ作品の録音を手掛けるようになったが、その一方、ロンドンのコヴェントガーデン、ニューヨークのメトロポリタン、ミラノのスカラ座などの有名歌劇場に次々に初登場し、1960年代から70年代にかけてはオペラ全曲録音で気鋭のオペラ指揮者として活躍し、パリ・オペラ座の音楽総監督にまでなった。だから、その方面でご記憶の方も多いはずだ。ビゼー『カルメン』全曲録音の名盤のひとつとして名高いマリア・カラス晩年のEMIステレオ録音も、プレートル指揮である。
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 正直なところオペラ分野が苦手な私は、最初プレートルの名前をEMI系の仏パテ録音で、一連のプーランクを中心としたフランス近・現代作品の指揮者として認識していた。極彩色の輪郭がくっきりとしたプレートルの力強い演奏が、繊細でセンシティブ(敏感・神経過敏)なものと思い込んでいたフランス音楽に、大胆でプリミティブ(原初的、素朴)な面が色濃く存在することを教えてくれた。だが、今にして思えばそれは、20世紀のアート・シーン全体を覆っていたあるムードのひとつでもあったと思う。
 いずれにしても、そうしたプレートルの「骨太」なサウンドのフランス音楽は、とても新鮮だった。その極め付けが、1969年にボストン交響楽団とでRCAに録音されたベルリオーズ『幻想交響曲』だったと思う。そして、この頃にはEMI系の仏パテで、創設されて間もないパリ管弦楽団を指揮してのドヴォルザーク『新世界交響曲』も録音されている。この抒情的な思い入れを排した音の運動体そのもので進めて行くような演奏も、往年のドイツ・オーストリア圏の指揮者と大きく異なる個性を持ったプレートルの特徴だ。テンポの動きだけで勝負しているかのような演奏だが、それがぶっきら棒にならず、爽快な音楽性を保持している。これこそが、プレートルである。
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 経歴から見てプレートルは、いわゆる劇場指揮者の系譜に属する人だと思うが、プレートルの生命力にあふれた指揮は、劇場という「現場」に育てられたものかもしれない。それがプリミティブな感覚と結びついて、魅力あふれる闊達な運動性を持った音楽となったのではないだろうか。
 いずれにしても、プレートルは1980年代の半ばになって、再び、コンサート指揮者として、いくつかの録音活動を再開した。首席客演指揮者となったウィーン交響楽団との録音が独テルデックで行われ、ここでもベルリオーズ『幻想』がかなり話題になった。今回CD化されたバンベルク交響楽団とのビゼー管弦楽曲集も同じ時期のもので、折からのデジタル時代の到来に伴って、初出時にはLPレコードとCDと両方のメディアで発売された。オリジナルは独オイロディスクで1枚ずつ単売だったが、今回、オリジナルとおりの曲目構成による2枚組として、国内盤としては初めて発売される。各々の収録時間が短かめなのは当時のCDの常で、LPの収録時間に合わせていたからである。
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 ところで、プレートルの名前が、最近ことさらに取りざたされるようになったのは、2008年、2010年と、2度にわたって「ウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート」の指揮台に立ってからのことだと思う。同コンサートは、1980年代に世界中に衛星生中継されるようになって、にわかにクラシック音楽界の一大イベントと化したが、1960年代には、ウィーン・フィルのコンサートマスターだったウィリー・ボスコフスキーが毎年指揮をしていた一種ローカルなお祭りだった。現在のようにライブ録音が毎年発売されるということもなく、NHKのFMラジオが数日遅れで到着した録音テープを放送するようになったのでさえ、いつごろからだったか思い出せない。1960年代とは、そんな時代だった。その1960年代に、いったい誰が今日のニューイヤー・コンサートの世界同時衛星生中継や、フランス人、プレートルが指揮台に立つといった事態を想像できただろう。
 かつて西洋クラシック音楽の演奏は、各都市それぞれの文化を背負ったものだった。ウィーンにはウィーンの音楽文化が、そして、プレートルの活躍したパリにはパリの音楽文化があった。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは、1980年から始まったマゼールの指揮から衛星生中継を開始したと記憶しているが、それがこの一大イベントのグローバル化の始まりだった。そう考えると、プレートルというフランス系指揮者のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサートへの登場は、西洋クラシック音楽演奏の変容の歴史の一面を表す出来事でもあったと思えてくる。
 観光イベント化してしまったウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートが次第にマンネリ化し、音楽が本来持っていた「勢い」とでもいうものが薄れてしまった時、プレートルの活気にあふれた演奏はとても有効だった。2008年には若干の戸惑いが双方にあったが、2010年には、ほんとうにオケが「よく鳴っていた」。そうした「音楽の力」を思い出させてくれるのがプレートルの魅力だ。最近の若手指揮者のようにコンクールを勝ち上がってくるような「純粋培養系」ではなく、オペラ小屋仕込みの手ごたえのある音楽の力だ。
 この「ビゼー管弦楽曲集」は、バンベルク交響楽団という、第2次大戦後の社会にあって稀少な、プリミティブな音色が保存されていたオーケストラを素材にして、ビゼーという輪郭のくっきりとした豊かに鳴る音楽が演奏されている。プレートルの個性と、ビゼーの音楽の特質がぴったりと符合した名演盤である。
 なお、『アルルの女』で見事なサクソフォーンを聴かせるミシェル・レイデルトは1949年生まれのフランスの名手で、パリ音楽院のデュファイエ門下の俊英。1970年代から80年代に、ヨーロッパの多くのオーケストラのコンサートにゲスト奏者として招かれている。

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ショスタコーヴィチの交響曲第11番は、安保闘争前夜の1950年代に大ブームだったらしい。

2010年09月22日 14時54分54秒 | ディスコグラフィ的な話題
(ご注意)
10月1日付けで、下記の内容に関して、当の今村亨氏からの訂正が「コメント欄」に書き込まれました。初演者のことです。以下をお読みになる方は、コメントを併せてお読みください。コメントは、この文章の一番下の「コメント」という文字の次の「(1)」にカーソルを合わせてクリックすれば、別ウインドが開きます。

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昨日の続きになります。今村亨氏から、昨日、ブログupの数時間後に、私の携帯に以下のメールが到着しましたのでご紹介します。

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 オケ側の事情とは気付きませんでした。確かに客演ではなく、常任指揮者は、好きなレパートリーだけを取り上げる訳にはいかないでしょう。さすがにシリーズ全体を見渡した見解ですね。
 でも、プリッチャードが何故ショスタコの11番を取り上げたか? という、この録音の一番の興味と云うか、一種の“謎”はある程度分かったにしても、何故それが時代遅れの演奏スタイルだったのかは、やはり不思議に思います。クリップスのように、かなり幅広いコンサート・レパートリーを残した人も居ますが、一般にオペラ指揮者が残したコンサート・レパートリーはオペラ+αの事が多く、ショスタコの11番は、かなり特殊なものと思います。たとえば、最近N響によく客演するネロ・サンティがショスタコの11番を振ったら、やっぱり意外でしょう!? ですので、そうした馴染みの薄い曲だったために、プリッチャードが持っていたイメージがコンヴィチュニー的なもので定着していたのでしょうか?
 この曲は初演後数年の内にムラヴィンスキー(初演者)、ラフリン(モスクワ初演者)、ストコフスキー(西側&アメリカ初演者)、クリュイタンス(仏初演者)、コンヴィチュニー(東独初演者)等が次々に録音し、今では想像出来ないようなブームを巻き起こしたようなので、プリッチャードが当時何か強い印象を抱いた事は想像出来ます。それが偶々コンヴィチュニー(か、それに類する演奏)だったのかも知れません。
 そう言えば、以前、俵孝太郎が「11番は当時の学生でも良く知っていた革命歌が出てくるので、お堅い交響曲というより、歌声喫茶の延長の曲のような気がした。」と言っていましたので、何か世代によっては個人的に特別親しみがある曲なのかも知れません(もちろん、英国人のプリッチャードに、歌声喫茶は関係ないでしょうけど)。
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 ここまでが、今村氏のメールです。さすが今村さん。詳しいですね。ショスタコの11番の録音が、一時期、これほどたくさん出現していたとは、うっかりしていました。やはり、並べて検討しなければダメですね。
 そういえば、私の手元にも、フランス・コロンビアの美しいジャケットのオリジナルLPでクリュイタンス盤があるのを忘れていました。実は、この盤、中袋を入れ替えてしまっていて例の「棒」がないという理由でフランスの通販が格安で売り出していたもので、もう20年以上前に手に入れたのですが、棒の背文字が無いために長いことレコード棚から見失っていたのです。テスタメントから出たCDは数年前に買いましたが、まだ聴いていません。つまり、どんな演奏だか、BBCのプリッチャ―ドとの聴き比べという観点では、一度も聴いたことがないのです。
 今村さんのおかげで、またひとつテーマが出来ました。感謝!

(追記)
 現在、今年の暮れに発刊予定で執筆中の書籍『ギターと出会った日本人たち――近代日本の西洋音楽受容史』(ヤマハミュージックメディア)の原稿のラスト・スパートに突入していて、そのことで頭がいっぱいなので、ショスタコについて考えるのは、だいぶ先になります。申し訳ありません。
 直近では、それと、もうひとつ。11月末から来年1月23日まで渋谷の松濤美術館で開催される展覧会『大正イマジュリィの世界――デザインとイラストレーションのモダーンズ』で、大正・昭和初期の楽譜書(セノオ楽譜、ビクター、新興、ハーモニーなど)や楽譜絵葉書の世界を概観します。展覧会と同名の書籍も、ピエブックスから刊行されますが、その編集作業、コラム執筆、出展作家(無名の人がたくさん)の経歴調査にも参加しているので、かなり追われています。
 以前にも当ブログのどこかに書きましたが、大正・昭和初期の西洋文化受容史の研究は、私にとって、音楽を真ん中に置いてはいるものの、どんどん範囲が広がっていて、興味が尽きません。これらを総合して考えるだけの時間が、私にどれだけ残されているのだろう、と、考えるようになりました。




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ストコフスキーのショスタコーヴィチ「交響曲第11番」はキャピトル盤です。

2010年09月21日 13時05分06秒 | ディスコグラフィ的な話題
9月15日のブログに掲載の「BBCラジオクラシックス」のCDへのライナーノートについて、今村亨氏から「訂正と感想」のメールが到着しました。「ショスタコーヴィッチの交響曲第11番」について1996年2月4日に執筆したものの再掲載でしたが、ブログ掲載時の追記で、うっかりミスをしました。もう訂正はしましたが、当日分をお読みになったままの方も多いと思いますので、訂正を掲載し、併せて、彼の「感想」が面白かったので、以下に「無断で」ブログにupします。今村さん、ゴメンナサイ。

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ショスタコの11番について書かれたライナーノートは今でも興味深い内容ですね。竹内さんが、かなり前から演奏史の変遷に触れられていたのは意外でした。コンヴィチュニーやストコフスキー等の初演当時の録音と丁寧に比較されていたので、これ等を知っていれば、プリッチャードの演奏が、ほぼ想像出来ます。ショスタコのように初演当時から実際の録音で演奏史を辿れる“現代音楽”では、「80年代のコンヴィチュニー」は、確かに時代と乖離した感じがします。尤も、プリッチャードは竹内さんがわざわざ長い略歴を入れられたように、オペラ指揮者ですから、ショスタコの、それも11番は、かなり異例の選曲だったように思えますが、何故この曲だったのでしょう? 革命歌の旋律が多く登場する音の壁画のような曲は、オペラと似ていると考えられたのでしょうか?
ところで、折角の追加コメントですが、ストコフスキー/ヒューストン響のショスタコの11番はキャピトル録音です。エベレストはニューヨーク・スタジアム響との5番の方です。
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ここまでが、今村さんからのメールです。
プリッチャ―ドが「なぜ、この曲を採りあげたか」に関する今村さんの想像は、かなり興味深いものです。ですが、それは楽曲構造に対するアプローチの傾向としては、ありそうなことではあっても、選曲の動機は、下世話な話で申し訳ないのですが、このオーケストラの親会社であるBBC放送局の「政治的な思惑」があるように思えてなりません。このBBCのシリーズをずっと聴いていて、時々思ったことがあります。このライナーノート再録をずっと読んでいただければ見えてくるはずです。この前年に何があったか(政治的な事件が)を調べてみると、何か分かるかもしれません。ちょっとプリッチャ―ドのレパートリーとは離れているように思うのです。でも、当時はBBC響の首席指揮者でしたから、局側からの要望だった可能性があるということです。もちろん、そうした下世話な話は、音楽演奏の本質には何も関わらないことですけれど。

ところで、今村さんの「初演時から、録音で演奏史が辿れる」という表現、その通りなのです。ドビュッシーやラヴェルあたり、ストラヴィンスキーあたりから、そうです。いくつかの曲を、そういう視点で詳細に比較試聴したことがあります。もちろん、同時代の他の音楽や演奏傾向などと並置しながら(先を行く人も、周回遅れの人もいるのが、社会の本質ですから)ですが。でも、当時の録音機や再生装置の問題を加味すると、この1950年代の作曲作品あたりからが、ほんとうの対象なのかも知れません。
「キャピトル」「エヴェレスト」の件は、私の完全な勘違いです。申し訳ないことをしました。(とは言っても、どちらも現在、廃盤のようですが……)やはり、現物で確認しながら書かないとダメですね。ブログの「追記」なので、つい気軽に書いてしまいました。



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ヘルヴィッヒのマーラー「交響曲第5番」の不思議な〈なつかしさ〉に想うこと――近代人の〈抒情〉の形象

2010年09月17日 10時35分16秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の13枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6053
【曲目】マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
【演奏】ギュンター・ヘルヴィッヒ指揮BBCフィルハーモニー管弦楽団
【録音日】1984年3月27日


◎マーラー「第5番」
 このCDの指揮者ギュンター・ヘルビッヒは、1980年代の初め頃までは当時の東ドイツで活躍していた。その後西側に移り、このCDのBBCフィルハーモニーへもしばしば客演していたが、最近は毎シーズンのパリ管弦楽団への登場を初めとしてヨーロッパの各都市やアメリカで、オーソドックスなドイツ音楽の手応えを聴かせる数少ないひとりとして評価が高まっている。
 ヘルヴィッヒの、マーラー演奏は、スコアの隅々まで照射するアプローチで聴く者を説得するといったものではなく、あくまでもシューベルトやシューマンに連なるロマン派の系譜の延長で、オーソドックスに捉えられたマーラーだ。全体に弦楽を主体にした歌に力点を置き、豊かな抑揚で歌い継いでゆく。オーケストラの技量から、しばしば響きの混濁を生じてしまうのが惜しいが、その分だけ、縦のラインをぴたりと揃えた管理の行き届いた演奏にはない味わいが聴こえてくるのは、ヘルビッヒの音楽のベースが、自然な流れに根ざしているからだ。第2楽章の表情付けには、〈自然〉に対峙する人間の哀歓が感じられ、最近の自意識の過剰に彩られたマーラーを聴き慣れた耳になつかしさを感じさせる。
 近代の抒情は、攻めぎあう対立の構図を引出す底意地の悪さとでも言ったものに振り回されているが、ヘルビッヒのマーラーには、調和と同化を求めてやまない人間の優しさがあふれている。だから、有名なアダージェット楽章から終楽章への流れも、暗部をえぐりだすよりも、明るい未来へと向かって行く高くかかげた希望を、ことさらに意識させる美しい演奏となっている。終楽章では、金管セクションがしばしば飛出しすぎたり、リズムの刻みがくずれたり、と問題が噴出する。旋律の重層的構造を克明に追えないための緊張感の断裂を立て直そうとする、ライヴ録音ならではのヘルビッヒの苦心の跡も聴き取れる。だが、だからといって、全体の印象がバラバラに分散してしまうわけではない。オーケストラの弱点をあまり気にさせないで、結局、最後まで聴かせてしまうのは、ヘルビッヒの、ドイツ・オーストリア音楽のオーソドックスな価値に対する揺るぎない自信と慈しみがさせていることだろう。(1996.1.30 執筆)

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ショスタコーヴィッチ「11番」――プリッチャ―ド1985年盤とストコフスキー1958年盤の乖離

2010年09月15日 10時27分05秒 | BBC-RADIOクラシックス



 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の12枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6052
【曲目】ショスタコーヴィッチ:交響曲第11番《1905年》」
【演奏】ジョン・プリッチャ―ド指揮BBC交響楽団
【録音日】1985年4月12日

◎ショスタコーヴィッチ「交響曲第11番」
 1921年にロンドンに生まれたプリッチャードは、指揮者としてはオペラ経験の長い人だ。イギリスのグラインドボーン音楽祭での活躍が知られているが、ドイツのケルン市立歌劇場の音楽監督をしていた期間も長い。それが彼の、全体構造をきっちりと把握した上での、豊かな即興性あるロマン派音楽の演奏に大きく寄与しているのかも知れない。晩年はBBC交響楽団の首席指揮者として1982年から89年の死の年まで活躍して、ブラームス、やベートーヴェン、あるいはエルガーなど、シンフォニー・コンサートでの実力をロンドンの聴衆に示していた。
 しかし、ショスタコーヴィッチの「交響曲第11番」といった現代のレパートリーとなると、少々状況が変ってくる。
 プリッチャードのショスタコーヴィッチを聴くと、作曲当時の時代の東ドイツなど東欧圏の演奏、例えばフランツ・コンヴィチュニーの残した録音に近いものを感じる。そこではショスタコーヴィッチの音楽は、暗く重い響きで口ごもる。プリッチャードのなかに、そうした演奏の伝統が根を下ろしていたとしても、彼の経歴からすれば、決して不思議なことではない。
 例えば第2楽章。テンポの変化が浅く、管・弦のバランスの移動も控え目。全体に表情付けが淡泊で、あっさりと進行してゆく演奏だ。カラフルな音色の変化も抑えられている。ショスタコーヴィッチの効果的なパーカッションの使用、リズム構造のおもしろさも出てこない。これはショスタコヴィッチ作品の演奏では、本当は困ったことなのだが、このあたりに、プリッチャードの音楽観が見え隠れする。
 ショスタコーヴィッチの「交響曲第11番」の西側諸国での演奏として、アメリカ初演を行なったレオポルド・ストコフスキー指揮ヒューストン交響楽団による初演直後の録音がCDでも復刻されている。この演奏は歴史的に意義があるだけでなく、演奏そのものも優れたものだ。これを聴くと、ショスタコーヴィッチの一見モノトナスな部分でさえ、暗部の底のステンド・グラスのように様々な色彩を放っているのがわかる。そのストコフスキーが自身でバッハやベートーヴェン、ワーグナーなどの作品を色彩感豊かな管弦楽に編曲したりしていたのは有名なエピソードだ。こうした極端な例を持ち出さないまでも、私たちの時代は、ショスタコーヴィッチの描いた複雑な音響やリズムを聴き分ける耳で、バッハやベートーヴェンを聴いているのだという厳然とした事実がある。決してベートーヴェンを聴く耳で、ショスタコーヴィッチを聴きたいとは思わないという観点は、確かにあるのだ。だが、その一方で、それとはまったく相容れない視点もあるということに、プリッチャードの演奏は気付かせてくれる。 (1996.2.4 執筆)

【ブログへの再掲載に際しての付記】
 この原稿は「時代と演奏スタイル」との関わりについて考え続けている私にとって、貴重な感覚を思い出させてくれました。すっかり忘れていましたが、15年ほど前に、こんなことを書いていたのだと感慨深いものを感じました。ここで触れているストコフスキー盤は、米キャピトル盤です(ブログup時に、米エヴェレストと誤記しました。訂正します)。老いても「進取の気概」を失わなかった大指揮者が残した貴重な遺産のひとつ。この曲の西側での評価に大きな影響を与えた録音です。




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ロジェストヴェンスキー/BBC響による1981年録音のマーラー「嘆きの歌」は、ロシア的な文学的解釈?

2010年09月10日 16時31分15秒 | BBC-RADIOクラシックス




 1995年の秋から1998年の春までの約3年間にわたって全100点のCDが発売されたシリーズに《BBC-RADIOクラシックス》というものがあります。これはイギリスのBBC放送局のライブラリーから編成されたもので、曲目構成、演奏者の顔ぶれともに、とても個性的でユニークなシリーズで、各種ディスコグラフィの編者として著名なジョン・ハントが大きく関わった企画でした。
 私はその日本盤で、全点の演奏についての解説を担当しましたが、それは私にとって、イギリスのある時期の音楽状況をトータル的に考えるという、またとない機会ともなりました。その時の原稿を、ひとつひとつ不定期に当ブログに再掲載していきます。そのための新しいカテゴリー『BBC-RADIO(BBCラジオ)クラシックス』も開設しました。
 なお、2010年1月2日付けの当ブログにて、このシリーズの発売開始当時、その全体の特徴や意義について書いた文章を再掲載しましたので、ぜひ、合わせてお読みください。いわゆる西洋クラシック音楽の歴史におけるイギリスが果たした役割について、私なりに考察しています。

 以下に掲載の本日分は、第2期20点の11枚目です。



【日本盤規格番号】CRCB-6051
【曲目】マーラー:カンタータ「嘆きの歌」
【演奏】ロジェストヴェンスキー指揮BBC交響楽団
    テレサ・カヒル(ソプラノ)
    ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
    ロバート・ティアー(テノール)
    ギーネ・ホーウェル(バス)
    BBCシンガーズ、BBC交響合唱団
【録音日】1981年7月20日


◎マーラー「嘆きの歌」
 ロシアの指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーは、戦後世代では最もイギリスとの関係が深い指揮者だろう。1978年から82年までは、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者として活躍していたが、この有能な指揮者の国外流出を快く思わなかったソ連政府(当時)によって、82年に半ば強引に帰国させられたが、それがなければ、ロジェストヴェンスキーとロンドンの聴衆とのきずなは、更に堅固なものになっていただろう。
 このCDは1981年の録音で、前述のように当時ロジェストヴェンスキーは、このBBC交響楽団の首席指揮者をしていた。
 当時の音楽状況から見ると、マーラー作品の演奏としては、この1981年という年は過渡期に当たるだろう。バーンスタイン、クーベリックといった指揮者のマーラー全集の録音が、1960年代から70年代にかけて完成したあとを受けて、80年代はマゼール、テンシュテット、アバド、インバルなどの新しいマーラー像探求が少しずつ進み始めた時期なのだ。若きサイモン・ラトルが最初のマーラー録音「交響曲第10番」を、クック校訂の全曲版で収録したのも1980年だ。正に、第2期のマーラー・ルネッサンスだったが、ラトルがマーラーの「嘆きの歌」をEMIに録音して、この曲の存在を広く知らしめたのは1985年。当CDのロジェストヴェンスキーの演奏の5年後だった。
 ロシアのマーラー演奏にはそれほどの歴史や伝統がなく、目立った仕事としては、キリル・コンドラシンの一連の録音(これは、実にすばらしい)があるくらいだ。ロジェストヴェンスキーが当時、どの程度マーラーに取り組んでいたかは不明だが、この「嘆きの歌」を聴く限りでは、この曲を、その後のマーラーの交響曲世界に連なるものとして捉えるよりは、伝統的なロマン派の劇音楽の延長で捉えているように思われる。各パートの相互干渉に配慮したオーケストラの響きや、きめ細かく動かされるアーティキュレーションといったマーラー演奏の最近の主流とは異なり、語り口が優しく分かりやすく、親しみの持てる劇音楽として平易に聴ける演奏だ。これはロシアに伝統的にある、音楽に対して文学的にアプローチするスタイルが、むしろ色濃く影響したものと言えるだろう。(1996.1.30 執筆)




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レーヌ・ジャノーリの「ドビュッシー:前奏曲集」のCDが、ついに10月20日に発売!

2010年09月08日 10時56分40秒 | ライナーノート(ウエストミンスター/編)

                               
 レーヌ・ジャノーリの名演、ドビュッシー「前奏曲集」の全曲が、日本ウエストミンスターから、ついに初CD化されてまもなく発売されます(10月20日)。
 以下は、そのCDのライナーノート用にと依頼されて執筆した原稿です。同社のご了解のもと、その演奏について書いた部分を当ブログに全文掲載します。
 なお以下の文字列を一気にコピーしてネット上のサイトにアクセスすれば、アマゾンの、そのCDページが開きますので、詳細がわかり、予約もできます。ジャノーリの魅力に、ひとりでも多くの方がご興味を持たれることを期待しています。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%89%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%BC-%E5%89%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%E9%9B%86-%E5%85%A8%E6%9B%B2-%E3%82%92%E5%BC%BE%E3%81%8F-%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%AA/dp/B003ZUD8LK/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=music&qid=1283909728&sr=1-4


 どういうわけか、アマゾンの演奏者名詳細検索で「ジャノーリ」はヒットしません。私はいつもレーベル名詳細検索で「日本ウエストミンスター」から入っています。これを発売順に置き換えると、常に新譜がチェックできます。一度お試しください。


■レーヌ・ジャノーリのドビュッシーをめぐって 
 このところ日本ウエストミンスターによって続々と、LPレコードからの復刻CDが発売されているレーヌ・ジャノーリは、第2次世界大戦後に活躍したフランスの女性ピアニストの中でも特に傑出した人として、私にとって大切な演奏家のひとりである。ジャノーリがウエストミンスター・レーベルに1950年代に残した録音は、復刻CDでは既にラヴェルのピアノ曲で1枚。モーツァルトのピアノ・ソナタ全曲が5枚のCDでリリースされている。今回のドビュッシー『前奏曲集』は、LP時代には『版画・全3曲』+『前奏曲集第1巻・全12曲』で1枚、『前奏曲集第2巻・全12曲』で1枚と分売されていた(国内盤の場合。海外盤は2枚組アルバム)ものを、『前奏曲』のみ全24曲で1枚のCDに再編したもの。国内LP盤の発売は1958年の末から1959年春頃までの半年間あたりと推定されるが、詳細は不明である。今回のCD化で省略された『版画』は、『メンデルスゾーン・ピアノ小品集』というめずらしいレパートリーのLPの復刻との組み合わせで、近くJXCC-1066としてCD化されるので併せてお聴きいただきたい。
                  *
 昨年から復刻CDが登場するようになったとは言え、レーヌ・ジャノーリについては、まだ日本では語る人が少ないが、それはジャノーリが、演奏家としての活動を抑制して、後進の指導に励んだということも理由として挙げられるだろう。今から半世紀も前の1959年頃に発売されたと思われる初出LPの『前奏曲集第2巻』の解説に付された演奏者紹介文に、「1947年以来、恩師アルフレッド・コルトーの要請に応えて、母校エコール・ノルマルの教授として後進の指導にもあたっている」とあるが、ジャノーリは1915年生まれだから、既に31~32歳の時から、指導者と演奏家を兼務していたということになる。
 ジャノーリの残した録音は、1950年代のモノラル期はウエストミンスター盤のみで、曲目はモーツァルトの「ピアノ・ソナタ全集」、というまとまった仕事以外では、バッハの「イギリス組曲」、「フランス組曲」などの鍵盤曲のほか、前述のラヴェルが1枚、ドビュッシーが2枚、メンデルスゾーンが1枚、そしてメンデルスゾーンの2曲の「協奏曲」、モーツァルトの「2台のピアノのための協奏曲」(スコダとの共演)があるくらいだ。ステレオ録音時代になってからは、ABCパラマウント傘下となったウエストミンスターでモーツァルトの「変奏曲全集」、フランスのクラブ・ドゥ・ディスクでショパンの2つの「協奏曲」、エラートでバッハの「半音階的幻想曲とフーガ」「イタリア協奏曲」ほかで1枚、アデ(ADES)でショパンの「ワルツ全曲」のほか、シューマンの「ピアノ独奏曲全集」という偉業を録音完成させているが、1979年にその生涯を終えるまで、一度も、いわゆる国際的な活動を続けるメジャー・レーベルへの録音を行わなかった。
 フランスで後進の指導を続けたということだけでなく、そうした演奏家としての活動範囲の狭さからも、ジャノーリというピアニストが、第2次世界大戦後に発達していった「音楽ビジネスの国際化」の波に弄ばれずに、フランスのピアノ演奏の伝統を守り通せた理由が垣間見える。ジャノーリは正に、フランスにおけるピアノ演奏の戦後史に生まれた美しい「エア・ポケット」だったと思う。彼女の周辺にだけ漂い薫る音楽の気配というものがある。
 その大きな成果のひとつが、このドビュッシーである。私は、これほどにカラフルなドビュッシーを他に知らない。決して極彩色のカラフルさではなく、淡い色調が重なり合う世界なのだが、その色合いは深く、繊細で、そしてほのかな匂いが漂う。ドビュッシーの音楽の内側にあるものを、ここまで広げて聴かせてくれるのがジャノーリのピアノなのだ。
 だが、このジャノーリのドビュッシーが発売された1950年代の終わりころは、もうひとつの問題が、レコードという厄介な世界に横たわっていた。再生装置の能力という問題である。当時、ドビュッシーにはジャノーリのほか、コルトー、ギーゼキング、カサドジュらのレコードがあったはずだが、ジャノーリの特質に注目する人は少なかった。じつは私自身も、ジャノーリの魅力に気付いたのはその10年後くらいなのだ。たまたま、当時まだ健在だった名曲喫茶のかなり高級な再生装置を通して聴いた音によってだった。
 だが、今なら通常の再生装置で、たとえば「第1巻」第11曲「パックの踊り」を聴いただけでも、即座に納得できると思う。今回のCD化に伴う音質の改善の成果は感動的と言っていいもので、ジャノーリの美質が、とてもよく伝わってくる。だが、LPレコード発売当時の一般的な再生装置では、ピアノの音のニュアンスは、「音色」ではなく「テンポ」と「強弱」が中心だった。ジャノーリの「音」を手軽に聴くには、1950年代は、まだ早すぎたのだ。最近の解析的とされるドビュッシー演奏と比較することで、ジャノーリに対する正当な評価を、むしろこれからの課題としなければならないと思う。(2010. 8. 19. 執筆)





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再度、アタミアンについて(訂正とお詫び)など

2010年09月03日 10時40分16秒 | 私の「名曲名盤選」

 先日、8月31日付の当ブログで言及したディックラン・アタミアンについての記述の訂正です。
 プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番のCD(ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲とのカップリング)は、アメリカのマイナー・レーベルDELOS(デロス)から発売されているものでした。規格番号はDE-3155です(写真参照)。伴奏はジェラルド・シュウォーツ(と表記するのでしょう)指揮のシアトル交響楽団です。不用意に「米RCAか?」と書いてしまいました。お詫びして訂正いたします。いずれにしても1994年の発売ですが、アマゾンやHMVから多少の日数がかかるものの入手はできるようですので、それほどの入手困難盤ではなさそうです。ナクソスからピアノ版のストラヴィンスキー『春の祭典』も出しているピアニストでした。フルネーム綴りは「Dickran Atamian」です。
 マガロフ/マタチッチ盤は仏ディスク・モンテーニュ盤であることは、現物を見ましたので間違いありませんが、2枚組というのは私の勘違いで、1枚物でした。うろ覚えで書いてしまって申し訳ありませんでした。これは、別のレーベルから出ているといいのですが、そうでないと、かなりの入手困難盤かもしれません。
 なお、先日の「付記」では触れませんでしたが、プロコフィエフのピアノ協奏曲には、バイロン・ジャニスの独奏にコンドラシン指揮モスクワ・フィルが伴奏を付けている米マーキュリー盤もあったことを思い出しました。これも、見かけたら「買い」です。


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