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ケント・ナガノのブルックナー/ロイブナー~N響/マゼールBOX/エゴン・ペトリのリスト~ブゾ―ニ

2012年01月13日 13時03分47秒 | 新譜CD雑感(クラシック編)


 詩誌「孔雀船」に15年ほど前から年2回執筆している「リスニング・ルーム」というコラム欄のために書き終えたばかりの原稿です。原則として、昨年後半に発売されたCDから、私が書きたいことを感じたものを4点選んでいます。。主宰者に了解してもらっているので、発行前に先行掲載します。但し、最後のエゴン・ペトリに関する文は、10月頃に当ブログで紹介したもののショート・バージョンです。なお、冒頭の写真はケント・ナガノのブルックナー「第7」です。


■ケント・ナガノ~バイエルン国立のブルックナー「第7」
 ケント・ナガノとバイエルン国立管弦楽団によるブルックナーの「交響曲第七番」が、ソニー・ミュージックから発売された。二〇一〇年九月二三日、ベルギ―のカテドラルでのライヴ録音だという。私は長い間、ブルックナーの音楽は、その独特の「休止」の間合いが大きな意味を持っていると思っていた。その間合いを意図的に作り上げていくあざとい演奏(例えば、マゼール/ウィーン・フィルの英デッカ録音「第五」)の面白さも、積極的に評価してきた。ところがケント・ナガノの演奏は、じつにしなやかな開始によって、どこまでも歌い継いで行こうとする演奏が立ち現れる。その強い意志は、第二楽章に至って、さらに鮮明になる。いわゆるブルックナー的な全休止を注意深く避け続け、間隙を作らずに、なだらかに歌い継いでいく。しかも、その向かって行く先にあるのは、明るく、軽やかなものなのだと予感させる。静かに心に沁み入る演奏である。新しいブルックナー像の出現! と思わず膝を打ちかけて、私は、ひとつ、以前から不思議に思っていた演奏を思い出した。カラヤンの最晩年、確かラスト・レコーディングと言われたブルックナーである。カラヤンが最後に到達した「オーストリア的なブルックナー」として、たおやかに歌い継いだ先に見ていた二十一世紀が、この東洋の血が混じったアメリカ人指揮者から紡ぎ出されてきたのかもしれない。しばらく、ケント・ナガノから目が離せなくなった。


■懐かしいロイブナー/N響のシューベルト「交響曲第9番」
 キング・インターナショナルから「N響八十五周年記念ライブシリーズ」として、NHK交響楽団の貴重な録音が多数発売された。これは、その中で私が最も興味をもったもの。二枚組で、一枚目はN響の前身である新響時代からの指揮者ジョセフ・ローゼンストックが一九七七年に客演した時のステレオ録音で、ボロディン「交響曲第二番」とチャイコフスキー「交響曲第六番《悲愴》」。ローゼンストックは文献的に名前を知っているので、その印象が強く、一九七七年に来日してステレオ録音があることも、完全に失念していた。だが、一方の二枚目は懐かしかった。一九五七年から足掛け三年、N響常任指揮者だったウィルヘルム・ロイブナーによるシューベルト「交響曲第九番」と「ロザムンデの音楽」。こちらは一九六四年のモノラル録音で、収録場所が日比谷・内幸町にあった旧NHKホールである。私には、ちょうど我が家にテレビが入った小学生時代に見ていた(はずの)ロイブナーの方が懐かしいのだ。この録音はその後の客演時のものだが、ひょっとすると、中学生になっていた私がラジオにかじりついて聴いたのは、この演奏だったのかも知れないとさえ思う。びっくりするくらいウィーン的な暖かさと躍動感が漲って、ひたすら前進する演奏に、思わず感激してしまった。日本人オーケストラが、夢中で西洋音楽の味わいを吸収していた時代の記録である。アンコールの「ロザムンデ」バレエ音楽第二番も嬉しい。


■マゼールのフランス国立管とのマーラー「巨人」がCD化
 一九六〇年代の初頭と言えば、私にとっては、若き日のマゼールの演奏をテレビで見て、何かわけのわからない興奮に襲われた時期でもあった。新しい音楽の予感とでもいうものだったと思う。私の記憶に間違いがなければ、ベルリン・ドイツ・オペラと一緒に来日したマゼールが、東京交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「交響曲第四番」が、NHK教育テレビから流れた。私の「マゼール体験」の最初の一撃である。その後のマゼールの様々な変貌の意味については、これまで、様々な機会に書いてきた。戦後演奏史の中でのマゼールの位置付け、果たした役割の大きさについて、私は誰よりも真剣に論じてきたと自負しているが、最後の変貌を目前にして、マゼールのメモリアル的なアルバムが、突然発売された。最近の輸入盤の「まとめ売りアルバム」の超廉価攻勢には半ば呆れてもいたが、これは、とても丁寧な仕事である。合併に次ぐ合併の成果(?)で、ソニーとBMGの原盤から三〇アイテムが選ばれ、全てオリジナル時のレコードジャケットを再現した紙ジャケットに一枚ずつ収め、詳細データ付きのオールカラーの解説書が付いてのボックスセットが五〇〇〇円程度というから驚きだ。誰が選定したものか、ずっとCD化されなかったフランス国立とのマーラー「巨人」が入っているので、あわてて予約したときには、こんな仕様だとは思ってもいなかった。DG+デッカ+フィリップスでもやってくれないか、と思った。


■エゴン・ペトリが弾く「古典派~浪漫派名曲のピアノ編曲」
 一九六〇年頃発売のLPレコードからの復刻CD。日本ウエストミンスター発売。ペトリは若き日に、晩年のリストと親交のあったブゾーニから直接の薫陶を受けているだけに、ブゾーニが編曲したリストの作品が大半を占めていて、さながら、リスト~ブゾーニ~ペトリと直伝で繋がるピアノ音楽の一側面の正統が、どのような成果をもたらしていたかが実感できる選曲になっている。曲目は、メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」の音楽による結婚行進曲と妖精の踊り、グノー「ファウスト」のワルツ、モーツァルト「フィガロの結婚」の二つのモチーフによるファンタジー、など5曲。「結婚行進曲」でさえ、旋律を断片化して散りばめるといった作りになっていることで、ひときわ、ピアニズムの音響美を追求するような仕立てになっている。私は、ピアノから色彩感の豊かな音楽を感じる時は、いつも自在な左手の動きが聴こえると感じていたのだが、先日、著名な音楽評論家ハロルド・ショーンバーグが、「ロマンティックなスタイルのピアニストの特徴的な演奏習慣は、左手が微妙にズレていることだ」と指摘していることを知って、全ての謎が氷解したような思いを持った。正確なタッチのピアノが失ったものは大きいのだ。もう一度、音楽の本当の雄弁さを取り戻すためにも、このエゴン・ペトリが残した演奏を聴いて戴きたい。半世紀の「時」を隔てた彼方から聴こえてくる音楽は、とてつもなく深かった。

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