goo

METライブビューイング2018-19『アイーダ』は必見! ルイゾッティの緻密な指揮で聴くヴェルディの新鮮な魅力

2018年10月28日 19時51分28秒 | オペラ(歌劇)をめぐって

一昨日、金曜日の夜、「東劇」で早々と今期のメトロポリタン最新公演の「ライブビューイング」を観てきました。10月6日にニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で行われた公演の録画、スタッフ・キャストは以下の通りです。

 

指揮:ニコラ・ルイゾッティ

演出:ソニヤ・フリゼル

 

アイーダ:アンナ・ネトレプコ

アムネリス:アニータ・ラチヴェリシュヴィリ

ラダメス:アレクサンドロス・アントネンコ ほか

 

 今回の上演の圧倒的なレベルの高さについては、別の機会にゆっくりと論じたいと思っているが、とりあえず、感じたことを2、3書き留めておきたい。

 まず、一番に思ったことは、この『アイーダ』というオペラが、ヴェルディの作品群のなかで後期に属するのだということを、これほど強烈に感じた〈上演記録〉は、この日が初めてだったということだ。これは、細部の折り重なった旋律、各楽器の音色の描き分けの妙を的確に表現してのけたルイゾッティの指揮と、それに応えきれるメトのオケの技量の成果だ。ヴェルディのオペラにおけるオーケストラの響きでは、『リゴレット』以降、ことさらに近景と遠景のごとき音色と音量の描き分けが重要になってきた、と私は考えているが、それを明確に意識させられる上演記録が、ようやく登場したと思えた今回のメト公演である。これは、20年以上前のミラノ・スカラ座で、マゼールが実現しかけていた音楽の方向だと思うが、今回の成果は、メトの緻密なアンサンブルに負うところが大きい。

 そして、そうした精緻なオケの響きの中から立ち上がる各歌手たちの声の抜けのよさと見事なバランスに感動した。このオペラで最も重要なのは〈三重唱〉という音楽に際して、その構造を一転の曇りもなく聞かせることなのだ。アムネリス、アイーダ、ラダメス、今回のメトでのこのトリオは、しばらく、最強の組み合わせとなるのでは、と思った。

 そして何より嬉しかったのは、どうも最近は〈力づく〉で強引に歌うようになったかな? と少々疑問を感じていたネトレプコが、実に美しく軽やかで澄んだ声を響かせていたことだ。オケの繊細な響きに、しっかりと溶け込んでいた。

 こうした彼らの美質が最高度に発揮されたのが幕切れの地下牢の場面。これには思わず息を呑み、涙腺が熱くなってしまった。昨年のザルツブルクのムーティ指揮の『アイーダ』(NHKがBSで放映していた)が吹き飛んでしまった。(今回のメトの『アイーダ』は来年、WOWWOWで放映するはずだから、絶対にエア・チェック! である。)

 私は一足先にプレミア試写で鑑賞させていただいたが、本上映が、11月2日からの1週間、全国の指定映画館で始まる。これは必見だ。なお、東京・銀座「東劇」のみ、11月15日までの2週間の上映となる。

 

【追記】(2018年11月4日)

 このブログUP直後に、友人から電話をもらって「アイーダ、そんなに良かったのか」と問われたので、私の表現で伝え切れないところがあったかと思いながら、「三重唱」の聞こえ方を、私は思わず「きれいな三角形を描くように響く」と表現した。これは気に入った。じつは、その際に、ヴェルディの響きについて、私は以前、「誤解」していたというようなことを語った。そのことについて付け加えることで、私の真意がより伝わると思う。

 この「誤解」とは、あそらく大方のヴェルディ好きが高く評価している部分だ。とかく、元気がいいとか、勢いがあるとか言われる音楽傾向のことだ。わたしは、それをしばしば「せっかち」「ためが足りない」「おおざっぱ」と言っていた。ところが、ヴェルディの最後の作品『ファルスタッフ』を、最晩年のカラヤンが指揮したライブ映像で聴いて、その、あまりに室内楽的な精緻で軽やかで澄んだ音楽に耳を洗われた思いをして、あわてて様々なヴェルディ演奏を遡って聴きなおし始めたのは、ほんの2、3年前くらいからだ。そして、おそらく私と同じで、プッチーニ好きでヴェルディは苦手だったはずのマゼールが残した数少ないヴェルディ作品の録音・録画が、私に解答へのヒントを与えてくれた。明らかにマゼールは、カラヤンの『ファルスタッフ』が実現した世界を、今世紀に入ってからの『椿姫』の録画では目指しているし、古い『ルイザ・ミラー』のDG録音にも、その萌芽が聴かれる。

  多くの評者が、ヴェルディの演奏を語る際に「勢い」や「歯切れのよさ」を称えるのは私と真逆の評価だが、それを私は、100年以上にわたって続いたヴェルディへの大きな誤解の産物だと考え始めている。私が、先日のメトの『アイーダ』を高く評価しているなかで、「ムーティが吹き飛んでしまった」と書いたのは、そういう意味だし、ネトレプコが「力づくで強引な」歌ではなかった、と積極的に讃えたのも、すべて、そこから来ている。マゼールの『アイーダ』を引き合いに出したのも、そうしたことが背景だ。

 今年のメトの『アイーダ』は、ヴェルディの音楽が染みついている人々に、そのイメージへの大きな転換を迫り、目を開かせる公演記録のひとつなのだと思う。しばらく、こうしたヴェルディ音楽を牽引した指揮者二コラ・ルイゾッティのこれまでの仕事を振り返りながら、今後の動きを注目しようと思っている。

 ヴェルディも没後100年以上になって、やっと私たちは、新たなヴェルディ像にたどり着く入口に立っているのかも知れない。

 

 ~~~~~~~~~~~

 

◇付記◇

 なお、今回の記事執筆を機に、当ブログに新たに「オペラ(歌劇)をめぐって」というカテゴリーを起こしました。冒頭、タイトルの下の日付右側のカテゴリー名称をクリックすると、これまでに私がオペラを話題にしたコラムがまとまって読めるようになりましたので、ご利用ください。

 

goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )